第十話 フレイアックス・後編
「希望的過ぎるんじゃないか、それは」
新堂は目を伏せた。フレイソードの言うこともわからなくはないが、アックスツヴァイもフレイ・リベンジの一人である。そう簡単には寝返ってくれないだろう。
「あくまでも、ただの希望です。また、完全に可能性がゼロではないでしょう」
「だがフレイ・リベンジである以上は、そうしたところに期待をかけても無駄だと思う」
「フレイスピアと彼女との友情を考えれば、可能性がゼロでないというだけです。私も本気で期待しているわけではないのですよ」
フレイソードはそう言ったが、少なからず期待は寄せているようであった。新堂は窓の外に目をやり、片目を閉じる。
そこへ足音が接近してきた。
すぐに両目を開き、新堂は立ち上がりかけた。その気配は、フレイ・リベンジのものであったからだ。
「座っていて構いませんよ」
やってきた足音の主がそう言った。フレイソードはその姿を見るや、目を見開く。
「あなたは」
「小野津美子だよ。覚えていてくださって光栄だね、フレイソード」
紅いルージュをひいた女が、そこに立っていた。
「何をしにきた」
新堂は腰を浮かせたまま、背後からやってきたアックスツヴァイを睨んだ。
「何しにきた、とはご挨拶ね。お話をしにきただけじゃない。フレイソード、そこをどいてくださる。座りたいのだけれど」
その女、アックスツヴァイは意にも介さず、席をあけるように要求する。不遜な態度だが、本当に何をしにきたのかときかずにはおれない。新堂はもう一度同じ問いを繰り返した。
「アックスツヴァイ、俺たちは敵対しているはずだ。何をしに来たんだ?」
「その前に、フレイサイズ。その子は怪我してないんだね」
「何?」
思わず、隣で眠っているフレイサイズを見た。彼女は安らかに、深い眠りに落ちている。処置された傷が開いているということもない。
「怪我していない、ならいいよ。ほら、フレイソード。とっととどいて」
追い立てられて、ついにフレイソードは席を譲った。空いた席にどっかりとアックスツヴァイが座り込む。だが、これでアックスツヴァイは両サイドと正面を完全に敵に囲まれたことになる。背後は空いているが、背もたれがある上に他の乗客もいる。
自ら追い込まれた格好である。しかし彼女自身はそのようなことを気にもしていないようであった。
「どういう意味だ?」
「大したことじゃないさ。話ではfs-04が逃げていった後、スピアエルダーが屋上から突き落としたってことだったからね」
「屋上から突き落とした? この猫をか」
「そうだよ。闇の中に落っこちていくのを見たんだって。だからまぁ無傷でピンピンしてるようなら、残念だったなってこと」
アックスツヴァイは新堂の隣に座っている猫を一通り眺めた。
「まぁ、猫だからな。少々高いところから落ちたくらいなら問題ないんだろう。傷が開かなかったのは幸運だったが」
「猫よりずっと重い彼女が、足から着地したくらいで平気だとは思えないけどね。それとも何か別の方法があったのかねえ」
それから不意に、彼女は自分の隣にいるフレイアックスに目を向けた。ここにいたっても、まだフレイアックスは目を伏せている。タヌキ寝入りなのか、眠っているのか。
「フレイアックス、お初にお目にかかったね」
声をかけられるが、フレイアックスは小さく頷いただけだった。
「動じない人ね、あなたは。どうしたの、どこか痛むの?」
アックスツヴァイはしつこく声をかけるが、フレイアックスはそれらを全く無視し、ただうなだれていた。やがて彼に声をかけることは諦めたらしいアックスツヴァイが、新堂に目を戻す。
「新堂、私はここにあなたを殺すためにやってきたわけじゃないんだけど」
「それはおおよそ、わかる。だが何をしにきた。のんびりと世間話をするためだけに、敵のところへやってきたわけではあるまい」
「お互い忙しいものね、新堂?」
じろりとこちらを睨んだ新堂の目線にも動じず、アックスツヴァイはニヤリと笑う。そして話を始めた。
「まず、私はこの列車に一人で乗っているわけじゃない。ちょっと武装を隠した研究員の方々も一緒。彼らはあなたたちの存在に気がついているわけではないけれど、私が知らせようと思えばいつだって知らせられる」
「それはいざとなれば、全員でかかることができるという意味か」
「違うねえ、新堂。私は平和主義なんだから。そうやってすぐに物騒な方向に話を持っていかれると困るな。私がフレイスピアとは友達だって言ったの、忘れたかしら。まだ私はあなたたちの誰とも、まともに戦っていないじゃない」
「いや、私を蹴りつけたはずです」
フレイソードが抗議の声を上げた。
「あのときはあなたから暴力を振るってきた」
それを受けて、アックスツヴァイはやや冷めた目をフレイソードに向けた。自分に席を譲ったために座る場所がなくなり、その場に立っているフレイソードの目を見上げて、彼女は言い返す。
「あれはただ、あしらっただけ。戦ったうちに入らないじゃない。気絶したあなたを殺すことも出来たはずだけど、そうしなかった。そういう基準でお考えいただけないものかしら」
「フレイスピアの身体も私から奪っていかれた」
「あなたの望みと、私の望みが違っていたから、仕方なかった。fs-04、あなたは少し頭が固いね。しばらく黙っててもらいたい、と思うんだけど。私は新堂と話をしにきたんだから。あまり時間もない」
ぴしゃりと言ってのけるアックスツヴァイ。つまり、フレイソードは邪魔であると宣言されてしまったのである。話から放逐されてしまった。フレイソードはやむなく、黙っていることにする。
アックスツヴァイは、ため息を一つついて、両腕を組んだ。
「さて、新堂。私はfr-04アックスツヴァイ。あなたに伝えたいことがいくつかあって、ここに来たんだけど。あなたは何を訊きたい?」
問われた新堂は、右目だけを閉じて下を向いた。彼はアックスツヴァイをある程度信用していたので、彼女に今この場で襲い掛かった場合の勝率を考えたりなどはしない。
「最終的なことになるが、俺は俺の過去を探りたいと思っている。お前は俺の過去を知っているのか?」
「ああ、そう」
アックスツヴァイは顔をしかめる。
「確かに、新堂の過去も少しだけなら知っている。ある程度、だけど。でも、新堂。それを訊いてどうするつもり」
「どうするつもりかは、わからない」
新堂は右手を伸ばして、額をおさえた。内側からぴりぴりと頭痛がしてくる。過去を探ろうとしているためだろうか。
「ただ、俺はどういう理由で俺がfs-01になったのか。そしてなぜ過去の記憶が消されているのかを知りたい」
「知りたいのは、自分の過去?」
「そうだ」
新堂が頷くと、アックスツヴァイは腕を組み、彼の目を正面から見据えた。
「私はね、施設が隠していた極秘資料の一部を見たわけ。その資料に書かれていた内容を、あなたに伝えることはできる。だけどもその内容が事実かどうかは保証しない。いいね」
「もったいぶるな」
「当然だけどね、繰り返すけど私はフレイ・リベンジなんだよ」
「なんでもいい、聞こうじゃないか。その資料の内容とやらを」
「じゃあ、あなたの素性からご説明しましょうか」
アックスツヴァイは何かを考える素振りをして、話し始める。新堂はそれを聞こうと、耳をすませる。
「まず、あなたの名前だけど。新堂という名前で合っている。間違いなくそれがあなたの本名。フルネームは、わからないけれどね」
「やはりそうなのか」
「そもそも、あなたの素性について施設ではそれほど深く突っ込んで調べようなんてことはしていない。あなたは施設の周辺にいただけの、ただの通りすがりの人だった。それを施設が拉致して、実験材料とした、というだけの話。なんてことないでしょう」
「ああ、それで」
新堂は冷静に自分の過去と思われる話を聞いている。とくに腹を立てたりもしなかった。
これが真実かどうかも、検証するのは後だと思っている。とにかく、今は聞かなければならない。聴け、そしてあとで考えろ。新堂は自分を律していた。
アックスツヴァイも話を続けた。
「拉致されたとき、あなたは二十代半ばごろの健康な男だった。理想的とはいえないけれども、フレイシリーズの一体として改造被験体とされて、やがて改造が行われる。ところが困ったことに、新堂。あなたが捕らえられたときに、あなたは一人ではなかった」
「それはどういう意味だ。誰かが他にいたということか」
新堂が片目を開いた。
「そのとおり」
アックスツヴァイが応える。
「あなたはね、家族連れだった。奥さんと、娘さん。それに加えて姉夫婦も一緒だった、と記録されているね。つまり五人。五人とも施設によって拉致されているけれど」
「それは確かなのか」
「さあね、どうかしら。私はただ、資料に書いてあったことを口にしているだけ。内容が真実かどうかまでは保証しない。さっきも言ったけどね」
変わらないアックスツヴァイの返答に、新堂は舌打ちをした。
「俺と一緒だったのが、妻子と姉夫婦だったということは間違いないのか。そうした部分を施設側は確認していたのだろうか」
「そんなの、私がわかるわけないと思わない? 拉致したあとに新堂たち自身がそういう風に話をしたのかもしれないし、ただ新堂たちがしていた会話から、施設が勝手に判断したのかもしれない」
「では、俺以外の家族はどうなったんだ?」
「処分されたんじゃないかしら、改造に適さないと判断されたのならね」
アックスツヴァイは、ただ資料を読んだだけである。細かいところは推測でしかなかった。
新堂が何か引っかかるものを感じて口元に手をやろうとした瞬間、、それまで黙っていたフレイアックスが口を開く。
「そんなことはない、それが本当だとしたら五人とも生きている」
不意の発言であった。新堂は思わずフレイアックスを凝視した。彼はそれまでと変わらず、顔を隠したままうつむいている。いささかもこちらに興味がないように見えているが、実は話をしっかりと聞いていたらしい。
「根拠があるのか」
「話を聞いたことがある。拉致してきた人間は『全て』改造して戦士にしたと、な。新堂らの家族が拉致されたのだとしたら、そのときに抵抗をして殺されたというのでなければ全員が生きているはずだ。少なくとも、改造を受けるまでは」
「へえ、そんな話があったとはね」
アックスツヴァイがゆっくりと胸の下で腕を組む。
「材料となった人間の素性が書いてあったのは、fs-01とfs-03だけ。新堂、ラッキーだったねえ。あとの三人、つまりここにいるフレイサイズ、フレイソード、フレイアックスは誰なのかわからない」
「嬉しくはない。それより今の話はおかしくはないか。数が合わない」
「数?」
言われて、アックスツヴァイは考えをめぐらせる。
これまでに存在がわかっている改造戦士はfs-00フレイソウルを含めて、fs-05までの六人とフレイ・リベンジが四人、合わせて十人いるが、拉致されたのは五人しかいないというのだろうか。
「おかしくはないね、拉致されたのは新堂たちだけじゃないんでしょう。数が減っているならともかく、増えているならそれだけ拉致事件が増えるだけの話さ」
「そういう考えもあるか」
新堂は少し考えてから、さらに質問をした。
「fs-03の素性もわかっているのか」
「フレイスピアについてはちゃんと改造前の情報が残っていたねえ。多分、研究者の好みの女だったんじゃないかな。必要のない情報まで色々と掲載していてくれた」
「つまり、誰なんだ。わかっているのだろう」
「亡くなった人のことをアレコレいうのは好きじゃないけどね。新堂、フレイスピアはあなたの姉だった人だよ」
「姉! 俺のか」
目を見開き、新堂は問い返す。
しかし、アックスツヴァイは頷くだけだった。
「フレイスピアが俺の、姉か。そうか、もう少し早くそれを知っていればな」
肉親の存在が判明したというのに、彼女はすでにこの世の人ではなかった。もはや取り返しようもない。新堂は両目を伏せて、顔を手で覆う。
「新堂、妻子や彼女の夫はまだ生きてる。そこの三人のうち、誰かかもしれない。まぁ私や、スピアエルダーかもしれないけどねえ」
アックスツヴァイの言葉を受けながら、新堂はできるだけ考えまいとした。今何かを考えても、事態は好転しない。後悔も無駄だ。何よりこれが事実かどうかもまだわからない。ただ、資料に載っていたというだけの情報だ。信憑性の高い情報ではあるが、鵜呑みにしたくはなかった。
「アックスツヴァイ、もう一つ訊きたい」
「何かな」
落ち着くために新堂は深く息を吐いた。それからこう言った。
「お前は、敵なんだな?」
「敵だよ。フレイ・リベンジだもの。こうしてあんたに提供した情報の全ても、戦略のために流した嘘かもしれない。あんたを無駄に混乱させて、心をかき乱そうとしているのかもしれないね」
「俺たちを捕らえようとしないのは何故だ」
「こんなところで争えないから。それはお互い様だと思うでしょうに。あなたたちが道端にいれば捕らえようとするけれども」
「アックスツヴァイ」
「何?」
名前を呼ばれたアックスツヴァイは、にっこりと笑った。人懐っこい笑みだった。
「新堂、私がそんなに憎い? フレイスピアを死なせたフレイ・リベンジだからかな」
新堂は何も言い返せなくなった。というより、何を言うべきなのかわからなかった。
ついに考えが、自分の身のことに及んだ。考えまいとするほどに、考えてしまっている。
自分は何をするべきなのか。施設を壊滅に追い込むために、この身は動いているのだろうか。それとも今さら取り返しのつかない、自分の過去を探るためだろうか。
彼の内から、気力が失われつつあった。せねばならないという義務感が、冷めていく。やらねばならぬという使命感が、勢いを失っていく。
本当に彼の妻子が生きていたとしても、既に彼の内に妻子の記憶はない。フレイスピアを見ても姉とは感じなかったように、ただ冷たくすれ違うだけだろう。また、妻や娘のほうでも新堂を認識出来ないであろう。サイズウルフが娘であったとしても、何も不思議ではない。
全ては既に、失われていたのだ。どのようにしても、もはや取り返すことは出来ない。
ならば今さら何のために戦うというのだろうか。何を施設から取り返すというのだろうか。
わずかなプライドのために戦って、意地をはってみても何も変わらない。施設から逃げ延びて、生きるためだけに戦うというのはあまりにも空しい。
新堂は両目を開いて、もう一度アックスツヴァイの名を呼んだ。
「アックスツヴァイ、なぜお前は自分の過去を求めないのだ」
「私は未来に生きる女だからよ。どうせ知れた過去だし、そんなことの探求に時間を使うのはもったいないじゃない。なら、今与えられた身分と時間を有効に使う。そして楽しむ」
彼女はそう言い放って、両手を優雅に開いた。
「それだけよ」
「そうか」
新堂は腕を組んだ。それからすぐに腕を解き、自分の額に手をやる。
俺は一体、何をすればいい。そう問いを投げることの出来る相手は、ここにいなかった。
「新堂、自分の置かれた状況に今さらのように絶望したの。しょげかえっちゃって、つまらない。なんだったら駅に着くまでの間、楽しませてあげてもいいけれど」
不意にアックスツヴァイがそう言い放ち、新堂に手を伸ばした。
殺意はない。敵意もない。フレイアックスはちらりと目をやって、無視を決め込んだ。フレイソードは遠慮したのか姿を消していた。
しかしアックスツヴァイの伸ばした手が新堂に触れるかどうかというところで、何かが動いた。びくりとアックスツヴァイの動きが止まる。
「ちょ、っと」
目だけでそれを見る。
目を覚ましたフレイサイズが、殺意を燃やした手をアックスツヴァイに向けていた。恐らく新堂の頬に手が触れた瞬間、本気で襲い掛かってくるだろう。
アックスツヴァイは、動けなくなっている。彼女はひとまず、助けを求めた。
「新堂、彼女をおさえて。私別にあなたを叩いたりする気なんかまるっきりないっていうのに」
「まず手を引くんだ」
言われたとおりにすると、新堂は軽くフレイサイズをなだめてくれる。それでようやく手を引いてくれたものの、fs-02フレイサイズは未だ殺気立った目でこちらを見ていた。
「彼女は、嫉妬深いのねえ。新堂、あなたももう他の女の子に迂闊に近寄れないんじゃない」
冗談めかしてそう言ったが、新堂は何もこたえない。
「フレイサイズの目が覚めちゃったんじゃ、ここにいられないねえ。新堂、そろそろ私は失礼するよ。次に会うときこそは、戦うことになるかもしれないね」
ため息をついて、アックスツヴァイは立ち上がる。
フレイアックスはそれを横目に見て、何も言わなかった。立ち上がった女は軽く新堂に向かって手を振り、さっさとその場から去っていく。
新堂はその背中をすっかり見送ってしまった後、口を開いた。
「フレイアックス、何か言いたそうだな」
それを受けて、フレイアックスは新堂に目を向ける。しかしすぐには口を開かない。しばらく新堂が待っていると、彼は小さな声で言った。
「過去を求めることは無駄ではないと思う。報われぬとしても、簡単に過去を捨てて生きていけるほど人間は強くない」
「確かにそうだな」
「あなたの記憶にないとしても、あなたはあなたの家族を救いたいと思ったはず。それを我慢しようとするのは、それこそどうなんです」
今度は新堂が黙ることになった。
フレイアックスの言いたいことは、わかる。確かに新堂の中に、妻子の記憶もない。姉のこともわからない。しかしそれでも、フレイスピアを姉と呼べなかったことを悔いる気持ちと、誰かもわからない家族を救いたいという気持ちは湧いている。
結果が冷たいことになろうとも、仕方がない。
何もせずにただその冷たい結果だけを味わうハメになるのは、嫌だと思った。
舌打ちを一つしてから、新堂は言った。
「我慢するわけがない。俺は、したいことをする」