第七話 接近・後編
フレイスピアとスピアエルダーの戦闘は続く。新堂はこの状況を好ましく思わない。
逃げなければならない。ここは住宅街だ。先ほどのスピアエルダーの跳躍で、確実に家人には気付かれている。はやく逃げなければならない。だが、どうやって逃げるというのだろうか。
フレイ・リベンジにしても一般人から注目されるという事態は避けたいはず。だがスピアエルダーは戦闘を中断して立ち去ろうとしない。どうやら与えられた命令を遂行することが、この場では最も優先されるらしい。
新堂の後ろにいたフレイサイズが再び鎌を構えた。視界をさえぎって邪魔なフードも脱いでいる。自分が飛び込んでさっさと終らせようというのかもしれない。新堂はそれを止めようとした。だが、フレイサイズは首を振る。今、自分の力が必要だと言うように。確かにフレイスピアをフレイ・リベンジと一対一で戦わせるのは危険だ。
だが怪我をしているフレイサイズを投入してまで撃退しなければならないのか。
とはいえ、フレイスピアが倒されるようなことがあれば、困る。
新堂は右手でフレイサイズが飛び込もうとするのをおさえながら、左手を自分の口へともっていった。短剣の柄を口で抜けるようにだ。
瞬間、フレイスピアが行動にでた。大きく飛びのき、隣の家の屋根へ飛び移った。スピアエルダーはそれを追い、踏み切りの衝撃で瓦を割りながら飛び上がる。フレイスピアは逃げようというのだろうか。スピアエルダーはそれを追っている。新堂は二人を追って走った。
家が途切れると、フレイスピアは地面へ飛び降りた。車道の真ん中に降りたち、すぐさま走って逃げていく。
逃げていくフレイスピアを追いかけ、スピアエルダーが走る。
さらにスピアエルダーを追って、新堂とフレイサイズが続いていく。すぐに新堂は気がついた。フレイスピアと自分で、スピアエルダーを挟み撃ちにしていることにである。今この瞬間にも、フレイスピアが反転してスピアエルダーに襲い掛かればそれだけで成立してしまうだろう。
最初からこれを狙っていたのだろうか。だがフレイスピアはただ一目散に逃げていく。古い町並みを過ぎ、通りを過ぎて、寂れた町へと行く。やがて川が見えてきた。一級河川、と書かれた看板が立ててある。
目の前に横たわる一級河川、それを寸断する大きな橋がかけてあるにもかかわらず、フレイスピアは川の中へ飛び込んだ。
川幅はゆうに三十メートルはあるだろう。新堂はスピアエルダーがフレイスピアを追って飛び込むところを見たが、自分も飛び込もうとは思わなかった。フレイサイズを連れて、橋をわたる。
橋から川底まで六メートルはある。新堂は橋の中ほどから下を見た。フレイスピアたちがそこにいると思ったからだ。
そこにいたのはスピアエルダーだけだった。河川敷にいるのは彼女だけだ。彼女は自分が戦っていた相手を探して周囲を警戒しているようだ。フレイスピアはどこに行ってしまったのだろうか?
そう思うよりも早く、橋の下からぐるりと回転するように、フレイスピアが出現した。新堂の真横に、だ。つまり彼女は橋の上に姿を見せたことになる。飛び降りたと見せて、橋の底へくっついていたのだろう。そうしてスピアエルダーの目を欺いたのだ。
すぐに逃げ出そうとするフレイスピア。新堂はそれを追う。敵も愚かではない。この程度のトリックにはすぐ気付くだろう。それまでの間に、距離を稼いでおかなくてはならない。
橋を渡り終わろうとした瞬間、フレイスピアの足が止まった。新堂も足を止める。フレイサイズが新堂の前に出た。
「フレイサイズ」
彼女を押しとどめようとして、その手を止める。フレイスピアの前に立っていたのは、サイズウルフだったからだ。顔も耳も隠そうとはしないで、突っ立っていた。鎌を肩にかけて、ぼさぼさに乱れた髪を左手で掻き毟っている。
「こんなときに会うなんて、どちらにとってもバッドタイミングらしいね」
サイズウルフはそう言い、力のない笑みさえも見せた。だがフレイサイズは鎌を突き出し、サイズウルフを牽制している。もともと冗談など通用しない。ましてやこのような状況では当然だといえる。
笑顔でいても、それに騙されるようなフレイサイズではないのだ。そしてそれは新堂も、フレイスピアも同じである。
「だからといって見逃してくれるわけではあるまい」
「命令だしな、だから相手しなくちゃいけないんだ。それに、私はフレイサイズが嫌い、寝起きからあんたの顔なんて見たくなかった」
サイズウルフは武器をとった。鎌を持ち、それを構える。
止められそうにない。新堂は右手を左手に当てた。剣を抜くつもりだ。だがそれよりも早く、背後から声が聞こえてきた。
「ウルフ!」
もう、スピアエルダーが追いついてきたのだ。一度川に入ったらしい彼女はスカートが濡れているが、それくらいではなんとも思わないらしい。
「目が覚めましたか。手伝っていただけるのでしょうね」
槍を構えながら、スピアエルダーはサイズウルフに目配せする。それを受けて、サイズウルフは頷く。
「当然だ」
睨まれるのは、新堂である。またしてもフレイ・リベンジ二体に囲まれる状況となった。絶望的に分が悪い。フレイサイズは万全ではないし、フレイスピアの戦力など知れている。スピアエルダーの相手を任せるのも厳しいだろう。
その新堂の思考を読んだのか、フレイスピアが片手を挙げた。小声で告げる。
「スピアエルダーの相手は、私がします。新堂は、サイズウルフの足止めをして下さい」
そう言っておいて面食らった新堂に対し、さらにとどめの一言を放つ。
「絶対にフレイサイズを戦わせてはいけません」
「状況が状況だぞ、これ以上考えられないくらい最悪だ」
新堂はすぐさまそう言い返した。
しかし、フレイスピアは折れない。
「彼女が倒れたら、どちらにしても我々は終わりです。今の私の至上は、フレイサイズを護ることです!」
なかなかの迫力だった。新堂は少し圧倒される。
「いえ、お待ち下さい」
そんな声が、そのとき届いた。声の主は、フレイソードである。今までどこに行っていたのか、と言いたい気持ちはあるが、今は兎に角よくぞここを探し当てた、そしてよくぞフレイスピアの危機に駆けつけたという気持ちのほうが大きい。
「フレイソード!」
新堂は彼の名を呼んだ。だが彼はスピアエルダーの背後からやってきている。
スピアエルダーは振り向きざまに紫電を一閃させた。槍での攻撃は、しかしフレイソードの身体を貫きはしない。俊敏なるフレイソードは完全にスピアエルダーの攻撃を見切っている。
「はやい!」
スピアエルダーは今の攻撃を回避されたことに驚きを隠せない。これほどまでに俊敏性の高い戦士をソードバイス以外には知らない。しかし、フレイソードは俊敏性と視力を重点的に改造された戦士である。自身のフレイ・リベンジであるソードバイスには太刀打ちできなかったが、この敏捷性を生かして敵を翻弄することは彼の得意技の一つだ。いつまで通用するのかはわからないが、今のところスピアエルダーの足止めくらいは可能らしい。
フレイソードは剣を抜いて、スピアエルダーに挑みかかった。槍を戻し、スピアエルダーもそれに応じる。
することがなくなったのは、フレイスピアである。自分が挑むはずだったスピアエルダーは、フレイソードが挑んでおり、彼女を翻弄している。ゆえに、フレイスピアは仕事を奪われた格好になる。彼女は必然的に、サイズウルフを見た。間違いなく最強の敵がそこにいる。
新堂はまだ短剣を抜いてはいない。フレイサイズも武器を構えてはいるが、それを振るってはいない。
槍を持ったフレイスピアは、前に出た。
「何のつもりだ、fs-03。お前が私の相手になどなれないことは、わかっているだろう」
サイズウルフは、自分の前に立つフレイスピアをどかせようと、そう言ったに違いなかった。彼女は雑魚に対して遠慮なく武器を振るうほど落ちぶれてはいないつもりなのだ。
しかし、フレイスピアは刃をサイズウルフに向ける。挑むつもりであるらしい。
無謀だ、と新堂は思った。実際にそれを口にしようとした。しかしそれよりも早く、フレイスピアが言う。
「時間を稼ぐことくらいは、できるはずです」
「お前は新堂の盾になる、というのか。無駄だ、たかだか一分にも満たない時間を稼いで、どうなる。槍を下ろせ」
「下ろせません。今、新堂も、フレイサイズも、あなたと戦わせるわけにいかないのです」
きっぱりと言い切った。説得が難しそうだと感じたのか、サイズウルフは、背中から鎌を取り出し、刃をフレイスピアに向ける。
新堂は動けない。背後にはフレイソードとスピアエルダー。前にはフレイスピアとサイズウルフ。彼らを放置すればサイズウルフがフレイスピアを殺し、フレイソードをも蹴散らしてしまうだろう。フレイスピアに何か策でもなければ、その予想は裏切られそうにない。策があったとしても、それがこのサイズウルフに通用するものだろうか。
瞬間、サイズウルフが突進をかけてきた。フレイスピアは鋭く反応し、槍を引き戻す。刃がぶつかり合い、甲高い音をたて、槍が吹き飛ばされた。鎌はなんともない。誰もが予見したとおりの有様だ。次の一瞬でフレイスピアは斬り殺されるだろう。自動車を真っ二つにするような威力がある鎌を、どうやって彼女が受け止められるだろう。
はじかれた槍を追わず、フレイスピアはポケットに手を突っ込んで何かを抜き出した。小さなプラスチックの、銃に見える。
自分に向かって鎌を振り出そうとしているサイズウルフにそれを向けて、引き金を押し込んだ。銃口から何かが飛び出す。液体だった。
サイズウルフはそれを避けることも出来たが、攻撃を中断してまでもそれを回避することをよく思わなかった。ゆえに、そのまま攻撃を行う。液体を顔に浴びたが、問題はない。鎌を振り切った。だが、攻撃ははずれた。手ごたえ無く、鎌は地面に突き刺さる。何事かと思う間もなく強い打撃を受けて、背後に吹き飛ばされた。
よろめきながらも体勢を立て直し、前を見る。自分を吹き飛ばしたのは新堂らしい。フレイスピアは、フレイサイズに襟首をつかまれて、後方に下がっている。
フレイスピアの身体は、フレイサイズが襟首を掴んで引き戻したのだ。そのためにサイズウルフの鎌は空を切ることになったのだろう。
目が痛む。強い刺激がある。刺されるような痛みがサイズウルフの目に襲い掛かっていた。目を開けていられなくなった。涙が止まらない。あの水鉄砲の中身は、催涙効果のある薬品だったのかもしれない。
くそ!
サイズウルフは毒づいたが、視力は回復しない。無理やりに目を開けたところで、自分の涙で視界は歪んでいる。
「スピアエルダー!」
仲間を呼び、鎌を引き戻して一歩下がる。敵は多い。毛嫌いせずにアックスツヴァイも連れていればよかったかと思ったが、今頃そのようなことを考えても仕方がない。
「新堂、これ以上彼女を相手にするべきではありません」
「同感だ」
フレイスピアの進言に同意し、新堂は退却を決める。すぐに呼びかけを行う。
「フレイソード、退却だ」
「了解です」
剣を振るっていたフレイソードは、すぐに足を引いて下がってみせる。敵もそれを追いかけてきたりはしない。スピアエルダーも退却しなければならない理由があったからだ。
だが、何もしないで立ち去るほどスピアエルダーは考えなしではない。ポケットに手を突っ込み、小さなボールを取り出した。ピンポン玉くらいの大きさのものだが、蛍光色のオレンジ色をしている。それをフルスイングで投げつけた。狙いはフレイスピアの、足だった。
スピアエルダーが投げたものは一直線に飛ぶ。フレイソードがそれに気付いた。剣で払ってしまうべく、素早くフレイスピアに近づいた。
しかし、このスピアエルダーの行為に最も鋭く反応したのはフレイスピアであった。彼女はスピアエルダーが何を投げたのかも予想がついてしまった。フレイソードが剣でそれを切り払おうとしていることにも気付く。それはいけない。自分に接近しているフレイソードの身体を押し返す。彼まで巻き添えを食らうことはない。
結果、フレイスピアの右足にスピアエルダーの投げたものは着弾した。瞬間的にそれは投げつけられた衝撃で四散し、煙を噴く。脆い材質で出来ていて、中には粉末が仕込まれていたのだ。
つまりカラーボール、防犯用品の一つ。強いにおいを発する薬品を仕込んだボールなのだ。逃げようとする者に投げつけることでにおいや色をつけこみ、探し出しやすくする役目をする。
これをつけられてしまったのだから、逃げにくくなった、といえる。フレイスピアは薬品の四散が終るよりも早く、スピアエルダーに向かって突進をかけた。彼女はカラーボールを投げ込んだ体勢を崩さず、足を戻してもいない。フレイスピアは槍を放り出されたままなので、左の拳を固めてスピアエルダーの頬を力任せに打ち抜く。
打たれたスピアエルダーはよろめき、やや油断してしまった自分を呪う。敵は退却していくものと判断したのは甘かったのである。しかし、すぐに足を踏ん張り、接近してきたフレイスピアに対処するべく槍を握りなおす。ところが、次に彼女が見たものは自分に向けられた水鉄砲だったのである。即座に液体が発射され、まともにそれを顔に食らってしまう。
「お返しです、スピアエルダー」
唐辛子でも塗りこまれたように痛む両目に手をやりながら、スピアエルダーはそんなフレイスピアの捨て台詞を聞いた。
幸いにも、この機会だからと攻撃をしかけられるようなことはなかった。ただの催涙効果ならいいが、目潰しだとまずい。とにかく一刻も早く、目に付いた薬品を洗い流さなくては。
新堂たちはその場から退却していったようである。もう川の水でもいいから、目を洗わなくては。
「やられました」
見えない目をこじ開け、サイズウルフにそう呼びかける。スピアエルダーは槍を杖代わりに地面について両目をこすったが、やはり水で洗わなければ逆効果であるようだ。
「そんなことは、わかってる。水筒に水でもないか。目が痛む」
サイズウルフも目をこすりながら応えた。
「目が痛いのはわかっています。私もですから。水はありません」
スピアエルダーはそう言ってから川へ向かって、歩いていった。
アックスツヴァイは、資料室にいる。先ほどからあちこちの資料をひっくり返し、段ボール箱に詰め込まれた資料を見ている。その様子を見ているのは、ソードバイスであった。彼はスルメを噛み、片手にバーボンの入ったグラスを持っている。負傷しているくせにやたらに酒を飲むのは、怪我をしているときくらいしかまともに休めないということを彼が承知しているためでもあるが、研究員達はそれを見るにつけて頭痛を発生させている。
「姐さん、さっきから何をしているんです。閉じこもっていても、読書をしていても、無駄なカロリーを消費するだけですよ」
ソードバイスは、すでにかなり酔っていた。顔が赤くなっている。アックスツヴァイは振り返って、ため息をついた。
「お前はその逆に、無駄にカロリーを摂りすぎなんじゃないかい。私のことは放っておいてくれ」
「一人酒をさせるつもりですか」
「そうとも、今私は酒なんか呑んでる場合じゃないんでね」
選び出した資料は、すでにアックスツヴァイの左隣の床に積み上げられていた。綴じられた資料で膨らんだファイルがすでに三つもそこにある。読むだけでもたいそうな時間がかかるだろう。
「一体何を探しているんです」
「敵の資料さ」
「敵というと、フレイシリーズのですか」
「当然でしょう」
そういいながら目当てのものがなかった段ボール箱を元の位置に戻していく。そして次の箱を開封する。
「大体、そのあたりに詰め込まれているのはもうすぐ廃棄するような資料でしょうに。現行化された、もっときっちり整備されたやつがあっちのほうの棚に収納されてるはずじゃないんですか」
ソードバイスはそう指摘しながら資料室の床にしゃがみこむ。彼が持ってきた酒は、すでに半分ほどに減っていた。
「あっちのはダメだって」
がさがさと音をさせながら資料を取り出し、中身をチェックしては箱に戻していく。アックスツヴァイはそうした作業を繰り返している。見ているソードバイスとしては面白くないのだ。なお、彼としてはアックスツヴァイの作業を手伝おうなどとは微塵も思っていない。
「整備されたほうは、外に見せるためのものじゃないか。『ここ』は一応製薬会社ってことになってるんだから、外面を整えておくためのさ。それよりも内側向けに作ってあったファイルが必要なんだよ。ここの研究員達が本当に見るために作っていた資料が、ね」
「それってつまり、どこのどういう資料なんです」
ソードバイスの目が、わずかに真剣な色を帯びた。酔いが少し醒めたようにも見える。
「内側向けの資料っていやあわかるだろう。フレイシリーズ、それと私たちフレイ・リベンジのことを書いてあるヤツだ」
「それらは持ち出し禁止ですよ」
「わかってる、ちょっと拝借するだけさ。それにな、自分の身体の中身くらい、知っておきたいもんだろう」
「そのくらいわかるでしょうし、教えてもらったでしょう」
どこまでも軽く受け答えするアックスツヴァイに、ソードバイスのほうが心配になってきてしまう。妙なことをされて自分も巻き添えになることが怖いということもある。持ち出し禁止の資料に触れようとしているアックスツヴァイを止めようとするが、無駄だった。
「あんなのは通り一遍のこと、それに嘘かもしれないじゃないか。私ははっきり言って、ここの施設をあんまり信用しちゃいない」
アックスツヴァイは目的のものだったらしい4つのファイルを手に、ゆっくりと立ち上がった。もう用は済んだとばかり、資料を散らかしたまま、入り口付近にいるソードバイスに近づいてくる。
「それにね、本当に知りたいのは私自身のことじゃないし」
「じゃあ、何が知りたいんです」
そう言うと、アックスツヴァイはにっこりと笑った。ソードバイスには邪悪な笑みに見えて仕方がない。手に持っていたグラスを奪われた。
残っていたバーボンを一口に飲み干し、アックスツヴァイは優雅な手つきでグラスを返却する。半ば呆然とした顔でそれを受け取るソードバイスを横目に、彼女は言った。
「今日会った友達のことが知りたいと思ってね」
その言葉にさらに呆気に取られたソードバイスに向かって資料室の鍵を放り、施錠は任せたと言わんばかりに、アックスツヴァイは持ち出し禁止の資料を小脇に抱えて部屋を出て行った。