EPISODE 13: BODY MOVIN’ / AIN’T 2 PROUD 2 BEG
枕元に置いといた携帯電話が、メッセージの受信を短く知らせる。
遠くでは小鳥達のけたたましい鳴き声が聞こえてる。
Fuck off, still dead early in the mornin’, huh, まだ早朝だぞ? 誰だよこんな時間から連絡してくるバカはよ──ブッ殺すぞ?
オレは頭まで布団を被ったまま携帯電話に手を伸ばして、薄暗い布団の中で、まだぼんやりとした意識のままにメッセージの受信ボックスを開いて確認した。
「”Yo, bro, sup? Hit up da brains bout dat Lion-Tiger”
(よう、起きたか? 例のライオンとトラのキメラ、物知りくんに聞いておいたぜ)」
眠かったはずの意識が急速にはっきりし始める。また携帯電話が短く鳴って、受信ボックスに次のメッセージがやって来た。
「”Richard Lydekker’s A Hand-Book to the Carnivora" (この本に書いてあるらしいぜ)」
来た、ついに来たぞ!
これがオレの欲しかった情報だ!
このメッセージの相手は日本に住んでいる英語話者で、北米に住んでるその人の知り合いの中に物知りなヤツがいるんだって言うから、その人を頼ってオレは情報を求めてたんだ。
「"Old one but needed, good luck, bro. Ya got this."
(古いけど必要な本なんだろ? 頑張って探せよ? 検討を祈る!)」
最後のメッセージを確認し終わった頃には、オレの意識は完全に目覚めてた。
日本はこれから1日が始まる時間だけど、海を挟んだ反対側ではちょうどその日1日の仕事が終わって、家に帰る時間だ──たぶん、海の向こう側の相手が仕事終わりに情報をくれて、それをこのメッセージの相手が急いでそのままオレに送ってくれたから、こんなふざけた時間なんだよな。仕方ねえ、物知りくんに感謝だ、I’m cuttin’ ya some slack this time, so ya'd better be grateful, aight? 今日は殺さないでおいてやる。
Hell, yah, けどこれで書籍のタイトルが分かった。手がかりが何もないより全然マシだ。
前に夢ん中で出会った、ライオンとも言えない、トラとも言えない不思議な獣について何度か自分なりに調べてみたけど、日本の図書館や本屋じゃそれらしい情報に出会わなかった。そこでオレはワンチャンあるかもって思って、海の向こう側にも質問を投げておいたんだ。
「Thx, bro. Gotta hunt it down ASAP.” (ありがと、すぐ探しに行ってくるよ)」
オレは急いで携帯電話を操作して、メッセージの返信を相手に送った。
今日はちょうど何の予定もなかった日だ、damn, I be on fire, さっそく探しに出かけよう。古い洋書ってなると、やっぱ都心の古書店街に行くのが一番確実、だよな?
Ah-yah, だったらシンヤくんとタカヒロさん、今日予定空いてないかな?
オレ達の間で本に関する話題を共有出来んのは、オレとグラフィティ・クルー “B.R.O.H.” を組んでるシンヤくんとタカヒロさんの2人だ。オレ達3人は良く本の貸し借りをしてて、特に北米や南米先住民の生き方、生命哲学なんかに関する本を好んで共有してる。タカヒロさんはイメージ通りだけど、シンヤくんも意外と本を読んでる──先日それを本人に言ったらすげえ怒られたけど。
ひとりはちょっと心細いからな、もし2人の予定が空いてんなら心強いから拉致りたい。けどまずはその前に音楽を聴いて、そんで身づくろいをしてから気分良くギンガの散歩に行こう。
Scratchin’ my wax sleeves on, 火を点けた赤マルを吸いながら、今朝起きた時に頭の中に流れていた曲をレコード棚から探し出す。今日はやけに弦楽器、それもアコースティックギターの音が、まるで耳元のすぐ近くで鳴り響いてるみたいだったんだよなぁ、どれだったかな、umm, figured it out, this one, catch me when I'm sober, but now I smoke for the belt, so pass the other straight to the right hand side, make no mistake that the buzz is a natural high, I said it's big emergency, mind ma busy body, ‘cause I got the vocab, so I got the vocab, ya know this might be the court music, はぁ、それにしても砂漠の国の皇子様かぁ。前からときどき、オレが砂漠の中を行き来する皇子として生きてる夢を見てはいたけど、特にここ最近になってその皇子の夢を見る回数が急に増えてきた感じがする。
面倒だけど歯磨きはしような、大事な牙の手入れだけはちゃんとしとかないとな。
砂漠の皇子としてオレが見る風景、見聞きしたものの手がかりを図書館や本屋で調べてみると、場所はどうやら地中海寄りの中東地域、しかも紀元前に栄えた都市っぽくて、現在ではボロボロの遺跡がちょっと残ってるだけ、ってとこまでは突き止めてある。
そしてその皇子としてのオレが住んでる王宮や王都では、西洋のアコースティックギターや日本の琵琶みたいな弦楽器の音が絶え間なく流れてた。その弦楽器も調べてみると、現代の言葉だと『キッサル』って呼ばれるものらしい。見た夢を忘れたくないから、夢の内容を起きがけに日記やメモに書き残しておいたのが役に立った──こうしてオレの余計な雑学が増えてくんだよなぁ。
まぁつまり、今日もオレは夢の中で皇子として日々を過ごしてて、オレが目覚めた時にはその夢ん中で聴いてたキッサルの音が耳元に生々しく残ってて、そのキッサルの音をオレの持ってるレコードで再現しようとしてアコースティックギターの曲をかけたくなってる、って訳だ。
Aight, 今日も髭と髪型はバッチリだな── Shit, 眉毛1本だけ伸びてんな。
My highness, the young master, an heir to the throne, like, young Edward Geraldine, 大好きな RPG のやり過ぎで、オレはついに自分を皇子様だと思い込む様になったか? もっといえば、これから調べに行こうとしてるライオンとトラのキメラ、『白い獣』として生きる自分も、その夢ん中だと皇子の扱いを受けてたみたいだったんだよなぁ。つーか獣の皇子ってヤベえよな。
Fits that champion’s hoodie, 今日は薄紫色のカレッジプリントにしよう、デニムとスパースターにぴったりのコーディネートだからな、あーソウタにまた古着屋一緒に行こうって誘われてたんだっけな、忘れてた、いつにすっかな、メールで聞いておくか、damn, 携帯どこ行った?
そういえば、砂漠の皇子としての夢ん中にコータローさんにそっくりな人が出てくんだよなぁ。目つきとか、太い腕で腕組みしてるとか、低い声で落ち着いた話し方とか、今のコータローさんに本当にそっくりだった。しかもオレ、何か知んないけどその人にめっちゃ怒られた気がする。コータローさんに言ったら驚くかな、ugh, nah, 止めとこう、たぶん、問答無用でシメられる。
それにコータローさんだけじゃない、ジンさん、ソウタ、タカヒロさん、リョースケにそっくりだって人達も出てきた。あれ──そういやシンヤくんだけはいなかったなよな? これ話したら「俺を仲間はずれにするなー!」って言いながら、シンヤくんからもシメられそうな気がする。
そのシンヤくんの代わりに、違う誰かがいたんだよな、デカくて従者みたいなヤツ。今のオレ、こっちの世界で会った事あるヤツなのかな。それともこれからどっかで会う事になるのかな。
──Damn, オレって相変わらず、言ってる事や考えてる事がムチャクチャだ。
クソ母親がどうにかしてオレを精神病院にブチ込もうとした理由も、これなら分からんでもないよな。お前は狂ってる、って言われたら自分でも、yah, facts, I think that’s true, としか答えようがないもんな。まぁ、病院に行ったからって治る様なもんでもないんだろうけれどさ──否、治るもんなのか? けど治るって何だ? それって良く分かんねえな、何だか気分悪いな。
Kickin’ Adidas' Superstars, いつものナイロンリードを片手に玄関の扉を開ける。
「Mornin’, bro, ギンガ。It’s time to walk wolf, ya know, we need body-rockin', not perfection, lemme get some action from the back section, and Lion-Tiger, light up the place, and if you pull my card, I pull the ace, and if you ask me, turn up the bass, and if I play defender, I could be your hyperspace, so, body movin', body movin', we be getting down and ya know we're krush-groovin', んじゃ散歩行こうぜぃ」
ギンガが尻尾を大きく振ってオレに応える。今日も天気が良さそうだ。
「2人共、結構暇なんだね」
シンヤくんもタカヒロさんも、突然の誘いだってのに、普通に待ち合わせ場所にやって来た。いきなりだから無理かなってダメ元で誘ってみたけど意外とあっさり拉致に成功したから、オレは思ってた言葉をそのまま口にした。
オレの正面に来たタカヒロさんが、拳の背面でオレの頭を軽く小突いた。
「帰って良いのか? おいシンヤ、今すぐ帰るぞ」
「もう帰りますかーいやー今日は残念だなータイガまたなー」
シンヤくんは両手の指を組んで、頭の上に向けて腕を伸ばしながら言った。
「Ugh, nah, my bad, 生意気言ってさーせんした、今日はよろしくお願い致しますです!」
オレは慌てて取りつくろって、上目遣いのまま2人に軽く頭を下げた。
「分かってるなら良い。それで、今日はどんな本を探すつもりなんだ?」
タカヒロさんは軽くため息をつきながらそう言った。
「Aight, I be like, 英語の古い本なんだ、動物の生態について書いてある本。読んでみたい動物の項目があってさ。So, diggin’ it out, grindin’ it through, 地道に歩いて探しながら、そんでスキを見てちょいちょい貼ってけば良いんじゃねーかなって」
「おーし分かった、今日も楽しくなりそうだな!」
シンヤくんはそう言って白い歯を見せながらイタズラっぽく笑ってオレに応えて、wit’ our fist bumps, オレ達3人はそれぞれ握り拳を軽く当て合って挨拶を交わした。
We also have a plan B, wit’ another mission, in an inter-mission, 今日は目当ての本を探すっていうオレの目的を果たす合間に、グラフィティ・クルー ”B.R.O.H.” としての活動も同時に行なう予定になってる。要するに、今日は『ステッカー貼り活動の日』だ。
『スプレー活動の日』は夜限定だ。闇夜にまぎれてやらないと、昼間の街の中ではあっという間に通報される。今日は本を探すっていう大事な目的があるから、昼間っから目立つ事はしたくない。けどせっかく “B.R.O.H.” の3人で集まるし、目的地の古書店街はオレ達のいつもの縄張りの外だったから、どうせなら新規開拓、ステッカーでマーキングしようぜ!って話になった。
オレ達が持参したステッカーには、事前に3人で色んなグラフィティを描き込んである。大体は家で描くけど、学校のスクーリングがどうしようもなく退屈な時には教室でも積極的に描く。Taggin’ 2 taggin’, back 2 back, オレ達は今からこのステッカーを街のあちこちに貼ってくんだ。
電車の高架下、地下鉄の出入口、ガードレール、交通標識の柱の根本、看板の裏側、雑居ビルの空調ダクト、火災報知器、配電盤、店先の青いゴミバケツ──ステッカーが貼れるスペースがあって、そして誰かの目に留まる様な場所にあるんだったら何でも良い。
街はオレ達 “B.R.O.H.” クルーにとって巨大なキャンバスだ。
自然は何も手をつけなくてもそのままで充分に美しい。だけど人の住む街並みは違う。そこに人が生きてるっていうそれぞれの痕跡が、いくつにも塗り重ねられてる。だからこそ、街は独特の空気感と美しさを兼ね備える。そしてオレ達はそこに、they say no colors anymore, paintin’ it black, ‘n’ turnin’ to gray, hell nah, ain’t no black joke, we keep thorwin’ it up, bombin’ it down, ‘n’ burnin’ it out, ‘cause I see all true colors, オレ達が生きてるっていう痕跡を、日々残し続ける。
景観が悪くなる、治安が悪くなる、ってのは都合の良い嘘だ──だってもともと悪かったろ? 周りとの調和を一切考えないで、所狭しと建てられたビル群や統一感のないデザインの住宅街なんて、ダサい以外の何物でもねえだろ? それをまとめてオレ達のせいにされたって困るんだよ。むしろオレ達はグラフィティっていう芸術、たくさんの色や面白いデザインで、冷たいコンクリート・ジャングルに綺麗な華を咲かせてやってんだよ、っていつも思う。
芸術ってのは、体制を批判する為の重要な手段のひとつだ。それは歴史が証明してる。そして同時に芸術は、それ自体が体制からの批判や迫害の対象にもなる。それも歴史を振り返ってみれば誰にだって分かる事だ。まぁだから、オレ達 “B.R.O.H.” の活動がコータローさんに怒られるのも仕方がない──あの人、厳つい外見とは裏腹に、ホント根がクソ真面目なんだよなぁ。
一番後ろを歩くタカヒロさんが、先頭を進むシンヤくんに、オレの背中を越えて話しかけた。
「シンヤ、最近のリョースケの様子はどうだ」
「こないだオレん家に2日泊めた時は、食糧、下着、日用品──薬もタカヒロさんの手配してくれたヤツでバッチリだった。これでしばらくはもつと思う。あ、でも、痛み止めがちょうど無くなったんだっけな──ごめんタカヒロさん、もっと早く言っとけば良かった」
シンヤくんが前を向いたままに応えた。
「否、良いんだ。だが分かった、すぐにコータローに用意させる。こちらこそ済まない、いつもシンヤとタイガの2人に任せっきりだ」
背後でタカヒロさんが携帯電話を操作している音がする。多分、さっそくコータローさん宛てにメッセージを送ってるんだろう。けどこないだオレにも渡された痛み止め、あれ日本語表記じゃなかったよな、コータローさん一体いつもどっから流してもらってんだ? Though, 飲んでも大丈夫なヤツなんだとは思うけど、見慣れないデザインではあったよな。
シンヤくんが自身のショルダーポーチから、ステッカーを1枚取り出しながら言った。
「放っとくなんて出来ないっしょ、やれる事は全部やらないと、後で絶対後悔する。それに、リョースケはオレん家泊まると、いっつもオレの部屋の本棚の漫画や本を読むのに熱中してる。色んな事に興味を持つだけの元気がまだ残ってんだって見てて分かるから、オレも安心する」
確かに、元気が底を尽きて何もかもがしんどい時に、本を読んでまで新しい情報を自分の中に取り入れようなんて気持ちにはならない。まだ生きようって意欲が残ってるから、それは出来る事なのかもしれない。
「そういやシンヤくんさ、こないだ貸してくれたカスタネダの本、めっちゃ面白かったよ! Shoutout for ya hookup, Whistlin’ White Wolf, yo!」
本で思い出した。The real shot written ‘bout the Ally, the lucid dreams wit’ smokes, ちょっと前にシンヤくんからカスタネダ──南米の先住民文化の本を借りてたのをふと思い出して、タカヒロさんと同じ様にオレも後ろから声をかけた。”Whistlin’ White Wolf” ってのは、シンヤくんが “B.R.O.H.” クルーとして活動する時に名乗る、もう1つの名前だ。
「だろ? やっぱ『盟友』はマジで最高だよな? 次の巻も面白いんだぜ? あと意外とな、リョースケが泊まりに来た時、実はあいつもカスタネダに興味津々 (きょうみしんしん) だったんだぜ?」
Swingin’ back wit’ his kicks, steppin’ side wit’ his beats, やっぱり前を向いたままオレに応えながら先頭を行くシンヤくんは、ステッカーを手のひらに忍ばせながら身体を揺らして、行き交う人々の間を ”The Wolf Pack” で磨き上げた華麗な足さばきと一緒にすり抜けて行く。後ろからシンヤくんを見てると、ridin’ his boogie, まるで本当に踊ってるみたいに見える。
”The Ally”, this means, 『盟友』ってのは、その人の意識の中でのパートナー、みたいなもんだってオレは理解してる。精霊とか、守護天使とか、世界各地の文化や宗教だとそれぞれに色んな呼び方があるんだと思うけど、結局は全部『目に見えない、触れられない、けど呼びかけに応えてその人を助けて、支えてくれる存在』って事だろ?
『盟友』を『見えないお友達』ってからかおうとする風潮があるけど、オレには理解出来ない。信心深い文化や国で、もし神聖な守護存在を笑いものになんかでもしたら、そいつは間違いなく殺される。試してみるか? 例え話じゃなくて、マジで殺されるからな? 世界史、習ってんだろ? あ、でもオレこないだの世界史のテスト、ギリギリだったな、あんまし偉そうな事言えねぇな。
「タイガ、済まない、忘れていた。俺もタイガに1冊借りたままだったな」
オレの背中に向かって話すタカヒロさんに、オレも前を向いたまま歩きながら応えた。
「別に急いでないよ。良かったっしょ? 北山さんの『虹の戦士』」
「最高だ。もう何度も読み返している。お前達が勧めてくれる本は、いつも俺の心に響くものばかりだ。いつかは俺もビジョン・クエストに行って、自分に盟友に会ったり、ビジョンを見たいと思う」
See, talkin’ ‘bout another real shot sayin’, “Warriors of the Rainbow” will arise—people of all colors, united in their mission, when the world’s in destruction, オレは前を見たまま左手の握り拳に親指を立てて応えて、タカヒロさんと想いを共有した。
「Aight, I know ya got this, Quiet Storm! (そうだよ、タカヒロさんなら出来るって!)」
”The Visions” mean, ya know, 『ビジョン』ってのは言ってみれば、『特定の条件下で拡張された意識での体験』って感じ、か? Like, 厳しい修行とか、瞑想とか、クスリをキメてブッ飛んでる状態とか、まぁそんな、いつもとは違う感じの時に体験する独特の意識状態の事だ、ってオレは理解してる。この『ビジョン』の中で人は偉大なる存在──神と呼ばれるもの──から啓示を受けたり、『盟友』と出会ったりするって事だ。
後ろに続くオレとタカヒロさんをクルッと振り返って、ふいにシンヤくんがまた白い歯を見せてイタズラっぽく笑いかけてきた。シンヤくんの右手にはステッカーをはがした時にゴミになる部分、白い ”liner” が握られてる。相変わらずの早業 (はやわざ) だ、オレとタカヒロさんが本の話をしている間に、シンヤくんは踊りながらもうどっかにステッカーを1枚貼ったんだ。
”Hello, my name is Shinya aka Whistlin’ White Wolf of B.R.O.H., Wolf down 2 toughen up.”
「Huh, for real, マジかよシンヤくんもう貼ったのかよ? 相変わらず手が早いよな」
オレはそう言いながら後ろのタカヒロさんを振り返ると、そのタカヒロさんの両手にはそれぞれ1枚ずつの “liners” が握られていた──しまった、出遅れた! いつの世でも、上には上がいるもんだ。
”Hello, my name is Takahiro aka Quiet Storm of B.R.O.H., Keep your head but act like a shootin’ arrow.”
「Ya for real, やっべえオレだけまだ貼ってねえじゃん!」
「焦るな。頭を静かに、だが素早くやれ。それこそ、踊る様にな」
後ろからタカヒロさんがいつも通りの落ち着いた調子でオレに声をかけてくる。
タカヒロさんはほとんど表情を変えないポーカーフェイスの癖に、その落ち着いた様子のまま結構キツい事を言ったり、凄い事をやってのけたりする。外は静かだけど、その内側は熱い情熱で満たされてる。Yah, he’s like a quiet storm 24/7, タカヒロさんはそんな人だ。
オレがタカヒロさんと今の通信制高校で初めて出会った時、オレはタカヒロさんの事を『静かな嵐』、”Quiet Storm” みたいだと思った。
Ya know, オレは思った事はつい言っちゃう性分だから、タカヒロさんにもその印象を素直に伝えると、タカヒロさんはその言葉をすごく気に入ってくれて、それからは ”B.R.O.H.” クルーとして活動する時に、 “Quiet Storm” って名乗る様になった。
Aight, aight, 頭を静かに、けど素早く、そして踊る様に── Ridin’ my boogie, タカヒロさんの指示を思い出しながら、オレはお気に入りのレコードを意識ん中のターンテーブルの上に乗せて、一度大きく深呼吸をしてからそこにゆっくりと針を落とした。
And well, my name is Taiga, I'm a tagger, don't ask me cause I just don't know, I'm known to king, I'm known to roar, but don't get mad when we got to go, we're just three wild beasts in one solid pack, and we be getting down with no delay, our stickers fire, what'cha got to say, tag stickers, tag faster, tag stickers, tag-tag, tag faster, オレは身体を揺らしながら、肩に斜めがけしたウエストバッグの中から自作のステッカーを取り出す。
Swingin’ back wit’ my kicks, steppin’ side wit’ my beats, 意識の中のレコードのビートに合わせオレは身体を揺らし続ける。こうすると、何も考えなくたってオレの身体は勝手に動く。オレは身体のリズムに合わせて、大通りを行き交う人々の間を踊りながらすり抜ける。Turn to glide, to turn on the table, then the table turns, オレは身体をくるりと一回転させながらステッカーを1枚、雨風と排気ガスで薄汚れたガードレールに貼りつけた。
”Hello, my name is Taiga aka the Lion-Tiger Man of B.R.O.H., Keep it real as you are.”
──そう、オレの “B.R.O.H.” クルーとしてのもう1つの名前、それが “The Lion-Tiger Man” だ。
その店はうらぶれた路地裏にあった。
大通り沿いからひとつ脇道に入って、雑居ビルの間をしばらく歩いて行ったその先、店とその周りはお世辞にも綺麗とは言えない感じで、入るのにはちょっとだけ勇気が要る、そんな雰囲気の店だった。けど入口のガラス扉からは店内に電気が点いてて、ちゃんと営業してるのが見えた。
「早く中入れよタイガ、後ろつかえてんぞ」
さっきまで先頭を歩いてたシンヤくんは今やタカヒロさんの後ろ、つーか一番後ろにいる。Ain’t nothin’ but a coward, 普段はリョースケと張り合う様に先陣切って道路を進む癖に、初めての場所に行く時や肝試しをする時に限って、シンヤくんはすぐ皆んなの後ろに隠れようとする。
「Shudaaap, シンヤくん何でいっつもこういう時だけ後ろから命令すんだよ!? 絶対おかしいだろ!? ったく──aight, aight, 今開けるって」
そう言ってオレがドアノブに手をかけようとするよりも先に、タカヒロさんが扉を開けて真っ先に店の中へと入ってった。今日はタカヒロさんに来てもらって良かった、“Quiet Storm” は男気のある、やっぱ頼りになる人だ。
タカヒロさんの後について、オレも店の中に入る。
店内は古本屋特有の、紙とインクとカビの匂いが混じり合った、独特の匂いで満たされてた。カビの匂い自体オレはかなり苦手だけど、紙とインクの匂いと混ざると嫌な気分が少し和らぐから不思議だ。そして店内の棚に並んでる本の背表紙は、ほとんど全部英文で表記されてる。
そう、ここが目当ての店、洋書を扱ってる古本屋だ。この膨大な量の洋書の中から1冊の本を見つけ出す、now we be on a plan A, wit’ a main mission, but ain’t mint condition, それが今日、本来のオレのミッションだ。もっとも、店に在庫を抱えてなかったらどんだけ時間を費やしてもただ疲れて終わるだけだ。”Richard Lydekker’s A Hand-Book to the Carnivora", この著者名とタイトルを頼りにして、とりあえずは3人で手分けして探すしかないかぁ?
「タイガ、こっちに来い」
いつの間にか店の奥にまで突き進んでたタカヒロさんが、棚の向こう側からオレを呼んだ。声のする方に向かって歩いて行くと、タカヒロさんがこの店の店員を捕まえてくれてた。
「こういうのは聞いた方が早い。タイガ、説明しろ」
なるほど、古い洋書を扱う特殊な店だ、在庫は仕入れにも関わってるかもしれない店員に直接聞いた方が確かに早いかもしれない。オレは肩に斜めがけしたウエストバックから慌てて携帯電話を取り出して、目当ての本の著者とタイトルが記されてるメッセージを開いて店員に見せた。
「Got it, これなんすけど── ”Richard Lydekker’s A Hand-Book to the Carnivora", この店在庫ありますかね、I be like, 動物の本なんすけど、だから動物学? Or, 動物の自然史? に分類されんのかな? オレあんま詳しくねえからちゃんと説明出来なくて、その、何かすんません──」
自信なさ気なオレの説明を聞きながら、店員は無言でオレの携帯電話のメッセージを覗き込んで、胸にかけてるエプロンのポケットからペンとメモ帳を取り出してメッセージを書き写していった。そして店員は無言のまま歩き出して、店の棚をチェックし始めた。タカヒロさん、シンヤくん、オレの3人は互いに目を合わせて、それぞれに肩を軽くすくめた。
「Ah, I guess, やっぱ在庫ない──のかな?」
オレは店員の後ろ姿を見ながら呟 (つぶや) くと、店員は棚に手を伸ばして1冊の本を掴んで、それを持ってオレの元に戻って来た。そして店員がやっぱり無言のままにオレに突き出してきたその本の表紙には、こう書かれていた。
”Richard Lydekker’s A Hand-Book to the Carnivora, Vol.1: Cats, Civets, and Mungooses”
All our missions completed, then we needed some shots for courage, 目当ての本を探し出して、ステッカーも無事貼り終えて、オレ達3人は古書店街を後にして “B.R.O.H.” クルー, そして “The Wolf Pack” メンバーや、もちろんジンさんとソウタも行きつけのショットバーに顔を出した──要するに、ここはオレ達の溜まり場だ。
この店はタカヒロさんの実のお兄さんがバーテンダーをしてる。つっても本来ならまだ営業時間前で、今日はオレとシンヤくんの2人が未成年って事情もあって、お兄さんがオレ達の為に店をわざわざ早く開けてくれたんだ──いつ顔を出しても、ここは本当に居心地が良い。
けど、今日はリョースケがこの場にいなくて良かった。
”The Wolf Pack” のチーム最年少であるリョースケは、飲み方の加減ってものをまだ知らない。あいつは酒の味を覚えたばっかで、ショットを次々に飲み干してはあっという間に店の床の上に倒れやがる。強くないんなら格好つけんな、そんな飲み方止めろ、って年長組がどれだけ叱っても、リョースケはなかなか言う事を聞かない。
Young gun sayin’ a shit-shot a day keeps the doctor away, huh, はたから見てると、リョースケはまるで進んで自分を傷つけるみたいな飲み方をする。いくら美味い酒でも、そんな飲み方を続けてれば身体にとって毒にしかならない。
いつか急性中毒でアンビュに運び込まれんぞ!? ってオレもいつも心配するけど、それを直接オレが言うと大ゲンカが始まるから、最近オレはリョースケと一緒に酒を飲む事自体を控えてる。目の前にいるとオレはどうしても言いたくなるからだ。リョースケ本人が納得するまで、ここは年長組に任せておくしかない。
「Raise ya glass, here’s to us, 乾杯、cheers!!」
オレがショットグラスを持って音頭をとると、"Quiet Storm" aka タカヒロさんも、"Whistlin’ White Wolf" aka シンヤくんもオレのグラスの縁と縁を合わせて、グラス同士の触れ合う軽快な音が明るい店の中に響き渡る。
今日は昼間のうちに大きな目的を2つも達成したんだ、これで景気づけに飲まないなんて考えられねえ。But I be still on a plan A, continues my mission, this might be a solution, けど今日のオレのミッションはまだ終わってない。手に入れた本に何が書いてあるのかを調べなきゃなんないし、家に帰ったらギンガの散歩にも行く。本当はゆっくりビールを飲みたいけど、今ここで酔っ払う訳にはいかない。だから今はとりあえずクラフトジンのショットで充分だ。
店内の内装は薄暗くて気取らず落ち着いた雰囲気、いつも良い匂いがしてて、そして今日も古いジャズのレコードが流れてる──最高の気分だ。
この店、”B.B.G.; Bless the Bros on the Ground” はもともとジャズバーだ。普段はショットバーとして営業してるけど、不定期にジャズミュージシャンが集まって小さな演奏会が開かれてる。もちろん、オレも出来るだけ予定を合わせて聴きに来る。有名なジャズクラブだとIDで入場を弾かれっから、未成年のオレでも酒を片手に生演奏を聴ける機会はすっげえ貴重だ。
If we dig this joint then please come dance along to the music 'cause it's done just for our mind, now I gotta scat and get mine, underline, the jazz, the what, the jazz can move that ass, so we got the jazz, we got the jazz, オレにとってはヒップホップこそが最高の音楽だっていつも思ってるけど、そのルーツであるジャズも同じ様に最高だってオレは思う。
クラフトジンのショットを飲み干すと、オレの喉は一気に熱くなる。タカヒロさんのお兄さん、バーテンダーであるマサヒロさんがショットのお替わりを持ってオレ達のところへやって来た。
「今日はタイガずいぶんとご機嫌じゃねえか、何か良い事でもあったのか?」
マサヒロさんはタカヒロさんのお兄さんだけど、タカヒロさんとはひと回り近く歳が離れた、黒いスーツ、サスペンダー、ほのかに香るポマードに咥えタバコと、大人の渋みと凄みを併せ持った外見の、とても格好良いお兄さんだ。鋭い目元はタカヒロさんとも良く似てる。2人並んで話してる姿を見ると、やっぱり兄弟なんだなぁーって思う。
Shared same mom but diff dad, 2人は母親が一緒だけど、父親はそれぞれ違うらしくて、けど2人ともそれぞれの父親とは全く関わりがない。無名のジャズシンガーだった母親は2人とジャズバーだったこの店を残して早くに死んじゃって、まだ幼かったタカヒロさんは兄であるマサヒロさんの男手ひとつで育ったんだ──って前にタカヒロさんから教えてもらった事がある。
だから、マサヒロさんはタカヒロさんにとって兄であると同時に父親代わりでもあって、そしてそれはオレ達 “B.B.G.” の常連にとっても同じだ。オレの仲間達は皆んな、何かしらそれぞれの、人とは違う人生の物語を持ってる。だからこそオレ達は一緒にいられる。マサヒロさんはそんなオレ達を優しく見守ってくれる、信頼出来る数少ない大人のひとりだ。
オレは赤マルに火を点けながらマサヒロさんに応えた。
「Ah, 分かりますか, ya know? 今日はステッカー貼りまくれて、欲しかった本も買えたんすよ! ”B.B.G.” のジンショットも美味いし、今オレ、めっちゃ気分良い!」
「へぇ、そいつはどうも。んで? 一体どんな本だよ、読書家のお前が喜ぶぐらいだ、相当イカれた本なんだろ?」
弟であるタカヒロさんを含めたオレ達 “B.R.O.H.” クルーの3人がいつも本を読んでて、いつも貸し借りしてるってのをちゃんと把握してるマサヒロさんは、咥えタバコのままオレをからかう。普段活字とは縁のないマサヒロさんからすると、『本は睡眠導入剤、これマジ』だそうだ。
「Nah, ya kiddin’, 全然イカれてないすよ、動物の本だし!?」
そう言って口を尖らせながら、オレはウエストバッグから話題の本を取り出した。
”Richard Lydekker’s A Hand-Book to the Carnivora, Vol.1: Cats, Civets, and Mungooses”
古書店でもちらっと中身を確認はしたけど、落ち着いてちゃんと読み込めた訳じゃない。
「お、さっそくだな? んで、どの動物を調べたかったんだ? 日本にいない動物だから、わざわざ英語の本を探しに行ったって事なんだろ?」
シンヤくんが空になったショットグラスを片手に本を覗き込む。
「シンヤくん本に水滴垂らすなよ!? That’s it, well, I be seachin’ for “Lion-Tiger Hybrids”, ya know, so, umm, オレが探してたのはつまり —this one, ライオンとトラの混血種なんだ」
オレは話しながら本のページをめくって、”Lion-Tiger Hybrids” の項目にあるイラストを皆んなに見せた。
「お? お前の名前の由来か!? ──お、おう──何つーか、思ってたよりも、こう、可愛い、感じの絵だな? これが──お前?」
”Whistlin’ White Wolf” がタバコ──シンヤくん定番のアメスピを咥えながら、口ごもって、言いたかったんだろう言葉のニュアンスを和らげた。I know, I know what’cha sayin’, 言いたい事は分かってんだよ。ほのぼのとしたこの絵が、オレの見た目とマッチしてねえって言いてえんだろ!?この絵が可愛いからこの本欲しかった、って訳じゃねえんだぞ!? つーか動物が可愛いくったって別に良いだろうがよ!? モフモフは常に正義だろうが、あ"あ”!?
「Ya tryna pick a fight wit’ me, Whistlin’ White Wolf, yo, そのケンカ今すぐこの場で買ってやろうか!?」
オレはシンヤくんにガンつけながら言った。
「ライオンとトラは番 (つがい) になれるのか? そもそも、生息地域が違うはずだろう?」
場をとりなすみたいに、軽くため息をつきながら “Quiet Storm” が言った。
タカヒロさんの目の前にはすでに空になったショットグラスが2つ置かれてる。涼しい顔をしながら強い酒を飲める、タカヒロさんはやっぱり “Quiet Storm” だ。
けどタカヒロさんの指摘通り、ライオンはアフリカ大陸、トラはユーラシア大陸の生き物で、どっちも接近する機会なんて普通はない。だからこそオレは、この本に書かれてる内容を理解しないといけない。オレは気を取り直して該当のページを読み始めた。
”Although there is no record that such cross-breeding occurs in a state of nature, Lions and Tigers will occasionally breed together in captivity.” (自然界でこの様な交配が起こった記録はないが、飼育下であればライオンとトラは交配する場合がある)
「I see, へぇ、自然じゃない環境でなら交配する場合もあるって書いてあるよ」
こういう『ちゃんとした』英語の文章を読む事は、高校生である今の年齢になっても慣れない。スラング、ヒップホップの構文とまるで感触が違う。眉間 (みけん) に皺 (しわ) を寄せつつオレがざっと読んで訳していくと、タカヒロさんもシンヤくんも顔を見合わせて応えた。
「なるほど、人の手が入れば可能という訳か」
「はー出来ちゃうもんなんだなぁ、生命の不思議ってヤツだ!」
オレは頷いて、続けて英文に目を通していく。
”The parents of these hybrids were in a traveling menagerie owned at first by Mr. Thomas Atkins, and subsequently by his son Mr. John Atkins; and a total of six litters of hybrids were produced between the years 1824 and 1833.” (これら混血種の親であるライオンとトラは当時の巡業型の動物園で飼育され、1824年から1833年の間に合計6回の混血種の出産があった)
「Ah, well, what can I say, 何か偉そうな人がオーナーになってて、そんで1824年から33年の間で──6回産ませた、らしい」
専門用語や古い言い回しの単語は理解出来ない。読み飛ばして、前後の文脈から意味を探るしかない。その上、この本の出版社はロンドン、つまり著者が使ってんのは同じ英語でもイギリス英語って事だ。そもそもこの本のタイトルだってそうだ、“Mongoose” ならオレも知ってるけど、“Mungoose” なんて知らない。もしかして表紙ですでに誤字ってんのか!? ああ、何かだんだんイラついて来た、もう大事そうな部分だけ読もう、next up, ここだ。
”First litter-all perished within a year of their birth,”
“Second litter-they only lived a short time.“
What the hell this doc sayin’, huh, オレは右の眉を吊り上げた。
これら実際の記録を読み進める事は、オレにとっては酷く心が痛いものだった。交配、出産、そして生育の様子を観察した客観的な文章、現代で言えば病院のカルテみたいなもんが淡々と書かれてるだけ──確かにそれだけだ。けど、オレの心はどうしてもざわつく。
オレ達 “B.R.O.H.” クルーの3人は北米や南米先住民文化の本を互いに何度も貸し借りしてて、繰り返し読み込んで、その偉大な生命哲学をそれぞれの心にしっかり刻み込んでる。だからタカヒロさんとシンヤくんは生き物、動植物に優しい。生き物全般に関する知識だって豊富だし、その姿の美しさとか生きてる環境の厳しさに触れて、一緒に感動する事だって出来る。
オレ個人としては前から夢ん中で何百年も前の北米先住民の少年、呪術師の卵として生きて、その師である<夜の狼の星>からこの星の生命について、生きる事についてのたくさんの事を教わってきた。
そういや──シンヤくんはその<夜の狼の星>にすっげえ良く似てるし、オレの親しい仲間で同時に弓矢の師でもある<天翔ける灰色狼>はタカヒロさんにそっくりなんだよな──リョースケはいつも強気でナイフが得意な<嗤うコヨーテ>に似てるし、コータローさんは次代の長である<燃ゆる瞳の赤狼>で──え、え、じゃあ、あの4人は── “The Wolf Pack” だったのか!?
しかも──ジンさんは死んじゃった<歌う山獅子>にマジでそっくりだったし、その息子でオレの幼馴染でもある<伏せる山猫>が今のソウタにめっちゃ似てるんだよな──ってそんな都合の良い、冗談みたいな話ってあるかよ!? マジでオレ頭大丈夫か、real mad for real, huh!?
もちろん、その事を証明出来る手段なんて、今のオレは何ひとつ持ち合わせてない。
それでも、もしかしたら本当に──そうなのかもしれない。
何となくだけど、皆んなとは不思議な繋がりを感じる。
あーそれ以上上手くは表現出来ないな、今のオレには。
けど証明出来るかどうかよりもまず、生き物について理解のある2人、目の前にいる<夜の狼の星>と<天翔ける灰色狼>に対して、この内容を日本語に翻訳して聞かせて良いもんなのか?ってオレは一瞬ためらってしまった。
オレの様子を察してか、タカヒロさんがオレの肩に手を乗せて頷く。オレはショットグラスに口をつけて、勇気のガソリンを身体にブチ込んでから言った。
「最初の子供達は生後1年以内に全員死亡、2回目もちょっとしか生きられなかった、って」
シンヤくんの表情が一気に険しくなった。I know, I know ya, I really know what’cha sayin’, 見世物として人間の都合で繁殖させられて、しかも全員死亡とか──生き物に対するリスペクトのかけらも感じられない、こんな事で命をムダにするとか、こんなの絶対やっちゃダメだろ!?
オレはショットの力を借りて、湧き上がる勇気と共にどんどん読み進めて行った。
"Sixth litter-One, the male, lived for ten years in the Gardens. The young male Lion-Tigers when about three years old had a short mane, something like that of an Asiatic Lion; and the stripes became very indistinct at that age." (雄の1頭は10年間生きた。若いオスのライオン-タイガーの混血は、3歳頃になるとライオンのような短い鬣 (たてがみ) が生えて、トラのシマ模様ははっきりとは目立たなくなった)
Damn, yo, this is, for real!? ──オレは息を飲んだ。
これだ、これだよ、オレが夢ん中で見たネコ科の大型動物の姿と同じ、ライオンほどの長さじゃない短い鬣 (たてがみ)、トラほどはっきりしてないシマ模様、けどどっちの特徴もちゃんと持ってる存在──つまり、オレが夢ん中で見たものは、3歳よりももっと長く、無事に成長出来たライオンとトラの混血種だったって事かよ!?
「Ease up, bros, 6回目に生まれた雄は、10年生きたってさ!」
オレのその言葉を聞いたタカヒロさんとシンヤくんはようやく身体の緊張を解いて、安心した表情を浮かべた。ポーカーフェイスのタカヒロさんでさえその表情が一瞬曇ったんだから、それぐらいオレ達3人が共有してる、生き物に対するリスペクトに欠けたヤバい話だったって事だ。
オレ達のやりとりを聞きながらもずっと黙っていたマサヒロさんが、いつの間にか片面が終わっていてターンテーブルで空廻りを続けるレコードをひっくり返しながら、急に口を開いて言った。
「そういやぁ、そのライオンとトラの混血種、『ライガー』って言うんだって、前にどこかで聞いた事があるぞ」
──『ライガー』、”Liger”, the Lion-Tiger Hybrids, liger, liger, call’em “Liger”, オレの頭ん中を『ライガー』っていう新しい言葉が何度も何度も駆け巡ってく。
「ライガーって言うのか、名前は格好良いんだけどなぁ。けどさ、100年以上前の人間が手を出さなければ、自然には絶対生まれてこなかった種族って事だろ? これを最初に思いついたヤツら、絶対頭おかしいって、狂ってるよ」
シンヤくんがため息をつきながら大きく肩をすくめて言った。レコードのもう一面に針を落としながら、マサヒロさんはシンヤくんに応えた。
「世の中の人間の95%は狂ってるって言われてるらしいぜ? シラフのままこの世界を生きてるヤツの方が、よっぽど狂ってるって事だ。酒やタバコや薬でちょいと頭を鈍らせておくぐらいが、この世界をじっくり眺めるのにはちょうど良いんだよ」
オレはマサヒロさんのその言葉を聞いた一瞬、身体を硬く緊張させた。
薬、薬、any mad-ill drugs, オレの減薬は──全然進んでない。Still goin’ through obstacles, been got dope sick, 思った通りには大して減ってない。
何日か前にまた病院を受診した時に、減薬は始まったばかりだからすぐに思った通りの結果にならなくても焦る必要なんてない、気長に行こう、って新任の主治医のクロキ先生は言ってくれてたけど──。
減薬を開始してから、薬の量を減らして飲んで、時間が経ってくると、理由の分かんねえ不安感とか焦る気持ちみたいなのに襲われる様になったんだよ。しかも不安感や焦る気持ちが強くなってくると身体が震えだして、例えとかじゃなくて、マジでその場にうずくまっちゃって、全然動けなくなる。これだと1日、何も出来ねえ。学校も、バイトも行けねえ。だからやっぱり、薬を飲むしかねえ。不安感や焦る気持ちに耐えられなくなって薬を元の量に戻すと、それは確かに消え去ってくれる。でもこうして結局、元に戻る──最近はこれの繰り返しだ。
Don’t call myself a turkey just ‘cause can’t stand this damn shit cold, オレは一体いつんなったら、自分の事を薬物中毒者 (ジャンキー) だって思わなくて済む様になんだよ?
オレは赤マルを深く吸って煙を吐き出して、身体の緊張を解いた。
”B.B.G.” の店内にはレコードからは、物悲しい女性の歌声のジャズ・ナンバーが流れてた。
”When the world turns blue, you will turn into rhythm, words, and melody that show a power anew, and though the past may find you, with all I left behind you, I still will play the song that I played for you, when the world turns blue.”
「じゃー今夜もよろしくね、タイガ」
「For sure, bro, おう、任せとけ」
Wit’ our fist bumps, Stussy 製のシンプルなバックパックを背負ったリョースケと互いの握り拳を軽く当て合って、オレ達はいつもの挨拶を交わす。その後にオレはリョースケに予備のハーフヘルメットを手渡した。
Busted up from the beatings, 目の前のリョースケの顔は酷く腫れ上がってる。この顔じゃ電車やバス、公共交通機関なんて絶対使えない。だからいつもオレがこうしてバイクで迎えに来る。顎紐のバックルを締める時だけはめっちゃ痛いだろうけど、それでもリョースケには毎回我慢してもらうしかない。ノーヘルで捕まったりでもすれば、話はもっと厄介になるからな。
リョースケの親父は呼吸をするみたいに、当たり前にリョースケを殴る。
Got real beaten, given a beat down, オレと同じで、リョースケも両親に虐待されて育ってる。オレと違う点があるとすんなら、オレのクソ親父は昼は解体業で夜は街のチンピラだけど、リョースケのクソ親父はパッと見は一般的な社会人として真っ当に暮らしてるって事と、格闘技経験者だって事だ。そしてリョースケのクソ親父は骨折や失神の1歩手前を確実に狙ってリョースケを殴って、蹴って、ボロクソにする。リョースケのクソ母親はそれを見て見ぬ振りだ。
これだけの外見の変化だ、当然近所に通報されて、リョースケのクソ親父は何回も警察にしょっぴかれてる。児相も介入した。けどその度に、これはしつけだった、反省した、もう2度と手を上げないって嘘に皆んなだまされて、当のリョースケ本人は保護された先から家に連れ戻されてしまう。Once, twice, thrice, under CPS protection, though, こんなバカげた事が飽きずに、ずっと今まで何度も繰り返され続けてる。
オレが今の通信制高校でリョースケと出会って仲良くなって、リョースケの事情を知ってから、リョースケの魂がこの世から消えて無くなってしまいそうな時、いつもオレはこうしてバイクでリョースケを迎えに行く──オレの部屋に泊まらせるんだ。1日か、2日ぐらい、部屋に泊めるぐらいだったら今のオレにだって出来る。
リョースケの背負ってる Stussy のバックパックには、コータローさんとタカヒロさんが用意してくれた1泊、2泊分の着替えや歯磨きなんかがまとめて入ってるはずだ。
痛み止めがもうないってシンヤくんが言ってたよな。けど確か、オレの部屋には予備の痛み止めが少し残ってるはずだ、飲ませとかないとリョースケは今夜、酷い痛みと腫れの熱で眠れなくなるかもしれない。もちろん、身体だけじゃなくて、心の痛みだって酷いはずだ。Puttin’ an ice pack for one shit-shot of “the Wolf Pack”, 保冷剤だって出してやるぞ。
オレにはギンガを世話する役目があるから、オレ自身が外泊するって事はあんましない。クソ親はギンガの世話をしないからな。それに、オレのクソ両親は外面だけは良いから、リョースケや誰かがオレの部屋に泊まってる間は、オレに対して急に大人しくなる。つまり、その日のオレの身の安全も確保されるって事だ。だからリョースケが泊まりに来てくれる事はむしろ大歓迎、一石二鳥、it’s a double-dippin’, or killin’ two shits wit’ one shot, 互いに都合が良い。
オレに限って言えば、中学を卒業して以降はクソ親父から暴力を受ける回数は少しずつ減ってる。顔を合わす機会がないってのもあるけど、一番の理由はオレの身体が大きくなってきたからだろうなって思う。オレのクソ親父はリョースケのクソ親父と違って格闘技経験者じゃあないから、オレに応戦されると意外に引く。さっすが、夜の街のチンピラだ、弱い相手にだけイキる。
リョースケはシンヤくんとも仲が良いから、シンヤくんの家に泊まる事も頻繁にある。週のほとんどを家に帰らないで、オレの部屋とシンヤくんの家との往復しながら過ごす事だってあるし、オレの部屋から高校までオレと一緒にスクーリングに出る事だってある。それくらいリョースケは過酷な環境の中にいる。
オレ達は、we the beasts' pack, holdin’ some meetings again and again, リョースケがその場にいない時に、何度も何度も話し合った。
本当なら成人してて身体のデカいジンさんやコータローさん家に身を寄せんのが一番安全だし、オレ達の溜まり場であってタカヒロさんの家である “B.B.G.” には、良識があって信頼出来る唯一の大人、マサヒロさんもいてくれる。けど、もしそれを頼っちゃうと、今度は成人組が青少年保護育成条例違反、だったっけか? まぁつまり、未成年者の連れ出し、不当誘引とかのレッテルを貼られて、大騒ぎになる可能性がある。
コータローさんは頻繁に車で物資を調達してきてくれるし、ジンさんはリョースケやオレにいっつもメシをおごってくれる。タカヒロさんはオレ達の間の調整役、連絡係として、裏でいつも色々と細かく動いてくれてる。成人組の皆んなはいつもリョースケを心配してるけど、表立っては気軽に手を差し伸べられない、苦しい立場に置かれてる。
警察や行政はオレ達みたいな雰囲気の人間が心底嫌いで、いっつも目の敵 (かたき) にしてる。例えオレ達が真っ当な事を主張してたとしても、オレ達に対する悪い印象は変わらない。
オレ達にどれだけ正当な理由があったとしても、ジンさんはすでに過去の経歴が警察のデータに残ってんだろうし、コータローさんはその外見だけでまず信じてもらえないし、マサヒロさんのバーにだって迷惑をかけて、最悪の場合は店を廃業に追い込んでしまう事になるかもしれない。タカヒロさんの家を奪う事になるかもしれない。
Keep goin’ self-medicated ‘cause ain’t no position to use an insurance, 病院にだって簡単には行けない。もし保険証を使ったりでもしたらリョースケのカルテに酷い怪我の状態が記録されて、まず間違いなく医者から警察に通報、児相に通知が飛ぶ。一時的に保護されて、その時だけ虐待が収まったとしても、結局すぐにまた家に戻されて、後からもっと酷い暴力を受ける事になる。
だからリョースケの身は、bors’ gonna work it out, 年の近いオレとシンヤくんで守る。
リョースケと同い年のソウタも自分から援助を申し出てくれたけど、今度はリョースケの方から遠慮してしまった。リョースケは自分自身が大変な状況なのに、それでもソウタの不自由な身体への配慮と心配が出来る、本当に優しい男なんだ。だからソウタは、リョースケに内緒でリョースケの為にって少額でも貯金してるらしい。いつか何かの役に立つかもしれないから、って。
皆んながそれぞれに、今の自分に出来る事を精一杯やってる。
そして、今日はオレが動く日だ。
「Real talk, like I said before, 何度も言っとくけど、恥ずかしがんねーで、ちゃんとオレの腰に手ェ回して、体重をオレの背中にかけんだぞ? じゃないと、マジで落ちんだからな?」
ZEPHYR の運転席に乗ったオレは、リョースケを後部座席に乗る様に促した。
「うん、分かってる。落ちたくない。言われた通りにちゃんとやる。もう痛いのは嫌だ」
そう言ってリョースケは後部座席に静かに乗った──リョースケは今、全身が痛いんだ。
リョースケは普段皆んなの前だと強がったり突っぱねたりする癖に、オレと2人きりになるとこんな感じで急に素直になる事がある。きっと、本当のリョースケはこういうヤツなのかもしれない。それってつまり、本当のリョースケを覆 (おお) い隠してしまう様な何かが、リョースケの家に、学校に、この世界にはあるって事だ。いつかその何かが、本当のリョースケを殺すのか?
けどリョースケはまだ、こうして生きてくれてる。
オレの腰にリョースケの手が回って、オレの背中越しにリョースケの体温が伝わってきた。
ざっけんな、そんな理不尽な殺され方、このオレが絶対に許さねえ。
オレは左手でクラッチを切って、右足のブレーキを踏み込みながら右手でイグニッションキーを差し込んで、軽く右に廻した。ZEPHYR から微かな電子音が聴こえてくる。続けて右の親指でセルスターターを押すと、再び ZEPHYR の心臓が動き始める。左手と右脚の位置と力加減はそのままで、オレは右手でアクセルを数回軽く廻してエンジンをふかせた。
今夜のリョースケに、酒は絶対に飲ませない。こういう時に酒を飲むと、buzzed in a maze, got real wasted, 最初はいくらか気分が良くなった気がしても、後になって痛みと熱が酷くなんのを、オレは自分自身の経験から良く知ってる。だからその代わりに、甘い菓子を腹一杯食わせる。こうすると、不思議と気持ちは少し落ち着く。こんな知識、本当なら子供に必要ないけどな。
オレとリョースケの言動が荒っぽくなって、大人を信用しなくなるのは当然だ。生き抜く為の自然な反応、それは本能みたいなもんだろ? 動物が本能に抗える訳がない。むしろ、この状態でオレ達は良く理性を保ってられるもんだよなって思う。2人とも、悪質な犯罪行為にまだ手を染めてないってのが謎なくらいだ。周りを見てれば分かる、still on the edge, オレ達はいつそっちに転がり落ちたって不思議じゃない状況に置かれてるはずなんだ。
けど実際は、オレ達の方がよっぽどまともなのかもしれない。前にマサヒロさんが言った通り、きっと世の中の方が狂ってる。けど、それをどう証明すれば良いのかは、今はまだ分からない。オレ達がただ生きてるだけじゃ、それは証明にならない。
「’Kay, we gonna bounce, しっかり掴まっとけよ!」
オレはクラッチとブレーキを緩めて、ZEPHYR を外灯に照らされる夜の国道へ向けて走らせた。
ボコボコにされたリョースケの顔を、ギンガが尻尾を大きく振りながらしつこく舐め回す。
「うひゃひゃひゃ、くすぐったいって、うひゃひゃ!」
ギンガから盛大な歓迎を受けるリョースケは、心の底から嬉しそうだ。ギンガはリョースケに良く懐いてる。オレから見てもギンガとリョースケは相性がとても良くて、コンビ仲も抜群だ。Well, not bad, but I be still, the real king in this pack, all around the hood, ま、このオレに次いで、だからな──毎回あんま仲良くされっと、何かムカつくんだよな。
これだけギンガに顔を舐め回されると、殴られたとこに響いて痛むんじゃねえのかって心配になるけど、リョースケが言うには『むしろ痛みが和らぐから大歓迎』らしい。That’s it, I know what’cha sayin’, オレ自身が殴られた時もそうだから、リョースケの感覚は良く分かる。これが、アニマルセラピーってヤツか?
リョースケに無理させたくなかったから、今夜は本気のダッシュ練なしだぜ?って何度も何度もギンガに言い聞かせて、最初から最後までゆっくりしたスピードのままで、オレ達はギンガと夜の散歩に出かけた。
オレはスタンダードなマルボロの赤マルを吸うけど、リョースケはそれよりもタールの少ないマルボロ・ライト、通称『金マル』を好んで吸う。同じマルボロのブランドだから似た味わいではあるけど、煙が鼻を通った後に残る重みがちょっと違う。もちろん金マルも最初は美味いんだけど、スタンダードに慣れ切ったオレからすればだんだん物足りなくなってくる。
オレとリョースケはタバコを吹かしながら、ギンガと一緒にゆっくりと河縁の土手の上を歩く。ときどきジョギングをするジャージ姿のランナーとすれ違う事はあっても、ギンガがいるおかげで誰もオレ達の事を気にしない。それに夜だし、河縁には街灯もないから、リョースケの腫れ上がった顔も全然目立たない。
「やっぱ、タイガとギンガと一緒にいると安心だね、すっげえ落ち着く」
オレの右を歩くリョースケが、そう言ってオレに笑いかけた。
「Yo, that’s dope, bro, good for ya, なら良かったぜ。オレも、お前がこうして今日も生きててくれて安心したよ」
オレも笑って応えたが、リョースケはふいに真顔で立ち止まって、そして言った。
「生きてても、何も良い事ないけどね──ただ生きてるだけってのも、結構ツラいもんだよ? それにどうせ俺、そのうちに殴り殺される為だけに、まだ生かされてんのかもしんないよ? だったら、このまま俺が生きてても意味なくない?」
リョースケの目の端には大粒の涙が溜まってた。
子供を守ってくれるはずの大人、しかも血の繋がった親から日々、まるで壊れたおもちゃを振り回すみたいに、理不尽な暴力を受け続けた子供だけが知ってる感情を、we’ve got all the lowdown, what it’s like to sing the blues, オレとリョースケは良く知ってる。
自分を産んだはずの親から、自分が生きてる事を、人格を、存在を、その一切を否定される。自分の子供に絶望を突きつけてくんのなら、この人達はどうして子供を産んだんだ? 親だからって、自分の子供を好きな様に痛めつけて良いって理由は、一体どこにあんだよ?
オレは咥えタバコのままリョースケの首の後ろに右手を回して、力一杯自分の方に引き寄せた。
「痛ってぇ! ちょっとタイガ、加減してよ!?」
リョースケの抗議の声を聞きつけて、左を歩いていたギンガが『何だ、新しい遊びでも始まったのか? 混ざってやろうか?』と尻尾を振ってオレにじゃれついてくる。
オレはギンガの頭を左手でなで回しながら言った。
「絶っ対にお前を殺させねえ──そんなん、させてたまるかよ」
Havin' a pity-party, livin' on tippy-tippy-toes, still damaged on the real damn-edge, 格好悪いって分かってても、このオレだって『世界で一番不幸なのはこのオレだ』みたいな気持ちになる夜がある。『オレは誰からも必要とされない、どうしようもないヤツなんだ』とか、『オレなんてもう生きてても仕方ねえよな』って、ひとりで泣く夜だって普通にある。
ネガティブな感情になるのは、決して悪い事じゃないとオレは思う。その感情をしっかり味わった後にまた動き出せるんなら、別にそれで良いだろ? 他人はそんな事しなくても人生を上手くやってけるのかもしんねえけど、オレはいつでもずっと完璧でなんていらんねえし、中途半端になって後に引きずる方が、よっぽど周りに迷惑をかける事になんのを経験上良く知ってる。
だからオレは、ネガティブになってるリョースケの態度を否定したりなんかしない。
今のリョースケに対して『そうやって気取っても何も変わらねえぞ』って偉そうに忠告するヤツがもしいんなら、そいつは親から殺されかけた事がない、真っ当で、幸せで、すっげえ恵まれた人生を歩んでる人間だ。そんなヤツのくだらない話なんて聞く必要は一切ないし、耳を傾けてる暇もない。一度で良いから、気を失うほど殴られてから、全身をアザだらけにされてから、親に犯されてから、もう一度その言葉を言えよ? その時にならオレも聞いてやるから。
河縁の土手の上、コンクリートの上に、次々とリョースケの涙が落ちてく。
「本当はさ、あんな家、今すぐにでも出ていきたいんだよ? けどさ、それをしようとするとさ、俺の中から突然、元気と勇気が根こそぎ無くなっちゃうんだ。俺から元気と勇気が無くなったら、後にはもう何も残らないのに、生きてる価値、無くなっちゃうのに──」
I know, I know ya, I be down wit’ ya, bro, オレも同じ気持ちだよ。オレは無言のまま軽く首を傾けて、自分の額をリョースケの額に当て続けた。
リョースケはオレを拒否する事なく、言葉を続ける。
「何回児相に行ってもさ、結局またあの家に帰るハメになるんだよ、だからきっと、今逃げてもどうせまた捕まる。しかも前よりもっと殴られる。次こそ本当に殺されるのかもしれないよ? でも、大人は誰も俺の話を信じてくれない、また『嘘つきオオカミ』って言われるんだ」
In the know, ya be not full of it, not a guy cryin’ wolf, I know ya, リョースケは嘘なんてついてない。むしろオレ達の中で誰よりも嘘のない、一番の正直者だ。リョースケとたびたびケンカをするオレは、その事を良く知ってる。
喉の奥から低い唸り声を上げながら、痛みと悲しみで泣き叫びたい気持ちを耐え続けようとする目の前のリョースケの姿が、ほんの一瞬だけ、not a guy cryin’ wolf, this real cryin’ wolf, その身体を縮こませて大粒の涙を流す、1匹の黒い毛並みのオオカミの姿に、オレには見えた。
ギンガは尻尾を振りながらリョースケに飛びついて、その顔の涙を何度も何度も舐め取った。
バイクのツーリング用に、って用意しておいたアウトドアブランドの寝袋が、こういう時こそ役に立つ。’Cause I'm an outdoorsy boy, been the Lion-Tiger, known to the Liger as a wild beast, also havin’ a lantern, some knives, ‘n’ cookwares, ya know, 3シーズン対応で頑丈、そして軽量、しかも洗濯機で簡単に洗えるから、誰かひとりを泊める際にもちょうど良いんだ。
けど今日のリョースケはそれを断固拒否して、狭くても良いからオレと同じ布団で寝る、って言い出した。今のオレ達は背中合わせになって、1つの布団を共有してる。もちろん、互いの手足は布団からはみ出す。寒い季節じゃないから別にこれでも特に問題ねえけど。
背中越しに体温を感じながら、リョースケがぼそっと言った。
「本当はギンガのモフモフが良いけど、今はタイガで我慢する。けどごめん、キモかったら言ってよ。今は誰かと身体がくっついてないと、俺、頭がおかしくなりそうなんだ」
「Ya be not real creepy, キモい訳ねえだろ? オレだって人肌恋しい時あるから分かるよ」
オレはわざと背中に力を込めてリョースケに応えた。
It’s a natural course wit’ beasts’ pack, ya know, つらい時、寂しい時、悲しい時、寒さや飢えに耐える時、動物達は身を寄せ合って過ごすだろ? それは生き物として当たり前、自然な反応だ。
けど、この国に生きる人達は、ハグやキス、ボディタッチを受けつけない。オレがそれをするとすっげえ驚かれて、あいつすぐ人にくっつくから距離感バグってんだよ、人たらしだから気をつけろ、もしかして誰とでもすぐ寝んじゃねえの?って陰で言われる。逆に珍しく相手から近寄ってきたなと思ったら、ハグじゃなくて拳で殴られる。なのに、満員電車は許されんだろ?
オレはこの国に生きる人達の距離感が良く分からない。誰かと自然に触れ合う事の、一体何がいけないんだよ? これのどこが『不純』なんだよ? こんな最悪な状況をたったひとりで耐え続けんのが『純粋』だって言うかよ?
人肌の温もりを感じれば、ざわついてた心と身体があっという間に落ち着くんだぞ? 動物達は本能でそれを知ってんだぞ? そしてオレ達だって人間である前に、ただの動物だぞ? My feelin’ so snug, ‘cause we got real snug, real as the solid pack, for something that we call our own, 感情を処理する方法はたくさんあるけど、それが理性や知識でどうにか出来るもんだとは限んないんだぞ?
「ありがと──けど俺、日本人だし、童貞だし、殴られたり蹴られたりする以外で、こうして誰かとくっつく事って全然経験してきてないから、どうしたら良いのか全然分かんない。タイガ、オレどーすれば良いの? タイガ先生、教えて?」
リョースケの今にも消え入りそうな声に、オレは少しだけ声の調子を上げて応えた。
「C’mon, gonna hug it out, じゃあこっち向け、恥ずかしがる事ねえから! つらい時、泣きたい時はな、仲間と気楽にハグすんだよ。それに、こういうのはお互い様っつうんだよ。今はとにかく難しく考えねえで、目の前のこのオレを頼れって、な?」
We be a little too friendly, so to speak hypothetically say, we supply creativity to what others must take as a form of self-hate, only to make an enemy, which results in unfortunate destiny, they dog us out then be next to us, just 'cause we be what some choose to envy, but we need to feel loved, why wait for so long, 'cause we ain't too proud to beg, for something that we call our own, and we want to be touched, and feeling so much, see, 'cause everybody needs some good lovin', そう言ってオレはリョースケに背中を向けるのを止めて、身体の向きを反対に変えた。そしてリョースケの首の下にオレの腕を滑り込ませて、少しだけ肘を曲げてリョースケの動きを軽く促した。
リョースケの身体が一瞬だけ緊張で跳ね上がる──殴られるかもしれない、って身体が勝手に反応するんだ。やがてすぐにリョースケの背中が小刻みに震え出して、喉の奥底から唸り声が聴こえ始める。We need to feel loved (my feelin’ so snug), オレはもう一度肘を軽く曲げてリョースケを促す、why wait for so long (‘cause we got real snug), real as the solid pack, for something that we call our own, 今は我慢する必要なんてないんだよ。
リョースケは身体の向きを変えて、オレの顎の下、胸に顔をくっつけて大声で泣いた。
オレはリョースケが泣き止むまで、ずっとその頭をなで続けた。
泣き疲れたリョースケとオレは、やがて深い眠りの中へと落ちてった。