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第十話 フレイアックス・前編

 誰のものともわからない、自分を呼ぶ声に振り返った新堂はフレイスピアを発見した。先ほど別れてから一時間にもならないというのに、随分長い時間が経っていたようにも思える。

 誰かに抱きかかえられたフレイスピアは、ぐったりとしていて動かない。

 何があったのか、と思うよりも早く、新堂の心は衝撃と強烈な不安に押しつぶされる。


「フレイスピア」


 と短くその名を呼ぶ。誰がお前をそんな姿にした、なぜお前は一人で危険に挑んだ、など続けて言うべきことはあった。だが、そのようなことは新堂の口からは出てこなかった。彼は、急ぐだけだ。彼女の元へ、行かなければと思った。

 呼び声に反応してフレイスピアが小さく頷く。

 新堂は大急ぎに走って彼女の元へ行く。


「フレイ、スピア」


 間近にやってきて、もう一度、新堂はその名を呼んだ。しかし、今度は反応がない。彼女の白衣は血に染まり、夥しい量の出血が確認できた。

 生きてはいない。

 新堂は誰かに抱かれたままのフレイスピアの身体を揺すった。しかし、いくらその身体を揺さぶっても、フレイスピアは目覚めたりはしない。死んでいる。

 フレイスピアは、すでにそこにいない。そこにあったのは、フレイスピアだった遺体だ。

 彼女は、多分二度と新堂の前に現れないだろう。彼の名を呼ぶことは、ない。


「たったさっきまで、彼女はここにいたよ。ほとんど執念で、あんたに会いたい一心で生きていたんだ。それができて満足したのか、気が緩んだのかもしれないね」


 フレイスピアを抱いていた女が、そう言った。新堂は顔を上げてその女の顔を見る。見たことのない顔だった。


「お前、フレイ・リベンジだな」


 見たことのない顔ではあったが、新堂は直感で彼女が敵だということを察した。


「そう、私はfr-04アックスツヴァイ。だけど今ここであんたと争う気はないの、悪いけど。そっちだって私とここで殴り合っても、無意味だって思ってるんじゃない?」


 アックスツヴァイはそう言いながらも、新堂にフレイスピアの遺体を引き渡そうとはしなかった。新堂は慎重な動きで、フレイスピアの頬に触れた。たったいま事切れたはずなのに、すでにその身体は冷えている。何分か前から、心臓は停止していたと思えた。


「お前はここに何をしにきた?」

 『自分を支える』と言ってくれた味方の死にふるえながらも、新堂は普段どおりの自分を演じていた。慟哭しているような余裕はなく、何より目の前に敵がいる。状況が、彼に悲しみを許さなかった。フレイスピアの遺体を抱えるアックスツヴァイに、質問をぶつける。

 アックスツヴァイはこともなげに答えた。「友達を、送ってきただけだよ」

 新堂はその返答に疑念を抱きながらも、フレイスピアに触れている手を離さなかった。「ならば、彼女を引き渡してもらえるのだな」

 しかし、新堂のその質問は否定された。アックスツヴァイは、一度目を伏せてからこたえる。


「ここまでが、友達として彼女にできること。私たちはフレイシリーズの追跡、回収を命じられているからね。この彼女の亡骸はできればこちらで回収したい」

「俺と争ってでもか」新堂はアックスツヴァイを正面から見つめた。「彼女はお前たちに引き渡すわけにはいかない」

「だめよ、新堂」


 アックスツヴァイは新堂の要請を蹴った。

 しかし、本心からそう言っているわけではなかった。アックスツヴァイはフレイスピアとの友情をもって、彼女を新堂に引き渡すには十分だと判断していた。何より、未だ彼女は上層部から命令を受けていない。新堂に亡骸を引き渡し、仲間たちの手で供養されるのがフレイスピアにとって最もよいと信じている。

 とはいえ、状況がそれを許さない。すでに、仲間がこちらを見ている。

 fr-02ソードバイスの視線を、アックスツヴァイは感じていた。さすがにこの状況では遺体は回収するしかない。


「新堂、こちらの事情もわかってもらいたい」


 それとなく、アックスツヴァイはソードバイスのいる方向へ視線を送った。新堂に気付いてもらいたいのである。


「だが埋葬してくれるわけではないのだろう。死んだ後も彼女を切り刻み、廃棄する。そうしたことがわかっていながら易々と諦められるものか」

「彼らや私と争ってでもそうするというのかしら」


 新堂は口元をゆがめた。左腕の短剣に触れる。

 瞬間、はじかれたようにアックスツヴァイは一歩下がった。こうなっては逃げるしかないからだ。新堂が実力行使に出るというのならば、対抗する手段はない。フレイスピアを奪い返されないことを第一に考えるならば、余計だ。


「早く、行け。アックスツヴァイ、お前とは争いたくなくなった」


 だが新堂はそう言った。短剣には触れたまま、そう言い放ったのである。アックスツヴァイは逃げる足を止めて、その言葉を確認する。


「逃げろって、言ったのね。それは私を信用したから?」


 自分ならばフレイスピアをひどく傷つけるようなことはしないだろうと新堂が考えているのならば、その考えをあらためさせなければならない。過剰な期待はかけてほしくなかった。アックスツヴァイは、上層部の命令に反してフレイスピアを埋葬できるほどの権限をもってはいない。


「苦渋の思いなのだ。早く行け、フレイスピアの亡骸のために争うのは戦略的にはまったく無意味だと思っただけだ」

「そう、それじゃ新堂。次に会うときはお互い敵として遠慮なく」


 アックスツヴァイが逃走すると、ソードバイスの視線も消えていく。

 新堂は自分たちが見逃されたことを知った。だがアックスツヴァイはともかく、ソードバイスまで自分たちを見逃した理由がわからなかった。

 fr-04アックスツヴァイはfr-02ソードバイスよりも強大な指揮権限を与えられていて、ソードバイスは彼女に逆らって行動できないのではないか。あるいは何か罠があるのか。新堂はそうした幾つかの仮説を思いついたが、そこから先に考えが進まなかった。また、フレイスピアを失ったということが彼の思考を鈍らせている。


「フレイスピア」


 右手に残った頬の感触を思い出し、新堂は左目を閉じた。ゆっくりと左手の短剣から手を離し、宿泊施設に引き上げることを考えた。

 しかし、まだ飛び出していったフレイサイズが見つかっていない。

 新堂が外に出た目的はそもそも、フレイサイズの捜索である。フレイスピアが出て行った直後、起きだして出て行こうとするフレイサイズをフレイアックスと二人で押さえつけていたものの、それをも振り切って外に飛び出していったフレイサイズ。それを探すために出てきたのである。

 宿泊施設から非常灯用の懐中電灯を持ち出しているフレイサイズだが、いまだ発見に至っていない。律儀にブーツも持って出て行ったところだけは素足よりブーツを好み始めているということであって、人間に近づいていることがわかって嬉しくもあったが、そのようなことを喜んでいる場合ではない。フレイスピアは施設を見に行くと言って出て行ったのだ。フレイソードも一緒にいるはずである。そこへフレイサイズまでもが加勢すればフレイ・リベンジとはいえ負けはしないだろうと思える。しかし事実、フレイ・リベンジの一端であるはずのアックスツヴァイ、さらにはサイズウルフに次ぐ実力の持ち主と見られているソードバイスまでここに姿を見せた。敵にそのような余裕があるということは、最悪、フレイサイズやフレイソードも討ち取られている可能性がある。

 実際そうではないのだが、新堂に今与えられた情報からはそのような推察ができたのである。彼は不安になった。

 自分にできることは、もはや宿泊施設に戻って全員の帰りを待つことだけのような気がした。だが、もし誰かが重傷を負って道端に倒れているような状態であるとしたならば。

 瞬間、新堂は何者かに照らされた。懐中電灯だ。

 自分に向けられた光に驚き、彼は闇の中に退避しようとする。しかし、懐中電灯を持って新堂を照らしていた相手は、すぐに懐中電灯をその場に放り捨ててしまった。その行動の意図が読めずに立ち止まっていると、何か重いものが新堂にぶつかってきた。

 不意打ちか、と思ったがそうではない。外灯の明かりでよく見ると、ぶつかってきたものは重くはあるが暖かなものだった。fs-02フレイサイズだ。新堂に抱きついている。

 懐かれているとは思っていたが、いきなり抱きつかれたのは初めてだった。一体俺の何をそんなに好いているのか、と新堂は疑問に感じるが悪い気はしない。六十キロもの重量にぶつかられて新堂は尻餅をついてしまっていたが、フレイサイズはそのようなことを気にしていない。両腕で新堂を抱き、顔を擦り付けている。武器であるはずの鎌は懐中電灯と一緒に放り出されていた。


「おかえり、お前は生きていたか。心配をさせてくれる」


 新堂は猫の頭を撫でながらそう言った。やがてフレイサイズは新堂の顔を見上げてくるが、やはりそこに表情といったものはなかった。だがたとえ表情がつくれなくとも、その目と態度でおおよそのことはわかる。おそらく、彼女はフレイスピアが死ぬ瞬間、あるいは致命傷を受けているところを見たのだろう。そうでなくとも、仲間の死を実感するようなことがあったに違いない。

 だから今必要以上にくっついてくるのだろう。

 フレイサイズに抱きつかれたまま、新堂は立ち上がった。鎌や懐中電灯を回収して、宿泊施設に戻らなければならない。フレイアックスもそろそろ戻っている頃だろう。

 コートの上から抱かれているにもかかわらず、猫の体温は高く、とてもあたたかに感じられた。



 アックスツヴァイは、すぐにソードバイスの接近を知った。目的は恐らく、この腕の中にいるフレイスピアだろう。


「ストップ、そこで止まれ」


 機先を制して、ソードバイスがやってきている方向に手を向けてそう言った。

 素直にもソードバイスはそこで足を止めた。しかし、フレイスピアの身体を諦めたわけではないらしい。


「姐さん、その手に持っているものを引き渡してくれませんかね」

「あんた、怪我しているんだろう。さっさと戻って治療すればいいじゃないか。悪化したってしらないよ」


 闇の中から聞こえるソードバイスの声に応じる。

 しかし、彼はそう簡単に立ち去らなかった。


「応急手当はしましたとも。ただの閉鎖骨折ですからお構いなく、それよりもその憎むべき敵を俺に渡してはくれませんか」

「何を考えてる」

「裏切り者にふさわしい辱めを与えるだけです」


 その言葉で、アックスツヴァイはソードバイスのしようとしていることがわかった。不快な気分にはなったが、それだけでソードバイスと争う気にはなれない。


「さあ、早く」


 ソードバイスは歩みを進め、外灯の中に姿を見せた。左手に副木を当てて包帯を巻いていた。ややいびつなのは、恐らく処置をしたであろうスピアエルダーの目がいまだ目潰しで見えなくなっていることが原因だと思われた。


「いやだ、と言ったらどうするね?」


 アックスツヴァイは腕の中で目を閉じているフレイスピアを、もう一度抱えなおした。


「そうする理由がありません。姐さんはまだ上層部からフレイシリーズを捕縛する命令を受けたわけではないのでしょう。俺は正式に命令を受けた、間接的にではあっても。なら俺にその死体を引き渡すのが常識だ。違いますか姐さん」

「スピアエルダーはどうしたのさ」


 何もソードバイスに引き渡す必要はなかった。スピアエルダーも間接的に命令を受けている。


「あの人は一度施設に戻りました。カラーボールを叩きつけられましたのでね。風呂に入りたいのだとか」

「なら、ここで引き渡す必要はないね。施設に戻って彼女に預ける」

「姐さん」


 ソードバイスは足を踏み出した。片腕を骨折してはいるが、その気迫は失われていない。


「あんたは俺にその子を引き渡すしかない、違うかい」

「腕ずくでも持っていくってかい、ソードバイス」

「俺は、やりたいって決めた女は逃さない主義なんです」

「そんなくだらない主義は捨てちまいなよ」

「嫌ですね」


 瞬間、ソードバイスの右手が剣にかかった。それ以上はまずい。本当に争わざるを得なくなる。それほどの覚悟をもって挑むというのだろうか。


「だが、fs-03はすでに死んでいるぞ。いいのか」

「死体の回収も俺たちの仕事のはずです」


 アックスツヴァイは少し悩み、それからフレイスピアの身体をソードバイスに引き渡した。ソードバイスと戦闘を行ってまでフレイスピアの亡骸を護ることは無理な話だった。


「確かに受け取りました。姐さん、どこへ?」


 引渡しを行うと同時に、アックスツヴァイは踵を返していた。ソードバイスは行き先を問うが、アックスツヴァイは応えない。おそらく、どこか一人になれる場所へいくのだろう。

 ソードバイスも早く一人になりたかった。去っていくアックスツヴァイを見送り、右手だけでフレイスピアを抱えてそこから立ち去っていく。

 だが、アックスツヴァイはこのときの行動を後悔することになる。



 新堂は宿泊施設に戻ってきた。部屋の中に戻って、非常灯だった懐中電灯を返却した。

 相変わらず自分から離れようとしないフレイサイズを適当になだめながら、途中の自動販売機で買ってきた缶コーヒーに口をつける。

 フレイスピアの死は、重いものだった。だがいつまでも引き摺っているわけにもいかない。考えなければならないことは他にある。とはいえ、すぐに割り切れるものではなかった。

 フレイサイズが傍にいることが、ありがたく思える。彼女からの確かな信頼を感じられた。新堂は片目を閉じて、目線を落とす。

 自分に信頼を寄せていたはずのフレイスピアは、死んだ。亡骸を見せられて、すぐに回収された。

 あれが。あのフレイスピアが精巧に作られた偽物だったということは考えたい可能性ではあったが、そのようにして新堂を騙す意味がない。アックスツヴァイが持っていたフレイスピアの身体が偽物であるにしろ本物であるにしろ、フレイスピアが生きていないということは、もはや確実であろうと考えられた。

 にもかかわらず、フレイ・リベンジは一人として倒すことができていない。それだけでなく、自分たちの過去に関する情報を得るというところもまるで達成されていない。加えて敵は近くにある支部から完全に撤退する構えを見せているのだ。どうにかして追跡しなければならないが、その手段がない。

 思案にくれていると部屋の扉が開いた。

 フレイアックスとフレイソードが戻ってきたのである。


「新堂、フレイスピアが倒されました」


 短く事実だけを告げるフレイソードではあったが、それはすでに新堂も知っていた。フレイソードはフレイアックスに肩を支えられて、かなり弱っていた。体力を消耗しているらしい。すぐに休ませなければならなかった。


「肩を負傷している」


 フレイアックスがそう言うなり、慣れているとは言いがたい手つきで縫合と止血を行った。フレイソードは苦痛に呻いていたが、どうすることもできない。

 新堂はフレイソードを寝かせて、おおよその事情を聞きだした。

 フレイスピアの死はすでに知っているのであらためて衝撃は受けないが、彼女が残したという仕事について疑問が残った。

 彼女がフレイソードに語った、『自分のしたことの意味はフレイサイズが知っている』といった意味の言葉が謎なのだ。フレイサイズから聞き出そうとしても、無駄であることは全員が知っている。


「もう一度警察を頼ってはいかがでしょう。敵の一人、スピアエルダーはカラーボールを食らっています」


 フレイソードはそう提案してくる。

 新堂は頷いた。


「当然それはする。が、フレイスピアはそれ以外にも何かしていったに違いない。警察よりも早く、俺たちが敵の逃亡先を見つけられるような工夫が何かあるはずだ。そのカギは、フレイサイズが握っている」

「しかし、そればかりをアテにはできません」

「そうだな」


 見下ろしてみると、新堂にしがみついていた大きな猫は、いつの間にか寝入ってしまっていた。自分に何を期待されているのかなど、まるで知らぬように。

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