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「君の瞳は嘘を見抜けない」と婚約破棄された治癒師ですが、転生前は心電図を読む臨床検査技師でした

作者: uta
掲載日:2026/07/03

「君の『琥珀眼』は欠陥品だ」


王立治療院の大広間に、第二王子ロイドの声が朗々と響いた。


「聖女リリアの心は清らかだと、その瞳は映せなかったのだからな」


大理石の床に、居並ぶ治癒師たちの視線が突き刺さる。私は——アンバーは、診断台の前に立ったまま、その光景を眺めていた。


(脈拍、毎分百二十。声の張り上げ方からして交感神経が優位……興奮性の頻脈ね。要するに、気持ちよくなって喋ってる)


王子の隣には、聖女リリア。波打つ金髪、潤んだ碧眼。儚げに目を伏せ、まるで自分が傷つけられた被害者のような顔をしている。


だが、私の琥珀眼には見えていた。


彼女の胸の奥で打つ鼓動が——どす黒く濁った琥珀色のグラデーションで、ぐにゃりと歪んでいるのが。


(やっぱり、今日も濁ってる。この人の心音だけ、人前と裏で別人みたいに変わる。普通こんな波形は出ない)


「アンバー。お前は嫉妬で同性を貶める偽治癒師だ」


ロイドが断じた。


「リリアの心音だけを『濁っている』と診断し続けた。聖女を、汚れた者だと言い続けた。許されることではない」


ざわり、と広間が揺れる。


私は前世——日本で心電図と心音図を何万件と読んできた臨床検査技師、琥珀だった。交通事故で死んで、この世界に転生した。


だからこそ分かる。心音は、嘘をつかない。


どれだけ表情を取り繕おうと、鼓動だけは本心を白状する。


(だから言ったんだけどなあ。この人の心臓、何か変ですよって。診断結果を改ざんしろなんて、私の職業倫理が許さない)


リリアが、そっと目元を拭った。


「……わたくし、ただ正直に診ていただきたかっただけですのに。どうして、こんな……」


(はいはい、人前モードの清らかな心音。さっきまでとは別人の波形。器用なものね)


「何か申し開きはあるか」


ロイドが顎を上げる。涙ぐむリリアの肩を、いたわるように抱き寄せながら。


私は、静かに息を吸った。


そして——深く、頭を下げた。


「分かりました。では、辞めさせていただきます」


一瞬、広間が静まり返った。


「……は? それだけか。喚かないのか、泣き縋らないのか」


ロイドが拍子抜けした顔をする。


「給料分の仕事はしました。正直に診断もしました。これ以上ここにいる理由がありません」


私は白衣に似た制服の裾を払い、淡々と踵を返した。


背後で、リリアの心音が——勝ち誇るように、ぐにゃりと色を変えたのが視界の端に映った。


(その勝ち誇った濁り方……覚えておきましょう。あなたのその心音)


私は振り返らず、大広間の扉を押し開けた。


この追放が、誰の墓穴を掘ることになるのか。


この時はまだ、誰も知らない。



冒険者ギルドの登録窓口で、私は淡々と書類を書いていた。


「治癒師ねえ。しかも元・治療院の。……アンタ、もしかして例の『偽治癒師』さん?」


受付係が探るような目を向けてくる。噂は早い。


「ご存じで? 嫉妬で聖女を貶めた、欠陥品の琥珀眼の持ち主ですよ、私」


私が表情も変えずに答えると、横から豪快な笑い声が割り込んできた。


「はっ! 偽治癒師なんて噂、誰が信じるかよ」


振り返ると、短く刈り込んだ黒髪の青年剣士が、人懐っこい笑顔で立っていた。


「俺はノエル。パーティ組まないか? 治癒師が一人欲しかったとこなんだ」


(脈拍は安定、心音もまっすぐ。……この人、嘘がない。珍しい)


「いいんですか。欠陥品ですよ」


「結果で見るさ。噂じゃなくてな」


こうして私は、ノエルのパーティに加わった。


初めての討伐——森に巣食う大狼型の魔物。ノエルたちが身構える中、私は琥珀眼を凝らした。


(魔物にも心臓がある。なら、リズムが乱れる瞬間がある)


獣の胸で打つ鼓動。攻撃の直前、必ず一拍——心音が大きく跳ねる。


「ノエル! 左前脚を踏み込んだ次の瞬間、心拍が跳ねます。そこが隙です。三、二——今っ!」


ノエルの剣が、寸分違わず魔物の喉を貫いた。


「……マジか。ど真ん中だ」


剣を引き抜きながら、ノエルが呆然と呟く。


「アンバーが乱れるって言ったら、そこが弱点だ。理屈は分からんが、当たるんだから従う」


それから、私たちのパーティは連戦連勝だった。


心音を読む。それだけで、魔物の動きが手に取るように分かる。


治療院が見捨てた能力は、戦場でこそ輝いた。


(皮肉なものね。あそこで『欠陥品』扱いされた瞳が、今は誰よりも頼られてる)


ひと月も経たぬうちに、私は高ランク治癒師として名を上げていた。


そしてある日、ギルドに一通の依頼が舞い込む。


竜人将軍ガイ——『無慈悲な紅竜』からの、直々の指名依頼だった。



「貴様が、噂の治癒師か」


低く重い声が、地を這うように響いた。


身の丈二メートル近い偉丈夫。首筋と腕に燃えるような紅鱗が走り、岩のような筋肉が鎧を押し上げている。鋭い眼光がぎろりと私を射抜いた。


竜人将軍ガイ。戦場で『無慈悲な紅竜』と恐れられる男。


部下の冒険者たちが、明らかに怯えて後ずさっている。


「依頼内容を確認します。負傷兵の治療と——……ぶっ」


思わず、吹き出してしまった。


「な、何がおかしい!」


ガイが声を荒げる。だが、私の瞳には見えていた。


鋼のような無表情の裏で——彼の心音が、滝のように優しい琥珀色で、激しく乱れ打っているのが。


(これは……心配性の動悸だ。それも、かなりの。初対面の私を威圧して怖がらせてないか、不安がってる……?)


「将軍。あなた……顔と心拍が一致してませんね」


ガイの巨体が、びくりと跳ねた。


「な……っ、何を、根拠もなく——」


「今、毎分百十。完全に動揺の波形です。怖い顔を作ってますけど、心臓は『嫌われたくない』って大慌てしてますよ」


みるみるうちに、ガイの紅鱗が——いや、耳まで、真っ赤に染まっていく。


「ち、違う! 俺は無慈悲な紅竜だ! 心配などっ……」


その時、奥から運ばれてきた負傷兵を見るなり、ガイは言葉を切った。


「——お、おい、しっかりしろ! この程度のかすり傷で死ぬんじゃないぞ! 頼むから……っ」


そして、ぼろぼろと、涙をこぼし始めた。


強面のまま。岩のような顔のまま。滝のように泣いている。


(……うわ。本物のポンコツだ、この人。強面のまま号泣してる)


「将軍。傷は浅いです。心音も安定してます。死にません」


「ほ、本当か……っ、よかった……ぐすっ」


豪傑の号泣を前に、周りの兵たちは慣れた様子で頷いている。どうやら、いつものことらしい。


私は、思わず微笑んでいた。


(こういう人なら、信じられるかもしれない。少なくとも、心音は——嘘をついてない)


この不器用な竜人将軍が、後に私の運命を大きく変えることになるとは。


まだ、知る由もなかった。



王都に、異変が広がっていた。


『心臓が止まる呪い』——原因不明の病が蔓延し、人々が次々と倒れていく。


そして、その治療を一手に引き受けているのが、聖女リリアだった。


「聖女様のおかげで、いくつもの命が救われている」


街の噂は、リリア礼賛で持ちきりだ。


だが——おかしい。


ガイが、険しい顔で私の元を訪れた。


「アンバー。妙なんだ。聖女が治療した患者ほど、後で悪化している。死者も増える一方だ。だが誰も、聖女を疑わん」


「……依頼ですね」


「ああ。お前の瞳でなければ、見抜けん気がする」


私は、リリアが治療した患者の一人を診せてもらった。


ベッドに横たわる男の胸に、琥珀眼を凝らす。


そして——ぞわりと、背筋が冷えた。


(この心音……濁ってる。誰かに、生命力を吸い取られたみたいに、本来の色が抜けてる。この濁り方、知ってる)


かつて、王立治療院で何度も見た、あの——


「リリアの心音と、同じ」


思わず口に出していた。


「どういうことだ?」ガイが身を乗り出す。


「禁術です。おそらく『心音喰らい』。他人の心音——生命のリズムそのものを盗んで弱らせ、自分の力に変える術。患者の心臓が止まるのは、呪いじゃない。吸われてるんです」


ガイの顔が、怒りで強張る。


「では、呪いの元凶は——」


「ええ」私は静かに頷いた。「治療しているふりをして、患者から心音を喰らい続けている張本人。聖女リリア——彼女こそが、すべての元凶です」


(追放されたあの日。あの人の心音は、勝ち誇って濁ってた。私を消せたことが嬉しかった。……邪魔だったんでしょうね。心音を読める私が)


「証拠は」ガイが問う。


「あります。絶対に、偽れないものが。心音は、嘘をつけません。彼女自身の鼓動が——全部、白状します」


そして、私は告げた。


「公開診断の場を設けてくれますか、将軍。聖女リリアと、第二王子ロイドの前で」


ガイの口の端が、獰猛に吊り上がった。


「無慈悲な紅竜の名にかけて、整えてやる」



ギルド大広間。公開診断の場には、王都の重鎮、聖女リリア、そして第二王子ロイドが集っていた。


「公開診断ですって? 偽治癒師が、今さら何を」


リリアが儚げに微笑む。だがその胸の鼓動は——人前用に、清らかな色を必死に取り繕っていた。


「アンバー。お前のような追放者が、聖女を貶める茶番か」


ロイドが吐き捨てる。相変わらず、何も見抜けていない。


(脈拍九十。苛立ちと優越感。この人の心音、追放の日から何も変わってない)


私は前に進み出て、琥珀眼を全開にした。


瞳から放たれた琥珀色の光が、広間の中央に、心音の波形を巨大に投影する。


「これは、呪いに倒れた患者たちの心音です」


投影された波形は、どれも濁り、力なく沈んでいた。


「生命のリズムを、何者かに吸い取られている。呪いではありません。禁術『心音喰らい』による、人為的な殺人です」


ざわめきが広がる。


「では——」私はリリアに向き直った。「聖女様。あなたの心音も、投影させていただきます」


リリアの表情が、初めて凍りついた。


「な、何を……わたくしは聖女ですよ。やましいことなど——」


「では、断れない理由はありませんね」


私の瞳が、リリアの鼓動を捉える。


投影された波形は——患者たちと、寸分違わぬ、どす黒い濁り。


そして、人前用の「清らかな心音」の下に隠された、もう一つの——盗んだ生命を貪る、醜く歪んだ波形。


「あっ……」


広間が、どよめいた。


「ご覧の通りです。聖女リリアの心音は、患者たちと同じ濁った色。彼女は治療していたのではない。喰らっていた。患者の心音を盗み、自分の力に変えて、聖女の名声を高めていたんです」


「で、でたらめよ! そんな術、わたくしは……っ」


リリアが叫ぶ。だが、その瞬間。


投影された彼女の心音が、ばくんと跳ね上がり、真っ黒に濁った。


「今、洞性頻脈です。それも極めつけの。嘘をつくと、人の心臓はこう乱れる」


私は、淡々と告げた。


「心音は嘘をつけません。あなたの鼓動が——全部、白状しています」


リリアの顔が、ぐにゃりと崩れた。


聖女の仮面が、剥がれ落ちる。


「……っ、なんで、なんでよ! あの瞳さえ消せば、誰にもバレないはずだったのに! だから王子をそそのかして、お前を追放させたのにっ!」


自白だった。


衛兵たちが、一斉にリリアを取り囲む。


「リ、リリア……? お前、操って……?」


ロイドが、青ざめて立ち尽くしていた。


(ようやく気づきましたか。一番、遅い人が)



聖女リリアは、その場で捕縛された。


禁術『心音喰らい』による連続殺人と、王子をそそのかしての治癒師追放。罪状は、言い逃れようのないものだった。


そして——彼女に操られていたとはいえ、公衆の面前で無実の婚約者を貶めた第二王子ロイドにも、裁きが下る。


「ロイド。お前の王位継承権を剥奪する」


国王の宣告に、ロイドはがっくりと膝をついた。


そして、私を見上げた。


「アンバー……俺は、間違っていた。お前の診断こそ、唯一本物だったんだ。失ってから、気づいた……」


(脈拍が乱れてる。後悔の波形ね。……でも、もう遅い)


「ロイド様。あの日、私はあなたに言いましたよね。『何か変です』と」


「……っ」


「あなたは、それを聞かなかった。見た目だけで人を信じ、心の声を——心音を、聞こうとしなかった」


ロイドが、言葉を失う。


「失ってから気づくのは、いつだって遅すぎるんです」


私は深く、頭を下げた。あの追放の日と、同じように。


「では、これで失礼します」


今度こそ、振り返らずに。


崩れ落ちる愚者を背に、私は陽の差す広間の外へと歩き出した。


静かに。しかし、完膚なきまでに。


ざまぁは、成立した。


外では、ガイが待っていた。


「終わったか」


「ええ。すべて」


その時、彼の心音が——ふいに、激しく乱れ打ったのが見えた。


優しい琥珀色が、滝のように。


(あら? 急に心音が激しく乱れ打って……これは何の動悸でしょうね、将軍)


私は、少しだけ意地悪に微笑んだ。



呪いに倒れた患者たちは、リリアの術が断たれたことで、次々と回復していった。


ガイと私は、王国を救った英雄として称えられた。


だが——本人は、それどころではないらしい。


王城の庭園。月明かりの下、巨躯の竜人将軍が、岩のような顔をして、なぜか直立不動で立っていた。


「アンバー。話がある」


「はい」


(脈拍百三十。完全に動揺の波形。心音、滝みたいに乱れてる。……これはもう)


「俺は……無慈悲な紅竜と呼ばれる男だ。戦場では恐れられ、部下にも厳しく……っ」


「将軍。それ、自己紹介ですか?」


「ち、違う! 黙って聞け!」


ガイが真っ赤になって叫ぶ。それでも、必死に言葉を絞り出す。


「お前は……俺の本心を、唯一見抜いてくれた。鋼の顔の裏を、見てくれた、たった一人で……だから、その……」


そこで言葉に詰まる。岩のような顔が、苦悶に歪む。まるで怒っているかのように。


だが私の瞳には見えていた。


彼の心音が——今までで一番、激しく、優しく、琥珀色に波打っているのが。


(……ああ、なるほど)


「け、結婚を、前提に……俺と、その、ずっと一緒に……っ、いてくれないか!」


怒鳴るように、求婚の言葉が放たれた。


顔は鬼の形相。声は地を這う威圧。


だけど、心音だけは——震えるほど、優しかった。


(ああ。やっぱり、この人の心臓は嘘をつかない)


私は、ゆっくりと顔を上げた。


「将軍。今、あなたの心拍——」


「言うな! 分かってる! 動揺してるんだろう!」


「いいえ」


私は、微笑んだ。


本物の——心からの、笑みで。


「ええ。その心拍なら——信じられます」


ガイの巨体が、固まった。


そして、ぼろぼろと、涙をこぼし始めた。


「うっ……ぐすっ……よ、よかった……っ」


「……泣くのが早いです、将軍」


月明かりの庭園で、号泣する紅竜の将軍と、それを呆れたように見上げる治癒師。


心音は、嘘をつかない。


だから私は、この人を信じられる。


それだけで、もう十分だった。



結婚式の準備に追われる中——ある日、ギルドに一通の報せが届いた。


「アンバー。妙な依頼だ」


ノエルが、首をかしげながら書状を差し出す。


「隣国からだ。なんでも……王が、おかしいんだとさ」


私は書状を受け取り、文面に目を走らせた。


そして、眉をひそめた。


「……どういうことです、これ。『隣国の王が、心音を持たない』?」


「分からん。だが、隣国の宮廷医も匙を投げて、お前を名指しだ。『心音を視る瞳を持つ治癒師を』ってな」


(心音を、持たない?)


生きている人間に、心音がないはずがない。心臓が動いていれば、必ずリズムは刻まれる。前世でも、今世でも、それは絶対の理だった。


なのに——心音が、ない。


(あり得ない。……いえ。あり得ないものを視るために、私のこの瞳があるのかもしれない)


背筋に、わずかな寒気が走る。


隣で、ガイが心配そうに——いや、いつもの怖い顔で、私を見ていた。その心音は、案の定、不安げに乱れている。


「行くのか、アンバー」


「ええ。心音を持たない王、なんて。気になって眠れません。職業病ですので」


「俺も行くぞ。お前一人で行かせるか」


「将軍が泣いて足を引っ張らないなら」


「泣かん!」


(また脈拍上がってる。……はいはい)


心音は、嘘をつかない。


ならば——心音を持たない王の胸には、いったい何が隠されているのか。


私の琥珀眼が、次に映し出すものは。


それは、まだ——誰も知らない。


(さあ。次の患者を、診に行きましょうか)

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― 新着の感想 ―
「心音は嘘をつかない」経験と自信に満ち溢れていて、この主人公カッコいい!!見た目に反して可愛らしいのは将軍ガイですね〜ギャップに萌えですね〜♪心音を持たない王様、めっちゃ気になります!!
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