雨はいつかやむ
陽太はゆっくりとした足取りで戻る。
心底疲れ果てていたが、みんな陽太が戻ってくるのを待っていた。
クロとシロは、さっき見た時と変わらない大勢で陽太を待っていた。
「悪い。待たせたな」
「ばう」
「ほう」
気にしてない、そう言うように二人は鳴いた。
ぎゅっと抱きしめると、冷たくなった身体と、そして確かな鼓動を感じた。
温かかった。
「淡墨さんも、すみません。お待たせしました」
「いや、構わないよ」
同じくびしょ濡れの淡墨に、陽太は申し訳なくなり言う。
しかしこれ以上言うのも野暮だろうと思い、重ねて謝るのは止めて魔石を差し出す。
「今日の戦果です。受け取ってください」
「初めての戦果を奪うほど野暮なつもりはないよ。それは取っておくといい。使わずとも売らずとも、その石の価値は君が良く知っているだろう」
「はいっ!ありがとうございます」
「それでは改めまして」
淡墨は手を差し出して言う。
「これから僕らはチームだ。よろしく」
「――はい!よろしくお願いします!」
陽太はその差し出された手を強く握り返した。
陽太が認められた瞬間だった。
魔石狩り一歩を確かに踏み出した。
雨はあがり、雲は散り散りに消えて青い空が見え始める。
「さぁ、行こうか」
「はい!」
淡墨に続いて歩き出した。
朽ちた木や、毒の沼で悍ましい世界でも、美しいものは変わらないな、と空にかかる橋を見て陽太はそんなことを思った。
最初に抱いた悍ましさは、もうなくなっていた。
「にゃ」
淡墨の後ろを追おうとすると、肩に乗っていたシンラが飛び降りて陽太を見つめる。
シンラは陽太の握りしめている右手を顎でしゃくる。
「ん?これ?」
陽太が手を開いた瞬間、シンラが飛び掛かってくる。
「っ!」
反射的に躱そうとするが、シンラの方が上手で陽太から魔石を奪い、ヒョイっと食べてしまった。
「あぁぁぁぁーー!!!!」
思わず陽太は叫び声を上げる。
「にゃう」
待たせた詫び代だ、とツーンと言い放ちシンラは淡墨に着いていく。
「いや、シンラ……それはない。謝りなさい」
「にゃうにゃ」
淡墨が頭を抱えてシンラに言うが、当の本人はどこ吹く風という風体でしれっとしており、プイッと明後日の方を向いた。
俺の初めての成果が……!!
一生モノの宝物にしようと思ったのに……!!
陽太は膝を地面に着けて落ち込む。
「あの、えっと……ご、ごめんね?シンラも、ほら!」
淡墨があたふたしながら陽太に謝る。
クロはまたシンラを威嚇し、シロは陽太の肩に留まりトントンとその背を優しく叩いた。
「ほふぅ」
やれやれと首を振りながら。
♦︎♢♦︎♢
そんな陽太達を遠くから見つめる視線があった。
その視線は愉しげで、楽しげだ。
ジュルリと舌舐めずりをして唾を啜る。
お腹を空かせた時の好物を前にした子供のように純心で。
美女をあの手この手で口説く男のように邪で。
――いいおもちゃを見つけた。
クツクツと笑いながら、そいつはその姿をくらませる。
なにもなかったかのように、そこにはなにもいなくなった。
陽太は疲れ切っていたため別だが、他全員は周囲の警戒を忘れてはいなかった。少々コミカルな場面であったが、注意を誰も怠ってはいなかった。
クロの嗅覚をやり過ごし、シロの聴覚でも聞き取ることが出来ず、玄人の淡墨やシンラが気配すら感じることが出来なかった。
そういうレベルの相手だった。
紛れもない化け物と呼べる部類だった。
陽太達は終始、それに見られていたと言うことに気付くことはなかった。
そんな相手に目をつけられたことを、陽太達が知る術はなかった。
♦︎♢♦︎♢
「ヴァォン!」
クロが口から炎を吐き出し、眼の前のカエルを燃やす。
「――!!!」
声にならない声を上げて、カエルはのたうち回る。
クロはさらにその後ろにいる個体に炎を吐き出した。
その炎をジャンプして躱したカエルは、クロに向かって突進するように飛び上がって向かっていく。
口がプクッと膨らみ、口内に毒の粘液を精製しクロに向かって吐き出そうとした瞬間、カエルの意識は途絶えた。
ゴトン!
そのカエルは、柔らかい身体からは想像できない重い音を立てて地面に落ちる。
理由は単純に柔らかくなくなっていたからである。
シロの攻撃によって。
カエルの身体はカチカチに一瞬で凍って固まっていて、固まった身体は
「ウォン!!」
クロの勢いよく振られた前足の攻撃により砕け散った。
勢いをつけたクロは直進し、向かって来た小鬼達を蹂躙する。
「ガギャア!?」
小鬼たちは飛びかかろうとしたところ、急に止まって悲鳴を上げた。
空中からシロが雨に濡れた足元を凍らせたからだ。
小鬼達の足が止まり、クロは口を大きく開き
「ウォォン!!」
と嘶くと、クロの身体は毛先が赤く染まっていき、周りには火の粉が舞い始めた。
クロの牙を剥き出しにした口にはメラメラと炎が溢れ出す。
クロにより熱せられた大気が、ユラユラと揺らぎ始めた。
火が集まった口元には、直径1メートルほどの炎の火球が出来上がっていた。
「ヴォォン!!」
飛び上がったクロは、吠えながらその火球を小鬼達目掛けて吐き出した。
「「「「「ギャギャァァァーー」」」」」
火球は着弾した瞬間燃え上がり、小鬼達を燃やしていく。
燃え盛る火炎は、瞬く間に小鬼達を飲み込んでいった。
一方シロはカエルの相手をしている。
鬱陶しい蠅のように飛ぶシロを、カエル達は舌で絡め取ろうとしたり、毒を吐いてシロに当てようとするが、それを華麗に躱してみせる。
「ほっほほー♪」
煽るように鳴く梟に、カエル達はゲコゲコと苛立ち始めた。
そこに、ボォッと巨大な火炎が無防備なカエル達に直撃した。
「「「ゲコォ!?!?」」」
背後からの攻撃に気付く事なく、彼らはその一生を終える。
「ヴォウ!」
油断するな!
とクロはシロに注意する。
「ほうほう、ほうほう」
はいはいわかってるわかってると、言わんばかりにシロは翼をはためかせ、クロの頭に止まり
「ほひゃあっ!?」
まだ身体に火を纏っていたクロ炎の余熱で、足を火傷しかけて跳ねるように飛んだ。
そんな姿を見て、やれやれとクロは呆れたように首を振った。
「え、うちの子つよつよじゃん」
クロとシロの快進撃を見ていた陽太は、口を開けて呆けていた。
なにあれ。
強すぎじゃない?
すごくない?
あの子達私が育てたんですよ!
という親バカ自慢の心と、
え。俺小鬼一体倒すのに死ぬほど苦労したんだけど。
え。俺命奪うのにめちゃめちゃ悩んだんですけど?
という先程までの自分の悩みをすんなり飛び越えていったショックで、複雑な心境だった。
複雑な心持ちの陽太が口をポカンと開けて呆けていたのが面白かったのか、淡墨は笑いながら言う。
「魔石生物は敵に容赦しない。特に主人の敵にはね。だから躊躇することは無い。躊躇して奪われるのは自分の命であり、主人の命だからね。その辺りを割り切れる子の方が多い」
「いや、まぁ、理屈はわかるんですけど……ね?」
あれから。
せっかくだからとクロ達を戦わせてみたらどうかという淡墨の提案に、陽太は否定的だった。
自分が疲労していたため一緒に戦えないからだ。
そんな意見の陽太に
「それは過保護だよ黒河くん。大事にすることと、過保護にすることはまるで別の話だ。一度やらせてみた方がいい」
淡墨はそれは違うと一喝した。
「それに、彼らは過保護にするほど弱く無いよ」
そうして渋々頷いた陽太は、結果を見て唖然とした。
あれ?俺要らないのでは?
と思わず思うくらいには。
「ゔぉん!」
そんな呆けていた陽太に、見てた見てた!?と言わんばかりのクロが陽太に駆け寄ってきて、尻尾をブンブン回しながら陽太の周りをクルクルと回る。
「お、おお!凄かったな!クロ」
わしゃわしゃとクロの毛を撫でるとまだ熱が残っているのか、いつもより暖かい。ちょっと熱いくらいだ。
「ぅおん♪」
もっと褒めてー!と陽太の腹に顔を埋めてくるクロは、先程まで敵を容赦なく屠ってきた者とは思えない変わりぶりだった。
「ほふー!」
クロをわしゃわしゃと撫でていると、陽太の肩にバサバサと羽音を立ててシロが止まる。
身体を膨らませてドヤ顔を決めるシロに、苦笑しながらも陽太はシロの首辺りを撫でる。
「シロもお疲れ様、流石だったな」
「ほひゅん」
気持ちよさそうに目を細めながらシロはえっへん、と声を上げた。
先程の殺伐とした光景が嘘かのように、クロとシロはいつも通りだった。
これくらいの割り切りの良さと精神力。
――見習わなければ。
陽太はクロとシロを撫でながら思った。
「っと、魔石を回収しないとな」
陽太はクロ達がさっきまで戦っていた場所に歩く。
命を奪ったのだから、しっかりと貰わなければならない。
まだ煙が燻る戦場に、陽太はいた。
少々鼻につく匂いに、これが生物を焼いた時の匂いか、と陽太は顔を顰めた。
NWの魔石回収アプリを起動する。
すると視界に魔石の落ちている地点が表示された。
陽太はそれを余すことなくしっかりと拾っていく。
回収した魔石は全部で12個。
それは全て掌に収まるサイズで、陽太はぎゅっとそれを握りしめて目を瞑り黙祷する。
後に、これは魔石生物を倒した際の陽太のルーティーンとなる。
「さ、行こうか」
「ウォン」
「ホウ」
淡墨とシンラが陽太達を見守るように立っている。
陽太は来た道を戻ろうとすると
「ホホ?」
シロが首を傾げてとある朽ちた巨木を見つめる。
「どうした?」
「ホーウ!」
シロの指す方をNWでズームして見ると、巨木の下にこんもりと魔石が置かれていた。
先程倒した彼らの食糧だったのかもしれない。
「……貰って行くか」
あるのならば、拾っていこう。魔石狩りとしてそれ以外の選択肢はない。
そう思い、陽太はその巨木に向かう。
「ほっほっほ〜」
おっ先にー!とシロが飛び出す。
「ヴァウ!!」
クロが待て!と大きな声を上げシロを止めるが、鼻歌を歌うように飛んでいったシロに届かず
「ほひょっ!?」
空中で、何かに引っかかった。
「あ」
陽太はすぐにそれに感付き、顔を青ざめて絶望した。
蜘蛛の糸だ。
「馬っ鹿野郎!!」
振り向くともう鎧化した淡墨が怒声をあげている。
「呆けてねぇでさっさとそのシロを連れて走れ!!」
淡墨は10メートルはあったであろう距離をひとっ飛びでやって来た。
「来るぞ!“エリアキング”がっ!!」
♦︎♢♦︎♢
クロの背に乗り、陽太達は山を駆け降りていた。
淡墨はクロに並走する様に並んで走っている。
陽太の腕の中では蜘蛛の糸で絡まったシロがもがいているが、陽太はそれに気をとってる余裕はなかった。
後ろを振り向きズームすると、その巨体からは信じられない程の身軽さとスピードで陽太達を追従する姿があった。
巨体に合わないその細い脚は、鋼の様に堅そうで、鋭い。
脚を忙しなく動かし、陽太達を追走する。
顎がギチギチと嫌な音を立てており、そこから紫色の毒が垂れてそれが垂れると地面は煙をあげて溶けていった。
巨大な身体には毒々しい紋様が浮かんでおり、その姿の恐ろしさに拍車をかけていた。
お尻からは時折糸が吐き出され、陽太達を狙っている。
女郎蜘蛛という蜘蛛を何百倍も大きくしたような蜘蛛が陽太達の後方から迫っていた。
陽太は後ろを見ては前を見るという、落ち着かない所作を繰り返していた。
「おい」
「あ、は、はい!」
そこにドスの効いた淡墨の声がかかる。
「そこのバカしっかり叱っておけよ。いいな!」
「えぇ、それはもちろん。たっぷりお仕置きをしよう思ってます。えぇ」
「ほぎゅ」
シロを抱く腕に思わず力が入った。
「こういう蜘蛛の糸みたいな罠はどのエリアにもある。しっかり頭に叩き込んでおけ!いいな!?そこのバカにもな!!」
「はい!すみません!!」
陽太は不安になりながら前後を見ているのは、間に合うかどうかの確認だった。
淡墨が走りながら説教をしているのは余裕があるかなのだが、陽太はあんな巨大に追い回された経験がないため気が気でなかった。
陽太の不安を他所に、出口はもう目の前だった。
「後方にエリアボス!逃げろ!!」
淡墨が門番達に向かって声を上げた。
門番達はそれこそ蜘蛛の子散らすが如く慌しくエリア外に逃げ出した。
そのすぐ後に陽太達もなんとかエリア外に出ることに成功した。
エリア外に出るとまだ後方20メートルほど後ろにいた蜘蛛は、そのスピードをゆっくり緩め、そして止めた。
陽太達を睨む様に微動だにせず、陽太もドキドキしながら相手の動きを伺う。
狩るのは無理と悟ったのか、やがてその身を翻して山の中に姿を消した。
「ハァ〜」
陽太は心の底からホッとしたようにため息を吐いた。
追われた時の恐怖や、蜘蛛の巨大な見た目からの嫌悪感。
それら全てことが過ぎ去ると、どっくんどっくんと大きく脈打つ心臓が耳に聞こえて来る。
心の底からの安堵と同時に、とてつもない疲労感が陽太に襲いかかる。
あまりにも目まぐるしい数時間だった。
ありえないほどのイベントが降りかかってきた数時間だった。
過去類を見ないほど凝縮されて、濃密な時間だった。
胸に刻むことが多すぎて、とても忘れることなど出来はしない。
陽太は生涯この日のことを忘れることはないだろう。
そう言い切れるほどに陽太にとって大切で大事な日の締めは
「ご迷惑をおかけしてすみませんでしたぁ!!」
白い目で見ていた淡墨や、門番の方達に頭を90度下げてお詫びする最後だった。
土下座をしなかった俺、成長したな……!
陽太は自分を褒めることで、自分を慰めてあげることにした。
『徘徊する罠師』
そのエリアにおいて、その蜘蛛は支配者である。
木々にその糸を張り巡らせ、敵を探知する。しかしこの蜘蛛は糸を張り巡らせ罠を敷くだけでなく、徘徊して積極的に刈りにくる好戦的なエリアボスだ。
魔物は恐れているからか、その糸に触れる事はない。口や尻から滴る毒は触れればただではすまない。
恐ろしい見た目のため嫌煙されがちだが、しっかりと徒党を組めば討伐はそんなに難しくはないとされている。実際、戦闘になり不利となるとすぐに逃げる。しかし、深追いは禁物だ。
毒の沼や、死角から毒をくらい犠牲になった者は少なくない。ポストアポカリプス後の黎明期にも討伐されずに残っているのにはしっかりとした理由がある。
比較対象がエリアキングなので、弱いわけがない。しっかりと強い。
本書の情報は多くの犠牲の上に集められたことを忘れてはいけない。
出現する魔物も強くないので、初心者専用のエリアとして残されている。
欲を求めて討伐しても、魔石樹は自分のモノにならない。その懐には一銭も入らないどころか犯罪者になるので注意。
参考文献
エリアボス内覧




