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EPISODE 11: FEEL ME FLOW / STRESSED OUT

 枕元で目覚まし時計がけたたましく鳴ってる。

 頭まで布団を被ったまま、中から手を伸ばして時計が鳴るのを止めようとしたけど、指先は虚しく宙を舞って、そしてその後に床を這うだけだった。しばらくもぞもぞと身体をくねらせて、ようやくく時計の上のスイッチに触れる──これでオレの安眠は無事に確保された。

 けど窓の外からは、さっきまで目覚まし時計の音がうるさ過ぎて気づかなかった、鳥のさえずりがひっきりなしに聴こえ始めた。どうやらオレの安眠を妨害する朝の敵は、この目覚まし時計だけじゃなかったみたいだな、クソが、絶対許さねぇ。

 あーうっぜ、静かに寝かせろってんだ、damn it!!

 昨日は──日付としてはもう今日だったけど──遅くまでテスト勉強をしてたんだ。一夜漬けだけど、事前に出題範囲が先生から予告されてたから、きっとこれなら赤点にはなんないはずだ。あんま得意じゃない教科だからこそ、最低限の労力で切り抜けるのが得策ってもんだろ?

 正面からぶち当たって血のにじむ様な努力を重ねたとしても、それが必ずしも報われるとは限らない── how the world works, それが世の中ってもんだろ? 意味の分かんねえ根性論で苦手を克服しようとするなんかより、同じ労力をかけんのなら得意分野にリソースを注ぎ込んだ方がよっぽど気分も調子も良いってもんだろ?

 大体、ya said no pains, no gains, ya for real, 『苦労をしなければ得られるものはない』とか言ってくる様なヤツらは、自分が苦労をしてる事に快感を覚えてるマゾか、自分が苦労をしてるんだから周りも自分と同じかそれ以上の苦労をしないと釣り合わないって感じる、『こんなに苦労してる自分かわいそう』ってのを『そんなの常識だろ』って言葉に巧みにすり替えて、歪んだ価値観を押し売りしてくる迷惑野郎のどっちかだ。そんな下らないヤツらの話になんて、一切耳を貸さなくて良い。単に時間のムダだ。

 とりあえず午前中のテストさえ終われば、今日は午後から自由だ──午後からの予定はどうすっかな、級友とメシでも行くか? それとも久し振りにひとりでツーリングでも出るか? 今日は天気も良さそうだから、誰かを後ろに乗せても良いし、のんびりどっかへ、空港にでも行って離着陸する飛行機を眺めてくるってのも良いよな。テストさえ終わっちゃえば後は自由だ、テストさえ終わればな──あ? テスト?

 「Damn, holy shit!! (うおっ、やっべ!)」

 オレは勢い良く布団を跳ね上げて、身体を起こした。

 まずは頭ん中で鳴ってる音楽をかけよう──今朝の曲はどこだ、scratchin’ wax sleeves on, see, これだ! ターンテーブル廻してっと── listen, "Roar-roar" is my mornin’ call , the Lion-Tiger (woke up?), I'm gettin' hopes up a day, routines I bust, and the rhymes that I write, and I'll be busting routines and rhymes all night, like eating burgers or fries and you'll be baking apple pies, man, I'm on time, homie, that's how it goes, you heard my style, I think you missed the point, it’s the joint!!

 Rockin’ 2 the vinyl spins, 足先と顎先でリズムを取りながら足早に洗面所へ駆け込む。

 鏡には、寝癖でボサボサの髪に無精髭を生やして、寝ぼけた自分の顔が映ってる。思春期真っ最中のオレはその心身の成長に合わせて、かなり濃い髭が生える様になった。けど全部を剃っちゃうと、まるで自分じゃないって不思議な感覚になる。だから、ハサミと剃刀で常に長さと形を整えて、顎髭だけを生やす様にしてる。これが意外と、髪型よりも気を遣う。

 自分でもその独特の感覚を上手くは説明出来ない。けど、like cat’s whiskers, 自分の顔に髭が生えてないとまるで落ち着かない、ってのは確かだ。完全に髭を剃った状態に戻すなんて絶対に無理だし、むしろ気持ち悪い。つい数年前までこんなに生えてなかったのに、今やこの髭が当たり前の姿になった。いつもと変わらず、今朝もオレはハサミと剃刀で髭の長さを整える。

 顎下から喉にかけての首周りの髭は、まばらにしか生えないから綺麗に剃る。首周りに剃刀を当てると、毎回必ず肌が赤くなって、そしてかゆくなる。バーバーに行ってプロにやってもらった時でも必ずそうなるし、どれだけ保湿してもそれは改善しない。頬や顎周りに剃刀を当ててもこうはならないから、単に肌が弱いって訳でもない。毎朝の事だから、もう気にもしなくなった。

 Chokin’ my jugular, my life’s like a circus ‘cause I be a Lion-Tiger, ya know, so I gotta keep jugglin’ so far, こんなに赤くなるとか、昔、クソ両親に何度もしめられたのを、首がまだ覚えてんのかな──首が覚えてる、とか結構ウケるよな。あれ、今オレどこ剃ってたっけか?

 今オレが在籍してる高校は通信制高校で、決められた制服もなければ服装に関する厳しい校則もなかった。前に在籍した高校は理不尽な校則で生徒を縛りつけてて、しかも先公達はそうして良い権利が自分達にはあるんだってバカみてえに思い込んでた。しかももっと笑える事に、オレの周りの生徒達は先公達からそう扱われる事に、何も疑問を感じてもいなかった──全員揃ってバカかよ?

 I be only my own self, 何で他人が勝手に用意した価値観に合わせて、自分の形を変えなきゃなんねえんだよ? 先公の頭もおかしいけど、思考を停止させてる周りの生徒達の頭も充分におかしいし、その事に誰ひとり気づけてないってのがイタ過ぎる、マジで気持ち悪かった。

 オレは中学と同じ様に高校にも次第に寄りつかなくなって、アルバイトに明け暮れる様になって、cut any classes for good, better lines, drip-dropped out, but it doesn’t mean I be a real quitter, ya feel me, やがて最初に入学した高校を中退した。

 アルバイトで貯めた金はそのほとんどが二輪免許取得やバイク購入、服やブーツやスニーカーの一式を揃えたり、本やレコードを買う為の費用になった。自分のスタイルや信念を貫く事が、オレにとっては大事だった──けどそうしてるうちにやっぱし英語の勉強がどうしてもやりたくなって、オレは2コ目の高校、今の通信制高校に学期途中で編入した。

 Two gold pierces wit’ piercin’ gaze stayed golden tunes, オレの耳元にはピアスがついている。都心の怪しげな雑貨屋でピアッサーを買って、自分で引き金を引いて開けたんだ。別に痛くなかったし、そんなに血も出なかった。穴が固定されてからはファーストピアスを外して、純金のシンプルなピアスを購入して入れ替えた──やっぱゴールドって良いよな、シルバーも良いけど、オレはゴールドの方が好きだし、何よりもこのオレに良く似合うからな。

 中学の頃に本屋で見かけたバイク雑誌に写る格好良いライダー達は刺青を入れているだけじゃなくて、皆んなピアスや派手なアクセサリーを身につけてて、どのモデルさんの服装も格好良かった。刺青は入れて良い年齢にまだなってないから指を咥えて眺めるだけだけど、二輪とピアスなら今のオレでも手にする事が出来てる。

 口を開け、鏡の中を覗き込みながら歯を磨く。

 For real, my canines been for wild beasts, no fuckin’ way, オレの犬歯はやたらと大きく、そして尖ってて、笑うと良く目立つ。

 あまりにも大きくて尖ってっから、食事の時に油断してると自分で自分の口の中や唇を噛んじゃう事もある。その様子を見た周りの連中からは、マジでお前は人間じゃなくて獣だよなって良く笑われる。この前キスをしたヤツなんて、オレの犬歯が当たって痛いとか言い出した。’kay, sure, I gonna bite ya to death, huh, ならいっそのことマジで噛み殺してやろうか?って思った。

 中学を卒業するまでは、鏡の前で落ち着いて歯を磨ける様な環境じゃなかった。それに、今でも鏡の前に立って、その場で歯を磨き続ける事が出来ない。落ち着いてなんて磨けなくて、足が勝手にその場を離れようとする。何度注意されても、何でか直せない。

 キスをした他のヤツは、オレの奥歯に1本残らず銀歯が被さっているのを目ざとく発見して「食べたら歯磨きちゃんとしなよ?」と笑いやがったから、オレの気が済むまで徹底的に殴り続けた。ちゃんと歯磨きしたくても、それが出来る環境じゃなかったってだけだ。別にオレの意思じゃない。平和な家で生きてきたヤツには一生分からない。

 子供の頃、与えられた歯ブラシはずっと使い古されたままで、毛先が大きく曲がってても新品には取り替えてもらえなかったし、自分の意思で新品に取り替えるとその新しい歯ブラシはクソ両親の手でゴミ箱に捨てられた。正しい歯の磨き方ってのをクソ両親から教わった事だってない。学校の健診で怒られても、オレ自身にはどうしようも出来ない。もし次に笑われたら、今度こそ殺すか──ん、上の奥歯ってもう磨いたっけか? 思い出せねえから、もう一度磨いておくか。

 水道の蛇口を捻って、寝癖のついた髪の毛を水で濡らしてから整髪料を手に取る。

 I do like Mohican style where it’s at, not Mohawk, it’s on the wrong way, don’t ya know, 頭頂部の髪の長さは短くても長くてもどっちでも良いんだけど、耳周りから首元にかけてだけは常に短く刈り上げてないとダメだ。耳に髪の毛がかかるとひたすら不快でしかなくて、これもまた不思議とどうにも落ち着かない。まぁいっつもバイクのヘルメット被ってっかんな、耳周りの短い髪型の方が楽なんだよな、蒸れんの嫌だし。

 手のひらに伸ばした整髪料を、鏡を確認しながら髪に馴染ませる。髪色は茶髪や金髪、白髪染めとひと通り試して楽しんではみたけど、結局自分には白髪混じりの元の髪色のままが一番似合ってんだなって分かった。何事もやってみなきゃ分からない。四の五の言わずにまずはやってみて、ya gotta give it a shot, その結果に自分が納得さえ出来りゃあ次に進めるってもんだ──おっし、髪型キマッた。

 Umm, what fits for today, 今日の服は何にすっかな、こないだ買ったヤツにするか。あ、畳んでしまっとくのすっかり忘れてたわ、壁にかかったままじゃん──まぁ別にどうでも良いけど。

 オレは Lee のデニムに足を突っ込んでから、X-Large 製の派手なヒョウ柄のスウェットと、Columbia 製のベストを手に取って羽織る──どっちも都心にある海外買い付け専門の古着屋で格安で見つけて買った。地味な色の服も嫌いじゃないけどオレにはあんま似合わない、それよりも人が敬遠する様な派手な色柄や原色の方が似合ってしまうんだよな──オレのセンス良過ぎか?

 Tellin’ my truth, want me fits of the day as Tommy Hilfiger ‘n’ Ralph Lauren, or some like that, さすがに新品で全部を揃えるだけの金はない。本やレコード、バイクのガソリン代を払うので日々精一杯、節約も必要だ。まぁここでいくらぼやいてみても仕方がない。

 さて、ギンガの朝の散歩に行くか。携帯電話は──持ったよな。Oops, やっべタバコ買うの忘れてた、散歩の途中で買うか、小銭持ってこ。あれ、靴はどこだ? Damn, here I go again, あーオレの部屋だった、また戻んのマジうっぜ。

 Kickin’ on my Adidas’ Superstars, これは反抗心を持つヤツや世の中の主流に馴染めないヤツにとってのアイコン、マストアイテムみたいなもんだ。靴底のグリップ感も最高で、どんだけ走ったり跳んだりしても潰れない。つっても犬の散歩に行く時、靴紐はちゃんとしっかり結んでるけど。Timberland は泥で汚したくないから今は履かない、それは街に出る時やバイクに乗る時のオレなりの正装だ。

 「Mornin’ bro, ギンガ。Let's hit the streets, dancin’ in the streets, all we need is music, sweet music, there'll be music everywhere, swingin’, swayin’, and records playin’, so we dancin’ in the streets, yo-yo, 散歩行こうぜぃ?」

 散歩用の頑丈なナイロンリードを左の手首に通して家の外の犬小屋に出向くと、ギンガもとっくに目を覚ましてて尻尾を振って出迎えてくれた。オレがかがんで庭の上に胡座 (あぐら) をかいてギンガの頭をなでると、ギンガはオレの顔を舐め回して、オレ達はいつもの朝の挨拶を交わす。

 オレの成長と一緒に同じだけの年齢を重ねて、気づいたらギンガは老犬になってた。

 シベリアンハスキーって犬種に限らず、大型犬全般の平均寿命って言われる年齢になったギンガは、見る限りじゃ毎日元気そうにしてる。本気のダッシュ練だって今まで通りに毎日やってるし、今のところ大きな異常はなさそうだ。

 ただ、今までは残さず食ってた缶詰の肉を、皿の端に少しだけ残す様になった。顔周りの黒いクマ取り模様の毛並みにはだいぶ白髪が増えたし、毛艶もなくなってきてる──けど、オレにとっての一番の変化は、ギンガの匂いが変わった事だ。

 ギンガの身体からは、I know ya, 生き物の命が終わる時の、死の匂いがする。

 その時が少しずつ近づいてるのを、オレは日々の中から充分に感じ取ってた。オレにとっては心を許した唯一無二の兄弟だ。出来るだけ考えないようにって頭ん中から追い出しても、それは何度でも繰り返し、向こうから勝手に足を運んでくる。

 見上げた朝日はまぶしくて、吹き抜ける風はさらっとしてて心地良い。Here we go now, now hola if ya hear me though, come and feel me flow, 今日も一日天気が良さそうだ。



 「ジンさん──後んなってからこの金回収したりしないよな?」

 オレは目の前に置かれたトレーを眺めながら、右眉を吊り上げて訝 (いぶか) しむ。

 「大丈夫、んな事しねーから! ほらタイガ、ソウタも、そっちの島も遠慮せずに食えって!」

 オレのとなりに座るジンさんが自身の右手を大きく前に広げながら豪快に笑い飛ばす。この人の声量はその身長のデカさに見合って、such a yeller, barkin’ it loud, 店内に流れるうっせえ音楽の音量に負けないぐらいにデカくてうっせえ、ついでにジェスチャーもデッケえ。けどジンさんの声は嫌な音じゃない。むしろ低音の声質がオレの耳には心地よく聴こえる──デケえけど。

 「あらー相変わらずジンは信用ないのねぇ」

 「はぁ? 違えから! これはいつものこいつの、愛情の裏返しだから!」

 オレの右斜め前に座るユッコさんが、今日もジンさんをからかって遊んでる。毎度余裕のあるユッコさんに比べて、ジンさんの焦ったみたいな返しは割といつも本気っぽく聞こえる。ユッコさんは興奮して早口になると声が高くなるから、その時だけは近くにいるのがちょっとしんどい。

 「やったーじゃあ頂きます、ジンさんありがとう!」

 ユッコさんのとなり、オレの前に座るソウタが軽く頭を下げてからトレー上のハンバーガーをひとつ手に取った。ソウタは今日のメンツの中では最年少のひとり、年齢はオレのひとつ下で、いつも優しくて、真面目で、礼儀正しいヤツだ。柔らかい声質だからオレの耳にも優しい。

 最初に出会った時には何かすっげえ野暮ったい格好だったけど、オレ達とつるむ様になってからはずいぶんと外見にも気を遣う様になった。Good choice, he’s rockin' Champion’s hoodie wit’ reverse weaves, 今日は前にオレが古着屋で一緒に見つくろってやった、Champion 製の格好良いパーカーを着こなしてる。

 オレもソウタに続いてジンさんに向けて軽く頭を下げる。今日のオレ達の昼メシはジンさんのおごりだ。ジンさんは定期的にオレ達にメシをおごってくれる──主にファストフード限定で。

 「ジンさんあざーっす、ゴチになりまーす」

 オレ達の4人席のとなりの島では、早くもトレーの上の争奪戦が始まってる。

 「あーそれオレのー!」

 「良いじゃん、ちょっとぐらい味見させろよ。ちゃんとオレのも分けてやるって」

 「あぁうるさい! ったく静かに食えんのか!──ジンさん、今日もありがとう」

 「ジンさん、いつもご馳走様です」

 ソウタと同い年で同じく最年少のリョースケ、オレのひとつ上の気安いシンヤくん、チーム最年長のひとり、厳ついリーダーで真面目なコータローさん、そしてそのコータローさんと同い年、いつも冷静なタカヒロさん、they’re beasts, flippin’ tha script wit’ ill moves, straight outta the block, オレ達のクラス内で結成されたストリート・ダンス・チーム、”The Wolf Pack” の4人だ。

 この4人、出身の中学校ではそれぞれ何かの球技系の部活に入ってたらしくて、全員運動神経は抜群だ。普段の動きを見てると、確かにボールをどこまででも追いかけて行きそうな、イヌ科の動物っぽい独特の雰囲気がする。何つうか、学校でもギンガの散歩してるみてえな気分になんだよな──4人全員がそんな感じだから、このチーム名に嘘偽りはねえよな、ってオレは思う。

 コータローさんは低音、タカヒロさんは中低音で2人とも落ち着いた声質、シンヤくんは中低音で良く通る声、リョースケはいつも怠そうにくぐもった声を出すけど、遊ぶ時だけははっきりと中低音の声を出す。どれもオレの耳には良い音として聴こえる声ばかりだ。

 「それじゃあ今日のテスト、お疲れ様ー!」

 We the new skool kids, nothin’ ‘bout Pepsi generations, 冷たいコーラのカップを手にしたユッコさんが号令になって、待ちかねた昼メシの時間が始まった。オレはてりやきソースのハンバーガーを選んだ。指でつまんで包装を開ける──良い匂いだ。それにこの甘塩っぱい味は何度食べても変わらず美味い、最高だぜ。

 オレ達が所属する通信制高校には教室、職員室、トイレとかの最低限の機能があるってだけで、購買部や食堂は併設されてない。だから休憩時間は校舎外に行っても良いし、昼メシだって外で自由に食べて来て良い事になってる。そもそも通信制の学校だから、大勢の生徒が校内に1日中屯 (たむろ) するなんて状況は最初から想定してないって事だ。

 けど購買部や食堂がなくても、こうして昼メシを食いに外に出られるって事は、choice’s yours, choice’s mine, 生徒に『選択の自由』があるって証拠だ──自由は何よりも大事だ。

 Distance yourself from the deadbeat bandwagon, ‘cause we the long-distance students, 通信制だから、レポート課題を郵送で提出すればクリア出来る教科の割合が圧倒的に多い。Don't get in a funk, get funky wit' your fang, if never saw the light of the day, even in deep-dope shadows, けど出席したかったら自分の意思で学校に登校して、普通の高校と同じ様に授業を受ける事も出来る。オレも、興味ある科目や分かりやすく教えてくれる先生の授業に『だけ』は登校して授業を受ける事にしてる。家とバイトの往復だけじゃ人生、just ‘bout same old, same old, 息が詰まる。

 つっても選択科目によっちゃ毎回出席を求められるものもあって、例えば美術や音楽なんかの実技系を選択すれば、『スクーリング』っつって実際に学校に登校して授業を受ける必要がある。それに、テストに関してはほぼ全科目、ちゃんと登校してテストを受けなきゃいけない。いつか家にいながら、部屋から一歩も出ないででもテストを受けられる日が来りゃ良いのにな、damn, what a shit drag, あーマジ面倒臭えなぁ、といつも思う。

 体育の授業に至っては専用の校庭自体ないもんだから、学校近隣の陸上競技場や体育館を貸し切って1日がかりでやる。複数の日程や時間単位で借りるよりも費用は格安で済むし、生徒もこの日1日さえ参加すれば体育の単位がもらえるから分かりやすい──つまり、年に何回も体育祭があるみたいな感じだ。リョースケとシンヤくんはマジでこれに命をかけてて、めっちゃ真剣に参加してる。身体動かすのはオレも好きだけどさ、でもさすがに1日ずっとはダルくねえか!?

 「かーっ、やっぱコレ! ハンバーガーはこの味よ!」

 ジンさんはこのファストフード店に来ると、チーズと肉が2枚ずつ重なったハンバーガーを毎回必ず注文する。ジンさんが言うには、この味以外はハンバーガーだと認めねえ、だそうだ。

 今日も Carhartt 製の着古した作業着で登校して来たジンさんは、wearin’ a hardhat, gridin’ through on the ground, 普段は建設業で働いてる。中学卒業後に入った高校を中退した後に何回も警察の世話になって、やがて建設業者の知り合いに拾われて働き始めて、そこの社長の指示で今の通信制高校に入り直したらしい。

 中学の途中でジンさんの両親は離婚して、お母さんと一緒に暮らしてたらそのうちに再婚して、けどジンさんは新しい父親と上手くいかなくて、そのうちに殴られるようになって、ジンさんは荒れて、毎日バイクで暴れまくってたんだ──って、ジンさん本人がそう教えてくれた事がある。

 中学の頃に亡くなった叔父さんの組の人達と何となく同じ雰囲気を感じて、ジンさんと一緒にいるとオレは妙な安心感を覚える。

 「あんたっていっつもそればっかりじゃん、たまには他の味に浮気でもしたら?」

 ユッコさんがあきれた表情をしながら、1本の長いフライドポテトをつまんでジンさんに言う。

 今日のメンツだとオレ、ソウタ、リョースケ、んでシンヤくんの4人が未成年、そしてジンさん、コータローさん、タカヒロさん、ユッコさんの4人が成人組、old heads to young bloods, cross-generational dudes in one pack, けどオレ達は同じクラスで一緒に勉強してる級友だ。

 最初に顔を合わせた時からオレとこの7人はすぐに打ち解けた。初めて会った気がしなかった。これもオレに良くある普段の感覚、既視感、déjà-vu (デジャヴ) のひとつなんだろな、って思う。

 中学ん時は同年代と話が合わなくて1人で行動してばっかだったけど、この学校は年上の人達が多くて話が合うから、ものすごく居心地が良い。年下のヤツらも可愛い弟みたいなもんだ。きょうだいのいないオレからすると、一気に仲の良い家族が増えたみたいな気がして、顔を合わせられる、話が出来るってだけで、他に何も用事がなくてもいつも嬉しかった。

 「良いんだよ、俺はこの味一筋なんだよ。それを言うならこいつだって、いっつもてりやき味のヤツしか食わねんだぞ?」

 ジンさんはムッとしながら、親指を立てた右の拳の先をオレに向けつつ話題の矛先 (ほこさき) をオレにすり替えてきた。けどユッコさんは追撃の手を緩めない。

 「あっはは、どーりであんたら気が合う訳だわ、バカのひとつ覚えってヤツ?」

 「んだとぉ!? そのポテト、今すぐ吐け! おごった俺に返せ!」

 ジンさんとユッコさんは仲が良い。もしかしたら、つき合ってるのかもしれない。でもオレからはその事実の確認をする事もないし、しようとも思わない。Even if down wit’ o.p.p., プライベートに土足で踏み込んでその中身を暴く権利なんて、赤の他人にはない。オレ達のクラス2年A組は、その事を良く理解してるヤツが多かった。

 この通信制高校に在籍してるヤツは皆んな、それぞれの事情を抱えて、ここに来るまでに紆余曲折 (うよきょくせつ) のドラマがあって、最後にようやくここに辿り着いたってヤツばっかだ。多少の差はあっても、皆んなそれなりに修羅場 (しゅらば) の数は踏んでる。だから、誰も余計な事は聞かないし、言わない。本人が目の前で話す事以外はほとんど信用されないから、they ain’t my vibes, worth my times, back-stabs, thrown-shades, grapevines, ‘n’ any scores more, 必然的に誰も余計な詮索してこないし、妙な噂話だって起きない。

 それに必要があれば、きっとそのうち2人から報告があるだろうし──結婚する、とか、子供が出来た、とか? すぐに知らされない、公にしないのには、そこには何かしらの理由があるもんだ。だから教えてくれる時が来るまでそっとしとけば良い。その事を皆んなが分かってる。

 ユッコさんの事も、gonna be a long night, it’s gonna be all right on the nightshift, ya found another home, I know ya be not alone on the nightshift, 普段は夜の商売をしてるって事ぐらしかオレは知らない。それぐらいしか知らないけど、学校で会えば必ず話すし、こうしてメシも一緒に食う。

 ユッコさんはオレ達みたいに男同士で盛り上がるのと同じ様に、女同士でつるむ様子を教室内ではあんまし見せない。今までの生活がそうさせてるのかもしれないし、それよりもオレ達が思ってる以上に女同士ってのは大変なのかもしれない。陰口言われてたりすんのかもしれない。だからオレ達は、ユッコさんを決して邪険に扱ったりしない。

 「そうだ、午後はどうする? もし予定空いてたら、一緒にゲーセン行かない?」

 ジンさんとユッコさんのバトルを聞き流しながら、ソウタがオレに話しかけてくる。

 出会った頃は級友に話しかけられてもオドオドして床を見るばっかだったソウタも、今じゃあオレ達みたいな外見のヤツらを目の前にしても普通に話せる様になった。ソウタは最初の高校で酷いいじめに遭って人間不信から学校に通えなくなって、この通信制高校に転入してきた。

 「Sure, bro, 良いね、いっちょ行くか! けど手加減はすんなよ?」

 ソウタは対戦格闘ゲームがすっげえ上手い。ゲーセンでオレやジンさんがどれだけ金を注ぎ込んで何度挑んでも、ソウタには勝てた事がない。オレ達以外に偶然居合わせた客からの挑戦もソウタは堂々と受けて立って、そして大体勝つ。それもたったのワンコインで、だ。悔しいけど、ゲームが好きなオレでもこの先、I can’t touch this, どうやらソウタには勝てそうもない──これがいわゆる『圧倒的な実力の差』ってヤツか?

 けどオレはあきらめの悪い男、になってみたい男だ、その挑戦、今日も受けて立ってやるぞ!

 ただ、オレのゲーセンの楽しみ方はちょっと変わってるかもしれない。携帯音楽プレイヤーで音楽を流して、それをイヤフォンで聴きながらオレはゲームをする。

 店のゲームの躯体の電子音、人の声、街の騒音、繰り返し光る画面が全部重なると、オレの耳や目は酷い痛みを感じちゃって、最悪の場合はその場で盛大にゲロを吐く──周りの皆んなマジごめん。それさえなけりゃゲーム自体は最高に面白いんだけど。

 だからオレはゲーセンって空間を皆んなと一緒に楽しむ為に、携帯音楽プレイヤーで音楽を流して、イヤフォンで聴きながら、音楽のリズムに合わせてゲームをする。こうすると入ってくる刺激の量を抑えつつ、オレでも楽しくこの場に参加出来る。オレのその様子を見て最初は皆んな不思議がってたけど、今はもう何も言われない。つーか誰にも文句なんか言わせねえ。文句あんならかかって来いよ? 人生の楽しみ方、スタイルは人それぞれだろが? あ?

 「俺も行くぞ! この間のリベンジマッチだ、覚悟しろよ! その後はカラオケつき合えよな!」

 ジンさんが指差し息巻いて、ソウタを挑発しようとする。

 ジンさんは歌が上手い。ジンさんの低くて落ち着いてる普段の話し声も、オレの耳にはいつも心地良く響いてるけど、カラオケに行くと毎回高得点連発するほどジンさんは本当に歌が上手い。ピッチも毎回正確だし、何よりも声量が半端ない。一緒にカラオケに行く度に聞き惚れちゃって、勉強なんかしてないでさっさと歌手になっちゃえば良いのにな、っていつも思う。

 オレは歌うのは出来ないけどラップとハモリなら出来るから、歌とラップが混ざった J-Pop の曲をオーダーして、メロディの部分をジンさんや他のメンツに歌ってもらって、on and on, to the break of dawn, てな具合に行きたいッスね、いッスね、yeah, なーんてねっていうんですか緊張感、分析出来ない、fallin’ in love, 大人も子供も共感の好きっ好きっ、power ‘n’, いい感じっ!とラップ部分をオレがライミングしたり、boybandin’ it up, singin’ along the bridge as the band, ボーイバンドを気取って真似をしてハモったり、メインボーカルと一緒にシンガロングするってのが毎度お決まりのパターンになってる。

 けどゲームとなると、ジンさんはお世辞にも上手いとは言えなくなる。そんな挑発しちゃって大丈夫かな、前回一緒にゲーセンに行った時、新作の格闘ゲームでソウタに何度も対戦を挑んで全戦全敗、フルボッコにされたのをジンさんはもう忘れたんかな、けど忘れるって大事だよなぁ。

 対するソウタは余裕の表情で応えた。

 「フッ、同じ技ばっか使おうとするジンさんが、この俺に勝てるとでも?」

 「あっ、お前今、鼻で笑ったな!?」

 ソウタの挑発にまんまと引っかかるジンさんに、ユッコさんが追い討ちをかける。

 「あんたまさか、ゲームでもバカのひとつ覚えだったの?」

 「うっせぇ、俺には俺の思い描く、理想の勝ち方ってのがあんの!!」

 「はいはい、ジンさんあんま声デケぇと店の人に怒られっから。その辺でストーップ、’n’ cut it out, コータローさん達も行くだろ? あ、もしかしてこれから練習?」

 このまま放っておくとジンさんの声はさらにデカくなる一方だし、応戦するユッコさんの声も次第に高くなってって、そのうちにオレの耳は痛みで耐えられなくなる。マナー違反の指摘を装いながらも、自分の耳を守る為にオレは2人の痴話ゲンカを止めて、手にしたハンバーガーの残りを一気に口に突っ込んでから、となりの島のコータローさん達にも予定を聞いた。

 「おう、俺達はこれからみっちり2時間練習だ。My bad, タイガ、また誘ってくれ」

 コータローさんはジンさんと同じ様に背がデカくて、コワモテで、ガタイも良い。

 母親は日本人、父親は米軍基地の海兵隊員、けど父親は結婚も認知もしないまま帰国、コータローさんは日本人の母親が1人で育てた。瞳の色、髪の毛の色のどっちも赤みがかっていて明るいけど、その見た目に反して英語はあんまし話せない。オレとの会話で、オレと同じ様にスラングを少し使うって程度だ。けどそれだけでもオレは充分嬉しいから、オレもコータローさんにはスラングで話しかける。

 その見た目──本人にそのつもりが無くても普通にしてるってだけで凄まじい威圧感があって、ただその場に立ってるだけで抑止力になる、って感じで、実際、コータローさんの普段の仕事はクラブやライブイベントのセキュリティだ。人からビビられる外見してるけど、he’s solid, a real red-eyed samurai, 中身はめっちゃ優しいし世話焼きだし、意外と真面目で堅物だったりもする。

 そしてチームのリーダーであるコータローさんがこうして予定を管理して仕切ってくれてるってのに、チーム最年少のリョースケは相変わらず気ままに振る舞おうとする。

 「えー俺、今日タイガとも遊びたいなー、コータローさん、今日練習休もう?」

 リョースケは前の高校で派手なケンカ沙汰を起こして退学になって、今の通信制高校に編入してきたやんちゃなヤツだ。口は悪いしケンカっ早いしで、前の高校を退学になったのも良く分かる。けど別に本人に悪気がある訳じゃないし、腹の奥底に敵意を秘めてるって訳でもない、とにかく素直、オモテウラなし、その時の自分の気持ちにただ正直なヤツってだけだ。I know ya, オレと良く似たタイプだよなって思う。

 シンヤくんが早速リョースケに釘を刺した。

 「何言ってんだよ、スタジオ借りて金かかってんだよ! それに今度のイベント、タイガや皆んなにも観に来てもらいたいって一番騒いでたのお前だろ? だったら皆んなに観せられる様に、ちゃんと練習しろよな?」

 「けっ、シンヤくんはいっつも正論ばっかじゃん、俺は気分転換も大事だって言ってんの!」

 リョースケも負けじと応戦して、今日もビーフが始まった。さて、今日はどれくらい続くかな。

 けどリョースケの言いたい事も良く分かる。オレと似てる部分があるからこそ、オレとも良くケンカになるけど、this dude’s solid, a real one, それでもオレはリョースケの事を信頼してる。こいつの言葉に嘘はないし、嫌な匂いだって全然しない。

 「何だよ、お前こないだのパワームーヴ全然出来てなかっただろ、悔しくないのか? 俺は出来るぞ? 悔しかったらもっと出来る様になってみせろよな? それにな、リョースケ、敬語は使わなくて良いっつったけど、俺はお前より2つも歳上だってのを忘れんなよ?」

 未成年ではあるけどリョースケよりかは確実に人生の先輩であるシンヤくんを見てると、年長組と年少組の間に立つ中間管理職みたいな立ち位置だよな、これがサラリーマンの悲哀ってヤツかーって思ってしまう。多分、コータローさんとタカヒロさんの2人がいつも落ち着いて堂々と構えてるからなのか、シンヤくんみたいなキャラクターが4人の中では貴重な潤滑剤になってんのかもしれない。

 「タイガ、気にするな。そっちの4人で楽しんできてくれ」

 リョースケとシンヤくんがビーフでギャンギャン吠え続けてても、he’s like a quiet storm 24/7, 相変わらずタカヒロさんはポーカーフェイスのまま、余裕の対応だ。

 タカヒロさんとシンヤくんの2人は、グラフィティが上手い。ダンス・チームとは別にタカヒロさん、シンヤくん、そしてオレの3人で “B.R.O.H.; Beasts Ranged Over the Hood” っていうグラフィティ・クルーを組んでる。

 ときどきこの “B.R.O.H.” の3人で真夜中に出かけて、bombin’ some throw-ups and burners, 河川敷の高架下、ちょっと高い位置にある看板、誰も通らなそうな街中の小さなトンネルの壁に、スプレーでグラフィティを描きに行く。人通りが多くて描いてるいちにすぐ通報されそうな場所には、slappin’ our tag stickers, あらかじめグラフィティを描いておいたステッカーを貼りに行く。

 We the crew, I be a tagger, good at hittin’ tag stickers, オレはステッカーサイズを描くのが一番得意だけど、they be bombers, good at hittin’ them every wall wit’ sprays, タカヒロさんとシンヤくんはスプレーが得意だ。そしてタカヒロさんはカラフルで、文字としても読みやすいグラフィティ制作が得意、対するシンヤくんは複雑で難解、パッと見で文字とは判別しづらいグラフィティが得意で、a tagger wit’ stickers, a bomber wit’ pieces, ‘n’ a graffer goes wild, “B.R.O.H.” はそれぞれの個性を持ち寄って活動してる。

 ”The Wolf Pack” の残りの2人、コータローさんとリョースケは参加しない。コータローさんはちょっと興味はある癖に根が真面目で堅物だから、ya know, he be a wall-watcher, or bomb-cops, huh, 公共の壁に描くグラフィティの事をあんまし快く思ってない。

 リョースケに至っては『ダンサーとして夜は寝る大事な時間だから行かない』っつう単純明快な理由だけど、自分の身体のリズムがちゃんと分かってて、そして自分はそれを優先させる必要があるってちゃんと理解出来てるからこそ、リョースケは真夜中の遊びの誘いをこうもあっさりと断れる。オレはとても自然で、尊重されるべき考え方だっていつも思う。

 無理をしてまで他人のリズムに合わせる必要なんてない。それは決してノリが悪い事を意味する訳じゃない。だって、ridin’ my boogie, 自分自身のリズムにはちゃんとノッてんだろ?

 「Got it, 了解。今日ジンさんもバイクで来てんだろ? オレ、ソウタ乗っけてくよ」

 オレは肩をすくめて、タカヒロさんに応えてからジンさんに聞いた。今日は誰かを後ろに乗せる予感がして、オレは予備のヘルメットをバックパックの中に入れてから学校に来た。

 「おう、じゃあそっちは任せた──お前はどうすんだ?」

 ジンさんもハンバーガーを口にしながら親指を立てて応えて、ユッコさんにも聞いた。

 「私は行かなーい、ゲーム興味なーい」

 そう言ってユッコさんは食べ終わって出たゴミをまとめて、店内奥の返却口へとトレーを持って行った。ユッコさんはオレ達と一緒にメシだけは食うけど、それ以外の行動を共にした事がない。

 ジンさんと立ち上がったユッコさんの後ろ姿を見ながら、続けて席を立ち上がりかけていたソウタに声をかけた。

 「慌てんな、ゆっくりで良いぞ、ソウタ」

 「うん、ありがと。ちょっと手を洗ってくるよ、先に外行ってて」

 ソウタはテーブルに手をつきながら席から立ち上がって、片足を引きずるみたいにして手洗いに向かって歩き出した。オレの後ろではリョースケとシンヤくんがまだしつこくビーフを続けてる。本当に仲良い2人だよなぁ、あーうっせぇ。

 ソウタは生まれつき左足が不自由だった。日常生活を送る上で車椅子や補装具、杖を使ったりするほど症状が悪いって訳じゃないみたいだけど、長時間歩き続けたり立ち続けたりなんかすると左の股関節に痛みと疲れが強くなってキツいんだって、前にソウタ本人が教えてくれた。

 この身体の症状とソウタ独特の歩き方が周りよりも目立って、前の高校じゃきっと嫌な思いをしたんだろう。けど今の通信制高校じゃソウタを笑い者にするヤツなんかひとりもいない。見た目が少し違ってても、人と同じ振る舞いなんて出来なくても、he’s solid, also a real one, ya know, ソウタは優しくて、真面目で、礼儀正しくて、その笑顔はいつも陽だまりみたいに温かくて、そしてゲームの腕前は人並み以上だ。ソウタのその人格や才能を否定したりバカにしたりする事は、この世界の誰にも許されてない。

 オレは手洗いに向かうソウタの背中に、小学校の頃に仲の良かった級友、カンちゃんの姿を重ねてた。口数は少ないけどゲームが上手くて、けど身体が思う様に動かせなくなって、いつの間にか疎遠になって、小学校を卒業してからは顔も見てないカンちゃん──オレだって10代後半になったんだ、きっと今じゃカンちゃんだって背が伸びて、小学校の頃の記憶の姿のままじゃないんだろうけど──オレみたいにピアスしてたりすんのかな、さすがにそれはないか?

 カンちゃん、どうしてんのかな、元気してっかな?

 I wonder how that, カンちゃんとは違う病気、置かれた状況も全然違うって頭じゃ分かってても、カンちゃんと似た雰囲気を持つソウタの事は、何となく放っておけない。

 ──でも理由は、似てるから? 本当にそれだけか?



 店の外ではユッコさんがメンソールのタバコに火を点けて、だるそうにしてる。練習に向かう ”The Wolf Pack” の4人にも挨拶をした後、オレはバックパックから予備のハーフヘルメットを取り出して先にソウタにパス、すぐ戻るからここで待ってろよって言い残して、赤マルに火を点けながら学校近くに停めておいたバイクの駐輪場まで向かった。

 ジンさんは駅の近くに停めてあるからって、オレと別れて歩いて行った。ジンさんのバイクは YAMAHA XJR 1200 っつう大型二輪で、小さめの駐輪場だと利用を断られる事もあってか、普通自動車と同じ屋内の大型駐車場を好んで利用してる。ジンさんの大柄な身体には XJR1200 みたいな大型二輪が良く似合う。

 駐輪場にはすぐ着いた。

 ──オレの愛車、KAWASAKI ZEPHYR400。

 名前はギリシャ神話に登場する風神を由来としてて、フロントにはカウルを装着していないロードスター型 (ネイキッド型とも呼ばれる) で、『ロードスター』(roadster) ってのは本来、長距離移動用の乗用馬、って意味だ。

 メインボディのカラーリングはやや黒みがかった赤色、まるで血の色みたいなこの独特な色合いを、オレはめちゃくちゃ気に入ってる。正式には『ルミナス・ビンテージ・レッド』って呼ばれる特別な色なんだぞ、とバイク屋の兄ちゃんが言ってた。『特別な色』だってのは良く分かるけど正式名、ちょい長過ぎじゃね?

 オレは車体の横にかけたダックテール型の黒いハーフヘルメットから鍵を外した。鍔 (つば) の部分を後ろ向きにして頭に被って、両耳下へと垂れ下がった顎紐のワンタッチバックルを留める。カチッと音がしてバックルが溝にハマッたのを確認してから、あまった顎紐を引いて最大まで絞り込む──これでヘルメットはもう動かない。

 続いてバックパックからケースにしまってあるサングラスを取り出して、耳にかける。このグラサン姿で皆んなの前に行くと、必ずリョースケから「それ、マジでカタギじゃないよね?」って言われる──良い勘してんな、ほめてやるよ。

 そして同じくバックパックの奥底からフィンガーレスグローブを取り出して、両手に装着する。指先まで全部を覆うグローブはどうにも苦手で、運転の感覚が掴みにくくなる。寒過ぎる真冬は凍傷を防ぐのに全体を完全に覆うヤツを使うこともあるけど、普段使うのにはできるだけ指先が出ているタイプがオレの好みだ。

 オレは車体の左側に立って、両手で左右のハンドルを支えながら、車体左下のサイドスタンドを勢い良く蹴り上げて解除する。そのままハンドルを押し引きして駐輪場出入口に向けて車体前面を回して、出庫しやすい位置に移動させる。

 車体の重心を軽く左に傾けて、右脚を上げてシートの上にまたがる。両脚を地面に降ろして腰を落ち着かせた後に、右脚でブレーキペダルを踏み込んで後輪ブレーキを作動させてから、左手の中指から小指の三指で左ハンドル下のレバーを引いてクラッチを切っておく。右手を伸ばしてパンツのベルトループからキーホルダーと共にぶら下げたイグニッションキーを取って、フロントパネル中央にあるシリンダーへと差し込んで右方向に廻すと、フロントパネル左の赤いインジケーターが点灯する。

 今度は空いた右手を右ハンドルの上にかけて、中指から小指を使ってブレーキレバーを引いて前輪ブレーキを作動させながら、右手の親指で右ハンドルの根本に在るセルスターターのボタンを押し上げる。すると軽快な音と共にエンジンが回転を始めて、眠ってた ZEPHYR400 はまた息を吹き返す。車体背面を挟み込むオレの内ももから、細かく揺れ続ける ZEPHYR の振動、心臓の鼓動を感じ取れる。

 クラッチを切って後輪ブレーキを効かせたまま、右手でアクセルを廻してエンジンの回転数を上げると、フロントパネル右上に設置されているタコメーターの針が勢い良く跳ね上がる。今日もこいつは機嫌が良いみたいだな。車体後ろに突き出たマフラーからはガソリンが燃焼した時の、バイク独特の排気臭が漂ってくる。左右のミラーを調節して、周囲に人影がないかの最終確認を済ませると、オレは血の色をした鉄の車体を右手で軽くなでて、右脚をブレーキペダルから離す。

 「おっし、行くか —Let’s roll out!!」

 左手のクラッチに遊びを持たせると同時に、右手で握ったアクセルをわずかに廻し始めると ZEPHYR はゆっくりと前に進み出す。

 通りに往来がないのを確認して、左の親指でウインカーを点灯させる。車体を傾けて進行方向を変えながらアクセルを更に廻して、クラッチを一度切ってから左脚の甲を使ってギアを2速に上げる。すると ZEPHYR のエンジンはさらに音を軽快に鳴らして、その速度を上げる。車体と速度が安定したら同じ手順で3速、4速へと段階的に上げていく。速度を上げるほどに肌で感じる風の心地良さは増してって、自分がまるで風に乗ってるみたいな不思議な気分になる。

 バイクに似合う音楽、ってものはこの世に確かに存在する。

 それはオシャレなボサノヴァでもなけりゃ、由緒正しいクラシックなんかでもない。風を切り裂いて駆ける鉄製のバイクには、やっぱ歪 (ひず) んだギターが激しく掻き鳴らされるオルタナティヴ・ロック、グランジ、シューゲイザーとか、強いビートとライムを刻み続けるヒップホップの方が似合ってる。もちろん、それらが合わさった音楽だったらそれこそ一番最高ってヤツだ。Like, spits my king Ad-Rock, and besides, Mike D, MCA, Whitey ‘n’ Danny fires, dats why I’m lovin’ it, ya feel me?

 もっとも、イヤフォンで音楽を聴きながら運転するみたいな、自分や他人の命を危ない目にあわせる行為なんて出来る訳ないから、あくまでも頭の中で曲をリフレインさせるだけだ。けどたったそれだけでも、気分は最高にハイになるんだ──オレの頭ん中自体が、ジュークボックスみたいなもんだからな。



 「この薬、これから少しずつ減らしていった方が良いと僕は思う」

 心療内科で新しい担当になった男の医者、クロキ先生は、オレのカルテを読んでギョッとした表情を見せた後に頭を抱えながらそう言った。

 今までの白い顎髭のジジイの医者よりも遥かに若い、顔立ちや雰囲気からすると恐らく30代半ばぐらいってとこか? 黒髪を短く整えてて、何かスポーツしてそうな感じで、医者にしちゃあ珍しく健康的な印象だ。そのクロキ先生の身体の使い方や表情をじっと見てると、like, a jaguar, a panther or somethin’ lithesome, 何となーく大型の、しなやかなネコ科の動物を連想させる。

 ジジイの医者は机の上に置かれたカルテばっか見てて絶対にオレとは視線を合わせようとしなかったけど、このクロキ先生はちゃんとオレの目を見ながら、落ち着いた調子で、分かりやすく丁寧にオレに語りかけてくれる──あのジジイ、マジで何言ってっか分かんなかったもんなぁ。

 にしても、なんかネコの目の奥を覗き込んでるみたいな、何とも不思議な気分だ──けどこの目はどっかかで見た事ある気がすんだよな。オレの déjà-vu (デジャヴ) がまた顔を出しやがった。

 「こんなのは、本来長く飲むものじゃない。しかも君みたいな未成年に出せる薬じゃないはずなんだけどね──何でこんな処方になってるんだか、何となく察しはついたけど──」

 ジジイの主治医は体調を崩して引退、代わりとなる新任の先生をお呼びしました、って張りついた笑顔を浮かべるいつもの受付の女の人がそう言ってた。今オレの目の前にいるクロキ先生こそが、引退したジジイの後任、オレの新しい主治医だった。

 そしてその新しい主治医が言う『こんなの』ってのは、of course, up johns, オレに処方されてる薬のハルシオンとか、そのハルシオンと一緒に出されてるたくさんの向精神薬全般の事を言ってる──今オレに出てる薬の種類は全部で6種類だ。どれがどれでどんな効果なのか、ずっと飲まされてるオレ自身、良く分かってねえけど。

 「前任のドクターが何を考えていたのかはもう確認しようがないけど、この薬は今の君にとってどれも良くないものばかりだと思う、しかもこんな大量に、何年も──これ、君が飲みたいって自分から言い出した訳じゃあないんだろう?」

 Damn, for real, ya be dope, オレは驚いた。このクロキ先生は、前任のジジイが勝手に作り上げた患者のイメージの中に無理矢理押し込めたオレじゃなくて、10代の未成年として毎日を生きてる、ありのままのオレの姿を見る力を持ってる──オレはクロキ先生からの誠実な問いかけに、自分のももの上に置いた握り拳に力を込めながら、無言で大きく頷いた。

 「じゃあ決まりだ、早速今日から減薬に取りかかろう。けど、急に飲むのを止めてしまうと、薬に慣れ切った身体が薬を求めて様々な反応を起こしてしまうんだ。

 『禁断症状』って言葉をどこかで聞いた事があるかもしれない。正確には『離脱症状』と呼ぶんだけど、眠れなくなったり、イライラしたり、胸の奥が苦しくなったり、時には頭やお腹が痛くなったりするかもしれない。だから、その症状を出来るだけ抑えながら、薬の成分を身体から抜いていくのに、時間をかけて少しずつ薬の量を減らしていく必要があるんだ」

 I know them, 覚醒剤とかコカイン、大量のアルコールなんかを毎日やり続けてると、それが無くなった時に禁断症状が起こるんだ、って何かのニュースで見聞きはした事がある。オレの飲んでる、この着色料塗れの水色の錠剤もそれと同じ症状を起こすんであれば、it be like dat after all, 今オレは危険な薬物を飲まされてんじゃねーか?っていう中学生の頃の直感はやっぱり正しかったって事だよな!?

 Barely hittin’ junior high, but already I be high as a young gun in wired, あの時は飲まないと精神病院にブチこむぞって脅されて、薬を拒否出来る状況じゃあなかったけど、その時にオレはもう人としての道を踏み外してたのかな──手綱を緩めれば今すぐにでも心の奥底の暗闇の中へと沈み込みそうになるオレの気持ちを察したのか、クロキ先生は改めて姿勢を正してからオレに優しく語りかけた。

 「何度失敗したって良いんだ、タイガくんは人と違った生き方で良いんだ。人生はトライ・アンド・エラーの連続、高校中退しても通信制に入り直して、しかも今はバイクが趣味なんだろ? タイガくんは立派だよ、自分の尊厳を守る術をちゃんと知ってる。目を見れば分かるよ。

 君は大人の勝手に巻き込まれただけなんだ。他人を監視して、管理したがる人間ってのはいつの時代のどんな場所にでもいる。けどこれまでにタイガくんが失ったものは、今からでもちゃんと取り戻せる──だから、今のご両親からは出来るだけ早く離れた方が良い。タイガくんにとって良くない環境だと思う。けど、すぐにそう出来なくても自分を責める必要もない。今はまず、僕と一緒に目の前の課題、減薬を頑張っていこう」

 オレは歯を食いしばりながらもう一度深く、そして力強く頷いた。



 オレは新しい処方箋を持って、心療内科のすぐそばの建物の中にある調剤薬局に行った。これまで処方内容がほとんど変わる事はなくて、どんな効果なのか良く分かってもない癖に飲めって言われた数だけは覚えちゃってたけど、今日の処方箋に記載されてる薬の数は、今までのそれとは全然違ってる──マジでちょっとだけ減ってる。

 Some day, back to zero, kickin’ this habit, fresh outta my joint, いつの日か、これがゼロになる時が来る、って事なんだよな? 精神病院に入院させんぞって脅し文句に怯える必要は、もうないって事だよな? じゃあこの数がゼロになったその時こそ、オレはこのクソみたいな状況からやっと自由になれるって事なんだよな?

 考えてみりゃ今のオレは中学生じゃなくて、もう高校生なんだよな──当時は自分が義務教育期間の年齢だって自覚してたから、いやいやだけど薬飲めよって指示に従ったけど、今はもうその理由もなくなってんだよな? クソ両親と一緒にいる理由だって、同じくもうないよな? 何だよ、じゃあオレもうそんなにビビんなくて良いんじゃねーか!? ──そう思ったら、オレはこれから先、自分の未来にも少しぐらいは希望があんじゃねーか!? って気がした。

 オレは薬局に置かれた安っぽい色合いの合皮製のベンチに座って、静かに順番を待ってた。周りの色んなクリニックの処方箋を受けつけてるから、薬局内は今日も酷く混み合ってる。こういう時は音楽聴いてのんびり待ってるしかねえよな、flippin’ through the beats, 肩に斜めがけしたウエストバッグから携帯音楽プレイヤーを取り出してみると、重低音ブースト型のイヤフォンのコードがひっ絡まってグチャグチャになってた。

 Shit, damn, fuck off, オレは急いで絡まったコードをほどこうとしたけど、same shit in wired, chosen different ways, 指がなかなか上手く運ばない。ざけんな、何でこんなに絡まってんだよ! あーイラつくな、つーかコードまとめないでバッグに突っ込んだの誰だよ? オレじゃねーかよ! クソが、あータバコ吸いてえ。やっとの思いでほどけたイヤフォンを耳に装着して、オレは聴きたい曲を探した──おっしゃ、今の気分はこれだ!

 Yo, yo, so listen to this because it can't be missed, and I can't leave 'til I'm dismissed, I can do anything that I want to, but I can't leave until I'm through, so relax my body and my mind, and listen to me say this rhyme, hey, ya might think that I have waited, long enough 'til the rhyme was stated, but if it were a test it would be graded, with a grade that's not debated, nothing too deep and nothing dense, and all my rhymes make a lot of sense, so move my butt to the cut, run amok, I'm not in a rut, each and everybody out there, I got the notion, I want to see y'all all in motion, just shake, wiggle, jump up and down, move my body to the funky sound, side to side, back and forth, I'm the Lion-Tiger man and I’m gonna go off, stand in place, walk or run, tap my feet, I'll be on the one, just snap my fingers and clap my hands, my bros's better than all these bands, heeeey!!



 叔父さんの死後、クソ親父は日々借金返済に追われてんのか、stack in the trap, underwater in the deep hole, オレが家に帰るとリビングのテーブル上にはローンの借用書の紙切れが何枚も落ちてた。けどクソ親父はいまだに外車を乗り回してるよな──あいつ一体どうなってんだ?

 耳の奥がキーンとする。オレは何か予感がして、駐車場まで行ってクソ親父の車の中を窓から覗き込んだ。車の後部座席には大きなボストンバッグがあって、少しだけ開いているそのバッグの口から、絵に描いたみたいな新札の札束がどっさり入ってんのが見えた。

 Yo, man, what the hell is this score, マジかよ、こんな札束、生まれて初めて見たぞ!? あいつ一体どんな手段で、一体どこからこんなの手に入れて来たんだよ!? 今あいつ、確実にヤバい事に首突っ込んでんじゃねーのか!?

 オレ、このままこの家にいたら、借金返済の名義貸しとかで、勝手にオレの名前とか電話番号使われたりすんのかもしんねーよな、つーかもう使われてる可能性あるよな!? これがどんな金かにもよるけど、マジでそうなったらオレの最後は内蔵売る感じだよな? あーオレ生き残れんのかな──東南アジアか南米に飛ばされたら100パー無理だよな──日本でも無理か?

 クソ母親の方は最近、良く分かんねえ新興宗教みたいなもんにハマってる。そこの一番偉い人に大金積んで、she’s a basket case in any case, 自分の旦那や気に食わない人間をそのすごい人の力で呪い殺してもらう事にしたの、ってこないだオレに笑って言ってた。『呪い殺す』って、平安時代の公家様かよ!? あー確かにこいつノーメイク平安顔だし? ──知るかよ、ヤバ過ぎだろ!

 こいつ、自分の思い通りになんねえと他人の手を借りてでも、それが例え自分に近い人であっても、平気で殺せるヤツなんだな、ってビリビリとしびれる頭の片隅でぼんやりとオレは思った。きっとオレの名前もその呪殺依頼のリストに入ってんだろうな。

 No longer parents, no longer human, クソ親父の借金絡みで誰かから利用されて殺されるか、クソ母親の心酔する宗教家から呪い殺されるか、that if I keep goin’ on, gonna be sold off, used up ‘n’ thrown away, オレの未来は一体どっちが先だ? つーかその2択しかねえのかよ!?

 Now I be in this state of emergency, オレの心と身体が一緒になって、必死に警報を鳴らしてくれてる。オレはこのままだと絶対に殺される、早く逃げなきゃいけない。今すぐにでも全力で、こいつらから逃げないとヤバい。主治医のクロキ先生も言ってたよな、出来るだけ早くそのクソみてえな両親から離れなさい、って。

 オレはギンガの犬小屋の前に来た。ギンガは中で寝てたけど、オレが小屋の前でドカッと座り込んで胡座 (あぐら) になると気配を感じて起き上がって、オレといつもの挨拶を交わす。Yo, my bro, I’m your king, leadin’ my pack of beasts, 逃げんならギンガも一緒だ。イヌのエサは保存利くしな、それに最悪コンビニでだって買えるもんな。

 老いたギンガをひとり残すなんて、オレには絶対に出来ない。児相とか施設とかは人間様相手をするだけで、犬は一緒に受け入れてくれない。オレの唯一無二の兄弟分だってどんだけ説明しても、誰もオレの話なんか聞いてくれない。だからオレはそういう場所には行かない。

 でもきっと何とかなる──違う、何とかするんだよ! バイクにイヌは乗せられないだろ、って事はバイクを先に移動させて、ジンさんか誰かにしばらく預かってもらわねえといけねえよな? それか、コータローさんに車出してもらって、ギンガを先に移動させるか? けどコータローさん、イヌ乗せんのは嫌がったりすっかな? 今電話で聞いてみるか、あ、仕事中かな? だったら電話の前に、オレの荷物だけでもまとめておくか? じゃあスーパーかどっかで段ボールかっぱらってこねえとだな──そうだよ、逃げる準備をするんだよ!

 よし、まずは今からオレの荷物をまとめて──あれ、身体に力が入んねえぞ? ──は? Whassup? 何でこのタイミングで眠くなってくんだ!? 今逃げなきゃって時に、何でオレ寝ようとしてんの!? どうなってんだよオレの身体、マジもんのバカ野郎か!?

 おいおい、逃げんなよ。今さら焦ったってしょうがないだろ、ちょっと落ち着いてからまた考えれば良いじゃねえかよ? 今はゆっくり寝とけって、な?

 What the hell is this, 何だよこれ、まだ薬を飲んでもねえのにクッソ眠ィ! 頭ん中、耳の奥と鼻の奥がキーンってなってて、しびれてる感覚も酷い、全然動けねえ──寝ろって言われたって、これじゃ布団にすら辿り着けねえじゃねえかよ!

 はぁ? お前が逃げるとか言い出すからだろ? 自業自得だっつうの。そんな事考えてねえで今日は早く寝ろよ。明日は朝からバイトなんだろ? そもそも金がなかったら、お前どこにも行けないだろ? 逃げても生活どうすんだ? お前は料理も掃除も出来ねえし、金の管理だって下手くそで、貯金だって1回も出来てない癖に、そんなんで本当にやってけんのか? 良く考えてみろよ、無理だろ? だったら寝てた方が良いだろ?

 うっせえ、stop it, 黙れよこのクソが! 幼い頃から身体と心に叩き込まれたこの感覚──オレが逃げる事を許してくれねえ。殴られて、蹴られて、メシ抜かれて、ボロクソに言われて、今までずっと最悪な扱いをされてきたってのに、goin’ against the grain, frontin’ in front of my mixed feelings, behind my story, オレがいざそのクソ両親を切り捨てようとすると、いつもこうやって頭ん中にオレの声が響くんだよ!

 切り捨てるとか物騒だなぁ、本当は愛されてんのかもしれないぞ? 酷い扱いってのは、ただのお前の勘違いで、本当はそこに愛があるのかもしれないぞ? もう一度ちゃんと確かめてみたらどうだ? その為にも今は自分の部屋で、この家で寝ておけよ、な?

  Shut the fuck uuuuup, あ"あ”あ"あ”あ"あ”、黙れ、黙れよ!!

 喉の奥から低い唸り声を上げ続けるオレを心配して、ギンガがオレの顔をベロベロとなめて、オレの意識をこの世界に引っ張り戻してくれる──ああ、phew, thanks, my bro, 助かったぜギンガ、お前がいてくれなかったら、オレこのまま気絶してたかもしんねえ。オレはギンガの頭をなでて、倒れない様に気を付けながらゆっくりと立ち上がった。

 意識は少しだけ戻ったけど、酷い眠気は全然変わらず残ってる。このままじゃマジでやばい、声の言う通りに今は寝るしかねえか── bullshit, クソがよ。

 けど何でオレ、まだこの家にいんだろな? これじゃあオレが嫌いな動物園の動物と同じ、檻の中で生きてんのと同じじゃんな? 空っぽの心のまま、全ての色が失われた世界で生きてる、動物園の動物達と同じだろ? Still in this joint, as an ol’con, betta breakin’ out of as a falcon ──オレだって早く逃げたいよ、マジで今すぐ逃げたいんだ、けど逃げられなくて、鎖に繋がれたまま、檻ん中に閉じ込められてるたいで── ah, that's it, そっか、だからオレは昔っから動物園が嫌いだったのか? オレ自身が檻ん中にいるから、檻ん中の動物を見てらんなかったって事か?

 小学生の頃、学校のトイレに閉じ込められてたっけな。そんで上からバケツの水をブッかけられたんだよな。どれだけ叫んでも誰も助けに来てくれなくて、けど自力じゃ外にも出られなくて、泣くと体力削って腹も減るから泣けなくて、I been down, laid down, locked down, だから全部をあきらめて、汚れた床にしゃがみ込むぐらいしか、あの時のオレにはどうする事も出来なかった。

 今も、きっとそんな気持ちだ──否、今までがずっとそんな気持ちだった気もするけど。

 そういえばそれと同じ頃に、クソ両親から家の狭い風呂場に何度も閉じ込められてたっけな。散々殴られて、蹴られて、ボロクソ言われて、押し込まれて、水とお湯を何度もブッかけられて、そんでもって浴槽に頭を──あれ、その後どうなった? 鍵かけられて、出られなくて、電気も点けずに真っ暗で、カビ臭い中で、腹減ったよなーって感覚だけは覚えてんだけど。

 そっか、だからオレは海やプールが好きじゃないのか? 水が流れる音は好きだけど、水に触れたり、水の中に身体を浸すのが苦手なのは、えっと、学校でも閉じ込められて、家でも閉じ込められて、オレは閉じ込められて水ぶっかけられてばっかで──ダメだ、shit, my head’s real poundin’, dead spinnin’, 頭が痛ぇ、めまいがして吐きそうだ。

 何でかはっきりと思い出せない。何がきっかけでそうされたのかも、今だに良く分かってない。思い出そうとすると、いつも頭が痛くなるか眠くなる。しかもこの話だけじゃない──他にも、zoned out, some memories lost in the zone, 小学校の頃とか、ある一定の期間の記憶がごっそり抜け落ちてるなんて事も良くある。

 ボコボコにされ過ぎて、記憶喪失にでもなったか? けど、飛び飛びの記憶なんて、ずいぶんと都合の良い記憶喪失だよな? こんなの誰かに言ったらきっとまた、この嘘つき野郎が、そんなんある訳ねえだろ!って言われんだろうなぁ。

 ま、今さら分かった所でどうしようもないし、意味や理由もなく殴れられる事の方が断然多いから、あんまし深く考えても仕方ない。



 気づけばオレはいつの間にか自分の部屋に戻ってて、布団の上にいた。

 あれ、my mind blacks out again, また記憶飛んでんな──オレ何してたっけ? Shit, damn, slippin’ where I came from, クッソ眠ィ、ダメだ、寝よう。

 オレは薬局でもらった薬の袋に手を伸ばして、中から銀色のフィルムに包装されたハルシオン錠のシートを取り出す。Up johns as venoms from hell fires, フィルムの中身、水色の錠剤の中央に1本の線が引かれてる。そこに両手で親指の爪を立てて軽く力を入れると、錠剤を綺麗に半分に割る事が出来る。

 まずこの水色の錠剤を半分にして片方を飲んで寝てみて、それでも寝れなかったり、離脱症状が酷くてどうにも我慢出来ない時にだけ、もう一方の割ったヤツを追加で飲むんだ、って新任のクロキ先生は言ってた。

 そして半分の量でも普通に毎日を過ごせる様になれば、水色の錠剤と同じ大きさだけど中身が違う、淡い紫色の錠剤に切り替えて、その後にまたそれを半分にして飲んでいくらしい。こうやって身体に入れる薬の量を少しずつ減らしながら、だんだんと身体を慣らしてくって事だ──水色もヤバいけど紫色ってのも、that’s real whack, 相当にヤバい色だよな? 飲むの怖過ぎんだろ。

 そんで、身体の中から薬の成分を一気に抜けば良いって単純な話じゃない、ってクロキ先生は続けて言ってた。薬の成分の感覚が身体の細胞の中に記憶されちゃってて、その細胞がまっさらに新しく生まれ変わるには、それなりの時間が必要になるらしい──面白えよな、細胞も記憶するとかウケるよな。 So, that’s what they call ‘second nature’, aight, じゃあ『身体が覚えてる』って言葉もマジって事なんだろ?

 身体が覚えてる、身体が勝手に反応するってのは、要は『習慣』みたいなもんだろ? 習慣になるのには反復練習が必要だよな──ああ、それが毎日薬を飲むって事か? 習慣になっちゃってたら、そりゃ確かに自分の意思とは関係なく身体は動いちゃうもんな? だとしたら、no rely on willpower, kamikaze-like, ya know, 確かに根性で何とか出来るってもんじゃないよなぁ。

 1人で勝手に納得したオレはクロキ先生の指示通り、半分に割ったハルシオンの片方を口に放り入れて、手元にあったペットボトルの水と一緒に胃の奥へと流し込んだ。背中を壁に向けて、もたれかかりながら赤マルに火を点けて、一度深く吸う。

 If I even make it, 明日の自分は一体どうなってんだろうな?

 クロキ先生から知識として学んだ離脱症状は、オレ個人の体感としてどれくらいしんどいもんなんだろうな? 減薬、上手く行くと良いんだけどな──こればっかはやってみねえと何も分かんねえよな──考えてもどれも仕方ない事ばっかだな。今日はもう、とっとと寝よう。

 けど、あれ? オレ今日、何かしようとしてなかったっけか──?

 何だったっけ──?

 オレはタバコを灰皿に押しつけて、壁に背を預けたままゆっくりと目を閉じた。

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