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第十話 フレイアックス・中編

 サイズウルフは寝ていた。後部座席に横になり、完全に寝入っている。何も心配していない顔だった。

 彼女の乗っている車は、研究員が運転をしている。助手席には重要書類や幾つかの薬品が入った救急箱が置いてあった。

 やがて暗闇を切り裂き、光が差し込んでくる。夜が死に、朝がやってきたのだ。サイズウルフは窓から容赦なく切り込んできた陽光で目が覚めた。

 眩しさに目を細め、唸りながらも身を起こす。いつも着ている作業服も、その上から羽織っていた白衣もすでにくしゃくしゃになっている。車は未だ走り続けているようだった。


「目が覚めましたか、fr-01」


 運転席に座っている研究員が声をかけてくる。何人かで交代しながら運転しているためか、それほど疲労の色はなかった。


「目は覚めた。まだ着かないのか」


 サイズウルフは後頭部を掻き毟ってそう言った。

 目の痛みはひいていた。両目を開いて、自分の手を見る。朝日に照らされた、灰色の毛皮に覆われた自分の両手である。


「もう少しの辛抱です。しばらく我慢してください」

「ああ」


 視力が戻っていることに安心し、少しだけ外をうかがってみる。どうも山林の中を走っているようである。ほぼ無人地帯だと思われたが、それでもサイズウルフは長く外を見てはいなかった。再び後部座席に転がり、横たわる。することがないで、寝るしかなかった。


「音楽でもかけましょうか。ラジオでも」


 研究員が気をきかせたが、サイズウルフは欠伸しながら応じる。


「そんなことより腹が減った」

「勘弁してください」


 彼女の食欲を知っている研究員は苦笑するしかなかった。自分の財布に入っている金額分くらいは、おそらく一食でなくなってしまうだろう。


「何かないのか、飴でもいい」

「眠気覚ましのガムくらいしかありませんよ」


 研究員の回答に、サイズウルフは唸った。不満そうにしている。


「音楽はいかがです」


 とにかく食べ物から考えを引き離そうとして、研究員は再度提案をした。しかしサイズウルフの返答は同じだった。


「いらない、最近の音楽は音圧がやたらに高くて耳が痛くなる」

「そうですか」


 研究員は残念そうに言い、カセットテープを仕舞いこむ。それを見て、ふと顔を上げる。


「まだカセットとは。どういう音楽が入ってたんだ?」

「これですか。アメリカン・パトロールですね」

「ああ、あれか。それなら問題なかったのに。かけてくれ」

「わかりました」


 ステレオにカセットを差し込む。ほどなくして、軽快なピアノの音色が車内に響いた。サイズウルフは目を閉じて聞き入る。


「これが、お好きでしたか」

「ああ」


 再び寝転がりながら、研究員の問いに頷く。


「好きなんだ、ピアノの音色が」

「ピアノが? サイズウルフ」

「ああ、綺麗で、繊細な音色だ。足踏みオルガンの音も悪くないけど、やっぱりこの音の方がいいな」


 サイズウルフの耳がぴくぴくと動いていた。ちらりと後ろをうかがった研究員の目にはゆっくりとだが尻尾を振っているサイズウルフがかわいらしく見えていた。が、それを口にするのはやめておく。


「弾けるのですか」


 かわりにそう訊ねた。サイズウルフは閉じていた目を開いた。


「弾けるさ。電子ピアノで練習していたような気がする。この『アメリカン・パトロール』も、『エリーゼのために』も、何回弾いたかわからない」


 どこで練習をしたのか、誰に教わったのか。そうした記憶はサイズウルフにはない。しかし、自分がピアノを弾けるということはわかっていた。そうしたことを不思議とは思わない。都合の悪い記憶なので、施設が抹消したのだろう。

 しかしそんなことはどうでもいい。過去に自分が何をしていたかなどということよりも、今自分が何を出来るかということが重要だ。そして今、自分が何をしたいかということが。


「“猫踏んじゃった”はどうですか」

「そんなの、目をつぶってたって弾ける。馬鹿にしてるのか?」

「いえ、ちょっと意外でしたから」


 再び、サイズウルフは目を閉じる。アメリカン・パトロールの音色に集中したかった。



 新堂たちは宿泊施設を後にした。まだ朝早いが、人気の少ないうちに移動してしまいたかったからである。

 フレイソードの傷は心配するほど深いものではなかった。肩に包帯を巻いているが、明日には完全に回復しているだろう。


「さて、どうする?」


 新堂は少し歩いたところでフレイソードに訊ねた。フレイサイズは喋れないし、フレイアックスは寡黙だ。フレイスピアがいなくなった今、相談相手に最も適しているのはフレイソードだと思われたからである。


「そうですね、まずは施設の様子を見にいきましょう。彼らが既に撤退をしたのかどうか見る必要があります。それに、警察の動きを把握するという意味でも」


 フレイソードはそう応じたものの、その声は沈んだものであった。フレイスピアの死をまだ割り切れないのだろう。


「わかった。俺もそう思っていたところだ。まずは施設の様子を見にいこう」


 そう応えて頷く。

 しかし、フレイサイズが歩き出そうとする新堂の服を引っ張った。

 何事か、と新堂が振り返る。


「どうしたんです、新堂。トイレですか」


 フレイソードがそんな言葉を投げてくるが、そうではなさそうだった。


「何か言いたいことがあるのか、フレイサイズ」


 訊ねるとフレイサイズは唐突に、右手を突き出した。その人差し指が伸びている。

 どこかを指差しているものと思われた。


「なんだ、一体何を指差しているんだ」


 フレイサイズが指差しているのは、方角でいうならば西である。大きな山が見えている。


「ひょっとして、そこに敵がいるのではないですか」

「そんな都合のいいことがあるのか?」


 フレイソードの言葉に、思わずそう言ってしまう。ここで敵の居場所がわかるなど、都合のいいことが起こるはずがない。ましてや、索敵能力に優れたフレイスピアならともかく、フレイサイズに。


「しかしありえないことではありません。フレイスピアは、『自分の行動の意味はフレイサイズが知る』と言っていました。ひょっとすると、彼女にはそれがわかるのかもしれません」フレイソードは少し考えてから言葉を付け加えた。「スピアエルダーに叩き付けたカラーボールのにおいを嗅ぎ取ったりするなりして」

「なるほど、フレイスピアを信用するならそれだな。しかし、これを全面的に信用するのもどうか。どちらにしてもあそこにあった施設の状況は見てこなければならないだろう」


 新堂はしきりに西を指差すフレイサイズの頭を撫でてやりながらそう言った。


「ええ、それは確かに。ではどうします、新堂。別行動にしますか?」

「そうした場合、何分で見て来れる?」

「施設をですか。何事もなければ二十分くらいで終るはずです」


 新堂は少し考えた。恐らく、敵は撤退しているだろう。それを確認するだけならば危険はない。しかし、昨夜のこともある。安全を重視するならば自分やフレイサイズが出向いた方がよいと思われた。


「なら、俺とフレイサイズが見てこよう。フレイソードとフレイアックスは買出しを頼む」

「わかりました。新堂、フレイスピアのもっていたお金も残り少ないですから、節制を推奨します」

「好きにするといい」


 新堂とフレイサイズは、施設に向けて移動を始める。

 しかし結果から言えば、この行動は何の役にも立たなかった。新堂たちが施設に到着したとき、すでに大多数の警察官が中まで入り込んだ捜査を行っており、中に入ることなどとてもではないが、できなかったからである。


「機会を逃したな」


 舌打ちをして、新堂は顔をしかめた。警察よりも早く施設の中に入れていたなら、自分たちの過去に関する記録が発見できたかもしれないのだ。


「仕方がない、お前の指差す方向に行ってみよう」


 フレイサイズにそう言って、新堂は施設から離れる。猫は黙って新堂に従っている。


「西を指差していたな、フレイサイズ。フレイソードの言うことを信用するなら、そっちの方向にスピアエルダーがいるということになるが、間違いないのか」


 振り返ってそう問うてみる。フレイサイズはしっかりと頷いた。


「しかしそうは言っても、スピアエルダーだって自分にカラーボールが叩きつけられたってことくらい理解しているだろう。何か対策はとってきているはずなんだが。そうした対策をすりぬけて、真にお前がスピアエルダーの居場所を把握できるというのなら、この上ないアドバンテージになる。が、敵の対策にがっちり防御されるような場合、これはディスアドバンテージ、どころじゃない。最悪、待ち伏せされていて全てが水の泡になるぞ」


 新堂は熱心にそう言ってみたのだが、話が長くて理解できなかったのか、フレイサイズは首を傾げてしまった。それがどうも責任回避をしているように見えたので、新堂はため息をつかざるを得なかった。


「これは、賭けだな」


 新堂は右目を閉じて、口元に手をやった。



 警察も全力でニューフレイ製薬の管理者たちを追っていた。幹部数名は行方がわからなくなっていることから全国に指名手配され、全国の支社や営業所についても家宅捜索を行うように令状を求めている。

 殺された警察官は十余名に及んだ。踏み込んだ支部の建物内部から簡単にその遺体は発見されている。

 しかし、建物の内部に踏み込んだ警察でさえも、フレイシリーズやフレイ・リベンジのことについてはわからなかった。重要書類の大半は持ち出されていた上、資料室や倉庫はその大半がすでに焼却されていたからである。警察が踏み込んだとき、それらはまだ燃えていた。よって、彼らは踏み込んで早々消火作業にあたらざるを得なくなり、証拠物件の殆んどが使い物にならなくなってしまう。

 新堂が警察に提供したフレイシリーズのレポートだけが、知りえる情報の全てであることは変わらない。

 ニューフレイ製薬が危険な団体であるということだけが、彼らの知りえる情報だった。彼らがどこへ行ってしまったのか、警察はわかっていない。未だ、彼らは野放しの状態にあった。警察官を平気で射殺するような会社があったという、驚愕すべき事態にもかかわらず、国家権力は彼らを捕縛できていない。その足取りもつかめていないのであった。


「だ、そうですよ新堂」


 ラジオのニュースを聴いていたフレイソードは、その内容を伝えた。

 向かいの席に座っている新堂は右目を閉じたまま頷く。彼らは快速急行列車に乗っていた。フレイサイズがとらえているスピアエルダーの現在位置はかなり遠いらしい。欲を言えば車で移動したいところではあったが、そのような余裕は到底なかった。そこで仕方なく、公共機関を利用しての移動となったわけである。

 新堂は通路側の座席に座り、その隣の窓側席にはフレイサイズが寝ている。昨夜の大立ち回りで疲れてしまったのか、睡眠時間が足りていないのか。フレイサイズは完全に寝入っていた。呼吸に合わせて肩や胸が上下している。新堂は自分のコートを脱いで彼女にかけてやった。ついでに顔をかくすためのフードも直しておく。


「新堂、その作業服もそろそろ換えないとまずいですね。確かそれは企業名が刺繍されていたでしょう」

「ニューフレイ製薬の刺繍ならもう剥ぎ取った。とはいえ、同じデザインの作業服だからな。確かに換えた方がいいかもしれない」


 新堂はフレイアックスにちらりと目を向けた。自分の作業服などより、彼のほうがよほど目立つのではないかという疑問が芽生えたからであるが、さすがにそれを口にするのはやめておく。


「で、新堂。次の駅がここですね」


 フレイソードは新堂の視線など無視して地図を取り出す。

 すでに撤退された支部の位置と、通過した駅にマークがしてあった。


「次はどこで下車しますか」

「こいつが寝入ってる。起きたらその次の駅で降りてみよう」


 新堂たちは主要駅に着くたびにホームに下りて、フレイサイズに指差しを行わせていた。だが、フレイサイズは常に西を指差し続けている。つまり、もうすでにかなりの距離を移動したにもかかわらず、まだスピアエルダーは西にいるのである。


「しかしこれ以上西に進むと、もはや山奥ですよ。山を越えてしまえばまた都市部ですがね」

「とにかく、今俺たちがかけられるものはこいつの指差しだけなんだ。それが西だというんだから、西に行ってみるしかあるまい」

「西遊記ならそれでいいかもしれませんがね。何か性質の悪い詐術で、私たちまるごと騙されてるような気がしてきたんですよ」


 フレイソードは地図に新たなマークをつけながらそう言った。


「だが他にアテがない以上、これを頼るより仕方あるまい。お前も少し休んでいいぞ、フレイソード。疲れているんだろう」

「それはお互い様です、新堂。あなたも昨日はあまり寝ていないはずです。少しでもお休みになってはどうでしょう」


 相手を気遣う口調でフレイソードは言うのだが、新堂はそこにわずかな異物を感じた。とりたてて今、それについて言及するつもりはなかったが、おおよそその異物の正体はわかっている。

 フレイソードは、フレイスピアの死について許せていないのだ。彼女の死を確認してからまだ半日も経っていないことを考えると、それは当然のことであった。だが、自責の念に苦しんでいるだけではなさそうだ。

 はっきり言ってしまえば、彼はフレイスピアを好いていた。唯一、自分を理解してくれそうな女性だったからだ。そのフレイスピアは結局最後まで新堂を裏切らなかった。最後に会いたいと願ったのも新堂だった。それほどの信頼をフレイスピアから受けていながら、彼女の元へたどり着かなかった新堂を許せていない。

 これまでと同じ目で、見れていないのだ。

 新堂とて愚かではないから、そのフレイソードの心情をわずかなりとも理解していた。しかし彼にはどうすることもできない。相談できそうなのはフレイアックスだけだが、そのフレイアックスも今やフードを目深にかぶってうなだれている。眠っているのか考え事をしているのか、とにかく相談できそうな雰囲気ではない。


「眠れないのであれば、もう一つ訊いていいですか」


 フレイソードが訊ねてきた。新堂は頷く。


「小野津美子と名乗った女性についてです。あれはおそらくフレイ・リベンジかとは思いますが、私からフレイスピアを奪って逃げました。新堂はそのような名前に心当たりはありませんか」

「ない。しかしfr-04アックスツヴァイと名乗った女には出会った。それは言ったな。そいつがフレイスピアを持っていた。同一人物である可能性はある。白衣とジーンズを着て、きつい化粧をした女だった」


 小野津美子はアックスツヴァイが咄嗟に名乗った偽名であるから、新堂が知っているはずもなかった。しかし、フレイスピアをの身体を持っていたという事実から当然、新堂はアックスツヴァイと結びつけて考える。


「赤のアイラインをひいた女ですか? それなら私が出会った女と同じでしょうか」

「多分、そうだろう。しかし不思議な奴だった。フレイスピアとは友達だった、というようなことを言っていた」


 新堂はアックスツヴァイとの邂逅を思い出していた。

「では、二人はどこかで出会っていたのでしょうか。しかしそうであるならfr-04のことを我々に言わないはずがありません。そうすると、アックスツヴァイが一方的にフレイスピアのことを知っていたということになりますか」

「それはわからない。が、アックスツヴァイは立場的に俺たちと戦わざるを得ない、という感じだった。本心では衝突を望んでいないようだ」

「奇妙ですね、それは」


 首をかしげて、フレイソードは口元に手をやった。


「フレイ・リベンジであるのなら、そのようなことは考えないはずです。私としてはサイズウルフのように憎しみをむき出しにして襲い掛かってくるのが当然と考えていました。なぜ、彼女だけがこちらを気遣うような態度をとるのでしょうか」

「理由はいろいろと考えられる」


 新堂は両目を開いた。


「例えば死者を尊ぶ性格の持ち主であるとか、フレイスピアと本当に親しい仲だったとか、戦闘能力には特に秀でていないとか」

「なるほど。いずれの理由にしても、少し希望がもてますね」

「何の希望だ?」


 顔を上げて、新堂は訊ねた。フレイソードがそれに目を合わせて応える。


「彼女を味方につけられるかもしれない、という希望的観測です」

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