第十四話 過去・後編
太陽は昇り、すでに真南にかかろうとしている。
新堂とフレイサイズは並んで街中を歩いていた。武器類はボストンバッグに詰め込まれ、新堂の肩にかけられている。フレイサイズは頭からフードをかぶり、メイド服に外套を羽織っていた。その外套はメイド服についた夥しい血痕を隠す役目も果たしているが、目立つ。新堂は彼女を通行人の目線から護るように、彼女の前に立って歩いていた。
味方はすでに、自分とこの猫だけになっている。これから何をするか、新堂は決めていた。
ポケットに手を入れて、残りの現金を調べる。残り少なくなってはいるが、二人で遠くへ逃げるには十分な額だと言える。移動手段に贅沢を言わなければ国のほぼ端までいける。だが、今さら逃げたところでどうにもならない。フレイスピアやフレイアックス、フレイソードの死を無駄にしないためにも、施設から逃げるわけにはいかなかった。
「最後の飯くらい、しっかり食べたいって思う。お前だってそうだろ?」
振り返ってフレイサイズに声をかける。彼女は顔を上げて新堂を見つめる。相変わらず笑顔の一つもない、無表情だ。が、スカートと外套に隠れている尻尾が動いたらしく、ふわりと服が不自然に持ち上がる。
新堂は視線を戻して、また歩き出す。小さな電気屋が見えてきた。並べられているテレビには、ニュース番組。新堂は何気なくそれを観た。
予想通り、昨日の警察署襲撃に関しての報道だった。特別報道番組と称して、事実関係の報道の他に、警察の武装に関してのいくつかの意見があがっている。まれに見る凶悪犯罪だとして、事件現場周辺に注意を呼びかけているようでもあった。
犯人のうち一人は逃走したが、スピアエルダーは射殺されている。また、フレイアックスも故意ではないにしろ、警察の銃撃を受けて亡くなっている。
新堂はフレイアックスの遺体のことが気になった。おそらく検死にまわされているだろうが、彼の体に関してどういう結論を警察が出すのだろうか。スピアエルダーにしても、ただの女ではないということは、少し調べればすぐにわかるはずである。ニューフレイ製薬の実験結果ということで、フレイサイズのことは警察に知らせてある。フレイアックスの容貌についてはその関連と結論付けてくれるかもしれない。
警察の動きが気になる。まだ彼らは敵の本部の位置を掴んではないだろうが、早まったことはしないでもらいたかった。
新堂は、公衆電話を探して歩いた。
公園の中に設置されている電話ボックスを発見するまでに二十分を要した。携帯電話の普及により、公衆電話は確実に数を減らしているようだ。
電話する先は、警察署の中で婦警がつないでいた電話。あのときの通話先なら、恐らく通じるはずだ。
新堂はうろ覚えの番号にかけた。記憶力に自信があるわけではなかったが、運良く一発で望みの通話先が出たようだ。
『はい、北警察署です』
「昨日の警察署襲撃について、情報を提供したい」
『どのような情報でしょうか』
「あのとき、中にいた人間と通話をした偉いさんがいただろう、あの男を出してもらいたい。非常に重大な情報だ。あの男が無理なら、中に置き去りになって通話をしていた婦警でもいい。俺の名前は新堂。そういえばわかる。できるのなら五分以内でつないでもらいたい。長話はできない」
受話器の向こう側に、緊張が走ったようだった。新堂の名を知っているだけでも、恐らく悪戯と切り捨てるわけにはいかなかったのだろう。探偵気取りの暇人の戯言という扱いを受けないだけでもありがたい。しかし、新堂としては警察に自分の身柄を拘束されるわけにはいかない。あまりに重大な扱いをされて、ぐずぐずと長話をしているわけにもいかなかった。
『お待ち下さい』
その一言から、かなり待たされた。たっぷり三分はかかっただろうか。新堂がそろそろ諦めて受話器を置こうかと考えた頃、ようやく相手が出た。
『お待たせしました。あのときの者です。その節はお世話になりました』
例の上役がでるものと思っていたが、電話に応じたのはあの婦警だった。新堂はまあいいかと思い直して、用件を告げることにする。
「いや、大したことはしていない。それより、いくつか教えてもらいたいことがある。情報提供はその後になるが、かまわないか」
『構いません、質問をどうぞ。全てには答えられないかもしれませんが』
「答えられないことはそう言ってもらっていい。まず、俺の仲間の遺体はどうなっただろうか」
『彼は、検死にまわされています。それと、どのような人体実験がされたのか、調査をしております』
婦警は落ち着いた声で応じてくれる。新堂は満足して、次の質問をする。
「警察はこの事件をどう見ている。今の段階でいいので教えてもらいたい。俺の扱いはどうなっている」
今度はすぐに答えが返ってこなかった。いくばくかの間があって、婦警が答えた。
『新堂さんは、重要参考人です。正直なところ、すぐにでもここへ来てお話をうかがいたいと思っています。警察としてはもちろん、多くの警察官を殺害したあの鎌の獣を追っていますが、新堂さんも無関係ではないと考えています』
「だが、俺は警察官を殺してはいない。あの現場で死んだ仲間も、お前たちを護ろうとしていた」
『それは、よくわかっています。私もあなたに救われた一人ですから。しかし、捜査本部としてはそのような方針となってしまいました。あなたの仲間の一人、確かフレイサイズと言われたあの方と、犯人の一人の容姿がよく似ていることもありましたから』
「とりあえず、それを聞いて出頭するほど俺は暇じゃない。まだしなければならないことがあるからな。令状がでたわけではないのだろう、悪いがまだ逃げさせてもらう。独自に、あの鎌の獣を追うつもりだ」
『わかりました。それで、提供していただける情報とはどのようなものでしょうか』
警察はとりあえず新堂の質問に素直に答えたといえる。新堂の用事は済んだが、とりあえず対価は必要らしい。そこで新堂はスピアエルダーの持っていた能力と、フレイアックスの持っていた能力について簡単に説明してやった。これだけでも調査は進むはずだ。
しかし新堂はまだ通話を切らない。この電話先の相手である婦警は、こちらを命の恩人と見てくれているらしい。好意的な態度をとっているのが見えている。警察としては当然の対応であるが、それだけではないものが感じ取れた。
「このくらいでいいか。長話が過ぎた。そろそろ失礼する。最後に話を聞いてくれた婦警さんの名前を聞いておいていいか」
『あっ、はい。私、桐本と申します。情報提供、ありがとうございました』
「わかった、桐本さん。失礼する」
新堂はそう言って、受話器を置いた。
桐本か、覚えておいて損はない。彼はそう思いながら、退屈そうに待っていたフレイサイズを呼んだ。
フレイサイズは何の疑いもなく、新堂に呼ばれてやってくる。彼女を連れて、新堂は駅まで歩くことにした。
ひとまずそこで電車に乗り、都市部の大きな駅まで行く。数十分の旅の末、無事にたどり着いた。しかし、ここで旅が終るわけではない。
その駅の乗り換え案内所に行って、探す。地の果てまで進むような特急列車を探したが、見当たらなかった。しかし、代わりにもっといいものが見つかった。夜行列車が存在したのだ。一晩ぐっすり眠っている間に運ばれて、明くる朝には目的地という列車だ。これにフレイサイズを乗せる。
フレイサイズは、一人でも生きていけるだろう。知能が低いと言われようとも、言葉を理解できる。何かに襲われてもそれに負けるほど弱くもない。多くの仲間を失った新堂は、なんとかしてこの猫を逃がしてやりたいという気になっていた。
列車の発車時刻までまだ時間がある。
新堂はフレイサイズを連れて駅周辺をふらふらと歩いた。知らない街を歩くのはそれだけで楽しいものだった。今の新堂には疲れもさほど感じない。フレイ・リベンジたちに狙われているという恐怖も、もはや感じなかった。サイズウルフは重傷を負っているし、しばらく動けないに違いなかったからだ。
大衆食堂があったので、そこに入る。食事代は寝台列車の切符代を払っても、少しある。
和食を中心にしたメニューだった。フレイサイズは物珍しげにメニューを眺めている。フードをとるわけにはいかなかったが、店内はやや混雑していたこともあって、誰も彼女を気にしなかった。新堂は自分よりもフレイサイズを優先して食事を摂らせた。彼女を満足させることを優先した。
いくつかのメニューは彼女の好みに合致したらしい。彼女の胃袋が満足した後、新堂はその残り物を片付け、店を出た。
その後は列車の時間まで、近くの公園にあったベンチに座って過ごすことになる。フレイサイズは先ほどの食事に満足しているらしい。スカートの中で尻尾が揺れている。
いつのまに覚えたのか、じゃんけんやあっち向いてホイをせがまれる。新堂はそれらに辛抱強く付き合ってやった。それらの遊びをフレイアックスが教えていたことを、新堂は知らない。
日が落ちかけてきた。夕暮れが闇に変わりかける頃、公園に備え付けられた時計を見上げると、ほどよい時間になっていた。遊び足りないらしいフレイサイズの頭を撫でて彼女をなだめ、新堂は駅に行く。
寝台列車は停車駅も少ない。ほぼ終点までの切符を買って、フレイサイズの着ている外套のポケットにねじこんだ。
「俺は後から行く。先に行って、そこで適当に待っていろ」
新堂はそう言おうと思っていた。そう言うべきであった。そう言わなければフレイサイズはこれを今生の別れだと考えるだろうからだ。しかし、新堂は言えなかった。
今これを口にすれば、本当に最後になるような気がしたのだ。それでいいはずだった。自分は死地に赴いて、フレイサイズは施設から遠くに離れて生き延びる。だが、何かが新堂を押しとどめる。今別れてはならない気がした。
未練だ、と。彼はそう考えた。
鼓膜を内側からふるわせるような、身体の中からの声。その声は、ただ新堂に命じていた。最後までフレイサイズの傍にいるべきだと。
こんな声は、ただの幻聴。自分がただ死にたくないから、こんな声を聞くのだと思い込もうとして、新堂は歯を食いしばった。そうしながら、寝台列車がホームにやってくるのを待った。ほどなく、かなり濃い紺色の列車がやってきた。
切符に書かれた寝台へ案内し、フレイサイズをそこへ座らせた。
「俺は、後から行く。先に行ってくれ」
その言葉は、驚くほど小さな声であった。新堂は自分でその声の弱さに驚いている。俺はこんなに寂しがり屋の人間だったのだろうかと思ったほどだ。
フレイサイズは、何も言わずに新堂を見上げていた。
発車時間のギリギリまで、新堂はそこにいる。寝台列車の利用客は少なかったらしく、通路の真ん中に突っ立っている新堂を邪魔に思う人間もいなかった。
新堂は何も言わずに、フレイサイズの頭を撫でてやった。ボストンバックから刃を隠した鎌を引っ張り出して、彼女に返してやる。そうして、列車を出ようとした。いつまでもここにいるわけにもいかない。
しかし、その腕をフレイサイズが掴んでいる。新堂は立ち去ることができなかった。腕を掴まれた。放してくれとも言えない。新堂はもう一度彼女をなだめて、後で必ず行くからと嘘を重ねた。
フレイサイズは、無表情のままだ。猫のように大きな目は、新堂の目をまっすぐに見つめている。
突然、彼女は立ち上がって新堂の肩に手を回し、彼に抱きついた。しかし、さらに驚くべきことにフレイサイズは新堂の唇を奪っている。不意をついた接吻だった。
ほんの一瞬のものではあったが、確かに愛情のしるしだった。
いつどこで、そんな行為を覚えたのか。新堂にはわからない。知っていたのか、テレビで観たのか。彼にとって身近な二人の間で、フレイサイズの目の前でその行為がなされたということなど、新堂にはわからない。
フレイサイズは顔を離すと、彼を拘束していた腕も戻した。新堂は自由になる。立ち去ることも可能だった。彼は、立ち去らねばならなかった。
発車を知らせるベルが鳴る。新堂は列車から降りた。
ドアが閉まる。
列車は動き始めた。少しずつ加速していく。フレイサイズを乗せた寝台列車は、新堂の知らない町へ彼女を運んでいった。
たちどころに列車はホームから遠ざかり、やがて闇の中へ消えていく。新堂はそれをすっかり見送ってしまうまで、ホームに一人で立ちすくんでいた。
だが、感傷的になっていられるのもあとわずかな間である。彼は挑まねばならない。彼を生み出し、仲間を生み出し、そして世界に対して牙を向いた施設に挑まねばならないのだ。
フレイ・リベンジを倒さなければならない。fr-05フレイマーを滅ぼさなければならない。
フレイサイズを送り出した新堂は、ポケットに手を突っ込んだ。フレイスピアからもらった現金も、残りわずかである。これだけで、どれほどの準備が出来るだろうか。
いずれにせよ、この夜が明けるまでに全ての決着をつけるつもりである。
新堂は両の拳を握り締め、コートを翻して駅を出た。施設を滅ぼすことが無論最上の目標ではあるが、それは難しい。しかし、できないといって諦めることはしない。
何でも出来ると思っている自信家の鼻をへし折り、存分に悔しがらせてやる。
彼は、施設の最後の拠点へ向かって、歩きだした。
施設の中に、ピアノの音色が響いている。
繰り返し繰り返し、もう何度同じ曲が流れたかわからない。楽譜がないので、覚えているだけの曲を弾いている。しかし、完全に覚えているのは十曲もない。それをひたすらに弾いていた。
この施設の地下に、まるで封印されるように眠っていたピアノを見つけたのは僥倖だった。サイズウルフは多くの荷物の下に埋もれていたこのピアノを発見するなり、それを引っ張り出した。埃を払うのももどかしく、我を忘れて弾いた。
音色は悪くない。放置されていたとは思えないほどだ。調律する必要もほとんどなかった。何より、指がピアノを覚えていたことが嬉しく思えた。
しかし明るい曲を弾いても、暗い曲を弾いても、サイズウルフは満足しなかった。聴衆がいないのはいつものことだが、こんなにも自分の得意技を存分に披露しているというのに、満たされない。
彼女は、飢餓感に襲われていた。何かが足りないのだ。
何か、ではない。自分を満たすものが何であるのかはわかっている。スピアエルダーだ。彼女がいなければ、切望していたピアノを弾いたところで、強い相手と存分に技を競い合ったところで、空しい。仲間が欲しい。そう思うようになっていた。
しかしスピアエルダーは死んでいる。彼女自らが死を望み、そして彼女は殺された。
スピアエルダーはもう、いない。今後二度と復活することはないのだ。
今自分の味方といえるのは、フレイマーだけだ。冷淡で、酷薄な彼一人だけだ。それだけならまだしも、彼は自分ひとりでなんでもできると断定していて、無価値なものとみるや即座にそれを廃棄してしまうほど自己中心的である。好きになれそうにもない。
サイズウルフは突然かっとなってピアノの鍵盤を思い切り叩いた。結果、鍵盤は破壊されて、二度とピアノは弾けなくなってしまう。瞬間的に後悔したが、修理することは不可能だった。修理に必要なものがここにはない。
しかし、十分に弾いたと思う。ピアノはもう、しばらくいいだろう。
サイズウルフは立ち上がり、物品が荒々しく片端に寄せられた倉庫を後にする。フレイマーからは出歩くことのないように言われているが、そのような命令を聞くつもりなどなかった。
自分のやりたいようにやってやろう、とサイズウルフは思っている。倉庫を出たところで、人の気配がまるでしないことに気付く。すでにここは、フレイマーと自分以外の存在を否定していた。スピアエルダーのように索敵能力をもっているわけではないが、それでも人の気配がしないということくらいはわかる。誰も、いない。
そのおかげで誰の迷惑を考えることもなく存分にピアノを弾けたのだが、まるで迷惑な顔をされることがなくなったというのは、嬉しいようでいて寂しくもある。
おお、私はいつからこんなにも感傷的な性格になったのか。
静かな苛立ちを覚えて、サイズウルフは拳を握り締める。
「楽しそうにピアノを弾いていると思ったけど、最後は乱れたようだね。どうかしたのかい」
フレイマーがやってきて、そんなことを言った。彼は生成溶液の水槽から離れず何か作業をしていたと思ったが、その作業も終ったのか。ピアノを壊す音が気になったのかもしれない。
「お前に芸術がわかるのか。ピアノを置いていたくらいだから少しは弾けるのか」
サイズウルフは握り締めていた右手を開き、フレイマーを睨む。彼は首を振って、肩をすくめた。
「さっぱりわからないね、音楽ってやつは。ぼくの耳には騒音と大して違わない。君が愛してるピアノは、もう少し音量を抑えてもらいたいと思うよ」
「そいつは悪かったな。次からは弾く前にあんたの耳を引きちぎることにする」
冗談とも本気ともつかない言葉を吐いて、サイズウルフは目をそらした。彼を見ていたくなかったのだ。
「そんなことはできっこないけどね。君が相手でも、それなりに抵抗は出来ると思うよ」
そうした返答をうけても、サイズウルフは言葉を投げ返しはしなかった。フレイマーはため息を吐くこともなくその場から離れる。あの部屋に戻ったのだろう。彼が何をしているのか、サイズウルフは知りたいとも思わない。
フレイマーが例の部屋に戻ってしまった後も、サイズウルフはその場に留まっていた。彼女の背には鍵盤を壊されたピアノが鎮座している。ピアノを愛しているのなら、このような行為はしないだろうと自分で思う。また壊されたピアノを見て嘆きの一つもあるだろうと思ったが、生憎現在の自分にそうした感情は湧いてこない。
確かに、自分は戦士であるらしい。
サイズウルフは頭頂部に突き出た自分の耳へ手を伸ばした。髪の中に隠れるように存在する自分の識別タグをつかみ、引く。大した抵抗もなくぷちりと千切れて、識別タグははずれた。『Scythe:fr-01』と書かれたタグを眺めて、強く握り締めた。
タグは手の中で砕けて用を成さなくなる。しかしそれに満足しないのか、さらに破片を床にばら撒いて踵ですりつぶした。タグは細かな破片となり、砂と変わらないほどに小さな粒子に成り果てる。
「付き合っていられないな」
ため息のように吐き出した彼女の言葉は、誰にも聞かれずに消えた。
月が昇り、わずかな明かりを地上に投げかけている。
新堂は駅から出て周囲を見回した。彼が乗ってきた電車が、最終だった。もう、戻る列車はこない。
駅の周囲を少し歩いただけで、フレイソードが乗ってきたであろう車を発見することが出来た。キーは刺したままになっているようであった。新堂は強引にドアを開ける。防犯装置はもとから搭載されていないのか、フレイソードが壊したのか作動しない。
車の中のどこにも、遺書と思われるようなものはなかった。また、武器になるようなものも、現金も残されていない。
フレイソードは本当に怒っていたのだろうと思われた。何も残す余裕もなく、そのようなことも考えていなかったのだろう。結果的にソードバイスを討ち取ったらしいが、それも本当かどうかはわからない。
新堂は車の中を探すのもそこそこに、敵の最後の拠点に向かって歩き出した。背の高い草に囲まれて、表通りからは見えにくくなっている道へと進む。以前にここに来たときには四人いたというのに、今は一人だけだ。
月明かりのおかげで昨夜ほど移動に苦労はしない。やがて彼はアックスツヴァイと出会った場所まで進んだ。
周囲は山道であり、斜面だった。目の前には小屋がある。フレイソードだけが中を見た、血の臭いのする小屋だ。新堂は、中に入ってみることにした。
敵の本拠、最後の施設まではまだ少し距離があるはずだった。敵がフレイスピアのように索敵能力をもっているとしても、まだ自分がここにいるということはわからない、と少なくとも彼は思っている。少し寄り道をするくらいは大丈夫だろう、と彼は結論付けて小屋の扉を開く。
血の臭いは、腐敗臭に変わりかかっていた。入り口付近の壁を探ると、小さな箱のようなものが壁にくっついているのがわかった。その中心には出っ張りがある。恐らく電灯のスイッチだろう。少し迷ったが、思い切って電灯のスイッチらしきものを入れた。
白熱電球が輝く。頼りない明かりによって、小屋の中は照らされる。しかし、白熱電球で照らされているにもかかわらず赤いところが目立つ。どうやら、それらは全て血であるようだった。
小屋の中央にはテーブルがある。いくつか刃物が置かれていて、それらの刃には血がこびりついている。包丁もあるが、ノコギリもあった。両刃ノコギリ、糸ノコギリともに血がついている。拭った痕跡はあるが、落ちないのであきらめたらしい。このようなことをしていてはすぐに錆びついてしまうというのに。
ここで何か凄惨なことが行われたことはすぐにわかった。新堂は小屋の端の方に備えられた簡易キッチンを見た。鍋がまだコンロの上に置いてある。鍋の中にはまだ何かが入っているようだが、蝿がたかっている。中身を確認してみようとは思えなかった。
ノコギリは骨を切断するために使われたのだとわかった。何のためにそのようなことをしたのかと考えると、鍋の中身と結び付けないわけにはいかない。食べるために、という単純な答えは用意できるが、認めたくない。新堂はそれ以上この小屋の中を探し回りたくなくなり、踵を返した。瞬間、見覚えのあるものが新堂の目に飛び込んでくる。
入り口付近の壁にかかっているのは、女物のブラウスと黒いパンツだった。脇腹のあたりに大きな血痕がある。隣には血に濡れて下半分がほとんど赤く染まった白衣がかかっている。これは、間違いなくフレイスピアが着ていたものだ。倒されたときもこれを着ていたはずなのだ。
これがここにあるということは、今この部屋の中の、その鍋の中身は。
新堂は振り返ることができなくなっていた。すぐにでもその推測を確認するべきなのだが、新堂は遠慮なくそれができるほど豪胆な人間ではない。指先がふるえる。
小屋ごと燃やし尽くしてしまいたいとも思ったが、それはフレイスピアの身体ごと燃してしまうことになる。すんでのところで破壊衝動をこらえて、新堂は息を吐いた。意図せずに、彼の視線が落ちる。そこでふと、気がついた。白衣のポケットが妙に膨らんでいるということに。
血に濡れて赤い白衣の、ポケットを探る。中からはクリアファイルが出てきた。
新堂はそのファイルを開いた。どうやらフレイシリーズやフレイ・リベンジについて詳細にまとめられたものらしい。なぜこれがこんなところに放置されているのか。フレイスピアが最初から持っていたとは到底考えられない。
新堂はわずかな頭痛に耐えながらそのファイルに目を通す。最初の方は、おおよそフレイシリーズやフレイ・リベンジに付与された能力についてのものだ。それぞれに二つの能力を与えられていることも書いている。新堂は自分について書かれているところを探す。自分の能力は、身体強化だけだと思っていたのだ。二つ目の能力があるのなら、知っていて損はない。
しかし、新堂の顔はすぐに曇った。そこに記されていたのは、『フレイダガーに付与した二つ目の能力は結局発現しなかった』という文言だけだったからだ。結局のところ、所詮自分は失敗作だったらしい。どういう能力を自分に付与しようとしたのかはわからないが、何であったにしても使えないのだ。知ったところで無意味である。