第17話 兄妹の日常
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翌朝。俺は眠気まなこを擦りながら、ゆっくりとベッドから身体を起こす。
つい先日、この部屋に幼馴染兼恋人である――『咲良優花』が泊まっていたのだという実感が未だ湧かないが、結局あの日はお互い一睡もすることなく読書会を開いてしまい、恋人らしいイベントはなにも発生しなかった。
ただ、そんなのが逆に俺達らしすぎると今になってもクスッと笑みが零れるほど笑えてしまう。息子の一歩前進を願っていた母には申し訳ない気持ちも少しはあるが。
心の中で独白しつつ制服へと着替え、教材の忘れ物などが無いか確認をしてからスマホをズボンのポケットへと仕舞い、リビングがある1階へと向かうため階段を降りる。
「んおっ。よっすお兄ちゃん様や、おはよ~!」
「はよ」
朝からカロリーの高い妹流挨拶を慣れた対応でサラリと受け流し、リビングへと入る。
すると、俺からの返しに不満を抱いたらしい美結が頬をぷくっと膨らませる。
「むぅ。スルースキルがこうも上がると、そろそろ挨拶のパターンを変更しなくちゃいけませんなぁー。そもそも、実妹の『おはよう』に対して返しが雑すぎやしない?」
「お前の〝それ〟は挨拶じゃなくて、ボケって言うんだ。つーか、母さんと父さんは?」
「今朝早くに仕事行っちゃった。まだやるべき仕事が残ってるからとか言ってたかな」
「そっか。……あれ、じゃあ朝ご飯は誰が作ったんだ?」
俺は、ダイニングテーブルに並べられた朝食を指さす。――が、俺のその疑問に対し美結は『待った!』をかけるように入って来た。
「私に決まってるでしょうに! 見ろ! 私が着用しているこの布はなんだ!」
制服の上から着用しているエプロンをそれみよがしに主張してくる美結。
流れ的に、おおよそそうだろうなとは思っていたが、家では中々ご飯を作ろうとしない妹が見慣れないエプロンを着けているだけで違和感がスゴいなと感じてしまう。すまん。
とはいえ、家事スキルが全く無いわけではない。
帰宅時間が一緒になることが多いこともあり、余程手伝いが欲しい場合以外、基本的に水無月家の晩ご飯は俺が担当している。朝食は忙しくない場合、母さんが簡単に作ってくれるし。
「すまんすまん、さっき揶揄われた仕返しをしたかっただけだ」
「絶対嘘だ。冗談率100%で言ったに決まってる……っ! 今日、放課後にまたアイス買って来てくれるなら、さっきの大人げない発言は聞かなかったことにしてあげるよ!」
おい、昨日買って来たアイス全部食べたのかよ。
昨年以上の猛暑が予想される夏頃になったら、この妹は栄養失調か熱中症で倒れるんじゃないだろうかと、少しばかり心配してしまう。
「……わかったよ」
「よっしゃあ~! 家に帰ればアイスが待ってるっていう楽しみがあるだけで、苦悩に感じてた今日の小テストも満点取れそうな気がする~!」
「それが狙いかよ!」
余程気持ちが昂ったらしく、鼻歌を口ずさみながらエプロンを取っていく。
……俺への苦情は全て過程。本当の意図は、今日実施されるらしい小テストに向けてのモチベアップのためのようだ。とはいえ、気持ち的に半数程だろうが。
「いただきます!」「いただきます」
向かい合う形でそれぞれ朝食を食べ進めるこの空間には、環境音以外の音が無い。テレビでも点けるべきだろうかとも思ったが、この無音な空間でのご飯はそれほど居心地が悪いわけではない。
ただ、俺も美結もそこまで朝が忙しいわけでもないため訊ねてみることにした。
「……なぁ美結。お前って『BLOOM』ってファッション誌好きだったよな?」
「正式には、現在進行形で好きな雑誌だよお兄ちゃん! っでも珍しいね、お兄ちゃんとは縁が遠そうなファッション誌のこと訊いてくるなんて。なになに~? もしかしなくとも、好みのモデルの子がいたとか!?」
「んなわけないだろ」
テーブルに身を乗り出してくる美結のデコ目掛け、軽く手刀をお見舞いする。
「あいたた~……」と軽くお凸を押さえながら、椅子の背もたれまで身体ごと戻って行く美結に一息置いて続けた。
「お前、ヨルっていうモデルについて知らないか?」
「んぅえ、ヨルさん……? そりゃあ『BLOOM』で今1番勢いがある男性モデルだし、顔も良くて身長も高い。まさに理想の彼氏様だって、SNS各所でもかなり話題になってるよ!」
「そうなのか?」
「もっちろん!」
すると、机に置いてあったスマホを手に取り、ブラウザ画面で検索をかけ始める。
サジェストには『BLOOM ヨル カッコいい』といった検索候補がいくつも載っているのが見えたが、美結が開いたサイトは今月号のレビューサイト画面だった。
「今月号の売り上げが高いのもそうだったけど、なによりデビューしてから一度も人気が衰えたことがないんだよね。今では浸透してる『シズさん』とのペアコーデも、初期の頃はかなり荒れてたかな。『私の理想の彼氏に恋人がいた!!』――みたいなノリで」
あいつマジで苦労してたんだな……。
「でも私としては、今のヨル&シズのペア図の方が好きかも。勿論、ヨルさんのピン写も大好きだけど、表情とかがまるで違うように見えるんだよねぇ。目の前にいる片想いの人が幸せに過ごしているのを目の当たりにしてるみたいな……儚い感じ」
「……やっぱそう見えるよな」
「うぇ? もしかしてお兄ちゃん様や、このイケメンに一目惚れを……っ!?」
「そうじゃねぇって言ってんだろうが」
どんだけそっち方向に話を持っていきたいんだこいつ。
「冗談だって冗談! んでも、お兄ちゃんがこの手の話を振ってくるなんて珍しいじゃん。なんかあったの?」
「あ、いや。昨日夜にコンビニ行っただろ? そのとき、偶然同い年ぐらいの学生が今月号の『BLOOM』について話してるのが耳に入って来てな。そういやお前も好きだったなと思って、ふと訊いてみただけだ。特に深い意味は無い」
俺は残っていた味噌汁を飲み干し、ご馳走様と挨拶をすると食器を持って台所へと向かう。
……それにしても、俺が知る『大槻冬夜』と『ヨル』への印象がまるで反り合わないことに関心する。タレントとしての顔と日常で見せる顔にこうも違いがあるとは。
本当に興味本位で訊いてみただけだが、より一層あいつの苦労が伺えてしまった。
「……むぅー、怪しいですなぁ」
「なにがだよ」
「いいかいお兄ちゃん! 人はね、興味と好奇心には逆らえない種族なんだよ。たとえ口では『興味が無い』と主張していても心が生み出すその衝動には必ず起源がある。――そしてお兄ちゃんはさっき『深い意味は無い』と主張した。そう! この発言をしてしまうこと自体が既に負けフラグ! 自分の好奇心を隠せていない証明なのさ!」
「今日の洗い物担当はお前でいいか?」
「すまんて……」
妹に相談事をしたことを少々後悔しつつ、いつも通りの兄妹に、ほんの少し、口角を上げた。




