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第二話 フレイサイズ・前編

 長い夢を見ているような気がしてならない。それも悪夢を。

 彼の見る夢は、もう長い間覚めていない。もう二年も前から始まった悪夢に、彼は未だ呪縛されている。

 それまでの記憶を消された。得体の知れない薬品を投与された。頭の中をかき乱された。それらについての詳細なレポートをとられながら、死ぬことも許されない。ただ自分の全てを彼らに観察される。プライバシーなどなかった。


 外科手術を受けた覚えはない。だが、新堂の体は確実に改造をされていた。

 恐らく、眠っている間に行われていたのだろう。目が覚めると身体にメスが入った痕が幾つも出来ている、などということは日常茶飯事だった。手術の間に何日経過したのかもわからない。

 理不尽というよりも、何も考えられなかった。

 自分は一体何故このような仕打ちにあっているのか、わからない。自ら志願したのか、罪を犯して罰されているのか、何もわからぬままに身体は改造されていく。

 左腕に埋め込まれた短剣も、いつのまにかあった。それを抜いて、狂犬と戦わされたこともある。結果的に楽勝だったものの、生体強化ユニットで肉体が強化されていなければ大怪我をしていたかもしれない。所詮自分は、消耗品でしかないということを、思い知らされた。

 新堂は思い返す。『新堂』という名前も、教えられたものだ。それが本名なのか、便宜的につけられただけのものなのか、全くわからない。新堂、そう呼ばれて二年が経つ。研究施設で彼に接する者は新堂と呼んだが、改造が進むと別の呼ばれ方もされるようになった。『fs-01』、『フレイダガー』、施設の外からやってきたような連中は、新堂をそう呼んだ。

 新堂は『fs-01』という呼ばれ方が商品のように扱われているようで嫌だったが、『フレイダガー』という名も好きになれなかった。結局、本名かどうかもはっきりしない『新堂』という呼び名で呼んでもらえるように、周囲の人間に頼むのが精一杯だった。

 この悪夢はまだ覚めない。


 研究施設はただ落ち着いていた。

 新堂が脱走したことも、フレイサイズが脱走したことも一応は騒ぎになっていたが、フレイサイズのタグを発見したという報せがあったのでそれほどの大きな騒ぎにはなっていない。

 どの道、彼らは廃棄されることになっていたので、脱走しようが離反しようが、大した脅威にはならないと考えられていたのである。管理体制の杜撰さは指摘されるかもしれないが、何人もの研究員を傷つけ、ドアを破壊して逃げ出した彼を止められたものがここにいたとは思えない。それほどきついお咎めはないだろうというわけである。


 この研究施設にはfs-03、フレイスピアがいる。

 新堂とフレイサイズだけではなかった。フレイスピアもまた、この研究施設に囚われていたのである。

 フレイスピアは髪の長い女性で、槍を扱うことを得意とし、索敵能力にすぐれた戦士である。しかし視力が弱く、しかもそれは日々悪化しており、至極順調に失明へむかっていた。どう手を尽くしてもこれが治療不可能なことから、廃棄処分が決定されている。

 捨てられるとわかっていても、フレイスピアは従順だった。研究員のいうことには素直に従っている。


「全くもったいない話だ」


 研究員がそう言った。ため息を吐くように、もう一人の研究員がそれに応える。


「そうだな、これだけ綺麗な顔してんだ。助手としてここに置いておいてもらってもいいのに」


 彼ら二人の研究員はいずれも白衣を着ていて、部屋の真ん中に立つフレイスピアを見ている。フレイスピアは青いマントを着ていたが、それ以外には何も身に着けていない。もう、廃棄されることが決まっているからだ。


「問題ありません。私が消えなければならないなら、従うだけです」

「そうかい、残念だなあ」


 研究員がフレイスピアの言葉に答える。


「怖くないの」


 もう一人が訊ねる。


「誰だって、死ぬのは嫌です。ですが、私はもうお役に立てないのでしょう。ならば、消えるしかありません。必要とされないのであれば、誰も生きていけません」

「そうかい」


 フレイスピアは、細い目を閉じ、それから時計を見上げた。しかし、彼女の視力では時計の針がどこを指しているのか見えない。それでも時計を探してしまうのは目が見えていた頃の癖だろう。


「すみません、今は何時でしょうか。私の廃棄まで、どのくらい残されていますか?」


 仕方がないので、彼女はそう訊ねる。


「そうだな、今はまだ朝の七時半。君を運ぶ車が来るのは十時ごろだから、二時間半くらいかな」

「では、二時間ほどはまだ自由に出来ますか」

「もちろん。でも、この部屋から出るのは無理だけどね。新堂、いや、フレイダガーが脱走したんだ。それもフレイサイズを盗んで。そのせいで、君の脱走がないとも限らないとか言われてね。だから申し訳ないがこの部屋からは出れないよ」

「十分です。私は、どこへも参りません」


 フレイスピアは手探りで椅子を探し、そこへ座り込んだ。肌をマントで隠し、深く腰掛ける。

 部屋の隅に棺桶のような大きさの箱と、ポリタンクが置かれている。ポリタンクの中に詰められているのは、廃棄溶液と呼ばれる液体だった。


「あと二時間か」


 研究員の一人が、フレイスピアの白い脚を見ながらそう言った。彼は、フレイスピアの細い肢体を思い浮かべた。マントの下から見える脚だけでも十分に男を誘う色気がある。あと二時間で、これらがなくなってしまうというのはもったいない話だと思う。


「おい」


 もう一人が彼の視線に気付いて、声をかける。咎める口調だった。


「何を考えている」

「どうせ廃棄されるんだろう。最後にちょっとくらいお楽しみを与えてやってもいいんじゃないのか」


 フレイスピアの顔に目線を向ける。美しい女性だった。綺麗だ。なくなってしまう前に存分に味わいたい、と彼は考える。


「馬鹿な、彼女に今までしてきたことを考えてみろよ。最後くらいゆっくりさせてやれないのか」


 研究員は、言い争った。一人の研究員はフレイスピアを護ろうとしている。これは明白だった。だが、この考えをもつ研究員は稀有である。大半の研究員は、実験対象となった者のことなど、動物のような扱いしかしていない。


「何を正義面してやがる。やる気がないなら、部屋から出ていろよ。こいつの視力のせいで、俺たちの研究レポートは散々なんだぜ。結果、フレイシリーズは廃棄されるし、レポートはまるまる中央の研究に託されて、継続研究もさせてもらえん。少しくらい慰みがあってもいいだろうが」

「そんなことは俺たちの勝手だろうが! フレイスピアはただ俺たちの実験に振り回されて、視力まで奪われたんだぞ」


 しかし、フレイスピアはそんな二人を見て、立ち上がる。自分が彼に応じればそれですむらしいということがわかったからだ。

 言い争う二人の研究員は、立ち上がったフレイスピアを見て動きを止めた。


「私なら、構いません。私のかけた苦労がそれで少しでも慰められるのであれば、拒みません」


 彼女はそう言って、最後に残された時間さえも差し出した。


「それはいけない、よすんだ」


 研究員はそう言って止めたが、もう一人の研究員によって部屋から放逐された。いくつかの暴力と共に。

 ドアが閉められたとき、彼は自分の無力さを嘆いた。


「気にしないで下さい、あなたの行為には感謝します。ですが、私は私に出来ることがある限り、人の望みに応えたいのです」


 部屋の中から、フレイスピアの声が聞こえた。次いで、マントを脱ぎ捨てる小さな衣擦れの音がする。追い出された研究員は、中に入ってもう一人を殴り飛ばしたい衝動にかられたが、彼はそこまでの行動力を持たなかった。自分自身の軟弱さに罪悪感を感じ、彼は動けずにその場に立ち尽くしてしまう。


「どうか、お元気で」


 フレイスピアの言葉に、彼は応えることができなかった。



 新堂は車を運転している。早朝の山道を、スピードをあげて走りぬける。

 研究施設が見えてくる。全長百メートルほど、二階建ての建物が山の中にぽっかりと見える。新堂が破壊したはずの出入り口の扉は閉められていたが、他に特に変化はない。

 妙だな、と新堂は思った。これまで走ってきて、誰とも遭遇していない。フレイサイズのタグが発見されたあの地点へ、数多くの人間が集まろうとしているはずだ。そうした連中とすれ違わないということは、ありえない。なぜそうなったのか、新堂は思い当たらなかった。

 しかし、今はそれを気にしていても仕方がない。フレイスピアの救出が最優先だ。

 fs-03フレイスピアは廃棄処分にされることが決定されている。完全にそうなる前に、横からかっさらって味方にしてしまいたい。その方法は、考え付かない。だが、もし救出に成功しても、協力してくれないのであれば仕方がない。


 研究施設の敷地内に入るには、門をくぐる必要があった。確かそこには警備員がいたはずだ。新堂は車を停め、歩いて施設へ接近した。

 確かに警備員はいた。だが、かなり眠そうだ。徹夜明けなのかもしれないし、まさか逃げ出した新堂がここに戻ってくるとは思ってもいないのかもしれない。新堂は広く開いた門の脇から、素早く敷地内へ入った。壁伝いに移動し、物陰に飛び込む。

 研究施設は広いが、駐車場はそれほど広いわけではない。

 新堂はなるべく日陰になっているところを横切り、建物へと近づいた。非常口のすぐ近くに、野外喫煙所が見える。喫煙所とはいっても、ただ灰皿が置いてあるだけの場所だ。そこでは仕事をサボっているのか、始業前なのか、一人の研究員が白衣のままタバコを吸っていた。


「よし」


 新堂はゆっくりと彼に近づいた。

 悪く思うなよ、と思いながら背後から彼に飛び掛る。油断していた研究員は、僅かに呻く。

 狙いは首だった。頚動脈を絞める。右手で締め上げると、タバコを吸っていた研究員は驚き、暴れた。だが新堂はそれを容易く制御し、大声をあげれば首の骨を折るぞと脅した。それで彼はすっかり大人しくなり、うんうんと何度も頷いた。


「fs-03フレイスピアはまだここにいるのか」


 その質問に、白衣の研究員は頷く。新堂は間に合った、と思った。すぐに戻ってきた甲斐もあったというものだ。だが、続いて発した、フレイスピアがどこにいるのか知っているかという問いには、白衣が首を振る。この男は彼女の居場所を知らない。

 これでは仕方がない、と彼は思う。すぐにも探し出さなければならない。腕の力を強めて、白衣の意識を闇に落とす。

 新堂は彼を物陰に引っ張り込み、白衣を奪った。防弾コートを脱ぎ、白衣を着込む。少しは目立たなくなるはずだ。

 研究員の身体は、そのままそこへ放置していく。始末する時間もなかったが、それ以上に殺すことは気がひける。彼らとて職業としてこの仕事をしているに過ぎないのだ。


 非常口から研究施設へ入り込む。まるで潜入任務を受けたスパイのような気分で、新堂はその建造物へ入った。隅から隅まで知っている、というわけではないが、およその位置関係は把握している。

 この非常口は、研究員たちの休憩室に直結している。それを出て直進すれば左右に宿直室、実験室などを見ることが出来る。突き当たるまで直進すれば、広い空間に出る。そこは大きな荷物を運び出す搬入、搬出用の空間だ。

 新堂が実験を受けていた部屋は、二階の突き当たりだ。この非常口からは最も遠い位置にある。が、今はそこへ行く必要がない。まずはこの部屋を抜けることだ。


 休憩室の中には二人の男がいたが、そろってテレビに注目している。新堂は白衣を着込んで、なるべく目立たぬように部屋を抜ける。二人とも新堂には気付かない。部屋を出た彼は小走りに廊下を行く、途中で右手にある階段を上った。二階に着く。

 なるべく研究員に気付かれるようなことにはなりたくない。新堂は長い廊下に誰かがいないか、様子を窺った。階段から片目だけを出し、左右を確認。一人だけ、廊下にいる。

 他には誰もいない。その一人も、どうやら何かショックなことでもあったのか、呆けている。これなら気付かれそうにない。


 新堂は走りこみ、その研究員を殴り飛ばそうとした。一撃で行動不能に追い込み、トイレかどこかへ隠してしまおうという目論見だった。

 だが、その瞬間に想定外のことが起こる。非常ベルが鳴った。

 火災報知器の誤作動か。いや、仮にも研究施設でそのようなことがあるのか。

 新堂は足を止めず、そのまま研究員に近寄ったが、研究員が新堂に気付いた。非常ベルで我に返ったかのように。新堂は舌打ちをした。今の新堂は普通の人間とそう大して変わらない運動能力しかもたない。叫ばれれば終わりだ。

 だが、白衣を着ていたことが相手にそれをさせなかった。急いでいる研究員がいるのだな、とでも思ったのかもしれない。

 新堂は非常ベルの鳴る中、その研究員にしがみついた。咄嗟のことに、相手はまるで反応できない。手近なトイレに、その研究員を引っ張り込む。

 後ろから彼の咽喉に右腕を回し、新堂は完全に彼を拘束していた。彼は女子トイレに入っていた。研究施設内には女性がほとんどいないので、この女子トイレ内には誰もいないだろうという読みがあったからだ。予想通り、女子トイレ内は無人だった。


「大声をあげれば、絞め殺す。大人しく質問に答えてくれ、訊きたいことがある」

「あ、ああ」


 少し気の弱そうな研究員は、素直に頷いた。新堂は先ほどと同じ質問をする。


「fs-03フレイスピアを探している。どこにいるか知っているか」

「なぜ彼女を?」研究員はふと、怯えた声ではなく答えた。「彼女は失敗作とされて、廃棄されるんだぞ」

「余計な詮索はいい、居場所を応えろ。それとももう液詰めになって、運ばれたのか?」


新堂は右腕に軽く力をこめる。


「それはまだ、だ。彼女ならぼくがいたところの、すぐ前の部屋にいる。君は彼女を処分しに来たのか?」

「いや」少し困ったように、新堂は応える。「決してそうじゃない」


 するとその研究員は、少し明るく言った。自分が得体の知れない存在に捕まっていることも忘れたように。


「なら、すぐに行ってあげて欲しい。彼女を廃棄処分にするのは、しのびないと思っていた」

「なぜだ、時間が迫っているのか?」

「違う。廃棄する前に、慰み者にしようっていう連中がいたんだ。ぼくには止める力がなかったし、そんな姿を見ることも嫌だった」


 自嘲するように彼は笑った。


「臆病者でね。廃棄までにはあと二時間ほどある、その間彼女は辱められ続ける、君はそれを止めてくれるかい」

「俺も彼女にそうしないと思っているのか、お前は。得体の知れない男にフレイスピアを任せるよりも、日ごろから慣れた人間に触れられたほうがマシだとは感じないのか」

「そうだとしても廃棄されるよりはマシだよ」


 新堂は、少しだけ唸った。この男は何故かフレイスピアを気遣っていて、しかも新堂を信用している。


「わかった。一応念のため、お前は気絶させていく。悪く思うなよ、どうなったかは目が覚めてから自分の目で見るんだな」

「殺さないのか、君は優しいな。是非、彼女を救ってくれ」


 こうも無抵抗だと拍子抜けだ。何がこの男にあったのか、と新堂は思った。

 非常ベルが鳴り止んだ。放送が入る。


『非常事態だ、施設内に不審人物が入り込んだ模様。各自部屋を戸締りせよ、部屋から出ることを禁ずる。侵入者は脱走したfs-01、もしくはfs-02である可能性が高い』


 もうばれたか、と新堂は思った。戸締りをされるのはつらい。施錠された扉を蹴りあけるのはたやすいが、その衝撃と音で居場所はすぐに露見してしまう。。


『追撃隊が五名やられている。各自、自衛せよ』


 それだけ言って放送は切れた。五名、という数字に新堂は不審を抱く。新堂が倒した追っ手はfs-00フレイソウルだけだ。もう一人の白衣もいたが、それを含めても二名。

 三人がどこかで誰かにやられたことになる。フレイサイズか、と思い当たって、まさかと首を振った。逃げていったあの猫のような犬のような獣娘、あれに何ができる。

 まずはフレイスピアを救うことを考えなくては。


「気絶させる前に、君の名前を教えてくれないか」


 腕の中にいる研究員が、そう言った。新堂はため息を吐いて、短く名乗った。


「新堂」

「やはりそうか、君がfs-01フレイダガー。ぼくの右ポケットにカードキーが入っているよ、それで扉は開くはずだ。フレイスピアを頼む」


 彼は、そう言って目を閉じた。全てを新堂に託したと言わんばかりだ。研究員の言った場所を探ると、本当にカードキーが出てきた。新堂はそれをポケットに仕舞い、研究員の意識を闇に落とす。

 意識を失った研究員の身体を、女子トイレの個室へ隠す。この研究員は恐らく、フレイスピアにただならぬ好意を寄せていたのだろう、と新堂は察した。俺にも好意を寄せてくれる女性研究員がいたら、運命は変わっていたかもしれないなと思ったが、考えても詮無い事だった。

 彼に出会ったのは幸運だった。問題なのは、ここに自分がいることがばれているので、恐らく施設の外が追撃隊で包囲されつつあるということだ。


「仕事は早く済ませなくてはな」


 新堂はトイレから出て、研究員から教えられたドアに手をかけた。ロックされている。

 カードキーを取り出して、リーダーに突っ込むとロックが解除される。部屋の中から、荒い息遣いが聞こえる。新堂は舌打ちをして、わざと荒々しくドアを開いた。

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