千年樹海”横浜”①
その日、陽太がシンボルエリアに潜るのは9度目だった。
不登の山“高尾山”。
祈りの島“江ノ山”。
荒廃都市“新宿”。
百鬼横丁“鎌倉”。
以上4種類のエリアを、陽太は既に潜っていた。
そのどれもがランクはD以下で、陽太は自分達の力が通用することに自信を持つことが出来た。
シンボルエリアを前にしても、程よい緊張感で臨むことが出来る程度には慣れてきていた。
しかし、今回陽太はその光景を前に緊張していた。
喉の渇きを求めたのか、自然とゴクリと唾を飲んでいた。
大型鳥の運び屋から見るその光景は、まるで人類が姿を消して千年は経ったような、そんな退廃的な美しさがあった。
かつては多くの人間が働いていた巨大なビルが、崩れそうに斜めになり、蔦や木々に支えられながらも原型をとどめている。
昔は遊園地であったその場所では、観覧車は横転し、ジェットコースターもメッキが剥がれ錆びて朽ちかけている。
メリーゴーランドには生い茂る草花がそれらを隠していた。
そこは、緑の海に沈んでいた。
隣は海なのにも関わらず、塩害など知らぬとばかりに強く生い茂る木々はひどく逞しい。
千年樹海“横浜”。
神奈川県において最大級のシンボルエリアにして、陽太にとっては初めてのランクCのエリアである。
「流石に緊張するかい?」
「えぇ、少し」
淡墨が陽太に言う。
見通しのいい所に降ろしてもらった陽太達は、その広い樹海に息を呑む。
しかし、最初に潜った程の緊張感はなく、そこにあるのは初めてのエリアへの不安程度で、陽太は既にシンボルエリアに潜るのに慣れ始めていた。
「では恒例のテストだ。このエリアの仕入れて知識を教えてくれ」
「はい。見ての通り“緑”のエリアのため、落ちている魔石も、魔物も緑の魔物が多めです。ですが種族の幅が広く、植物系、獣系、岩石系などと多岐に渡ります。海に近いせいか青系統も存在します。なので様々な種類への対応力が求められます」
淡墨が頷くのを見て、陽太はさらに続ける。
「また、ここのエリアキングは拠点型ではありますが、色んなところに点在に住処を作っています。複数拠点型とでも言いますか。しかしここのエリアキングは人間を見ても襲って来ないかなり珍しいタイプです。攻撃されない限りは無視してくれるので、無理に攻撃する必要はないでしょう。球根から花が咲いたような形をしたボスで、体高は約5m。茎や根を鞭のように操り攻撃してきます」
「その通り。しかしそれだと75点かな」
情報が足りなかったか?と思い陽太は脳内の記憶した情報を探るが、細かい捕捉情報しか思い浮かばない。
おそらく淡墨の言って欲しい回答ではない。
それ以外の情報は陽太は知らず、悔しさに唇を噛む。
「すいません、わかりません」
事前にここに潜ると言われた時から徹底的に調べたつもりだったが、足りなかったらしい。
「意地悪をするつもりではないんだけどね。普通に調べる限りでは今の言っていた所までしかわからないだろう」
陽太は素直に首を傾げる。
「秘匿情報があるんだよ」
「……それは?」
「二つある。まずエリアキングは自分の住処を荒らされることを嫌う。攻撃されなくても自然を大きく壊すと襲ってくる。この樹海全てがエリアキングの身体だと思った方がいい」
陽太はこの重要な情報が秘匿されていることに疑問を持った。
「なぜ、こんな大事な情報が秘匿されているんですか?このエリアに入るにおいてかなり重要なことだと思いますけど」
「あぁ。それはもう一つの方に関連する。それは、このエリアは日本でも有数の」
淡墨は樹海を見上げながら言う。
「盗掘エリアなんだ」
千年樹海“横浜”は、大きさでは関東においても有数のシンボルエリアで、その広さ故に監視が困難だ。
エリア付近の木々を伐採することも出来ず、手入れがされていない為、盗掘を狙う者には好条件の揃ったエリアだ。
だとしても、ここはランクC。
盗掘するには敵も強く、多種多様で危険すぎる。もっと簡単に侵入を出来るエリアは他にもある。
例え命懸けでも、捕まっても、それ以上に魅力的なモノがこのエリアにはあった。
「ここのエリアボスは討伐禁止だ」
既に鎧化した淡墨が言う。
「高尾山の蜘蛛と似たような理由ですか?」
「いや、もっと人間らしい理由だ。表向きは60種を超える魔物及び、地球の原生生物の存在する混在地帯における生存競争の長期的研究…だっけか?それなりに確かな理由だが、もっと他に理由はある」
樹海付近の、壊れたコンクリートをの道路を歩きながら淡墨は説明を続ける。
「ここのエリアボスはとある果実を育てている」
「…まさか、その実が美味しいから、とかじゃないですよね?」
「半分当たりだ。その果実はめちゃくちゃうめぇらしい。そしてその効能は、アンチエイジング」
陽太はピタリと足を止める。
「若返り、ですか?」
「その実を食べると、まるで10歳は若返ったかのように小皺は減り、関節痛は良くなり、性機能も蘇る。はっ、人類にとって夢の果実、現実に存在する非時香果ってやつだ。これが二つ目の理由だ」
「そりゃ、討伐禁止にもなりますね。しかし、そんな話聞いたこともなかったです」
「そりゃそうさ、緘口令が敷かれているからな。俺も華にすら喋ったことはねぇ」
「…俺また、やばい話聞かされてます?」
「喋ったら恐らく二度と陽の光を拝めないと思うから気を付けろよ?」
「霧島先生の事といい、安易にこんな話しないでください。そろそろ俺の心臓弾けますよ」
この男はサラッとそういう危ない話をする、と陽太はなんとか微笑みを携えながらも憎々しげに言う。
「一応許可を貰ってるから大丈夫大丈夫。あ、これからいく門番の所で他言無用の誓約書を貰うからサインしろよ」
「……」
これには陽太も思わず睨む。
「お前のことを信用してのことなんだから、そんなに睨むんじゃねぇよ」
仮面越しでもわかる程ニヤニヤして言う淡墨に、陽太は心で舌打ちをした。
それで、と淡墨は話を続ける。
「そんなヤバいモノが乱獲されないはずもなく、その結果、ここのエリアボスがしたのは、エリアの拡張だ」
陽太は驚愕で目を見開く。
「わかるか?だからこの話は他言無用なんだ。本来この樹海は2回り程小さかった。それを乱獲した結果1回り。それを知らないバカが大量に盗んでもう1回り大きくなった」
「そんなことが公表されないんですか…!」
馬鹿げている、と陽太はイラつきを隠さずに言う。
「されねぇ。何故ならそんなモノがあると知ったら、例えどんな被害があろうと自分が良ければ良し、と言う馬鹿が我先にと殺到するからだ」
淡墨は呆れたように言う。
「さらに言えば、そんな効能があるモノを、欲深い人間が手放すはずもねぇ。今はエリアキングを怒らせず、なんとか採取出来ねぇか模索中らしいぜ」
エリアが広がる危険性があるのにも関わらず、まだ採取を諦めていないと、淡墨は言う。
その馬鹿さ加減に、陽太も淡墨と同じようにため息をついた。
「だから、この場所は盗採者が後を立たねぇ。毎月10人以上は捕まってる。その効能に目が眩んだ馬鹿が大金を使って人を送り込んでいるからな」
「…このシンボルエリア、大丈夫なんですか?」
「そのせいでここは駐在の警察が大人数いる。気がつかなかったろうが、この樹海の周りの全ては多数の監視カメラで監視している。ここが荒れた地だと勘違いした奴らは早々にお縄だ」
「……え?俺ら今めちゃくちゃヤバい話聞かれてませんか?」
「大丈夫、妨害電波出してるから」
そう言うと淡墨は手から小さなガジェットを陽太に見せた。
「それは何も大丈夫じゃない!!馬鹿なんですか!?馬鹿じゃないですか!!」
「おいおい酷でぇことを言うなぁ。ただの冗談なのによ?本当は監視カメラじゃなくて赤外線探知機が設置されてる。温度は隠しようもないからな」
「…ははは、冗談、ね。仏の顔を一瞬で三回以上殴るなんてやりますね。もはや仏も閻魔ですよ」
陽太は笑顔でキレてみせる。
「はっ!鈍い仏だな。3回殴られたことに気付かないなんて閻魔どころか小鬼以下だな」
「よーし!その喧嘩買ったぁ!行くぞ、クロ、シロ!!」
潜る前から血の気の多い2人だった。
最近の陽太は鎧化した第二人格の淡墨に慣れたせいか、容赦ない行動を取りがちだった。
それを止めたのは約束の時間になってもなかなか来ない2人を探して来た門番だった。、
「まったく、俺まで変な目で見られたじゃねぇか」
鎧姿の淡墨がぶつぶつと文句を言っている。
「はいはい、もう書くもの書いて提出したんで行きましょうよ」
そんな淡墨を適当に遇らう陽太達の姿は、気安い関係を思わせる。
既に何度かの死線を潜った二人は、確かな信頼を築き始めていた。
警察関係の人間や、門番がいる施設から出て来た2人はシンボルエリアの前に立つ。
――千年樹海、か。
陽太はその光景を見て改めて思う。
ビルや道路、放置された車が木々に飲まれ、浸食された姿は、その名の通り千年後の街の姿を彷彿とさせる。
背の高い木々は間伐されることもなく自由に生い茂り、陽太を圧倒する。
大きく息を吸い、ゆっくりと吐く。
腕に止まるシロと、寄り添うように立つクロに視線を合わせて頷き合う。
「行くぞ」
「はい!」
淡墨の背に続くように、陽太は新しいエリアに足を踏み入れた。
魔石②
魔石は普段固い石でしかない。
しかし魔石生物が食べる際それは脆くなる。
普段固い魔石が、魔石生物が食べる際硬めのポテトチップスのようにバリバリと食べるのを見ると不思議でしかない。
当初の研究では魔石生物の体液には魔石を脆くする何らかの成分が含まれているのではないか、と考えられていた。
実際に魔石生物のよだれを採取し、魔石にかけてみたが変化はなかった。
体外から離れた場合効力を失うか、もしくは関係はないか。
それは現在解明されていない。
現在の研究では魔石生物が魔石を食す際、何らかの電波、もしくは波動のようなものを魔石に対して発しているのではないかと言われている。
しかしこれもおそらく否定されて終わるだろう。
大型のものなら口に複数もの魔石を含め、バリバリ食べる。
しかし、鳥型や、小型の魔石生物はそんな事が出来ない。なのに何回かつつくと崩れ、それを崩しながらバリバリと食べる。
蝶型に至っては魔石を液体化しているのか、口で魔石に吸い付くとストローで吸うように魔石がなくなっていくのだから、呆れてしまう。
つまり現状、我々人類は魔石に関しては匙を投げている。
魔石の食糧として以外の価値が現時点では美術品程度しかないので、研究する価値があまりない。
人類はそこまで暇ではない。
参考文献
魔石生物が魔石を食す際の魔石の反応及び変化




