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第六話 スピアエルダー・後編

 結局のところ、圧倒的な戦闘能力を有するものの、バカで使い物にならないと言われているのだ。廃棄処分とされることになっても仕方がないとはいえる。しかし、それは施設側から見た場合だ。新堂としては戦力的に使えないからといってフレイサイズを廃棄するということを許せるはずがない。こうして自分に懐いてくるようになった今では尚更だ。彼女を護らなくてはならない。

 そう思っている自分に気がついて、新堂は口元に手をやった。おかしい、と思ったのである。

 当初、自分は彼女を戦力として期待していたわけではない。ただ、自分と同じ境遇だったので救い出しただけのつもりだったのだ。しかしそれが強力な力を持っているとわかってからは積極的に期待を寄せた。今でもだ。怪我が治れば即、サイズウルフを筆頭とする追っ手にぶつける算段をしている。彼女に護ってもらうことはあっても、彼女を護るということはない。それが今、ごく自然に新堂の心に『護らねば』という思いが湧き上がったのだ。

 見た目が猫だからか? それとも一応は女だからか?

 とっさに思いついた仮説があったが、どちらでもないような気がする。しかしそれほど真剣に考えなければならないようなことでもないと思えた。新堂はこの思考を早々に打ち切る。

 新堂は左目を閉じて、外を見る。何も変わらない、街の景色が広がるだけだ。すぐ向かいのビルがほとんど視界を覆いつくし、残りのわずかな隙間も道路や住宅で埋められている。空はほとんど見えなかった。

 視線をフレイサイズに戻すと、彼女は湯飲みを両手で大事そうに持ち、中の液体を興味深げに眺めていた。ときどき両手を揺らし、お茶を波立たせているようだ。それが楽しいらしい。

 無邪気なものだと思いながら、彼女の出自を思うと身体のどこかが締め付けられるような思いがする。彼女の頭を撫でてやりたくなった。そうすると彼女だけではなく、自分も落ち着くような気がしていた。大きな猫め、と頭の中で呟いて、新堂は閉じていた左目をもう一度閉じなおした。



 フレイスピアはフレイソードと行動していた。槍は持っていない。布を巻いてあるとはいえ、あのような長物を持ち歩いていると目立って仕方がないのである。フレイソードも身なりを整えて、そこらにいる若者と変わりない格好になっている。朝のうちにどこかで都合してきたらしいが、金を持っていない彼のことなのでまともな手段で入手したとは思えない。フレイスピアは非常時だと考えて、それを今さら追及しようとはしない。


「それで、どこに行くつもりなのです」


 フレイソードがそう訊ねてきた。


「まず我々の目的をはっきりさせましょう。新堂は調査が目的だと言いました。ですが、我々は施設に関する情報をほとんど得ていません」

「そのようです。ですが、まず我々は話し合い、情報の共有化をすることが必要なのではないでしょうか」

「そうかもしれません」


 フレイスピアは視線をめぐらせた。互いの情報を確かめ合うことに異論があるわけではない。昨夜は突然の襲撃で全員が疲れ果て、フレイサイズが負傷したため、まともに話し合いができていない。新堂もまさか反対はしないだろう。だが、その場所が問題だ。誰にも聞こえない、機密性の高い場所を確保する必要がある。誰が、何が、自分達を追跡していても不思議ではないからだ。


「どうかしましたか」

「いえ、特に」


 そう言いながら足を止める。駅前の雑踏が目の前に広がる。視力の低いその目にも、見慣れた風景として把握できる光景だ。

 たくさんの人々が目的地へ向かう、多くの人が地面を踏みしだいて歩いていく。おおむね平和な光景といえる。この平和を、自分達は無駄に壊しているだけなのではないかという思いがフレイスピアの胸に湧き上がった。施設がこの光景を壊そうとしている悪の組織であるならば、ためらうことなく戦える。だが、施設が一体どういう目的で、どういう行動を起こしているのかわからない。ゆえに情報を集めなければならない。そして戦い、情報を得て、施設が正当なる組織であるとわかったとき、自分達に何が残るというのだろうか。たくさんの町と人に傷跡を残して、多くの命を奪って。フレイサイズや新堂が殺してきた、そしてまた自分も殺していくであろう多くの命を、そのときになって取り戻すことはできない。

 そもそも施設に勝利し、情報を得ることができるという保証は全くないのだ。しかしそれでも自分達は戦うことになるだろう。戦えば当然、被害はでる。


「私たちが施設に戦いを挑み続けると、いずれはこのような平和な光景を壊すことになるのでしょうか」


 小声で呟く。フレイソードには聞こえたはずだ。彼はかぶりを振って、答えた。


「戦争を始めようというのですか、貴方は。私たちは大それた戦力を持っているわけではないのです。規模からいえば精々、こそ泥に過ぎません。そのこそ泥がちょっと暴れたくらいでこの大いなる静寂がすっかり壊されてしまうなどと、思いあがりも甚だしい」

「しかしフレイサイズの力は知っているでしょう。彼女が本気で武器を振るえば、目の前の光景なんて数分で血に染まると思いませんか。そんなにも大きな力をもって、こそ泥とは」

「持っている力だけでそのように言うのですか? それはただの傲慢です。フレイスピア、行きましょう」

 立ち止まっているフレイスピアを促し、フレイソードは先に歩き出した。フレイスピアは少しあわててその後を追う。

「その程度のことでいいのでしたら。少し考えればわかることでしょう、私だってその気になればこの光景はすぐに壊せます。あなただってそうであるはずです。そこらの子供だってむしろそうであるはずです。ほんの少し、有毒ガスを作り出せるほどの知識があれば、いや、可燃性のスプレーとライターがあるだけでももういいのです。そいつを振り回すだけですぐさまこのあたりはパニックになるでしょう。しかしそれを脅威に思う人間はいません。わかりますか、力は使い方次第なのです。フレイサイズは確かに強い力を持っています。だが彼女は決して白痴ではない。その力を振るうときも、場所も、選べる。そして我々の言うことは理解してくれるではありませんか」


 確かにそうだ、とフレイスピアは思う。だが胸のうちの不安は消え去らない。当たり前だ。自分達が今からしようとしていることは、情報泥棒ではない。強盗でもない。明らかな、組織への敵対行為だ。新堂には悪いが、そうならざるを得ないだろう。自分達を迎えうつfr-01サイズウルフたちフレイ・リベンジや護衛の兵士達を相手に、殺さずに穏便にことを運ぶなどということができようか。そしていざとなれば、周囲の無関係な人間を巻き込むことを恐れてなどいられるだろうか。


「確かにフレイサイズは、ある程度の自制をもっていますが」


 フレイスピアがそう言ったとき、フレイソードは立ち止まった。喫茶店の前である。彼に促されて、店内に入る。


「機密の会話をするのに都合のよい場所なのですか?」

「貴方の索敵能力があれば、盗み聞きされているかどうかくらいわかるでしょう」


 ウェイトレスに案内されて、二人は窓際の奥にある席に着いた。注文は二人ともホットコーヒーにする。注文をひかえて、すぐにウェイトレスは去っていった。フレイソードが口を開く。


「そこまで人目を気にするのなら、少し印象を変えてみましょうか」

「というと、どういうことです」


 言っている意味がわからない、というようにフレイスピアは応じた。それに対してフレイソードは自分の髪をかきあげてみせた。


「最も簡単なものでは、これでしょう。結い上げてみたらどうです」

「ああ、髪型を変えるのですか。なるほど、少しは違って見えるかもしれませんね」

「そうですとも。それと、メイクも」

「メイクも? しかしフレイソード。私は目が」


 自分の目を指差し、フレイスピアは困ったように口元をゆがめた。彼女の視力は尋常でなく低い。しかも、日々低下しているのだ。今や自分の右手に指が何本ついているか、それももうわからないのである。


「では今は」

「すみません、これは化粧水をはたいているだけです。あまり感心できることではないのですが、下手にするよりはもうすっぴんのほうがましなものですから。印象を変えるという点では、メイクをするのもいいと思いますが、あまり不細工に顔を塗りたくったのが近くにいても鬱陶しいでしょう?」


 ややあけすけな物言いでフレイスピアが言う。しかしフレイソードは彼女を美人だと思っているのでもったいないなという思いが湧く。そう思っている間に、フレイスピアが微笑みを見せた。


「でも、髪型を変えるくらいならなんとかできそうですね。ちょっとばかりおかしいことになるかもしれませんが、それもまた」

「ええ、そうすべきだと思います」


 言いながらフレイソードは視線をめぐらせた。周囲にこちらの話を聞いている人間はいない。


「では本題に入りましょう」


 やや声量を落とし、フレイソードは切り出した。秘密の会話がはじまったのである。情報の共有化をはかるのだ。


「その前に、フレイアックスはどこに行ったか教えていただけますか」


 話し始めたフレイソードに割り込み、フレイスピアが訊ねた。


「今朝からずっと姿が見えませんが」

「彼はその容貌が目立つので、別行動をとらせました。今は新堂たちのいるホテル周辺で、彼らの警護をしているはずです」

「あの二人のほうが実力はあるはずです。警護をさせる意味は」

「負傷と疲労を考えれば、警護をさせる意味はあります。それに奇襲を受ければ誰だって倒されてしまうことはありますからね」


 話の腰を折られたフレイソードは、淡々と質問に答えた。その答えに納得してフレイスピアは頷く。


「それでは、情報の交換と参りましょう」


 話をしながらも、フレイソードは周囲に気を配っていた。誰にも会話を聞かれていないか見ているのである。実際には索敵能力にすぐれたフレイスピアがいるので彼はそれほど気を回す必要がない。だが、だからといって完全にフレイスピア任せにするほど愚かではなかった。


「こちらでは、新堂ことfs-01の脱走の情報はそれほど詳しく把握していません。ですからまずそちら側の今までの行動を聞かせてもらいたいと考えますが」

「わかりました」


 フレイスピアはその要請に応じた。彼女が施設を出てから、今までのことをかいつまんで話す。実際、大したことはしていない。タグを捨てたことと、いくつか車を乗り捨てたことくらいである。重要なことはサイズウルフの襲撃ということに尽きる。これは昨夜新堂と話しをしていたフレイソードも知っていることだが、重要事項には違いない。なぜ、彼女が今ここに存在しているのかという疑問がある。しかし、今すぐに解決したり仮説を立てたりする必要はない。

 ひととおり話したフレイスピアは、次にフレイソードの話を聞くことにした。


「私たちの逃亡は以前簡単にお話したものの他には、とりたてて言うべきところがありません。そして私たちの知っている情報は、『フレイシリーズは全て欠陥が発見されたので廃棄される』ということと、『フレイシリーズの発展型であるフレイ・リベンジというシリーズがある』ということくらいです。私たちの出自に関しては皆目見当もつきません」

「では私たちと変わらない程度の情報しか得られていないわけですね」


 不満があるわけでもないが、フレイスピアの声は少し沈んだように聞こえる。


「そうですね。ただ、ちょっと気になることがありましてね」

「どういった?」

「具体的に我々はどこが欠陥なのか、ということです。特に私と、新堂」


 そう言われてみると、とフレイスピアは口元に手をやる。少し考えてから何か言おうとしたが、コーヒーを運んでくるウェイトレスに気がついて口を噤む。

 ウェイトレスは事務的にコーヒーを置き、ごゆっくりどうぞと小声で言ってから引き下がった。あまり愛想がいいとはいえない。彼女を見送り、フレイスピアは目を伏せる。


「fs-01は平時の戦闘能力の低さ、かもしれません。あるいは、忠誠心の低さ」

「多分違うでしょう。戦闘能力は普段低くて当然、忠誠の低さは我々も同じ。では私や新堂は、なぜ廃棄されなければならなかったのでしょうか」

「うん、少し思いつきませんね」


 そう言いながら、彼女はフレイソードの顔を見た。表情はよく見えないが、声色からおおよそわかる。彼は、何か彼なりの仮説をもっている。


「あなたはどう考えているの」

「私はこう思っています。フレイシリーズは最初から、廃棄されるために造られたのではないかと」


 フレイソードは真面目な顔だ。冗談で言ってはいない。

 どきりとした。廃棄されるために造られた、という言葉は衝撃だ。


「仮説ですね」


 思わず、すぐにそう問い返してしまったほどだ。当然、フレイソードは頷いた。彼も本気でそうとは考えていない。物証も何もない、ただの考えの一つに過ぎない。


「しかしそう考えるだけの根拠はあります」


 例えばどういう、とは訊けない。フレイスピアは唸って、口元に手をやった。顔をしかめて、考え込む。

 フレイスピアは一言も口をきかなかった。フレイソードの問いに何度か頷いただけで、しきりに何か考えている。店を出るまでの間、そうだった。その考えを邪魔するまい、と考えたフレイソードは率先して金を払い、彼女を誘導して外へ出た。しかしあまりにも真剣に考え込んでいる彼女を見ていると不安になる。


「フレイスピア、大丈夫ですか」


 道を歩く彼女を気遣う。だが、その声すらも聞こえない様子で彼女はふらふらと歩いていってしまう。

 大した集中力だが、そう仕向けたのは自分だ。責任というものもある。


「これはいけない」


 早足に追おうとしたが、駅前の雑踏に紛れ込んでしまった。

 まだ朝の人ごみが多く残っている。そこへフレイスピアはためらいもなく踏み込む。人の海にまぎれて、たちどころにフレイスピアの姿は消えてしまった。

 いかにフレイソードの視力が驚異的によいと言っても、雑踏に紛れ込んだ女性を一人見つけ出すのは難しかった。目がよければたくさんの百円玉の中に落ちた一枚の五十円玉をすぐに見つけ出せるというわけではないのだ。彼は目を凝らしたが、もう見つからない。だが、すぐにフレイスピアは子供ではない、と思い返した。それに彼女には驚異的な索敵能力もある。そうたやすく不覚をとったりはしないだろう。

 自分は自分で別行動をしよう、とフレイソードは決めた。施設の正確な位置を知るために、地図が必要だ。彼は書店へ足を向けた。



 最初から廃棄されるために造られた。

 その一言が何か真実の一端を捉えている気がしてならないのである。フレイスピアはあてもなく歩きながら考えていた。雑踏の中に自分が紛れてしまっていることも、気付かずに考えてしまっている。

 どんどん思考は原点へと戻る。フレイシリーズは一体なぜ造られたのか。施設はそれをもってどうしようとしたのか。フレイソードの考えが正しいとしたなら、フレイ・リベンジの存在を無視するわけにはいかない。フレイシリーズはいわば実験動物であり、彼らを生み出してその結果をテストする。成功したにせよ、失敗したにせよ、それらをさらに発展させる要素を加えてより強力なフレイ・リベンジを生み出す。最初からそれが目的。ではなぜフレイシリーズを破棄するのか。失敗してもそのまま置いておけばいい。役に立つこともあるだろうに。

 証拠の隠滅が目的かもしれない。では施設は証拠を消さなくてはならないようなことをしようとしている、といえる。ならば、我々が逃亡したことは彼らにとって計算外だったはずだ。フレイ・リベンジに我々を消させようとしていることからも、その本気がうかがえる。

 フレイスピアは人の流れにそって、歩き続けた。結果、駅の中まで入ってしまう。券売機の前で彼女は自分を取り戻した。

 ああ、しまった。

 考え込んでいるうちにふらふらと人の流れに乗って歩いてきてしまったのだと察した。立ち止まる。

 雑踏の中で立ち止まった彼女に後続の人がぶつかった。不意をつかれてフレイスピアはよろめく。壁に手をついて、倒れることは免れた。いけない、もっとしっかりしなければ。フレイスピアは少し緊張を欠いていたと反省する。

 自分達は逃亡者であるというのに。

 壁際に立ったが、何かポケットが軽い。うっ、と嫌な予感がした。両手でスーツのポケットをさぐったが何も入っていない。まずい! 財布がない。

 慌てて地面を見下ろすが、床は暗い色をしていて何か落ちているかどうかなど、わからない。周囲に人も多い。

 しかしとにかく、探さなくては。

 フレイスピアは地面にしゃがみこんだ。手探りで財布を探し始める。フレイソードはどこに行ったのだろうか。彼がいてくれればこのようなこともすぐに解決されたというのに。

 きっとさっきよろけたときに落としたに違いない。それともすられた? 駅の構内だっていうのに。

 こんな自分のドジで活動資金を減らしては申し訳がない。フレイスピアはそう思った。もっていたお金の大半は新堂が預かっているわけだが、自分でも少し持っていた。それをそっくり落としてしまったというのでは、まずい。五桁はあったはずだ。

 このときフレイスピアはかなり焦っていた。周囲を歩く人々に奇異の視線を浴びせられながら、券売機の前で地面を手探りで何か探しているのだ。


「あんた、何か探してるの?」


 そんな声が落ちてきたのは、探し始めてから何分か経った頃である。女性の声だ。

 フレイスピアは顔をあげて、すまなさそうな目でその人を見上げた。顔はよく見えないが、多分きれいな顔なのだろう。鮮やかな色のルージュを引いている。それとアイシャドウも。


「ええっと、このくらいの小さなお財布を落としてしまって。私、視力が悪いものですから」


 指でこのくらいの大きさだということを示してみせる。声をかけてくれるだけでも、この女性が悪い人間でないということは明らかだった。そして勇気ある人物だということも知れた。


「色はどんな」

「暗めのブルーなんです。開け口に白でラインが引いてある感じなのですが」


 ふんふん、と女性はフレイスピアの説明を聞いてくれている。髪は短く整えられているが、どことなく妖艶な雰囲気をたたえた女性だ。朝よりも、夜が似合うタイプだとフレイスピアは思った。


「じゃあ、これじゃないかな」


 女性はおもむろに財布を差し出した。暗いブルーに、ラインの引かれた財布だった。


「あっ、これです」


 それに触れてみて、自分のものだと確信する。親切な女性のおかげで、活動資金を無駄に目減りさせる事態は免れたようだ。


「もう落とさないように、大事に仕舞っておきなさいな。それとも、お礼に一割いただける?」

「ありがとうございます。一割はちょっと困りますが、何かできることがありましたら」


 フレイスピアは頭を下げた。相手の女性はやわらかく笑って周囲を見回した。


「じゃあ、ちょっと付き合ってもらおうかな。あそこの店のデザート、前からちょっと気になってたの。一人じゃ入りにくいから、ね」


 そう言われては断るすべがない。また、このまま立ち去るのもどうかと思っていたのでフレイスピアは素直に女性に従うことにした。はい、お付き合いさせていただきますと返答して、女性の後について店に入った。

 駅から出て十秒も歩かないところにある喫茶店だった。駅からすぐ、隣だ。ここなら迷わずに帰り道を探せそうである。窓から見える外の景色は彼女の目には濁って見えたが、方向感覚の維持には成功した。土地勘もない今のフレイスピアは迷子になる可能性が高かった。恥ずかしいことではあるが、事実なので仕方がない。

 やや小さめのデザートがメニューには並んでいる。しかしフレイスピアはメニューの字を読むこともままならなかった。


「ねえ、あなたも新作だっていうこのデザートにしない?」


 女性はややひかえめなフレイスピアを押し切るように話を進めていく。しかし、とくに嫌な気にはならないのでその流れに逆らおうとは思わない。フレイスピアは頷くだけでよかった。きれいな色のルージュだな、と思いながら。

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