第十一話 襲撃・後編
小屋が建っている。山の中にぽつんと、休憩所のようにそこにあった。
どうやら、この中から例のにおいは漂っているらしい。フレイアックスは特に警戒せずにその小屋に近寄っていく。しかし、フレイソードがそれを止めた。
「待て、誰かいる」
人の気配を鋭敏に感じ取っていたフレイソードの警告に、さすがのフレイアックスも停止する。
彼は、すぐに武器を取り出した。手斧を右手に持ち、すぐにでも不審人物に対して電撃を浴びせられるように準備を始める。フレイソードも剣を抜き放って、構えた。
しかし新堂たちが誰何の声をあげるよりも早く、そこに隠れている人間が姿を見せた。
「アックスツヴァイ!」
先ほど別れたところであった、fr-04アックスツヴァイがそこにいた。彼女は少し疲れたような笑みを見せて、新堂に手を振って見せる。明かりは新堂が持っている小さなライトくらいしかないが、それだけでも十分に認識できる。
「もうここまで来たんだね、新堂。どうやってここを知ったのか知らないけど。この先に行くってことは、折角施設から完全に逃亡する絶好の機会だっていうのに、それを蹴るってこと。そういうの、わかってるの?」
「それについては、つい先ほど、全員の意思統一を済ませた。ここにいる四人とも、この先に進むことに何の後悔もしない」
新堂はすぐにそう言ったが、アックスツヴァイに対する警戒心は薄めなかった。ここは敵地なのである。フレイ・リベンジの中では最もこちらに友好的な態度を見せるアックスツヴァイであっても、研究員や施設の手前、こちらに襲い掛かってこないとも限らないからだ。
しかし、新堂の隣にいるフレイサイズは鎌を手に持ってはいるものの、構えようとしない。どうやら相手から敵意をまるで感じ取っていないらしい。とはいえ、この猫が安心しているからといって、自分まで気を緩めてよいということにはならない。
「それより、そこでお前は何をしている。そこからは、フレイスピアの気配がしているのだが」
先頭にいるフレイアックスが手斧でアックスルヴァイを指してそう言った。
「物騒ねえ、fs-05フレイアックス。まともに話し合おうとするのなら、棍棒で外交しようなんて思わない方がいいんじゃない。気持ちはわからなくもないけど、とりあえずその斧を仕舞ってくださらないかねえ。そっちの坊やも」
フレイアックスは斧を下げたが武器を仕舞いこむことはしなかった。フレイソードも剣を鞘におさめたが、片手は剣にかかったままである。特にフレイソードは武器を仕舞うことを歯がゆく思っているようで、なんとかアックスツヴァイより有意に立とうと考えをめぐらせた。
「言っておくけど」
それを見たアックスツヴァイは、腰の後ろ辺りからやや大きめのツーハンドアックスを取り出しながら高い声を発した。
「もし不意打ちで私に電撃を浴びせようと思っているのなら、無駄だからね。そんなことをしたらこっちだって全力で戦わざるを得なくなる。やめときなよ」
アックスツヴァイが左手を突き出して、軽く電気を起こしてみせる。彼女の指の間に軽い放電が起こり、ばちばちと光と音を発した。つまり、アックスツヴァイもフレイアックスと同様に電撃を操ることができるということである。
電撃をぶつけあうという対決になれば、双方の被害は計り知れない。生物は微量の電気が体に流れただけでも、場所によっては重い身体障害を残したり、死んだりする。新堂たちは改造を受けており少々のことではひるまないが、強化された身体能力が逆に仇となり、強い電気を流された場合、筋肉が収縮して骨を痛める。つまり、勝手に関節が強く折れ曲がって、骨が砕けてしまう。電気はそれほどに恐ろしいものなのだ。
しかし、実際にはそうならないのであった。
フレイアックスとアックスツヴァイは電気を相手にぶつける能力を持っていると同時に、敵からの電撃を防御する能力も備えているからだ。
相手からの放電も、直接電極に触れたような場合でも、まるでゴムのような絶縁体をつくりだして電撃を防ぐ。それが不可能な強烈な電気などは川が枝分かれするように散らしてしまう。しかも、その防御能力は個人のものにとどまらない。フレイアックスがこの場にいさえすれば、新堂たち四人全てが電撃を食らうことはない、といえるほどにその防御能力は高いのである。
両者が防御能力を発揮しさえすれば、お互いに電気を溜め込むということ自体ができなくなる。それぞれが溜め込んだ電気を、お互いに散らしてしまうからだ。
「電気を使って、奇襲を仕掛けようなんてことは、無駄だってこと。お互いこんなところで怪我したくないでしょう?」
「そうらしいな」
フレイアックスは電撃をつかうことをあきらめた。
「それで、今回もちゃんと質問に答えてくれるのか」
新堂は問いかけた。この小屋の中に何があるのか、はっきりさせておかなくてはならない。
「私の友達、フレイスピアのことね。彼女が亡くなっていることは、理解していただいているかと思うけれども。
「彼女の遺体がそこにあるのか」
「まあ、あるっていえばあるけど。新堂、それとフレイソード。彼女の体に何があったかは、自分の目で確かめた方がいいんじゃない」
アックスツヴァイはツーハンドアックスに手をかけながら、ゆっくりと後退していた。新堂たちの前に平然とやってくるなど豪胆な彼女であるが、どうやらこの状況においては危機感があるらしい。
それを見て、新堂はどうやら自分たちが怒っても仕方がないようなことがフレイスピアの体に行われたのだということを理解した。フレイスピアに何をした、と訊いても無駄だ。そんなことは中に入ればわかる。ここは違うことを質問するべきだと感じた。
「彼女の体に何かしたんだな、それをしたのは誰なんだ」
「身内の恥なんか、教えられないでしょ」
ごもっとも。と、新堂は心中に頷く。しかし、『恥』といわれるほどの行いがフレイスピアにされたというのであろうか。
「俺たちが中を調べてもいいのか、アックスツヴァイ」
「ご自由に。あっ、そうそう」
アックスツヴァイはそう言って思い出したようにポケットをまさぐった。中から取り出したのは、どうやら財布のようである。それを放り投げて、新堂に渡した。
暗い中を飛んできた、暗い色の財布を受け取る。開け口の周りに白いラインが引いてあった。これはどうやら、フレイスピアの持っていた財布らしい。
「それはあなたに、返しておこうと思ってね。あと、そこを調べていくのはあなたたちの勝手だけど、あんまり時間を無駄にしちゃだめじゃないかと思うねえ」
しかし、フレイソードは矢も盾もたまらないのか、少しずつ小屋へと歩み寄っていた。新堂はもはや彼を止めるのは不可能と判断し、さっさと行け、と合図を送る。彼はすぐに小屋の中へと飛び込んでいった。無論、それをアックスツヴァイは止めようともしない。
「時間の無駄か。それほど今、この先にある施設は手薄なのか」
「仰るとおり。上からの要請でね。サイズウルフとスピアエルダーが出撃してる。特に、サイズウルフがいないんだから、あなたたちにとっては好都合でしょうに。残っているのは、私とソードバイスだけ」
「出撃先は、どこだ」
「警察署」
アックスツヴァイは口を滑らせたのか、それともそれを重要事項とは思っていないのか、あっさりと口にした。
「何?」
思わず新堂が問い返す。まさかまともな返答があるとは思わなかったからだ。
「本当に、警察署を襲撃しにいったのか?」
「そう聞いたけどね。どこの警察署かは知らないけれど。まあ、邪魔になるんでしょうね色々と」
そういうことか! と新堂は唸った。最寄の警察署とは限らない。そんなことをしたら、折角夜逃げに近い形で逃亡したというのに、この近辺にいるということを教えているようなものだ。
つまり、全国のどこの警察署を襲撃に行ったのか、まるでわからない。これだけの情報では動きようがなかった。
その様子を見ながら、アックスツヴァイは去っていく。今がこの場を離れるチャンスだと思ったらしい。そして彼女は振り返らず、新堂たちと別れたのである。
「新堂」
フレイアックスがいつの間にか新堂の傍に戻ってきている。
「ああ、言いたいことはわかる」
新堂は頷いた。
「俺たちが行かなければ、多分警察署は壊滅するな」
今のところ警察署にいるような人間だけでは、恐らくサイズウルフには勝てないだろう。特殊部隊の投入をしたとしても、恐らくそう簡単にはいかないだろう。死人が多数出る。三桁は下るまい。
サイズウルフを止められるのは、恐らく新堂たちだけである。
しかし、戻るのか。ここまできて!
施設の壊滅を目指すというのならば、尚更だ。どこの警察署が襲われているのかもわからない、そんな状況で今踵を返すことは考えられない。
正義のために戦っているわけではない。どこの誰ともわからないような警察官のために、二度とないような絶好の好機を逃すことは馬鹿げている。
だが、見捨ててしまうのか。すでに施設によって二十名以上の警察官が殺されている。その被害を、今起ころうとしている殺人を防ごうともせずにいていいのか。
今施設に突入したとしても、万事うまくいくとは限らない。
新堂は逡巡した。そして振り返ったとき、フレイサイズが自分を見上げているのが目に入る。その瞬間、彼の決意は決まった。
「フレイアックス、戻ろう」
「いいのか」
「いい。俺たちの記憶や過去なんか永久に失ったって、今からいくらでも埋め合わせられる。しかし人命は二度と帰らん」
その言葉に、フレイアックスも迷いなく頷いた。
「それでこそ、正義の味方だな」
「正義なんてのは、偽善者が勝手に作り出した妄想だ。俺は俺のしたいようにするだけだな。とにかく戻るんだ」
新堂はフレイサイズとともに踵を返した。フレイアックスは大きく頷き、小屋に向けて走っていく。
「俺はフレイソードに伝えてから行く。新堂、先に行ってくれ」
「場所はわかるのか」
「いや、新堂、あてがあるのか」
どこの警察かもわからない、とアックスツヴァイが言っていたではないか。フレイアックスは足を止めて振り返る。しかし、新堂はすぐに指でフレイサイズを指し示した。
「ここにスピアエルダーの居場所を探り当てる、レーダーがいるじゃないか」
「なるほど、これは盲点だった」
フレイサイズは察した様子で頷き、すっと指差しを行った。方角はほとんど真南であった。
「それでは、またあとで」
方角を確認したフレイアックスは、小屋へと飛び込んでいった。
新堂とフレイサイズは、南へ向かって走っていく。急がねばならない。
地図はフレイソードが持っていた。新堂はフレイサイズの指差しだけを頼りに、ただひたすら南に向かって走っていく。
改造によって持久力もかなり高まってはいるのだが、短剣を抜かなければ新堂のそれは突出するほどのものとはならない。車が必要だ。
そう思った。なんとか幹線道路まで走りぬけたが、もうそろそろ限界だ。
何度目かの悪態を吐いたとき、背後から大型のトラックが走ってきた。折りしも南へ向かっている。
「フレイサイズ」
ダメで元々、新堂はフレイサイズに呼びかけて、走ってきた大型トラックを指差した。その意図が伝わったのかどうか、フレイサイズはすぐに頷いて新堂の手をとった。そしてトラックに向かって跳躍する。無論のこと、その上へ飛び乗るつもりである。だが、トラックはほとんど減速していない。そこへ飛び乗ろうというのだから、普通なら正気の沙汰ではない。しかし新堂たちは普通の人間ではないし、今は手段を選んでいる暇などない。しかしフレイサイズが踏み切った直後になって、新堂はコンテナの後ろ側にへばりつけばいいのではないかと思った。しかしもう、遅い。
一瞬の浮遊感の後、新堂はトラックの屋根の上に放り出される。少し勢いがつきすぎたのか、慣性の法則によるものか、そのまま屋根から転がり落ちそうになるが、慌てたフレイサイズによってなんとか屋根の上に引きとどめられる。掴むところのない屋根の上で、なんとかしがみついて落下することを避けた。フレイサイズの功績は大きい。
「す、すまん」
肝を冷やしたが、どうにか助かった。と思う暇もなく、目の前にトンネルが迫っていた。
車高の高いトラックの上にいる新堂たちの目の前に、山肌が迫ってくる。トンネルの上部はセメントで頑丈に塗り固められている。ここに激突してただですむとは思えない。
座っていたら、ぶつかる。かがまなければ。いや、伏せるんだ!
新堂は呆然としていたフレイサイズの頭を抱え込み、その場に倒れこんだ。金属製コンテナの屋根は冷えていて、冷たかったが、それ以上に体を冷やす風が新堂たちのわずか数センチ上を突き抜けていった。
もうほんの少し、顔を上げていたら身長が何センチか低くなっていたに違いない。映画のようなかっこよいアクションとはいかなかったようだ。
新堂もフレイサイズも、必死で屋根にしがみついている。やがてトンネルを抜けるが、すぐにまたトンネルに入ってしまう。そういうわけで、新堂たちはずっと体を低くしておかなければならなかった。ぴくりとも動けず、ただトンネルを抜けるのを待つだけだ。
幸いにもフレイサイズは暴れたりしない。新堂に大人しく抱かれている。ありがたいとは思ったが、あまりにも大人しいので新堂は途中で彼女の顔を見やった。何かの要因で意識を失ったりはしていないかと思ったのである。しかし、彼女は周囲を吹き抜ける風圧に目を細めこそしていたが、特に不快な様子はなかった。風が彼女の髪を大きくなびかせている。
そういえばフードをとったままだったと新堂は思ったが、この風圧の中でかけなおしてやっても無駄だと感じた。
完全にトンネルを抜けるまでには、体感で二十分ほどの時間を要した。しかし、実際にはもう少し短かっただろう。新堂は時計を持っていないので確かめようもなかったが、そう思った。
暗闇の中だが、街の景色が見え始めた。振り返ってみると、黒い大きな影が見える。あれは恐らく山肌だろう。と、いうことは山を抜けたということであるから、もうトンネルはないだろう。新堂は身を起こし大きく息を吐く。フレイサイズも体を起こして、耳をぴくぴくさせている。ふわりとお尻の辺りから尻尾が持ち上がったが、スカートが危うくなったので少し新堂が慌てた。
「フレイサイズ、スピアエルダーはどこだ」
居住まいを正すように軽く咳払いをしつつ、新堂がそう問いかける。フレイサイズはすぐに指差しを行った。
そこには確かに、『けいさつしょ』と書かれた看板があがっている。そこに間違いなさそうだ。
すぐにでも行ってやる必要がある。あそこで今、何が起こっているのかここから知る術はない。行かなければ人が死ぬことになるのだ。
「行こう。フレイサイズ、本当に体の具合はいいのか。大丈夫か? サイズウルフとぶつかることになるんだ」
新堂の問いかけに、フレイサイズはすぐに頷いてこたえる。どうやら万全であるらしい。
「ならいい、行こう」
信号待ちで停車したトラックから、新堂たちは『下車』した。凶器を持った大きな猫を連れて、自分は槍を持っている。このまま警察署に行って、もし何事もなければ確実に職務質問を受けるだろうが、そのようなことは気にしていられない。
駆け足になって、二人は警察署へ進んでいく。
警察署まではまっすぐに道がつながっている。迷うことはなかった。
しかし問題は、敵にスピアエルダーがいるということである。そのおかげでフレイサイズが警察署の位置を把握できたのであるが、彼女はフレイスピアのように索敵能力に優れている。新堂たちがここにいることも、すぐに察知してしまうだろう。奇襲は不可能だ。
だがそれでも行かねばならない。行って、彼らの凶行を阻止しなければならない。
警察署の入り口までは、平穏にたどり着いた。敷地の中に入っても、まだ敵意は感じられない。
「追い抜いたとは考えにくいから、スピアエルダーも、サイズウルフもここにいるはずだが。まさか中にいるのか」
新堂は歩いて、建物の中に入ろうとした。しかしその瞬間、何かが砕ける音が聞こえてくる。
上からだ、と新堂は空を見上げた。何かがキラキラ輝いているのが見える。
ガラスの破片だ。上で窓ガラスが割れたのだ。新堂は大急ぎで退避した。彼が数秒前まで立っていたところに、ガラスの破片が降り注いで、より細かく砕けていく。
このような事態が起こるということは、すでにサイズウルフたちは警察署の中に入り込んで、何かをしているのだ。少なくとも、非常に暴力的な何かをしていると考えられる。
この警察署はシンプルな直方体型の建物であり、四階建てになっていた。
ガラスが割れたのは最上階の四階だと思われる。もはや中に入って階段を探しているような余裕はない。新堂は地面を蹴って、飛び上がった。二階まで飛び、二階の外壁の凹凸に足をかける。そこでさらに踏み切って、三階へいく。三階からさらに四階へ進み、割れた窓ガラスから部屋の中へ飛び込んだ。
これが最も早く、現場へ駆けつける方法だと信じた。
しかしそれをもってしても、どうやら間に合わなかったらしい。その部屋は会議室らしい様相だったが、制服を着た何人かの男がすでに床に倒れている。彼らは血だまりの中に倒れ、事切れているようだった。
部屋の中央には、槍を持った女性が一人で立っている。黒いブラウスに白いストールを肩に巻き、下は白のロングスカートという姿だったが、スカートやストールはすでにあちこち赤く染まっていた。新堂は彼女を知っている。彼女こそがfr-03スピアエルダーだ。
サイズウルフの姿は、この部屋の中には見えない。ということは、この部屋の中にある血だまりや遺体はすべてスピアエルダーによって作り出されたことになる。
「わざわざ、このようなところへ邪魔をしにいらしたのですか」
槍を下げて、スピアエルダーは新堂にそんな質問をしてきた。
直後、新堂と同じようにしてフレイサイズが窓から部屋の中に入ってきた。今度はフレイサイズも武器を構える。アックスツヴァイと違い、スピアエルダーからは敵意の発散を感じ取ったらしい。