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最終話 欠損剣士・後編

 フレイマーは、両手から短剣を抜いた。新堂の左手首に装備されている身体強化ユニットが、彼の両手首にも装備されている。二つも装備しているということだけで、恐ろしいことだといえる。しかし逃げるわけにはいかない。フレイマーは二つの短剣を両手に持って、新堂を見つめた。対する新堂はフレイスピアの槍を構える。自分の手首から抜いた短剣は、胸ポケットに入れている。

 仕掛けたのはフレイマーが先だった。彼は気軽にステップを踏み、新堂の間合いに踏み込んだ。だが、新堂が槍を突くよりも早く両手の短剣を振るってくる。槍を戻して、短剣を防がざるを得ない。しかしすぐさまもう一本の短剣が踊る。これは避けなくてはならない。なんとか回避に成功する。

 先手こそとられたものの、身体強化ユニットの力を十分発揮した今の状態であれば、追随できないほどの速度ではない。新堂はそう判断する。足を振り出して、フレイマーの身体を蹴りだす。敵はこれをかわすべく、背後に下がった。下がった敵に槍を突き出すが、これは短剣で受けられる。

 同時に、電撃がきた。短剣に電気が注がれ、槍を通じて新堂に通電させるつもりだ。

 思わず、新堂は呻いた。それでも槍は放さずに持っている。いや、放せない。通電によるショックで筋肉が硬直してしまっている。槍を手放すことはできなかった。しかし、それゆえに通電時間は長かった。

 しびれた新堂に、フレイマーが飛びかかる。これは、かわさなければならない。新堂はしびれた両腕を無理にも振り、フレイマーの攻撃をしのぐ。電撃対策に、ゴムの手袋を買っている。新堂はそれをすでに装備していて、上からグローブをはめることで相手から隠してはいた。それでも電気は彼の体に容赦なく食い込んでいる。

 フレイマーの攻撃は、新堂の槍で防がれる。恐らくゴム手袋がなければ今のでやられてしまっていただろう。この点はアックスツヴァイに感謝しなければならない。彼女がフレイマーの能力を教えてくれなければゴム手袋などというものは用意できなかった。

 一撃を弾いた新堂は、足を引いて敵から距離を置く。しかし、間をあけては再び電撃を浴びせられる危険があるので間合いをはかることに時間をかけてはいられない。すぐさま槍を突き出して敵に迫る必要があった。新堂の槍は、フレイマーの短剣に防がれるが、そのまま何度か攻撃を行う。しかし、いずれも簡単にあしらわれた。フレイマーはまだ本気を出していないものと思われる。それでも新堂は攻撃を仕掛けなければならなない。

 自分でも少し焦ったか、と感じた頃に敵が動いた。新堂の突き出した槍を、両手に持った短剣で挟み込むように受け止められてしまった。引いても、槍は動かない。がっちりと止められている。ここに電撃を流されればつらいと思った新堂は、槍を手放すかどうか迷う。

 その迷いの一瞬をついて、フレイマーが口を開いた。


「新堂、なぜ戦う」


 短い問いだったが、新堂の耳にもそれは届いている。なぜ戦うのか、という問い。新堂は答える義務を感じない。しかし、フレイマーは重ねて問いかける。余裕を持った、ゆったりとした声。


「ぼくは多分、君がここに戻ってきたりしなければ、そのまま君たちの事は放置していたと思う。事実、今ぼくはここにいないフレイサイズのことを探し出してなんとかしようなどということはこれっぽっちも思っていない。そんな暇がないというのが勿論事実ではあるけれども、理由はともあれ君たちは自由を手にしていたんだよ。ぼくはこれ以上君たちを追いかけようとは思っていなかったし、どうでもよかった。そのまま逃亡していれば、君たちは自由に暮らせていたはずだ」


 フレイマーの言うことは、恐らく事実だった。新堂にもそれはわかる。

 警察組織に終われるようになってしまった彼らは、新堂たちの捜索を続ける余裕などなかった。新堂が施設から情報を得ることよりも脱出と自由を優先させていたなら、フレイスピアも、フレイアックスも、フレイソードも死んではいなかっただろう。そのかわりにフレイ・リベンジも生き残っていただろうが。


「なのに、君は戻ってきた。戦いにきたね」


 フレイマーは涼しげな顔をしたまま答える。そうしながら両手はもちろん短剣を握り、新堂の槍を固定しているのである。新堂は槍を引き抜こうとしているのだが、フレイマーの短剣は固く動かない。


「何を思って今、君は戦う」


 新堂は、槍に込める力を抜いた。それでもフレイマーの短剣は槍を固定している。動かない。彼は片目を閉じて相手の言葉に応じる。


「俺の目的は、俺の過去を知ること。それは達成されたが、お前たちを許してはおけない」

「それはどうしてだい。家族を傷つけられたからかい。それとも、記憶を奪われたからかな。しかし君の力では施設へ戻ってきたところでこうなることはわかっていただろう。せっかくアックスツヴァイが教えてくれたというのにね、fr-05フレイマーという絶対的な存在がやってきたということは」


 相手の会話の間隙をついて、新堂が槍を引き込んだ。今度こそ槍は抜け、フレイマーの短剣は空中に力をもてあました。瞬間、新堂は抜いたばかりの槍を突き込む。心臓を狙った攻撃だが、フレイマーは大げさに背後に飛びのく。

 高く遠くへ飛んだフレイマーは華麗に空中で一回転。サーカスやってんじゃないんだ、と新堂は思う。

 空中からフレイマーは何かを投げつけてくるが、新堂はそれを避ける。同時に、フレイマーは着地。両者の距離が開いた。電撃を使うのに適当な距離。フレイマーが投げつけた何かは、床に当たって跳ね返った。短剣だ。投擲用の小さなもの。


「フレイダガー、君はよくやったな」


 よくとおる声で、フレイマーがこちらに告げてくる。テレパスらしい、ちりちりと背中にも何かが感じられるような意志をわずかに感じる。自分は彼のテレパシーを防御できるはずだが、その防御能力を超えるほどの意志をぶつけられているということかもしれない。同時に、彼の両腕に電気が溜め込まれていく。放電が起きるまで、わずかの間しかないだろう。


「無駄、だ」


 彼は両腕を突き出した。空中を伝って電撃が走る。新堂は床に槍を立てて、自分はその脇にしゃがんだ。即席の避雷針のつもりだが、理論的にも規模的にもあまりにか弱い避雷針だ。そんなことはわかっているが、頼るものは他になかった。

 電撃は槍を直撃し、近くにいた新堂にも影響を与えた。彼はゴム手袋をしているが、絶縁体といえどもまったく通電しないわけではない。

 二次的な落雷を食らった。特に左腕がひどい。新堂はまだ意識を保つ。通電された左手はひきつり、全身にしびれが及んだ。手袋をしているが、その中身はどうなったことか知れない。ひどく痛む。

 もう一撃を放たれれば完全に負けが決まる。新堂は行動を起こさなければならない。新堂は右手でポケットの中をまさぐる。引き出したものを、素早くフレイマーに向けて投げつけた。

 新堂の投げたものは床に当たって砕け、そこから白い粉末が広がる。もうもうと細かい粒子が空中に散布される。フレイマーはこれを警戒した。毒煙かもしれなかった。フレイマーの肉体は毒物に対して抵抗力があるが、それも限度がある。

 しかし実際のところ、これはただの煙幕だった。粒子の細かい粉末を投げつけたにすぎない。正体はメリケン粉という安価なものだが、ここにきて威力を発揮した。新堂はこの煙幕に紛れてフレイマーに接近した。狼狽している彼に向けて、槍を突き出す。フレイマーはその瞬間、振り返って簡単に新堂の槍を防いだ。


「ぼくは索敵能力にも優れているんだ。忘れてもらっちゃ困る」


 どうやら彼は、新堂と話をしたいらしい。槍を防いだまま、口を開いている。

 新堂は、頭の中に何か小さな電気が走るような音を聞いた。フレイマーの放電か、あるいは他の要因か。フレイマーはにやりと笑って朗々と語りだす。

 彼の、自慢に近い話が始まる。新堂はそれをあまり聞いていなかった。


「ぼくがこの身体を手にするまでのことを、君は知らないだろう。フレイダガー、君にも語って聞かせてやろうじゃないか。ぼくがなぜこのような小さな惑星の、小さな文化を掌握するために一生懸命になっているかということを。もともと、ぼくはひとつの銀河にある、大きな文化系の中で中枢を担うほどの科学者だった。いろいろなことを研究していたが、特に兵器に関する研究をしており、理論を現実のものと出来るようになるまで、やっとのことでこぎつけた。そこにいたるまで大変な苦労があったのはわかるだろう、フレイダガー。やっとのことで、各種、ようやく考え出したエネルギー理論や破壊理論が試せるというときに、足元をすくわれた。政治組織によってだ。まだ何もしていないというのにだ、ぼくの考えがちょっと他と違うから、異端だからという理由だけでぼくを排斥した。追放したんだ」


 聴衆は新堂しかいない。彼の力説は聞き流されている。新堂は、彼の語る言葉ではない、何かを感じ取ろうとしていた。何か、電気のようなものが彼から強く流れ込む。電気でなく、風のようなものかもしれない。ある程度の、エネルギーの流れが感じられた。風でもなく、熱かもしれない。

 彼から発散される、何かの流れ。流れを新堂は感じていた。この命をかけた戦いの最中であるにも関わらず、どこか呆然としながら彼はその流れに意識を集中させていった。彼から、自分へと流れ込む不思議な力、流れ。この大きな流れは、何をあらわしているのだろうか。これまでに感じたことのないエネルギーだ。


「追放されたぼくは、やがて復権することもなく潰えた。何一つ果たせないままに息絶えたわけだが、思念は残った。流れ流れて、その思念は同じように無念の死を迎えた多くの魂と出会う。いずれも志は強く、同じ。『あの政治機関に復讐すること』、これがぼくの最終的な目的、そのために今ここでそれまで培ってきた理論の簡単な実践研究中ってわけなんだ。フレイダガーも今から必死にぼくに謝ったなら、その最終決戦に連れて行ってあげてもいい。君のその最後までぼくに歯向かう執念はどこかで役に立つかもしれないからね」


 エネルギーの流れは、単純だった。フレイマーから新堂へ。ゆらめくような、川の流れのような不安定な力。

 新堂は、少し理解した。ひとまず槍を引いて返答する。


「そのようなことは、できない」

「なるほど」


 フレイマーも短剣を引いて応じた。電撃を両腕に溜める音が聞こえてくる。しかし新堂は、彼が両腕に電気を溜めようとしていることがその前からわかっている。

 彼の考えが、読み取れた。

 わずかなエネルギーの流れ。聞き逃さなければ、相手の思考状態を教えてくれる。はっきりと聞き取るには集中が必要だが、見える。敵の思考が見える。

 これが、テレパシー能力、テレパスか。今さらになって、自分の中でこの能力は、目覚めさせられた。フレイマーが使っていたので同調してしまったのか、それとも覚醒までに二年を要しただけなのか、それはわからない。しかし、新堂は理解したのだ。自分はテレパスであるということを。


 テレパシーの力は、流れに沿うことだ。意志は、周囲に呼びかける。その力である種の力場を形成している。磁力のように波で、音波のように振動で、その周囲に存在する意志を、感じ取ることが可能だ。それがテレパス、精神感応能力。その波を、自分から破壊して新たな波を巻き起こす。それが攻撃的な能力、相手に意志を送り込む。

 新堂は攻撃的なテレパシーを使おうと思えば、使うことができた。しかし、ここでは使わない。相手の思考を読むことだけに用いた。

 フレイマーは、新堂の考えを読むことは出来ない。これは新堂が自分の意志を相手に読ませないように流しているからだ。心を読むという力は、受動的なものに過ぎない。少しの工夫で、読ませないようにすることは出来る。テレパスの素養を与えられた新堂は無意識に相手に考えを読ませないようにしていたらしい。


 電撃が新堂を襲った。彼はその場から飛びのいたが、完全には避けられない。全身がびりびりとしびれた。その場に倒れ伏す。

 相手の考えが多少読めたところで仕方がない。電撃より早く動くことは不可能だ。

 今さら新堂がテレパスになったところで、圧倒的な力量差を埋めることには直結しない。まずは相手の電撃を封じる必要がありそうだが、その前に自分は負けるだろう。いつまでもこのようなことはしていられないし、うまい考えも思い浮かばない。


「ぼくも暇じゃないんでね。フレイダガー、もう一度訊くけど本当にもう、戻ってくるつもりはないんだね」

「お前がフレイスピアに謝る方が先だと思わないか」


 新堂はしびれる全身に鞭打って、なんとか起き上がりながらそう言った。どうにもならない。身体は言うことを聞かない。相手はfr-05フレイマー。最初から無傷で勝とうとは思っていなかったがここまで圧倒的だとは考えていなかった。しかしそれでも諦めて降参するなどということは許されない。

 自分には、死んでいったものの意志がのせられている。勝手にそう思っているだけだが、それを裏切ることもできそうにない。


「交渉は決裂したわけだ、フレイダガー。そういえば君は家族と一緒にここに来たのだったか。その家族の復讐ってわけだったのかな」


 フレイマーは今思い出したという態度でそう言った。本当に今思い出したのだろう、新堂の家族が全て改造されてしまったのだということを。

 新堂は槍を杖にしながら、どうにか立ち上がる。そこで訊ねた。


「俺の家族は全て、改造されたのだろう。誰が、誰だったんだ。それさえもわかりはしなかった」

「忘れたよ。使えそうな材料から使ったものでね。ただ君のお姉さんがフレイスピアだってことはわかってる。あとは、なんだったかな。フレイサイズには主に君の娘さんと飼い猫を使った。それと、君の奥さんの中脳と小脳を付け加えた感じか。奥さんの大脳は、どこへいったんだったかな?」


 フレイマーは淡々とした調子で語ったが、それがどれほどおぞましいことかは理解していないようだった。さすがにこのとき、新堂は片目を閉じたりはしなかった。両目を大きく見開き、目の前の男を見据えた。


「フレイサイズが俺の娘? 嫁の中脳と小脳を付け加えた? それは本気で言っているのか。本当なんだな」

「確か本当だ。資料のどこかには記載したはずだったと思う。フレイダガー、もし君がもう一度資料室へ行けたなら調べてみるといい。まぁもうすぐ死ぬのだろうけれども」


「馬鹿な!」


 新堂は叫び声をあげた。意志の力場が揺らめく。

 あのフレイサイズが、俺の娘だと。俺の嫁の一部をも、その身体に残しているというのか。

 新堂が思うことは、家族をそのような形で無茶苦茶にされたという怒りよりも、別のことであった。

 なら、彼女を護らなくては。

 そう思った。まずそう思ったのである。家族を、護らなくてはならない。

 どのような形であれ、新堂の家族は生きている。今、生きているのだから。それを護るのは当然のことだ。俺が護るのだ、俺が家族の長なのだ。今、ここで倒れるわけにはいかない。


「どうした、フレイダガー。家族があのような姿になって絶望したかな」


 フレイマーは笑っていた。新堂が何を思っているのか、彼はわかっていない。テレパスであるはずだが、新堂の心のうちはまるで読めていないようだ。

 新堂は全身に力を込めた。わなわなと体が震える。恐怖のためなどではない。すべきことを見出した使命感が、彼に力を与えている。

 両手に握られたフレイスピアの槍は、電撃を浴びてもなお輝く。

 再び構えた新堂を見て、フレイマーはあきれたように問いかけた。


「まだやるつもりなのかい。往生際の悪い、覚悟を決めたらどうだい」


 新堂は言い返す。


「覚悟はまだだ。大事な飼い猫に首輪をつけるのを忘れてきたからな」

「そうかい、ならそれを悔いたまま亡くなるのだね」


 フレイマーは電撃を浴びせるために、腕を振りかぶった。

 しかし、その瞬間に異変が起こる。

 天井から轟音が響く。フレイマーも新堂も、思わず上を見た。金属や、コンクリートの破片が降ってくる。その中に混じって、大きなものが落ちてきているようだ。

 新堂はその場から飛びのいた。フレイマーもそうする。二人の距離は離れ、その中心に天井から落ちてきた何かの残骸が当たる。落下の衝撃でそれらは砕けて散った。

 誰かがここへやってきたのだということはわかる。だが、誰なのか。ここを知るようなものは、もう残っていない。

 もしや、ここにきて姿を見せていないサイズウルフか。


 新堂は最悪の事態を予感した。フレイマーとサイズウルフの二人を相手にするのは、無理だ。

 しかしやってきたのは、重厚な刃の輝き。落下スピードを振り下ろしに変え、フレイマーに向けて両腕での一撃。

 床に刃がめり込み、衝撃で施設全体がわずかに揺れた。びりびりとその場に電撃が走り抜ける。

 フレイマーはその一撃を右腕に食らっていた。切断された彼の腕が、空中に浮いた。彼は驚愕の目で、落下してきたそれを見た。


「お前、アックスツヴァイ!」


 新堂は叫んでいた。

 天井から出現し、フレイマーに斧の一撃を見舞ったのは、間違いなくアックスツヴァイであった。彼女はぼさぼさに乱れた髪を黒い布で無理やりに纏め上げた姿で、身に纏った白衣はすでに黒ずんだ血で汚れていた。血走った目で、ツーハンドアックスを握り締めている。

 床にめり込んだ斧を引き抜いて、横からの振り回し。フレイマーへの追撃だ。フレイマーはそれをあっさりとかわして、アックスツヴァイに電撃を浴びせようとする。

 しかし、アックスツヴァイは片手をそちらに向けるだけで、電撃を無効化した。


「おっと、電撃は無駄だったか」


 フレイマーは落ち着いた様子で息を吐いた。切り落とされた右腕については、注意を払ってもいない。

 アックスツヴァイは、新堂にちらりと目をやった。それだけで、新堂は彼女がこちらに敵意を抱いていないことがわかる。


「完全に裏切るつもりだね、アックスツヴァイ。死に損なったのかな、それともサイズウルフが情けをかけたのかな」

「知ったことじゃないね、そんなことは」


 疲れきった声を絞って、アックスツヴァイが敵を睨んだ。彼女はここに来るだけですでに無理をしているのだろう。しかし、新堂にとってはまさに僥倖といえた。

 アックスツヴァイは、敵の電撃を無効にする防御能力を持っているのだ。もっとも厄介な能力が、これで相殺になる。少し、可能性が出てきたのではないかと思う。


「新堂、助太刀させてもらうよ。あの猫ちゃんはどうしたんだい」


 息を切らしながら、アックスツヴァイ。彼女は背負ってきたショルダーバッグをその場に投げ捨てて、身を軽くした。

 これに対して新堂は頷いてこたえる。


「逃がした。勝つとは考えていないからな。あいつまで巻き込みたくない」

「馬鹿だね、そんなんじゃ勝てるものも勝てないよ。全部護って、それでも勝つくらいの気概を見せなよ、男なら」


 疲れきっているはずなのだが、アックスツヴァイの気の強さは健在らしい。フレイマーという最大の敵を前にしても尚、彼女は自分の意志を曲げない。


「お前、俺のカミさんにそっくりだな」


 こんな状況だというのに、思わず苦笑してしまう。そういえばあいつはよくそんなことを言っていたなと思いながら。


「馬鹿をお言いでないよ、洒落になんない」


 アックスツヴァイはため息を吐いた。


「ふむ」


 と、フレイマーが呻いた。片腕になっても余裕を失わない彼だが、何かを感じたのだろうか。


「フレイダガーによってテレパシーは封じられ、電撃はアックスツヴァイによって封じられたわけだ。今片腕を落とされたので生体強化ユニットの威力は半減し、面白くない展開になったといえるね。楽しくない話だ、これではぼくの計画が台無しになる」


 アックスツヴァイがそれに応じ、告げた。


「そのとおり、フレイマー。あんたがもし仮に予備の身体をつくりにかかっていたとしても、その完成まであと二日はかかるはず。今ここで、新堂と私の二人でかかれば、勝敗はもうわからない」

「確かにそうだね、そのとおりだ。しかし、それはこの身体でぼくが戦っていればの話だろう? まだぼくには手がある。そう簡単に、このフレイマーを倒した気になっては困るな。ニューフレイ製薬として活動した期間の長さは知っているだろう。その間に手にした利益で、このようなものを作ったわけだがね。見えるだろう、この大きさが」


 右腕で、フレイマーは背後にある水槽を指差した。大きな水槽だ。濁った水が入っているが、そのせいで中に何があるのかはわからない。水の中には鯨がいるのか、サメがいるのか。あるいはその液体自体が強烈な酸なのか。


「その中に何がいるっていうのさ。ペットの亀でも見せ付けるつもりかしら」

「ではお見せしよう、これがぼくの本体だ」


 いい終わると同時に、フレイマーは魂が抜けたようにその場に倒れた。

 直後、水槽が砕けた。濁った水が溢れ出す。

 新堂は退避しようと思ったが、逃げる場所がない。アックスツヴァイは落ち着いたもので、その場に留まる。

 水槽のガラスはかなり厚いものであったが、容赦なく砕けている。破片が降り注ぎ、濁った水に運ばれていく。水は水槽から降りて床にたまっていくが、どうやらどこかに排水溝があるらしく、洪水になるということはなかった。それでも新堂たちのくるぶしほどまで、濁った水は溜まる。

 深い緑色に濁った水だが、無臭だった。それがかえって不気味であるが、アックスツヴァイがまるで落ち着いているので新堂も慌てたりしなかった。彼女は、この水が何なのか知っているのだろうか。

 水がすっかり流れてしまった水槽の中に、何かがいる。新堂はそれを見た。うっ、と呻く。

 巨体だ。かなりのものである。身長は、おそらく三メートルを超えている。体表は外骨格に覆われていて、尖っている。まるで鎧だ。触れただけで敵を傷つけるような棘のついた鎧に見える。頭部は蟷螂のように逆三角形の形で、小さな口元にはそれに不釣合いなほどの牙が生えていた。

 そのような体の、あちこちからうねうねとした触手が生えており、それが水槽の中へ伸びていた。あれらはどうやら接続コードか何かのような役割を果たしているのだろうと思われる。

 アックスツヴァイは思い出す。少し前の会話だが、フレイマーはこう言っていた。


「今までの身体も悪くなかったんだけど、あんまり自由に動けなかったから」


 そうしたことを彼は言っていたはずだ。つまり、彼はこの部屋から動くことができない。あの接続コードが彼の命綱なのだと考えられた。

 部屋にある、唯一の出入り口がロックされる音がした。念入りなことに、分厚そうなシャッターまでが下りていく。新堂とアックスツヴァイが協力しても、こじ開けるには時間がかかりそうだ。つまり、逃がすつもりはないということだろう。

 ばしゃりと床に溜まった水を弾いて、巨体が降りた。


「フレイダガー、アックスツヴァイ。この身体に電撃や銃撃が通じると思わないほうがいい。せっかく水槽を砕いたのだから、楽しませてもらおうかな」


 声はフレイマーの口調であるが、しわがれて聞こえた。『上層部』の声だ、とアックスツヴァイは思う。

 外骨格を纏った巨体となったフレイマーが腕を振るう。驚異的な重さと速さを備えた一撃だった。新堂は急いでかわしたが、彼にフレイスピアの槍など通じるのだろうかと疑問を抱く。

 アックスツヴァイもこの程度ではやられていない。疲れている体ではあるが、それでも今の一撃はかわせた。


「まるで岩だ」


 次々と繰り出されるフレイマーの攻撃に対して、新堂は呻くように言った。敵の巨大さもあって、岩山を相手にしているような錯覚に陥る。

 もっと恐怖しろ、逃げ惑え、という意志が新堂に伝わってくる。これはフレイマーの心だろう。圧倒的な力でもって、弱者を征服する喜びが彼にはあるのかもしれない。それもそのはず、これだけの力を持っていれば作戦をたてる必要などまるでないのだから。

 アックスツヴァイは、振り回されるフレイマーの腕に向かって斧での一撃を見舞うが、まるで通用しない。彼女の持っていたツーハンドアックスはあっけなく弾き返され、fr-04アックスツヴァイは次の一撃で吹き飛ばされる。水しぶきを上げながら、彼女は床に倒れた。

 フレイマーは両腕を振り下ろし、倒れたアックスツヴァイを押しつぶそうとする。

 新堂が飛び出し、アックスツヴァイを引っ張る。フレイマーの両腕は床を叩いて水しぶきを上げたが、アックスツヴァイを殺すことは出来なかった。


「こりゃまいったね」


 顔に掛かった水を払いながら、アックスツヴァイがため息を吐く。巨体を誇るフレイマーに、どう立ち向かっていいのかわからないのだ。彼女の武器は斧と電撃だが、斧の刃でも敵の外骨格は貫けなかった。


「お前が諦めてどうする」


 新堂は右目を閉じて、岩のような敵を見た。外骨格に覆われた強靭な巨体を振るい、自分たちを殺そうとしているのは間違いないフレイマー。重量も相当にあるだろう。振り回す腕に少しかすっただけでも身を引きちぎられる。


「わかってるよ、新堂。やるだけやるけどさ」


 アックスツヴァイは斧を捨てて両腕に電気を溜めた。フレイマーは電撃を扱えたfr-05の肉体を捨てているので、この電撃を無効化することはできない。雷雲のような、容赦のない電撃が溜め込まれていく。

 しかしフレイマーはそれを見てもまるで臆しない。勝手にしろと言わんばかりである。それほどに外骨格の防御力に自信があるのか、それとも耐電能力があるのか。


「本気の本気、手加減なしのフルパワーをお見舞いしてあげるよ。立っていられたらそれこそ打つ手なしだけどね」


 左手で右手を掴み、右の人差し指を伸ばす。指鉄砲を作るような格好になり、アックスツヴァイは両腕の電圧を高めていく。そこに溜め込まれた電気は外部に放電をはじめ、すでに彼女の両手首は青く光って見えていた。それほどに強く溜められた電撃は、あとはどこに放つかを指定されるだけで、弾丸のようにアックスツヴァイの身体を飛び出すだろう。


「恐らくそれは通じないぞ、アックスツヴァイ。試してみろ。お前の腕がそもそもそれだけの電圧に耐えられまい」


 フレイマーは余裕を崩さずに、笑った。


「お望みどおり、試してやるさ。食らってみな!」


 輝きを放つ両腕を、フレイマーに向ける。

 瞬間、アックスツヴァイの指先は爆ぜて、消し飛んだ。強い放電に耐え切れずに、炭化して千切れとんだのだ。放電は稲光のように複雑に折れ曲がりながらもフレイマーに向けて進み、直撃した。大木をへし折るような凄まじい音が鳴り響き、フレイマーの巨体は輝きの中に消える。フラッシュを焚いたときの何十倍もの光がその場を包み込んだが、一瞬の後にはそれらが止んでいた。

 電撃を浴びたフレイマーは外骨格のあちこちからは煙を噴いて、液体の中に倒れこんだ。ばしゃりと飛沫があがる。


「やったのか」

「尊い犠牲は出たけどね」


 新堂の呟きに答えて、アックスツヴァイは膝をついた。右腕の肘関節から先が、殆んど炭化している。血を流す余裕もなく、黒くなっていた。左腕は無事だが、右腕はひきつっていて、もう使えそうにない。


「大丈夫か、お前」

「大丈夫に見えるなら、眼科でも行ったらどう、新堂。まあ、治らないわけじゃないけど」


 深く、荒い息をつきながらアックスツヴァイは倒れたフレイマーを睨む。

 倒れた巨人は、あちこちから白い煙を上げているが、まだ起き上がってはこない。


「とりあえず、あのしぶとそうな怪物にトドメでもさしてきてよ。いくらなんでも首をふっとばせば死ぬでしょう」

「そうだな」


 あれだけの電撃を受けたのだから、もうすでに死んでいるだろうとも思ったが、油断できない。新堂は左手に槍を持って、フレイマーに近づいた。近づいた一瞬、彼はフレイマーから意思を感じ取る。こいつは生きている!

 途端、フレイマーは起き上がって新堂を薙ぎ払った。咄嗟に防御するが、それでも押し飛ばされる。

 一撃を受けた新堂は吹き飛び、床ではなく壁に叩きつけられた。肺の中の空気が押し出されて、目の前が真っ白になる。


「ちっ、やっぱり演技かい」


 それを見てアックスツヴァイは悪態を吐いた。右手一本を犠牲にするほど本気を振り絞ったというのに、相手はピンピンしている。無駄だったのだ。完全に打つ手がない。


「さすがにちょっとしびれたよ。電気はさすがに怖いね。だけどまあ、そのくらいだった。悪いけどねアックスツヴァイ、電撃への対策はしっかり練っているよ。この外骨格は、そう簡単に電気を通さない。君はもう、だめだね」

「右手一本なくなったくらいで、再起不能と思われちゃ困るねえ」


 汗と液体に濡れてほつれだしている髪をかきあげて、アックスツヴァイは声を張り上げた。まだ諦めてはいないのだ。だめだとか、無理だったとか言っているのは口だけのことだ。心の底では、最後まで諦めていない。どんな状況になっても、悪態をつけるだけの気持ちはある。


「よし、アックスツヴァイ。両手両脚を失ってもいいだけの覚悟があるのなら、あと三回はさっきのをぶっ放せるな」


 新堂が戻ってきてそんなことを言う。アックスツヴァイは応えた。


「それで勝てるっていうんなら何度でもやってやるさ。三回と言わず、五回でも六回でもね」

「別に乱発しろとは言わない。なんとか効果的に見舞う方法を考えるんだ、それまでは撃たなくていい。右腕がなくなったが、威力が落ちたりはしないんだろう」

「それは大丈夫だよ、問題ない。たぶんだけど」


 新堂はその返答を聞いて、あらためて敵を見た。テレパシー能力がなければ、先ほどの一撃でやられていたかもしれない。

 フレイマーは両腕を組んで、目の前にいる二人を見ている。


「お前たちは、ぼくに本気で勝てると思っているのかい。あんまりにも愚かしいと思うのだけれど、どうしてそこまでして抗うのかな」


 新堂はその質問に答えなかった。アックスツヴァイが答える。


「正義のためさ」

「正義って、何なんだい。アックスツヴァイ、それは君の本心じゃないね。正義なんてそんな曖昧なもの、あってもなくても同じじゃないか。ぼくはそのことを身をもって知っているのだけれど、それのために戦っている君に、正義ってのはどういうものなのか説明してもらえるかな」

「悪と対極にある道理」


 面倒くさげに、アックスツヴァイが答える。だが、フレイマーが望んだ答えではない。


「もう少し具体的に願いたい」

「弱きを助け、強きをくじく。無意味に虐げられる人々を救う。そうした道理だよ」

「ふむ。別にぼくは人々を無意味に虐げたわけではないが」

「あんたにとってはね。でも、虐げられる人から見たら、無意味じゃなくて?」


 残った左腕に電気を溜めながら、アックスツヴァイが言う。論戦には不得手な彼女は、語勢で押し切る以外の方法をもたない。理で打ち負かすということは最初から諦めているのだった。

 それを聞き流し、新堂は慎重に槍を構えなおす。フレイマーがいかに強くとも、決して諦めない。その心は新堂も同じだ。

 ふと、意志の力場に変動が生じた。何かが頭上を駆け抜けていく。

 強い意志を持つ誰かが、この施設の中に入ってきたのだ。駆け抜けている。かなり急いでいる様子だが、誰なのかはわからない。

 これに気付いたのは、フレイマーと新堂だけである。

 頭上を駆け抜けた誰かの持つ意志は、使命感と責任感で埋め尽くされている。言葉にするのが難しいが、それほどに純粋な思いだけが、その存在の心を埋めていた。無理やりに言葉に置き換えるならば、『行かなければ』というこれだけになる。ただそれだけだが、非常に重く強い気持ちだ。



「誰かがやってきた」


 フレイマーは軽く頭上に目をやって、そう呟く。アックスツヴァイはここに来る可能性のある存在を二つしか知らない。fr-01か、fs-02のどちらかだ。新堂にとってもそれは同じだが、その二択に先ほどの意志を情報として加えれば、もはや間違いなくfs-02だとわかる。

 フレイサイズが、戻ってきた。確かに寝台列車に乗せて送り出したはずの彼女が、ここに戻ってくる。


「誰なのかは、わかってる。味方だ」


 新堂は呻くように言った。


「フレイダガー、喜んだ方がいい。首輪を付け忘れた猫が、戻ってきてくれたようだから。あの世でゆっくり世話を焼いてあげるといいよ」

「猫ってことは、フレイサイズが戻ってきたわけね」


 アックスツヴァイは電撃の狙いを定めながら、新堂の顔を見た。新堂は槍を構えたまま動かない。

 フレイサイズの気配は、一階のエレベーター溝に入り込んだ。もちろん、カゴは地下一階にあるのだ。無理やりに押し開いて、エレベーター溝の中に入り込んだに違いない。

 重力加速度に引かれて、一直線に降りてくる。

 新堂は攻撃を開始した。フレイサイズの到着など待っていても始まらない。彼女の攻撃がフレイマーに通じるとは限らないではないか。

 敵の外骨格は固いが、隙間がある。鎧の継ぎ目を狙うように、新堂は外骨格の間のわずかな隙間を狙った。しかし、そうした攻撃もフレイマーの反撃の前には無意味であった。フレイマーが腕を振るうだけで、新堂は攻撃を弾かれる。外骨格の隙間など、わずかなものだ。そこを狙ってみても、相手が動けば狙いは外れる。

 だが他に敵を倒す手立てはないのだ。接続コードを狙って攻撃を仕掛けてもみたが、これもどうやら外骨格と同じ素材で出来ているらしく、切断することは不可能と思われた。今はもう繋ぎ目を狙うしか方法がない。

 フレイマーが腕を振るう。新堂はそれをかわすが、敵のほうが素早い。追い込まれる。敵の一撃が新堂の腕をかすめ、彼は槍を取り落とした。

 そのとき、シャッターが強く叩かれる音がする。どうやら外に、フレイサイズが到着したらしい。外からシャッターを破ろうとしているに違いなかった。

 新堂はシャッターに向けて走った。フレイサイズを護らなければならないという使命感が、そちらへ彼を動かす。

 フレイマーは、新堂の落とした槍を拾った。巨体に持ち上げられた槍は小さく見える。彼はそれを軽く振って、新堂に狙いをつけた。

 シャッターが、破り開けられた。外からやってきたのは、やはりフレイサイズだ。左腕を失っているが、背中に鎌を背負い、いつもの無表情でそこにいる。


 フレイマーから凶器がフレイサイズに向けて投げ放たれる。信じがたいほどの速度でそれは、ここにやってきた猫の胸元へと吸い込まれていく。

 新堂は首だけで振り返った。彼の目はこちらへ猛スピードで飛んでくる槍をとらえる。

 フレイサイズはこれを回避しかけているが、間に合いそうになかった。シャッターが開いてはいるが、わずかな隙間しかないのだ。そこへ身体をねじ込んでいる間に、槍は空気を切り裂いて飛んでいる。ここを抜けるまでの間に、貫かれてしまうだろう。

 だから新堂はそのまま走りこんだ。猫に向けて飛び込む。直後、彼は衝撃で吹き飛んでしまった。


 ちょうど、フレイサイズが隙間から抜け出したところに、新堂の体が飛んでくる。よけられるはずもなく、フレイサイズと新堂はもつれあってその場に倒れこんだ。

 大きな猫は、背中に槍を突きたてられた新堂の身体を抱く。

 彼女は目を見開いた。彼のために走ってきたというのに、目の前で彼に槍が突き刺さったからである。

 自分自身の境遇を知っても、サイズウルフと全力で戦っても、左手を落とされても揺るがなかったフレイサイズの顔が、歪んだ。口元から小さく息を吐いて、新堂の顔を見た。


 アックスツヴァイは、それを見る。フレイサイズが動揺していた。新堂を助けるために、彼女は長い距離を走ってきたのだ。その果てで、最後の最後で、やっと新堂のもとへやってきたというのに待ち受けていたのは間に合わなかったという現実。動揺しないはずはなかった。

 新堂は、槍を避けなかった。避ければフレイサイズに当たる可能性があったからだ。というよりも、彼女のために突っ込んで、彼女のために槍を受けた。それがわかった。わかってしまった。自分のために彼が傷ついたのだということが。

 ぶるりと震えた。大きな彼女の目に、涙がたまった。


「せっかく猫がやってきてくれたというのに、飼い主の方が先に死んでしまったのでは、首輪はつけてあげられないね。ぼくがつけてあげてもいいが、首ごと吹き飛んでしまうかもしれないよ」


 フレイマーが冗談を言うが、アックスツヴァイはとても笑う気持ちになれない。代わりに特大の電撃を最後に見舞ってやろうと電圧を上げた。


「またそれかい、それは通用しないとさっき言ったし、実際に試しただろう。懲りないねアックスツヴァイ。往生際が悪い」


 忠告を発するフレイマーだが、アックスツヴァイは攻撃を中断しそうにない。少々身体がしびれるが、耐えられない電撃ではない。フレイマーはやれやれと思いながら衝撃に備える。


 そのとき、新堂は目を開いた。彼は死んでいない。

 背中に刺さったはずの槍だが、それほど深く彼の体に食い込んだわけではなかった。彼は、背中にフレイアックスの手斧を背負っていた。

 フレイマーの常識外れの力で投擲された槍はそれをも貫いていたが、おかげでまともに貫かれずにすんだのである。彼は衝撃で僅かな間、意識を飛ばされていたにすぎなかったのだ。

 新堂は目を開けて、自分を覗き込むフレイサイズを見た。瞳が潤み、涙が落ちそうになっている猫を、彼は見た。


 あの無表情猫が、泣いてやがる。


 新堂はそう思った。足を戻し、水をはねて床を踏みなおした。


「馬鹿猫め、戻ってきてしまうとは。そんなに俺のそばにいたいのか、お前は」


 声をかけると、フレイサイズはいつもの無表情に戻った。右手で両目をごしごしこすり、新堂を見上げる。新堂は右目を閉じて、首だけで振り返り、ささやいた。


「お前を泣かせた奴は、懲らしめないといけないな」


 問われて、猫は頷く。

 フレイマーは、新堂とフレイサイズの両者から見据えられた。彼は今、二人の標的に決まったといえる。


「アックスツヴァイ、まだ撃つな!」


 新堂はそう叫んでおいて、走り出した。背中からフレイスピアの槍を抜いて、再び構える。電撃のダメージがひどい左手も、ある程度の自由が戻っている。


「まだ撃つなったって、じゃあどうしろってのさ!」

「自分で考えろ、馬鹿!」


 怒鳴りあうように会話して、新堂はフレイマーを無視してある場所へ急いだ。それは、捨てられたfr-05フレイマーの肉体だ。倒れたままぴくりとも動かない彼の肉体に、新堂は接近した。すぐに槍を振り下ろして、動かない彼の左手を切断した。

 死体に攻撃を仕掛けて何をしているのか、とアックスツヴァイは悪態を吐く。猛然と迫るフレイマーの攻撃を必死に回避しながら、彼女は自分が一番損をしているような気がしてならなかった。生き残れたら文句をつけてやろうと決意しながら、電撃をつかわずに彼女は敵の攻撃をさばく。必死に。

 フレイマーは余裕をもっていた。アックスツヴァイの相手をしているのは、新堂やフレイサイズがどういう手をとってくるかある意味楽しみにしているからである。折角水槽を割ってこの身体を出したのだから楽しませてもらわなければならないと彼は考えていた。

 新堂は、すぐにこちらを向いた。槍を持っている。


「おおっ」


 フレイマーが彼の異変に気付いた。

 新堂の右腕に、生体強化ユニットが存在している。彼には左腕にのみそれが存在するはずだった。fr-05フレイマーから奪ったのだと考えられた。だが、生体強化ユニットは身体に馴染ませるために投薬などによる調整が必要だ。そうしなければ、身体にかかる負担が大きすぎる。左手の強化ユニットは彼自身のものだろうが、右手に付け加えられたそれはフレイマーのためのものだ。それを使って身体を強化するということは、強い負担を強いる。

 だが、そのようなことは、些事だった。今このとき、フレイマーを超える力を発揮することができれば、あとはどうでもよい。新堂はそう思っている。

 フレイサイズを泣かせた存在を、懲らしめるためである。自分の身体などどうでもよかった。

 新堂は、瞬間的に想像以上の身体能力を発揮した。床を蹴り、飛ぶ。

 フレイマーでさえも、その動きをとらえるのに苦労した。だが、見えた。空中に浮いて、自分の頭部へ取り付こうとしている小さな存在を確認する。残念だったなと心中に呟き、腕で振り払おうとするが、その瞬間に彼は強い声を聞く。

 自分だけにしか発することができないはずの声が、強い声が彼の心を貫いた。


「動くな!」


 その声はそう言っていた。まぎれもなく、テレパシー能力による声。自分だけが使えるはずの能力。

 これが彼をその場にとどめた。一瞬の逡巡。

 直後に彼は貫かれる。右目が槍に刺されていた。新堂の仕業であることは明白であるが、利き目を奪われたせいで、彼を振り払うことも満足に出来ない。

 余裕を持ちすぎたか、と彼は思う。思えば以前にもそうしたせいで野望が潰えたことがあったと思い返すが、新堂たちにはまるで関係のないことだった。

 さらに一瞬の後、胸元に強い衝撃が走る。フレイサイズの鎌が、自分の身体を貫いていた。

 フレイマーは、体液を吐いた。この連携は、身体に強い負担を強いている。心臓のすぐ近くを傷つけられたのだ。外骨格を貫いたフレイサイズの一撃は、尋常でない威力。片目を潰されたせいで反応できなかったと言い訳できるが、それで自分の傷が治るわけでもない。


「アックスツヴァイ!」


 新堂が叫ぶ。

 フレイマーは、次の瞬間、自分に何が起きるのか理解した。無意味にも、聞かれるはずのない願いを叫んでしまう。


「待て!」


 だが、やはりその命令は誰にも聞かれることがなかった。

 アックスツヴァイは、この瞬間を待ち望んでいた。先ほどから溜めていた最大、最後の一撃が今か今かと対象の指定を待っている。


「新堂、その一言を待ってたよ」


 輝く左腕を、フレイマーの胸に向けて振り下ろす。


「食らえっ!」


 指先から最後の電撃がフレイマーに吸い込まれていった。フレイサイズによって彼の胸に突き刺された鎌へ、それは直撃する。

 彼の体の中へ電撃は叩き込まれた。強い電流でフレイマーの身体は、弾ける。体内の水分が一瞬で沸騰し、内側から彼の体を破壊した。たちどころにフレイマーの巨体は、黒焦げの肉片に成り果て、その残骸を周囲に撒き散らした。

 爆散というにふさわしい。まるで水風船が弾けたような、大木に落雷があったような、そんな姿となった。


 最早元の形を想像しうるような断片は存在せず、焼け焦げた肉が散乱するに過ぎない。死体ということすらわからないかもしれない。

 考えられるだけの、最悪の末路だ。もう、動くことはないだろう。

 アックスツヴァイの左腕は無事だった。指先が多少焦げているが、治癒できる範囲である。彼女は深く息を吐いて、白煙を上げている左手を振った。全力を振るったつもりだったが、やはり両腕が揃っているときと比べては威力は落ちたのだろう。そのおかげで左手を失わずにすんだわけである。


 全ては、終った。

 fr-05フレイマーも、『上層部』も、こうして倒されたのである。まさか勝てるとは、とアックスツヴァイは思う。思いながら、安心して力が抜けた。液体の満ちた床に、腰を落としてしまう。しばらく立ち上がれそうにない。疲労困憊だ。

 新堂も同じらしいが、彼はフレイサイズにべったりくっつかれている。妬けることだと思う。

 そのうち、彼女はフレイサイズの左腕が切断されていることに気がついた。切断したのは誰なのかということについて考えたとき、サイズウルフの行方についてもおおよそわかってしまった。フレイサイズと戦って、敗れたのだろうということを知った。

 だが、とにかく自分は生き残った。

 自分だけ生き延びてしまって、スピアエルダーには悪い気がする。だがあちらにはサイズウルフがいるので寂しくはないだろう。むしろ残された自分の方が寂しい気分だ。

 アックスツヴァイは、一抹の寂寥感を覚えながら、その場に倒れこんだ。服がぬれることすら、どうでもよかった。

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