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第九話 陽動・前編

「それはいけません」


 フレイスピアはそう言った。

 包囲していた刑事たちを施設が殺したという報告を受けて、すぐのことである。

 フレイアックスに叩き起こされた新堂とフレイスピアは今後の対応を考えなければならなかったが、フレイスピアは新堂よりも焦っていた。すぐにも行動を開始しなければならない、と思っているようである。


「恐らく、施設は逃げるでしょう。自分達の拠点としている場所へ逃亡を図るはずです。あのような市街地の真ん中で警察や特殊部隊と戦えるはずはありませんから」

「それのどこが問題だ」

「私たちは、彼らの本拠を知らないのです。少なくとも立てこもって戦えるような、要塞がある場所なんてわかりません。あるかどうかもわからないのです」


 確かに、その通りである。


「このまま彼らが撤退していくのを放置しておいた場合、彼らを見失ってしまいます。彼らはもう私たちには興味をなくすでしょう、もっと重大なことが目の前に迫ったのですから」

「脱走したフレイシリーズを放置するのか。そいつはつまりあれか。本気で施設は国家との戦争に突入する覚悟があるってことなのか」


 フレイアックスほどではないが、新堂の声は淡々としている。寝起きで状況をいまいち把握していないのか、それとも冷静なのか。


「新堂、残念ながらそのとおりだと私はみています。ことは私たちが想像するよりも大げさに、大がかりに、大事になっているようです」

「世間や新聞を騒がすぞ。あまり嬉しくない」


 新堂は自分の過去を探りたいとは思っていたが、一大事件としてとりあげられて世間で騒がれるのは望んでいなかった。だが、彼がどう思っていようがもはやこの事態は止められそうにない。


「そうですね。しかしそれ以上に彼らを見失うことは避けなければなりません」

「だったら、追跡するしかないな」


 新堂は左目を閉じて、口元に手をやった。


「恐らくそれは無理でしょう」


 フレイスピアは、そう言ってのける。


「敵はそのくらい対策をとってくるはずです。フレイ・リベンジに周囲を哨戒させるなりの」

「しかし何もしないままではお前が懸念したとおりの結果になるが」

「そうですね」


 沈んだ声で答え、フレイスピアは濁った目で床を見つめた。新堂は眠気覚ましに茶を飲み、片目を閉じたままで訊ねる。


「何かそれを回避する方法はないのか」

「新堂、避けたい事態ではありますが、仕方がありません。逆に、彼らが我々を捜索してくることは恐らく今後かなり少なくなると思われますから、堂々と外に出て彼らの所在を探すことが可能となります。そこのあたりに期待を寄せるのが、妥当なところでしょう。それにまだ、全ては憶測の範囲です」


 確かにその通りである。一理あるといえた。


「私も施設を見に行きます。遠巻きに追跡してみるしか、ありませんね。夜目の利く、視力の強いフレイソードもいることですし。フレイ・リベンジの気配があれば、即時撤退ですが。昼間のようなことはもうごめんですからね」


 フレイスピアは目を閉じたままそう言って、ゆっくりと立ち上がった。スーツを着込み、白衣を着込んだ。


「しばらく戻らないかもしれません」


 そう言うなり、槍をとって部屋を出て行こうとするフレイスピアに声をかける。


「一人で行くつもりか?」

「はい」


 彼女は平然と頷いた。


「新堂はフレイサイズのことを見ててください。あなたがいなければその猫は恐らく不機嫌になっていくでしょう。フレイアックスも、さほどこうした仕事には向いていないでしょう」

「そうかもしれないが、単独行動は危険だ」

「フレイソードがいますよ」


 振り返って、フレイスピアは新堂の目を見た。

 新堂は生真面目な目で、座ったままフレイスピアを見上げている。彼は左目を開けた。


「お前は、俺を裏切らないんだよな」

「あらたまって言うことではありません。新堂、それは私の信念です」

「そうか」


 新堂は視線を落とした。


「じゃあ、俺もお前を信じる」

「それはどうもありがとうございます」


 フレイスピアは大げさに頭を下げ、それから新堂の膝元のあたりで毛布にくるまっているフレイサイズを見る。目を閉じて、すっかり眠り込んでいる猫の胸は、呼吸に合わせて上下していた。


「それではいってまいります。新堂、くれぐれもフレイサイズのことを、頼みました」


 最後にそう言い残して、フレイスピアはドアを閉めてしまった。瞬間、新堂は頭を上げた。何か、本当にしばらくの間会えなくなるような気がしたのである。しかし、もうフレイスピアは行ってしまったらしい。

 振り返ってフレイアックスを見たが、彼は壁際で腰掛けて、腕を組んでいるだけだった。


「起きたか」


 彼が突然そんなことを言う。誰に言っているのか、と新堂は思ったが、ふと下を見ると自分の膝元で寝ていたフレイサイズの腕が動いた。何かを掴むように動いたその腕が止まると、双眸がパチリと開いた。

 がばりと上体を起こす。フレイサイズが覚醒した。

 なぜこんな時間に起きだすのか、新堂は不思議に思う。しかし、とにかく寝かしつけなければならない。



「フレイソード」


 彼がどこにいるのかは、すぐにわかった。

 施設をよく見渡せるビルの屋上に彼はいて、熱心に施設を観察しているようだった。ということは、まだ施設は脱出していないのである。準備に手間取っているのかもしれない。

 フレイスピアはフレイソードの気配を感じ取っていた。しかし、フレイソードの方ではまだフレイスピアに気付いていないようである。それでよかった。

 彼に気取られてはならない、とフレイスピアは思っていた。

 全ては内密に行われる必要がある。フレイスピアは街中に姿を消した。

 彼女が同じ場所に戻ってきたのは、二十分ほど経ってからだった。まだフレイソードは施設を見続けている。大した責任感と言えるだろうが、もしかするとフレイアックスが戻ってくるまでそうしているつもりなのかもしれない。

 風邪をひかなければいいが、と彼の気配を感じながらフレイスピアは思った。

 フレイスピアは施設の反対側へと回りこむ。彼女は、できるだけフレイソードから離れた位置に行きたかった。理由は無論、彼に今からすることを知られないためである。恐らく彼は、フレイスピアの行動を邪魔しようとするだろう。それは避けたかった。

 誰にも知られずに、やりとげなければならない。

 結局フレイスピアは施設前の道路に対し、フレイソードの居場所と線対称になるような位置を選んだ。完全に反対側に行ったことになる。ここならば彼の目に触れるようなことは無いだろう。

 灯りの落ちた雑居ビルの屋上に立ち、フレイスピアはいまだ灯りのついた施設を見ていた。


「始めましょうか」


 ポケットから取り出したのは、カラーボールである。それをおもむろに落とし、破裂させた。強いにおいが発生する。

 このカラーボールは昼間に彼女が食らったものと同じである。それをわざわざまた破裂させて、においを強めている。そして彼女は、待った。施設を見ながら、待ったのである。

 短くはない時間が過ぎた。フレイスピアは槍を手に持ったまま、ほとんど身じろぎもしないでその場に立っていた。誰にも頼れないのだと考えると、小さな正体不明の恐怖が心の奥底に宿る。

 フレイスピアは、ふるえた。やたらに唾がでてきて、困った。

 待つ間に五回は生唾を飲んだだろうか。意識するだけでは克服できない、生理的な恐怖が彼女に襲い掛かっている。

 覚悟というのはこんなにもむずかしいものなのか。

 フレイスピアは口元に手をやった。夜風が髪をくすぐっていく。

 しかしその微風のような夜風とともに、待ち人はやってきた。

 その気配に、すぐにフレイスピアは気付いた。槍を振る。背後にやってきた『かすかな風』に斬り込んだが、手ごたえはない。

 まるで霧のようにわずかな気配しか感じさせないその敵は、誰なのだろうか。


「十二時間ぶりですか、フレイスピア」


 ほとんど敵意のしない、その気配の声には、聞き覚えがあった。


「その声は、スピアエルダーですね」

「そう、そのとおり」


 槍を構えたような音がした。武器を構えたスピアエルダーからは、研ぎ澄まされた刃に付随する敵意が感じ取れる。心のうちで少し安堵する。徒手空拳で戦われれば、ほとんど敵の位置が把握できないところであった。


「あなたにはカラーボールをぶつけたことを、忘れてしまった? それとも完全ににおいは消したと思いましたか?」

「そうでしたね」


 適当に返答しながら、フレイスピアは全く役に立たない両目を呪う。夜の帳の前に、この視力の低い目は無力であった。

 しかし、敵が一人だけでないことはわかっている。スピアエルダーの他に、誰かもう一人そこにいるように感じられているのである。やはりfr-04が完成していたか、と考える。

 しかしその予想はすぐに裏切られた。


「スピアエルダー、早く始末をつけてしまいましょう。死体もできれば持ち帰るように指令を受けています」


 この声は、ソードバイス! 彼はまだ動けないはずではなかったか。

 ソードバイスの実力が高いことは知っている。フレイスピアは心底まずいと感じていた。スピアエルダーとソードバイスの二人がかりでは、策をうつ間もなく自分は殺されてしまう。


「そうですね。しかし、手出しは無用です。あなたは本来まだベッドの上で寝ていなければならないのですから」

「わかっていますが、寝てばかりはつまらまいですから」


 スピアエルダーとソードバイスの間にそうした会話がなければ、フレイスピアはいつまでもソードバイスの襲撃に怯えなければならないところであった。

 再び小さく安堵はしたが、それでも二対一であることには違いない。

 スピアエルダーは言葉どおり早々に勝負を決めるつもりであるのか、一気に突撃してきた。穂先は以前と変わらない、三角に尖ったものである。対するフレイスピアの槍の穂先は重厚で、鋭利なものに変わっていた。これは新堂と出会ったときに使っていたもので、ランスという言い方のほうが正しいような槍である。

 穂先が頑丈なものに換わっているので、フレイスピアはスピアエルダーの突き込みに、自分も槍を振るって応じた。穂先が触れ合っても、折れる気遣いはない。

 スピアエルダーは特にすさまじい膂力を誇っているわけではないらしく、フレイスピアが槍を振るっても、なんとか様になる程度には相手ができた。昼間の攻防でわかっていたことでもあるが、今回は逃亡するわけにはいかないのである。

 何度目かの打ち合いで、スピアエルダーの槍がそれた。敵の一撃をかわすことに成功したフレイスピアは、すぐさま片手を白衣のポケットに突っ込んだ。

 しかし、掴みこんだものを取り出すよりも早く、スピアエルダーが水鉄砲をこちらに向けていた。見届ける間もなくトリガーが押し込まれて中の液体がフレイスピアの顔にかかる。

 両目に激痛を感じた。うっ、とフレイスピアは呻いて、思わず顔に手をやってしまった。

 これをチャンスと見たスピアエルダーは水鉄砲を捨てて両手で槍を握り、敵の脳天に向けて力任せに振り下ろした。


「うっ!」


 その行動に強烈な殺意を感じ取ったフレイスピアは、槍をもって敵の打ち下ろしを止めようとした。水平に捧げ持った槍に、スピアエルダーの槍がぶち当たる。

 火花が散るかと思うほどの衝撃が走り、しかし双方の槍は折れずに持ちこたえた。結果、フレイスピアは脳天を粉砕されはしなかったが、衝撃で下半身から力が抜けてしまう。膝が崩れて腰が落ちてしまった。

 尻餅をつくような体勢になりつつある。

 スピアエルダーはもう一度振り下ろしの一撃を見舞ってもよかったが、確実に勝負を決めるために一度槍を引いた。構えの崩れた相手に対して、胸元への突きで決めてしまうつもりだった。

 なんとか立ち上がろうとする。フレイスピアは懸命だった。槍を構えて打ち合わせても、下半身がだめになっているので、最早無駄だろう。となれば、なんとかして次の一撃を避けるしかない。


「決まったな、こりゃ」


 ソードバイスの無責任な声が聞こえる。今のスピアエルダーは殺意の塊のようにも思えた。

 私を殺す一撃を、見舞っている。

 やられたか、と覚悟が決まった。フレイスピアは負けを認める。

 しかし、それが逆によい結果を生んだ。あきらめてしまったことによって、下半身から完全に力が抜け、フレイスピアは崩れ落ちてしまったのである。正確に胸を狙っていたスピアエルダーの突きは狙いをはずし、フレイスピアの左肩のあたりを傷つけただけに留まった。

 鎖骨のあたりから左肩に突き抜けた。深くえぐられるような傷であるが、戦闘不能とはいえない。

 僥倖だった。

 まだ戦える!

 フレイスピアは目を見開いて、槍を握り締めた。悲鳴のような気合とともに、柄を振り上げて敵の顎をしたたかに打つ。


「ぐっ!」


 敵が呻く。スピアエルダーは不意を突かれてしまった。

 フレイスピアが畳み掛けるならばここしかない。だが左の鎖骨が深く傷ついているため、左手はもう使えそうになかった。

 ならば右手一本だけでも、やってみせる!

 改造を受け、fs-03フレイスピアとなっている彼女は、右手一本だけで槍を振り回した。すさまじい握力、膂力といえる。しかし、それは普通の人間から見た場合である。敵対しているスピアエルダーも彼女と同じ改造戦士であり、しかも彼女よりも後に改造を受けているのだ。

 虚を突かれたとはいえ、それだけで参ってしまう存在ではなかった。何歩か下がって猛攻をしのぎ、わずかに余裕が出来るとすぐに大きくバックステップを踏む。

 両者の距離が大きく離れた。

 瞬間的に、フレイスピアは最後の勝負どころだと察した。自分は傷ついており、これ以上戦っても有利にはたてない。敵は今大きな動作を行った直後であり、行動と行動の間隙でもある。

 まさしく最後の好機だった。

 スピアエルダーはステップを踏む間に両手に槍をしっかりと握りなおしており、着地と同時に突進をかけるつもりであった。やや動作が雑になるのは仕方がない。スピアエルダーにも、フレイスピアの敵意は見えている。それを回避することも、できるはずだった。

 それに敵は目潰しを食らっている。

 フレイスピアは最後の攻撃にかかっている。右腕だけでどこまでできるのか、わからない。だが、やらなければならなかった。

 お互いに、敵意を完全にとらえている。スピアエルダーはつとめて冷静に、フレイスピアは痛みと義務感の中でそれを感じ取っていた。

 二人の槍使いはほぼ真正面から激突する。身体を避けもしなかった。突進した勢いそのままに、互いに頭突きが決まる。


「なるほど、さすがはスピアエルダー」


 見ていたソードバイスがそう言った。

 二人は頭突きを食らわせたまま、体勢を崩さない。フレイスピアは普段の彼女に似つかわしくない、鬼気迫る表情であったが、間近に彼女と向き合うスピアエルダーは徐々に表情を緩めていった。


「お疲れ様でした、フレイスピア」


 先に体勢を崩したのは、スピアエルダーであった。構えを解いて、フレイスピアの肩を軽く叩く。

 フレイスピアの槍は、スピアエルダーを貫いてはいなかった。突きこまれた槍は、彼女が肩にかけていたストールを裂いただけに終っている。

 スピアエルダーの槍は、フレイスピアの左脇腹に突き刺さっていた。完全に刺し貫いて、背中側に半分ほど突き抜けている。傷口からは鮮血があふれ出していた。

 しかし、まだフレイスピアは死んでいない。無理にも呼吸をし、目を見開いて生きていた。彼女にはしなければならないことが、まだあったからである。それをするまでは、死ねないのだ。

 フレイスピアは自分から槍を引き抜こうとしているスピアエルダーに掴みかかった。その表情からは気迫が薄れていたが、失われていく何かを懸命に押しとどめようとする必死さは失われていない。


「何か、言い残すことでもあるのですか」


 スピアエルダーは淡々と訊いた。もはや勝負はついた、と彼女は思っているのだろう。

 しかし、フレイスピアはそうは思っていない。右手だけで、スピアエルダーの身体にかじりつく。

 槍を引き抜かれようとしているので、下半身が動きづらい。すでに痛覚はなかった。


「と言っても、その様子では話せそうにありませんが。私を殺そうとしているのなら、無駄だと知ることです。あなたが毒物を隠し持っているとしても、私を殺すには量が足りません」


 スピアエルダーは槍を引き抜く作業を中断し、フレイスピアに対して諭すようにそう言い放った。無論、フレイスピアはそのような文言を聞いていない。彼女にとって今重要なのは自分が動けるかどうかという、それだけなのだ。槍を引き抜こうとする力が弱まった、チャンスである。

 フレイスピアは飛び上がった。力の入らない下半身に、最期の力を宿して、跳ね上がる。思い切り、スピアエルダーに顔を寄せて、強引にもその唇を奪った。

 同時に右の袖を振り、スピアエルダーの背中を強く叩いた。何かが砕ける音がして、煙があがった。強いにおいがたちこめていく。

 よし、これでいい。

 フレイスピアはスピアエルダーに引き剥がされながらそう思った。緊張が解けたせいか、槍があっけなく脇腹から抜けていく。


「そんなことを企んでいたのですか、あなたは」


 血染めの槍を手に戻したスピアエルダーが血を吐いてからそう言った。先ほど唇を合わせた瞬間に、フレイスピアは血を吐いたのである。このため、わずかではあるが彼女の血を飲んでしまっている。


「この血が毒なのですか? 大した量は飲んでいません。青酸カリだとしても致死量には足りませんよ、フレイスピア」

「もう話せないでしょう、スピアエルダー」


 ソードバイスが近寄ってくる。

 フレイスピアはすでに倒れていた。名前も知らない雑居ビルの屋上に、転がっている。血に塗れて。

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