キツネの声を聞く
目次
0.プロローグ
1.キツネの声
2.エピローグ
参考文献
付記
0.プロローグ
言語や身体を使ってコミュニケーションをするのは人間だけじゃない。動物、木、草、花や微生物たちも独自に持つツール─鳴き声、求愛ダンス・変色・声音、棲み分け、芳香、化学物質の放出─を使って、互いにコミュニケーションをしている。他人の腹の中を探りたがる人間は科学的知性を結集し、このツールを文字化する技術開発に悪戦苦闘してきた。
ペットとして飼われ声を発する小鳥や犬や猫であれば人間のかける言葉を学習し部分的に理解させることもできたし、野鳥や一部の野生動物であれば、その声の意味や意図はアナログ的ではあるが、すでに部分的に解読されていた。がしかし、すべての野生動物にそれができたわけではなかった。
そこで彼らの声を多言語電子変換機能生成型AIで解析し、さらに声紋解析生成型AIの応用技術により電子データに変換し、文字化し、読むことにようやく成功した。基礎研究への着手より30数年を要した。これで彼らの話す声の意味と意図を理解できるようになった。ただし、人間の言葉の意味と意図を伝える技術はまだない。もちろん、彼らの声を操作する技術もない。
最初の被験者として人間に身近な生き物であるカラスが選ばれた。普遍的な次の疑問を解くために。♪カラス なぜ鳴くの カラスの勝手でしょう♪。「勝手でしょう」と歌っているのは人間の浅はかな思い込み。歌詞(♪可愛い七つの子があるからよ~♪)にあるとおりカラスは鳴き声を変えて雛をあやし、熟れたトマトのある畑、突きやすいゴミ箱やネズミの死骸の在り処などの情報を交換していた。
「博士。ついに完成しましたね」
助手はモニターの文字テロップを目で追いながら、弾んだ声をかけた。
「子供のころからの私の夢、いや人類の夢が実現した。ようやく手に入れた」
博士は目に零れそうなほどうれし涙を浮かべ満面の笑みで、首を「うんうん」と上げ下げした。
人間の赤ちゃんと同じ、誕生したものには命名しなければならない。
「博士。このマシーンをなんとネーミングしますか」
助手はなにか腹案のありげな声音で訊いた。
「君に、なにかいいアイディアがあるかね?」
助手は─命名させてくれるなんて─顔をほころばせて答えた。
「はい、あります。『動物の声を聞くマシーン』。いいかがでしょうか」
「それじゃ、そのまんまだな」
博士は即、否定した。
「だめですか?」
「君ねぇ、私のこの顎鬚、眉毛や頭髪を見てごらん。黒かったものがすっかり白くなったんだよ。他人は私のことを七福神の寿老人とも弁財天とも呼ぶ。それだけ脳ミソを酷使し、フル回転させて時間をかけて開発したマシーンだよ。もっと……」
博士の言葉が終わらないうちに助手は、先ほどよりも自信たっぷりな声で答えた。
「じゃあ、『動物の声、聞いちゃいますマシーン』で、どうですか。アマチュアにも親しみやすいネーミングだと思いますが。これは寝ないで考えた案です」
博士は呆気にとられ、開いた口を閉じ、目元に蔑むような不満の色を浮かべて返した。
「んんッ。君ねぇ。だめだよ。それではさっきと同じだ。漫画やコントだよ。自分の頭に手をやってごらん」
助手は言われるままに右手を頭に乗せた。
「完璧なツル天ピーカー、おツルの方様、ハエの滑り台、薬缶、電球頭もいいとこだ。それだけ苦労して、開発したものへのネーミングがそれかい? この逆ボタル」
博士は小バカにするよう最後の言葉を強めた。
助手は頭に手を乗せたまま不思議な顔をして訊いた。
「博士。ツル天ピーカー、おツルの方様、ハエの滑り台、薬缶と電球頭は分かりますが、逆ボタルとは?」
「んんッ。蛍は尻が光っている。君はお頭がランランと輝いている」
助手はちゃかされたことを気にもとめず、手を下ろし不満げ顔で「だめですかァ」とため息をもらした。
「もっとシンプルで、かつ的確なネーミングじゃないと認知されない」
「シンプルで、かつ的確?ですかァ」
博士は左手を額にあて、しばし黙考してからピッカと目を輝かせて言った。
「『動物語自動翻訳器』。単純明快。うん、いい。これにしよう」
ということでネーミングは決定した。
さっそく研究所の裏山にある小高い丘に集音マイクとカメラを設置した。研究室では博士と助手がモニターに翻訳された文字テロップを読んでいる。モニターにはキツネの父子が映っていた。
1.キツネの声
「んッ。あんな所に人間がいる」
父は遠くを見やり、顎をしゃくって示した。
「えッ? じゃあ、はっ早く、逃げましょう」
息子はしっぽを下げ、振り向き駆け出そうとした。
「おい、待ちな。なぜ、逃げなきゃならんのだ」
父はジロリと息子を一睨みした。
「だって、近くに天敵の人間がいるんですよ。見つかれば必ず、石を投げつけられ、最悪の場合には殺されますってぇ」
「ビビルんじゃない」
「はっ、はい。でも、なぜこんな所にいるんですかね」
息子は人間に視線を向けたままの父の横顔に声をかけた。
「木々たちが発散するマイナスイオンは心と身体を癒してくれるものだから、ハイキングにでも来たのだろうよ。見ろ。あのトンマな顔を。ルートを外れて迷ったのか、きょろきょろしている」
「やっぱ、逃げましょうよ。人間は、自然界で最も傲慢で残虐な動物じゃないですかァ」
息子は身体をひねり、また駆け出そうとした。
「逃げるな! そんな弱腰でどうする」
その怒声に足はすくんだ。
「ご、ごめんなさい」
息子は思わずちょこんと頭を下げた。
「頼みもしないのに突然、自然界に現れたのは人間のほうじゃないか。後からやってきて、俺たちの生活圏を荒らしまくっている」
「そう文句を言っても相手は武器や毒薬を持ってますよ。〝逃げるが勝ち〟ということわざもありますし。こちらは素手と体力しかありません」
息子はちょっとだけ逆らってみた。
「また、逃げるか。まあ、待て。思い返してみろ。ここは爺さんの代までは鬱蒼とした原始の森だった。土からは微生物がうじゃうじゃと湧き出る生命の坩堝だった。ところがァ、今じゃ、雑木林と変わらん。誰が木々を伐った?」
「人間です」
「誰が草を焼いた?」
「人間です」
「誰が土を掘り起こした?」
「人間です」
「だろ~」
父はニッと口元を歪めた。
「人間は自分たちの口を糊するために、やりたい放題やってきましたから」
息子も加勢する言葉を口にした。
「ことわりもなく、森を切り開き獣道を潰し畑や道路を作りやがって。車に轢かれて命を落とす仲間が年間34万頭もいる。クソー」
父は声を荒げた。
「ロードキル(道路上で起きる野生動物の轢死)のことですね」
「そう。轢いておいて手当てもしてくれない。救急車すら呼んでもくれない。素手で触ると感染症に罹るからだとさ。俺たちを病原菌扱いしやがる。ふん」
父は鼻を鳴らした。
「轢き逃げのやり得もいいとこだ」
息子も少し声を張り上げた。
「人間が人間を轢き逃げしたら、どう処罰される?」
父は息子の知識を試してみた。
「罪は一層重くなります」
「その内容は?」
「報告義務違反プラス過失運転致死傷罪プラス救護義務違反。とくに救護義務違反では、10年以下の懲役または100万円以下の罰金を科されます」
言い終わると、「ふー」と息を吐いた。
「なのにだ、俺たちは轢かれても謝罪の一つもしてもらえない。線香をただの1本もあげてくれない。これじゃ轢き殺された仲間は浮かばれない。死損だ。クソッタレ!」
父はいまいましげに大声を上げた。
「大昔に戻ると、人間も原始の森に住んでいたんですけどねぇ」
息子の口調はなげやりだった。
「出て行ってまた、戻って来たんだ!」
そう叫ぶ父の声は皮肉っぽく聞こえた。
「でも、まだそのころは動物と植物と人間は仲が良かったんです」
「そんな良すぎた仲は、一度こじれると容易にはよりが戻らない」
「今さらよりを戻そうなんて、ありえない。戻りっこないですよ。人間は文明の利器を手に入れてから、自然をいくらでもコントロールできる、と神様にでもなった気分でふんぞり返っていますから」
父は息子のこの言葉にグッと唾を飲み込んで気持を静めてから返した。
「大昔は、この地球は動物と植物と人間との共有地だった。人間はそれらとも会話ができていた。万物には『八百万の神』が宿ると信じ、その霊性を感じていた。が、それを言葉に翻訳できないものだから、それを感じとる力を失ってしまい、目の前にいる動物や植物を自分より下に位置づけるようになった。ここから自然界をコントロールしはじめたのさ」
「なるほどォ」
「だが、忘れてもらっちゃあ困ることがある」父は一拍おいて続けた。「コントロールしたがる前に、自然界にはいたるところに守るべきルールがある。木には木の、川には川の、石には石の、苔には苔の、落ち葉には落ち葉の、土には土の、ルールが」
「それらをすべて足蹴にして、人間は生きています。どう謝ろうが、償おうが、決して許されるもんじゃあないです」
息子の口調も荒っぽくなった。
「うん」と父は答え、「戻ってきた人間は、手に鉄器を持って、まるで親の仇をとるような勢いで……悪魔のような形相をしていたそうだ」その光景が脳裏に浮かぶのか、目を閉じて、首を垂れた。
「畑にする土地を奪おうと殺し合いをした時代もありましたっけ」
息子は発展的な問いかけをした。
「あった。戦争だ。今も隣国へ軍事侵攻している大国がある。有り余るほど土地を持っていても、さらに奪おうと……」
「その主犯は脳ミソの襞がプチ~ンと切れた暴君です」
「うん。その殺し合いが終わった後の時代はもっと悲惨だった。ひどく苦しめられた。増え続ける人間たちの生命を維持するために、新型の重機を使い森はさらに一層、切り開かれた。そのため森にいた仲間たちが人間の棲家の近くで殺戮されることが頻発した」
「森に近づきすぎたのは人間であって、無垢で純粋な動物たちではありません」
父は、「うんうん」と首を下げてから、思いつめたように数秒間をとり、「人間は自然にとって文字どおり凶悪な『侵略的外来種』に成り下がってしまっていた」その声は低く怨念をおびていた。
「動物たちを『害獣』と呼んで忌み嫌ってきました」
「それを言うなら人間が害獣だ」
父の声は怒気をおびていた。
「ごもっともな意見ですけども、残念ながら人間には伝わりませんよ」
息子は心の内を吐露するかのように父の横顔をちらりと見て言った。
それに答えることなく、父は「小説があったよな? 動物界にある法律を盾に人間どもを訴えるという」また息子の知識を試していた。
「動物をめぐる裁判であれば、古代ギリシャの時代からありましたよ」
息子はすぐに答えた。
「そんなに古くから……」
父はしばらく言葉が出せなかった。が、不満げにまた訊いた。
「小説でいい。あったよな?」
「はい。ショーン・タンが書いた集団訴訟ですね。オールアニマルズ対ホモ・サピエンス。動物語を理解できる善良な心を持ち、正義感に満ちあふれた人間の弁護士を雇って争う予定でした」
「人間どもへの罪状は?」
「窃盗、略奪、不法占拠、拉致、殺害、奴隷的所有、生体実験、虐待と大量殺戮です」
「他にもあるだろ?」
「自然環境の破壊・汚染罪、自然神への冒涜罪」
「あの存在自体が犯罪だ。ふん」
父は、はるか視線の先でうろうろしている人間に目をやったまま鼻を大きく鳴らした。
「人間は大昔より自然に対して莫大な損害を負わせてきました」
息子は父の顔色をうかがい、話を振ってみた。
「人為的な『気候変動』のことだな」
「はい。地球の温暖化は、すでに『ティッピングポイント(臨界点)』を超えて、沸騰の時代に突入したとも言われています」
「気候変動は『気候難民』という人間に対してのみならず、自ずと生き物同士の関わり方にも悪い影響を与えている」
「『フェノロジカル(生物季節上の)ミスマッチ』ですね。季節の変化を読み取るシグナルとしての温度や日照時間に許容を超える激変が生じています」
「ここの高温に適応できず、北へ北へと移動している仲間もいる」
「人間の悪行のために……」
息子は悔しそうな声をもらした。
父は続けた。
「気候変動は砂漠化、永久凍土や氷河を融解し海水面の上昇、豪雨や熱波・山火事による動物や植物の死滅など多くの災禍をもたらしてきた」
「北極じゃ、氷が融けてシロクマは餌を捕るのに難儀しているそうです」
「影響はもっと深刻だ。とりわけ永久凍土の融解は、地中にある大量のメタンを空中に解き放ち、二酸化炭素をはるかに上回る温室効果ガスとして作用している」
「ところが、父さん、人間はこの災禍をも金儲けのチャンスにしようと、貪欲な知恵ならいくらでも働くようですよ」
息子は父の反応を見ようと顔を向けた。
「なんだァ?」
父のギョロとした目と息子の目が衝突した。
「温暖化問題の解決につながるテクノロジーやサービスを提供する気候テックなる新興企業が続々と誕生していますよ。最たる知恵は、大気から二酸化炭素を直接(化学反応で吸収)回収し、地層に封じ込める技術を開発中とのことです」
息子はまた知識を披露した。
「儲けるばかりで、温暖化は抑止されていないじゃないか」
「〝絵に描いたモチ〟です」
「ふん」と鼻を鳴らし、父は続けた。「体裁のいい『気候正義』なる言葉を叫んでいるが、その声も『グリーンウォッシュ(環境に配慮しているように見せかける)』止まり」
「はい。科学的根拠に欠ける企業広告へのグリーンウォッシュ提訴件数も増えています」
「自然を喰い物にしている。へッ」
父は汚い物に唾を吐きかけるように言った。
「まさに、そうですね。大きな責任は一部の超冨裕層(『環境汚染エリート』)たちの消費や投資行動にあると批判を口にする輩もいますが、自然からすれば人間の集団的無責任・無関心体質に帰します」
「そのとおりだ」父は断言し続けた。「自分らの悪行で自分の首を絞めていることに今ごろ、気づきやがって。なんとかしようと技術ばかりを開発してやがる」
「技術だけでは解決しません」
「うん。このままじゃ、将来世代に『負の遺産』を残してしまうなんて泣き言までほざいているが、能天気にも程がある」
「自然は金と交換できる物じゃないから、無頓着でいられたのでしょうよ」
「金? そんなもの知るか!」
父は投げ捨てるように声を上げた。
その勢いに息子は一瞬怯んだ。
「人間はいつだって選択肢のあることを主張するが、それでもって俺たちの生命権を侵害することはないだろ?」
父は息子の考えを聞きたかった。
「でも小説のなかでは、動物に加担する弁護士たちに対して、沈黙を選ぶのも平和の一つだと書いてありましたよ。見過ごして、辛いことは他の動物に押しつければいいと。動物は人間には決して勝てないことが分かっていて、なぜ戦おうとするのかとも」
動物は人間に従順であれ、というこの答えに父は激怒した。
「な、な、なに! 俺たちは戦っているんじゃない。専守防衛。自分の身を、生命権を、生活圏を守っているだけだ」
マズイと思ったのか、息子はすぐに話題を逸らせた。
「そ、その生命ですが、人間も自然を破壊してきたことに多少の罪悪や不便を感じているのでしょうね。このところ動物や植物との『共存』という言葉をよく耳にします。なにかにつけて共存、共存」
「ふん。どう共存するんだ」
父は興奮ぎみに詰問した。
「はっ、はい。たとえばですね、人間はクマが人里に近づかないよう電気柵を設置したり、クマに発信器を付けて固体監視をし、人里に近づくと『ベアドッグ』と呼ばれる犬を吠えさせて、クマを山中へ追い帰しています。そうして、お互いにすみ分けを、共存をしようとしています」
息子はやや早口で答えた。
「電気でビビビィってかァ。『学習放獣』。人間への恐怖心を植え付けられているだけじゃないか。捕獲して、発信器まで付けられて……」
「はい。共存しようと……」
「ちょっと待ちな。さっきから言葉を間違えているぞ」
父は息子をキッと睨んだ。
「えッ? どこをですか?」
「じゃあ、訊くが、俺たち、人間に対してなにか悪さをしたか?」
「なにも悪さはしていません。逆に、悪さをされています。されっ放しです」
「だろ。俺たちは森の恵みを口にするために動き回っているだけだよな」
「そうなんですけどねぇ。こちらの立場はまったく理解されてませんから」
息子は思わせぶりにちらりと父を見た。
「俺たち動物は森を維持するために欠かせない生き物だ。俺たちが木や草の種を食べ、それを消化しないまま排出することによって、その土に木や草が繁茂していく。そのお蔭で、人間は生きていられる」父は自分たちの存在意義を強調し、なおも語気強く話した。「植物は太陽の光エネルギーを使って、水と二酸化炭素から有機物(ブドウ唐など)と酸素を作っている。俺たちも人間も、この酸素を吸って生きていられるんだ」
「光合成ですね」
「さらに有機物から炭水化物、脂肪、たんぱく質など他の有機物も作っている。人間は、自分でこの有機物を作れないから植物を食べて栄養にしているんじゃないのか」
父は怖そうな目を息子に向けて言った。
「植物は人間に与えるばかりで、なにかを与えてもらったことなどないですよ」
息子の答えに「うん」と首を下げ、父は続けた。
「家屋を作る材料、本や雑誌、ティッシュを作る原料、どれもこれも木だ」
「植物は人間がいなくても生きていけますが、人間は植物がいないと生きていけません」
息子も真実を口にした。
期待したとおりの答えに「だろ~。それを『寄生』という」父はニッコと微笑み、「じゃあ、もっともっと森や木を大切に扱ってくれてもいいんじゃないのか」その声は息子を責めているふうに聞こえた。
「だから、どんな動物も植物も殺しちゃいけないのですよね」
息子はまるで優等生のような答えをした。
「当たり前なことを聞くな」
父は眉をひそめた。
「ご、ごめんなさい」
「これで、よ~く分かっただろ?」
父はニッと口の端を歪めた。
「えッ? 共存のことですよね」
まだ理解のできていなさそうな息子に父は、
「んんッ。いいか、共存というのは他者からは独立して一緒に生存していることだ。もっと言えば、一緒にいても敵対しない関係だ。過去、現在を見て俺たちと人間は共存の関係にあったか? 未来において共存できるか? 人間は俺たちの生活圏を破壊してきたのだぞ」
と─分かっただろ─こう問いかけた。
5秒ほど考えてから息子は眉にグッと力を込めて答えた。
「父さん。共存ではなく、『共生の関係』だと言いたいのですか?」
「そうだ。そのとおり。共生とは複数の生き物が良かれ悪しかれ相互に作用し合いながら生存している関係だよな」
「はい」
「だから、その共生には2つの意味があるよな?」
父は息子の答えに期待した。
「相利共生と片利共生ですね」
期待どおりの答えに父は目尻を下げ、「うん。人間はもっぱら自然に寄生してきたし、これからも寄生しないと生きていけない。俺たちは害獣扱いされてきたから……」と言い終わらないうちに、息子は「片利共生ですね」と言葉を繋いだ。
「そうだ、そうだ」
父は嬉しそうに頬を緩めた。
「なるほどォ、よく分かりました」
「人間は自分の都合に合わせて言葉までコントロールしたがる。ふん」父は鼻を鳴らしてから、さらに訊いた。「生物多様性という言葉もよく耳にするだろ」
「はい。寄生し喰い物にする相手を増やそうとしているかのようです」
父が首をコクンと下げるのを見て、息子は「ちゃんちゃらおかしいですが、なかには美しい自然を大切に思い、懸命に守ろうと努力をしてくれている人間もいるにはいますが」と含みを持たせた声で問いかけてみた。
がしかし、父は「お前が言うところの美しい自然とは、人間だけがそこにいない風景のことだ」と諭し、声を抑えて続けた。「人間は未だ自然を讃える術を知らない。人間が生存できるのは、その前に水、土、草、木、微生物が必要だろ。すべて自然だ」
「人間の衣食住はすべて自然からの恵みを素にしています」
父は「うんうん」と首を下げて応えた。
「ところが、自分たちを知性のある 『万物の霊長』 と呼んで、踏ん反り返っていますよ」
息子は父の顔をちらりと見てからシラッと返した。
「知性? 人間は俺たちの行動を本能で説明したがるが……きっと大きな誤解をされているのだろうが、その知性とは、論理でもって万物を解釈することじゃなく、周囲の環境の中で生きていくためのノウハウだよ。そんな知性なら、我われも他の動物、植物、微生物さえ持っている。だから、こうして生きていられるのだ」
父は静かに息子の考えを否定し、また訊いた。
「人間は自然から恩恵をむしり取るばかりで、自然になにかお返しをしてきたか?」
「してきませんでした」
「お返しをしているか?」
「していません」
「お返しをする気はあるか?」
「ありません」
「じゃあ、もう一度訊くが、どこが共存なんだ。寄生しているだけだろ。共存したければ、森に踏み込んでくるな。なにもせずに放っておいてくれ!」
父はこれが結論という勢いで言った。
「そのとおりです。それが共存です」息子はニコッと笑みを浮かべ、「今も森の生態系に頼って生きている人間はいます。世界で 億人ほど。総人口の4人に1人いるそうです」と事実を口にしてから、父をなだめてみた。「でも、人間はむやみやたらと森を切り開き、動物に近づきすぎたものだから、その動物に宿っている未知のウイルスに感染して苦しめられました。これまでにたびたび感染症のパンデミックが発生し、そうとうな数の人間が命を落としたようです」
「天罰が下ったんだ」
父は乱暴に言い放った。
「温暖化にともない大量発生した蚊やマダニを媒介とする感染症で命を落とした人間も多くいます」
「それも天罰だ。ふん、ふん」
父は蔑むよう大きく鼻を2回鳴らした。
「そのうえ、この国じゃ想定を超える大津波を受けて原子力発電所が壊れ、飛散した放射能で海も陸も再生できないほど汚染されてしまいました。その除染、処理に苦慮したあげく、汚染処理水を薄めて海へ放出したようです。30年もかけて」と、息子は人間による取り返しのつかない地球の破壊を口にした。
「トリチウムだろ?」
父は確認した。
「はい」
「それなら言葉を間違えている」
父は叱るような目で息子を睨んだ。
「えッ? また、ですか?」
「放出じゃないだろ」一拍おいて父は断言した。「〝捨てたんだ〟」
「はっ、はい。そうですね」
「捨てているのは、この国だけじゃない。他の国もやりたい放題だ。そもそも捨てるにあたって地球や海洋生物たちから許可をもらったのか?」
「そんなことはあり得ません」
「自然界に存在しない物質を勝手に作っておいて、それを自然の中へまき散らして浄化させようなんて無理な話さ。自然に尻ばかり拭かさせやがる。自分の尻くらい自分で拭け!」
父は怒気を込め、声を張り上げた。
「まったく、そのとおりです」
父はさらに続けた。
「その事故は自業自得だよ。上に向かってツバを吐けば、自分の顔に当たる。自分たちの都合で考える範囲を狭く限定し、それを超える部分は考えなくてもいいことにした〝安全神話〟。自分で自分の首を絞めて……科学をあまりにも過信しすぎている。なにが〝想定外の大津波〟だ。想定外を想定するのが科学だろ。どんな立派な科学的根拠に基づこうが、しょせん人間の考える科学には絶対ということはありえない。自然の動きをすべて予測などできるわけがない」
「そうは言っても、人間はひたすら科学に頼っています」
「ふん、科学、科学なァ。人間は、科学を地球で生きていくための手段として発展させてきた。と同時に、争いのための武器としても悪用してきた」
「自分たちが壊した自然を回復させるためにも利用しています」
「悪用と利用、デュアルユース。矛盾だらけだな。へッ」
父は侮蔑するよう舌打ちした。
さらに息子は次の事実を伝えた。
「『核のごみ(高レベル放射性廃棄物)』を地下300メートルよりも深い岩盤に閉じ込めもしました。が、大鯰が一つくしゃみをした瞬間に大地震が起きて、たちまち地上に露見してしまいました」
「隠すために埋めたって、未来永劫なくならない。加害者は人間で、その被害を受けるのも未来の人間だ」父は怒気をおびた言葉を止め、数秒間をとってから「人間は科学を進歩させることよりも、生き物として、どう生きて、どう生命を繋いでいくのか、をもっと真剣に学ぶべきだ」と、人間の進むべき方向を諭すような口調で言った。
「科学を進歩させられるのは、知性を持つ自分たちだけだという驕りでしょうかね」
「ふん。また知性かァ」父はうんざりした声で続けた。「俺たち動物だって仲間の喜びや苦しみを感じ、死ねばいとおしみ、道具や薬草を用いて文化的な生活をしている。知性を有している」
「それが証拠に、ゴリラやチンパンジーなどの類人猿たちは他者の心を読む共感力や認知力を持っています」
「ゴリラやチンパンジーだけでなく俺たちも植物たちも微生物でさえも、その能力を身につけている……」父は言葉を止め、なにかを思い出したようだ。「一方的に共存を押しつけて、人間は自然を守ろうと意図して芸術でもって盛んに啓発をしているが……」
「どんな芸術ですか?」
「文学さ」
「文学?」
「エコクリティシズムや環境(人)文学という学問もある」
「学問ですかァ?」
息子には遠い世界に思えた。
「分かりやすいのは、『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』『平成狸合戦ぽんぽこ』のようなアニメ映画や、『少年動物誌』『動物農場』『どうぶつ会議』などのファンタジー小説さ。挙げれば切がない」
父は具体例を口にした。
「でも映画を観たり、小説を読んで感動はするが現実の自然を守ろうとしません」
「映画や小説にはいとも簡単に感情移入できるが、生身の〝自分の事〟として受け入れられる情感を身に付けていないのだ」
「貧相な情感のままで」
息子は呆れたという声音で返した。
「映画や小説で俺たちのことを熟知しようたって、どだい無理さ」
「どうしてですか?」
息子は父の考えを知ろうと訊いた。
「人間の観点・言葉・世界観を基準にしているからだ」
ここでも父は断言した。
「どういうことですか?」
「人間中心主義。人間にあって動物にない能力を探しているだけだ」
父はまた断言した。
「逆に、動物にあって人間にない能力を探せと」
「そう。さっきの映画や小説に限らず俺たちをやたら擬人化して表現したがるだろ。擬人化は必要であれば許容もできる。がしかしだ、俺たちの視点から、意識して、共感してこの存在意義を問いつつやってもらいたい」
「ようするに、俺たちのことをもっとよく理解して、俺たちの立場に立ってしろ、と」
「そうだ。で、裁判はどうなった?」
「裁判? ショーン・タンですね? ……はっ、はい。結局、提訴した動物たちは人間が急遽作った法律にもとづいて撃ち殺されてしまいます」
「う~ん、殺されたかァ」
小説とはいえ父はいかにも悔しそうだった。
にもかかわらず、息子はよく見聞きすることを感想として口にしてみた。
「森に隣接する公園では、一部の仲間たちは人間が捨てたり、投げてくれる餌をもらって生きていますよ」
これを聞いた瞬間、父は「だめだ! だめだ! 拾ったり、もらっちゃあだめだ!」と声を荒げた。
あまりの剣幕に息子は「はっ、はい」としか返せなかった。
「俺たちは拾わなくても、もらわなくても十分生きていける。自分で探せる。乞食のようにもらうんじゃない!」
「はい!」
つられて息子も立派な返事をした。
「人間の喰い物を食べると人間の〝さもしい〟病に感染しちまうぞ。拾ったり、もらったりしたら絶対にだめだ!」
そう絶叫する父の目力に息子は怯んだが、さらに続けた。
「でも、現実を見ても小説と同じですよ。どうせ負けちゃうのなら、殺されるくらいなら、という思いでうまく人間に取り入って快く餌をもらっている仲間もいます」
「いいや、違う。その解釈は絶対に間違っている」
父は怖い目をして返した。
「間違っていますか?」
「大間違いだ。鶏や牛や豚のことだろ? よく考えろ」
父の目はナイフのように光った。
「はい??」
「あれはうまく餌付けされて死ぬまで働かされているんだ。鶏は無理やり卵を産まされ、産んでも抱くこともできない、だろ」
「牛は乳を搾り取られるか、皮を剥がれて喰われちゃう」
息子は納得し相槌を打つように答えた。
「どっちにしても喰われる」
「喰っているくせに、牛が出すゲップやオナラはメタンを含み、温暖化を促進している、と文句を垂れています」
「美味い肉を喰って糞を垂れてんだから、屁くらい我慢しろ!」
「そのとおり」
「豚も同じだ。喰われるために生まれてきたようなものだ。クックックッ。惨めな一生よ」
「鶏や牛や豚は野生の動物と区別して、飼育動物と呼ばれています」
「ふん。喰うために育てられているからだ」
「世界では年間700億の陸生動物が喰われています」
「700億かぁ」
父は大きくため息をもらした。
「数にも変化があって、1970年以降、地球上の野生動物は半分に減り他方、飼育されている動物は約3倍に膨れ上がっています」
「そんなに飼われているのかァ」父はいかにも呆れたという顔をし、「呼び方もひどい」ぽつりと言った。
「呼び方ですか?」
息子は不思議そうに訊き返した。
「野生とか飼育とか呼び捨てにするな」
父は憎憎しげに言った。
「確かに嫌ですねぇ。野生や飼育という言葉には侮蔑的な意味がありますから。なんと呼んでもらえればいいですかね?」
息子はしっかりと父の顔を見て訊いた。
「『自由な動物』と呼べ」
「なるほどォ。合点しました」
息子は頬を緩めニッコと笑った。
父は続けた。
「馬なんて、人間の射幸心を煽るよう競って走らされているぞ。遅れると鞭で打たれる」
「重い重~い鉄の固まりを引きずって競わされている馬もいます。それも山あり谷にありの砂場で、です」
「なんとも残酷極まりない。拷問だ」
「そのうえ勝手に名前まで付けられていますよ」
「日本国籍であっても横文字だよな。ハイセコイとかチィープインパクトとか。あ~ぁ」
父は呆れたというふうにため息をついた。
「飼育され喰われる多くの仲間は事前に家畜という戒名まで付けられています」
「馬だって、喰われている」
「馬刺しですね」
ここで父は物憂げに首を下げしばらく黙った。10秒ほど経てから、しんみりと言った。
「戒名と言えば、ヒグマのOSO18(じゅうはち)の最期も憐れだったな」
「はい。20歳近くまで生きられる命をわずか9歳6カ月足らずで……」
「ク、ク、クソー!」
父は絶叫した。
「66頭もの牛を襲い、32頭を殺したがために、撃ち殺されて……それも衰弱し抵抗もしないまま」
「目の前に餌を野放しにしたのは誰だ?」
父はまた声を荒げた。
「人間です」
「卑怯な手を使いやがって」
「クマは本来、草木や果実を主食としていますが、牛の肉の味を覚えたばっかりに……」
「誰がそうさせた?」
「人間です。人間がそうさせたんだ! まったく理不尽です」
「人間や農作物などへの被害を防止するため、やむをえず駆除するんだとよ」
父の声には憎悪がにじんでいた。
「有害駆除。じゃあ、ヒグマが人間を噛み殺すのも自分の生活圏を守るためであって、やむをえないと言っていいんでしょうね」
「そうなるな」
「クソッタレ!」
たまらず息子も声を荒げた。
「駆除を批判する人間もいるにはいるが……自分らの安全安心な暮らしが大事なんてこきやがる。どこが共存だ、生物多様性だ。クマだって安全安心な暮らしがしたいんだ。コンチクショウメ!」
「駆除後、OSO18については、ご丁寧にもテレビで特番が放映されましたよ」
「殺してからもコケにしやがって。う~」
父は唸った。
「肉は全国のレストランへネット通販され、ジビエとして喰われちゃいました」
「うう~~。胃袋まで満たしやがって~~。墓を作り、線香もあげて、しっかりと弔ってやってくれ。一つしかない貴い生命だぞ。クックックッ。泣けてくる」
この父の落胆した表情に息子は忍び難きを忍び、耐えがたきを耐え、「父さん。有害駆除と称して捕獲された自由な鳥獣のうちジビエとして喰われた量は2021年だけでも……」言葉を切り、間を取ってから「2127トンですよ」と続けた。
「そ、そんなに喰われているのかァ」
父は思わずめまいを感じ崩れ落ちそうになった。
「父さん。大丈夫ですか」息子は顔で父の前脚を支え「人間はどこまでも卑劣です」その声は沈んでいた。
父が身体を起こすと、息子は続けた。
「クマの駆除をめぐってはその賛否についてアンケートまで取っていますよ」
「アンケート? で、その結果は?」
「市街地や住宅街でうろうろしていると人間への『被害の恐れがあれば駆除していい』への賛成は4割を占め、当初より『駆除していい』と合わせると7割を超えています」
「……ク、ク、クソ! 人間め!」
「これだけじゃないですよ。自分らの都合のいい『有害性の基準』も作っています」
「なんだァ?」
「人里離れた山中で、クマに遭遇したり、子グマを守るために人間を襲っても、それは〝防衛行動〟として除外されます」
「駆除されないってことか? ふーん」
「はい。民家の付近に頻繁に出入りしたり、農作物を食べたりしたら〝問題個体〟として駆除の対象にされます」
「う~~」父は唸ってから「市街地であろうが、住宅街であろうが、山中であろうが、どこで遭遇して襲おうとも、クマには防衛行動だ!」興奮ぎみに話した。
「はい。でも、イノシシとニホンジカに次いでクマは『指定管理鳥獣』に追加されるそうです」
「えッ? クマの頭数を管理して、増えれば駆除しやすくしようと……」
「そうです」
イエスという息子の声に父は大きく首を垂れてしまった。5秒ほど黙ってから口を開いた。
「生き物としてもっと許せないのはゲノム編集されている仲間や種の保存と言って無理やり交配させられている仲間もいる」
なんとか立ち直り静かにそう話す父の顔は強張っていた。
「え~ッ? それって神の摂理に反してますよ」
「神もへったくれもあるか。鬼畜以下だからな。人間は。ふん」
父はまた大きく鼻を鳴らした。
「動物園という檻に閉じ込められて、人間の見世物にされている仲間もいますね」
「まさに幽閉の身」
「展示動物と名づけられています」
「絵画や彫刻じゃあ、ないってんだ! 生きているんだ!」
父はまた絶叫した。
「鞭や棍棒で叩かれ、芸をさせられている仲間もいます」
「サーカスのことか?」
「はい」
「知るか!」
「金属のケージに入れられて、売られている仲間もいますよ」
「牢獄だな」
「ペットと呼ばれています」
「ペットかァ」父は苦悶の色を浮かべて続けた。「人間は犬や猫をペットとして飼って、可愛い可愛いと頬ずりしているだろ」
「はい。あれってぇ、心の底から可愛がっているんですかね」
息子は前々から気になっていたことを訊いてみた。
「ふん。そう見えるだけだ。あれは人間が動物に生きるために背負った同じ運命を見ているからだ」
「どういうことですか」
「同病相憐という一語につきる。その背景には必要以上に生き物たちを殺めてきたことへの侘びの気持が微かにあるんだろうよ。ちぇ」
父は大きく舌打ちした。
「なるほどォ。檻やケージに閉じ込めておいて、一方では『アニマルウェルフェア(動物福祉)』なんて言って、俺たちに同情し、憐れんでもいます」
「大きなお世話だ。同情や憐れむくらいなら、殺すな! 喰うな! 『アニマルライツ(動物の生命権)』を実践しろ」
「アニマルライツ?」
「そう。アニマルウェルフェアは家畜のように飼い、殺すことを前提としている。アニマルライツは命そのものを尊重するんだ」
「なるほどォ」
「すべての生き物を即刻、解放しろ!」
父は怒りを爆発させた。
「動物園やケージの中で一生を終える仲間たちが不憫でしょうがないです。抵抗すれば叩かれ、逃げれば捕獲され、悪くすれば射殺されますから」
「また、殺すかぁ」
父はため息をもらした。
「でも、父さん。中世のヨーロッパでは人間の娯楽の一環として公の場で惨殺されたり、飼育下の動物たちが抵抗すると動物裁判にかけられ、公開処刑されたようですよ」
息子はためらうことなく話した。
「人間に、自分ら以外の生き物を裁く権利があるのか」父は聞くに堪えられず、ぽつりとこぼすと、しばらく首を下げ、声を震わせながら続けた。「いいか、仲間たちが抵抗するのは、それによって生きる意思を示しているんだ。逃げるのは場違いな違和感を生む境界を破り人間中心主義の秩序を攪乱しているんだ」その言葉にはよく理解しろという響きがあった。
「意図と計画性を持って逃げている、と」
「そうだ。それが知性を持っていることの証だ」
「なるほどォ」
「もっとひどい仕打ちはある」父はじっと前を見据えて言った。「ハブとマングースの格闘や闘犬を楽しみやがって」
「父さん。それらは動物愛護の観点からもう行われていませんよ」
息子はすぐに否定した。
「そ、そうかァ。あ、あたりまえだ。いくら人間の伝統文化だとはいえ動物虐待もはなはだしい」
「でも、馬を使った神事ならまだ行われていますよ」
「なに!」
「神社の階段を駆け上がらせたり……、上げ馬神事といって人間を乗せて坂を駆け上がり、高さ2メートルの土壁を越えるんです」
「それがなんになるんだ?」
父は興奮ぎみに問い詰めた。
「その成否によって農作物の出来を占うそうです。700年もの歴史があるそうですよ」
「う~。農作物の出来具合を馬に占わせるな。階段や土壁に足をひっかければ大怪我をする」
「はい。転倒して骨を折り、殺処分された馬もいます」
「う~~」父は堪りかねて叫んだ。「人間が馬を背負って駆け上がってみろ!」
息子は返す言葉が浮かばなかった。父はドクンドクンと早打ちする心臓の鼓動を沈めるためにしばらく黙り、目を閉じた。ようやく口を開いた。
「でもな、そうやってでも生き延びられている仲間はまだいいんだぞ。子孫を残せない仲間だっているから」
「仲間たちを絶滅危惧種なんて分類しやがって」息子は憤りを抑え、「地球上でもっとも遅く人間が棲み着いたポリネシアの島々では人間の入植後1000種の鳥が絶滅したとも言われています」と知識を口にした。
「人間どもはそうやって仲間を殺し、平和な森の秩序を壊してきた。ふん」父は大きく鼻を鳴らしてから、怖い声で訊いてきた。「この国じゃ、オオカミがいなくなって久しいが、誰が最後のオオカミの息を止めたんだ?」
「人間です」
「誰が最後のカワウソの皮を剥いだんだ?」
「人間です」
「誰が最後のツチノコを踏み潰したんだ?」
「人間です」
「誰がトキの餌場である田んぼに農薬を撒いたんだ?」
「人間です」
「自分らが絶滅させたり、絶滅寸前にまで追い込んできたことを反省もせず、いなくなると共存だ、生物多様性だと口にしやがる……アホ! ボケ!」
「カス!」
そう言って激怒する父子の視線の先には道に迷いきょろきょろと顔を動かす人間がいた。
「あァ、いかにも脳足リンだという顔をした人間がこっちへ来ますよ」
「ふん。間抜け面」
「どうせ、絶滅させられるくらいなら……」
「ビビルなよ。逃げるんじゃないぞ。脅してやろうか、化かしてやろうか」
「いいえ。仲間を呼び集めれば、数の上ではこちらが圧倒的に多いですから」
「んんッ?」父は息子の顔を見た。
「この際、駆除しちゃいましょう」
「おォ。有害駆除。OSO18の仇を取るってか?」父はまた息子の顔を見た。
「それでは足りません。これまでに殺戮されたすべての仲間への仇打ちですよ。少しはその罪を償ってもらいましょうよ」息子は人間を睨みつけたまま答えた。
「木や草の肥やしにしようってか? フッフッフッ」
「ミミズやダニの餌にもなりますよ。へッへッへッ」
父子の歪めた口元からキラリと牙が光った。
2.エピローグ
最後の言葉を残し、モニターからキツネ父子の姿は消えた。その声は人間の自然に対する悪行をことごとく暴露していた。『百害あって一利なし』。人間はいつになったら自分たちの偽善に気づくのか? 人間は自然にとって侵略的外来種だ、凶悪犯だ、害獣だ。あらゆる生命を自分の都合だけで滅ぼしてきた。人間はキツネ父子のこの声を、雑音と聞くのか、警告と聞くのか。
「博士。これって超ヤバイですよ」
助手は組んだ両手をツル天ピーカーの頭に乗せたまま声をかけた。
「うん。一触即発の状態だね」
博士も語気強く同意した。
「こちらのことはすべて見られてますし、理解されてますよ」
「うん。うすうす気づいてはいたが」
博士は右手で顎を擦りながらぽつりと言った。
「弱腰だった息子も完璧な強腰になっちゃいましたよ。若いだけにヤバさ倍増ですよ」
「うん」
「早く、こちらの言葉を動物語に変換するマシーンを作って、意思を伝えなきゃあ」
助手のこの言葉に博士は黙ったままだった。
「でも、どうすればいいのかなァ?」
助手が不安げな声をもらすと、ぎこちない沈黙の時が流れた。
博士は静かに問いかけた。
「君はキツネの声のどこに最も衝撃を受けたのかね?」
この予想外の角度からきた唐突な質問に助手は「えッ?」という顔で天井を見やり数秒、逡巡してから、「せんぶですよ。だって、人間がやってきたことをすべて見られて、理解されているじゃないですか」と、答えた。その口調は興奮していた。
「それじゃあ、答えになっていない。私は最も衝撃を受けたところを訊いているんだ」
博士は『最も衝撃を受けた』という言葉を強調し憮然とした顔で訊き返した。
助手は困惑した顔で、「動物を擬人化するところですかね。人間中心主義のところ……」と曖昧な答えをした。
「そうかい?」そう返す博士の憮然としたままの顔を見て、助手は「じゃあ、動物や植物も知性を持っているってところですか」と答えてみた。
「それはキツネが言っているように周知の事実だよ。明々白々だ」
助手は博士が苛ついた声で顔を横に振るのを確認すると話すのを止めた。
「そんなところじゃないだろ」博士は遠くを見るような、どこか突き抜けたような微笑を浮かべて教えた。「いいかい。人間が聞き取るべき声は『人間は科学を進歩させることよりも、生き物として、どう生きて、どう生命を繋いでいくのか、をもっと真剣に学ぶべきだ』の部分だよ」
「は~」とため息をもらす助手へ博士は諭すよう続けた。
「共存、共生、多様性を口にする前に、まずは人間も自然の一部として生きていられることを肝に銘じるべきだな。分かっちゃいるけど行動が伴っていないから」
助手はなんとか博士の言葉の意味と意図が理解できたようで、「確かに、そこから考え直さないと……」と小さな声を口にした。
博士はその言葉を聞き取り、苦渋に満ちた表情をしてさらに続けた。
「現状では、人間の倫理的知性は技術的知性のはるか後方をナメクジのごとく歩んでいる。前者が後者を越えるとき、ようやく自然環境を改善しうる堵につくのかもしれない。悔しいが、涙が出そうだが、時間はとてもかかりそうだな」
「でも、それでは……他の動物たちも人間をこんなふうに見ているとすれば……早く、怒りを静めさせないと……」
助手は不安げに声を震わせ、言葉を詰まらせた。
「すでに一部の地域ではクマの逆襲がはじまっているよ。アーバン・ベアも増えている」
博士は助手の心中を察し、平然と落ち着いた声を返した。(了)
参考文献。
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NHK(2023)「クローズアップ現代 世界中で急増 〝気候難民〟の実態」11月27日、夜7時3
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NHK(2023)「クローズアップ現代 激増クマ被害 住宅地や街でなぜ?」11月6日、夜7時30
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番組。
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ジークハルト・ネッケル(大貫敦子訳)(2023)「環境破壊をもたらす富豪層 グローバル・エリート
層は環境汚染のエリートでもある」『世界』岩波書店、101~113頁所収。
下郷さとみ(2023)「アマゾンの森を守る誇り」『世界』岩波書店、114~119頁所収。
鈴木俊貴(2023)「シジュウカラ語に聞き耳」『朝日新聞』7月29日。
ステファノ・マンクーゾほか(久保耕司訳)(2021)『植物は<知性>をもっている』朝日新聞社。
長濱和代(2023)『木が泣いている 日本の森でおこっていること』岩波書店。
日経ナショナルジオグラフィック(2023)「大気中の炭素を減らす」『日経ナショナルジオグラフィッ
ク日本版』(株)日経ナショナルジオグラフィック、11月号、56~89頁所収。
ティグ・グールソン(藤原多伽夫訳)(2022)『サイレント・アース 昆虫たちの「沈黙の春」』NH
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平田仁子(2023)「日本の気候変動対策はなぜ進まないのか」『世界』岩波書店、81~88頁所収。
フランス・ドゥ・ヴァール(柴田裕之訳)(2010)『共感の時代へ』紀伊国屋書店。
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山極寿一(2023)「人新世に人類学がすべきこと 人間と地球の関係 読み解く力を」『朝日新聞』9
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山極寿一ほか(2023)「森から見つめた〝人間の本質〟」『季刊 読書のいずみ』No.176、9
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山極寿一・鈴木俊貴(2023)『動物は何をしゃべっているのか?』集英社。
鷲谷いづみ(2010)『実践で学ぶ《生物多様性》』岩波ブックレット、No.1015。
鷲田清一(2023)「折々のことば」『朝日新聞』8月23日。
付記。この作品のモチーフは自然から人間への警告である。動物語自動翻訳器を使い動物の声を聞く。SF(空想科学)として書いたつもり。この機器名がないと、寓話・奇想小説にすぎない。こうしたジャンルのSFもある。「こんな空想の書き方もありかな(実験小説)」というふうに書いてみた。でも、事実を書いているのみでフィクション性が弱い。もっと想像させる工夫はできないものか?
SFの「空想=虚構」とは、人工的に構築された未来の世界をシミュレーションすることである。「科学」とは、テクノロジーがイメージされやすいが、別の見方もある。科学とは、世界の見方を作る一つの文化であって、その意味において表現形式は異なるが他の芸術活動と根は同じである。なので、SF(空想科学)とは人工の世界モデルを作る芸術分野とみなしてよい。こうして作り上げた未来の「虚構の世界」は科学のモデルであれ、小説であれ、多様な「現実の世界」と適度な繋がりを生成してこそSFのSFたる所以がある。その際、虚構と現実を繋ぐプロセスの真実味、説得力がSFの命となる。真実味、説得力が強ければ「虚構の世界」は「現実の世界」の延長線上にあると感じられ、受け入れられる。
SFに限らず、小説は「おもしろければ、それでいい」というあっけらかんとした答え方をする人間がいる。だが、そうだろうか。「おもしろい」とは、それには結末がある、ある謎が解けたということであろう。しかし、科学一般が「おもしろい」のはこの結末がないからである。謎が謎を呼ぶ、と言ってもよい。結末が無限に存在する可能性を想像させることがSFや小説にとっても大事なことだ、と言いたい。そう、想像させることに尽きる。
こうした考え方は、金子邦彦(2010)『カオスの紡ぐ夢の中で』ハヤカワ文庫、12~13頁、84~85頁、122~123頁が参考になる。