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第一話 脱出・後編

 ただ耐えていた。押しつぶされようとする自分の身体を、精一杯に支える。新堂はここで死ぬわけにはいかないと思った。


「どうした」


 自分の両腕を押さえ込んでいるフレイソウルが余裕綽々でそう言い放つのを聞く。

 やかましいと言いたいが、言う暇がない。新堂は腕に力をこめる。血が流れ落ちた。フレイソウルの爪が、彼の手に食い込んでいる。足元に落ちた短剣に目をやる、抜いた後は特に力を持たない短剣、無論重力に引かれるままにただ川原に転がっている。

 新堂は歯を食いしばった。まだ死ねぬ。自分はまだ、生きなければならないのだ。彼が感じているのは生きる権利ではなく、生き残る義務だった。もっと力をよこせ、彼はそう思いながら左腕を睨みつける。


 どうした、生体強化ユニットは。お前の力はそんなものか。


 心臓の鼓動に合わせて踊る血流に乗って、体中に送り込まれる強化ユニット。新堂の身体はフレイダガーと呼ばれるにふさわしいだけの強化をされる。だが、フレイソウルの前には無力。ならば、自分は今までなんのために研究施設にいたのか。何のためにあれほどの時間をかけて、人を人とも思わぬ奴らに従って、調整を受けてきたというのだ。このようなところで、朽ちるためではない。

 鋭い痛みが両手に走り抜ける。電撃を連続して受け続けているような感覚。指が千切れそうだ。

 だが新堂は両手を離さない。力を込め続けた。疲労などとは無縁のように、彼は両腕を支え、握り締め続ける。


 信じがたいことに、その力は僅かずつだが強くなった。気付いたフレイソウルが僅かに焦る。今まで手を抜いていたのか、いやそうとも思えない。一体何が起こっているのか、彼にはわからなかった。

 新堂の握力が、フレイソウルのそれに並び、やがて上回る。


「何!」


 フレイソウルが呻いた。あっけない逆転劇だ。一気に彼を押し戻す、新堂は大地を踏み、腕を広げる。それに合わせてフレイソウルの肩も開く。力比べは、新堂の勝ちだ。


「何でこうなる」


 敵の呟きに、新堂は笑った。信じた結果だ。そう思った

 自分は、決して諦めない。諦めなかった結果、生体強化ユニットが、自分を強化してくれた。真実は、彼の体が真に強化されるまでに時間がかかった、ということかもしれない。生体強化が身体に馴染み、本当の実力を発揮できるようになった、というだけのことかもしれなかった。


 だが、今の新堂には結果が全てだ。

 自分が生きているという結果が、全てだ。負けぬ。


「俺が生きているからだ、俺がお前より強いからだ」


 力任せに新堂は腕をねじりあげる。フレイソウルの身体がリフトアップされていく。敵が呻くが、耳を貸さない。フレイソウルは、足を地面から離している。完全に、新堂によってその身体を掌握されている。

 敵は苦し紛れに膝を振り上げ、新堂の顎をとらえた。大して威力がない。そのはずだが、新堂は手を放した。すぐにフレイソウルは距離をとろうとする。パワーで敵わないのだから、接近戦は不利と思ったのかもしれない。


「俺から精神エネルギーを吸うつもりか?」


 足元に落ちていた短刀を拾い上げ、それを構える。新堂は冷静さを保とうとしていた。


「そのようなことは必要ない」フレイソウルは息を吐いた。「俺はお前よりも強い」


 互いに息を切らし、川原に立って見合う。フレイソウルはまだ何とかなると思っていた。

 先に仕掛けたのは新堂だ。彼は生体強化ユニットの恩恵を受けて戦っている。その恩恵がいつまで続くかわからないのだ。先に仕留めたかった。

 踏み込み、短刀を振るった。フレイソウルの腕や足を狙った攻撃である。対するフレイソウルは、焦っていない。冷静に背後に下がって、新堂の短刀を避けた。だが、避けたはずの腕に鋭い痛み。


「はっ」


 フレイソウルは自分の右手を見た、肘から先がなくなっている。切断された右手首が、重力に引かれて地面に落ちた。

 新堂は元の位置に戻っている。余計な部分は身体の前に出さず、短剣だけを身体の前に突き出した攻撃特化のスタイルだ。剣道などとは程遠い、相手を殺すことだけに重きを置いた構え。剣士などとは呼べない。卑怯なことをも辞さない非道者、暗殺者、戦士の目だ。


 切り離された右手には構わず、フレイソウルは後ろに下がった。右手を左手で庇い、下がる。本能的に怪我をした右手を、身体の左半分で覆ってしまう。

 そこへ容赦なく、新堂は突きかかった。突きかかっておいて、その実相手を突き刺すことはあまり意識していない。身体を戻すその一瞬で、引き戻す動きで刃をひねり、敵の身体をえぐるように切り裂こうというのだ。マフィアが使いそうな、小汚いナイフ術。だが、実用的だった。新堂の短剣がフレイソウルの身体を引き裂いていく。連続的に攻撃は仕掛けてこないが、一撃一撃が重い。確実にフレイソウルの身体から肉を削り取っていく。狙いすました攻撃だ。このようなものを、どうにかしてしのいでいかねばならないというのか!

 このままでは追い詰められてしまう、そう思った。危機だ。逆転される。

 フレイソウルは目の前に立つフレイダガーよりも強いはずだった。先ほど一人ぶん丸ごと精神エネルギーを補給している。十分すぎるほどに性能を発揮できる。ならば、なぜ勝てない。

 こちらに向けて短剣を突き出すような構えをとっている新堂が、殺気を放つ。真剣勝負の最中、何者も入る余地のない剣呑な表情だ。強い、勝負師の目だ。だが、これに勝たなければならない。


 理屈はいらない。勝てばいい。

 勝利という結果が、全てだ。理屈はあとから勝手に批評家どもが付け加える。

 そう思ってきた。フレイソウルは、少なくとも今までそういう考えをもってきた。だが勝てないのだ。目の前にいる男に。フレイダガーに、新堂にだ。

 そう思ったとき、フレイソウルは思考を切り替えた。逃走すればいい。どうせ彼は逃げられないのだ。本部に彼の位置は伝えてある。逃げ出せば、それでいい。自分が生きている限り、勝負は続行される。つまり勝てないが、負けもしない。

 負けだけは避けなければならない。目の前にいる男は、廃棄されるべきフレイシリーズなのだ。それに負けるようなことがあっては、自分はどうなる。

 フレイソウルの危機感がそれほどに強まっている。逃げ場がない気もしたが、とにかく今ここで彼に倒されることだけは避けなければならない。逃走だ。とにかく逃げ出さなくては今死んでしまう。そろりと一歩引き、新堂の動きを見つめる。


 奴は、動かない。

 それを見てから素早く反転、フレイソウルは駆け出した。


「逃がさん」


 だが、逃走を図ろうとしたフレイソウルの退路は、新堂によってふさがれる。先回りされている。フレイソウルは、全力疾走したはずだ。にもかかわらず、その退路をふさぐ、圧倒的な速度。それ以上に、新堂の瞳に宿る怒りに、フレイソウルは恐怖する。

 フレイソウルは、なぜ彼がそこまで怒っているのかわからない。

 わからなくてもいい。結果が全てだからだ。

 新堂はそう言いたげに、足を一歩進めた。


「お前だけは、絶対に許さん。決してここから逃がさん、今ここで死ね」

「何故だ」


 フレイソウルは片腕だけで、それでも抵抗すべく構えをとった。膝がふるえようとするのをおさえながら。彼の中の恐怖は増大していた。身の中から、彼はすでに食われている。自分で生み出した恐怖という感情によって、縛り付けられ、怯えさせられていた。


「何故か、だって? お前は今まで殺してきた相手に、いちいちその理由を説明してきたのか」


 新堂は足を踏み鳴らした。怒っている。異常だ。フレイソウルからしてみれば、初対面である新堂からそれほどの怒りを向けられる理由に思い当たらない。理不尽とさえ思える。その理不尽を説明するものもここにはいない。


「だからお前も、何もわからないまま、懺悔の暇もなく死ね!」


 ただ強要される。受け入れることもできない。だが、受け入れるかどうかも、彼にとっては問題ではない。納得などしなくてよかった。ただ、死ぬだけだ。

 つまり、結果が全てだった。フレイソウルの、彼の心のうちなど全く問題ではない。

 新堂の持っていた短剣が突き出され、それがフレイソウルの心臓を貫く。それまで以上の速度で突き出された短剣が、実にあっけなくフレイソウルの身体を破壊した。彼は激しく喘いで、倒れる。


「何故おれを」


 声にならない声を残し、フレイソウルは川原の石を掴みこんだ。それが最後の動きとなる。彼は息絶えて、新堂に敗れた。

 彼の最後の問いに、もちろん、新堂は答えない。彼に理不尽を与えたことに、満足する。

 そう、かつてお前がそうやってきたように。

 俺はお前の問いには答えない。

 新堂は、少し笑った。


 川で洗ってから、新堂は短剣を納めた。フレイソウルの身体は、そのまま放置される。処分している暇などない。ここにはすぐに、捜索隊がやってくるだろう。それらから逃げる手立てを考える必要があった。

 まだ夜明けを迎えたばかりの空は、赤さを残している。

 新堂は死体の横を通り、川へ入った。車へと戻るつもりだった。斜面があるとはいえ、百メートルほどの距離だ。まだ彼は興奮状態にある。眠くはなかった。


 山を登り、超え、下りて、車へ戻る。まだ生体強化ユニットの効果は多少残っていたらしい。それほどの時間はかからなかった。

 新堂の乗ってきた車の周囲は、まだ濡れていた。箱から溢れた液体が、まだかわいていないのだろう。フレイソウルと白衣の男が乗ってきた車もまだそこに放置されている。新堂は自分が乗ってきたものは無視し、フレイソウルたちの車に飛びついた。ドアロックはかかっていなかった。かかっていたとしても、今の新堂にはドアロックを無視して強引にドアをこじ開けることができただろう。彼は何か情報がないかと探す。ダッシュボードの中身は特にこれといったものがない。しかし後部座席に放置されている鞄があった。

 どうやらこれはフレイソウルではなく、白衣の男の持ち物だったらしい。カギがかかっているが、引きちぎって開く。

 中には書類が入っている。厳重にファイルされたものがある。新堂はそれを引っ張り出した。


『フレイシリーズの経過報告』


 一番上のコピー紙にそう書いてある。新堂はそれをめくった。最初に書いてあったのは、フレイシリーズの目的などだった。フレイシリーズはfs-xxのナンバーを与えられた特殊人間のことだとか、各種、独自の視点から戦闘能力、身体能力の向上を図るだとか、総括的な説明だ。新堂はそのページを読み飛ばした。すでに知っていることだったからだ。今欲しい情報はfs-03、04、05の情報だ。

 その次は、各種シリーズの個別説明だ。fs-00フレイソウルについても少し触れられているが、本題はその後のfs-01から続く五体の特殊人間である。

 自分のことが書いてあるfs-01については、ひとまず飛ばした。fs-02フレイサイズも逃げ出してしまったので説明などいらない。意思の疎通ができるかどうかも怪しい状況だ。

 次に彼はfs-03について目を通した。その身体能力について説明されている。


『fs-03フレイスピア』


 フレイスピアという名前が与えられている。どうやらフレイシリーズはその全てが名前に『フレイ』とつけられるようだ。


『他者を気遣う、献身的性格により他者のサポートをすることを喜びと感じる。索敵能力を重視した改造を行う。戦闘能力は重視しない。多くの戦闘員が男性であることに配慮し、容姿端麗な女性の容貌を備える』


 最後の一文はどうでもよかったが、索敵能力にすぐれている戦士のようだ。どちらにしても、この情報は役に立つ。ただ、問題がある。フレイシリーズは、その全てが廃棄されることになっている。ということは、このフレイスピアという戦士にしても何かしらの欠陥を抱えているということだ。自分と同じように。

 新堂はページをめくる。写真が載っていた。どこか虚ろな目をした、髪の長い女性だった。確かに容姿端麗といえる。綺麗なお姉さん、といった外見であり、フレイサイズのようにおかしなところはない。人間といわれればそれで通用するだろう。手に身長ほどの長さの槍を持っている。フレイ『スピア』というだけはある。新堂はそう思った。

 しかし、写真の下に書かれた文字を見て、彼の表情はやや曇った。


『改造後、目の痛みを訴える。調査したところ、視神経に異常発見。網膜にある錐体細胞が弱体化しており、そのほとんどが機能停止。失明状態と判断』


 フレイスピアは、目が見えないのだ。これでは役に立たない。索敵能力がどれほど強くとも、目によって敵をとらえられないのでは意味がなかった。


『原因は不明、中脳への外科手術の際のミスとも考えられるが、同じ手術を行う対象がおらず、再現性の有無も不明。治療を試みるも、回復せず。視力は低下、矯正器具を受け付けず。索敵能力についてはほぼ予定通りの成果をあげるも、視力の回復の見込みはなし』


 新堂は唸る。確かに、これでは廃棄処分にされても仕方がない。しかし……、と思いなおす。そこが逆にねらい目なのだ。役にたたないと思われているからこそ、警備は手薄かもしれない。そう思った。

 彼は、フレイスピアを味方につけることができればいいと思い、それを現実のものとするために計画を立て始める。

 フレイスピアに関するレポートは、次の一文で終っていた。


『以上の理由により、fs-02とともに仮保管中』


 fs-02はフレイサイズだ。それとともに保管してあるということは。

 新堂は口元に手をやり、考えた。

 ひょっとすると、まだあの研究施設に保管されているのではないか。そう思えたからだ。

 研究施設は遠い。車を使っても数時間かかる。おまけにここには今現在、追っ手が集結しつつあった。素早く行動を起こさなければ、完全に包囲されてしまう。そうなってからではどうすることもできない。

 ひとまず新堂は、フレイソウルが乗っていた車の運転席に腰を落ち着ける。ドアを閉め、先ほどのファイルを膝元に置く。フレイソウルは廃棄が決定したと言っていた。実際、廃棄こそされていなかったものの、フレイサイズは廃棄容器に液詰めにされていたのだ。フレイスピアもそのような状態になっていないとはいえない。あのような状況下で息を吹き返したフレイサイズは超人的な体力を持っていると判断せざるを得ないが、フレイスピアも同じような改造を受けたから液詰めにされていても生き返るだろう、などという楽観視をするわけにはいかない。一刻も早く、研究施設に戻って救出しなければならない。

 しかし、研究施設はいなくなった新堂やフレイサイズを探すことに必死になっているだろうし、だからこそフレイソウルが刺客として送られてきたのだ。のこのこと何の準備もなしに戻っていって、新堂が撃ち殺されることにもなれば、何もかもが無に帰す。

 新堂は考えながら、ファイルのページをめくった。


『fs-04フレイソード』


 短剣、大鎌、槍ときて次は剣か。

 新堂は鼻で笑った。次は鞭か、大砲かと思った。パラパラとページをめくると、fs-05についても情報が載っている。


『fs-05フレイアックス』


 予想に反して、斧だった。

 この二人について読みすすめてみるが、どうやらこの二人は別の場所に移送されて、そこに保管されているらしい。その場所はここからはかなり遠くなる。いずれこの二人とも接触をする必要があるとは思ったが、一先ずは一番近いところにいるフレイスピアを助けに行くのが最善策のような気がした。

 新堂はつけたままだったエンジンキーをひねり、フレイソウルの車を動かした。燃料もたっぷり残っている。

 一体どうやって研究室の中に入ればいいのか、新堂は考えている。考えながらも、とにかく施設にもどらなければならない。こうしている間にも、液詰めにされたフレイスピアが処理場に向けて発送されようとしているのかもしれないのだ。


「くそ」


 毒づきながら、アクセルを踏む。エンジンが唸り、新堂の体を運んだ。

 歩兵が一つだけで王将を討つことはできないかもしれない。銀将が一つだけで敵陣に攻め込むことはできないかもしれない。だが、歩兵や銀将の周囲に大駒が四つもあれば、わからないではないか。

 敵が今、飛車や角行にあたるものを捨てようとしている。それを拾いにいくのだ。そうしなければ、俺はどうあっても敗北することになる。

 新堂は左腕を見た。左目を閉じ、右目だけで前を睨む。イライラとしたときに片目を閉じるのは、彼の癖といえた。ステアリングを強く握り締める。

 もはや夜は完全に明けている。太陽光が新堂の目を刺した。

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