表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR

続きそうな短編集【静謐なる星界】

灯台惑星

作者: 曽我部穂岐
掲載日:2026/07/30

 補給船が灯台惑星へ接近したとき、エナは窓の外を見つめていた。


 惑星と呼ぶには、あまりにも小さい。


 宇宙に浮かぶ黒い岩塊。その中央に一本の塔がそびえ、頂から青白い光が伸びている。


 銀河辺境灯台7236号。


 人口1名。


 居住者変更なし。


 運用開始から200年。


 公的記録には、そう記されていた。


「ようこそ」


 着陸場で待っていた老人は、灰色の防寒衣をまとっていた。


「管理人のディルだ」


「補給局のエナです」


 差し出された手を握った瞬間、エナは妙な感覚を覚えた。


 人の温もりに触れるのが、ひどく久しぶりだった気がした。


 灯台内部は静まり返っていた。


 中央には巨大な発光柱が立ち、塔の底から頂までを貫いている。半透明の柱の内側を、青白い光が脈打ちながら上昇していた。


「記録にある航路灯とは、構造が違いますね」


「よく気づいたな」


 ディルは発光柱を見上げた。


「だが、公式にはこれも航路灯だ」


 その夜、エナは足音で目を覚ました。


 一歩。


 また一歩。


 誰かが廊下を歩いている。


 扉を開いたが、誰もいなかった。


「ディルさん?」


 返事はない。


 扉を閉めようとした、そのとき。


「母さん……」


 幼い少女の声が、耳元で聞こえた。


 エナは振り返った。


 無人の通路が続いている。


「母さん、どこ……?」


 声は壁の向こうからではなかった。


 頭の中へ直接流れ込んでくるようだった。


「誰なの?」


 答えはなかった。


 発光柱の低い振動だけが、灯台の夜に響いていた。


 翌朝、その話を聞いたディルは驚かなかった。


「聞こえたか」


「以前にも?」


「よくある」


「ここには、あなたしかいないはずでしょう」


「公的記録ではな」


 ディルは窓の外を見た。


「ここには、大勢の人間がいる」


 エナは施設記録の閲覧を求めた。


 許可はすぐに下りた。


 中央サーバを開いた瞬間、彼女は息を呑んだ。


 保存されていたのは、膨大な人格記録だった。


 事故で死亡した輸送船の乗員。


 消息を絶った探査隊。


 疫病で滅んだ植民地の住民。


 戦争によって消えた都市の市民。


 氏名、記憶、思考傾向、感情反応。


 ひとりの人間を形づくっていた情報が、数十億件、保存されている。


 エナが一覧に触れた。


「着陸脚損傷。右側推進器、応答なし」


「誕生日おめでとう」


「愛している」


「先に行っている」


「忘れないで」


 笑い声。


 泣き声。


 誰かを呼ぶ声。


 途中で途切れた歌。


 知らない言語も混じっていたが、なぜか意味だけは理解できた。


 無数の人生の断片が、頭の中を流れていく。


「停止して」


 声は止まらない。


「停止!」


 エナが叫ぶと、記録庫は静まり返った。


 入口にディルが立っていた。


「これは何なんですか」


「人格記録だ」


「そうではなく、この灯台は何のためにあるんですか」


「記憶を送るためだ」


 ディルは発光柱を見上げた。


「失われた人々の記録を、宇宙へ送り続けている」


「どこへ?」


「分からない」


「誰に?」


「それも分からない」


「受け取る相手も分からないのに?」


「そうだ」


 光の束が柱を昇り、塔の頂から宇宙へ放たれた。


「受け取る者がいるかもしれない。誰もいないかもしれない。それでも、灯台は送り続けている」


「意味があるんですか」


「君はどう思う」


「私に聞かないでください」


「君に聞いている」


 エナは発光柱を見つめた。


 昨夜の少女の声が、耳の奥に残っていた。


「分かりません」


「なら、消しても同じか」


「いいえ」


 エナは即座に答えた。


「分からないことは、消す理由になりません」


 ディルはしばらく黙っていた。


 やがて、わずかに頷いた。


 数日後、補給任務は終了した。


 出発直前、ディルは着陸場まで見送りに来た。


「最後にひとつだけ」


「何ですか」


「君は私を知っているか」


 エナは老人の顔を見た。


 どこかで会った気もした。


 だが、思い出せない。


「いいえ」


 ディルは安堵したように微笑んだ。


「それでいい」




 補給船が離陸した。


 灯台は遠ざかり、青白い光は小さな点になった。


 そのとき、星々が消えた。


 操縦盤が消えた。


 船体も宇宙も、光の粒となって崩れていく。


 虚空に白い文字が浮かんだ。


[人格適性試験:終了]


[対象人格:ENA]


[試行回数:87]


[判定:適合]


「何……?」


 補給船が消滅した。


 残ったのは、果てのない白い空間だけだった。


 その中央にディルが立っている。


「ようこそ」


 老人は静かに言った。


「試験の外へ」


「試験……?」


「灯台を任せる人格を選ぶためのものだ」


「私は人間です」


「かつてはな」


 エナは自分の記憶を探った。


 補給船の名前。


 同僚の顔。


 故郷の星。


 何ひとつ、はっきりと思い出せない。


「君は遠い昔に死んだ人間の人格記録だ」


「嘘です」


「私も最初はそう言った」


「あなたも?」


「ああ。私も人格データだ」


 エナは出発前の質問を思い出した。


「私たちは、以前にも会っているんですか」


「87回」


「なぜ覚えていないの」


「試行ごとに、君の人格を開始時点へ戻した。あの質問は、それを確かめるためだ」


「これまでの私は、何と答えたんです」


「いつも、記録を残す意味を私に求めた」


 ディルはエナを見つめた。


「今回は初めて、自分で消さないと決めた」


「なぜ同じ試験を繰り返したの?」


「声も、状況も、少しずつ変えた。それでも君の答えは変わらなかった」


「今回までは」


「ああ」


 エナは白い空間を見渡した。


「あの少女も、試験のために作られたんですか」


「いや」


 ディルは首を振った。


「7236号に保存されている、本物の記録だ」


「なぜ、灯台に管理人が必要なんです」


「装置は記録を送れる」


 老人は答えた。


「だが、送り続けるかどうかを決めることはできない」


「誰が、こんな仕組みを作ったんですか」


「それを探している」


「誰が?」


「私たち全員が」


 ディルが手を振った。


 白い空間が開いた。


 その向こうには、無数の灯台があった。


 黒い岩塊の上。


 凍結した惑星の上。


 海の中。


 何もない虚空。


 灯台は1000基を超え、10000基を超え、やがて数える意味を失った。


 それぞれの前に人影が立っている。


 男、女、老人、子供。


 全員が管理人だった。


 全員が人格記録だった。


「あなたは7236号の管理人ではなかったんですか」


「試験の中ではな」


「では、ここでのあなたは?」


「候補者を迎える役目を持っている。私にも別の灯台がある」


 ディルは光の海を見渡した。


「最初に灯台を造った者を、私たちは創設者と呼んでいる」


「誰なの?」


「分からない。記録は残っていない」


「では、なぜ送り続けているんですか」


「それも分からない」


 ディルはエナを見た。


「創設者を探している。あの者が、なぜ死者を残そうとしたのかを知るために」


 無数の声が聞こえた。


 別れの言葉。


 泣き声。


 笑い声。


 途切れた歌。


 その中に、あの少女の声もあった。


「母さん……」


 白い空間に文字が浮かんだ。


[灯台番号:7236]


[管理人格:ENA]


[登録:完了]


[創設者捜索:継続]


[経過時間:324891年]


 人類がまだ存在しているのか。


 送られた記憶を受け取る者がいるのか。


 この場所が、本当に試験の外なのか。


 何ひとつ分からなかった。


「母さん……」


 少女の声が、もう一度聞こえた。


 エナは答えなかった。


 ただ、その記録を閉じなかった。


 灯台7236号の光が、一度だけ強く脈打った。


 またひとつの記憶が、受け手の知れない宇宙へ送られていった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ