ニューワールド
暖かな陽光が降り注ぐ素晴らしい朝。
柔らかな朝日に自然と目を覚ます。
睡眠の質が向上したおかげか、寝起きの辛さなど一切ない。
頭が軽く視界が広い。
聞こえてくるのは小鳥達のはしゃぐような歌声とゾンビの重苦しいうめき声。
「素晴らしい。」
時は1週間前に遡る。
その日の朝はいつものように最悪だった。
労働基準法に喧嘩を売っている会社で同僚が引くほどブラックな労働している俺。
ここ最近は特に酷く、2~3時間睡眠が取れれば御の字だ。
もはや起きている、寝ているという境界が失われ、頭は重く視界が霞む。
まともに言葉を紡ぐことすら出来なくなり、あ~とかう~とかで何とか返事をする有様。
もちろんそんな気のない返事をすれば係長は怒髪天だが、もはや声が頭に響くとかの次元をも超え、水の中にいるのかと錯覚するほど声が遠い。
何とか聞き取った内容は罰として明日の朝早く出社し掃除をしろとの事だった。
それで説教が終わったようでよろよろと席に戻る。
「田辺さんがとうとうゾンビになってしまった。」
「ゾンビか言いえて妙だな。笑い事じゃないが」
「田辺さんがダウンしたら次は僕かも、胃が痛い。」
「ターゲットされるとキツイよな。前の子なんて家まで押しかけられたって」
「係長の説教、今日はやけに短かったな。」
「体調悪いんじゃないですか?咳してたし。」
そんな会話が聞こえた気がした。
どうやって帰ったか記憶が無いが気が付けば家のソファーでトランクス一枚だった。
感覚は終わったことを告げているが、時間を確認する。
恐らく鳴ったはずの目覚ましが薄く6:49とデジタル表記で映し出してる。
どれだけ急いでももう間に合わない。
最悪だ、終わった、会社に行けばお説教は1時間ではすまないだろう。
あの係長は人手が少ないことなどお構いなしだ。
どれだけ進捗に不都合が出ようが、私に仕事を押し付けて帳尻さえ合わせればいいし、見せしめにもなると思っている。
いっそ休むか?
問題を先延ばしにするだけ、いやもっと悪いことになるかもしれないが、遅刻ではなくなる。
そもそもここ最近、新型のインフルエンザが社内で蔓延し熱で休む人が後を絶たず、そのしわ寄せまで私に来ているからこうなっている。
後で診断書だ、何だと言われそうだが、知ったことか、このままでは命に係わる。
よし休もう。そうしよう。どうせ怒られるんだからいっそたっぷり休んでやろう。
たっぷり寝て、お酒なんか飲んじゃって、ずっとやりたくても出来なったゲームをしよう。
ゾンビものの最新作を眠らせたままだ。
心が躍る。久しく感じていなかった感情が沸き起こる。
私はそのままの勢いでスーパーへ向った。
調子に乗ってあれもこれもと買ってしまい、とんでもない量になった。
職場に戻ればまた行く暇もなくなるだろうから構わないか
帰宅直後、置きっぱなしにしていたスマホに着信があった。
無意識に取ろうとした自分を抑え込み着信履歴を確認する。
係長から10件・・・それから絶対に罠である社内のマドンナから1件。
姑息な。あと30分睡眠が足りていなければ引っかかっていただろう。
休むという決意がより固まった。
一先ず寝よう。このままでは次にマドンナから着信があったら取ってしまう。
私はそのまま10時間、泥の様に眠った。
目が覚めた時にはもう夜になっていた。
頭が痛い、体中が悲鳴を上げている。ゆっくり噛むように水を飲んだ。
頭痛が落ち着くのを待ってシャワーを浴びる。
降り注ぐお湯一粒、一粒が染み渡るようだった。
出る頃には先程が嘘だったかのようにすっきりしていた。
「お腹空いた。」
体の訴える要求に答えるべく飯を用意する。
殆どがそのまま食える出来合いのものばかり、昨日までと変わらない内容
であるはずなのに旨い。こんなに旨かったか、これ。
考えてみればTVを見ながらの食事なんていつぶりだろうか。ここ半年は記憶にない。
知らないタレントが虫を食べて悶絶してる。それすら面白いと感じる。
これが幸せかもしれない。心からそう思った。
「お、速報?アメリカで暴動・・・怖いねぇ。」
皆がちゃんと寝て、旨い飯食って、くだらないことで笑うことが出来たら暴動なんて起きないんだろうな。まぁそれが無理だから、こんな世界なんだけどさ。
久々にゆっくりとした時間の流れを噛みしめながらこの日は眠りについた。
翌日、まだ日も登らない内に目が覚める。
さてこの憂鬱をどうしたものか、昨日のハイな自分を返して欲しい。
いや昨日のハイな自分に変わって欲しい、ていうかもはや殴りたい。
俺は昨日無断欠勤をしてしまった。
そう無断欠勤だ。
今日は流石に電話をかけなければいけない。
係長はこういう時に人に電話を奪われたことがない。
これを憂鬱と言わず何と言おう。
私は猫になりたい。私はタンポポになりたい。
スマホの前で現実逃避をたっぷり行っていたら、とうとう電話をしなくては不味い時間に
なってしまった。
係長が受話器に手をかけている絵が浮かぶ。
げろ吐きそう。
昨日から一度も連絡が無いのが余計に恐怖を煽る。
これがとある部族の成人の儀式なら、私はずっと子供でいい。
このまま電話をしなければ・・・背筋が凍った。
恐怖を恐怖で上書きし何とか電話をかけることに成功する。
コール音が心臓の音で上手く聞こえない。
コール音!?
まさかこんな手で来るとは、係長が出次第、まくしたてる作戦だったのに・・・
コール音が重なるに連れ心臓の鼓動が指数関数的に増えていく。
もう頭は真っ白だ、早く出てくれ
「はい、伊藤商事です。」
「あの、わたくし熱です。休んだ理由は田辺です。すみませんでした!」
「田辺さんお疲れ様です。」
「あれ?田中?何で電話に・・・」
「人が居なくて、さっきから同じような連絡ばっかで。」
「そうだったのか、ちなみに係長は?」
「休みですよ、熱あるみたいで昨日早退してました。」
「そっか・・・」
「田辺さんも体調不良ですか?」
「まぁ・・・」
「顔色悪かったですもんね。ゆっくり休んで下さい。どのみちこの状況なんで当分営業は見送るそうです。」
「そうか、そんなに皆、休んでるの?」
「そうですね、昨日から結構、フロアにも2~3人しかいません。」
「それは酷いな、田中は大丈夫なのか?」
「はい、不思議と、ワクチンも打ってないのに・・・」
「そりゃ何よりだけど、あれほぼ強制じゃなかったっけ。」
「シンプルに忘れてて・・・」
「あ~それやばいな。」
「やばいですよね・・・田辺さんは?」
「俺に行く時間あったと思う?」
「ないっすね。」
「そうなんだよ。」
「まぁこの状況なんで一緒ですよ。」
「だな、田中もお疲れ。もう帰れるの。」
「はい、映画でも見て帰ります。また元気になったら飲みに行きましょう。」
「おう、行こう、行こう。また。」
「はい、お疲れ様です。お大事に。」
画面が暗くなったスマホをそっと置く。
そうか、そうか、休みか
皆熱か、係長でさえも。
これは・・・勝ったのでは?勝ってしまったのでは?
この世の春とはこのことか!今、秋だけど。
いやー素晴らしい、こんな事ってあるんだね。
よし!ゲームしよ!そうしよう。
この日は学生の時以来、寝食を忘れゲームに没頭した。
翌日起きたのはお昼を過ぎてから、何気なしにテレビをつけた。
「日本全国で新型インフルエンザが流行し、休業を余儀なくされている企業が増えています。」
「現状の病床利用率は90%を超えおり、早急な対応が求められております。」
「この前代未聞の事態に政府としましても全力で取り組んでおります。現状は症状の軽い方にいたっては自宅での療養をお願い致します。」
うちの会社だけって訳じゃなかったのか。
これは益々、休めるということですな。
「さーて、今日でエンディングまで行くぞー。」
感動した、流石新作。素晴らしい。
まさかワクチンと偽ってウィルスをばら撒くとはね~やって良かった。
結局、朝方までやっちゃったけど、どうせ明日も会社休みでしょ。
また昼まで寝ますか。
どうも雲行きが怪しい。
ゲームに夢中でネットもまともに見ていなかったが全国的どころか世界的に
流行している様子。
TVでは緊急放送として同じ内容が繰り返し放送されている。
あわてて調べた内容は衝撃だった。
SNSにあったのはアメリカで起きた暴動の映像。
「ゾンビやん・・・」
調べたがそれ以上の情報は得られなかった。
その日の夜にインフラが止まった。
夜怖ぇと思ったが、星ってこんなに明るいんだね。
現実逃避していたが本当に止まるとは、水を溜めれるだけ溜めといて良かった。
さてどうしたものか、文明の利器が使えないと夜って暇なんだなぁ
とりあえず寝ますか、眠くなって来たし、考えても俺に出来ることなんて飯食って寝ることしかない訳だから。なにそれニートですか?
この夜に世界は完全に変わった。
この災害を誰も止めることが出来なかった。
はいはい、成程ねぇ
これは駄目ですね。
ご近所さん殆どゾンビになってるわ。
完全にリビングデットです。
色々いるなぁ、小奇麗なのもいれば完全に刺されたんだろうなという個体もいる。
あっちのなんて一回燃えたんじゃないか?あっちのなんて・・・
あれ係長では?絶対そうだ。
なんでこんなところに?もしかして熱あるのに家突かまそうとしてた?
怖ッ、何で俺の家、知ってんだよ。怖ッ
ゾンビより怖いよ、もうゾンビか。
街から見える光景が、まるでゲームみたいで現実感が無かった。
それどころか自分の街ごとゲームの中に入ったみたいでワクワクさえし一日中眺めていた。
そして時は戻る。
「素晴らしい」
さて今日は何しようかな、と言っても出来ることなんてゾンビ観察ぐらいしかないけれど
空気の入れ替えもかねて大きく窓を開ける。
さてと、係長は・・・?
近ッ真下にいるとはね。
さっきの声お前かよ、もーちゃんと日本語喋って下さいよ。
係長よく言ってたじゃないですかー
“日本語を勉強したまえ”って、それ日本語ですか?
改めて近くで見ると中々ボロボロだな、生前なのか死後に負ったのか分からない傷が無数にある。
ご自慢だった首のスカーフも付けてないようだし、首じゃなくて頭隠せよな。
ていうかゾンビって痩せるとかあるのかな・・・
せっかくだし色々試してみるか、係長なら良心も痛まないし。
とりあえずお酢をかけてみた、特に意味はない、一番要らなかっただけだ。
あんまり反応が無かった。臭いとかは特に感じて無いのかもしれない。
「係長!」
めっちゃこっち向いた、こいつまだ自分のこと係長だと思ってのか?
いや流石に音かな、音に反応してるのかも。
しかしこっち見てくるの腹立つなぁ・・・見えてるんだろうか?
確かめようがないないな。
後は腐ってしまった魚の切り身、せめて昨日のうちに食べてればなぁ
まぁくれてやろう。そっと落としてあげた。
食べた!食べた!食うんだ!別に人間しか襲わないとか無いんだ。
やったぜ!うわーもっと買っとけばよかった。
後は・・・クソッ、ボウリング玉とかあればなぁ。
気が付けば一日係長で遊んでしまった。
日が落ちたので少し早いが床についた。
これからどうしようか、実のところ食料の方が心もとなくなってきた。
それでも後、1週間ぐらいなら騙し騙しで過ごすことは出来ると思う。
でもその先は?
ここを拠点に探索でもする?それはそれで楽しそうではあるけど。
正直な話、俺はそんなに生き残ろうとは思っていない。
この世界になって自分の中の何かが満たされた。
ずっと理不尽の中にいた。抜け出し方も分からずもがくのみ
でも今その理不尽が世界を覆っている。
この理不尽の良いところは、底辺も係長も社長も総理大臣も関係無いことだ。
世界は終わった。
根拠なんてない、情報なんてもう入ってこないから
でもさ、ご近所ゾンビさんが今だにご近所ゾンビしてる時点で察せられる。
少なくとも俺が暮らして生きてきたこの街は終わった。
それが俺の世界だったんだから人類滅亡と同義だ。
そう係長がゾンビになって現れた瞬間に俺の世界は終わった。
そしてこれは俺にとって不幸ではない。
今はどうしたら楽に逝けるかが命題だ。
映画であれば拳銃で自殺がセオリーだが、ここ日本なんでねぇ
あとは餓死?とんでもない、苦しいに決まってる。
それかゾンビになるという手もあるが、どうなんだろう感染とかするのかな?
やっぱ噛まれるとか?痛そうだなぁ・・・最後の手段だな。
まぁそれは明日また考えることにして俺はそっと目を閉じた。
翌朝、玄関の扉を叩く物音で目を覚ます。
「なんだよ、五月蠅いなぁ・・・」
半ば寝ぼけたまま玄関に向かい音の正体をのぞき穴から確認する。
「係長!?」
こいつ家突してきやがった!
どうする!? 家のドア結構もろいから破られる可能性あるぞ。
かといって重しになるような家具無いし。てか階段登れたのかよ。
確かに、昨日死んでもいいなって思ってたよ、でもさ係長に噛まれてゾンビになるのは
絶対に嫌。
そうだ、冷蔵庫!扉の前に置いておこう。てか諦めねぇな。
腹立つわークソッ死因、係長だけは絶対に避けなくては
冷蔵庫重いな、大したサイズじゃないのに。
焦って冷蔵庫を押していた俺は、玄関の段差忘れてました。
見事に倒れドアノブを破壊する冷蔵庫。
ゆっくり開く扉。外開きなんだから冷蔵庫、意味ないじゃんね。
「おはようございます。係長。」
怒髪天です。ちゃんと挨拶したじゃん!
急いで部屋に戻って窓を開ける。ベランダとか無いから横にも逃げられない。
飛ぶしかないけど、地味にためらう高さなんだよ。
幸い係長は冷蔵庫に引っかかってくれている。ええい儘よ。
痛って、受け身の取り方なんて知らんよ。
どうやら大きな怪我はしてないよう。ただ落ちた衝撃で足が笑っている。
近くの塀に背を預けるようにしてやっと立ち上がった時
何かが降って来た。まぁ係長ですけど。
どこまで、どこまで・・・
・・・もういいか。
「先輩!!」
走り込んで来た人影が這いよる理不尽をバットでスマッシュした。
「・・・田中。」
「逃げましょう!」
「お前・・・主人公かよ。」
気が付いたら、木枠で囲まれた、トラックの荷台にいた。
田中は異変が起こってから現在までの出来事を話してくれた。
こういった災害の備えをしていたという田中は、お隣ゾンビさんがベランダから侵入してきたのをきっかけに装備を持って家を飛び出したという。
その後に、偶然会社のマドンナと出会い。そこから一緒に逃亡生活を開始し
現在は生存者が集まって作ったシェルターに二人でいると言う。
物資調達の為の遠征時に偶然俺が飛び降りている所を目撃し助けに来てくれたとのこと。
主人公かよ、なんか所々ムカつくぞ。
「でも良かったです。先輩はもう駄目だと思ったたから。」
「何で?」
「体調崩してたから・・・てっきり。先輩はただの風邪だったんですね。」
「まぁね。」
「先輩はどうしてたんですか?」
「ずっと家にいたよ。あとは、係長にお酢かけたりしてた。」
「お酢!?」
「お酢。あと腐った魚あげたな。食べるんだよちゃんと。」
「全然理解出来ないです。何やってるんですか?」
「何やってんだろうな。」
「知らないっすよ。」
そういって田中は笑い出した。
「そんなに面白かった?」
「先輩だけテンション違い過ぎて・・・この状況になって初めて笑いましたよ。」
「そう・・・」
「てか係長いたんすか?」
「お前がスマッシュしたじゃん。」
「あれ、係長すか!?」
「そうだよ。」
「・・・え?ゾンビですよね?」
「・・・・・・・・・ゾンビ、ゾンビ。」
「タメないで下さいよ!」
「ゾンビだって、流石に生の係長にお酢かけないって。」
「生の係長ってなんすか?」
「知らねえ。」
今度は俺が笑う番だった。
笑う俺を見て後輩は不服そうに口を尖らせている。
うん、もう少しだけ生きてみますかこの理不尽極まりない新しい世界を。