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第四話 フレイソード・前編

 何かとても嫌な夢を見ていた気がするが、ふと身体が揺さぶられたので目を開く。新堂はベッドの中で寝てしまっていたらしい。一体いつの間にベッドに移動したのだろうか、と思うより先に視界にフレイサイズの顔が飛び込んでくる。彼女はまだ寝ているようだ。一瞬ぎょっとしたが、自分もフレイサイズも服は着ている。最悪の事態にはなっていないらしい。


「新堂、起きてください。そろそろ出発しなければならないでしょう」


 フレイスピアの声が落ちてきた。新堂は生返事をしながら身を起こす。


「ああ」


 働かない頭を振り、時計を探す。しかし、見つからない。

 何時だ、とばかりにフレイスピアの顔を見る。

「新堂、今は午前二時ごろです。出かけるにはいい時間だと思います。フレイサイズはそれにしてもよく寝ていると思いますが、そろそろ起こしても大丈夫でしょう」

「わかった。それにしてもフレイスピア、よく時間がわかったな。時計は見えるのか?」


 素直な疑問を新堂が口にする。問われたフレイスピアはすぐに答えた。


「針は見えなくとも、音を出してくれる時計もありますし。それに、お腹のすき具合で大体の時間は把握できますよ」


 随分正確な腹時計だな、と思ったが口には出さない。

 ため息をつきながら横に寝ているフレイサイズの身体を揺すった。揺すられた彼女はゆっくりと目を開き、目だけで周囲を見回す。それからのそのそと起きだした。気だるげな感じであるが、いつまでも寝ていてもらっては困る。今のところ、戦闘能力が最も高いのは間違いなくフレイサイズなのだ。


「新堂、顔を洗ってきてください。すぐに出発します。車を手に入れなければなりませんから」

「そうだな」


 手に入れる、という表現を使っているが、盗むしかない。気は進まないが、他に方法がなかった。問題は、盗むという行為の難しさだ。最近は特に自動車を盗まれないようにとセキュリティの向上が激しい。

 しかし、ここで唸っていても、いい考えはでないだろう。新堂はまだ眠そうにしているフレイサイズをベッドから引き剥がして、宿泊施設を後にした。料金はしっかりと払った、所持金は残り十五万円ほどだ。

 フレイサイズの傷は、不思議にもほとんどふさがっていた。もう一人で立って、歩いている。無理をしているといった様子もない。全くとんでもない化け物だ、と新堂は考えるが、べたべたと自分にくっつきたがる彼女を見ていると、そんなことはどうでもよくなってきてしまう。フレイスピアが「大きな猫にしか見えない」と言っていた理由も少しだけわかる気がした。メイド服の上からフードつきのジャケットを着ている猫は、ひょこひょこと歩いている。

 新堂自身の右足にある銃創もほぼ治っている。走っても特に問題ないようだ。確かに、彼の体は強かった。自分自身が人間ではないということの証明でもあったが、今はありがたい。

 コンビニに立ち寄って、食糧を買った。フレイサイズに何を与えていいのかわからないので少し困ったが、本人が異常にビーフジャーキーを欲しがるのでそれと牛乳を買ってやった。猫缶でも買って与えたらどういう反応をするのか気になるが、今はそんなことを試している場合ではない。自分達の食糧も買わなければならなかったからだ。

 しばらく後、新堂とフレイスピアはサンドイッチを口に入れながら、フレイサイズはパックの牛乳をストローで飲みながら歩いていた。この時点で時計の針は二時半を指している。牛乳の入った紙パックを両手で大事そうに持ち、ストローで吸い上げているフレイスピアはどことなく滑稽に見える。耳や顔をかくすためにフードを深くかぶっているので余計にそう見えるのかもしれない。


「車が必要だな」


 新堂がそう言うと、即座にフレイスピアが応じる。


「ええ、そのとおりです。配線を直結すれば動きそうな車が捨ててあるようなら、それに越したことはありませんが」

「そこまでは望めない。うまくちょろまかしてくるしかないな」

「新堂、油の臭いがします。駐車場がありますね」


 そう言われて周囲を見回すと、月極駐車場があった。屋根もない、砂利の敷き詰められた空き地のようなものだが、いくつか車があるのが見える。が、そこには人もいる。車の持ち主達らしい。


「正面から強盗するのはだめだろう」

「それは時と場合によります」


 柔軟な考えをみせるフレイスピアだが、あまりにもそれは目立ちすぎる。新堂としては何の罪もない人間に襲い掛かるのも躊躇われた。時間がないのも確かなのだが、強引にことを運ぶのはよくない。


「例えば新堂」


 だがフレイスピアは言葉を続けた。新堂は何か意見があるのかと思い、それを聞く。


「もし、相手が一般市民なら無理やりに彼らの資産を奪うのは気が引けるでしょう。しかし、相手が一般市民から資産を奪うことをも辞さないような輩であれば、彼らから物資を徴発することは問題がないようにも思われませんか」

「何、なんだって?」

「相手が悪人なら、心も痛まないでしょう」

「そうだな。しかし、車を持った悪人なんてどこにいるんだ」


 新堂はそう答えながら、前を歩くフレイサイズの持っている牛乳パックを取り上げた。もう空っぽになっているのに、しつこく吸い続けていたからだ。名残惜しそうにするフレイサイズの頭を撫でて彼女をなだめ、ごみをフレイスピアに渡す。ごみを受け取ったフレイスピアはそれをポケットに仕舞い、手に持っていた槍の柄で地面を突く。歩みを止め、真夜中の道路を見えない目で見つめる。


「車を持つ悪人は遠くにいます。こちらに少しずつ近づいているように思いますね」


 新堂も足を止めた。彼女の言う悪人というのは、接近しつつあるというのだ。

 少ししてから新堂も悪人の正体がわかった。消音機を壊したバイクにまたがって、遠くから騒音がやってくる。このあたりで活躍しているらしい地元の暴走族だろう。若気の至りすぎるが、彼らにとってはチームのため自分のため誇りのために譲れないことなのだろう。あるいはただストレスの発散のために必要なのかもしれないが、どちらにしても最終的に騒音を撒き散らしながら道路を占拠して走り回るという行為に及ぶのだから、善であるとは思われない。

 確かに新堂は彼らを不快に思う。だが、彼らを打ち倒して乗り物を得ようというのはどうか。


「彼らの乗り物は二輪が大半ですが、二台ほど四輪があります。おそらく、我々三人が乗ってもまだ少し余裕があるほどの車です。少しばかりお借りしましょう」


 強奪するわけだが、借りるという表現を使うフレイスピア。後で返すつもりがあるのかないのか、そのあたりは不明だ。

 前方から徐々にエンジン音は近づいてくる。もう、騒音といってもいいだろう。フレイサイズは初めてこれほどの騒音を聞くらしく、両手を耳にやってふさごうとさえしていた。だが怯えているわけではない。


「そうだな、少しだけ借りよう」


 新堂は結局、近づいてくる暴走族から車を奪うことを決めた。だが車が二台というのは少し気になる。


「フレイスピア、その集団に二輪車はどれほどの数があるかわかるか」

「五十台ほどです」


 多い!

 フレイスピアが捕捉した数を聞いた瞬間、新堂はそう思った。恐らく相当に規模の大きなチームなのだろう。多分、これを壊滅させると他のチームも黙っていないに違いない。


「それだけの数、同じだけの人間もいるというのか」

「そうでしょうね」

「殺すわけにはいかないな」

「仰るとおりです」


 新堂の呟きに、フレイスピアは淡々と答える。ため息をつきたくなるのをこらえて、新堂は右目を閉じる。頭に手をやって、耳を塞ごうとしているフレイサイズを見るが、手に持った鎌は大きい。尻尾は萎えているわけもなく、不快そうに曲がっている。


「フレイサイズに働いてもらおう」

「そうですね。我々でもバイクにはねられたり、轢かれたりすればたまらないでしょう。身の軽いフレイサイズに彼らを打ち倒してもらうのは妥当な案です」


 騒音は近づいてくる。新堂はフレイサイズに着せていたフードつきの上着を脱がせてやる。白い髪と耳が露出し、猫のような顔が見える。ついでにところどころ血で汚れたメイド服もだ。


「フレイサイズ。近づいてくるバイクの方々を叩き伏せてくれ。ただし、殺す必要はない。車が欲しいんだ、それさえ手に入れば逃げ出したものまで追撃してまわらなくていい」


 少しずつ大きくなるエンジン音の中、新堂はフレイサイズにそう言って説明する。彼女は新堂からの頼みを喜々として受け入れたように見えるが、恐ろしく端的にしか理解していないようにも見える。こくこくと頷き、布を巻いたままの鎌を持って道路の真ん中に立った。

 とにかく一暴れすればいいんだな、としか思っていなさそうなその態度に新堂は若干の不安を覚える。だが、これ以上説明している時間はない。


「とりあえず、彼ら以外に走っている車は今のところ周囲にはありません。道路全面を安心して使えるでしょう」


 フレイスピアはそれだけを言った。新堂は頷く。センターライン上に仁王立ちになっているフレイサイズ。

 すぐに、夜の中の暴走車はやってきた。大きな騒音だ。よくこれだけの騒音の中を彼ら自身は平気でいられるものだと思わずにいられない。確かに五十台はいそうな、大所帯だった。これは相当名のあるチームなのではないだろうか。

 ヘッドライトで照らし出されるフレイサイズ。警笛が鳴った。感心だが、これだけの騒音の中では意味がないようにも思える。クラクションは何度も何度も違うバイクから鳴らされ、それが六度目になろうかという瞬間、フレイサイズが動いた。持っていた鎌を両手で握りなおし、足を開いてそれを振り回す。


「うわ!」


 新堂は思わずそう声をあげて、退避した。二輪車がそのまま吹き飛んだのだ。

 フレイサイズの一撃は、突っ込んできていた二輪車を数台巻き込んで吹き飛ばし、後続の通行に支障をもたらす。人がまたがったままのバイクが転がり、あるいは空中に吹き飛んだ。

 暴走族たちは怒号を上げた。何が起きているのかわからないもの、状況を把握して、すぐにブレーキをかけた者、それらが混在している。だがそうしている間にも吹き飛んだバイクは道路やその脇にある駐車場に落下して潰れてしまう。転がったバイクにぶつかって、転倒するものも少なくない。連鎖的に暴走族は壊滅していく。

 フレイサイズは最初の一撃だけで終っていない。何度も何度も鎌を振り回し、バイクを空へ打ち上げたり、地面に引き倒したりを繰り返している。

 だが、それによる混乱もわずかな間だった。よほど統制のとれたチームだったのか、すぐに彼らは進軍を停止した。バイクや四輪をその場に停め、この甚大な被害をもたらした相手に対して制裁をくわえようとしたのだ、

 少し離れたところでこれを見ている新堂とフレイスピアの耳に、厳しく相手を誰何する声が聞こえてくる。だがメイド服を着た猫女が相手ではしまらないだろう。そう思うと新堂は暴走族に同情した。

 フレイサイズは布を巻いたままの鎌を、もう一度構えた。巻きつけた布は破れ、刃が露出しつつあった。バイクや四輪のヘッドライトが眩しいので、それがよくわかる。

 暴走族たちは木刀やナイフを持ち出して、この乱入者を仕留めてしまおうとしているらしい。だが、相手が悪すぎる。銃を持った兵士達を相手に丸腰で、しかも無傷で勝ってしまったフレイサイズを相手にその程度の武装で戦おうというのは、無謀という他はない。


「新堂、いけません。フレイサイズでは彼らを殺してしまいます」

「なら君がいくのか?」


 フレイサイズの力が強すぎることを懸念し、フレイスピアは警告した。だが、新堂は取り合わない。


「私に行けと」

「いや、殺してもいいだろう。彼らは女一人に何十人もかかっている上に、武器をもっている」

「新堂、それは残酷です。彼らはフレイサイズの強さを知りません」

「あの猫がいかに強いかは、たった今必要以上に見せつけたじゃないか。それでも逃げ出さないのだから、仕方がない」


 しかし、新堂の懸念は無用のものだった。戦闘が始まったが、フレイサイズは鎌を主に柄で殴ることに使っており、刃の部分で人間を切り伏せたりはほとんどしなかったのだ。

 不幸なことに、速度が違いすぎる。暴走族に勝ち目はなかった。彼らが瞬きをする間にも、フレイサイズは三人を殴り倒している。骨折し、立てなくなった暴走族の一人が地面に崩れ落ち、呻き声をあげる。


「そろそろいいでしょう、新堂。当初の目的を果たしましょう」


 フレイスピアがそう言った。確かに、もう十分だろう。暴走族の半分以上はフレイサイズに叩き伏せられて地面に倒れているし、残りの半分も戦う気力をなくしたのか、向かっては来ない。新堂はフレイスピアとともに歩いた。

 フレイサイズは鎌を下ろし、やってくる新堂を見つめている。新堂は彼女の頭を撫でてから、ついてくるように促した。それだけでこの猫は新堂の後に従う。暴走族たちはまるで動けず、何をするつもりなのかとこちらを注視している。

 だが、新堂にしてみれば彼らと交わす言葉などなにもない。こっちはただの強盗で、あっちは被害者だ。被害者に向かってのんきに話しかける意味はないといえる。四輪者の前に倒れている二輪車を脇へ強引にどかし、それが終るなりすぐに四輪に歩み寄る。

 新堂はボンネットが少しへこんだだけの車にキーがついたままになっていることを確認すると、中に乗り込んでエンジンをかけた。フレイスピアとフレイサイズも後部座席に乗り込んでくる。


「よし、では出発しよう。簡単に車が手に入ってよかった」


 新堂はすぐにアクセルを踏み込んだ。後部座席にいるフレイスピアも、シートベルトをかけながらそれに応じる。


「そうですね新堂。フレイサイズもよくやってくれました」


 この四輪は特に騒音を出すように改造をされているわけではないらしい。快適に進む。

 バックミラーを見ると、フレイサイズの頭を撫でて彼女をねぎらうフレイスピアが見える。そして、背後に続く闇も。

 誰かが一人くらい二輪でこちらを追跡してくるだろうかと思ったのだが、その気配はない。車内のエアコンを調節しながら、新堂は安堵の息を吐いた。

 フレイソードたちのいる研究施設まで、どのくらいかかるだろうか。



「ところでフレイスピア、聞きたいことが一つあったんだが」

「なんでしょうか、新堂」


 幹線道路を走りながら、後部座席に一瞬目をやる新堂。それに応じるフレイスピア。


「ずっとラジオを聴いていたんだろう? 我々のことは報道されていたのか」


 すぐにフレイスピアが答える。


「いいえ」


 思わず新堂は確認した。


「一度も?」

「一度もです」


 フレイスピアは断言した。


「それに、研究施設から逃亡した実験体がいるとなればもう少し騒がれていてもいいはずです。山奥とはいえ、このようなことはありませんからね。他に大きなニュースもありません」

「ということは、どういうことが考えられる」


 運転に集中したい新堂は、考え事をフレイスピアに丸投げにした。だが、フレイスピアはそれに対して丁寧に対処する。有能な秘書のように。


「報道規制がかかっているか、もしくは我々の逃亡という事態を隠蔽したか、その二つのうちどちらかでしょう。先ほども予想したように、私たちを研究していた施設はこの国の法律に触れる行為をしていましたので、とても警察に頼れない。よって通報もせずにいたのではないか。あるいは、ことが重大だととらえた警察がこの事件を報道しないように報道機関に規制をかけたか」

「恐らく前者だな。となれば、特に警察の目を恐れる必要はない」

「それは最初からです。ただし、我々が『人間』として扱われるならばの話ですが」


 フレイスピアの返答に、新堂はどきりとした。人間として扱われる。当然のことだと思っていたが、今は違うかもしれないというのだ。


「俺たちは人間でない、というのか」

「フレイサイズを見ても、おわかりになりませんか」


 搾り出すような新堂の声に、フレイスピアは冷淡に答える。


「私には今のところ、母親のお腹から生まれてきたという記憶はありません。あったとしても、物証は何もありません。そして私が人間だという証拠も」

「人間である証拠、だと?」


 新堂は嫌な気分になった。


「そんなもの、世界中のどこを探せばでてくる。DNA鑑定でもしろというのか」

「我々は実験動物だったんです、新堂」


 フレイスピアの言葉は真実だが、聞きたくなかった。新堂は右目を閉じて、すぐに開いた。


「俺は人間だよ、そう思いたい」

「私は別に動物であっても構いません。人間並みに大切に思ってくれる人がいるのなら」

「相対的な評価として、『人間』であればいいというのか?」


 新堂はバックミラーを見た。フレイスピアは平然とした顔でこちらを見ていた。


「新堂もそう思うはずです。もしサバンナの真ん中へ一人で投げ出されてしまったら、自分が人間かどうかなんてことは関係がなくなると」

「文明のないところというか、社会のないところではな」

「同じですよ、新堂。我々は今現在、逃亡生活中です。生物的に人間であるかどうかなんて、関係ありません。それに既に、私たちが人間とは呼べない存在であることはわかっておられるでしょう」

「そうだな」


 新堂は頷いた。


「全くその通りだ」


 次の瞬間、アクセルは強烈に踏み込まれた。急激な速度の上昇に、ぼんやりと窓の外を眺めていたフレイサイズが慌てる。フレイスピアはそれをなだめつつも、新堂に無理な運転は控えてくださいと小声で言う。

 しかし新堂はそれを聞いているのかいないのか、片目を閉じて、舌先を噛む。

 今彼は、何も考えたくなかった。

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