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  作者: 渡辺農夫也
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「籤」於日本橋 1-3

 鈴虫の声。

 月の光に照らされた夜道を茜はひとりトボトボ歩いていく。見慣れた景色のはずなのに、別世界に迷い込んだような心細さ。行きはお喋りしていたから何も感じなかったけれど。

 菜々と琥太郎を家まで送り届けた帰り道。

 鳥居をそっと窺ったが、先程の老人の姿はなかった。ほっとして茜は参道を進む。

 すると、その前方に鈍い光が点々と浮かんでいるのが見えた。


「手提灯……すごい数だな」


 そろそろ宵宮もお開きなのだろう。最後まで片付けを手伝ってくれていた人達がちょうど帰るところなのかもしれない。

 三善の話から察するに、茜が倒れた噂は町中の人が知っているだろう。鉢合わせしたら全員から心配されてしまう……

 それはとてもありがたいことなのに、靄がかった何かがどうしても少女を鬱にさせる。茜は急いで参道を外れて杉の林に飛び込み、高台に続く小道へ逃げた。


 その時だった。

 キーン、という高音が夜の世界に響いた。

 恐らく目の前に続く階段の先から。

 なんだろう? 耳を澄ましても、二度目は聴こえてこない。通り過ぎた手提灯の団体が気にしている素振りはない。でも気のせいだったと思えない。

 嫌な予感がして茜は高台へ続く道を急いだ。


 高台の頂からは正殿を一望できる。茜は思わずその場で足を止めた。

 常時固く錠で閉じられているはずの正殿から、暗闇が噴き出しているではないか。そして何者かが暗闇の中へ吸い込まれていくのがはっきり見えた。祖父や兄ではない。


「誰……? どうして扉が開いてるの?」


 考えられる理由はひとつ。


「まさか盗人……!?」


 さっき聴こえた高音は、正殿の錠が破られた音ではないか。

 盗人だとすれば、狙いは御神体に違いない。

 月読尊の御神体は『八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)』である。『天叢雲剣あめのむらくものつるぎ』『八咫鏡(やたのかがみ)』と並び三種の神器と呼ばれ、神道を修め認められた者だけが、月読神社の総本社から分け賜うことができる宝物だ。オリジナルではないとはいえ、その価値は計り知れない。

 そして何より、茜が生まれた時から傍にいる月読尊の依代である。御神体がなくなれば神様はいなくなる。ツクヨミサマがいなくなるのは家族を失うのと同義。

 そんなこと絶対に許さない。

 茜は無意識のうちに、高台から斜面を滑り降りていた。


 態勢を維持してうまく着地に成功すると、そのまま茜は正殿へ向かって走り出す。三善を呼びに行こうかとも考えたが、そんな時間などない。高床式の階段を一気に駆け上がり、勢いよく扉に手をつく。


「御神体を返して……!」


 茜の澄んだ声が正殿に響いた。

 暗闇が波打つように震えて波紋が広がる。

 どうやら正殿の奥に蝋燭が焚かれているようで、うっすらと中の様子を窺い知ることができた。

 だが、侵入者らしき姿は見当たらない。

 月読神社の正殿は、神職だけが立ち入りを許された聖域だ。巫女である茜さえ入室を許可されていない。家族でも規則は規則だ、と祖父は厳しく定めた。故に茜は一度も正殿に入ったことがない。

 でも今はそれどころではない。少女は草履を脱ぎ、意を決して正殿に足を踏み入れた。


 ……空気が冷たい。

 異世界のような静寂の空間。そこまで広くはないはずなのに、天井が星空の高さまで続いているような感覚に襲われて立ち眩みがした。

 茜は大きく息を吐いてから、最深部の祭壇を目指して一歩、二歩とゆっくり進む……

 そして半分ほどの距離まで進んだ次の瞬間だった。


 ――蝋燭の炎が消えた。


 いや、消えたのではなく、吹き消されたのだ。視界が暗転する。月明かりを背にしている茜は侵入者から丸見えだ。

 少女はすぐさま反転し、扉へ向かって走り出す。

 足をもつらせながらなんとか外へ飛び出たが、あっという間に背後から気配が迫ってくる。茜が振り返ったのと同時に、大柄な影が横をすり抜け、俊敏な身のこなしで正殿の階段を飛び下りていった。


「待って……!」


 少女の声も空しく、侵入者は逃走していく。


「誰かいるのか?」


 と、遠くから声が聞こえた。姿を確認する前に茜が応じる。


「じいちゃん! 御神体が……!」


 叫ぶと同時に、家屋の方から宮司姿の祖父が現れた。そして瞬時に状況を察知し、高齢とは思えない速さで侵入者を追いかけていく。

 その姿はあっという間に見えなくなった。


「…………」


 再び訪れる静寂。開いたままの扉。

 茜はしばらく呆然と突っ立っていたが、なんとか頭を振って正殿と対峙した。

 御神体が盗まれていないか確認しなければ。

 神職でない彼女は、正殿への立ち入りを禁じられている。けどまあ一度入ってしまったものは二度入っても同じだろう。適当に言い訳を考えてから、再び扉の内側へ踊り込んだ。

 今度は冷静に周りを見回してみる。扉の両脇にも一対の蝋燭が立てられていた。片側の燭台を手に取り、暗闇を照らしながら勇気を持って足を踏み入れる。

 祭壇まで辿り着くと、吹き消された形跡のある太い蝋燭に火を入れた。

 空間がふわりと明るくなる。

 茜は安心感を得ると共に、厳かな気持ちになった。空気が重い。濃いヒノキの香り。正殿全体から力が発せられているのを感じる。

 祭壇にはお萩が供えられていた。そして中央に安置されている大きな謎の木箱。

 その木箱の蓋が不自然に開いている。

 中に御神体が納められているのだろうか。であれば、やはり盗られている可能性が高い。鼓動の高鳴りを感じながら、蝋燭で箱の中を照らす。


 しかし意外なことに、箱には何かがすっぽり収まっていた。

 茜は燭台を膝元に置き、箱から何かを取り出した。からん、という乾いた音が正殿に響く。片腕でも持てるほどの八角形の筒。一方にのみ空いている小さな穴。間違えようがない。


「御神籤だ……」


 数年ぶりに手にした木筒。


「使わなくなったから封印したの? でもなんで祭壇に……?」


 茜は当然のように木筒を振り始めた。からからという乾いた音が反響して増幅する。何をしているのだろう、自分の行動が信じられなかった、それでも止めない。

 思い切って逆さまに振ると、一本のみくじ棒が飛び出した。


 棒の先端には『六』と刻まれている。


 当然、みくじ棒だけで結果は分からない。神様のお告げが記されている、みくじ箋が必要だ。

 箱の中には見当たらない……

 諦めて木筒に意識を戻す。


 八角形の一面に、薄暗くても見分けがつくほどの黒い汚れが付着していた。

 汚れは自然にできたものではない。墨だ。何かが記されていたのか。茜が知っている御神籤に文字など書かれていた記憶はない。一体、誰が何を。

 更に、その裏面に予想もしなかった文字を発見してしまう。


『茜』


 どうして私の名前が……?

 少女の心を急速に恐怖が支配した。慌てて木筒を箱の中に戻し、何事もなかったように蓋を閉めた。急いで正殿から離れようとしたが足に力が入らず、祭壇の前に座り込んでしまった。

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