氷解
「だからもっと力を抜きなさい!身体に振り回されているわよ!」
「く――!!」
「馬鹿!いつも通りに力を入れてはダメよ――あ」
「うわぁあああ!!?」
陽太の身体は走っていたはずなのに、まるで中空から操られているかのように不自然な軌道で空に跳んだ。
3m以上の高さを上下左右にぐるぐると回転している。
手足をばたつかせてなんとか足掻いてるようだが、地面に足元から着地するのは確実に無理な体勢だった。
「シロー!!助けてー!!ブハッ」
シロに助けを求めるとすぐに水球が出現し、水球を何個か経由して地上に落ちた。
地面に大した衝撃もなく辿り着いた陽太だが、ぐでんと身体を大地に預けたまま動かない。
陽太の身体から黄金色の光が消えてからようやく陽太は身体を起こし
「殺す気かッ!?」
と怒声を上げた。
怒ったのはもちろん一条沙雪にだ。
当の本人は腕を組んで倒れた陽太を遠慮なく見下している。
そしてなんの悪びれもなく言う。
「あなたが私の言うことを聞かなかったからでしょう?」
「君が急に付与をかけたからに決まっているだろう!?いや、それ以前に聞く余裕もなかった!」
「元々かかっていたじゃない。私はバフの上限を少し引き上げただけよ」
「少しで走ろうとしたら何mも跳び上がるわけないだろう!」
「私はいつもそのレベルだもの」
「それ絶対レベル限界値だろ!!」
「自分が出来なかったからって言い訳ばかり。恥ずかしくないのかしら?」
「……!!」
怒りで身体中を掻きむしる陽太には、クロとシロはどうどうと慣れたように落ち着かせる。
もう毎日この調子なので、最初の頃は一条に怒りを向けていた忠誠心の高いクロも、これはこう言う関係性なのかな?と納得しつつあった。
シロは陽太の肩に乗り、頭を冷ませと耳を甘噛みしながら優しい冷風を陽太に送る。
夏本格前にも関わらず30度を越える暑さだったので、その冷風は心地良かった。
「こん…」
「たまも。あなたは何も悪くないのだから気落ちしなくていいのよ」
陽太にバフをかけた一条の相棒であるたまもは、申し訳なさそうに陽太を見て鳴く。
「そうだぞ、たまも。命令した一条さんが悪いんだから」
「はぁー!?能力を使いこなせない貴方がそもそも悪いんでしょう?」
「最初は使いこなせてただろ!?徐々にレベルを上げればいいのにいきなりマックスまで上げるやつがあるか!」
「責任転嫁とか、情けなくないの?」
「――!!!?」
陽太が怒りで頭をぐしゃぐしゃと掻き回す姿を見て、クロはハァとため息を吐きながらは思う。
――さっきまではあんなに平和だったのになぁ。
と。
♦︎♢♦︎♢
話は少し遡る。
この日の2人の訓練は順調に進み、一条は次のコマの抗議を受けに。陽太は課題を進める為に別れる予定だった。
しかし一条の次の講義が急遽休講になり、次のコマがぽっかり空いてしまった。
梯子を外された一条がどうしようかと悩んでいる所に、陽太が訓練の続きをやろうかと提案した。
それに乗った一条が、どうせならいつもと違うことをしたいと言い、バフをシロとクロにかけてみようということになった。
結論からいうと、あんまり意味がないことが判明した。
クロは自前の“炎装”という技がある。それはクロ自身に炎を纏い火の出力を高めると同時に、クロの身体能力をも上げる技だった。
残念なことのに2つかかれば2倍なんてわかりやすい成果は出なかった。結論としてクロの出した答えは、あんまり変わらないとのことだった。
今度はシロで試してみると、シロは飛ぼうとしてひっくり返ったり、頭から落ちたりした。
軽すぎるシロの身体には能力向上はむしろ能力低下になるという予想外の結論となった。
これはこれで一条にはいい経験になり、慣れない相手にはバフをかけることがデバフに繋がるという新しい戦術に繋がった。
思った結果ではなかったが、しかし予期せぬ新しい発見が出来たとほっこり顔の一条だった。
誰かと訓練することでこんなにも思い付かない考えに至るのかと内心驚愕していたが、そんな内心はつゆ程も表情に出しはしなかったが。
「あ、そしたらついでに俺も試していいかな。もしかしたらそういう戦術を使う機会があるかも知れないし」
ついでにと、なんでもないような顔をして言う陽太だったが、実は内心やりたくてやりたくて仕方がなかったのが本心だった。
陽太自身、付与は一度も経験がなく、風のように空を跳ぶ一条を見て常々羨ましく思っていた。
しかしこちらからかけてくれとお願いをしたのでは、陽太を蔑んで、馬鹿にし、軽んじ、嘲笑されるのは容易に想像がつく。
そんな未来は御免だと機会を伺っていた陽太だったが、今回はその千載一遇のチャンスだと心の中でガッツポーズをしていた。
まだまだ少年心を忘れられない陽太であった。
そしてそんな内心を、一条沙雪は見抜いていた。
なにせかれこれ陽太と会ってからは3ヶ月以上の時が経つ。
それなのにこの先輩は一度もバフをかけてみようと提案してこなかった。
疑り深い一条はそのことに疑念を抱いていた。
この男は優秀だ。
一条もそれを認めざる得なかった。
頭も良く勤勉で、身体能力も高水準。
一条的には特に努力家であることが1番好感度が高かった。
自分も努力家だと自負している一条は、自分と同程度の努力をしてきた陽太には感情移入をしてしまう部分があった。
さらに言えば相棒との関係は非常に良好で、おまけに面倒見も良かった。
彼にお昼のお弁当を差し出された時は、目が白黒したものだった。
そしてそんな優秀な男が、バフをかけるなんて当たり前の考えを思いついていない訳がない。
付与種はどんなチームでも必要な存在だ。それを有効活用しない理由が一条には思い浮かばなかった。
だからこそ。
何か策略があるのではないかと。
私を騙す機会を伺っているのではないかと。
ずっと疑っていた。
しかしそれはここに来て氷解した。
だってこの男は、目を爛々と輝かせ、声を弾ませて、なんでもない風体を装いながらそんなことを言ってきたのだから。
演技が下手にも程がある。
思わず笑い出しそうになった。
それを顔を覆い隠して、グッと堪えて、なんとか誤魔化した。
あぁ。この男はきっと、後輩に舐められたくないからそんなことも言えない、ただの見栄を張りたいだけの先輩だったのだと一条は理解した。
なんとか何度も思い出し笑いをしそうになるのを堪えながら
「そうね、では、試してみましょうか」
そう言うと
「ものは試しと言うからね。それじゃあやってみようか。あ、ちなみにかかる時ってどんな感じ?よく高揚感や全能感が高まるって話を聞くけどそれって本当?いや、それはかけて貰えばわかるか。じゃあなんか心構えとかある?気をつけたほうがいい点とか」
平静を装いながら、ものすごい早口で一条に話しかけてきた。
目は宝物を見つけた少年のように輝いていて、一条は口元を押さえて笑いを堪えるのに必死だった。
押さえなければ大きな声で笑い出しそうなくらい、可笑しな話だった。
おかしな男だった。
「それも、やってみれば、わかるわよ」
なんとか絞り出した台詞に
「習うより慣れろ、か。言う通りだね、でも軽く身体をあっためておいていい?筋とか痛めたら馬鹿らしいから」
そう言って陽太はアップを始めた。
いつもの鋭い陽太なら様子のおかしい一条に気付くはずなのに、そんなことはなく身体を伸ばしたり、ジャンプしたりと準備を始めた。
「――!!!!」
一条は後ろを向いて、たまもを抱きしめて声を出さずに笑った。
その後ろ姿は震えていて、少し前に同じような状態だったことがあったことを思い出す。
なのに内情がこんなにも真逆なことがあるのかと思うと、より笑えてくる。
我慢すればするほど面白さが増していき、腹筋が攣りそうなくらい笑ってしまった。
こんなに笑ったのはいつ以来だと、なんとか虚勢を張り切り静かに笑いきった一条は、アップが終わって少し呼吸が早まった陽太よりも息切れを起こしていた。
「どうかした?」
「いいえ、なんでもないわ。たまもにバフの相談をしていただけよ」
一条の顔が真っ赤になっていて、さすがに不信感を抱いた陽太が口を開こうとした瞬間に
「一応バフにも段階があるのだけど、初級から始める?」
陽太の思考は一瞬にしてその疑問を廃棄し、一条に煙に撒かれたのすら気付かなかった。
「初級から試したいな。いきなり一条さんレベルの上級者向けじゃ熟せる気がしない」
「それじゃあ早速始めましょうか。たまも」
「こん!」
一条は誤魔化す為にさっさと話を進めて行く。
「いくわよ先輩。準備はいいかしら」
「うん。頼む」
表情は若干緊張していたが、その目は期待で輝いている。
可愛いところがある男なんだなと、一条は珍しく口元を弛めて微笑ましそうに笑う。
「“その身は羽のように”」
「こん!」
「おお!!」
陽太は歓声を上げた。
「こんな感じなのか!バフの効果は!」
「その付与は身体能力を全般的に上げる能力よ。そのレベルだと全能感とは言えないけれど高揚感は高まるはずよ」
「意識のギアが一段階上がった気分だ。身体も軽い。今ならバク宙も軽々出来そうな気がする」
「やってみれば?意外と出来るかも知れないわよ?」
マットもない体育館の一室で、素人がバク宙するのは危険極まりない行為だ。
しかしそれでも一条が進めたのは、シロがなんとかするだろうから大事には至らないだろうという信頼、そしてそんな上手くいかないというのを知って欲しかったという本心があった。
バフはかけてもらう側も技術が必要だ。
シロがそうであったように、軽く跳んだだけでも想定外に跳び上がるのはつまり、自分自身を操作できないということだ。
己を操作できないというのは、想定外の恐怖を心に与える。
幼い頃にそのせいで良く傷を作っていた一条は、その経験を陽太にもして欲しかった。
一種の意趣返しだ。
この前経験させられた、もといさせてくれた敗北の苦い味のお返しだ。
感謝はしてなくはないけれど、それはさておき負けたままではいられないというのが一条沙雪という人間だった。
彼の身体能力なら1メートル近くは跳ぶだろう。
身体を回しすぎて一周以上回ってしまい、驚いて身体を開いて背中から落ちるだろうというのが一条の予測だった。
シロがいれば怪我はないだろうが、それはそれとして念の為にと声をかける。
「シロ、気にしておいてね」
一条の言葉に、シロは梟らしく首を傾げて
「ほはぅ?ほっはっは」
気にする?必要ないない、とシロは笑い出した。
まだシロとの付き合いが浅い一条には、正直なんと言っているのかわからなかった。
しかし無用な心配だと言っているようなニュアンスを感じ取り、いや本当に危ないんだと再度忠告しようとしたところ
「じゃあやるか!」
止める間もなく、陽太は膝をグッと折りたたみ、反動でその身をくるんと回転させた。
「うおっ!」
やはり思ったより身体が動いたのか、回転は2周目に突入し
「あっぶな!俺2回回転した!?すごいんだな、バフって」
見事に華麗な着地をした。
一条は目を丸くして呆けていた。
「うわっ!たっか!」
続いてはしゃいだようにジャンプをして、これも綺麗に着地をしてみせる。
「よしクロ!一緒に走るか!」
「ヴォウ!」
陽太はクロと連れ立って走り出す。
いつもより軽く走れる身体は、クロに楽に追いついていく。クロもそれが嬉しいのか、尻尾をブンブンと振り回して楽しそうだ。
しかし、これに納得いかないのは一条だった。
「は?」
思わず声が出てしまうくらいには、心の内を隠せなかった。
今かけたバフは、幼い頃1年以上の月日をかけてようやく使いこなせるようになったというのに、目の前の男は瞬時に習熟してみせた。
そこがなんとも言えない感情を刺激して、心がざわついていた。
シンプルにいうとムカついていた。
――後に小学生の身体能力と大人の身体能力では何もかも違うのだから、当たり前の結果だ。
そう気付くのだが、今のムカついている一条にそんな心の余裕はなかった。
「ははは!身体が軽い!バフって凄いな!!」
楽しそうにしている陽太がさらに癇に障り遠くにいる陽太に声をかける。
「余裕そうね。それじゃあギアを上げましょうか」
「え?いや、もう少し慣らさせて欲しいな。やっと慣れてきたなってところだからさ」
「“一時中断”」
「話聞いてる?」
「“その身は風のように”」
「聞いてねぇな!?」
「さぁ、やってみなさい!」
こうして陽太は空を跳ぶハメになったのだった。
♦︎♢♦︎♢
「邪魔するよ……ってめっちゃ喧嘩してる」
そしてそんな取り込み中の2人の場所に訪れたのは淡墨恭介だった。
遠慮のない喧嘩は親愛の証だとも思っている恭介だが、仲裁に入るのは嫌だなぁと嫌そうな顔をしていた。
待とうか、それともあの間に割って入るのかと考えあぐねていると
「ぐるるる」
クロがのしのしとやってきて恭介の腕の裾を軽く噛んで2人の元へ連れて行こうとする。
恭介に仲裁に入って欲しいらしい。
なんせ未だ恭介にが来たことに気づかずに喧嘩の熱はヒートアップしていくのだから重症だ。
耳をパタリと折って尻尾をシュンとさせているクロは可愛らしくずっと見ていたい気もするが、仕方ないクロの為にも助け舟を出そう。
憎まれ役ぐらい買ってやるかと、クロの背中をポンポンと叩いて連れ立って歩き出す。
ところでシロはどうしているかと辺りを確認すると、シロはもう本当の意味で慣れているらしく、まったく気にせず羽繕いをしている。
その姿にシロらしくてふふっと笑ってしまう。
一方なんとか宥めようと手をあわあわとさせて彼らの下にいる狐が、一条のパートナーだろうとあたりをつける。
苛烈な彼女に対して可愛らしい相棒だなと、つい顔が綻ぶ。
この子のためにも人肌脱ぐとするかと一つ咳払いをして
「あー、仲良くしている所恐縮なんだけど良いかな?」
笑顔を携えて恭介が言う。
「「仲良くない!!」」
釣り上がった目をした2人が、口を合わせて言葉を重ねた。
ほら見たことかと言わんばかりに恭介がニンマリと指を立てると、2人が睨み合った。
「真似しないでくれませんか先輩」
「こっちの台詞だよ後輩」
ゴゴゴゴと背景に重低音が響くような睨み合いを始めた2人が思い通り過ぎて、恭介はクスクスと笑う。
「笑うなんて性格の悪い男。貴方の師匠、人間性に難ありじゃないの?」
「同感。恭介それは失礼だぞ」
苦言を呈されてごめんごめんと謝る恭介だが、ニヤついた口元は隠せていなかった。
とうとう2人は目を細めて恭介を睨み始めたので、敵意はこちらに向いたなと、心でよしよしと頷く。
「悪気はないんだよ、本当に。ただ昔そっくりな光景をよく見ていたから懐かしくてね」
その姿は、本当に恭介からしたら懐かしかった。
ありし日の英雄とその彼女によく似ていたから。
その目は柔らかく何かを重ねているようであり、陽太と一条は首を傾げた。
「用なら黒河先輩にですよね?それなら私は先に出ます」
「あぁ。お疲れ様。それじゃまた明後日?3日後だっけ?」
「明後日です。自分で決めた予定ぐらい把握して下さい」
手慣れた挨拶を交わして別れようとする一条に、恭介が待ったをかける。
「あ、待って欲しい。一条さんも一緒に聞いて欲しい話なんだ」
「私もですか?」
訝しげに恭介を見る一条だったが、それも仕方のないことだった。
こうして恭介が急に来ることはよくあることではあったが基本的には陽太に用があるだけで、一条に用があるというのは初めてのことだったからだ。
一条を呼び止めたことで、一条以上に眉をひそめているのは陽太だ。
「恭介、もう嫌な予感がするんだけど」
クロほどではないが、陽太も勘の良さにはそこそこ自信があった。
悪い方に限って、だが。
「個人的にはそんな悪い話じゃないと思うけど。結論から言おう。陽太、お呼びがかかったよ」
その意味が読み取れず、頭に?を浮かべている一条を尻目に、陽太は脱力したようにため息を吐いた。
「もうですか?」
「まぁまぁ、そう言わずに。先方はもうお待ちだから早く行ったほうがいいに越したことはない。また大騒ぎされたら困るだろ?」
陽太は今度こそ首を落とし、何とも言えない顔をする。
いまいち状況の読み取れない一条は、陽太と恭介を交互に見て落ち着かないようだ。
一条の様子を見て引っ張る話でもないと、恭介は結論を口にする。
だからついでと言ってはなんだけど、と前置きをつけて。
「一条さんもどう?森林浴に興味はないかな?」
さも楽しそうに恭介は笑った。
魔石輸出大国日本
日本が魔石輸出大国になったのは、攻略のし易さに理由がある。国土が小さい日本はシンボルエリアが小さい。
平均すると他の大国のシンボルエリアは2倍から3倍大きい。
大きければ大きいほどシンボルエリアの攻略は難しくなるので、日本は楽をしていると言われている。
しかし、日本は国土の割にシンボルエリアが多く、比率でいうと世界的にはトップクラスだ。
本来はもっと苦労しているはずだった。シンボルエリアの解放、魔石の獲得をすることは多大なる労力と犠牲があったはずだった。
それがないのは“ナナシの英雄”の活躍に他ならない。
北海道から関東近辺までのシンボルエリアはほとんど解放されて、立て直すことが出来た。
政治、インフラ、衣食住を含めて世界的に類を見ないスピードで再建していったのは“ナナシ”のおかげだ。魔石生物達が十全に能力を使用できたからだ。
となればそれを黙って見ていられないのが、上手くいっていない国々である。
日本に輸出を強要し、多くの国もそれに同調した。
国によっては見殺しにする気か!と恫喝する国もあった。
当時の政府は多くの政治家が亡くなったことで、世代交代でてんやわんやの大騒ぎだった。若き世代が政治家となり、未来に不安を抱く日本国民が多かったが
「欲しいのならもちろん渡そう。しかし、我が国にも限度がある。欲しいのなら自国で取りに来ることが最低条件だ。条件を詰めるのはそれからだ」
と言って当時の内閣総理大臣が毅然とした対応をしたことで、国民の信頼が爆上がりした。
この対応に陳情を送る国は少なくなかったが、その姿勢を貫いたことで渋々従う国が現れ始める。
そして世界は更なる絶望に包まれるのだが、それは次章に記そう。
参考文献
日本が世界的な地位を確立した背景




