こいよ、こい!
「どうせ来るなら花見で来たかったなあ、わたし」
「そうっスか? 飲めるんなら、俺はなんだっていいッスけどね」
「アンタ、調子にノリすぎ! それに車なんだから飲んだらダメ」
「わっ、わかってますって~。つまんないこと言わないでくださいよう」
テンション高めに仲良くしゃべりながら、連れ立って歩く一組の若い男と女。公園の出入り口の脇に止めてあった車に乗り込む。
そんな彼らを見送るわたしは、お留守番役だ。地面に敷いた青い大きなビニールシートの横に立ち、「日本酒とあたりめを忘れないでよー」と陽気に手を振る。
車中の彼女が笑って手を振り返してきた。ゆっくりと車が動き出す。角を曲がり路地裏に入って見えなくなると、すぐにわたしは手を下ろした。
こんな時期ハズレに外で、しかも夜に飲もうだなんて、ため息が出る。だって、桜はとっくの昔に散ってしまったのだから。
今日はゴールデン・ウィークの後半、折しも子供の日。年度替わり早々仕事が忙しく、花見のチャンスを逃してしまったわたしたちは、会社近くの公園に集まって飲み会を催すことにした。といっても、「花見のリベンジだ!」と乗り気なのは、さっき買い出しに出かけた後輩の二人だけ。彼らは最近付き合い始めたばかりの、年の差&社内恋愛バカップルだ。
「デートをしたいのなら、他人を巻き込まないでよね。たった一人で留守番をするこっちの身にもなってほしいよ」
誰もいない空間に向かってブツブツ文句を言ったものの、二人をちょっぴりうらやましく思う自分を自覚している。
世間でいうところのアラサ―女子という立ち場を許されていても、二十代のころとはやはり違うのだ。認めたくはないけれど、ふとした拍子に、潤いが足りず、ガサガサしているかのような滅入った気分になるのは確かなわけで。
せめて恋でもしていたら、こんなこと思わないかもしれない。生憎と、わたしは恋なんかしていないし、オバサマみたいに韓流ドラマの俳優に憧れてもいないし。
ん、ちょっと待ってよ。だったら、わたしは好きな人がいないから暇なのかも。他にやることがないから、せっせと働いていることになるんじゃ……。
――ええい、やめやめ! そんなのちゃんちゃらおかしいよ。ナシ!
頭を振って惨めな考えを打ち消したあとに、「ヒャッホー!」という奇声をあげた。ビニールシートの真ん中をめがけてダイブする。
うん、思ったとおりだ。シートの下にある段ボールが、上手い具合にクッションになってくれたおかげで、ぜんぜん痛くない。そのままクルリと体を反転させて、めいっぱい伸びをした。
日の沈みかけたキレイなオレンジ色の空は、鯉のぼりたちの独壇場だ。夕方のこの時間はちょうど風が強く吹くので、本物の鯉と見間違えるほどに生き生きと泳いでいる。米粒ほど小さく見えるに違いないわたしを「それみたことか」という感じで見おろしているようで。別にうらやましくもなんともないのだけれど、視線が行ってしまう。
あーあ、鯉のぼりすら、ちゃんと泳いでいるのに。どうしてわたしは、もっと上手に泳ぐことができないのだろうか。
「こーい、こい! こっちにこーい!」
いつのまにか自然に言葉を発していた。子供のころお祖母ちゃんの家にある池の鯉に餌をやるとき、歌うように口ずさんだ言葉だ。ダジャレっぽい言葉遊びが面白くて、弟の鯉のぼりにもそう呼びかけていたっけ。
そういえば『恋』と『鯉』は同じ読み方だ。なぜ昔の人は、恋と鯉を同じ読みにしたのだろう。
「おまえ、何やってんだよ。パンツまる見えだぞ」
ぬっと黒い影が現れ、わたしの空がさえぎられた。同僚が戻ってきたのである。同僚は同僚でも買い出しに出かけたバカップルの方ではなく、客先へ出かけて戻ってきたばかりの男。お互い気心の知れた、わたしの数少ない異性のお友達だと言ってもいい。
わたし好みの顔をしているのが、少々憎々しげだけれど。友情に顔は関係ない。
「バカじゃないの。パンツはパンツでも元からパンツスーツなの。下着じゃないって」
「誰が下着だって? 俺はただパンツって言っただけだろ。オラどけよ、疲れてるんだからさ」
渋々起き上がると、わたしの断りなしに、彼はブルーシートの上に胡坐をかいた。ネクタイを外して襟元を広げる。
出っ張った喉仏が露わになったのを見て、ドキッと心臓が跳ねてしまった。
こいよ、こい! ひょっとして、わたしのところにもやっと来たのかな――。
読んでくださってありがとうございました。
ドキッとする男性の何気ない仕草は、わたしの場合はコレです。
ちょっと変態チックかもしれません(汗)