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  作者: 渡辺農夫也
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「籤」於日本橋 1-4

 ――肩を叩かれた。


 少女は屈んだ姿勢のまま無意識で振り返る。

 そこに立っていたのは黒袍(くろのほう)白奴袴(しろぬばかま)に身を包んだ月読神社の宮司、茜の祖父である富久壽だ。

 茜は夢を見ていたようにぼんやり祖父の姿を眺めてから、薄暗い正殿にいる事実を思い出す。

 膝に手をついてふらふらと立ち上がった。


「じいちゃん、侵入者は?」


 富久壽は少し息を切らしながら首を横に振る。


「逃げられた。あの男、大柄な割に機敏で無駄な動きがなかった。下手に追い詰めないで正解だったかもしれん」

「でも御神体が盗まれちゃったら」

「安心しなさい、御神体は盗まれていないはずだ」

「なんで分かるの?」

「勾玉は、世に云う三種の神器のひとつ。簡単に発見できるような場所には安置していない。短い時間で探し出すことなど出来はしないさ」


 なるほど。だとしても、実物を確かめるまで安心できないんじゃないか。茜は食い下がろうとしたけれど、祖父の目がそれを許さなかった。

 ふたりの背丈はあまり変わらない。そんな小柄な富久壽からはオーラのようなものが発せられていて、少女は自然と背筋が伸びる。


「茜、目覚めたか」

「うん」

「右手は痛くないか?」

「大丈夫」

「そうか」


 富久壽は一歩前に進み出た。そして、そっと茜を抱き締めた。


「じいちゃん?」

「お前が死んだら、儂はどうしたらいいのだ。生きてくれていて良かった」

「……ごめんなさい」


 無表情で少女が謝る。

 声から感情が伝わったのだろうか、富久壽は眉間に皺を寄せて孫娘から離れた。改めて気を引き締めたようだ。


「私覚えてなくて。倒れてるのを見つけてくれたのって、じいちゃんなんでしょ。私いったい何をしたの?」

「落ち着いたら説明する」

「今がいい。充分落ち着いてるから」

「取り敢えず外へ出よう」

「なんで?」

「ここは聖域。お前が入ってはならない場所だ」

「でも御神体は祭壇に無いんじゃないの?」

「例えそうだとしても、神様が鎮座する場所であることに変わりはない」

「なら、ひとつだけ答えて」


 茜は息を乱しながらも、はっきりとした口調で尋ねた。


「なんで『御神籤』が祭壇にあるの?」


 茜が正殿にいる時点で、ある程度予想できた質問のはずだ。それでも富久壽の額からは冷や汗が吹き出していた。茜の目が頑ななそれに変わっている。こうなったときの頑固さは三善の比ではない。


「……開けたのか」

「御神体を確かめようと思ったのに、出てきたのは御神籤だった。木筒に私の名前が書いてあるのってなんで? 誰が書いたの? 昔は書いてなかったよね?」


 立て続けの問いを、富久壽は目を閉じて受け止める。少女はいつもより顔を上げて、祖父の答えを待つ。ふたりの間だけ時が止まったように長い沈黙が落ちた。

 やがて富久壽は静かに瞼を開き、自らへ言い聞かせるように頷く。


「……儂は、茜がきちんと成長して、茜が思うとおりに生きてくれることを常に願っている。幸せになってくれるのならばどんな犠牲でも払おう。反対に、茜を傷つけることはしたくない」


 神様に誓って、と祖父は大切に言葉を伝える。


「御神籤とは人生を導くものだ。決意を持った人間が想いを以って引いたならば、神様は必ず道を指し示してくれる。しかし、この籤は役目を終えたのだ。もう本来の役割を果たすことはできない。道を指し示すどころか、同じ場所に立ち止まらせてしまうかもしれない」


 少女には最後の方の意味が理解できなかった。


「もしこの籤が再び必要なときが来れば、必ず表舞台に出てくることになる。だから、それまでは眠らせてやってくれないか」


 富久壽はそこまで言い切り大きく目線を外す。これ以上尋ねても無駄なことを茜は知っている。話は完結したのだ。

 少女は唇を噛みしめた。駄々を捏ねるわけにはいかない、分かっている、分かっているのだけれど、それでも。


「ごめんなさい、もう訊かないから……」


 茜は震える膝を黙らせ、祭壇の正面に立つ。


「掃除、してくれてるんだ?」

「大切な祭壇だ。当然の務めだろう」

「私が……私がやろうか?」


 富久壽は静かに首を横に振った。

 想いを断ち切るように茜は祭壇に背を向ける。もう正殿に入ることはない。御神籤の真相を解き明かすことはできない。少女の瞳からぽたりと涙が落ちた。一滴、二滴と乾いた床を濡らす。


「あれ、なんだろう。あれ……? おかしいな……」


 当たらない御神籤なんて好きではなかったはずなのに。

 こういう時、祖父は決まって優しい。堪え切れず呻き声をあげる茜に、言葉を掛けずただ傍に居てくれた。こんな器の大きい人間になりたいと憧れたものだ。

 でも今回ばかりは何とも言えない気持ちになった。悔しいような切ないような、すべてを教えてくれない祖父が恨めしかった。

 それでも涙はやがて止まり、茜は落ち着きを取り戻す。


「……よしっ。掃除お願いね」

「言われるまでもない」

 富久壽は孫娘の頭を優しく撫でて、

「お前こそ頼むから無理をしないでくれ。明日は手伝いの巫女を手配してある。仕事は彼女らに任せて、茜はゆっくりしていなさい」

「でも、お手伝いさんだけだと判らないことも多いだろうし……」

「三善が仕切るから大丈夫だ。もし余裕があるようなら、握り飯の準備を手伝ってやってくれ。茜が作ったと知れば男衆の気合も入るだろう」

「大袈裟だよ」


 茜に少し笑みが戻る。


「じゃあ、手が空いたらがんばる」

「みんな想像以上に食うからな。米は大量に炊いておくれ」

「うん、任せて」


 ふたりが外へ出ると、月はだいぶ傾いていた。

 知りたいことは山ほどある。けれども何を訊いていいのか、何を訊いてはいけないのか解らないまま、正殿の扉はゆっくり閉じた。

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