帰ろう
淡墨は崩れ落ちたまま悔恨の思いを独白した。
心の傷を。
果たせなかった約束を。
語る淡墨は、罪悪感で業火に灼かれているかのようだった。
そんな淡墨の胸中を思うだけで胸が痛い。
そんな思いを誰にも言えずに、1人で抱え込み今日まで淡墨は過ごしてきた。
泣き言を言わない。
誰にもその苦しみを打ち明けない。
そうやって彼は今日まで自罰を続けてきたのだろう。
淡墨は何度その日に戻りやり直すことを夢想したのだろうか。
そんな甘く温かい願望を抱き、現実に戻り絶望する。
あの時正しい選択肢を選べば救うことが出来たかもしれない。
正しい行動をすれば失うことなどなかったのかもしれない。
たらればの話なんて絵空事でしかない。
人が過去に戻れることはない。
そんな真っ当な言葉を言える人間は、後悔などしたことがない人間だろう。
絶望を前に希望に縋ることの何が悪いのか。
死者の思いを継いで何が悪いのか。
英雄の代わりに英雄になろうとして何が悪いのか。
その思いが彼を正気の沙汰とは思えない暴走をさせた。
洸の姿を模倣し、洸の言動を倣い、そして洸の闘い方を真似た。
その人の代わりにならなければという強迫観念。
異常なシンボルエリアへの侵入回数は、失った偉大な命の代わりをするんだという証明に他ならない。
突き詰めればそういう話だ。
淡墨がしていたのはしてきたのはそういうことだ。
陽太が出来ることなどありはしない。
心の内を吐き出してなんとかなる話ではない。
誰がなんと言おうと、どんな言葉をかけても、その事実は決して変わらない。
命は返ってこない。
無関係な人間が踏み込んでいい領域ではない。
思わず陽太は空を仰ぐ。
その心境を表すように、澄んだ青い空には闇が迫ってきていた。
そこに、意を決して陽太達は進む。
後戻りのできない一歩踏み出す。
――何もできないけど、命くらいならかけてやろう。
文字通り一歩踏み出し、そして背後で闇は落ちる。
ドロドロと粘ついた闇は蠢き脈動している。
その檻は陽太達を飲み込んだ。
飲み込まれた。
|来るもの通さず去るもの逃さず《ボス部屋》に、囚われた。
一見先程とは変わらないこの風景だが、そこはもう全くの別の場所と断言していい。
もうここはシンボルエリアではない。
レイドボスと対決する檻である。
逃げることはもう叶わない。
淡墨は顔を上げそれを見ると、嗚咽と謝罪を繰り返す。
それは陽太へあてたものなのか。
妻である華か、恩師である霧島だろうか。
それとも洸への懺悔なのか。
そんな淡墨と対照的に陽太の心は穏やかだった。
波風立たぬ水面の様に静かで、凪いでいた。
もう覚悟は完了している。
決意は胸に秘めている。
ここからが本当の自分の役目だと、腹に力を入れて無理矢理にでも笑顔を作る。
「さーて、淡墨さん」
嘆く淡墨に、陽太は飄々と言う。
「これで逃げ場は無くなりましたね」
場違いなほどニッコリと。
「もうやるしかないですね、レイドボスと」
ぐーっと両手を上げて伸びをしながら言う。
軽いストレッチをしながら、軽々しく命を賭けて言う。
「弱音も涙もそろそろ尽きたでしょう。もうその罪悪感と贖罪も終わりにしましょう」
呆然とする淡墨に続けて言う。
軽薄に笑う。
「何、言ってるんだ?」
心底訳がわからないと、淡墨は涙に濡れた顔で言う。
「お前死ぬんだぞ!?もう戻れない!もう帰れない!なんで逃げなかった!?もうちょっと後ろにいれば僕だけで済んだのに!!なんでだ!?」
その怒号は、悲壮感の方が勝っていた。
もう戻れない場所に関係のない後輩を巻き込んだことを。また自分のせいで誰かを死なせてしまうことを。
その悲傷を前に、しかし陽太はそれを意に返さない。
「そっちこそ何言ってるんですか?負けたら、でしょ?勝てばいいんですよ」
堂々と自信満々に。
「勝ちましょう、淡墨さん。勝って帰りましょう。それだけ言うために俺はここに残ったんです」
「…そんなことのために、残ったのか?命を、賭けたのか?」
腕を組んで不敵に笑って見せるその顔は、全く似ていないはずの顔を彷彿させる。
「そんなことのためにです。勝って帰りましょう。まぁ今なら先生も華さんも軽いお説教で許してくれるでしょう」
「ほうー?」
それはどうかな、とシロが言う。
「グルル」
確かに、とクロが頷く。
「にゃおん」
ガチギレだな、とシンラが肯定する。
「お前らこんな時にそんなこと言うなよ……前向きな言葉をかけるとかさぁ!お前ら励ますの下手くそだな」
陽太が見下げ果てたように言った台詞は、容易に3体の怒りを買った。
「ホ?」
「ガル?」
「ニャ?」
残らず「はぁ?」と陽太に詰め寄り、こんな場所でまさかの口喧嘩を始めた。
絶望の檻の中においてそれは場違いも甚だしかった。
口喧嘩する程余裕があって、追い詰められてすらいない。
自分達の未来があることを疑っていない。
その姿は暗闇に囚われた身から見ると酷く眩しかった。
陽の光のように暖かかった。
あまりにも当然のように、この先の未来が続くことを信じている彼らに対してなんと自分が悲観的なことか。
過去に囚われている自分の情けなさがより際立つ。
そして思い至る。
――本当に場違いなのは僕の方か。
妻を傷つけて、先生を押し退けて、そして助けてくれた人の思いに背を向けてきた。
直視するのが怖かった。
あんたのせいで死んだんだ!
そんなことを言われたら永遠に立ち上がれないと思った。
――でも誰一人そんなこと言ってなかったじゃないか。
洸の妻であるゆりには、洸が亡くなって以来未だ一度も会えていない。
会うのが怖くて仕方なくて。
謝れてすらもいない。
お前のせいだ!
そう罵られたら心が砕け散ると思った。
思えば、陽太の言っていた死に場所を探しているというのはその通りだ。
家族に罵られて死ぬくらいなら、体中が傷だらけになった方が良い。
生きたまま食い殺されて死ぬ方がずっとマシだと思っていた。
そういえば、とさらに淡墨は思う。
まだ洸の子供とすら会っていない。
『あと頼んだ』
そう言って別れた、彼の最期の頼みすら忘れていた。
向き合う勇気がなかった。
どの面下げて彼の子供に会えば良いのかわからなかった。
そんなことを考える心の余裕すらなかった。
毎日荒みきっていて、自分を殺すようにエリアに潜り、そして多くの有益な情報を持って帰った。
日本中のエリアに潜り、自分の有能さを必死で主張した。
周りから称賛されることで、なんとか自分を保つことが出来た。
洸がいなくなった隙間を埋められていると実感出来た。
感謝をされればされるほど、洸の犠牲が意味のあったものだと信じることができた。
華が、霧島が悲しんでいるのを見過ごしているのを陰では知りながら。
そして今、ようやく自分のしてきた愚かな行いに気付いた。
優秀な後輩の、献身的な優しさと、命懸けの説得で。
致命的に遅まきながら。
それでもまだ、その掌からこぼれ落ちてはいない。
自分が溢そうとしても、皆が離さないでいてくれたから。
こんなにも大事なモノが見えなくなっていることに気付かなかった淡墨は、自分のことをほとほと見下げ果てる。
あまりにも馬鹿で、どうしようもないくらい愚かで、底抜けの屑が、理解できないくらい愛されていたことに。
それにようやく気付いた。
気付けて、良かった。
「は、はははは」
涙が溢れて笑いが込み上げてくる。
「ははは、ははははは!」
そんな淡墨を陽太達は、黙って見守る。
「くそっ、僕はなんて馬鹿だっ。あの時から何も成長しちゃいない」
そこに、とてとてとシンラが淡墨に歩み寄り
「にゃあ?」
シンラと真っ直ぐ目があった。
「あ、あぁ。ごめん。ごめんなシンラ。今まで本当ごめん!迷惑かけたな」
シンラは首を横に振る。
「謝らなきゃいけないんだ、華に、先生に。お礼をまだ言っていないんだ、洸さんに。会いに行かなきゃ行けない人がいるんだ、絶対に。…だから帰ろう。必ず勝って」
「にゃう!!」
シンラは頷き、淡墨の腕に飛び込んだ。
その温かさをしっかりと抱きしめる。
ずっと隣に居てくれたのに、その温かさを感じたのは随分懐かしく感じた。
そうして立ち上がった淡墨は、頭上の闇に少し慄く。
しかし目に力を込めて睨みつける。
力強く立ち上がる。
あの時と違って肉体の限界にはまだ程遠い。
「手伝ってくれるかい、黒河君」
「無粋ですね淡墨さん。そこは行くぞ、黒河!とか言って格好良い所を見せて下さいよ」
「昔から格好つけるのは苦手でね。それに何よりもまず、感謝と、そして謝罪を言わせて欲しい」
「いいえ。受け取りませんし聞きません。ここを出たときにその話は改めて聞きましょう」
「…そうかい。それじゃあ出た時にはとびっきりの土下座でもお見せしようか」
そう言って笑ってみせた。
その顔は憑き物が落ちたようだった。
いつも焦燥に駆られたような厳しそうな表情が緩み、涙が伝っていた顔は少しだけ穏やかだった。
「いや絶対やめてくださいね、なんせ俺達今から英雄になるんですよ。英雄の土下座なんて誰も見たくないでしょう?」
確かに、と言って淡墨は笑う。
そしてイタズラっぽく笑って言う。
少し意趣返しがしたかったから。
照れ隠しでもあったかもしれない。
「それに黒河君が彼女出来たこともないまま死なす訳にもいかないしね」
「は?いたことあるし何を聞いたか知らないですけどいたことはあるし。と言うか俺モテる方ですし最近でもデートのお誘いとかよく受けますし。忙しいから断ってるだけだし作ろうと思えばいつでも出来るけど?」
「…ごめん軽口で予想外の地雷が炸裂した。僕が悪かったから今は聞き流して欲しい」
「まぁ誤解が解けたのなら良いですけど?……で、その話誰から聞いたんですか?」
「え?いや……」
「そうですか言いたくないですか。じゃああの3人には俺からきつく言っておきますね。帰る理由が一つ増えましたね」
「僕は帰りたくなる理由が一つ産まれたよ。帰してくれようとしてる奴がその気を削ぐなよ」
そう言ってどちらからともなく笑った。
闇に包まれた場所で、そこだけは明かりが灯っているかのように。
「さて。それじゃあ、帰りましょうか」
「帰る?」
淡墨はその意味が分からず問い返す。
戦いに、勝ちに行くのではないのかと。
陽太はそれを否定する。
「何言ってるんですか、淡墨さん。それは帰り道の通過点です。寄り道みたいなものですよ」
「それはそれは。帰り甲斐のありそうな寄り道だね」
なるほどと淡墨は笑って返した。
そうして2人は足を踏み出す。
帰り道の第一歩を。
魔食③
魔石生物により創造された人間専用の食物、果実、穀物を総称して『魔食』と呼称されている。
これは人類の飢餓を救うとともに、発展もさせた。
なによりも、その再現性である。
何せ、肉を模した果実の魔食には、動物性タンパク質が含まれていた。
植物なのに動物性タンパク質。
これにはもう、研究者は匙を投げた。
理解不能であり、魔石生物がまさに未知の生物の所以であるとも言われる話でもある。
しかし、だからこそ、我々人類は存続しているのだ。
必須アミノ酸と言われる成分を補えているのも、魔石生物のおかげなのだ。
食物がなければ生きていけない人間にとって、魔石生物はもうなくてはならない存在であることは、疑いようのない事実だ。
参考文献
食物連鎖の終焉、魔石生物との共存の開幕




