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EPISODE 15: IT WAS A GOOD DAY / C.R.E.A.M. PART 2

 (タイガ、おい、タイガ、起きろって)

 辛うじて聞き取れる程度の、ジンさんの小さな声がする。

 その声と一緒に、オレの脇腹にはさっきからシャーペンの先っぽいのが何度も当てられてる。

 痛くはねえけど、マジでウッゼえ。誰だよブチ殺すぞ? ジンさんか? ──口の周りから頬にかけてが何でか冷たく濡れてる──あ? これ何だ──?

 Damn, holy shit!!

 オレは突っ伏してた机から顔を上げて、上半身をしゃんと正した。先週買ったばっかのノートには、早くもよだれの染みが広がってる。机の上で顔を覆 (おお) ってたお気に入りの X-Large 製のヒョウ柄のスウェットは、よだれの被害をギリ回避してた。Close one, やっべーギリセーフ!

 ──あーあ、やっちまった、こりゃまた良く寝たなぁ。

 教壇では英語の先公がずーっと黒板に今日の内容を書き続けてる。説明と板書に熱中してたのか、オレが居眠りをかました事にはどうやら気づいてないみたいだ。この先公は怒らせると面倒なタイプだから、ジンさんが起こしてくれてマジで助かった。

 オレは右どなりのジンさんに向かって両手を合わせて、小声で応える。

 (ジンさんありがと、thanks, my bro)

 (おう、休み時間、缶コーヒーおごれよな)

 ジンさんは親指を立てた右の握り拳の先を自身の顔に向けて、にやりと笑って小声で返した。仕方ねえな、今日ぐらいは感謝の気持ちでおごってやるか。ジンさん、ありがたく思えよ?

 にしても、オレが高校に来てる最大の理由、英語の授業で昼寝かますとか、オレもう最悪だな、this is real bass-ackwards, ya know, こんなの本末転倒じゃねーかよな?

 前の高校はそん時そこしか受かんなくて、まぁあれは受かっただけマジで奇跡だったし、校則キモ過ぎて無理で辞めて、そんなん事前に調べる余裕なんてなかったからまぁしょうがねえんだけど──けどだからこそ今度はちゃんと英語勉強して、高校卒業して、次につなげたいって思ってんのに、あーもうオレマジでダメ人間じゃん。ここは一発、オーケンの曲でも歌っとくか?

 Still missin’ pieces, somethin’ bit busted ‘n’ mad half-assed, ya feel me, オレの英語はスラングと汚い言葉なばっかな上に、中学の英語の授業もほとんど出てなかったから、高校英語のレベルに追いつくのが今めちゃくちゃしんどい。苦行でしかない。

 分詞構文とか関係代名詞、関係副詞なら分かんだよ。ラップのリリックにはめっちゃ出てくるから耳慣れしてるし、自分でも普段から言い慣れてもいる。けど、助動詞+have+過去分詞とかマジで意味分かんねえんすけど。そんな会話するか!? 聞いた事ねえわ、あーやってらんねえ。

 理解が出来ないとオレは熱が一気に冷める──キレて前の席の椅子を蹴って教室から出てかないだけまだマシだけど、それでも寝てるんじゃ頭に全然入ってねえから意味ねえもんな──あ、ワンチャン睡眠学習とか? やっぱダメか。

 ああ、先公の言ってる言葉がまるで入ってこねえ、こりゃ一旦頭ん中にヤニぶち込んどかねえとダメだな、休み時間まで── fuck off, まだ20分もあんのかよ!? あーもう無理だ、出よ。赤マルとライターをポケットに入れて、っと。

 先公の話が途切れたタイミングで、オレは手を挙げて言った。

 「Ah-yo, Mr. English, I gotta hit the head, of course, back in a sec, ‘kay?

  (なー先生、トイレ行ってきて良い? すぐ戻ってくっからさ)」



 「ソウタは何か飲むか? 自販機行くからついでに買ってくるぜ」

 「ううん、俺も一緒に行くよ。ずっと座りっぱなしでケツが痛くなっちゃった」

 オレは学校の外にある自販機に行くついでに、ソウタにも声をかけた。

 椅子にずっと座ってりゃあ全身の血流は足にたまる一方だし、身体だって硬くなる。気分転換も兼ねて、逆に少しぐらいは動いた方がソウタの足にとっても良いんだろうな──優しさはそれ自身の中に、過保護にし過ぎて相手から出来る事を奪ってしまう危うさを常に持ってるって事を、オレはいつでも心に留めておきたいって思ってる。

 「俺も行くー。居眠りタイガ心配したよ? だから俺にも何かおごって?」

 ソウタの後ろから、顔の腫れがほとんど治まったリョースケがひょっこり顔を覗かせて言う。

 あれから新しい傷は出来てないみたいだった。けどそれは『パッと見の表面上』の話であって、服の下までは分からない。ダンスの練習で着替える時だったら確認出来ると思うけど、リョースケは例え “The Wolf Pack” のメンバーの前であっても絶対に着替える姿を、裸を見せないんだ、ってコータローさんが言ってた。つまり、それだけ日々凄まじい暴力を受けてるって事だ。

 オレもリョースケと同じだ。オレも出来れば人前で着替えるのは極力避けたい。親しい相手であっても裸までは見られたくない。もしアザとか傷を見られたら、汚いヤツだって言われて嫌われるかもしれないだろ──例えそれが身体から消えて、もう見えなくなってたとしても。

 だからリョースケには共感出来る。けど、今こいつは絶対オレの心配なんかしてない。オレは知ってる、こいつはオレの居眠り姿を見て絶対楽しんでた。

 「Whaaack, 心配だ? ざっけんなよ、ぜってーヤダね。お前はジンさんと違って、オレを寝かせたままにして面白がるタイプじゃねーか。どうせ後ろでニヤニヤ笑ってたんだろ?」

 オレは右眉を吊り上げながらリョースケをにらみつけた。

 「あーバレた? 良く分かるね? 背中にも目ェあんの? ジンさん、ああ見えてめっちゃ優しくて面倒見も良いからなぁ。けどタイガの寝顔、今日も面白かったよ? 野良猫の昼寝みたいだった」

 「Shut the fuck up, damn, bro, 何だとてんめぇ!」

 ペロッと舌を出して悪びれもなくそう言い放ったリョースケがオレの前から走り出して、廊下へ抜けて行った。オレも走り出してリョースケの着ているシャツの首根っこを捕まえようとしたけど、いくらオレの足が速くても、身軽で俊敏が身上のブレイクダンサーにちょこまかと踊るみたいに逃げられたら敵わない。

 オレはリョースケを追いかけるのをあきらめてソウタを待って、ソウタの歩調に合わせて廊下を歩き始めた。Geez, this be whack, リョースケの野郎、後で絶対シメてやっかんな!? となりでゆっくりと歩くソウタがニコニコしながらオレに話しかけてきた。

 「ね、ね、タイガくんさ、DJってさ、どう思う?」

 「Huh, ya talkin’ ‘bout that Hip-Hop DJ stuff, うーん、どうって言われても、格好良いといつも思ってるよ? 技とかマジですげー人いるしな」

 オレ自身が持っているターンテーブルは1台であくまでも聴く専用だけど、mixed up the tunes, scratchin’ the rec, cuttin’ wit’ the fader, ‘n’ slicin’ the tracks, then backspins this part, back to the start, 本格的なDJは2台のテーブルとクロスフェーダーを使って曲と曲を繋いで、レコードをこすってビートを刻んで、それらをかけ合わせて全く新しい音を創り出す──格好良くない訳がないもんな?

 「だよね、だよね!? オレも最近、DJって格好良いなって思ったんだ!」

 興奮気味に話すソウタを見て、オレはなるほどと思い当たる節を口にした。

 「Ah-huh, I got ya, ya mean “rhythm games”, these beats gonna turn ya into a real mania, aight, さてはソウタお前、ゲーセンで今どハマりしてるアレだろ? アレ」

 「そう、アレ! さすが、良く分かったね! なんか、やってて楽しくてさ!」

 ソウタが笑顔で何度も頷いて応える。

 いつも対戦格闘ゲームに熱中してるソウタが珍しく浮気をした相手、それが最近ゲーセンに導入され始めた音楽ゲームだ。ボタンと小さなターンテーブルを操作して、リズムに合わせて音をハメてく、音とズレなく操作が出来れば高得点、っていう新しいジャンルとプレイスタイルだ。

 「おお、アレは楽しいよな。俺も、格闘ゲームよりかはちゃんと良い点出せるから満足だ」

 オレ達の背後からジンさんが声をかけてくる。やっぱカラオケで毎回高得点を叩き出す人だもんな、ジンさんは格闘ゲームよりも音楽ゲームとの相性の方が良いのかもしんないな。

 けど、オレ自身は──ちょっと苦手だ。イヤフォンを外して、実際にゲームの躯体から流れる音を聞き分けなきゃなんないからだ。

 オレも一応挑戦はしてみた、やんないで文句言うのも何か格好悪いもんな? だからやってみたけど、ゲームの躯体の前でボーゼンとしたまま何も出来ずに立ち尽くしちゃって、それを見たソウタが慌ててオレに代わってプレイしてくれた──店内の他のゲームの躯体の音と混ざってしまって、悔しいけど、オレには音の判別が全くつかなかったんだ──。

 「だよね、楽しいよね! でさ、熱中してたせいなのかさ、何だか俺もDJ、やってみたくなってきちゃってさ──けど、ああいうのってさ、やっぱり皆んな、長時間立ったまま演奏するものなんだよね? ずっと立ってないと、やっぱダメなのかな」

 最初は満面の笑みだったソウタの表情が、話をしている内にみるみる曇ってく。

 「皆んなは何かしら音楽に関わる事をやってるじゃん。タイガくんはラップ、ジンさんは歌上手いし、”The Wolf Pack” はダンスでしょ、皆んなから教えられて俺も色んな音楽を聴く様にはなったけどさ、俺だけまだ何もなくてさ。俺でも何か出来る事はないのかなってずっと考えてて、そんな時にあのゲームに出会って、DJって格好良いなって思ったんだけど──やっぱ難しいのかな」

 確かに、オレが知ってるDJは皆んなステージに立ったままプレイしている人達ばっかだった。思い返してみれば、ソウタがゲーセンで音楽ゲームを楽しんでいる時間はそんなに長くはなくて、座って出来る格闘ゲームと交互に楽しんでいる様子だった。立ったままの姿勢で何かをやり続けるって事は、ソウタの足にとって酷く苦痛を与えるものだ。

 けど、それでダメだなんて事はないだろ? オレだって、どうやら人とは違う変な音の世界で生きてるっぽいけど、それでもラップやヒップホップが大好きで、今の自分から音楽を切り離して考える事なんて絶対に出来ない。オレは何かかけてやれる言葉はないか、って口を開きかけた時、ソウタの後ろを歩いてたシンヤくんが不思議そうな顔をしながら言った。

 「別に、そんなルールないだろ。絶対に立ってやんなきゃいけない、とか教科書に書いてあるんでもないし、法律で決まってるって訳でもない。ソウタが楽しめる、一番楽な姿勢でやれば、それで良いんじゃないのか?」

 「そうだよ、音楽なんて楽しむ為にあるんだよ? ソウタが楽しんでやれんなら、それで良いじゃん。ゲーセン楽しいんでしょ? だったら四の五の言わずに、DJも楽しめば良いんだよ」

 いつの間にか戻って来ていたリョースケも、ソウタが最初の一歩を踏み出す後押しに周る。

 2人の言う通りだ。当たり前だと思ってる事や、誰かが言い出したくだらないルールを真に受けるんじゃなくて、fuck off, that common sense sucks, if something inside starts to burnin’ and filled ya with desire, like, it be like a heat wave, yeah-yeah, yeah-yeah, but it be aight, boy, oh yeah, go ahead, boy, ya feel it burnin’ right here in your heart, don’t ya know it be like a heat wave, yeah-yeah, yeah-yeah, burn it, burn it, yeah-yeah, 自分のリズムと内なる衝動に従って、感じるままに楽しめば良いだけだ。それに音楽の楽しみ方、見せ方、聴かせ方は人それぞれで、それをとやかく言う権利なんて他人にはない。こんなもんは『やったもん勝ち』に決まってんだろ?

 「そういやぁ俺の職場に、DJ用の機材揃えたは良いけど、結局飽きて部屋で眠らせてるヤツがいたな──安く譲ってもらえるか、そいつに聞いてやろうか?」

 ジンさんが片手で顎髭をさすりながら、自分の携帯電話を取り出して言った。ソウタの目に輝きが戻り始める。

 オレ達の前、先頭を歩いていたタカヒロさんが、ソウタに振り返って話を続ける。

 「俺の家に、DJ入門用のハウツー本が何冊かあるから、今度持ってこよう。ずいぶん前に先輩から譲り受けたんだが、結局読んでいないままなんだ。きっとソウタの役に立つ」

 「俺達 “The Wolf Pack” のつき合いの中にも現役のDJがいる。紹介も出来るから、もしこれから分からない事が出てきたら、そいつらに色々聞いてみると良いぞ」

 タカヒロさんのとなりを歩いていたコータローさんが話をそう継ぐと、ソウタは満面の笑みを取り戻して応えた。

 「皆んな、ありがとう! 俺、やってみる!」



 ジンさんと一緒に、オレは自販機の前までゆっくりダラダラと歩いて行った。

 「オレ金入れっから、ジンさん飲みたいの押してよ」

 オレは小銭を硬貨の投入口に投げ込みながら言うと、ジンさんはすかさずいつも好んで飲んでるメーカーのボタンを親指で連打し始めた。どうやらゲーセンと同じ感覚らしい。Big stray cat-lion paw, 手首から先の小刻みな動きが、大きな野良猫のネコパンチを連想させる。オレはあきれながら自分の飲む分の小銭も続けて投入する。

 「絶対それにすると思った。つーか連打しなくても出てくるし」

 「タイガのおごり、サンキュー!」

 ジンさんはオレに向けて左手で握り拳を突き出して、オレは右手で握り拳を作ってジンさんの拳に軽く当て合わせて応える。

 「Welcome, どーいたしまして」

 自分の分は何にしよう、まだ全然眠いんだよな、あー酒飲んで寝てえな、some beer-no, no, now I be still at school, ならオレもコーヒーにしとくか。

 ソウタはいつものコーラを、”The Wolf Pack” はとなりの自販機で全員同じスポーツドリンクを買ってる。コータローさんが言うには、これがチームの公式ドリンク、らしい──『汗』って名前を人間が飲み物につけたヤツのセンス、そしてそれを飲む事に誰も疑問を持たないこの国の人間のセンス、マジでおかしい。だってこれ、BDSM だろ? 『水瓶座』でも充分ヤバいけどな?

 缶コーヒーのタブを開けながら、ふいにジンさんがオレに向かって言った。

 「タイガ、お前最近、夜寝てねえのか?」

 オレは自分の分の缶コーヒーを取るのに、自販機の取り出し口の中に手を突っ込みながらジンさんに目を合わせる事なく素気なく応えた。

 「Hmm, あーうん、あんまし」

 ここ最近で熟睡した事はほとんどない。布団の中に入っても中々寝つく事が出来なくて、ようやく眠っても夜中に何度も目覚めちゃって、浅くて短い睡眠のサイクルを何度も繰り返すばかりになった。

 ここ最近は忍士 (しのびざむらい) の夢、赤い肌の先住民の少年の夢、『白い獣』の夢はほとんど見てない。Just ‘bout, on a sleep-walk never get woke up, その代わりに悪夢とか、良く分かんねえドロッとした感触の夢が増えて、とにかく寝覚めが酷く悪い。

 起きたら起きたで重く鈍い頭痛や腹痛が1日中続くし、目や耳や鼻の奥がずっとしびれてて、心は常に何かに向かってイラついてる。今朝だって脳に何本ものタバコを送り込んでマヒさせてからじゃないと、身支度をするどころか部屋から出る事すら出来なかった。

 ゲーム画面の点滅を少し見ただけで気分が悪くなったり、ちょっとした声や音のはずなのにやけにけたたましく聴こえたり、今まで良い匂いだったはずの肉や魚の匂いが急に気持ち悪く感じる様になったりとかもして──オレの周りの世界からは、音とリズムがまたも調和を失い始めた。

 Shit’s fucked up for real, はっきり言って今の調子は最悪でしかなくて、このままじゃあ本当に減薬が成功するなんて到底思えない感じだ。

 ただ、こんな状態でも、砂漠の国の皇子の夢だけは結構見てる。

 どうやら皇子は修行とビールが好きらしい──今のオレや赤い肌の少年、そして日々戦い続けてる『白い獣』の生き様に比べるとずいぶんと平和そうだし、皇子の言動からもあんまし緊張感を感じられない。ったく、うらやましい限りだぜ。

 そうだ、その皇子様の臣下達、赤い肌の少年の夢と同じ様に、やっぱり今の皆んなにそっくりなんだよなぁ──近衛隊隊長のウェプワウェツァブがコータローさんだろ、副隊長ルーヘシはジンさんで、その息子ジェドゥマが今のソウタだ、もうひとりの副隊長サブミセはタカヒロさん、そしてその弟のサブミハがリョースケなんだよな──あれ、やっぱりシンヤくんだけがいねえ、何でだろう──言ったらマジでキレられそうだから今は言えないな。それに、従者にそっくりな雰囲気のヤツも、今のオレの周りには見当たらない。

 うーん、となると──ジンさんは死んじゃった<歌う山獅子>で副隊長ルーヘシで、ソウタは<歌う山獅子>の息子で死んじゃった幼馴染の<伏せる山猫>でルーへシの息子のジェドゥマで、コータローさんは<燃ゆる瞳の赤狼>で隊長ウェプワウェツァブで、タカヒロさんは<天翔ける灰色狼>で副隊長サブミセで、リョースケは<嗤うコヨーテ>でサブミセの弟のサブミハで、シンヤくんは<夜の狼の星>──って事か? Fuck off, 考えただけで何かすっげえ頭痛え。

 「調子悪いのか? バイク、気をつけろよ? そんなんで事故られたら、マジシャレになんねえ」

 ジンさんがヤンキー座りでキャメル──ジンさん愛飲のタバコに火を点けながら、眉間 (みけん) に皺 (しわ) を寄せてそう言った。

 睡眠不足の状態で意識がぼんやりしたままじゃ、安全にバイクの運転なんて出来る訳がない。登校しても結局こうして居眠りをかましているぐらいなんだから、見る人が見れば、オレがあんまし眠れてない事はバレてしまうのかもしれない。そりゃ頭だって痛くなって当然だ。

 そしてオレの様子の変化に気づいたジンさんは、あえて理由を聞かずに、he’s solid, also a real one, 言葉を選んで遠回しにオレを心配して、叱ってくれてるんだ。

 オレもジンさんと同じ姿勢で路上に座り込んで、赤マルに火を点けて応える。

 「Sure, aight, うん、気をつけるよ」

 「ライムにグラフィティ、熱中し過ぎとかなんじゃないの? 寝れないんだったらまた今夜俺が泊まりに行って、耳元で子守唄、歌ってあげようか?」

 オレの隣で同じ様にヤンキー座りになったリョースケがオレの横から手を伸ばして、オレの大事な赤マルを奪って吸いながら言った。Fuuuuck, this damn bastard, オレの内側からは目も当てられないぐらいの黒い衝動が、一気に湧き上がってきた。

 「Shut the fuck up, ya bastard, cut it out right here, right now, huh? オレの勝手だろ? これ以上偉そうにオレに説教垂れんなよクソが、次言ったらその口に石詰めて河に沈めんぞ?」

 オレはリョースケの目をにらみつけながら、低く、静かに、ドスを利かせた調子で言った。そして必死に自分のイラつきを抑えようと赤マルをもう一本取り出して、素早く火を点けて深く吸い込んだ。

 「おお怖、グラサンなしでも充分カタギじゃないよね──タイガァ、そんな怒んないでよ、さっきはふざけたけど、マジで心配なんだってばー」

 リョースケが自分の身体を横からオレに押しつけてくる。Ya be suuuuch a pain, huh, ああ、すっっっっげえウゼえ、とにかくウゼえ。普段ならこれくらいやり取りでこんなに気分が悪くなる事なんてない、けど今は違う。今少しでも自分の感情の手綱を緩めれば、目の前のリョースケを再起不能になるまで追い込める気がするし、もうすでにそれが内側から漏れ出してる。

 Now I be goin’ through withdrawal, kickin’ after quittin’ cold turkey, 主治医のクロキ先生が言ってた通りの禁断症状──イラつく、ざわつく、夜中に何回も目が覚める、ちょっとの事ですぐキレそう、これが24時間続く。Still got dope sick, need another hit, but now I’m shit, 今すぐにでも薬が欲しい、けどそれじゃあまた振り出しに戻る事になる。Tシャツの中を冷や汗が伝う。タバコ1本なんかじゃ全然制御し切れねえ。噛みしめた牙の奥からは、低い唸り声が漏れ始める。

 「止めろ、タイガは今マジで嫌がってるぞ」

 コータローさんが背後からリョースケのシャツの首根っこを掴んで立たせて、むりやりオレのとなりから引き剥がした。かなりの勢いもあったのか、コータローさんの迫力に押されたのか、リョースケが珍しく謝罪の言葉を口にした。

 「うぉっ、ご、ごめんなさい、ごめんタイガ俺、もしかして余計な事言っちゃった? てか、じゃあマジで調子悪かったの? だったらそれ先に言ってよ」

 「さっきは俺もはしゃいじゃったけど、良く見たらタイガくん調子悪そう。ごめんね、気づけなくて」

 ソウタはちょうど座りやすい高さになってる生垣のブロック塀の上に腰を落ち着けて、コーラのペットボトルのフタを開けながら言った。それで良い、ソウタはちゃんとオレと一定の距離を保ってくれてる。今のオレからは離れてた方が良い。

 「スクーリング、電車で来るのはやっぱりダメなのか? タイガが満員電車大嫌いなのは俺達皆んなもう知ってるけど、ジンさんの言う通り、タイガに事故られるのは俺も嫌だぞ」

 シンヤくんが『汗』を、否、スポーツドリンクをガブ飲みしてから言った。今『汗』を飲んでんだよな、って思うと、どんなに体調が悪くてもオレは同じものを飲みたくない。

 「タイガの人混み嫌いは筋金入りだからな、無理に電車に乗らせて余計に調子を崩されたりでもしたら本末転倒だろう──コータロー」

 シンヤくんの話を継いだタカヒロさんがコータローさんに目配せをすると、コータローさんはそれに頷きながらオレに向かって言った。

 「タイガの調子が戻るまで、俺が車でお前をピックアップする。どうせ学校までの道の途中だ、hop on, 遠慮しなくて良いぞ」

 He be a cruiser wit’ his lowrider, hittin’ some switches, bouncin’ ups ‘n’ downs, then crusin’ low ‘n’ slow in our hood, like huntin’ impalas, コータローさんの車はいわゆる『ローライダー』って呼ばれるカスタム車だ。特徴のひとつはその名の通りに車高が限りなく低いって事、そしてもうひとつはエアコンやオーディオと同じ並びで油圧サスペンションのスイッチがあって、それを操作する事で車体が上下に大きくバウンドするって事だ。

 コータローさんの外見に見合った、見事な厳 (いか) つさだ。それがそこにある、それが道路をゆっくり走ってるってだけでも相当に目立つ。もちろんとても格好良い。コータローさんは真面目だから危ない運転は絶対にしないって事も良く分かってる。けどそれに乗ってしばらく送迎をしてもらうとなると──それはそれで結構な勇気と覚悟を要求されてる様な気がする。

 「Ummmm-meh, うん、ありがと、考えとく──何か皆んな、心配させてごめんな!」

 オレはむりやり笑顔を作って、獣の牙みたいな自慢の歯を見せて応えた。

 精神病院に強制入院させるって脅されて、been on loads of meds, trigga-happy-pills, もう何年も飲まされ続けた薬からの離脱症状と戦ってる、なんて皆んなには言える訳がなかった。

 薬物中毒者 (ジャンキー) のレッテルを貼られたらどうしよう、皆んなに嫌われたらどうしよう。その時のオレは、本当の事を伝えたら皆んなから見捨てられるかもしれない、っていう不安や恐怖に取り憑かれて、自分を隠し通す事で頭が一杯になってた。誰に対してもオレは、ずっと自分の置かれた状況を言えずにいた。そして、今日だって普段通りに明るく振る舞えてるつもりだった。

 「そーゆーの、マジで要らねえから。隠し事、下手過ぎかっつーの」

 「タイガくん、割とすぐ顔と身体に出るもんね?」

 ジンさんとソウタは顔を見合わせて、”The Wolf Pack” の4人もそれぞれに目を合わせながら、オレにあきれている様子だった。

 「相変わらず演技下手だよね? それ大根過ぎない?」

 「タイガお前、顔引きつってんぞ?」

 「今はゆっくり息を吸え、考える様な事でもないはずだ」

 「ならむりやりにでも俺のインパラで拉致るぞ、力で俺に勝てるとでも思ってるのか?」

 きっと今のオレの全身を鏡で見たら、酷く歪んで張りついた笑顔を浮かべながら、どうにも落ち着かない様子で小刻みに手足を動かしてんだろうな。

 それに、皆んなオレのパターンを良く把握してる。取りつくろうんでも、お世辞を言うんでも、本心じゃない事を口走るとオレ自身の意思とは関係なく、顔の表情や身体の動きがあからさまに不自然になるんだよな──。

 As a shooter lettin’ arrows go straight wit’ thunderbolts, オレは昔から嘘をつくのが大の苦手だ。でもここで皆んなに、オレに何が起きているのかを悟られる訳にはいかねえ。



 皆んなに向かってどうにか言い訳をしようとした時に、目の前の自販機に他のクラスの生徒がやって来た──オニさんだ。

 オニさんは1学年上の先輩で、he got in old school, a basic Japanese biker-gang style, 確かジンさんやコータローさん達と同じくすでに成人してるけど、ジンさんより歳下だった──かな? コータローさん、タカヒロさんと同い年ぐらいだった気がする。

 「お、タイガくん久し振りじゃーん! 元気?」

 「うっす、オニ先輩お久しっす、元気っす」

 オレはヤンキー座りのまま頭を軽く下げて、オニ先輩の目を見ながら挨拶した。このオニ先輩もバイク乗りで、登校日のタイミングが合う時に学校近くの駐輪場で出くわす事がある。しかも車種はオレと同じ ZEPHYR400 で、先輩とはそれをきっかけに話をする様になった。

 但しオニ先輩の ZEPHYR はボディカラーが黒で、そして何よりも特筆すべきは、たまにテレビの特番で放送される警察密着ドキュメンタリーでマッポ (警察) とのカーチェイスにまんま出てくる感じの、a custom bike got Frankenstein'd, wit’ noisy as fuckin’ muffler, あっからさまで分っかりやすいぐらいに目立つカスタム車だって事だ。

 後部座席 (タンデムシート) は同乗者が背中までゆったりと預けられる、通称『墓石三段』って呼ばれるスーパーロングシートに変えられてて、フロントランプだけじゃなくてウインカーからテールランプに至るまで、車体の照明装置は全部手が入ってる。もちろんマフラーからは『タイコ (サイレンサー) 』がしっかり外されてるから、少し吹かしただけでも周囲には凄まじい音が鳴り響く。

 見える部分のカスタム具合をパッと見ただけでも、オニ先輩が自分のバイクを心から愛してるってのが分かる。きっと他の目立たない所にも細かくカスタムを重ねてんだろうな。

 オニ先輩に比べればオレのカスタムはヒヨッコ同然だ。 ZEPHYR 標準装備であるシルバーメッキの円形ミラーが気に入らなかったから、マットブラックの角形ミラーに変更したのと、サイドスタンドを追加して取り回しやすくしたってぐらいだ。けどオニ先輩はオレのそんなちょっとしたカスタムにも気づいて、声をかけてくれた。オニ先輩はバイクっていう存在そのものを愛してんのかもしれない。

 先輩は自販機でコーラを買いながら言った。

 「ジンくんもソウタくんもお久っすね、”The Wolf Pack” も最近会ってなかったよね?」

 「おう、オニも元気そうじゃんか」

 「先輩こんにちは」

 「ちーっす先輩」

 ジンさんに続いてソウタとリョースケも口々に挨拶を交わす。コータローさんは無言のままに軽く片手を挙げて応えて、タカヒロさんとシンヤくんも同じく無言のままに軽く頭を下げて返すに留まった。

 コーラのペットボトルのフタを開けながら、ふいにオニ先輩はオレに向き直った。

 「そーだ、タイガくん、今日もバイクで来とる?」

 「はい、いつもの駐輪場に停めてます」

 オレがいつもの駐輪場に到着した時にはすでにオニ先輩のド派手な改造 ZEPHYR が停められてたから、it’s a, umm, what can I say—basic but try-hard style, ya know, so it doesn’t work for me, 今日は先輩もバイクで登校してきてんだなってのは分かってた。オレの返事にオニ先輩は笑顔を見せて話を続ける。

 「おっ、ほんなら今日の夜、一緒に走りに行かん? 最近チームで人足りんくてさ、走る時だけでも頭数増やしたいんよね。タイガくん ZEPHYR 乗りだから、一緒だと見栄え良いし」

 オニ先輩は暴走族のメンバーだ。学校に登校してる今日は普段着の緩い上下トレーナー姿だけど、チームで走る時の正装はもちろん、one of classic styles for their rebel statement, but, if ya knew 'bout our history, ain’t no way ya'd rock that fit, ya know, I mean that, if this be 3rd empire, whole world goes wild-well, whatever, that’s, 特攻服だ。

 オレはひとりきり、または少人数でのツーリングだったら好きだけど、hittin’ the gas, high on wild-speed, but not takeovers, it be kamikaze, out of touch, 大勢とつるんでの集団暴走は好きじゃない。っつうか、タイコを外したマフラーは通常の排気音よりも酷く甲高くなるから、その音域が好きじゃない。それが複数台ともなると、オレの耳が痛みで耐えられなくなるからだ。

 誘われてどうしても断りきれなかった時に短時間だけ参加するって事は今まで何度かあったけど、自ら進んで参加しようとは正直思わない。けどオニ先輩はいつも押しが強くて、断り切れないって時も今までに結構あった。

 連日の睡眠不足で今は集団暴走どころか、皆んなから心配されてるぐらい、そもそも運転自体がしんどいって状態だけど──どうしよっかな、この場で断ったらオニ先輩、間違いなく機嫌悪くなるよな? けど、どうせ家の布団に入ってても大して眠れもしねえんだから、この際気分転換で参加するってのもアリか?

 スピードに乗って風を斬る事自体は最高に楽しい。だから、if I be down wit’ adrenalines, 体調の悪さも忘れられるかもしれない──何もかも忘れられるかもしれない。

 大して動いてもいない頭の中で一瞬の間に考えを巡らせてると、my phat-def bubbas, オレが返事をするよりも前にジンさんが立ち上がって、コータローさんと一緒にオレとオニ先輩の間に割って入って言った。

 「悪ィな、タイガは今日この後俺達と夜まで出かける予定なんだ。またにしてやってくれ。あーそんで次の走り、タイガよりもこの俺を誘ってくれよ。俺の XJR1200 (ペケジェーアール) なら文句ねえだろ、な?」

 右の握り拳に親指を立て、その指先を自分に向けながらジンさんはオレに背中を見せてる。オレは地面に屈んだ姿勢のまま、長身のジンさんの広い背中を視界一杯に見上げるしかない。

 さらにそこへコータローさんが畳みかける。

 「俺のインパラでも良いぞ? いつでも出してやる、遠慮するな。音楽だって爆音で流してやるるぞ? ただしウエッサイだけだ。そして俺と乗るんなら、それなりの格好してもらうぞ?」

 He lovin’ the vibes from west side, ya know, called G-Funk, ジンさんは西海岸系のヒップホップが好きだ。上下に激しくバウンドするインパラからギャングスタ・ファンク、通称『ウエッサイ』が爆音で次々と流れてくる──しかも運転席に座ってんのが厳 (いか) ついコータローさんともなると、怖過ぎて普通の人は絶対に近づけない。

 同じく長身で広いコータローさんの背中越しに、オニ先輩の不思議そうな声が聞こえる。

 「ペケジェーとインパラ!? ペケジェーはまぁ良いとして、頭数増えるのも嬉しいけど、チームの統一感がちょっとなぁ〜じゃあまぁ今日は残念って事で──タイガくん、また今度ね?」

 珍しくオニ先輩がすんなりと引き下がった。オニ先輩にとっては歳下のオレの方が扱いやすいからオレに直接声をかけたんだろうな、歳上のジンさんや同い年のコータローさんが参加するとなると、メンバー間の序列に狂いが生じるのかもしれない。それに古典的な日本の暴走族のバイクと、アメ車のインパラが仲良く併走する風景ってのも、確かにちょっと想像出来ない。

 ジンさんとコータローさんはこういう荒事にも良く慣れてる。コータローさんの仕事はセキュリティだし、ジンさんは、he used to run wild with his crew, back in the day, オレと同じ歳の頃にはかなりの無茶をしてた、って前に話してくれた事がある。オレに背中を向けてるジンさんとコータローさんは今、一体どんな表情をしてんだろう。

 オニ先輩は飲みかけのペットボトルを片手に、学校へと戻って行った。

 「──ありがとう、ジンさん、コータローさん。Ya be real lifesavers, すげえ助かった」

 オレは軽いため息と共に立ち上がって胸をなで下ろすと、ジンさんとコータローさんは振り返ってオレにその表情を見せた。コータローさんは軽く肩をすくめてオレに応えて、ジンさんはにやりと得意げないつもの笑顔を浮かべて、親指で自販機を指差しながら言った。

 「缶コーヒー、もう一本おごりな?」

 「For real!? I wonder how that, 財布に小銭残ってたかな──」

 オレは慌ててパンツの後ろポケットに手を入れて、財布の中身を確認しようとした。ジンさんは大笑いしながらオレを制止する。

 「冗談だって、真に受けんな!」

 「ジンさんとコータローさんがいてくれて良かったじゃん。あの人、絶対タイガをダシにするつもりだったでしょ?」

 リョースケが頷きながらもオニ先輩への嫌悪感を思いっきり示すと、シンヤくんは心底感心したみたいに言った。

 「ジンさんのバイクはともかく、コータローさんのインパラって魔除けにもなるんだなぁ」

 「What the hell, おいシンヤ、それどういう意味だ?」

 コータローさんがその太い両腕を組みながらシンヤくんに詰め寄ると、タカヒロさんが軽くため息をつきながらシンヤくんの代わりに応えた。

 「そのまんまの意味だろう、お前は自分が周りからどう見られているか、自覚がないのか?」

 「けど、これで良かったね! バイク事故を未然に防げて、魔除けのお札も手に入れたんだから、缶コーヒーぐらい安いもんじゃない?」

 オレとジンさん、コータローさんの3人を見ながら、ソウタがケラケラと笑ってる。

 それは確かにその通りだ、it’s my right thing, 睡眠不足のままでムチャな集団暴走なんて、ほんの少しでも意識が途切れて操作を誤ったら最後、絶対に大事故を起こす。ジンさんとコータローさんがとっさに機転を利かせてくれたおかげだ。これぞまさしく命拾いってヤツだよな。

 急にジンさんが、真面目な表情を作って話し出した。

 「──タイガ、覚えておけよ? お前にはな、悪い事は似合わねえんだ」

 「へ? Ya means-what, 何だよ、それ?」

 さっきと打って変わって突然のジンさんの真面目な話し振りに、sneakin’ in, flippin’ out, オレは戸惑いを隠せなかった。オレはジンさんの目から視線を外す事が出来ない。

 オレの目を見ながらジンさんはなおも話を続ける。

 「必要なら悪い事は俺がやる。けど今以上の事は、お前はやるな。お前には、もっとお前らしい生き方が出来るはずだぞ?

 この学校に来てるヤツらは大なり小なり修羅場を経験して、社会で良しとされる『普通の人生』ってのからは脱落したヤツらばっかだ。同世代の他のヤツらより、遠回りの道を歩いてんだ。だから、さらにここで悪いヤツとつるんで悪い事なんてやってたら、ますます遠回りになる道を自分の意思で選んで突き進む事になる。これ以上、お前の人生に余計な時間をかける必要なんてあんのか? そんなん1秒だってねえだろ? 英語、もっと勉強してえんだろ?

 お前が今、一体何につまずいてんだかは知んねえよ。そんなん言ってくんなきゃ分かんねえよ。けどな、言えねえんなら言えねえで良いんだよ、その代わり堂々としとけ。そんでしんどかったらあんなヤツとじゃなくて、俺達と一緒にいろ。ちゃんと俺達がついてっから、な?」

 Yo, my big bro, ya always down, real as they come, ya the best, ジンさん、何でそんな優しい事言うんだよ、昼間っから最高過ぎんだろ? オレ泣いちゃうぞ? コーヒーもう1本おごるぞ? 缶じゃなくて喫茶店でも良いぞ?

 コータローさんがジンさんの言葉の後を継ぐ。

 「タイガはきっと今、何か大変な状況なんだろう。けど、何があったのかまでは無理に話してくれなくて良い、お前は自分の事を話すのが苦手そうだからな。けど、俺達は今こうして一緒にいられる。俺達と一緒にメシやゲーセンに行ったり、こうして自販機前で気安く話して、少しでもお前の気持ちが軽くなるんなら、いくらでもつきあう。気分転換がしたいんならすぐに呼び出せ、俺はインパラを出すし、ジンさんのバイクの後ろでも良いだろう。今は無理するな。

 それに、変なヤツに振り回されて、厄介事に巻き込まれるタイガよりも、俺達と一緒に笑ってるタイガでいてくれる方が、俺は嬉しいぞ。Ya ain’t too proud to beg us, my lil’ bro, aight? 皆んなもそう思ってるはずだ──そうだろう?」

 And yo, another my big bro, ya real solid OG, also a real one, and I know, y’all my homies, コータローさんまで泣かせにくるとかズルいだろ、オレ今弱ってんだからそういうのダメなんだってばよ、あーもう勘弁、無理、泣く。

 「あージンさんとコータローさん、タイガ泣かせたー。こないだのお返し、くらえタイガー」

 リョースケがそう言いながら、背中からオレを力いっぱいハグしてきた。Yo, my bro, ya finally catchin’ up, there ya go now, そうだよな、しんどい時はハグだぞっつったのはこのオレだもんな。そして今、オレはしんどくて、ハグが必要だったんだな。We need to feel loved (my feelin’ so snug), why wait for so long (‘cause we got real snug), real as the solid pack, for something that we call our own, ひとりで我慢する必要なんて、どこにもなかったんだよな──。

 「Thanks, my bros, ya the best— リョースケ、このままちょっとだけ泣かせろよな?」

 オレはリョースケをハグし返して、皆んなの前でちょっとだけ泣いた。



 「タイガくん、重──何かこれ、いつもと逆だよね? ちょっと──やれるかなこれで」

 けど、泣いたからってそれでオレの調子が戻る訳じゃない。気持ちのしんどさは少しだけ軽くなっても、身体のしんどさ──頭ん中がグチャグチャで、グルグルしてて、still, my head’s real poundin’, dead spinnin’, and easily triggered by any bit shots, ちょっとの刺激ですぐ爆発しそうなギリギリの感じは結局全然変わらない。おまけに眠気も全然とれない。

 本当だったらすぐに布団で寝たい。それが出来ないんだったらせめて静かな場所とか、落ち着ける場所でボーッとタバコを吸ってたい。今はどんな刺激も遠ざけたい。けど、皆んなはオレのその感覚を分からない。きっと一時的に調子が下がってて、今はただムシャクシャしてるだけで、気分を変えればまたすぐいつもみたいに元気になるんじゃねーかって思ってる。If only it were like that, though, そんな簡単な話で済むんだったらオレだって嬉しいよ。

 「My bad, my bro, mind if I lean on ya now, only for a sec, ya feel me?

  (悪ィ、けど今ちょっとだけこうさせてくれ、頼むよ)」

 そう言ってオレはイヤフォンから音楽を流しながら、これから格闘ゲームを始めようとしてるソウタと椅子を半分こして、左横からソウタに身体を押しつけて座った──ソウタ右利きだし、これならいけんだろ? 今、誰かとくっついてねえと無理っぽいんだよ。いつもはオレのバイクの後ろにソウタを乗っけてソウタがオレにくっついてくるのに、今日は逆だ。

 「やってはみるけどさ──本当に出来んのかな、これで──本当にもうやるよ?」

 ソウタはブツブツ文句を言いながらも、コインを1枚投入してゲームを開始した。”The Wolf Pack” の4人はエアホッケーで騒ぎ始めた。良いなぁ、オレも元気だったら混ざりたかったなぁ。けど今は絶対無理だ、きっと何も反応出来ねえまま試合が終わる気がする。やっても金のムダだ。

 皆んながゲーセン行って気分転換しようぜって言うから、オレも一緒についてきた。

 オレは自分の体調を上手く説明出来なかった。本当は今、こんなうっせーとこなんて来たくなかった。自殺行為だって分かってる。けど、皆んなとも離れたくなかった。だからちゃんと説明しようと思ったのに、そしたら急に頭ん中のノイズが酷くなって、眠気が強くなって、何も考えられなくなって、I’m stuck, no spit, 結局何も言えなかった。

 オレは少し体重をかけて、ソウタに身体を預ける。ソウタのプレイに合わせて、オレの身体も小刻みに踊る。イヤフォンからの音楽を聴きながら目をつむる──今はゲームなんか出来ねえ、画面なんか見てらんねえ。見てたら、たぶん秒でゲロ吐く。少しして、イヤフォン越しにソウタの「っしゃあ!」って声が聴こえた──何だよ、ya killin’ it, aight, やっぱこれでも勝てんじゃん。

 オレはちょっと安心して、そのままソウタの体温を感じ続けた。

 あーあ、オレ、何かやろうってすると、why do I always get ‘bout to pass out, lost in my noisy as fuck, busted head, huh, どうしていっつもこんな風に頭ん中ノイズだらけになんだろうな──そういやこないだも、何か大事な事思いついたはずなんだけど、それが何だったか全然思い出せねえんだよな──オレ、何かやろうってしてなかったっけ?

 あーダメだ、ずっと霧ん中歩いてるみてえな感じだな、霧ん中、霧ん中──あれ、前もそんなんなかったっけか? こんなにオレの頭ポンコツだっつーのに、さらにここにヤク切れの禁断症状まで重なってるとか、my life’s a whole wrap, もうオレ人生完全に終わってんな──。

 イヤフォンから流れる音楽に耳をすませる。

 最近、ラップの部分が少ないか、または完全にないビート・トラック中心のヒップホップも聴く様になった。これがまた結構格好良くて、このビートの上にオレだったらどんなラップを乗せんだろうなって考えながら聴くとなかなか面白い。そして今、ちょうどインスト部分が終わって、インタールードでこんなフレーズが聴こえてきたとこだった。

 "This is not a dream, not a dream, we're usin' ya brain's electrical system as a receiver, we're unable to transmit through ya conscious neural interference, ya receivin' this broadcast as a dream, we're transmittin' from the..."

 はぁ、なるほど、夢じゃねーと受信できねーってのか? 起きてるとオレの意識が邪魔って事か──確かに、オレも色んな夢見てっから何か分かる気もすっけど──え、でもオレ中学生ん時に、夢ん中で『目覚めろ』とも言われたよな? Ya got me to wake up, then now, tellin’ me to sleep, to catch ya in my dream, like, to wake up, or not to get up, that’s my real hard deal, so make up your mind, man, どっちなんだよ!? 寝ながら目ェ覚ますとか、そんなん同時に出来る訳なくね!? ってリリックに文句言ってもしょうがねえか──。

 そういやぁ夢ん中でオレが北米先住民の少年として生きてた時は、飲まず食わずの儀式で極限まで自分を追い込んで半分意識がブッ飛んで、自分の『盟友』と出会ってんだよな──カスタネダの本だとメスカリトでブッ飛んでたけど。そんで砂漠の国の皇子として生きてる時は、瞑想の修行で半分意識ブッ飛ばしてたんだよなぁ。けど今のオレじゃあ、瞑想とか絶対無理だわ、頭ん中からっぽになんて出来ねえし──ん? 『半分意識をブッ飛ばす』って、じゃあもしかして今──。

 ふいにオレのイヤフォンが耳から外されて、オレの意識は急に現実に引き戻された。

 「あ、タイガくん、ゲーム終わったんだけど──俺もう動いても良い?」

 「—Ah, for real, my bad, 今起きる」

 オレは目をこすりながらゲーム画面を見ると、ソウタの操作するキャラクターが勝利のポーズを決めてるとこだった。しかもかなり時間も経ってて、ウトウトしてるぐらいの感覚だったはずなのに、オレはソウタに身体を預けたまま本当に寝てたみたいだった。

 例の音楽ゲームをやりたそうにしてたから、オレはソウタから離れた。

 店内を見回してみると結構混んでて、椅子が空いてるゲームがあんまし見当たらない。今はゲームをやれるだけの体調じゃない、けど立ったままでもいられない、now I’m done wit’ that, damn can’t even stand still, 壁を背に、オレは店の床にずり落ちるみたいにして力なくしゃがみ込んだ──この店の天井、相変わらず汚ねえなぁ。綺麗な空か、星空が見てえなぁ。昼でも夜でもどっちでも良いんだ、とにかく空を見上げながら、オレは横になりたかった。

 そして、急に目の前の視界が暗くなったと思ったら、横からシンヤくんが1人で来て、アメスピを片手に、いつもの笑顔でタバコを吸うジェスチャーをしながらオレに話しかけた。

 「おいタイガ、タバコ吸いに外出ようぜ!」



 ゲーセンの横には、車は入れないけどバイクなら通れるぐらいの幅で、奥にある民家へと続く薄暗くて小さな生活道があった。オレはシンヤくんに促されてその道に入って、2人してそこでヤンキー座りになった。オレはイヤフォンを外してウエストバッグにしまって、代わりに中から赤マルを取り出して火を点けた。シンヤくんはオレのとなりでアメスピに火を点けてる。

 2人で吐き出した煙が、音もなく空へと上がって消えてく。

 「タイガ、まだ眠いのか?」

 シンヤくんが心配そうな表情でオレの顔を覗き込んでくる。オレは肩を軽くすくめて応えた。

 「Yah, been feelin’ like drifted awake, drifted away, throughout a day, 夜にちゃんと寝てるはずなんだけど何か浅い感じで、そんで昼間にずっと眠くてさ──コーヒー飲んでも全然寝るんだよ。カフェインなんて皆んなが言うほど効かなくね?」

 学校の休み時間に大きめの缶コーヒーを全部飲んだのに、結局また寝てる。眠気覚ましと思ってせっかく買ったのにこれじゃあ、何だか金をムダにした気分になる。

 シンヤくんはニコッと笑ってオレのぼやきに応えた。

 「あーそれ分かるな、俺もコーヒー飲んでも全然普通に眠れるぞ。リョースケもカフェインなんてまるで効かねえって言ってたし、ジンさんなんて何杯飲んでも平気で夜寝れるって言ってたな。やっぱ、そういうのって人によるんじゃないのか?」

 「Yo, word! やっぱそんなもんかぁ、良かった」

 シンヤくんの返事にオレは少しほっとした。これもまたオレだけの感覚なんだってなってしまうと、今はメンタル削られそうだったからな──やっぱ1人と孤独は全然違うよな、うん。

 「そういや、こないだ本で読んだんだけどな、カフェインって『興奮物質』っつうらしくてな、コーヒー飲むと脳が興奮するから目が覚めるらしいぜ。けどさ、俺達カフェイン飲んでも全然寝れる、カフェイン効いてねえって事はさ──俺達の脳が、飲む前からカフェインなしでもずっと興奮してっから、って事なんじゃねーかな」

 さすがシンヤくん、オレ達 B.R.O.H. クルーはそれぞれ色んな本を読んでるけど、どうやら最近の ”Whistlin’ White Wolf” aka シンヤくんは医療とか科学の本を好んで読んでるらしかった。へーカフェインって興奮するものなのか、全然知らんかった。

 「Ugh, for real? 脳ミソがずっと興奮しっぱなし? そんな事あんの?」

 医学の知識が全然ないオレは、脳がずっと興奮してるって事の意味が良く分からなかった。

 「俺だって医者じゃねーから、本当かどうかは分かんねえけどさ、そうなのかもしんねえって思った、って話だよ──つうかさ、俺とお前、リョースケにジンさん、カフェイン効かないって言ってる4人全員、タバコ吸うだろ? タバコ吸うと、いつも大体スッキリするよな? そんで寝る前にタバコ吸うと、良く眠れたりもするだろ?

 同じ本にさ、タバコのニコチンって、吸えば吸うほど脳を静める効果があるって書いてあったんだよ。スッキリするって感じるって事は、ニコチンが俺達の頭に効いてるって事な? って事は、俺達の脳が最初から興奮してるからこそ、スッキリするって感じられるんじゃねえのかな?」

 ──確かに、タバコ吸うといつも大体スッキリするし、それなりに落ち着く事が多い。吸ってすぐに落ち着かなかったとしても、何本か吸えばそのうちにちゃんと落ち着いてくる。『興奮してるからこそ落ち着くのが分かる』ってのは、that’s the real eye-opener, blowin’ my mind, オレにとっては目からウロコの新しい視点だった。

 にしても、カフェイン効かねえっつってる4人全員が、揃ってタバコを吸ってんのか──オレ達がそうなる、何かきっと共通の理由もありそうな気もするけど──じゃあ逆に、タバコを吸ってないコータローさん、タカヒロさん、ソウタに共通してる事ってあるのか?

 Bullshit, あーダメだ、考えようとするとまた頭ん中のノイズが酷くなってきやがった。あんま深く考えない方が今は良いかもだな。

 考えない代わりに、オレはシンヤくんの博識ぶりを称えた──自分が知らない世界を知ってる人の事は、無条件で尊敬したくなる。

 「Facts, ya right, ya better become a doc, シンヤくん、すげえよ、今からでも医者になれんじゃね!?」

 「んな学費払える訳ねえだろ? それに、俺はデザイン系に行きたいっつったの忘れたか? グラフィティ極めたいんだよ」

 シンヤくんは軽く肩をすくめて応えた。

 デザインの勉強が出来る学校に進学する為に高校を卒業する──シンヤくんが今のこの通信制高校に通ってる最大の理由だ。美大に行けたら行ってみたいらしいけど、受験勉強と学費が大変そうだったら早く卒業出来る専門学校でも充分だって、前にシンヤくん本人が言ってた。

 I know ya, my bro, 大丈夫、ちゃんと覚えてる。そんな格好良い夢と目標を掲げて、頑張って学校に通ってる仲間の話を忘れる訳なんてねえだろ?

 オレは人差し指の先で、自分の頭をポンポンと軽く叩きながら言った。

 「Nah, ain’t no slippin’, still fresh up here, aight, 大丈夫忘れてないって! ちゃんと覚えてるよ、いつも応援してる──けどさ」

 Yo, my doc, the magic master, now gimme some past knowledge or deep-dope wisdom for the future, 続けてオレは自分が感じた疑問を素直に口にした。

 「何でオレ達4人の頭、最初から興奮しちゃってんだろうな? 何か原因とかあんじゃねーの? それにさ、もし本当に興奮してんなら、何でオレいつもこんなに眠くなんだろ? 逆に、めっちゃ目が冴えたりはしねえのかな?」

 シンヤくんはまたも軽く肩をすくめて、アメスピを深く吸って煙を吐き出しながら応えた。

 「さぁ? それこそ俺医者じゃあねえし、そればっかしは良く分からねえなぁ──けど、もしかしたらだけどさ、眠くなんのは、また別の理由があんのかもな?」



 何本か続けてタバコを吸っているうちに、さっきの話題の通りにやがてオレの頭はスッキリして、気持ちは少しずつ落ち着きを取り戻し始めた。やっぱオレの頭、マジで興奮してるって事なんかな──うーん、自分の脳ミソの状態を把握するのって何か難しいな、中身見えねえし。

 「そうだ、お前にこれやるよ。渡そうと思ってたんだ」

 そう言ってシンヤくんは自分の The North Face 製のショルダーバッグから、何かを取り出してオレに手渡した。

 「『ドリーム・キャッチャー』って言うんだ。こないだ、駅近くの雑貨屋で見つけたんだよ──北米先住民のアイテムだぜ、お前もこういうの、絶対好きだろ?」

 木の枝を手のひらぐらいの円形に丸めた輪に、紐でクモの巣みたいな模様が編み込まれてて、そのクモの巣の中には綺麗なビーズが何個もついてる。そして輪の上にはフックに引っかける為の小さなループと、輪の下には何本もの紐や何かの鳥の羽がいくつも垂れ下がってる──これ、『ドリーム・キャッチャー』って言うのか! This is sooo phat ‘n’ dope, ya feel, すっげえ綺麗だし、何か格好良いな!

 ──あれ、けど何か夢でこれと似た様な、丸い輪っかを見た事ある気がすんだけど──? でも、こんなに紐とか羽とかついてたっけか? 違う別のもんなのかな? 結構前に見た夢だよな、確か中学生ぐらいの頃に見た夢で、たぶん日記にはどんなのだったか、ちゃんと書き残してるはずだ。

 オレは手渡されたドリーム・キャッチャーをまじまじと覗き込んでから顔を上げて、どんな夢だったかをこの場で思い出そうとしてシンヤくんを見た。

 オレは目を見開いた。

 その時、シンヤくんの顔が一瞬だけ、あの頃の、<夜の狼の星>の顔に見えた──。

 Whack, ain’t’ this somethin’ else, またデジャヴか? けどやっぱシンヤくんって、オレが先住民の少年として生きる夢ん中の、オレを導いてくれる呪術師、その人なのか──?

 シンヤくんの話は続く。

 「これはな、夜寝る時にぐっすり眠れる様にって、枕の上の壁にかけとくんだ。そうすると、悪い夢だけをこの紐の網がすくいとってくれて、良い夢だけを紐の間から通す、ってヤツらしいぜ。今のタイガにちょうど良いっぽいだろ? これで本当に、夜ぐっすり眠れるようになるかもしんないからな!」

 シンヤくんはそう言ってイタズラっぽく笑った。

 例えシンヤくんが呪術師、<夜の狼の星>じゃなかったとしても、今はそんな事問題じゃない。今のシンヤくんの優しさが、気遣いが、オレの弱った心に染み渡る。Yo, my solid bro, ya got a real big heart, nothin’ but love, 何でこんなに優しいんだよ、オレの事考えてくれ過ぎだろ。また泣いちゃうじゃねーか。

 「Thanks, my bro, ありがと、マジでマジで大事にする。シンヤくんまで泣かせにくるとか、ずるいだろ──マジでありがと」

 「お? 喜んでくれたか? けどお前、今日はずいぶんと涙腺がガバガバな日だよな?」

 シンヤくんはもう1本アメスピに火を点けようとしてたその手を止めて、火の点いてないタバコを口に咥えたまま、オレの頭をワシャワシャとなで始めた。

 「C’mon, shut up, うっせーな、ほっとけよ! せっかく感謝してんのに」

 口ではそう言ったけど、オレはシンヤくんがもっとなでやすい様にって、頭を少し下げながらシンヤくんの方に向けて突き出した。誰かに頭をなでてもらうのは気持ちが良いし、落ち着く。しばらくなでてくれて、オレの涙が治まってくるのを見て、シンヤくんが立ち上がって言った。

 「そろそろ戻るか!」

 オレも頷いて立ち上がると、シンヤくんがオレをハグした後に、右から肩を組んできた。

 シンヤくんは、日本人にしては珍しく積極的にハグをしてくれる人だ。コータローさんはその生い立ちから割とハグしてくれるけど、他のメンツはオレとシンヤくんとコータローさんが頻繁にハグする様子を見て、それから皆んなつられてやる様になった。

 オレは贈り物の感謝をもう一度伝えようと、wit’ my fist bump, 自分の左手の握り拳を右どなりのシンヤくんに向かって突き出しながら言った。

 「──そうだ、シンヤくんその、これ買ったって店、今度一緒に連れてってよ。オレもそこに行ってみたい」

 シンヤくんは自分の右の握り拳をオレの左手に当てて、wit’ his fist bump, オレに応えた。

 「おう分かった。じゃあどうせなら、タイガも一緒に連れて、皆んなで行くか? お前ら全員きっと気に入ると思うんだ。今度、ちゃんと予定合わせて行こうな!」

 拳を突き合わせる挨拶も、オレとシンヤくんとコータローさんが頻繁にやるのを見て、皆んなもやり出した──日本に住む人って、どうして身体が触れる経験を重ねないんだろう。

 シンヤくんと2人、肩を組みながらゲーセンまで戻ると、入口から店の奥で、ソウタは学校で宣言した通り、now he’s a real man on his word, DJ への道の第一歩として本腰入れて音楽ゲームをやってて、それをリョースケ、ジンさん、コータローさん、タカヒロさんが囲んで、皆んなで応援してた。

 途中でジンさんが気を利かせて、ソウタの為にって店員に許可とってから椅子を借りてもらってくると、ソウタは大喜びだった。椅子に座ったままでもボタンと小さなターンテーブルを巧みに操作して、次々と高得点を叩き出してって、その度に皆んなで歓声を上げた。ジンさんとソウタはハイタッチからお互いの拳を合わせて、嬉しそうにはしゃいでた。

 夢の中で何度も見た風景が、今オレの目の前で重なる──<伏せる山猫>と<歌う山獅子>、ソウタとジンさんのやりとりをこうして横から見てると、2人が本当の仲の良い親子みたいに見えてくる。

 そして、音楽を楽しむソウタのその後ろ姿をじっと見てると、one MC, one singer, four breakers and one DJ, ソウタが触れてるボタンやターンテーブル、目の前のゲームの躯体が、本当にDJブースと熱狂するステージ、ダンスフロアみたいに見えた。何度目をこすってみてもオレにはずっとその風景が見え続けてて、きっとソウタにはこんな輝かしい未来が待ってんだな、ってオレは顔の表情を少し緩めた。



 「なるほど、日中の眠気が酷い、か──」

 メンクリの若い主治医、クロキ先生が真面目な表情でそう言った。

 世の中では心療内科や精神科の事を、メンタルクリニック略して『メンクリ』って言うのが流行ってるらしい。思いっ切り和製英語だけど──まぁ確かに、心療内科や精神科と言ったり言われたりするよりかは抵抗感の少ない言葉かもしれない。本来の英語なら “Psycosomatic” とか “Psychiatry” とかだったはずだ。同じ調子で「メリクリ」とか「ハピバ」って言われると、ちょっと何かイラッとする──「あけおめ」「ことよろ」は日本語だからギリ許してやる。

 今日は2週間ぶりの受診日だ。

 オレは、今回も減薬が上手くいってない事、とにかくイライラしまくっててケンカっ早くなってる事、なのに朝起きてから日中の眠気がとにかく酷くて何も出来ねえ事を、手元のメモを見ながらでも出来るだけ自分自身の言葉で説明した。

 Gettin’ so high, forgettin’ some lines, クロキ先生には伝えたい事が多過ぎて、けど話の途中で興奮して何を言いたいのか忘れそうだったから、オレは先生に言いたい事をあらかじめルーズリーフ1枚に箇条書きで書いて準備してきた。最初はそれを見ながら説明してたけど、話しながら次第に興奮し始めたオレの様子を見て、クロキ先生はオレの代わりにそのルーズリーフを読み上げてくれた──あれ、最初っからこの紙、先生に渡しておけば話が早かったか?

 「とにかくマジで眠いんすよ、コーヒー飲んでも全然効く感じしなくて、こないだも授業中居眠りかましちゃうしで、仲間からはそんな体調でバイクの運転なんかするな!って止められちゃうしで──」

 クロキ先生はオレのメモから顔を上げて、オレの目を見ながら応えた。

 「まず大事なのは、タイガくんがこうして無事に顔を見せてくれてたって事と、心配してくれて、信頼出来る仲間がそばいるみたいで良かったって事かな。それだけでも充分な安心材料だよ」

 オレの話の全体像を把握しても、減薬が進んでない事をクロキ先生は良いとも悪いともすぐに判断しなかった。もしその場で悪いと判断されてたら、got hot-headed, jumpin’ the gun, オレはキレて先生の襟首に掴みかかってたかもしれない。

 「そして、日中の眠気が酷くなる症状ってのは確かに存在する。たぶん、今まで気づいてなかったか、あまり気にしてなかった、ってだけで、もともと隠れてたものが、今回の減薬を引き金にして表に出てきたものなんだと思う。

 考えられる原因は主に3つ、ナルコプレシー、ADHD、そして解離性障害だ。ふくよかな体型の人やうつ状態が強い人にも起こる可能性はあるけど、タイガくんはシュッとしてるし動けてもいるから、それは違うと思う」

 クロキ先生の続けた言葉にオレは戸惑った、何か専門的過ぎてちょっと理解が追いつかない。こないだのシンヤくんみたいに分かりやすい言葉で言ってくれると助かるけど、でも良く考えてみればクロキ先生こそ本物の医者なんだから、専門的な言葉を使って当然っちゃあ当然だけど。そして分からない事は聞くに限る。

 「What’s『エーディーエイチディー』、って何すか? どれも全部初めて聞いた言葉ばっかなんすけど──何かの暗号?」

 オレは右眉を吊り上げながらクロキ先生に聞いた。 

 「ADHDは『注意欠陥多動性障害』、英語だと “Attention-Deficit, Hyperactivity Disorder”, 略して ADHD ──タイガくんには英語の方がイメージしやすいかもしれないね」(※ 2025年現在、日本語での診断名は『注意欠如多動症』に変更されている)

 クロキ先生は軽く頭を抱えて、小さくため息をつきながら話を続ける。

 「タイガくんの様子は、どうにもADHDか解離のどっちかとしか思えないんだよなぁ、今までの話や、今日聞かせてくれた話もそうだし、このメモなんてまさに『上手くやれてるADHD』って感じなんだよなぁ──」

 「Huh, doc, ya said I’m like “hyperactive disoder”!? このオレの、一体どの辺が!?」

 オレは右眉を吊り上げたまま、立てた親指の先を自分に向けた後にお手上げのポーズをとって、身振り手振りを交えながらクロキ先生に必死に抗議した。日本語だと “hyperactive” は『多動』で、”disorder” は『障害』とか『異常』って意味の言葉だからだ。

 はー!? オレ異常なんすかー!? オレがいつもそんな動いてばっかな訳ねーじゃん、オレに落ち着きがないなんて事はねえだろ!? たまにキレる事はあるけど、普段は結構冷静なんだぞ!?

 けどクロキ先生はオレの目を見ながら静かに応えた。

 「今、タイガくんは僕の言葉にすぐ反応したろう? その身体の動きもそう、手足も顔の表情も、常にどこかが早く、大きく動いてる。けどタイガくんはたぶん、何よりも頭の中がずっと動いてるんじゃないかな? 表に出てるものだけが “hyperactive” って訳じゃないんだ──例えば、さっき思いついたアイディアがすぐに別の思いついた別の考えに流されて、最初のアイディアが何だったか思い出せないって事はないか?」

 オレは驚いた。クロキ先生はオレに近い力を持ってる人だったのか? 最初っからこの人すげえかもって思ってたけど、まさかここに来て、オレの頭ん中の状況をズバッと言い当てられるとは思ってもみなかった。

 「Ya for real, doc, ya got me, そんなのしょっちゅう──てか毎日ですけど!?」

 「やっぱりそうか──だから無意識のうちに、こうしてメモを書いたのかもしれないなぁ」

 クロキ先生は穏やかな表情で話を続ける。

 「ADHDと解離性障害はどっちも似た部分があってね、人によっては判別がつきにくいものもあるんだ。簡単に言うと、ADHDは生まれつきの特性で、解離性障害はそうじゃなくて後天的なもの、って思ってもらって良い。どっちの場合でも人よりも感覚が鋭かったり、人とは違う感覚を持っていたりするんだ。あ、解離って言うのはね──」

 クロキ先生の話の最中、オレの頭ん中のノイズが酷くなりだして、先生が何言ってんのか途中から全然理解出来なくなってしまった。先生は日本語でしゃべってくれてるはずなのに、まるで未知の言語を聞いてるみたいで──もっと言うと、日本語の言葉ひとつひとつの意味がバラバラになって、それがオレの頭ん中で文章としてつなぎ合わせられない、って感じだった。

 「──ただ、出来るだけ早く鑑別診断が必要で、けどこのクリニックで検査となると限界があるし、今から大学病院に紹介なんてしてたら時間がかかり過ぎるから──」

 先生の声は聴こえてるけど、it’s only a sound, ain’t no boogies or lines, それは単なる音でしかなくて、リズムにも乗ってなくて、意味を持った言葉として聴こえてはこない。何だよ、これ──ダメだ、頭痛ェ、頭ん中がグルグルする、気ィ抜いたら全身から力が抜けて、今座ってる椅子から転げ落ちそうだ──。

 「──タイガくん? おい、大丈夫か?」

 突然反応がなくなったオレを心配して、クロキ先生がオレを肩をゆすってくれたおかげで、オレの意識は少しだけその灯を取り戻した。

 「Ugh—well, ‘kay, and then? そんで先生、話、何だったっけ?」

 「──参ったな、これは──」

 少し身体をかがめて、困った様な表情のままオレの目を覗き込んで、軽くため息をついてからクロキ先生はそう言った。

 あれ、ah-yo, was I outta pocket, steppin' outta line or what, オレ何かやっちゃったのかな──いつの間にか先生、めっちゃ眉間 (みけん) に皺 (しわ) 寄ってる──さっきオレから質問したのがいけなかったのか? もしかして、ちょっとウザかったのか?

 どうしよう、減薬ちゃんとやんなきゃいけねえのに、クロキ先生に嫌われたらオレどうしよう、見捨てられちゃったらオレ、これからどうしたら良いんだろう?

 オレの何がダメなんだ? それとも全部か? ここに受診に来てる事自体がダメなのか? 先生確か、さっき限界って言ってなかったっけ、じゃあオレはもう先生の手に負えないって事なのか?

 オレは一瞬のうちに、自分が今この世界で最低な人間、一番ダメなヤツなんだとしか思えなくなってきて、急に心ん中が悲しみと不安と絶望とでいっぱいになった。自分を悪く思う以外、他の事を考えるのをオレの頭が許してくれない。

 「Ah, so sorry, doc, オレ今、先生を困らせてんだよね? ごめん、そんなつもりじゃないんだけど、でもオレ今やっぱ、先生に迷惑かけてんだよね? ここにはもう、来ない方が良いって事なんでしょ? オレの頭、もうダメって事なんだよね?」

 オレは涙目になりながら、クロキ先生に謝った。

 「違う、そうじゃない! タイガくんは何も悪くない、君は誰にも迷惑なんてかけてない。タイガくん、今からこのクリニックで出来る、最速で最大限の事をやろう──これだ」

 クロキ先生は慌てて否定して、それから先生の机の上にあった医学書のページをめくって、オレに見せてくれた。そのページには、こう書いてあった。

 『リタリン、中枢神経刺激薬』──何だそれ、神経を刺激すんのか?

 「これは『リタリン』と言って、ナルコプレシーとADHDの治療に使われる薬だ。解離性障害にはほとんど効かない。だから、この薬を使って効果があれば、日中の眠気の原因がナルコプレシーかADHDって事になるし、効果がなければ解離性障害って事になる。つまりこれで、タイガくんの治療方針をハッキリさせられる」

 クロキ先生はそう言ってから医学書を机に戻した。さっきと同じで話が難し過ぎて、オレには何が何だか良く分からない。何か言いたくても、自分が何を言いたいのか、今何を言えるのかもまるで分からない。先生はオレの目の前にいるはずなのに、何だか酷く遠くにいるみたいにも感じられる。

 「ただし、このリタリンの使用には注意が必要だ。今からメモを書いて説明するから、それをタイガくんにも渡す。このメモの内容を必ず守ってくれ、必ずだ──約束出来るね?」

 クロキ先生の真剣な表情に、オレは意味も分からずにただ頷いて応えるしか出来なかった。

 「まず1つ目、このリタリンは必ず午前中に、そして食前に飲む事。どんなに遅くなっても昼過ぎ──そうだな、13時か14時ぐらいまでには飲んでくれ、夕方以降には絶対に飲まない様に。

 そして2つ目、この薬は飲んで30分から1時間ぐらいで効果が出てくる。もし飲んで体調が悪くなったら、すぐに横になって必ず安静にして過ごす事。そして次の日からはこの薬を絶対に飲まないでくれ。

 最後の3つ目、もし飲み忘れたか、さっきの2つ目みたいに調子が悪くなるからもう飲まないってなった場合、飲まずにあまったリタリンは、必ず全部次の受診の時にここに持ってくる事。良いかい、この3つ目はとても大事な事なんだ──これは、僕とタイガくんの信頼関係にとって必要な事なんだ、って理解して欲しい。この薬は、僕が君を信用しているから出すものだ。そして、タイガくんなら必ず持ってきてくれると思う。お互いの信頼は、行動から生まれるんだ」

 Yo, my real doc, 『信頼関係』なんて言われちゃったら、オレだって先生の期待に応えない訳にはいかない。言われただけだと覚えてられるかちょっと自信ないけど、こんなメモまで書いてもらっちゃったら、オレも行動するしかない──あんま意味分かってねえけど。

 「まずは1週間──けど1週間もあれば充分だ。来週にはきっと答えが出てる。それに、リタリンが効かなくても心配しなくて大丈夫だからね、それは別の薬の方が効くって意味になるんだ。『カタプレス』って薬があってね──まぁ、それは来週にまた改めて話そう」

 クロキ先生はオレの目を見ながら、少し姿勢をしゃんと伸ばしてから話を続けた。

 「良いかい、タイガくん、最後に良く聞いてくれ。これは、そもそもどうして君が中学生の時にこの病院に来させられたのか、どうして今まで減薬が必要になるまでたくさんの薬を飲まされてきたのか、その理由と原因を知る事にもつながると思う。タイガくんが自分自身を知るチャンスなんだ。だから、今回はこれでやってみよう。1週間の辛抱だ、タイガくん、一緒に頑張ろう」

 そう言ってクロキ先生はオレに右手を差し出してきて、オレはやっぱり意味が良く分からないままにその手を握り返して、先生に応えた。先生の手のひらは、とても温かかった。



 「Holy shit, damn again!! (まーたやっちまった畜生!)」

 クロキ先生からリタリンを出してもらった次の日、オレはさっそく寝坊をかました。オレの枕の上の壁には、こないだシンヤくんがくれたドリーム・キャッチャーがかけられてる。

 目覚まし時計を消した記憶が全然ねえぞ──やっべえよ、今日は午前中から皆んなと待ち合わせだってのによぉ畜生が! 今日は変な夢見なかったから、ドリーム・キャッチャー効果ありって事か? けどこうして寝過ごしてるって事は、逆に効き過ぎなんじゃねーのか!? シンヤくんに文句でも言っとくか!? ってか効き過ぎとかあんのか!?

 例え遅刻になったとしても、ギンガの朝の散歩だけは行くぞ! とりあえず FILA のキャップ被って髪の毛ごまかせ、あー頭ん中で音楽鳴っててマジうるせえ! ターンテーブル廻してる余裕ねえから、代わりにオレが声出して歌うしかねえ!

 「Yo, yo, hello, world! Listen up my lines, my bros!! Here's my chance, I only live once, I wanna hear you say, "Oh, what a blast, Liger!", we sure have good fun while it goes, hang out with homies, hit the skins, for today we're gonna do it again, so ain't gonna hurt nobody, we just dancin ya'll, ain't gonna hurt nobody, out there on the floor, ain't gonna hurt nobody, we just dancin ain't we, ain't gonna hurt nobody, gonna give you more, oh yeah, ooooh, おっしゃギンガ待たせたな、散歩行くぞおらぁ、gonna bounce!! 」

 待たせた詫びだっつって本気の短距離ダッシュ練をオレが何度も繰り返したから、ギンガは散歩の間ずっとご機嫌だった。そり犬であるシベリアンハスキーは単に遊ぶだけじゃなくて、一緒に走ってやらないとダメな犬種だ。ギンガはじいちゃんの年齢になっても、オレと一緒に走りたい欲求だけは消えないらしい。

 けどオレは寝起きでメシも水も何も口にしてないまま本気のダッシュ練をやったせいで、my head goes busted, spinin’ round and round, 最後の方は何か頭がブッ飛んでクラクラしてた。

 オレは頭をブッ飛ばしながらも、ダッシュでギンガと一緒に家に戻った。

 待ち合わせは11時、今から身だしなみ整えればギリ間に合う。何でこんなに急いでるかっつーと、今日はバイクじゃなくて久し振りに電車で待ち合わせに向かうからだ。皆んながオレの体調を気にしてくれて、バイクじゃなくて電車で、そして満員電車にならない時間帯で、ってわざわざ指定してくれた──にも関わらずオレはこうして寝坊をかましてる。オレってマジで最低だ。

 けど自己嫌悪におちいってる暇すらない。とりあえず顔洗って、牙──歯ァ磨いて、毛繕い──寝癖直して髭整えて、あー服はどうする? さっき FILA のキャップ被ったからそれ持ってくか、ならそれに合わせて FILA のデカいスウェットにするか、デニムは Carhartt で良いや、それなら靴は Timberland だな、ウエストバッグは昨日の Columbia のまんまで良いや、携帯持った、音楽プレイヤーにイヤフォン持った、タバコは? ああもう時間ねえ、バッグに入ってなかったら後で買うしかねえ!朝メシも水も全部、待ち合わせの後だ! ──ん? それってもう昼メシか?

 「Yo, my lil’ bro, be a good boy ‘n’ hold down our crib, ‘kay? (留守番頼むぜ、兄弟!)」

 オレはギンガの頭をなでてから、再び猛ダッシュで駅へと向かった。

 駅に到着したのは発車予定時刻2分前、cloooose one, おっしゃギリセーフ! 毎日タバコ吸ってんのにこうして全力で走れるだけの体力と持久力があんのは、ギンガの散歩のおかげでしかない。ホームへ駆け上がると、ちょうど電車が来たところだった。その時に、オレは肝心な事を最悪のタイミングで思い出した。

 Nah, holy shit, やっべ──クスリ飲んでくんの忘れた──。

 This is real dead whack, shit for real, やっちまった──クロキ先生と約束したばっかなのに、もうこれかよ──オレ本当に本当にマジで最低じゃん。開いた電車の扉を荒い息のままくぐって、オレは空いた席に座った。この時間なら確かに混んでない、けど今はもうそんなのどうでも良い。どうしよう、大事なクスリいきなり飲み忘れて、先生との約束ダメになって、もし本当に先生から嫌われたらオレ──。

 電車のけたたましい発車音が、オレの耳の奥を突き抜ける。Shit, damn, イヤフォンしねえとまずい──クスリを忘れたショックと絶望が次第にイライラへと変わり始めて、周りの不快な音がオレの感情を逆なでする。オレは Columbia 製のウエストバッグを開けて、中から携帯音楽プレイヤーとイヤフォンを急いで取り出そうとした。

 「—Ugh, for real!? (え、マジか!?)」

 ウエストバッグの中には、昨日処方してもらったクスリが紙袋のまま、まるごと全部入ってた。そうだ、昨日クスリもらってこのバッグに突っ込んで家帰ってきて、そんでオレそのまま寝ちゃったんだ──しかもクロキ先生が書いてくれたメモも、タバコだってちゃんと入ってる。

 オレは大きく息を吸い込んで、ゆっくり吐き出しながらガックリうなだれた。良かった、これで先生との約束を守れる、安心した。My minds’ ridin’ ups and downs, swingin’ back and forth, 自分の気分や感情がまるでジェットコースターみたいに激しく上下に揺れ動き続けて、オレはギンガとのダッシュ練以上に、もうこれだけで1日が終わった後みたいに疲れ果ててしまった。

 オレはクロキ先生のメモを取り出して、改めてもう一度読み直してみた。

 1) 午前中、食前に飲む。遅くても13〜14時までに飲む。夕方になったら飲まない。

 2) 飲んで体調が悪くなったら安静にする。次の日からは飲まなくて良い。

 3) 飲み忘れてあまったり、体調が悪くなって飲まないであまったものは、全部先生に渡す。

 今は午前中だから時間はまだセーフだ。これで項目1の時間の約束はクリア出来る。けど今は水持ってねえから、駅降りた後に水買わねえといけねえな。

 そんでこれ食前のクスリだよな、そんなら皆んなと会った後で、一緒に昼メシ食う前にどっかで水買って、トイレ行くフリしてそん時にでも飲めば良いよな。これなら皆んなとの約束の時間、11時にも間に合うし、クロキ先生との約束も同時に守れる。よっしゃ、これで完璧だ! あーマジで焦ったぜ、行き当たりばったりって言われたら何も言い返せねえけど──まぁ、結果オーライだよな?

 今日は11時に皆んなで待ち合わせをして、we the pack sure have good fun while it goes, hang out with homies, hit the skins, for today we're gonna do it again, こないだシンヤくんがゲーセンで言ってたとこ──今日の寝坊の原因かもしれないドリーム・キャッチャーが売ってるっていう雑貨屋に行って、一緒に昼メシ食って、そんで午後から授業出ようぜって予定になってる。

 今日の午後の授業は科学だ。

 科学を担当してるヤマシロ先生はオレ達2年A組の担任でもあって、もうほとんどじーちゃんみたいな年齢、大ベテランの先生だ。けど腹の底から張り上げるみたいにして声を出すし、目力もすげえから、年齢よりもずいぶん若く感じられる。

 それに、オレ達生徒のくだらない質問を決してバカにしたりしない。いつもオレ達とちゃんと向き合って答えてくれるし、一緒に真剣に考えてくれるし、むしろちょっとウザい時があるぐらいにお節介だったりもするけど、he’s solid, a real one as OG, ヤマシロ先生は信頼出来る。オレだけじゃなくてリョースケ達皆んなも、ヤマシロ先生の事が好きだ。

 こないだの宇宙の授業はマジで面白かったなぁ──同じ科学の授業でも、化学や物理は苦手だから絶対出ないけど、生物や天文学の時だけオレはちゃっかりスクーリングに行って、真面目に授業受けて、ヤマシロ先生に色々質問する。生き物、星座や宇宙については、どれだけたくさん勉強してもその度に新しい発見があって、一向に興味が尽きない。

 あと、本当に時々だけど、ヤマシロ先生の姿が本当に一瞬だけ、砂色のオオカミみたいに見える時があるんだよな──これは皆んなには言ってねえけど。

 まぁ、朝の出だしだけはつまずいたけど、今日のこっから先は楽しい予定だらけって事だ。

 ’Kay, aight, 気分変えてこうぜ、何かアガる曲かけてこう!

 Why does it have to be that we get labeled for what we do? It's hard enough for us to be ourselves without being used, thugs have an image too, but when they get mad at you, there is no telling what they'll say to hurt you, this is a story of the shadow runners threat to society, why you wanna go and tell a lie on me? His story over mine, his story will be his story, and my story is a waste of time, they're gonna believe, so, yo, take it from me, don't be a victim of society, you can't put yourself in a position to be neglected and disrespected, you have to do what's not expected, though, we'll all be our story, that’s it!!



 「どうだ? 結構良い感じの店だろ?」

 得意げな顔でそう言ったシンヤくんに、オレはワクワクしながら親指を立てて応えた。

 シンヤくんが案内してくれた都心の雑貨屋には、crafters’ shack wit’ tons of cultures, rooted in each traditions world-wide, 世界各地の先住民族の文化にまつわる雑貨や服、家具なんかが所狭しと置かれてた。

 店内のBGMは、最近の有名な音楽チャートには絶対ランクインしないだろう、何語だか良く分かんねえ言語で歌われたチャントで、けどその繰り返されるフレーズと低音の声を聴いてると、妙に気分が落ち着いてくる──ふーん、こういう音楽もたまには良いもんだな。

 それと、さっきからすっげえ良い匂いが漂ってんだよな! 草の匂いに、ちょっとスーッとする匂いと、甘い匂いが混ざったみたいなヤツだ。嗅いでると、だんだん頭がスッキリしてくる感じがする。オレは鼻をひくつかせながら匂いの元を辿ってくと、レジカウンターの上で香が焚かれてるのを見つけた。

 オレは無意識のうちに香に近寄ってて、煙が音もなく立ち上がっては宙に消えてく様子をじーっと見つめてた──何だろう、my lasted landscapes, sounds, scents, visions from the past, or sumthin’ like that, 何だか懐かしい気持ちになる。この匂いと煙は良い音、良いリズムとしてオレには『聴こえ』てくる。

 「あ、お客さんこの香り気になります? 今焚いてるのは、ホワイトセージですよ」

 レジカウンターの奥から、若い女の人の店員さんがオレに声をかけてきた。

 「ホワイトセージ、って何すか?」

 オレは自然に聞き返してた──否、オレは今ここで、これが何かを正しく聞かなければいけなかった。すると店員さんは、たくさんの香が並べられたコーナーへとオレを案内してくれた。

 「ホワイトセージは北米先住民の文化で大切にされてきた植物で、『白い浄化の葉』って呼ばれてて、身体や心の中を綺麗にしてくれる特別な香りなんですよ」

 ホワイトセージ香が入った水色の箱を片手に取った店員の説明を受けながら、オレは大きく目を見開いた。胸の奥が熱くなる。オレの意識の奥底から何かが湧き上がろうとしてんのが分かる。たぶんオレは今、I know, I know what knowledge ya telliin’, ‘cause I know this ledge, オレにとってすっげえ大事な情報を聞いたんだ。

 ──白い浄化の葉!

 今のオレに絶対必要なもんだ。けど、そう思う理由は良く分からない。

 そしてホワイトセージ香のとなり、深緑色の箱に入ってるシダーウッド香、紫色の箱に入ってるミルラ香の存在も気になった。それぞれを手に取って、箱に自分の鼻を近づけてみる。シダーウッド香は深い木の匂いとスーッとする樹脂の匂い、そして少しだけ香辛料みたいな刺激のある匂いが混ざる。ミルラ香は重くて温かい樹脂の匂いに、ほのかに甘くて、あとちょっとだけ土っぽくて、そしてやっぱこれも香辛料みたいな刺激のある匂いが混ざる。

 全部、these are all of my favorite things, オレの好きな匂い、良い音、良いリズムばっかだ。

 「他にも気になる香りがあったら、次に焚きますよ?」

 レジカウンターの上で焚かれてたホワイトセージがちょうど燃え尽きたのを見て、店員さんが気を利かせてオレに声をかけてくれた。

 「あ、じゃあこの──ミルラ、おなしゃす」

 オレのリクエストを受けて、店員さんはニコッと笑ってからミルラ香に火を点けた。レジカウンターの上に音もなく煙が上がってく。ああ、すっげえ落ち着く匂いだ、これずっと嗅いでたい。ホワイトセージは頭がスッキリして目が覚める感じの匂いだけど、このミルラは嗅ぎながら布団で寝れる感じで、すっげえ温かみのある匂いだ。

 「おー何か良い匂いすんな、さっきのスーッとする匂いもすげえ良かったけど、こっちの匂いもなかなか良いな?」

 そう言いながら、いつの間にかシンヤくんがオレのとなりに来てて、鼻をひくつかせながら今煙が上がってるミルラ香の匂いを嗅いでる。

 「Word, オレもそう思う。どっちもマジで良い匂いだよね。さっきのがホワイトセージで、今のはミルラってヤツらしいよ」

 「へぇ、ホワイトセージとミルラか──俺、買ってみようかな。結構安いし、ホワイトセージは多めに買っとくか」

 そう言ってシンヤくんはホワイトセージ香を3つと、ミルラ香を1つ手に取って、レジカウンターへと歩き出した。

 「Yo, for real, hold up, my bro, じゃあオレも買う」

 オレはホワイトセージ香、シダーウッド香、ミルラ香をそれぞれ1つずつ手にして、シンヤくんの後を追った。

 店員さんは会計の間、火事にならない様にって、香の扱い方の簡単な説明をしてくれた。タバコの灰皿で何とかなるかなって勝手に思ってたけど、どうやら専用の受け皿も用意した方が良いっぽい。火事になっても困るしな──オレとシンヤくんは、素直に香立ても合わせて購入した。

 店内の奥では5人がひと塊になって、皆んな口を開けたまま、ひとつのコーナーを覗き込んでる。オレとシンヤくんは香と香立てを入れた包みを手に持って、5人の側まで歩いて行った。

 そのコーナーには大小様々な大きさで、そして多様な色合いを持つたくさんのドリーム・キャッチャーが下げられてた。皆んなで覗き込んでこの場から動けなくなんのも分かる、だってここはまるで別世界みたいに美しい。オレも飽きずに、ずっと眺めてられる。

 「あーこれこれ、俺がタイガにプレゼントしたヤツ、これがドリーム・キャッチャーだ。悪い夢を防いで、良い夢だけ見られるってヤツだぜ。オレの部屋にも、1個買って置いてあるんだ」

 シンヤくんが後ろからそう言って声をかけると、皆んなが一斉にシンヤくんを振り返った。

 「え、何、タイガにだけなの!? 何かズルくない!? 俺には!?」

 割と本気でいじけ出したリョースケに、シンヤくんはリョースケの頭をポンポンと叩きながら笑って応えた。

 「そう言うと思ったから今日連れてきたんだよ、ちゃんとお前にもプレゼントするよ。お前はこだわり強そうだから、実際に手に取らせて、好きなのを選ばせようと思ったんだ。もちろん、ソウタもだからな?」

 「お? そんならソウタの分は俺が買ってやるよ、自分の分も合わせてな」

 ジンさんがニヤッとソウタに笑いかけると、ソウタも満面の笑顔でジンさんに応える。

 「え、良いの!? ホントに!? ありがとう、ジンさん! じゃあ俺これが良い!」

 「じゃあ俺こっち! シンヤくん、これ買って!」

 ソウタとリョースケの最年少コンビが歓声を上げて大はしゃぎしてる。

 その横でコータローさんとタカヒロさんが、棚にかかってる小さなドリーム・キャッチャーをまじまじと覗き込んでた──部屋の壁にかけるサイズじゃなくて、これはキーホルダーサイズだ──そしてタカヒロさんが、となりのコータローさんに話しかけた。

 「コータロー、大きいのはそれぞれ自分用に俺達も買うとして、このキーホルダー、俺とお前の折半 (せっぱん) で、皆んなの分を買わないか?」

 「Bet, that’s dope, my bro, sounds like a plan, よし、その話、乗った」

 コータローさんは太い腕を組みながら、タカヒロさんの提案に頷いて応えた。

 結局シンヤくんはリョースケへのプレゼントの分、ジンさんは自分用とソウタへのプレゼントの分、コータローさんとタカヒロさんはそれぞれ自分用と、皆んなに配る分のキーホルダー型のドリーム・キャッチャーを7個買った。

 そしてシンヤくんはリョースケに、ジンさんはソウタに、家に置く用のドリーム・キャッチャーをそれぞれプレゼントして、コータローさんはキーホルダー型のドリーム・キャッチャーを皆んなに1つずつ手渡していく。

 ソウタとリョースケの最年少コンビのテンションはますます上がって、2人とも拳を合わせて次々と皆んなに感謝の気持ちを伝えていった。

 「わージンさん、コータローさん、タカヒロさん、シンヤくんも、ありがとう!」

 「うおー超格好良えー! シンヤくん、コータローさん、タカヒロさん、ありがと! “The Wolf Pack” マジ最高! ジンさんはいつもメシありがと!」

 「Thanks, my big fly bros」

 そう言ってオレも笑顔で年長組に拳で感謝を伝えた後に、受け取ったキーホルダー型のドリーム・キャッチャーを肩にかけてる Columbia 製のウエストバッグにさっそくぶら下げた。オレが歩いて身体を動かす度に、ドリーム・キャッチャーの細い紐と小さな鳥の羽がヒラヒラと揺れる。

 そのオレの様子を見た皆んなも一斉に、自分の持ってるバッグにドリーム・キャッチャーをつけ始めた。何かもう、we’re all matchin’, オレ達おそろじゃん。

 「うおー何だこれーすげえー! 見て見てタイガ、ソウタ、これマジ格好良いよね!?」

 リョースケはそう言ってその場でピボット・ターンをかまして、自分の Stussy 製のウエストバッグと一緒に揺れるドリーム・キャッチャーをオレとソウタに見せびらかした。

 「うんうん、格好良いよ、リョースケ似合ってるよ! ──あ、タイガくん、あのさ──笑わないで聞いて欲しいんだけど──」

 ソウタは笑顔でハイタッチをしてリョースケに応えた後、オレの方に身体を向き直してから、ちょっと決まりの悪そうな表情で、言葉を続けるのをためらった。

 「Whassup, オレ今までソウタをバカにして笑った事なんて一度もなかったろ? どした?」

 そう言ってオレは肩を軽くすくめて、自分を親指の先で指差して、ソウタに話の続きを促した。それを受けてソウタはとても心苦しそうに、自分の心の中だけにしまってはおけないってばかりに、続きの言葉を一気に口にした。

 「俺さ、こないだ夢を見たんだ。俺が、このドリーム・キャチャーの文化の、アメリカ先住民になった夢だった。その夢の中で俺、タイガくんと、ジンさんと何か大事な事を話してて、それがどんな話だったのかは全然思い出せないんだけど、でも、何かすごく楽しい夢でさ──」

 オレは目を見開いた──中学生の頃のオレが見た夢と──ソウタは同じ夢を見たってのか!? Ya tryna say that we dreamed a same dream, ya for real!?

 オレがソウタに応えようと口を開きかけたその時、ソウタのとなりにいたジンさんがソウタの細い肩にいきなり掴みかかって、力いっぱい揺さぶって声を上げた、

 「おい、ソウタお前マジか!? それ、マジで言ってんのか!?」

 「痛い! ジンさん痛いって!」

 ソウタがたまらず悲鳴を上げるとジンさんは我に帰って、あわててソウタに謝った。

 「あ──すまんソウタ、ちょっとビックリして──痛かったよな? ごめんな、ソウタ」

 ジンさんは一度深く呼吸をして自分の心と身体を落ち着かせてから、ソウタの肩を掴んだまま、ソウタの目を見ながら真剣な表情で言った。

 「実は俺も、お前と同じ夢を見た。お前と俺、タイガの3人で、俺達は夢ん中で、先住民で、何かの話をしてた」

 No way, 嘘だろ? ジンさんもなのかよ──?

 オレ達3人の様子を見ていたタカヒロさんが、ジンさんと同じ真剣な表情のまま口を開いた。

 「俺も何日か前に、2人と似た様な夢を見た。俺も夢の中でアメリカ先住民になっていて、けどそれは俺がそういう本を普段から読んでいるからだと思って、あまり気にしない様にしていたんだが──俺の夢にはリョースケ、タイガ、コータローが出てきたんだ」

 「Yo, ya kiddin’, for real, 俺も前にタカヒロと同じ夢を見たぞ、俺も夢の中でアメリカの先住民になっていて、俺とタカヒロ、タイガ、リョースケの4人と一緒にいたり、シンヤとタイガと3人でいたりしたんだ」

 コータローさんが驚きの表情でタカヒロさんに応えると、リョースケも酷く困惑した顔でコータローさんの話を継いだ。

 「嘘でしょ!? 兄貴達も俺と同じ夢みてるの!? 皆んなから笑われたら嫌だなと思って言ってなかったけど──でも、そんな事ってマジであるの!?」

 リョースケの口振りから、間違いなくリョースケも同じ夢を見てるんだろう。そのリョースケの慌てた様子を見て、シンヤくんがボソッと呟 (つぶや) いた言葉を、オレは聞き逃さなかった。

 「やっぱそうか──これで、リョースケと仲直り出来ると良いんだけどなぁ」



 皆んなしてモヤモヤした気持ちを抱えたままその雑貨店を後にして、オレ達は昼メシを食いに向かった──皆んなして同じ夢を見てるって何だよそれ? シンヤくんはちゃんと話してくれなかったけど、でもあの感じは絶対シンヤくんも見てるよな──オレの頭ん中はさっきからずっとグルグルしてて、my head goes busted, spinin’ round and round, 同時に酷く熱く感じられる。

 これじゃあ落ち着いてメシなんて食えねえよ。あー何か気になってだんだんイライラしてきた、タバコ吸おう。オレは肩に斜めがけしたウエストバッグから赤マルを取り出そうとすると、リタリンの入った紙袋の存在に気づいた。

 Gooosh, holy shit, やっべ、クスリだよクスリ! クソが、オレやっぱ飲むの忘れてんじゃん!

 オレは慌てて時計を見ると、12:07だった──午前中はもう過ぎちゃったけど、先生が指定したリミットである13時〜14時にはまだ間に合う。オレは赤マルに火を点けて一度深く吸い込んで、少しだけ自分を落ち着かせてから辺りを見回して、自販機を見つけ出した。

 オレは一目散に駆け寄ってミネラルウォーターを買う。オレは取り出し口に手を伸ばした──でもどこで飲もう? リタリンを飲む姿なんて、皆んなには絶対に見られたくない。Where’s the head, トイレ、どっかにねえかな?

 ポケットに両手を突っ込んだままブラブラと目の前を歩いてたジンさんの大きな背中に向かって、オレは声をかけた。

 「Yo, ジンさん、my big bro, オレトイレ行きたいんだけど」

 「あ? トイレか? すぐそこの公園にトイレあったべ?」

 ポケットから右手を出して親指を進行方向に向けつつ歩きながら、ジンさんは上半身だけを軽くねじって振り返って、オレにそう言った。ジンさん、ちょっとボーッとしてたっぽいな。あんな話になった後じゃ、そりゃそうか。ジンさんだけじゃなくて、他の皆んなもなんとなくうわの空で道を歩いてるみたいだった。

 「Got it, オレちょっと行ってくる」

 オレはジンさんに応えながら、公園に向かって軽快に走り出した。クロキ先生との約束、ちゃんと守んねえと──今先生に嫌われたら、見捨てられたらオレは終わりなんだ。 I’m not a guy cryin’ wolf, this is a real Lion-Tiger man, オレはトラとライオンだぞ、弱って格好悪いとこなんて、誰にも見せらんねえんだよ。

 オレは一番先頭を歩いてたシンヤくんとリョースケを追い抜いて、公園の汚ったねえトイレに駆け込んだ。あー朝から何も食ってねえから、もうさすがに腹減ったな、今日はポテトLサイズにすっかな、それともアップルパイ追加しよっかな──これから皆んなで行く昼メシ、いつものファストフードのメニューを想像しながら、オレはウエストバッグの中で紙袋を開けて、リタリンの外箱からクスリの入ったボトルを取り出した。

 薬局でも見てたけど、ボトルに丸ごと入ってるって、フィルムに入ってたハルシオンとはやっぱ違うんだな──オレはリタリンのボトルキャップをこじ開けて、手のひらの上に1錠のリタリンを出した。リタリンは円形で、小さくて、そして白かった。This is what’s called “Kiddie Coke”, or things called “White Beans”, ya know, 着色料まみれで真っ青だったハルシオンと落差あり過ぎだよな、結構飲みやすそうじゃん──否、感心してる場合じゃねえ、急いで飲まねえと。

 12:14、オレは口の中にリタリンを1錠投げ入れて、ミネラルウォーターで胃の奥に流し込んだ。味も匂いも特別しなかったな。何だ、こんなもんなのか? ちょっとだけ緊張してたけど、全然大丈夫だったな。オレはクロキ先生がくれたメモをもう一度見直した──項目1はこれでクリアだ、おっしゃ、I got this, これで先生との約束はちゃんと果たせたぞ!

 オレは満足して公園のトイレから出て、皆んなの方へと駆け出した。



 12:35、午後から授業があるからって、学校近くのいつものファストフード店に来たけど、レジカウンター前には長蛇の列が出来てた。マジかよ、何でこんなに混んでんだよってそりゃそうか、今は昼メシ時だもんなぁ。うげーオレ並んで待つの、マジで嫌なんだけど。

 I’m a trigga-happy-snappa, it only takes a minute to fire a short fuse, though, オレは昔っから待つのが大の苦手だ。ショップでもコンビニでも、レジ前に何人か並んでたらオレは何も買わないで店を出ちゃうし、レストランならすぐ注文出来る別の店に変えちゃうぐらいには短気だ。

 信号待ちも同じく苦手だ。バイクで信号待ちをしてる時なんてずっと半クラで待機したまま、青に変わるコンマ数秒前からアクセルを回して発進させちゃう事が多い。教習所でもずっとそれを怒られてて、実はそのせいで実地試験を2回も落ちてる。

 しかもこの感じはオレだけじゃない、最年少のリョースケだって同じく待つのが大の苦手だし、ジンさんも並んで待たされる時は無言ですっげえイライラしてるし、シンヤくんなんて踊って自分の気をそらしてたりもする。I guess we’re all also on the edge, ya know, タバコを吸う4人は揃って気が短い。

 「えーコレ並ぶの? 本気で?」

 さっそくリョースケが抗議の声を上げた。

 午後の授業があるから、今から別の手頃な店を探しに行く時間もなさそうだ。仕方がないからってリョースケとシンヤくんの2人はダンスの練習で気をまぎらわし始めて、ジンさんは1人離れてキャメルに火を点けた。オレもジンさんと一緒んなって、赤マルに火を点ける──列にはコータローさんとタカヒロさん、それにソウタも並んでくれてるから別に平気だろ。コータローさんとタカヒロさんがオレとジンさんに目配せして、そこで吸ってて平気だって言ってくれてる。

 オレは赤マルを深く吸い込んでから、ゆっくりと煙を吐き出した。

 Whack, what the hell, 何だこの味? 赤マルってこんな味だったっけか? 何か、これ苦くね? カビでも生えてんのか? 否、昨日買ったばっかだぜ、んな訳ないよな?

 その直後、オレの鼻の中を酷い匂いが抜けてく── damn, what a rank-stink-stank smell, 何だこの匂いは!? オレは自分の鼻をひくつかせて、匂いの元を辿った──ん? これって店から流れてくる食い物の、油の匂いだよな? ハンバーガーとポテトの、いつもの匂いだよな? けど何でこんなにベトつくんだ? 否、油だからそりゃベトついて当然なんだけど、そうじゃなくて、何か鼻の奥にこびりついて離れてくれない、全然食欲をそそらない匂いみたいに感じられる、何でだ?

 オレはその時、今の自分は全然腹が減ってない、って事に気づいた。

 あれ、オレさっきまでめっちゃ腹減ってたよな? 朝から何も食ってねんだし、腹減ってて当然のはずだし、メシの匂いを嗅いだら、よだれ垂れてきそうなもんだけど──今何が起きてる?

 オレとジンさんの目の前を、泣きわめく赤ん坊を抱えた女の人が通り過ぎてった。赤ん坊の甲高い泣き声が、オレの耳の奥底に鋭い刃物みたいに突き刺さる──痛え! 何だよこれ? 匂いが、音が、声が、リズムが、オレの世界が崩れる──。

 Shut up, damn—shut up, son of a—shut the fuck up, ya killin’—zip it up or I gonna kill y'all right here, right now!! (うるせえな、耳痛え、うるせえんだよ、その声で泣くんじゃねえ、うるせえっつってんだろ、痛えんだよ、黙れよ、じゃねえと今すぐこの場で全員ブッ殺すぞ!!)

 オレは自分の中から湧き上がるドス黒い感情を制御出来なくて、思いっ切り牙を噛みしめながら低い唸り声を上げ始めた。そして無意識のうちに両耳を塞いで、その場に座り込んでしまった。口元が震えだして、火を点けたばかりの赤マルが地面に落ちた。オレの異変を察知したジンさんが、後ろからオレの肩に手をかけて言った。

 「おいタイガ、どうした?」

 「No, hands off ‘n’ back off, never!! (やめろ、オレに触んな、近寄んな!)」

 オレは自分でも驚くぐらいの激しい声と調子で、ジンさんの大きくて優しい手を思いっきりはねのけた。心配した相手からの不意の拒絶に、ジンさんは驚きと怒りをあらわにしてオレに食ってかかった。

 「何だよその態度は!? 心配してやってんのに、ふざけんじゃねえぞこの野郎!」

 ジンさんはオレに掴みかかってきて、立ち上がったオレもジンさんの襟首を掴み返して頭突きかまそうとしたけど、ジンさんの前にコータローさん、オレの前にタカヒロさんが、猛ダッシュで割って入ってきてオレ達を引き剥がしてくれたおかげで、結局殴り合いの大ケンカにはならなかった。

 「落ち着け、ジンさん! 学校が近い、ここでマジになったらダメだ!」

 「タイガ、どうしたんだ。何があったのか、言えるか?」

 コータローさんがジンさんを止めている間に、タカヒロさんが心配そうな表情でオレに言った。

 ジンさんはコータローさんのひと言ですぐに我に帰ったみたいで、深呼吸をしてからその広くて大きな肩をガックリと落とした。

 「こいつ、急にしゃがみ込んで耳塞ぎ始めたんだよ、そんでこの俺の手をはねのけやがったんだぜ!? ったく、せっかく人が心配してやってんのによぉ!」

 オレに殴りかかる気はなくしても、ジンさんはオレへのイラつきを隠せないみたいだった。列にはひとり、ソウタがものすごく心配そうな表情でこっちを見ながらも並んでくれてる。

 「タイガ、大丈夫? 耳痛いの?」

 そう言ってオレに駆け寄って来たリョースケを、今度はシンヤくんが引っ張って止める。そしてシンヤくんにしては珍しく厳しい表情、低めの声で言った。

 「止めろ、今タイガに触れるな──タイガ、俺と一緒にさっきの公園に戻ろう。あそこなら、ここよりは静かだ──皆んな、悪いけど今日の昼メシは外で食おう。そんで、タイガと俺の分を買って持って来てくれ。俺はタイガを連れてく。たぶん今こいつ、音が全部ダメだ。店ん中でメシにしたら、大暴れするかもしれない」

 皆んなや通りを行き交う通行人が困惑の表情でオレを見守る中、シンヤくんはオレの目の前に来て、さっきよりも穏やかな表情、いつもの口調で、自分の両耳に人差し指を当てるジェスチャーをしながら話を続けた。

 「タイガ、イヤフォンつけろ、自分の耳を守るんだ。あと、水持ってるか? もし持ってんなら今すぐ飲め」

 オレはハッとして、無言でウエストバッグから携帯音楽プレイヤーとイヤフォンを急いで取り出して、耳に装着させて音楽を流した──電車ん中で聴いてた時は普通に聴こえてたはずなのに、どうしてか今はやたらとボリュームがデカく感じる。けど、聴き慣れたライムとビートだ、赤ん坊の泣き声よりかは全然マシだ。

 A-yo, if I could all agree, to lettin' my souls become free, of that sweet bitterness, then who's chest would have the most seeds? I keep misfocusin' my needs, and this stress on my back, with my guns I be blastin' into their knapsack, ain't no accidental deathtraps, my mishap is the fact that I'm destined to snap, it's when I feel as though my body's able to go, my mind is ready to flow, did I know first I catch and then I throw, it's my own sense of time, if I'm late, it's cause I'm endin' my day, just when the ice breaks, and still gently advising the voices of the beasts, as they roar around into my soundproof dimension—I just don't understand the ways of the world today, sometimes I feel like there's nothin’ to live for, so I'm longin’ for the days of otherworld...

 続けてオレはペットボトルのミネラルウォーターを一気飲みした──自分でも気づかないうちに、喉はカラカラに乾いてた。オレの様子を見届けて、シンヤくんは空になったペットボトルをオレから奪って言った。

 「おし、行くぞタイガ、ゆっくりで良いから俺について来い」



 公園まで歩く間、シンヤくんはずっと黙っててくれた。そして、となりでオレの歩調に合わせて──オレは思った様に足に力が入らなかった──ゆっくりと歩いてくれた。途中の自販機で立ち止まって、シンヤくんが新しいミネラルウォーターを買って、オレに持たせてくれた。

 いつものオレだったら、そんなシンヤくんに感謝の気持ちを言葉や態度にして欠かさず伝える。それだけは絶対にちゃんとやれるつもりだった。でも、今は何も出来ない。Good times gone, ‘cause I feed it, hate's grown strong, I feel I need it, just one thing, do I know me, what I think, that the world owes me? What's gonna set me free, look inside and I'll see, when I've got nothin’ to say, it's called gratitude, but that's aight, 今のオレの内側からはそれに見合った言葉が出てこないし、身体はオレの言う事を聞こうともしなかった。

 公園に着いたら、周りを生垣に囲まれた、大きな木の陰になってるベンチにシンヤくんと2人で座った。

 12:51、午後のヤマシロ先生の授業までもう1時間もない。早くメシ食って、学校行かねえといけねえ。I gotta step this up, the time’s endin’, 急がなきゃ。でも全然腹が減ってない。それどころか腹の奥底がムカムカして、何だか気持ち悪い。急いで食わなきゃいけねえのに、何でこんな気持ち悪ィんだよ。

 つーか何であいつらこんなに買ってくんの遅っせえんだよ、move it, move it, もっと早く持って来いよ、or I’ma take ya out, huh, じゃねえと今すぐブチ殺すぞ?

 「タイガ、水飲め。飲んで、深呼吸しろ」

 シンヤくんが飲み物を飲むジェスチャー、深呼吸のジェスチャーをしながらオレにそう言った。それを見てオレは手に持ってるミネラルウォーターを慌てて一気に飲んで、そしてゆっくりを息を吸おうとした。けど、深く吸えない。どんなに息を吸おうとしても、喉の奥からヒューって音が聴こえるだけで、ちゃんと吸えない。何だか心臓の辺りがチリチリする。酷く落ち着かない。

 12:58、皆んながファストフードの見慣れた袋を手に下げて、公園まで持ってきてくれた。皆んな浮かない顔してるのは、腹が減ってるからってだけじゃなさそうだ──何でだよ? せっかくのメシの時間だろ、もっと楽しそうなツラ出来ねえのかよ? I gonna take y'all six feet under, huh, 出来ねえんなら全員殺すぞ?

 「タイガ、これ、いつものてりやきセット──」

 リョースケが最後まで言い終わらないうちに、オレはリョースケのその腕から昼メシの入った紙袋を無言で強引に奪い取った。携帯音楽プレイヤーとイヤフォンが、音を立てて地面に落ちる。けどそんなのどうでも良い、早く食って、早く学校に行かねえと。

 「ちょっと! タイガそりゃないでしょ!?」

 大きな声を上げながらオレに食ってかかろうとするリョースケを、シンヤくんが後ろからはがいじめにしてる。うるせえガキだな、少しは黙ってらんねえのか、zip it up, young gun, or gonna bring ya heat, 黙れねえんならブチ殺すぞ?

 その横ではソウタがものすごく悲しそうな顔で、オレの落とした携帯音楽プレイヤーとイヤフォンを拾ってる。何でそんな顔してんだよ、笑えよ。オレの前ではいつも笑ってろよ、ya only a deadweight clown, ya dig it, どうせお前それぐらいしか出来ねえだろ?ソウタは拾ったプレイヤーとイヤフォンをオレに持ってこようとしてたけど、ジンさんがソウタの肩を掴んで止めた。

 13:01、オレは急いで紙袋を開けて、いつものてりやき味のハンバーガーを取り出して、ひと口かじった──何だこの肉、臭ぇな。おいお前ら、自分達だけ美味いもん食って、オレには腐った肉でも食わせる気かよ? I’ma make y'all dead meat, huh, 殺すぞ?

 仕方ねえな、時間ねえから今はポテトで我慢してやる──あ? 何だこの味は? 油も腐ってんのか? 何だよこれ、気持ち悪ィ味だな、でも我慢して全部食わねえと、授業始まっちゃうからな。ああ、kinda queasy, 気持ち悪ィ、though, I gotta go, でも食わねえと。気持ち悪ィ、食わねえと。Kinda queasy, though, I gotta go. 気持ち悪ィ、食わねえと。Kinda queasy, though, I gotta go. 気持ち悪ィ、食わねえと。Kinda queasy, though, I gotta go. 気持ち悪ィ、もう食えねえ。

 13:07、オレはベンチから立ち上がって、公園のトイレに向かって全力で駆け出した。ダメだ、吐きそうだ。全身から冷や汗が止まらない。足に力も入らない、オレは途中で何度も転びそうになった──でも、I gotta go, オレは行かなくちゃ──どこへ?

 「タイガ! どしたの!?」

 オレの背中からリョースケの叫び声と、スニーカーが地面を蹴り上げるいくつもの音が一斉に聴こえる。オレはその音が、まるで自分の背中から襲ってくるみたいに感じられて、逃げる様にしてトイレの中へと駆け込んだ。中には誰もいなかった。オレは個室に入って、けどドアを閉める事すら出来ずに、和式便器の上からさっき食ったばっかの胃の中のものを全部吐き出した。

 胃液が喉を、鼻の中を焼いてく。息が荒い、上手く呼吸が出来ない。苦しさで、オレの目からは次々と涙がこぼれ落ちてく。

 胃の中のもの全部出したってのに、吐き気は全然治まらない。それどころか、気持ち悪さはどんどん増してく。ついにオレは立ってられなくなって、便器の上にまたがる様にして座り込んでしまった。

 「タイガ!? ねぇ、大丈夫!?」

 個室に一番に駆け込んできたリョースケが、オレの背中をさすってくれようとする。けど今のオレにはその優しさも、単に不快でしかない。オレはジンさんの時と同じ様に、リョースケの手を振り払おうとして叫んだ。

 「Noooo, don’t touch me, cut it out, fuck yaaaa!!!! (オレに触るな、じゃねえと殺すぞ!!)」

 けどさっきみたいに力が入らなくて、リョースケを拒絶するだけの腕の振りにならない。

 「タイガ、何でだよ! 俺を拒否しないでよ! あん時タイガ、俺をハグして受け止めてくれたじゃん! もう忘れちゃったのかよ!?」

 悲痛な叫び声を上げながら、リョースケは顔を伏せ続けるオレの左腕を掴んで、自分の頭をその下に潜らせた。続けて右手でオレの腰を引き上げて支えて、床から無理矢理立ち上がらせた。背丈や体格はそう変わらないけど、オレは自力じゃまるで踏ん張ってられないから、オレを支えるリョースケもよろけそうになってる。

 オレはリョースケに肩を貸してもらいながら、トイレから外へ出た。太陽の光がまぶし過ぎて、目を開けてられない。耳の奥が、ずっとキーンって鳴り続けてる。口が上手く閉められなくて、口の端からはよだれなのか胃液なのか、よく分からない液体が地面にポタポタと垂れ落ちる。

 「タイガ!!」

 皆んなが一斉に寄ってきた。コータローさんが身体をかがめて、オレの右腕の下から頭を潜らせてきた。ジンさんとチーム1, 2を争うパワーファイターの支えが増えて、オレとリョースケの身体は途端にふらつかなくなった。

 「コータローさん、リョースケ、そこのベンチまで頑張ってくれ。タカヒロさん、タイガに水を買ってきてやってくれるかな? 2本ぐらい」

 シンヤくんがピースサインを出しながらそう言うと、コータローさんとリョースケはシンヤくんの誘導する方向に向かってゆっくりと歩き出した。

 「分かった」

 タカヒロさんは頷いて応えるとすぐに駆け出して、あっという間に公園の外へと走って行った。

 「ジンさん、ソウタ、俺達の荷物を頼めるか?」

 「あたぼーよ、任せとけって!」

 「うん!」

 コータローさんの指示にジンさんとソウタは頷いて応えて、オレ達がさっき昼メシを広げてた場所までゆっくりと歩いて戻って行った。

 そしてオレはベンチに座らせられた。けど身体を起こしてられないから、dead burnt out, down for that count, ベンチの背もたれに全身を預けるしかない。首も力が入らなくて、そのまま空を見上げる姿勢になるしかない。やっぱり太陽はいつもよりもまぶしくて、目が酷くチカチカする。吐き気も続いてる。息もまだ苦しいし、心臓はチリチリしてるままだ。

 「ねえ、シンヤくん、救急車呼ぼうよ!? タイガ、死んじゃうんじゃないの!?」

 リョースケがシンヤくんにそう提案するけど、シンヤくんは首を横に振って応えた。

 「タイガはたぶん、保険証を持ってきてない。救急外来に保険証なしで行ったら、結構な金をとられる。もし持ってたとしても、親の扶養に入ってる今のタイガが病院に行くって事がどういう意味かは、お前も良く分かってんだろ? だったら、先の事までちゃんと考えるんだ」

 シンヤくんの言葉にリョースケはハッとした表情になって、それからうつむきながら後ろを向いた。シンヤくんは話を続ける。

 「それに、今のタイガみたいな感じのヤツを、俺は今まで何人も見てきた。もし俺の勘が当たってんなら──今、13:15か、ならたぶん夕方ぐらいまでには落ち着いてくると思う。けど──お前、一体いつどのタイミングで使ったんだ? たぶんあの店出て、メシ食いに行く途中だよな? そんな短時間の間でってなると、きっと錠剤だろ?」

 そう言ってシンヤくんはオレの顔を覗き込んだ。けど今のオレは、I been down, laid down, ‘n’ locked down, 自力で身体を動かせない。声も出せない。オレの身体が心臓と肺を勝手に動かしてくれてる以外、今のオレに出来る事は、目を動かす事ぐらいしかない。

 「おいシンヤ、使った、ってまさか──」

 いつの間にか戻ってきてたタカヒロさんが、珍しく表情を曇らせて言った。もちろんタカヒロさんの両手には、それぞれ1本ずつのミネラルウォーターのペットボトルが握られてる。シンヤくんはタカヒロさんに頷きながら応えた。

 「タイガは自分からそういうのに首突っ込むヤツじゃない、ってのは俺達皆んな知ってるから、何か事情があるんだと思う。けどもしマジでクロだったら、病院なんて連れて行ったら──」

 シンヤくんが言い終わらないうちに、コータローさんがシンヤくんに詰め寄った。

 「Yo, bro, what the hell ya mean, シンヤお前、タイガがクスリ使ってるって言うのか!?」

 「ああ、見た感じ、そうだと思う。けど、ここまで調子悪そうだと、きっと量を間違えたか、質の悪いのを掴まされたか、それとも初めて使ったか──もしクロだったら、だけどね。最近、MDMAが流行ってんのは、コータローさんだって良く知ってんだろ?」

 肩をすくめてシンヤくんが応えると、セキュリティが本業のコータローさんには思い当たる節があったみたいで、急に口を閉じて大人しくなってしまった。

 「だったら、今はとにかく水飲ませて、安静にさせとくしかない。さっきたくさん吐いてたし、本当ならポカリかアクエリが良いんだろうけど、『汗』なんて名前の飲み物は飲めねえっつって、こいつ意地でも飲まねえからなぁ──だから今は水、タカヒロさん」

 そう言ってシンヤくんが促すと、タカヒロさんが手に持ってたペットボトルのフタを開けて、オレに飲ませてくれた。少しだけ、気分が落ち着く。さっきまでは不快でしかなかったはずの皆んなの心遣いが、今ならどうしてか受け入れられる。

 ──皆んな、ごめん。

 オレ、何やってんだろ──。

 何口か水を飲ませてもらったら、drifted awake, drifted away, 急に強い眠気がやってきて、そしてまた急に意識がはっきりするってのを、何度も何度も繰り返し始めた。そのうちに眠気の方が勝ってきて、だんだんオレは目を開けてられなくなった。

 「眠れそうか? 眠れんなら眠っといた方が良いぞ、目を閉じとけ。俺達がそばについててやるから、何も心配すんな。俺達はお前を見放したりなんかしない。それが、俺達の仕事だからな」

 そう言ってシンヤくんが笑うと、コータローさん、タカヒロさん、リョースケが頷いてオレに笑いかけた。

 「タイガくん、これ」

 オレ達皆んなの分の荷物を抱えたジンさんとソウタが戻ってきて──ほとんどはジンさんが持ってたけど──ソウタはそう言いながらオレの手に、さっき落とした携帯音楽プレイヤーとイヤフォンを持たせてくれた。

 そして荷物を下に降ろしたジンさんは頭をかきながら、でもすごく優しい口調でオレに言った。

 「今だけでもゆっくり休んどけ、このバカたれが」

 Drifted awake, drifted away, まぶたを閉じた途端、オレの意識はあっという間になくなった。

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