千年樹海”横浜”③
「あぁ!もう向かってる!そっちはそっちで援軍出せよ!!あ゛!?こんなでかい森の中でバッタリ合うなんざねぇだろうが!!」
淡墨が通話相手に怒鳴るように言うのが聞こえる。
陽太達は爆発音のした方に向かっていた。巨大な木の根をかき分け、飛ぶように走るクロの背で鞍を必死で掴んでいる。
向かった方面からは大量の黒煙が上がっていた。
鳥は逃げるように飛び、小動物は逃げ出し、魔物は雄叫びを上げて騒いでいる。
樹海は混乱の中にあった。
「最悪なケースですね」
陽太はボイスチャットで淡墨に話しかける。
「あぁ!恐らく何も知れねぇ阿呆がやらかしたんだろうが、そんなもん関係ねぇ。もう動いているぞ!エリアキングが!」
ここのエリアキングは森が傷付くことを嫌う。
ということは、先に陽太達が見つかった場合敵として排除される可能性がある。
緊張感が高まっていくのを感じる。
あんなでかい爆発だ。エリアキングが怒り狂って現場にいることは想像に難くない。
――いや待て。
こんなシンボルエリアでの派手な行動、警察にも伝わるだろうし、エリアキングも暴れる。
この行動は無意味だ。
逃げおおせる可能性など皆無に等しい。
ならば何故?
逃げる算段がついているのか?
あの詰所に大勢いた警察から逃げられるはずもないが……いや、それとも内部の人間を買収済みか?
その可能性はあるかもしれないが、こんな派手にする必要はない。
コソコソ盗んだ方が確実だ。
ならばこれは――
「陽動……?」
陽太はふとその言葉を口に出す。
「その可能性は高い」
瞬時に淡墨は頷く。
「こんな規模でやる理由はそれしかねぇ。エリアキングを呼び出してその間に実を根こそぎ奪い取る算段だろ」
その発言に、陽太は全身の血の気が引いていくのを感じた。
「そんなことしたら……!」
「エリアの拡張は今までの比じゃない!下手したら人類の生活拠点まで広がるぞ!」
シンボルエリア付近に人は住んでいない。
すぐ近くに敵が潜んでいる所に住みたくないという心理もあるが、基本シンボルエリアは一般人は立ち入り禁止区域だからだ。
だから人間の活動区域は、シンボルエリアから少し離れた所にある。
しかし。
それが侵略されたのであれば。
安全区域だと思っていた場所が、自分の家がシンボルエリアに侵されたのであれば。
混乱は、恐慌は確実に起こる。
「わかるか、黒河。これは、絶対に止めないといけない」
「もちろんです…!」
「今詰所にいる何十人もの警察が出動してる。応援もその内来るだろう」
苦渋を飲むように言う淡墨に、陽太は言いたいことを悟る。
悟ってしまった。
「…間に合いませんか?」
「分からん。が、その可能性は視野に入れなければいけない」
淡墨が中空を操作し、陽太にとある情報を送ってくる。
確認するとそれは地図だった。
千年樹海横浜の全体図だ。
7ヶ所に丸い点が付いており、それが点滅している。
これはエリアキングの拠点だろう。
後方に先程までいた場所も光っているので、間違いない。
「俺らがさっきまでいた拠点はほぼ魔石になる直前だ。だからあそこに盗掘者が行くことはない。そしてエリアキングがさっきまでいただろう拠点もない」
点滅する場所が二つ消え、5つになる。
そのうち2つは今の陽太達の地点から北に真っ直ぐと、西に真っ直ぐで別れている。
淡墨が動きを止める。
陽太も同じく立ち止まる。
苦悩している淡墨は、拳を、全身を震わせている。
鎧越しにも、その顔を見なくても、陽太はその顔が見える。
察しがつく。
怒りと、やるせなさと。その2つが淡墨を苦しめている。
陽太はもう、淡墨の言いたいことを悟っていた。
だから言葉を贈ろう。
彼の悩みを断つために。
今は、足を止めている場合ではない。
「淡墨さん。俺達はここから別行動しなければいけない。そうですね?」
「!?」
淡墨がハッとこちらを振り返る。
陽太は真っ直ぐ見つめ返す。
「……言ってる意味がわかってるのか?ここがどこか理解した上で言ってるのか?」
「えぇ」
なんでもないような顔をして、陽太は言う。
その胸の不安を押し殺し、虚勢を張って見せる。
声が震えない様に、堂々と言ってのける。
強がりを悟られないように。
「俺はあなたの信用に足りませんか?」
畳み掛けるように陽太は言葉を紡ぎ、数秒の逡巡の後
「くそがぁ!!」
ドン!と大きな音を立てて、淡墨は苛立ちを隠さずその拳を地面に叩きつけた。
そして吹っ切れたように言う。
「お前は西に行け!そっちの方は盗掘者がいない可能性が高い。魔物には構うな!クロの速度なら逃げられる!シロを偵察で使うな!温存させていざと言うときに構えておけ!仮に盗掘者がいても無理に争うな!自分の身を大事に動け!そっちの方向にも救助要請を頼んでおく、本来なら5分くらいで来るだろうが状況が状況だ!遅れることは前提で心得ておけ!いいな!?」
「は、はい!」
矢継ぎ早に指示を出す淡墨に圧倒されながらも、陽太は返事をする。
「片付けたらすぐに俺も向かう!…無茶は、しないでくれよ」
「…はい!それじゃあ…行ってきます!行くぞ!クロ!」
「ヴォン!!」
クロの嘶きと共に、陽太はその場を後にする。
シロを抱きしめる手は少し震えていた。
♦︎♢♦︎♢
「くそっ!なんでこんなことにっ!!」
忌々しげに淡墨は言う。
こんな場所で、Cランクのエリアで一人にさせるなど、到底していい判断ではない。
しかもまだ魔石狩りにもなっていない、初心者の学生を。
こんな血迷った決断を下して良いわけがない。
しかし、そうしなければならない危機的状況なのも確かだった。
それがわかっていても、そんな自分が淡墨は許せなかった。
「にゃう」
落ち着け、と言うように鎧から声が聞こえる。
「あぁ、わかってる。今はそんなこと考えてる場合じゃない」
シンラのその一言だけで、怒りに歪んだ顔は無表情になり、淡墨は落ち着きを取り戻す。
瞬時に冷静に物事を判断する。
プロとして、流石の感情のコントロールだった。
「シンラ、全力で行くよ」
「――ん、にゃおん」
淡墨は手を前足の様につけて屈む。
「後輩が気張ってるんだ。全員速攻で片付ける」
敵に容赦はしない。
例えそれが人間だとしても――。
♦︎♢♦︎♢
「ハッハッハッ」
クロの荒い息遣いが耳に届く。
トップスピードで駆け続けているクロは、その身体に確かな疲労を積み重ねていく。
しかし止まれない理由もあった。
エリアキングの拠点まで急がなければいけない。
実を奪われてはならない。
しかしそれだけでなく、陽太達は魔物に追われている真っ最中だった。
敵は10体以上いるし、倒している暇はなかった。
ましては相手にしている時間など微塵もなかった。
淡墨に言われた通り、陽太は逃げの一手を決め込み、敵にその背を向けてひた走っている。
ランクCという初心者には不釣り合いな場において、何より1人ということに動揺を禁じ得なかった。
今まで他のエリアでも別れて戦うことはあった。
しかし、今回ほど離れることはなかったし、何よりも身の丈に合わないエリアに1人という事実は陽太の表情を固くする。
ランクCのエリアは基本的にソロで潜ることは禁じられている。
死の危険性が非常に高いからだ。
また、敵に追われるという経験が高尾山でエリアキングにされた以外は経験がなく、何度も後方を振り返り確認してしまう。
心労という意味では、陽太もクロと同じように疲労を積み重ねていた。
そんな陽太の周りに、薄い靄がかかり始める。
「よし!良いぞ、シロ!」
陽太の腕に抱き抱えられたシロは、目を瞑り身体を膨らませては羽を広げ、縮めては羽を戻すという作業をゆっくりと深呼吸と共に繰り返していた。
その深呼吸が度重なる程に、靄はさらに広がり、やがて霧のように辺りを白く包み始める。
霧に惑わされたか、追ってきた魔物は背後から遠くなっていく。
「よし!良くやった、シロ」
その背をポンポンと叩くと、シロはほひゅう、と疲れた様に息を吐いた。
シロの能力は気体さえも操ることが出来る。
しかし、シロはそれがどうにも苦手なようで、霧を起こすには時間がかかる。
まだまだ訓練中の技であった。
理想としては、瞬く間に霧に包まれることが目標だが、それが成るのは当分先の話だろう。
固体、液体、気体と3種類の状態変化を操ることの出来るシロは稀有な存在である。
現状では固体、つまり氷系の技なら瞬時に凍らせるほど得意で、次点で液体、少しのためが必要とする。
気体に関してはまだ使えるというレベルではない。
だがそんなことが出来る魔石生物は、世界中見回して見てもそう数はいないだろう。
霧島からの太鼓判押しだ。
そんなシロが、陽太は誇らしかった。
敵を撒いて一息つくまもなく、クロは変わらず全力で駆け続けている。
いちいち敵に構っている暇はない。
ましてはコンクリートだけでなく、ビルや木々が生い茂るエリアだ。
上に横に、時には遠回りをしながら向かわなければならず、予想を超える悪路に陽太は嘆息する。
だがそんな悪路をものともせず逞しく走るクロも、シロと同じく誇らしい。
目的地までは、もう間もない。
思ったよりも順調な旅路と、頼もしいパートナーに陽太は一安心する。
が。
「ヴァウ」
クロが小さく言う。
この先に人がいる、と。
脱力しかけた身体に力が入る。
緊張が身体を固くしようとするが
「フーッ」
息を大きく吐く。
――冷静に、冷静に。
陽太は心の中で呟く。
メンタルコントロールは何よりも大事だ。
「行こう、クロ」
「ウォン」
さらにスピードを上げるクロに、陽太は鞍を握りしめる。
陽太はこれからシンボルエリアにおいて初めて、人間の敵に相対するのだから。
非時香菓
とある男が千年樹海“横浜”において、魔石と勘違いして採取したのが始まり。咲いている状態で採取したそれは石ではなく、柔らかかった。外側からグニグニと潰せる程度には。それを不思議に思い、持っていたナイフで傷を付けると果実のように汁が流れ出た。
汁っけの多かったその実は男の顔にかかり、思わず舐めると、それは甘い果実のような旨味がありその男は思わず齧り付いた。
スイカほどの大きさのそれをあっという間に食べ切った男はその直後に、身体中が発熱した。
やってしまった、そう後悔するも遅く、男はなんとか家に帰り着くもそのまま意識を失ってしまう。
明くる日、目覚めた時身体の軽さに男は驚く。
身体の熱も引いており、安心してシャワーを浴びようとした男は鏡を見てその目を見開いて驚愕する。
まるで肌のハリが10代のように若返った自分に。皺もなく、シミも無くなった己の顔に。
その男の歓喜は、資産家たちに伝わり、やがてそのシンボルエリアを拡大させるという最悪の事態を招く。
宝石のように魅力的で、そして若返りの効果を持つその実は現代の非時香菓として一部で名を馳せる。
参考文献
極秘レポート“非時香菓”
 




