雨③
「魔石狩りになると言っても、戦うのは基本魔石生物だ」
陽太の動きを目で追いながら淡墨は言う。
大雨の中傘もささず、その姿はずぶ濡れだった。
「だから人間は手を汚す必要はない。そう考える人間もいる。いや実際にいた」
クロはそれでいいと言わんばかりにこくりと頷く。
「しかしそれは共生ではない」
その通りだと、今度はシロは深く頷く。
「それは寄生だ。君達に寄生して生きる術しか持たない愚かな人間だ。少なくとも僕はそう思う」
最初濡れるのを嫌っていたシンラは、雨に濡れない場所へと淡墨を移動させようとした。だがテコでも動かない淡墨に根負けして、今はその隣に座っている。
「社会の根幹を担っているのは魔石生物だ。全てのインフラに魔石生物が関わっているし、魔石生物により産まれた新技術は山程ある。そしてそれに甘え、魔石生物を頼りに生きている人間は愛想を尽かされる」
「バウッ!」
そんなことはない!とクロは声を上げる。
「いいや、クロ。君達は賢い生物だ。だから人間の感情にも聡い。自分のことをただのお金を産む道具としてしか見ない人間に、いつまでも尽くしていられるほど君達は愚かではない」
シロは目を瞑りその言葉を深く反芻する。
「過去に魔石生物を利用しようとした人間は、ある日石のまま姿を現してくれることのなくなったパートナーに絶望する。そんな人間が、実際に何人もいた」
もちろんそんな人間は少数派だがと、淡墨は補足する。
「『精神の死』と呼ばれている。摩耗した精神に耐えきれなくなった魔石生物の一つの終焉。召喚出来なくなった魔石は何日もかけて少しずつチリとなり、そしてなくなる」
淡墨は説明を続ける。
「四半世紀前の動物虐待にあたり、仮に魔石のまま召喚出来なくなった場合は捜査される。虐待の事実がわかれば逮捕され、現代においては殺人に等しい程の重罪にあたる。少し前に施行された新しい法律だ。そいういう人はいるし、実際そうして逮捕された事例もある」
「バウバウ!!」
そんなこと陽太はしない!
怒り声を上げるクロに淡墨は動じない。
「そうだな。だからこそ、一緒にやる。一緒にやり遂げる。それが大事なんだ。現代の人間の職業はパートナーの能力に左右される。そしてそれを任せっきりではなく、互いに勉強し、互いに高め合う。それでこそ“パートナー”なんだ。だからこそ“パートナー”や“相棒”と呼称するんだ。格好良いからでも、なんとなくで呼んでいる訳でもないんだ」
「ほうほう」
シロが確かにな、と同調する。
シロにもわかってもらえず、クロが寂しそうにくぉんとないた。
クロは戦っている主人を見つめる。
陽太が無事ならば、別に自分は傷ついてもいいのに。
陽太が安全なら自分は何も気にしないのに。
淡墨の言っている意味も、シロが肯定した理屈もわかる。
でもそれでも何よりも。
陽太が辛いのが、クロはとても苦しかった。
「見届けよう。黒河くんが共に君達と戦うことが出来るかどうか。その理由を見つけられるかどうか」
タイマーは29分48秒。
その結果は、もう間もなく――
♦︎♢♦︎♢
タイマーは30分を回り、31分11秒が経過していた。
陽太の目の前には――
未だ健在の小鬼がそこにいた。
陽太は選べていなかった。
その手を下すことが出来なかった。
しかし思考を放棄した訳ではない。
陽太にはまだ、戦う意志があった。
実際30分経った頃に、淡墨から借りた剣を手には取ってみた。
鞘から抜いてその刀身を目の当たりにした時に、陽太は躊躇した。
――チュィン
金属と金属の擦れ合う音を奏でて、その剣はその身を陽太に晒した。
刃渡り約100cm程ある刀だった。
その刀身は美しく、曇りひとつない美しく鈍い銀色の輝きを陽太に見せてくれた。
使い古されているが、しっかり手入れをしてある剣。
きっと淡墨が使っていたモノなのだろう。
それを右手に取り左手に盾を構えた時、ふと思った。
――あぁ、本当に殺すんだなと。
なんとなく命を奪う。
それがもう出来てしまう。
――それはダメだ。
それは状況に流されているだけだ。
今後何かに失敗した時に、誰かのせいにしてしまうだろう。
誰かのせいで失敗したから、自分は悪くないと、楽な思考に陥ってしまうだろう。
――それは、唾棄すべき行為だ。
陽太はそれを知っている。
周りがなんとなくいじめているから、なんとなくいじめてやろう。
誰かがアイツのこと嫌いだから、なんとなく嫌い。
そうやって陽太はいじめられたし、誰かの標的にされてきた。
そういう中途半端な人間が陽太は嫌いだった。
そんな中途半端な人間に、陽太はなるつもりなかった。
だからこそ陽太は一度その剣を鞘にしまった。
危うく自分の一番したくない選択をする所だった。
流されるままの選択をする所だった。
30分経ったが、しかし淡墨は何分以内でという指定はしていない。
それを証拠に淡墨は何も言ってこない。
ならば考えよう。
自分の命を奪う理由を。
自分の答えを。
『何故“魔石狩り”を目指す?』
淡墨の言葉がさらに強く頭の中で響く。
雨が降っている。
陽太を問いただすようにポツポツと。
♦︎♢♦︎♢
陽太は自問自答を続ける。
――キィン
お金は欲しいか?
もちろん欲しい!生きるためにはそれが必要不可欠だ。だがそれだけではない。
――キィン
霧島への恩を返すため?
確かにそれは理由の一つだ。それは必ずしなければならないことの一つだと自分は考えている。
――キィン
名声が欲しい?
欲しくない。自分にとって注目を集めることはストレスだ。むしろそれは要らない。必要ではない。
ならば何故、魔石狩りになりたい?
何故?
何故だ?
疲れたのか小鬼はゼーゼーと息を吐き、陽太から少し距離を取る。
陽太もその間にゆっくりと大きな呼吸を心掛けながら人心地つく。
ここで初めて陽太はチラッとクロとシロを見る。
クロは背筋を正して座っている。シロも同じようにそのクロの頭にちょこんと座っていた。
雨でびしょびしょになりながらも、2体は陽太を見つめていた。
その目を見て、陽太はやっと気付いた。
やっと思い出せた。
その目は決して陽太なら大丈夫、そう信じている目ではない。
その目は決して陽太ならやり遂げる、そう期待している目ではない。
――好きな選択をしろ。
――その背中についていく。
そういう、目だった。
例えここで失敗して魔石狩りになれなくても、例えどんな道に行ったとしても自分達は一緒だと、寄り添うような優しい目だった。
「はは」
陽太は心底自分に呆れ果てるように笑った。
何故、独りで戦っている気になっていたのか。
自分には、仲間がいるのだ。
いじめられても、庇ってくれた頼もしい仲間が。
不良達の標的にあっても、常に心に寄り添ってくれた優しい仲間が。
答えは常にあった。
一緒に生きる。
それだけだ。
それだけでいい。
しかし彼らと生きるには必要以上にお金がかかる。
生きるにはどうしてもお金が必要だ。
綺麗事ではこの世は生きていけない。
金の為に命を奪う。
陽太の選んだ、選ぼうとしている職業はそういう仕事だ。
現実は残酷なほど正しいものを押し付けてくる。
違う稼げる仕事を探すのも間違いではない。だけど彼らは純粋な戦闘タイプだ。
共に働き、共に稼ぐというのはこの道しかない。
しかも確実な社会貢献にもなる。
ならば、陽太のすることは一つだ。
答えなど決まっている。
陽太は盾を放り投げた。
と同時に鞘から剣を抜き、正面に構える。
途端に盾アプリがアラートを発するが、陽太は直ぐにアプリを閉じた。
「グキャァァ!!」
目の前の小鬼は馬鹿にされたと勘違いしたのか、怒り狂うように声を上げながら襲ってくる。
『何故“魔石狩り”を目指す?』
頭に響く淡墨の問いに、陽太ははっきりと言い放つ。
「クロとシロと、共に生きるために――!」
渾身の力で振り下ろされた斧を、陽太はギリギリまで待った。
寸前の所で陽太は身体を反ってそれを躱す。
陽太の顔を掠めるように振り下ろされた斧から風音と、同時に巻き起こった風が陽太の頬と髪を揺らした。
しかし、先程と違って陽太が怯えることはない。
陽太はコレが日常の世界に足を踏み入れるのだ。
怯えている暇なんてない。
――ザシュ
地面に突き刺さった斧を見て、今度は陽太が剣を振り上げる。
今後、陽太が小鬼を雑魚と蔑むことはないだろう。
何せ彼らは自分に恐怖の感情を教えてくれた。
今後、陽太が小鬼を舐めることはないだろう。
何せ初めて辛酸を舐めさせられた相手だ。
今後、陽太が魔物を侮ることはないだろう。
何せこれは生存競争だ。
負けたら終わり、死ぬ。
死ぬのだから。
陽太は剣を振り降ろす。
もう既に躊躇はなかった。
想像よりも凄まじかった剣の切れ味は、驚くほど簡単に、その胴体は2つに分けた。
その手に肉と骨を断った嫌な感触を残しつつ。
噴き出た血を運良く避け切った陽太は、血溜まりと肉塊と化した小鬼の横に立ちすくんでいた。
少しずつ塵となって消えていく小鬼に、陽太は心の中で感謝と謝罪をした。
奪っておいてこんなこと思うのは間違っている。
同時にこの気持ちを忘れて生きていってはいけないとも思った。
このことに慣れてはいけない、そう思った。
それはただの殺戮者だ。
サラサラと塵となって消えたあと、そこには紫色の魔石が残っていた。
陽太はそれを手に取る。
先程シンラが倒した石よりは少し大きめの石。
陽太の初めての戦果だ。
陽太はそれをぎゅっと握りしめ、黙祷した。
タイマーは37分ジャスト。
陽太は空を見上げる。
雨が降っている。
雨は優しく陽太の頬を濡らしていく。
曇天だった空は所々光が差し込み、雨脚は弱くなりつつ降り注ぐ。
陽太に優しく、シトシトと。
『言語の壁』
魔石生物は賢い。
人の言っていることを理解している。
しかし、私たちは彼らの言葉を知ることは出来ない。
喋ることは出来ない。
会話をすることは出来ない。
しかし、コミュニケーションはとれる。
しっかりとパートナーに向き合いコミュニケーションを重ねていれば、相手の言いたいことが自ずとわかるとようなる。
身振り手振りでパートナーは言いたいことを伝えてくれる。
その時、大事なのは理解しようとすること。
そうすれば、魔石生物は私たちに応えてるくれる。
諦めずに、相互理解を深めていくこと。
これは、これからの人類にとって大きな課題の一つであることは間違いない。
参考文献
コミュニケーション。それは何よりも大事な事




