第十四話 過去・前編
着信がある。新堂は電子音に気付いて目を開けた。
布団に入らず、壁に背をもたせていただけだがいつの間にか寝入ってしまっていたらしい。自分は壁際で座っているが、フレイサイズは布団の中でまるまって寝ており、突然の電子音に目を開いているようだ。電灯はつけっぱなしだったので音の発信源を探り当てるのは楽だった。携帯電話に手を伸ばし、耳に押し当てる。
「アックスツヴァイか?」
『そのとおり。新堂、大事な話があるから、そのまま聞いてもらいたい』
聞こえてくる声は、憔悴しきった声だ。しかし、確かにアックスツヴァイの声である。何があったのか、という問いもしないほうがよさそうだ。
「ああ、聞いている」
『事実だけを言うことにしようかね。フレイソードとソードバイスが相討ちになった。それと、fr-05が完成してこちらの味方に加わっている。自ら、フレイマーって名乗ってる』
「フレイマー?」
『そうさ。そしてあいつは、どうやらこの施設の上役、多分、ニューフレイ製薬の最高責任者でもあると思う。なんて言っていいのかわからないんだけど、つまり今の施設はfr-05が最高権力者。あいつが親玉。そう思っていい。ここまではいいね』
「いや、疑問はあるが。続けてくれ」
新堂は顔を手で覆った。
フレイソード!
帰りが遅いとは思ったが、単独で挑んでいたとは。なんという無鉄砲、恐ろしいことをしたものだ。フレイスピアとフレイアックスが死んだことがよほどこたえたのだろう、と新堂は推理する。あのソードバイスを相討ちにしたというのだから、すさまじい執念だ。まったく見ないところでまた一人、仲間が死んだ。これで味方は自分と、フレイサイズだけになってしまったことになる。
新堂は布団でくるまっている猫を見下ろした。目を開けたまま、彼女は新堂を見ていた。
『私自身は、あんたとこうやって連絡を取り合って、情報をリークしているのがばれてお咎めを受けて、必死に逃げてる最中ってわけ。だから連絡するのはこれで最後だよ。多分、私の足じゃあいつから逃げられない』
「待て、俺が助けに行く」
反射的に新堂はそう言っていた。車はないが、どういう手段をとってでも行かねばならない。
しかしそのようなことをアックスツヴァイは許さない。
『そんなこと、無用だよ。第一助けに来たところで意味がない。fr-05フレイマーはfs-01からfr-04まで全ての能力をあわせもった、最強の戦士。新堂、もしここに来るのなら、彼への対策を十分に練っておいた方がいい』
「だがアックスツヴァイ、お前はどうするつもりなんだ。そのまま押しつぶされていいのか」
『今さら私を引き込む気かな、新堂。やめときなって、それにもう間に合わない。時間がないからね、もう切るよ』
その言葉を最後に、通話は切れた。
しかし、すぐに着信が入った。まるで通話が終るのを待ち構えていたようなタイミングの着信である。新堂は着信番号を確認するが、先ほどの番号と同じだ。何か言い忘れかと思ったが、一先ず耳に当てた。
「アックスツヴァイ、か?」
『ええ、新堂。誰かとお話中だった?』
新堂は相手の妙な発言に気付く。たったさっきまで話をしていたはずの相手からの着信であるのに、この態度はまるでそのことを忘れ去っているかのようだ。しかし、この場では無視することにした。一先ず相手に合わせることにする。
「誰と話をしていても俺の勝手だ。この電話をお前と通話するためだけに使うなんてことは、言わなかっただろう」
やや冷淡な声で突き放した。異常にアックスツヴァイの声が馴れ馴れしいからだ。ここは親しげな態度をとるよりもこちらのほうがいいだろう。
『なかなか言うようになったねえ、新堂。それより、聞いて欲しいことがあるんだけど』
だが、相手はそれをあまり気にしていないようだ。それどころか時間がないと焦っている様子もない。かなり余裕をもった声である。
「またか。好きにしろ、聞いてやっている」
『新しいフレイ・リベンジが出現したことはご存知?』
「噂だけはな」
通話に応じながら、新堂は疑念を深くしていく。
こいつは一体、何を言っているのか。
この声は、確かにアックスツヴァイの声である。先ほど通話を終えたはずの女の声だ。明らかにおかしい。しかし、新堂は冷静さを失わないように気をつけながら会話を続けることにした。考えるのは後でもいい。今は、相手に合わせて会話を続けることだと信じる。
受話器から声が聞こえる。
『彼の名前は、fr-05フレイマー。これは前に言ったかな?』
「そうかもしれないな」
新堂は曖昧に応じた。
『そう、で、フレイマーの能力なんだけど。これが物凄くて、今までにつくられたフレイシリーズとフレイ・リベンジがもっていた能力の全てを一人でもっているんだってさ。そんなわけで、もしかしたら今後はフレイマーが私だって偽って電話かけたりするかもしれない』
「そういう可能性もあるのか。じゃあ、合言葉でも決めておこうか」
『それいいね、どういう合言葉にする?』
「俺が決めていいのか。なら、通話の最初に“この電話番号は現在使われておりません”、とか言ってくれ」
『OK、それで決まりだね。それじゃあもう、そろそろ切るね』
「そうしてくれ、ところでアックスツヴァイ、一つだけ訊いてもいいか。これまでに何度も質問したことだと思うが」
新堂は右目を閉じていた。電話を持っていない左手で自分の目元に触れながら言う。
「お前は、俺の『味方』なんだな?」
通話の向こう側のアックスツヴァイは、すぐに応じた。
『そうだよ、少しは信用してくれてもいいからね』
「よくわかった。それじゃ、またな」
その挨拶を最後にして通話を切ってしまうと、新堂は携帯電話を握りつぶした。もうこの電話は役に立たないと思ったからだ。
電話が軋み、砕ける音を聞いてフレイサイズが身を起こしてくる。新堂は自分が砕いた携帯電話を冷静に見下ろしながら、深いため息をついた。
「今話していた相手が、多分フレイマーなんだろうな」
それはほぼ間違いない。あれほど話した相手である。アックスツヴァイがいきなり態度を変えてくることはない。二度目の電話に関しては、間違いなく憎むべき敵『fr-05フレイマー』だと思えた。相手は、自分をどの程度評価しているのだろうか。
敵は自分とアックスツヴァイがどのような会話をしていたかなど、知らないのだろう。そのため適当なことを言うしかなかったわけだ。よって、二度目の内容はそれまでのものとあわせると支離滅裂なことになる。
それで自分が騙されてくれると思っていてくれるなら都合がいい。
しかし、そう思っていないなら問題だ。敵があえて適当な内容の話をすることで、こうした自分の疑念を生み出す。それが目的であったとしたなら。
一度目の電話さえ、本当にアックスツヴァイからのものだったのかが疑わしくなってくる。もしかすると敵の目的は二度目の電話をあえてでたらめにすることで、一度目の電話の信憑性を高めようとしたのかもしれないからだ。
さらに深読みをすると、一度目の電話が本物である可能性は捨て切れない。敵の狙いが一度目の電話の信憑性を高めることだとするなら、当然、逆にその信憑性は低くなる。そう自分が読むことをわかっていて、電話をした。とすれば一度目の電話が本物で、それを察知したフレイマーがあわてて二度目の電話をかけた。そうも考えられる。番号が同じだったことは、敵の技術の高さを考えればなんとでもなってしまう。
いずれにしても多分、敵は何か深い策謀をめぐらせている。
新堂にはそう思えてならなかった。
ただ、一つだけ確信できることもある。ああして電話がきた以上、本物のアックスツヴァイはまだ生きているということだ。最初に掛かってきた電話が本物からのものであるにしても、偽物からのものであるにしても、恐らく彼女はまだ捕まっていない。うまく逃げているのだ。
そうでなければ自分を完全に幻惑できない。
その点だけは、新堂に希望を抱かせた。
しかし、希望だけではない。フレイソードの死という問題がある。一度目の電話でもたらされた情報だが、その通話が本物であるかどうかは別にしてもフレイソードが死んだのは本当だろうと思えた。多分、本当に彼は怒りに身を任せて施設の本部へ突進したに違いない。あまり感情的な行動を起こすタイプではないように見えたが、よほど怒るべきことがあったのだろう。それがフレイアックスの死なのか、あるいは別の要因なのかはわからない。
つまり、ついに味方は二人だけになってしまったわけだ。自分自身と、フレイサイズの二人だけである。
五人もいた仲間が、二人になった。フレイスピアが倒れ、フレイアックスが倒れ、フレイソードも目の届かぬところで死んだ。仲間だったはずの戦士だ。
自分を支えると約束してくれたはずのフレイスピア。寡黙だが頼れる男だったフレイアックス。よき相談相手だったフレイソード。彼らが亡くなった原因は、施設と戦っていた自分にある。
本来、自分は自分自身の過去を求めて戦っていたはずだ。施設自体はそのまま残っていようとも構わなかった。自分の情報だけを得られれば、それで問題なかった。あとは自分たちを廃棄しようとする施設の目の届かない場所へ逃げればいいはずだったのだ。しかし、自分たちは追ってくるフレイ・リベンジとの戦闘を繰り返した。結果が、これである。
新堂は自分が持っている彼らの形見を見やった。フレイスピアの槍、フレイアックスの斧、スピアエルダーの持っていた携帯電話、これらは彼らの残骸に過ぎない。このようなものが残っていたところで、何の役にも立たないだろう。彼らを忘れないためのものでしかなかった。
最後に残ったのは、フレイサイズ。この大きな猫だけだ。もっとも戦闘能力の高い彼女が最後まで残っていて幸運とも思えるが、今の新堂はフレイサイズを戦力としてみることができない。仲間である。
時計を見たが、まだ真夜中である。ひとまず、身体を休めるべきだと思えた。
しかし、アックスツヴァイを助けに行こうと思うなら休んでいる暇はない。わずかに考えたが、新堂は結局行動を起こさない。あの図太いアックスツヴァイがそう簡単に殺されたりはしないだろうと思ったからである。
仲間をこれ以上失いたくない。
新堂は考える。施設の本部へ攻撃をかければ、自分は多分死ぬだろう。次に身体強化をしたときにも、サイズウルフをあしらえるだけのパワーを得られるという確証はないからだ。加えて、敵側にはフレイマーという最強の存在もある。だが、ここまで来れば逃げ出そうと考えられない。最早、最後まで施設とぶつかり合うしかない。仲間を奪った彼らに強い怒りを覚えているということもあるが、当初の目的である自分の過去を求めるなら避けられない。
しかし、フレイサイズは別だ。彼女は自分につきしたがってくれているだけのこと。彼女を巻き込んでしまうことは本意ではない。新堂はじっと、壁をみつめて考えている。自分は、どうしたいのかということを。
アックスツヴァイは闇の中を逃げていた。
髪は汗で乱れ、着ている白衣は泥だらけになっている。手に握っているフレイソードの剣もあちこち刃こぼれして、まともに切れそうになくなっていた。それでも、ここまで逃げてこれたということだけでアックスツヴァイの実力が知れた。fr-05フレイマーはそれほどに圧倒的な実力だったのである。
茂みの中、ほとんど山林といっていいような場所を通って、アックスツヴァイは駆けている。もう施設には戻れない。足場の悪い山の中を無理にも走り、逃げなければならなかった。しかし、どこに逃げればいいのか、彼女自身にさえわかっていないのである。どこへ逃げてもつかまるのではないか、そう思っていた。
後ろから、気配が自分を追ってきている。索敵能力のおかげか、それとも高い視力のおかげだろうか。いずれにしても、確実に自分は敵のレーダーに捕まっている格好だ。もっともっと走って、敵の索敵能力の外へ出なければならない。
いずれにしても無駄な足掻きであることはわかりきっている。なぜなら敵はサイズウルフ級、もしかするとそれ以上の身体能力をももっているからだ。自分がとらえられそうになければ、移動速度をあげるに違いない。ただ自分をこうして逃がしているのは、遊んでいるだけなのだ。
アックスツヴァイのそうした考察は、全て的中していた。フレイマーはレザーコートをできるだけ汚さないようにしてアックスツヴァイを追っていた。闇の中でさえ有効な視力でもって、彼女よりも早く、確実に有効な道を選ぶことが出来る。索敵能力で彼女の位置は正確に掴んでいる。
だが、それでもアックスツヴァイは逃げなければならない。捕まれば、確実に殺されるのだ。
死ぬのは嫌だと、彼女の中で何かが叫んでいる。まだ死にたくない。死ぬわけにはいかない。
どうしてだ、と背後から声がかけられたような気がした。思わず振り返るが、闇の中にいるフレイマーの姿は見えない。幻聴か、それともテレパシーか。
“お前の好きなスピアエルダーも先に逝って、寂しがっているぞ”
頭の中に直接ささやきかけられたような声が聞こえる。アックスツヴァイは、これがfr-05特有の能力なのかもしれないと思った。奴は、全てのフレイシリーズ、フレイ・リベンジの能力を兼ね備えると同時にテレパスでもあるのだ。勝手に電波を繋ぎこんできて、勝手に頭の中に向けて語りかけるというのだろう。それどころか、こちらの考えも読み取ってしまっているに違いない。これでは駆け引きは全く無駄だ。心の中まで嘘をつける人間はそういない。
くそ! と、アックスツヴァイは心中に悪態をついた。フレイマーに対する憎しみの念で心の中を満たしてやる。これで心の中をのぞいたあいつは悔しがるだろうと思ったからだ。
だが、走る先には道がなくなっていく。先が少し明るくなっているが、そこには何があるのか。
山林を抜ける。
月明かりで照らされたそこは、崖だった。
アックスツヴァイは、呻く。まさに断崖絶壁。その上にアックスツヴァイはいたのだ。下は、何もない。ただの谷底である。だが、高い。このくらい落ちてもどうということはない、と言いたいところだがそういうわけにもいかない。着地に失敗すれば、フレイマーから逃げだせる見込みは万に一つもなくなってしまう。
横に逃げなければと考える間もなく、背後から足音が接近してくる。
フレイマーはすぐにアックスツヴァイの目の前に姿を見せた。アックスツヴァイはすでにズタズタになっているのに対して、フレイマーはかすり傷一つなかった。服もほとんど汚れていない。
「あら、追いかけっこにもならなかったみたいね」
アックスツヴァイはもはや逃げず、ため息をついてそう言った。フレイマーは頷いて応じた。やはり、ここでも邪気の見えない笑顔を振りまいている。
「そうだね、だから最初に言ったんだよ。大人しく、このへんで捕まってくれないかな?」
「そいつは無理な相談だねえ、私にだって一応命を惜しむ心くらいあるんだからさ」
「ふーん、そう」
興味なさそうに、フレイマーが鼻で小さく笑う。余裕がある。
アックスツヴァイは背後を見た。断崖絶壁。その先。谷になっているが、対岸は存在しない。いや、あるかもしれないが闇の中で対岸が見えない。フレイマーほどの視力はないが、アックスツヴァイも夜目が利かないわけではないのだ。それでも対岸は見えない。横を見ても絶壁はどこまで絶壁で、飛び移れるようなところはなかった。完全に追い詰められている。
足元を見た。目覚めたときに与えられたはずの、新品の白いズック靴は、黒く泥に汚れている。靴底をとおして、大地を踏んでいるはずの自分が、不確かに感じられる。自分の命は目の前にいる少年の手の内だ。制裁与奪の権利が相手にあるということが、わかる。
このままでいれば、一分もたたないうちに殺される。ほぼ確実に殺される。
「命は誰だって惜しいよね、アックスツヴァイ。ぼくだって惜しいもんな。でも、君は残念ながらぼくたちの命を危険に晒した。そういう人を保護しておくことはちょっと無理だね」
「フレイマー、あんたは」
「さ、そろそろ審判の時間だよ」
彼が剣を抜いてこちらに向けた。アックスツヴァイは剣を持ってはいたが、かち合わせても恐らく負けるだろうと感じていた。ほぼ確信に近い。ならばどうする。
無抵抗のまま死ぬか、抵抗して死ぬか。そんな無意味な選択。
自分の矜持の問題になるが、そのあとには何も残らないのはどちらも同じだ。しかし今自分にできるのは本当にそれだけか。
「いまさら何を悩んでいるのかな、アックスツヴァイ」
「あんたの驚く顔を、今拝みたくてしょうがないのさ。なんでも全部自分の予想通りにいくって思ってるそのカオを、ゆがめてやりたくて」
「ふーん、じゃあどうするのかなあ」
微笑を浮かべたまま、フレイマーが詰め寄る。アックスツヴァイは剣を構えた。
瞬間、フレイマーは飛び掛った。すばやい動き、反応の仕様がないほどの動きだ。アックスツヴァイは、驚愕を禁じえない。最初に打ちかかってきたとき、それでも十分に速い攻撃だったが、あのときまだ手を抜いていたというのか。これほどの速度では、避けることができない。
アックスツヴァイはこの攻撃を受けながら谷底に飛び込むことを考えていた。しかし、フレイマーは攻撃の速さは彼女の予測を上回っている。不可能だ、避けられない、剣で受けることもできない。自分の斧を持っていた場合、もっと間に合わなかっただろう。それよりは軽い剣を持っていても、こうして圧倒的に間に合わないのだから。
せめて急所をはずすべきだと思った。なんとか身をよじる。だが、動かない。
フレイマーの剣が自分の胸元に吸い込まれてくるのを、アックスツヴァイは目を見開いて見た。ほんの一瞬鋭い痛みが走る。
「串刺しだ」
柄のあたりまで、一気に体の中にめり込んでいく。フレイマーの持っていた剣は、アックスツヴァイの身体を貫通していた。背中側に突き出した刃が、血に濡れている。
アックスツヴァイの意識は急速に失われていく。背後に下がろうとしていた身体が、ふらりと倒れかかった。
「ごきげんよう」
余裕を失っていないフレイマーが剣を引き抜くと、自然にアックスツヴァイの身体は崩れ落ちる。断崖絶壁の端にいた彼女は支えを失って、谷底に落下していった。この高さから、しかも頭から落ちれば助かる見込みなどまるでない。
「これで二人対、二人だ。平等だね」
アックスツヴァイが谷底に落ちた鈍い音を聞き届けて、フレイマーは誰に言うでもなくそう呟いた。