第8話 今の私があるのは
◇
「「優花ちゃん! お誕生日、おめでとぉ~!」」
パァ~ン、と盛大なクラッカー音がリビングに木霊する。
この日を迎え、晴れて17歳となった優花は「ありがとうございます!」と一切の曇りが無い満面の笑みでお祝いの言葉を心へと仕舞う。
美結と母さんよりも遅れはしたが、俺も心から喜んでいそうな彼女へそっと「おめでとう」とお祝いの言葉を口する。2人分の声量と比べると劣ってしまうかもしれないが、優花は俺の方へと視線を向けると、少しだけ照れくさそうに頬をほんのりと赤くさせながら「……ありがとう、水無月君!」とお礼の言葉を口にする。
普段は見られない彼女のその表情に不意を突かれ、俺はつい彼女から視線を逸らしてしまう。
そんな俺達の反応を観察していた妹が「おやおやお2人さんや、な~にをそんな恥ずかしがっておられるのかなぁ? 熟年夫婦じゃあるまいに!」と、最後に今は要らない言葉を添えて揶揄ってきたことは言うまでもない。
それからというもの、俺達はいつもよりほんの少しだけ喧しい〝いつも通り〟の時間を過ごした。
「悪いな、主役のお前にも手伝ってもらって」
「いいんですよ。1人だけ何もせずにもてなされるというのも、私のプライドが許しませんからね。……それに、こうして今年もお祝いして貰えたことが嬉しいといいますか。言葉では表しきれないような感情を、どうにか行動に出したいと思ってしまうので」
「……そっか」
嬉しそうに呟く彼女を横目に、俺はせっせと後片付けを進める。
現在、美結は風呂へと入りに行き、母さんは後片付けを俺に一任し、自分は2階へと向かってしまったため、リビングには俺と優花2人きり。
こうして2人だけの空間を意図的に作られてしまったわけだが、俺は彼女に抱く邪な感情を本人に向けるつもりはない。
散々彼女のことを幼馴染と呼称するが、学校のクラスメイトが、道行く人が彼女の容姿を目の当たりにして『可愛い』『綺麗』といった感情を抱くのと同じように、俺自身、実のカノジョだからこそ意識してしまう瞬間はどうしてもあるし、いつかはそうなりたいと願わなくもない。
俺だって立派な思春期。健全な男子高校生だ。
どこぞの聖人君主ではない。――俺の名前は『水無月蒼真』。周りよりも立派な家庭環境で育ち、他人よりも美しく整った顔立ちを持って生まれた幼馴染に、しかもカノジョに! 不健全な想いを抱くことだって当然ある。
それを一方通行にしないだけ、今の俺を誰か褒めてほしいものだ。
「…………ぁの、そ、そんなにチラチラ視線を向けられてると、なんというか……スゴく気になってしまうんですが」
「……えっ。あ、わ、悪い! 俺、そんな見てたか……?」
「さ、3秒に1回ぐらいは……」
何してんだ俺、恥っ……。
「ご、ごめんなさい。やっぱり、気が散っちゃいますよね……。さっきの美結ちゃんの件もあって、まだ熱が抜けきれていない気がするんです……」
「それはホントにすまん。……でも、視線については俺が悪い。なんか、変なこと考えてて」
「……変なこと、とは?」
「いや、こうやって優花が俺の隣に立ってるのはいつも通りのことなんだけど、それは幼馴染っていう肩書きを通しての場合が多いからで。他の奴みたいに、一瞬だけ目を奪われる存在として認識すると……こう、不思議と何度も目で追いたくなる、というか」
俺は汗ばむ手で頬を搔く。
横に立ち、改めて目で追うとわかる。
『咲良優花』という女性がどれだけ目を惹く存在か。たった一瞬、すれ違っただけのあかの他人までもを振り向かせてしまうほどの八方美人ぶりなのだと。
だからこそ、彼女に対し邪な目を向ける野郎に嫉妬もする。
彼女の下駄箱にラブレターが入っていたとき、わざわざ教室にまでやって来て告白をしてきたとき。優花に向けられた想いに嫉妬する。――〝彼女〟のことを何も知らないくせに。
自分でも後々後悔してしまうほどの醜さに塗れたマウントを取ってしまう。
ただ、どれだけ彼女への想いを象っても渡すはずもないが、その度にこうも思ってしまう。――最初からそうやって全て受け入れてくれれば良かったのにと。
すると、優花は食器を拭く手を止めて俺の右頬にそっと手を伸ばしてくる。
「全然変なことじゃありません。私は嬉しいですよ、他の人にどう想われようとも、水無月君にだけ想われているだけで。……それに」
そっと目を閉じ、すっと息を吐く。
そうして再び目が開いたそのとき、彼女の瞳の奥の色が変化した。
「――――キミにそう思ってもらえてるだけ、今のボクは幸せだろうね」
「……こんな嫉妬してる彼氏なんて、女子にとっては重くないか?」
「でもそれは、キミがそれだけボクを想ってくれてる証でもあるだろう? その純粋な想いを無下にするほど、ボクは外道じゃない。それに、どれだけ他人から見たボクが理想の高嶺の花だとしても、ボクは決して口八丁な詞には靡かないし、キミ以外を想うつもりもない。それに、約束してくれただろう? ――『咲良優花の全部を受け止める』って」
「………」
忘れるはずもない約束だった。
彼女が彼女となってしまった日。そして……彼女の全てを否定されたあの日。まだ幼かった俺達が交わした、忘れもしない楔。どれだけ変わっても、自覚がある厄介な二重人格となってしまっても。――俺だけは、彼女の全部を受け入れると。
「ボクね、あの時は心の底から嬉しかったんだぁ。みんなが否定したものを、蒼真だけは全部受け止めるんだって誓ってくれたこと」
「幼馴染なんだから、当然だろ」
「あんれぇ~? そこは『彼氏だからな』って言ってくれないんだぁ?」
「……昼間のやつ根に持ってんのかよ」
「そういうわけじゃないさ。ただ、キミに反撃をする機会を逃したくないだけさ。いろんな意味で、ね!」
パチン、と優花は深い海の底のような青色の瞳でウインクする。
咲良優花と同一人物でありながら、品行方正な咲良優花とは違う今の彼女。夕暮れが射す光をバックに見るカノジョの透き通った茶色の瞳と、どこまでも深く続いていく、まるで深海の底のような、地が見えない深い青色の瞳。
これこそが彼女たちが入れ替わった証であり、咲良優花が実の二重人格であることの証明だ。高嶺の花として君臨する彼女の真実に学校中の皆が気づけばさぞこう思うことだろう。――いくらなんでもくだけすぎだ、と。




