第14話 大槻冬夜
「……ベンチ空いてたはずなのに、なんであんなところで寝てるんだ?」
腰かけていたベンチに弁当箱を置き、俺は起こさぬようそっと彼へと歩み寄る。よく見ると目元にはここ最近眠れていないのか、僅かながら隈ができていた。肌色のコンシーラとファンデーションを使い誤魔化しているようだが、薄っすらと黒い影が目元に残ってしまっている。
というか、化粧してる中学生男子って存在するのか……。芸能人以外で初めて見たかも。
「…………っ、ぅ」
小さな呻き声と共に、彼はそっと目を開けた。
騒いでしまっただろうか、と内心冷や汗が流れたが、未だ浅い睡魔が襲っている彼の様子を見るにどうやらそういうわけではないようだ。
「…………ぇれ。オレ、いつの間に……」
「……起きたのか?」
他人の声に身体が反応したのか、彼は驚いた様子で俺を見る。
「あ、ごめん。驚かせるつもりはなかったんだが……。あそこのベンチでお昼食べようと思ってたんだが、ここで眠るお前を見つけて、何事かと思ってさ」
「……何事、って?」
「いや、俺が来るまで中庭のベンチは空いてたし、昼寝をするんだったらこんな場所に座るより、断然ベンチで横になる方がいい。けど、実際にベンチには人っ子一人いないし。それなのにこんな場所で、それも隠れるように寝てるのを見たら、なんでだろうなってなるだろ?」
「……っなるほど。というかお前、オレのこと知らないのか?」
「え?」
以前どこかで出くわしたような言い方にも聞こえるが、どちらかと言えば、一方通行の聞き方のように聞こえた。可能な範囲で記憶を遡ってみるが当てはまるピースは見つからない。
男の俺から見ても、これほど顔つきが大人びた中学生は印象に残りやすいはずだ。
そんな俺の反応を前に、彼はそっと右手で俺の行動を制止するよう促してきた。
「……あ、いい。覚えがないならそれでいいんだ。ぶっちゃけその方が助かるし」
「もしかしなくとも、有名人とかだったりするのか?」
「ストレートに聞いてくるなぁ……。まぁ、当たらずとも遠からずだな。一応、学生向けのファッション服を紹介する『BLOOM』って雑誌の読書モデルをやらせてもらってるんだ」
あぁ、コンビニの雑誌棚に偶に並んでるやつか。よく妹も読んでるな、そういえば。
「……その顔は、本当にオレのこと知らないって顔だな」
「悪い。そういうのはあまり見たことがなくて」
「んや、別にいいよ。久々にオレのことを知らないって奴とこんなに話せて楽しいしな!」
読書モデルをこの歳でやってることにも関心したが、疲労が溜まっていることは目の下の隈が証明している。明らかに睡眠時間が足りていない。学生という立場である以上、学業が優先事項となるのは疎い俺でも知っていることだ。
……だが、俺の目の前で欠伸をする彼はどうだろう。
「……なぁ。どうしてこんなところで寝てたんだよ。それも、こんな寝にくそうな場所に座ってまで。他に使ってる奴が居た、わけじゃ無さそうだけど」
俺は半ば、誤魔化されることを承知で問う。
本人が話しにくそうにしていればそれ以上は追求しない。たった数分前に会話を交わしたばかりの他人同士だ。友達であるならまだしも、他人に自分自身のことを言及され、素直に受け止める人間なんてそういない。それがわかっているからこそ、俺は彼の隣には座らない。
「……んん、なんて言えばいいか。ここにいる理由を簡単に説明するとしちゃあ、ファンの子達から逃げてきた――って言うのが正しいかな」
「……ファン? って、あ、雑誌関係のか」
「そっ。この学校に入学した日、偶然オレの雑誌を読んでくれたファンの子がいてな。それ以来、急激にオレがこの学校にいるっていう噂が広まって、休み時間だって大騒ぎ。まぁ最近は他のクラスにいるっていう美人の女の子がいるってんで、男子達はそっちに流れていったんだけど」
一瞬で俺の幼馴染のことだと理解した。
「最新のファッション誌を出す度、事務所の方にどんどんファンレターが届いてるのは勿論知ってるんだけど、唯一の安置だと思ってた学内でもこう追われると、さすがに精神がすり減っちまうっつーか……。まぁ、寝不足な原因もここから来てるのかも。最近、外せない仕事が増えてたのもあるから百パーとは言わんが」
「……大変なんだな、モデルっていうのも」
「もっと周りからチヤホヤされたい奴ばっかがやってるわけじゃないさ。現にオレだってそう。実家から出てきて、一人暮らししてるから読モやってるだけだし」
「え、一人暮らし!?」
「まぁ……いろいろあってな。どうも実家には居づらくて、出てきたんだよ」
「……そっか」
複雑な家の事情を抱えているのは、なにも彼だけじゃない。
この学園に在籍している大半の生徒も、将来は日本を支える国務や経営の会社を継ぐ二世・三世が多いと聞く。
それに、俺と優花だってそうだ。事情を持ってこの学園を受験しようと決めた過去がある。
そのことを想えば、これ以上深入りはしない方がいい。ここで線切りをするのがベストだ。
「……あ。そういや昼飯食べにここに来たんだったよな。なんか悪ぃ、オレの話で貴重な昼休み潰しちまってさ」
「いや、元はといえばこっちから話振ったようなもんだし気にしなくていいよ。それより、こっちこそごめんな。折角昼寝してたのに邪魔するようなことして……」
「律儀だなぁお前! いいんだよ、いい感じに眠気も覚めたし、むしろスッキリした。こういうことを気兼ねなく話せる奴なんざ、オレの幼馴染ぐらいだったし。同性の奴にこんな話したのも初めてだったんだ。立場上、学校の友達ってのも出来にくかったしな」
「そっか。気にしてないなら良かったよ」
そいつは、思っていた以上に気策な奴で。
そいつは、タレントとしての責任感をきちんと受け止めていて。
そいつはどこか――俺と似た空気があると感じる不思議な奴だった。
「――あっ! そういや名前名乗ってなかったな。オレの名前は『大槻冬夜』。『冬』の『夜』と書いて『冬夜』だ。普通に冬夜って呼んでくれていいぜ!」
「……え。もしかして大槻ってことは、あの大槻グループの……」
「そっ、いわゆる第二世代目っていうの? そこの子息かつ長男坊。――けど、オレ自身あの会社を継ぐつもりも無いし、縛られた人生より、もっと幅広い世界をこの目で見て、将来のことをきちんと考えたい。親が敷いたレールを走るより、断然オレらしい気がしてる!」
そいつの目は、雲一つ無い青空を真っ直ぐに見つめていて。
そいつの目に映るハイライトは、ほんの僅かだけ揺れ動き。
そいつの目に映った雲もまた――どことなく揺れ動いたように思った。
「それで、お前の名前は?」
「……『水無月蒼真』。6月生まれのふたご座で、蒼真は『蒼』と『真』って書くんだ。俺のことも、蒼真って呼び捨てで読んで構わないよ」
――俺と冬夜が出会ったのは、桜が散る青空の下。
偶然か必然か。まるで少女漫画のシーンにでもありそうな変な出会いだったと思う。




