第12話 誕生日、おめでとう
「優花」
彼女の名前を呼ぶ。
4月20日。
桜の木が徐々に緑の葉をつけ始め、コンクリートの地面には桜の花弁が大量に散ってしまっているような、季節の変わり目手前。――咲良優花。将来、俺の幼馴染となる彼女が生まれた。
この時期にピッタリな名を受け誕生した彼女は、その美しい名前に恥じないほどの美貌を併せ持っていた。名は体を表すというのが本当のことだったのかと初めて思った。
しかし彼女の内面は、ある日を境にまるで男の子のように変化し、口調までも徐々に崩れていってしまった。現実はこんなものだと初めて実感した。
「……本当は、誰よりも早く渡そうと思ったんだが。よくよく考えれば時間が無い朝に急いで渡すより、時間が作りやすい夜に渡す方が良いのかなって」
言い訳だ。
本当は長く一緒に居られるこの時間が良かったんだ。
「……ボ、クに?」
「この部屋には俺とお前しかいないだろ?」
大人のミッドナイトのような雰囲気は作れない。
俺達はまだ、恋人として過ごした時間が少なすぎるから。幼馴染として過ごした時間と境界線がどうしても邪魔をする。
初めてのことが多すぎるんだ。
だからこういうとき、どうやって自分の気持ちを表現すればいいかも手探りで――。
「……でも、少し失敗したかなとも思ってる。お前は誰の目から見ても才色兼備の美少女で、すれ違った人が足を止めて振り向いてしまうほどの八方美人だ。誰も、お前を二重人格だと考える奴はいなくても……それでも、なんだ。……っ、単刀直入に言えば、嫉妬してた」
失敗しているのか。そんなことわからない。
上手く言葉にできているのか。そんなことわからない。
――ただ、2人のキミへ向けるこの言葉だけは意識していた。
「……誕生日、おめでとう。優花」
俺の手にある包装物を唖然とした表情で受け取る優花。
こんなにも心ここに在らずという言葉が似合う彼女は初めてで、内心滑ったか、又はなにか見当違いなことを言ってしまったかと記憶を遡ってみるが……どんなことを口走ったか、正直なところ覚えていない。
とにかく伝えることが多すぎて、脳が処理に追いついていなかった。故に記憶が混同している。唯一この数十秒の間で理解できた現実だった。
「……え、えっと」
「…………れしぃ」
ボソッと、視線を落とす彼女の口から言葉がこぼれる。
『もう一度』――そういう前に、受け取ったプレゼントを両手で大事そうに抱え、部屋の明かりが灯す中、彼女は瞳に嬉し涙を浮かべながら、
「――嬉しい! こんなに嬉しい気持ちになったの初めてだよ……っ!! ありがとう♪」
頬が熟した林檎のように真っ赤に染まり、瞳の奥の色は見たことのない色を浮かべている。
彼女を象徴とする綺麗な茶色の瞳、そして深海のような深い青色の瞳。
まるでふたつの色が融合したかのような、不思議な透明色。
何色とも呼べないその透き通った瞳の色は、一瞬にして消えてしまい、また深い青色へと戻ってしまった。
「……………」
今の一瞬、1つの空間に2人の人格が同時に表れたかのような感覚だった。
ただ、俺が『咲良優花』に向けた気持ちを、同じ分だけ返されたような気持ちでもあって……。
「(……喜んでくれたなら、それでいいか)」
小さい頃からそうだった。
会話を交わさずとも、互いの考えていることが手に取るようにわかる、そんな不思議な感覚へと陥ることが増え始めた頃から。欲しい言葉だって、その1つ。
「なぁなぁ! これ、開けてみてもいい!?」
「……あぁ、勿論」
まるでサンタさんからクリスマスプレゼントでも貰った子どものようなはしゃぎ方をしながら、優花は包装紙を出来るだけ丁寧に剥がしていく。こういうところもやはり似ている。
店員さんにお願いした包装紙を取り払うと、顔を出したのは……
「……これって」
『迷宮入り事件簿 十字館の陰謀』――最近、優花がどっぷりハマっているらしいミステリー作家『伊澄さつこ』先生の大人気シリーズ最新刊だ。
「お前、俺の本探しに付き合ってくれるとき、決まってミステリーコーナー漁ってただろ? けど会計のとき持って来てる素振りも無かったし。それでも書店に行く度探してるってことは、余程読みたい作品か、もしくはお前が追ってるミステリーシリーズの続編か――そう思って色んなお店回ったんだからな。しかも初版本!」
「……ちゃんと帯まである」
「読書家にはその2つは外せない要素だからな。読む以前に、棚に飾ることも踏まえればちゃんと本そのものにもこだわりを持たないといけないし。あ、でもカバーまで探す余裕は無かったから、お前が自分で持ってるやつ使ってくれ」
「それは別に構わないけど……よく見つけたなこれ、全然置いてなくて半ば諦めてたんだよ。ワンチャンネットで注文するって手もあったけど、発送や配達の際に本に傷や折れ目でも付いたら大変だと思って、最終手段にしてたんだ。……感無量とは、まさにこのことかな!」
総ページ数600を超える分厚い書籍を両手で抱える優花。
「なぁ。それってもしかしなくとも、今日再放送されるとか言ってたアニメの原作本か?」
「そう! その最新刊さ! 前巻は多くの伏線を残しつつも、事件の全貌は全て明かされないまま終わってしまったからね。あれから約10ヶ月間――待望の後編として発売されたのが、この『十字館の陰謀』というわけだよ!」
「な、なるほど……」
圧のあるプロデュースに押されつつも、彼女がそれほど夢中になるミステリ作品に興味が湧いていたのは言うまでもない。後で再放送されたやつチェックしてみるか。
眠気などとうに吹き飛んでしまったらしい優花は、喜びに浸かりながら俺のベッドの上に再び寝転がる。
「ん~、まさかキミとここで巡り合うとは思っていなかっただけに、これは今すぐにでも読まずにいられないな!」
「今からそれ全部読む気か……?」
時刻はもうすぐ日付けが変わる頃。
今から徹夜で読み始めようとすれば、読み終わる頃には暗闇を照らす月が姿を隠し、新しい1日を告げるお天道様がカーテンの隙間から『おはよう』と挨拶してきても不思議はない。
そして俺達のことだ。――どうせ本を読むだけでは終わらないのだから。
それが目に見えているからこそ静止させたいが、先に優花が俺に人差し指を向けてくる。
「シャラップ! キミにボクのこの鼓動の高鳴りは理解できまいよ! 折角こうしてボクの元へやって来てくれたんだ。そのお礼として、今すぐ読んであげることこそ作者と――プレゼントしてくれたキミへの誠意だと思わないかい?」
「……………っ、……誠意ねぇ」
どうせキミが読みたいだけのくせに。
「むむ。その表情はボクの言うことを信用してないって淵だね? まぁ、さっき言ったことの半数ばかりは話を盛ったよ。――ただ、今日ばかりは特別な日なんだ。ちょっとだけ、キミのカノジョとしてのお願いとして聞いて欲しいな」
首を傾げながら上目遣いでこちらを見つめてくる優花。
その瞳から逃れることは許されない。
如何なる場合であっても。その瞳には、無性に誰かを惹きつける力があることを、俺だけが知っている。
「……そうだな。俺も丁度読みたい本があったし、深夜の読書会といこうか」
「お、いいねぇ~。ならキミはボクの足許に来たまえ。ノンストップというのも無理があるからね。気が向いたときにでも構ってあげよう!」
まるでここが自分の部屋であるかのように指示を下す女王陛下に、俺は軽くため息を吐きながら本棚へ足を向ける。
「……んじゃ、お言葉に甘えてお邪魔させてもらおうかな。その方が、本に集中してるお前の素足を苛め抜くこともできるし、快感で涙目になるであろうお前も見られて一石二鳥だしな」
「~~~~~~~っ!? ぜ、前言撤回!! やっぱりお前はボクの下敷きになれっ!!」
熟した果実を丸い頬に実らせながら、優花はまたもや俺に人差し指を向ける。
充実したようで、カロリー量が高かった優花の生誕祭。
互いに振り回して、振り回されて。いつもと変わらないごく普通の生活の中に、今日ばかりは少しだけ、特別なものを見つけられたように思う。
結局その日は、夜更けから朝まで読書会が続いた。
お互い本を読むだけで目が覚めてしまう。頭が勝手にオタクとしての脳を起こしてしまう。
長い、けど、もう少しだけ続いてほしかった夜が終わり、迎えた休日の早朝。
カーテンの隙間から入り込む朝の日差しが顔に当たり、俺達はようやく朝まで起きてしまったという事実に気がついた。
「……もう朝じゃん」
「……結局徹夜か」
「なんか社畜みたいな台詞じゃね?」
「うっせぇ、お前も同罪だろうが」
この時間まで一緒の空間にいることが珍しくて、つい話し込んでしまったと気づいた頃にはもう遅い。恋人らしいことなぞ何1つ起こっていない。おそらく母さんが想定していたであろうイベントも、何1つ回収していないだろう。
ただ同時に〝らしい〟とも思う。
そう思うと、思わずクスッと笑みが零れる。それも、2人同時に。
「……おはよ、優花」
「おはよう。蒼真♪」
――これが〝俺達〟の関係性。
幼馴染としての時間が長すぎた故に、未だ恋人としては未成熟。境界線も曖昧で、今はまだ、2人だけの関係の名前を探している真っ最中。いつまで続くかわからない、未確定な未来へ向かいながら。
けど、この想いだけは確かに本物だ。
『咲良優花』だってくだけたいときはある。――そのために、俺がいる。




