レイドボス
陽太がそれをレイドボスだと感じたのは、ほとんど直感に近い。
レイドボスはエリアを移動できる能力を持っていることは知っていたから、自覚せぬままに脳裏で答えを出していたからかもしれない。
目の前の化け物の異様な様を、肌で感じ取ったからかも知れない。
エリアキングよりも強いプレッシャーを、その存在が放っていたからかも知れない。
その多くの情報を統合して、陽太は目の前の生物をレイドボスだと断定していた。
本で目の前の存在を見たわけではないし、伝聞で聞いたわけでもない。
しかし確信はあった。
出来れば嘘であって欲しいと心では思いながら、間違いないだろうと確信していた。
一見着こなしているように見える紳士服はしかし、その歪んだ笑顔には紳士性のカケラもなく似合うはずもない。
ただただ気色が悪い。
「走れ!!」
怒鳴るように言った淡墨に追従するように、クロが踵を返して走り出した。
今日何度も走り倒したクロが、本日最高速のスピードで走る。
後先考えない、持久力よりもスピードを重視したトップスピード。
あまりの速さでと風圧で目が痛くなるほどで、陽太はクロの鞍にしがみ付くことでことなきを得た。
後ろを見ると、淡墨が背後を気にしながら陽太に着いて来ていた。
不思議なことに、いや、ある意味予想通り、レイドボスは陽太達が去るのにも関わらず、追って気はしない。
逃げられるものなら逃げてみろ、そう言っているようにも聞こえた。
相変わらずおもちゃを前にした純真無垢な子供のような笑顔で陽太達を見ている。
蟻の手足を無意味に千切って、のたうち回るのを見て楽しむ幼い無邪気な悪意で陽太達を見つめている。
果たして、逃げられるのだろうか。
陽太はふと思う。
なにせ古今東西、ゲームでは決まっているのだ。
『ボスからは逃げられない』
♦︎♢♦︎♢
2人が遠ざかっていくのをレイドボスはニヤニヤと見送る。
何故なら絶対に残ると確信しているからだ。
慌てる必要など何もない。そしてレイドボスは振り返り、あるモノを見つけて
――ニチャリ
と、粘ついた笑みを溢した。
気を失ったエリアキングを見つけて、丁度いいとばかりに嗤う。
その満面の笑みはしかし、醜悪そのものであった。
闇を裂いたような暗黒の笑みは、じっとりと粘着質な目線で二人の背中を見つめていた。
♦︎♢♦︎♢
レイドボスの姿が見えなくなった所で、陽太達は大木に身を隠した。
果たして隠れることに意味があるのか、そんな疑問に胸中に抱きながら。
「はぁ、はぁ」
荒い息を陽太は吐く。
自分では走っていないのに、その身体は疲れを感じていた。
圧倒的な恐怖はその身体に重くのしかかる。
恐怖で震えるよりも、虚脱感に襲われる。
本物の絶望を前に、人は恐怖するのではなく、諦観するのだと陽太は悟った。
勝てない。
そして恐らく、逃げれない。
死ぬ。
――シンボルエリア内でレイドボスに出会う可能性なんて、宝くじに当たるような確率だ。
大学でそんなことを習ったのを、遠い思い出のようにふと思い出した。
黒く、暗く、漆黒に。
陽太の瞳は濁っていく。
何も成せぬ人生だったなぁ、なんて考えていた所に怒号が陽太の鼓膜を震わせる。
それはクロではなく、そしてシロでもなかった。
「黒河!諦めてんじゃねぇぞ!!」
淡墨が陽太の胸ぐらを掴んで叫ぶ。
「走れ!全力で走り抜け!!クロ!黒河を死なせたくねぇなら死ぬ気で走れ!いいな!?」
浴びせかけられる怒声を前に、陽太はハッと己を取り戻す。
「後は俺に任せろ。俺は強ぇ、知ってるだろ?」
仮面越しに、柔らかく笑ってるだろうと思えるような、安心させるような声色だった。
それを聞いてようやく目の前の男が、レイドボスに挑みに行くのだと気付いた。
目の前の男が死地に赴くつもりなのだと、遅まきながら気付くことが出来た。
それを聞いて陽太は場違いなことを思った。
正気を取り戻した陽太が、正気とは思えない結論に辿り着いた。
これは、千載一遇のチャンスなのではないか、と。
陽太はふとそう思った。
♦︎♢♦︎♢
江ノ山のシンボルエリアに潜った後、陽太は霧島を前にしていた。
自分の考えが正しいのか、こんなことを聞いていいのか分からず、しばらくまごまごしてしまったが、それを何も言わずに待つ霧島を見て覚悟を決めた。
だから陽太は言い放つ。
「霧島先生、淡墨さんって誰の真似をしているんですか?」
「――」
息を飲み、目を見開いて陽太を見つめている霧島の反応を見て、陽太はやはりそうかと確信する。
「ずっと不思議だったんです。金髪やピアスにドクロのネックレスをつけている淡墨さんを。自分がおしゃれだと思ってつけてるようには見えませんでしたから。まるで強制されてるような違和感がありました」
無言の霧島に、陽太は続ける。
「先生の言っていた“問題児”の意味をずっと考えていました。でも淡墨さんにはどうも噛み合わない。でも今日はっきりわかりました。戦いの時に“戦闘狂”のように振る舞う淡墨さんを見て、ふと思ったんです。誰を参考にしているんだろうって。誰の戦闘スタイルを模倣しているんだろうって」
霧島は相槌だけ打ち耳を傾ける。
「鎧化した時の淡墨さんは性格が変わります。僕は一種の心の仮面のようなもので、鎧化する事で自分の心を切り替えているんだと思っていました。強い自分の演技をしているんだろうと。でも、それが勘違いだと今日はっきり気づきました」
霧島は陽太を期待するように見つめる。
「そして初めて会った時の淡墨を思い出しました。チャラついた男を演じて、女の子をナンパしていた淡墨さんを。それを踏まえると、鎧化したから人格を変えているわけではないんだと思ったんです。あの似合っていない髪もピアスも、チャラついた男を演じていたのも、違う理由だって。華さんがそれに何も言わないのも疑問に思ってました。一度聞いたことあるんですよ、華さんに。淡墨さんのあの髪色って何かのこだわりなんですかって。曖昧に濁されてしまいましたが、逆にそれが答えでもあったんだと今ならわかります」
霧島を見据えて陽太は言う。
「だから気付いたんです。華さんも容易に口出しを出来ない誰かのことを模倣をしているんだって。――そして恐らくはその人」
陽太は一つ唾を飲み込む。
これが恐らく、確信的な部分。
「――亡くなっているんじゃないですか?」
霧島が空を仰ぐように頭上を見つめる。
「陽太くん」
「はい」
「君の洞察力はあまりにも非凡だ。そこまで当てるとは思っていなかったよ」
感嘆した霧島は言う。
「改めて言わせて貰うけど、君を特待生に選んで、本当に良かった。僕の選択は間違っていなかった」
心底安心したように、霧島は笑った。
そして、霧島は口を開く。
淡墨の話を。
そしてとある男の話を。
「軽蔑にされるかも知れないけど、今回の特待生を僕は主観で選ぶと決めていた。私情を挟むと決めて選ぼうと思っていた」
霧島は気不味そうに言う。
「恭介君と上手く付き合っていける人間。これを念頭に入れて探そうと思っていたんだ」
「どうしてですか?」
「うん、彼は自分にも厳しいけど他人にも厳しい。命をかける世界だからこそより厳しくしている。それは本来優しさなのだけど、大抵の人間はそうは受け取らない。厳しさに耐えられるというのはなかなかどうして難しい。だから陽太君のような存在は彼にとっては嬉しかったと思うよ。その本質を理解してくれていて、なおかつ愚痴を言わずにただ直向きに努力する君の姿は」
「…それならば僕としても嬉しいです」
陽太は納得した。
他にアーマー種がいたのにも関わらず、陽太に声をかけたのにはやはり理由があったようだ。
「…見損なったかい?」
「いえ、むしろ選ばれた理由がわかってすっきりしました。それどころか嬉しく思います。クロとシロだけでなく、俺という人間を評価して貰ったってことなんですから」
「そう言ってくれると救われるよ。あぁ、フォローのつもりではないけど、食わず嫌いの2体持ちというのは本当に珍しい。そこに興味を持ったのは嘘じゃない。そして同時に、陽太君と言う人間を稀有な人間性だとも思った。君のような真面目で努力家ではなければ、彼はここまで真剣に向き合ってくれてなかったし、心を開いてくれなかった。自分がシンボルエリアに潜るのをやめてまでね」
陽太はそれを笑顔で受けた。
「僕が特待生に期待していたのは2つ。恭介君と上手くやれる人間である事と、そして今の彼の暴走を止めてくれるであろう人間を僕は探していた」
「暴走、ですか」
「そうだ。少し過激な表現をしたが、撤回はしない。実際彼は陽太君と会うまで週6でシンボルエリアに潜っていた。一年以上それを続けていた」
「はぁ!?正気ですか!?」
シンボルエリアはプロでも週2、多くても週3なのが一般的だ。
命を晒すという精神的疲労、単純な肉体的な疲労などを鑑みるとそれくらいが妥当である。
十分な稼ぎを得ることも出来るし、残りの日数は休日や訓練に割り振られる。プロの魔石狩りでもそれくらいが共通の認識である。
「当然正気の沙汰じゃない、狂気だよ。僕も何度も何度も、止めるように言った。華くんも何度も何度も泣きながら止めた。けれど彼は止まらなかった。いや、止まれなかった」
重々しく言う霧島に、陽太は嫌な事実気付いた。
淡墨は霧島を尊敬しているのを陽太は知っている。
そんな人間の忠告を聞かないという蛮行。
淡墨は華を愛しているのを陽太は知っている。
そんな人間の懇願を受け入れない愚行。
その意味することは――
「もしかして、淡墨さんがその人の死に関わっているんですか?」
「……あれはね、事故のようなものだった」
俯いた霧島は、しゃがれた声で言う。
「Aランクのシンボルエリアに潜っていた恭介くん達はエリアキング、そしてレイドボスを同時に相手にすることになってしまった。そして恭介くんだけ生き延びてしまった」
「……あ」
その事件は陽太も知っていた。
日本中は愚か、世界中でニュースになった大事件。
英雄的大活躍と、同時に悲劇的な死。
「“活動限界”六道山のエリアキングと、“嫉妬”のレイドボスを倒した…あの人、ですか?」
「そう、キングとボスを1人で相手取り、相打ちに勝った大偉業を成した英雄。この学校の特待生で、僕の生徒でもあり、恭介君の師匠のような存在。初期ガチャ2体持ちで、アーマー種とそして無機物種の武器型を持った世界で唯一の存在」
霧島は目線を陽太に合わせる。
「約束された英雄と呼ばれた男、“千野洸”に救われて生き残ったことは、恭介君を未だに苦しめている。贖罪の機会を探している」、
淡墨が現在シンボルエリアに行かないのは、学校に時間を拘束されているというのもあるが、それよりも陽太の影響が大きい。
淡墨は最初、この話を受けるつもりはなかった。
しかし華と霧島の必死の説得により、大学の前期の間だけ大学と霧島のサポートと、そして特待生の教育に回ることを約束した。
しかし同時に、淡墨は2つ条件を出した。
教育方針は自分が決めることと、自分のやり方について来れないのであれば切り捨てるということをだ。
最初陽太に会った時も意地の悪いことをしてしまった自覚もある。足を引っ張る存在だと勝手に思い、それが知らずに表に出てしまっていたのだろう。
それほどには嫌がっていた。
面倒臭いと心底思っていた。
だからこそあえて、彼が嫌がるであろう人間を演出して彼の前に現れた。淡墨はそういう人間をよく見てきたから模倣は得意だった。
残念ながら華に阻まれてしまったが。
自分はこんなことをしている場合ではない。
そう思っていたから。
それが変わったのは、黒河陽太という男がいたく真面目で、その本気が、熱意が淡墨にじわじわと伝わって来たからだ。
学業も手を抜かず、訓練にも我武者羅な陽太の姿は少しずつ淡墨の心を動かしていく。
他人が見たら一方的な暴力に見えるような訓練にも、異を唱えることは一度も無く。
爽やかな見た目とは裏腹に、歯を食いしばって耐え抜く泥臭い姿勢は、素直に淡墨を感心させた。
弱音を内に秘めて立ち上がる姿は羨ましいとすら思った。自分と違ってなんと強い男だと。
その人間性も少々黒い所はあれど、善人で好青年。
打てば響く、という言葉がしっくり来るほど、優秀でなおかつ努力家だった。
次第に。
いつの間にか、彼の成長を期待している自分がいた。
試験の後、彼が魔石狩りを続けるという答えを出した時、残念さよりも安堵が少し勝っていたようにも思えた。
こんなことをしている暇無いはずなのに。
黒河陽太は頼り甲斐のある後輩として、グングン成長を続けていた。
そんなものを見守っている場合では無いはずだったのに。
けれど。
やっと今日、出会えた。
何度も何度も、繰り返し潜ってようやく。
霧島にも華にも止められても、止めなかった結果が遂に実った。
しかし、この未来ある後輩を巻き込みはしない。
必ず逃す。
何に変えても、絶対に。
やっと、自分の番が来たのだ。
あの日、あの時の自分ではない。
やっと、あの人の代わりであることを証明出来るのだ…!!
安心させるように、陽太に声をかけた。
後は俺がやっといてやる、と。
あの人と同じように、声をかけた。
何とも言えない顔をした後、陽太は下を向いて俯いた。
そんな彼に構わず、クロに声をかける。
早く逃げろ、と。
本当に間に合わなくなってしまう可能性もあるんだ。
一刻も早く走れ、と怒鳴り声を上げた。
そうして顔を上げた陽太の顔を見て、淡墨は不思議過ぎて声が止まってしまった。
状況にそぐわないその表情と、そしてクロから飛び降りたことに言葉を失う。
なんせ彼は、黒河陽太は笑っていたのだ。
願いの石
その石は願いを叶えるという。
ある者は死の淵からの脱却を。
ある者は破格の強さを。
ある者は失った手足を。
その石に願えば、使用者の意図を汲んだ魔石生物を新たに生み出す。
その魔石生物は確定で唯一種であり、その強さや能力の高さは計り知れない。
故にこの石は、世界で1番高い商品として登録されている。
かつてオークションにかけられたことがあり、世界中の大富豪達が大金を積み上げたが、オークションに勝った富豪がその日の晩に殺されたことで、この石がオークションに出ることはなくなった。
唯一種やアーマー種等の貴重種を相棒に持っている場合、違った形でその石は効果を発揮すると言う。
参考文献
レイドボスの存在意義〜人類の敵の解説〜




