第一章 港町ミラ
青年は立ち止まると、潮の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。空は雲ひとつなく、かなりいい天気だ。
「なのに、やけに暗いよな…」
青年の呟きに、荷物の中から黒猫が姿をあらわし、器用に肩の上に上った。
「まあ、当たり前の反応だろう。港町でありながら、船を出せなければ商売はあがったりだ」
青年は諦めたように、小さくため息をついた。
「ダット、街中では喋るなといつも言っているだろう?」
言われた本人は興味なさそうに顔を背ける。言っても、無駄か…。苦笑しながらエレイドはあたりを見回した。
「まあ、お前の言うとおりだけどな」
人通りは、商業町の事だけあって少なくはないのだが、船乗りらしい男達がいたるとこで、酒瓶片手に虚空を見つめている。
「とりあえず、ギルドだ」
双頭の鷲の紋章が描かれた看板を確認し、エレイド達は店の中に入っていた。扉につけられた鈴が小さくなる。ここはギルドとはいえ、酒場のはずなのだが…暗く、客は誰もいない。依頼が張られる掲示板に目をやると、アレンが言っていたように、依頼書であふれていた。稼げそうだ、エレイドは内心ニヤリとした。この間の事件で、新しい剣を手に入れたのは良かったのだが、財布の中身もかなり乏しくなってしまったので、この町まで足を伸ばしてきたのだ。
「依頼だったら、受けられないわよ」
沈んで、無気力な声がかけられる。見ると、誰もいないと思っていたカウンターのところで肘をつきながら、酒を飲んでいる人物がいた。
「?」
違和感を感じる。目の前に座っているのは筋肉質のがたいがいい男性。けれど…。彼が振り返って、戻ってきた言葉に違和感は確信へと変わる。
「あら~ぁ?ずいぶんと可愛らしい子じゃな~い?」
酒くさい息を吐きながら顔を近づける男性に、エレイドは思わず後ずさった。なよなよとした彼の姿勢に、思わず鳥肌が立つ。
『あいつは悪いやつじゃないんだが、ちょっと趣向が変わっているというか、なんと言うか…まあ会ってみればわかるさ』
王都ドレイクでエレイドたちが定宿にしている宿屋の主人の言葉が脳裏で再生される。含みを持った言葉はこういうわけだったのか…!内心悪態をつきながらも、引きつった笑いを返す。
「俺は、依頼しにきたんじゃない。依頼を受けに着たんだ」
「あなたみたいな、可愛いい坊やが?」
一瞬男の顔に光が見えたが、次の瞬間、再び沈んだ表情へともどってしまった。
「あなたが?やめておきなさいよ~」
又酒瓶を手に取り、コップへと注ぐ。
「判断するのは、こいつを読んでからにしてくれないか?」
そう言ってエレイドは懐からドレイクの親父さんが書いてくれた紹介状を取り出した。男は興味のない顔をしながらも、手紙を受け取り、封を切る。
手紙を読み終わると、男は興味深そうにエレイドをまるで値踏みするかのように、下から上へと見上げた。
「坊やがエレイドちゃんなのね~?」
エレイドは背筋を走る悪寒は極力無視する事に決め、うなずいた。
「それでダットちゃんは…?」
「こいつさ」
エレイドは自分の肩に乗っている黒猫に指差した。ダット本人は興味なさそうにそっぽを向く。
「あっ。自己紹介が遅れちゃったわね~?あたしはここ、ミラのギルドマスター、ダンよ」
差し出された手を握ると、かなりの握力で握られた。痛みで顔をしかめそうになるが、もちろん顔には出さない。まったく、ペースが狂いっぱなしだ。
「とりあえず、座って~」
エレイドが座ると、珍しくダットはテーブルではなく隣の椅子に飛び降りた。そんな様子は見えないが、ダットもダンが苦手なのかもしれない。
「あの親父さんがこうまで書くから、実力はあるみたいね~」
「一応、二級も持っているが?」
ギルドに登録されている冒険者は、その実力や実績、または試験によって階級に分けられる。階級は六級から始まり一級まである。実はその上もあるのだが、とりあえず割愛しておこう。それでもエレイドの持つ二級の冒険者のメダルは、それなりの腕を意味している。
「う~ん…そうね~。このままでは何も変わらないし…」
ダンはいまだに少し渋りがちだ。しばらく考え込み、ようやく決めたのか、まるで自分に言い聞かせるかのようにうなずいた。
「わかったわ。とりあえずミラの状況どこまで知っている?」
「残念ながら、ほとんど知らない」
「そう。じゃあそれから説明しなければならないわね~」
ダンは小さくため息をしコップの中身をあおろうとしたが、空だったのか再びテーブルに置いた。ついでに酒瓶にも栓をする。
ダンが話し始めようとした時だった。扉が開くと同時にくくりつけられた鈴がなった。
「まったく、今日はお客さんが多いわね~。悪いけど、依頼は受けられないわよ~?」
「私は依頼を頼みに来たわけじゃないわよ?」
なんでお前が…。聞き覚えのある声に、エレイドはゆっくりと振り返った。
「エレイド?なんであんたがいるの?」
入ってきた女性はきょとんとした表情になる。長い髪はまとめあげ、うしろで銀の髪留めで止めている。
「それはこっちの台詞だ」
「あたし?室長の指令。まったく、ようやくドレイクでゆっくりと休めると思ったら、にこやかな顔で指令書、持ってくるからいやになっちゃう!」
「おや?お二人さん、お知り合いかしら?」
会話から締め出されていたダンが、加わってくる。
「あなたが、ここのギルドマスターね?あたし、フラム。一応、火の魔術師よ」
そう言ってフラムは首からかけた金色の鍵を取り出してダンに見せた。ダンは目を見開き、口をあんぐりと開ける。この金の鍵、普段目にかかるような代物ではない。繊細な彫刻が施され、目立つのが王国の紋章。王国魔術師の一人だという証だ。彫刻以外にも、魔術具としての働きもあるらしいのだが、詳しいことはエレイドは知らない。
「なんであなたみたいなお偉いさんが?」
「あたしは別に偉くはないわよ~。あたしがここにいるのは、ミラの事がいろいろとうちの室長の耳に入ったって事。ついでに溜まっている依頼もあたしが受けてあげる」
「っておい!俺が目をつけた仕事だぞ?」
「じゃあ、五・五で手を打たない?この量よ、半分でもそこそこになるんじゃない?」
フラムは依頼で埋まった掲示板を指差し、いたずらっぽく笑う。
「しょうがないな…」
「依頼は一応、冒険者にしか…」
「大丈夫、大丈夫。あたし、冒険者登録もしているから、問題ないわ」
フラムは気軽に言って、今度は双頭の鷲が彫りこまれたメダルを取り出した。階級はエレイドと同じ二級。ダンは完全に言葉を失った。