守護王猿鬼
鎌倉の観光名所と言えば、鶴岡八幡宮や小町通り、銭洗弁天と数えればキリがない。
その中でもやはり象徴的なのは大異山高徳院清浄泉寺にある本尊、|国宝銅造阿弥陀如来坐像だろう。
通称、鎌倉の大仏。
王は静かにそこにいた。
不遜にも、鎌倉の大仏の手の上で。
大仏と同じように胡座をかいていた。
遠くから見ると胡座をかいた鎌倉の大仏の掌の上で胡座をかいた王という、まるで絵に描いたような風景がなんとも言えず風靡で魅了される。
王は大仏の掌の上で呼吸を静かに瞑想に耽っていた。
その姿は自然で、彼の近くには野生の鳥もいるが気にしている様子もなく餌を探して辺りの地面を突いていた。
思っていた緊張感はなく、少し拍子抜けした一条はさっきまでの緊張していた自分を恥かしく思えてきた。
なんだ大したことないじゃない、と軽口を叩こうとした所で陽太を見ると真剣な眼差しで王を見ていた。
隣ではクロもシロも平時では考えられないほど警戒心を露わにしている。
それを見て我に帰り、一条は陽太の言葉を心で繰り返す。
ビクビクしない。
会った時はしっかりと頭を下げる。
目を逸らさない。
呼吸は静かにゆっくりと。
緩んだ己の心に叱咤し、一条は陽太の後に続く。
本尊に近づけば近づく程、その鬼の姿がはっきりとしていく。
一見、その鬼は人に近い姿をしていた。
全身を短い黄金色の毛に覆われていて、一条のパートナーを彷彿とさせる。
頭部の人でいう髪にあたる部分は少し長く、本当に髪の毛のようだ。
毛に覆われていない顔や手足は肌色で、日本猿のように赤ら顔でもなく、ゴリラのように黒くもなかった。
黄色人種と呼ばれる我々日本人に近い肌色だった。
遠くから見れば人間と見紛う容姿だった。
明らかに人間にはない額から伸びた一本角を除けばの話だが。
全身金色の袁鬼だが、角だけは真っ白な角だった。
毛の色がパートナーであるたまもと近いせいか親近感を感じた時、エリアキングがゆっくりと瞼を開いた。
瞬間、鳥達は逃げるように空に飛び立った。
一条もなんとか目は離さないかったが、圧倒的な重圧を前に足が震えていた。
そのせいか足がもつれて転びかけるが、陽太に腕を掴まれてなんとかその場を凌ぐ。
「落ち着いて。襲ってくるわけじゃない。ゆっくりと深呼吸を」
優しく言われて少し悔しさを感じながらもその通りにする。
呼吸をゆっくりしながら袁鬼を見る。
王はこちらを見ていた。
威圧するでもなく、敵意を剥き出しにするでもなく。
ただ真っ直ぐ陽太達を見つめていた。
目があったことで息が止まりそうになるが、ヘマを何度もするかと心に鞭打って一条は王の目を真っ直ぐ見返してゆっくりと頭を下げた。
たっぷり10秒くらい頭を下げた後ゆっくりと顔を上げると、また王と目があった。
すると王は会釈するように首だけ動かして一条の礼節に答えた。
礼節を重んじる王にしては軽い挨拶だが、相手は王である。会釈するだけでも十分な敬意とも言える。
すると肺を潰すような威圧感が消えて、一条はほっと胸を撫でおろした。
一条がほっと息をついているのを見て陽太は優しく笑い、今度は自分の番だと気合を入れる。
ここに来たのは一条にこの鎌倉のエリアキングを見せたいからという理由もあるが、個人的な要件もあった。
陽太は腕を胸の前に出して両手で空中を握るようにすると
「出番だ、“雷刃”」
陽太の右耳のピアスがカッと眩く輝き、陽太の手には刀が出現していた。
刃渡は少し短く約60cm。
柄は薄紫色をしていて、刀身は銀色だがうっすらと光の反射で黄色く輝いている。
恭介や千野洸が所持していた時は大剣の形を取っていた雷刃だが、陽太の体格には合わず振るうことすら困難だった。
そして陽太の為に姿を変えて模ったのが現在の“刀”の形だった。
陽太は背につけていた盾を左手に取り右手に雷刃を構える。
右手に雷刃。
左手に盾。
それが陽太の新しい戦闘スタイルだった。
「一本お願いします!」
境内に響くような大きな声で陽太は王を呼ぶ。
言われた王は陽太をジッと見ると楽しそうに片方の口角を上げた。
胡座のまま片手をつくと、スムーズに逆立ちを披露する。
そのまま宙返りをして側転、ロンダード、宙返りと体操競技の選手のように技を繋げてアクロバットにそしてあっという間に距離を詰めて陽太の前に降り立った。
「キキ」
腹の底に響くような低音の声ではなく、無邪気な子供のような、声変わりの終わっていないような声で王は陽太に何かを言う。
どこか楽しそうな目で陽太を上から下まで何度も往復している。
陽太は彼に会うのはこれで3度目だった。
しかし大した会話も交わしたことはなく、陽太は王が何を言いたいのか明確に掴むことは出来ない。
だがこの王を良く知る恭介から聞く限り、この鎌倉のエリアキングは茶目っけがあり、戦い競い合うのが大好きで、そして何より人を成長させることがめっぽう好きな変わった王とのことだった。
「はい!前回よりも腕は磨いたつもりです!よろしくお願いします!」
だから陽太はさっきの問いかけは『成長したのか?』と言う意味に捉えた。
「キキキ!」
王は歯を見せて楽しそうに笑った。
よし良いだろう!とでも言っているのだろうかと陽太は推測していた。
どうやら正解だったらしい。
王は頬の毛を2本抜き取りフゥと息で吹いた。
するとその毛は1本は刀として、もう1本は盾として出現した。
このエリアキングには自然系の強大な能力はない。
毒や闇を光も操ること出来ない。
出来るのは自分の体格を操作することと、自分の毛であらゆる物を創ること。
ただそれだけである。
それだけなのに、圧倒的な強さを誇るエリアキング。
未だ討伐されていないのは人類に友好的だからなのではない。
倒せないから今も君臨しているのだ。
「キキキ、キキッ!」
王は笑っている。
『かかってこい、全力でなっ!』
陽太にはそう言っているように聞こえた。
「はい!行きます!」
陽太は返事をするなり間合いを詰め雷刃を振るう。
袁鬼は楽しそうに刀で防いだり、盾で止めたり縦横無尽に陽太の猛追を軽々といなしていく。
陽太は驚くことも気落ちすることもなく、真剣にそして必死に袁鬼に食らいついていく。
「キキ」
袁鬼は満足そうに頷くと陽太の攻撃を背面跳びをして躱し、アクロバットに距離をとった。
陽太はそれを黙って見送り、自分の呼吸を整えることに集中した。
たかが1分2分のやり取りだが、振るっているのは陽太も袁鬼も真剣だ。掠るだけでも傷を負う。
下手な場所に当たれば命はない。
その緊張感が陽太から容赦なく体力を奪っていく。
それに反して心はどこか達成感のようなものを抱いていた。
前回袁鬼と戦った時よりも成長を改めて感じていたからだ。
元々大して剣の扱いなど知らなかった陽太だ。
恭介から受け継いで初めて本気で剣を振り、腕を磨いた。
しかし未熟も未熟。
袁鬼には歯が立つわけもなく、数度打ち合うだけで雷刃や盾を飛ばされる。
首筋に刀を突きつけられる。
前回の試合は終始そんな結果で、出直してこいと袁鬼に言われて肩を落として帰った苦い記憶しかない。
それと比べれば格段に腕が上がったのは間違いない。
陽太は成長に喜びつつ、しかし浮き足立たないように心を戒めつつ袁鬼に向き合う。
向き合った袁鬼は歯を剥き出しにしてシシシと楽しそうに笑っている。
「キキャ!キキキ!」
「ありがとうございます」
やるな!成長してるじゃん!と言っているだろう袁鬼に陽太は少し微笑んで返す。
うんうんと嬉しそうに首を振りながら言った袁鬼は
「キー。キキキ」
よし。ギア上げるぞ。
袁鬼はそう言うと笑顔を消して目を細くした。
肌がひりつくような威圧感が膨れ上がっていく。
ここからが本番だ。
陽太は自身を奮起させる。
袁鬼に少しだけでも本気を出させる実力がついていたのは素直に嬉しいが、圧倒的な威圧感を前に逃げ出したいと言う気持ちも本当だった。
しかし、陽太も袁鬼と同じように笑ってみせる。
「かかってこいよ。武芸百班」
それにあえて陽太は挑発するように言う。
ここで引いては何の成長も得られない。
雷刃を受け継いだ者として、陽太には使いこなす義務があると思っていた。
それは淡墨恭介ではなく、千野洸でもない。
雷刃に対してだ。
自分について来てくれると言ってくれた雷刃に、陽太は報いなければならないと強く思っていた。
ここで立ち向かえない男ならば、雷刃を持つ者として相応しくない。
陽太は雷刃を強く握り王を睨む。
陽太の軽々しい挑発に袁鬼はケキャケキャと楽しそうに笑って
「キキャ!!キキィ!!」
よく言った!遠慮しないぞ!
一転して真剣な目つきで陽太を射抜くと、袁鬼は飛ぶように陽太に向かってくる。
格段にスピードを上げた袁鬼が陽太に襲いかかった。
♦︎♢♦︎♢
一直線に自分に向かってくる袁鬼に向かって、陽太は雷刃を掲げて強く目を瞑った。
「“向日葵”!」
雷刃がカッと光輝く。
境内は眩い閃光に包まれた。
思わぬ攻撃に目を焼かれ、袁鬼は盾で顔を覆い――
「“紫陽花”!」
――その隙に雷刃の電撃が袁鬼に襲いかかる!
「キ!」
甘い!と言わんばかりに袁鬼は雷刃の電撃を盾を投げて防ぎ、さらに後ろに宙返りしながら距離を取った。
思わぬ攻撃を受けた袁鬼は驚きつつ
「キキキ!」
楽しそうに笑った。
襲いかかるつもりが襲われるとは思いもしていなかったからだ。
初心者だと断じて防御に徹するかと思いきや、こちらが虚を突かれるとは思いもしなかった袁鬼である。
それがどこかおかしくて面白い。
本気で王である自分に、単騎で、慣れていない剣術で、本当に一本取るつもりなのだ。
笑いが止まらない。
コイツはイカれてる。
改めて目の前の男を見る。
予断なくこちらを見つめる視線は真剣で、その目は燃えている。
勝つつもりで戦っている。
もしかしたら倒すつもりかも知れない。
その姿勢が袁鬼は嬉しかった。
馬鹿みたいに無理な理想を本気で成そうとする意思が、目の前の男にはあった。
その無謀さがどこか懐かしく、袁鬼は稽古のつもりで対応していた自分を自戒する。
「キキキ。キャキィ」
少し本気で行く。死ぬなよ。
もう一段ギアを上げる。
袁鬼はそう言うと、殺気を持って戦いに臨む。
ショートストーリー
『雷刃の技の由来』
「恭介。雷刃の技って色々あるけど、何で花の名前の技が多いの?」
「陽太も気付いた?」
「そりゃ気付くさ。タメが必要のある攻撃は長い名前にしてるっぽいけど、すぐに出せる技は花の名前が多いっていうかそれしかない。千野洸って花が好きだったの?」
「いや?僕の知る限りでは彼は花のことを女を口説くときに使えるモノくらいの認識だったと思うよ」
「その程度の思い入れなのかよ。それじゃあ雷刃が好きだったりする?」
『ピカピカ(別に?)』
「思い入れはあるよ、きっと」
「ってことは本人談ではないのか」
「まぁね。本人は技を花の名前にしたのは漢字が格好良いとか、技が花のイメージと合うとか言ってたけど」
「その心は?」
「…惚れた女の名前が花の名前だったから」
「へぇー、なるほど。ゆりさんだっけ?」
「そう。その癖ゆりの名前の技がないからわかりやすいよね。それをモチーフにしたって悟られたくなかったんだろう」
「千野洸って意外と単純な人だったんだなー」
「そう?相棒に色の名前を付ける人ほど単純ではないと思うけど」
「……」




