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  作者: 渡辺農夫也
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「籤」於日本橋 1-2

 日本橋は東方世界の中心地である。

 無数の商店が並ぶ大通りは人で溢れ返り、川沿いには魚河岸があって沢山の船が行き来する。芝居小屋など娯楽施設も点在し、観光資源は豊か。それら全てを監視するように建つ御城では国の政を執り行う。


 茜と三善が暮らす月読神社は、日本橋の北東の方角に構える中規模の社だ。

 神社の歴史は浅く、ふたりの祖父にあたる富久壽(とくひさ)が建立したもので、未だに彼は宮司を務めている。


 境内には杉の林があり、それを廻り込むように参道は続く。木々の間には高台へ続く階段が存在し、頂にある祠からは正殿を一望できる。祠の先の階段を下れば、茜たち一家が暮らす家屋の前まで出る。

 拝殿の脇には、樹齢四百年を数える杉の御神木がどっしり根を下ろしている。周辺の地域でも突き抜けて高く聳えており、月読尊が空へ還るためにその樹を昇る、と云われるようになった。

 月神には、安産の御利益がある。妊婦は当然のこと、子供をなかなか授かることができない女性の参拝も多い。デリカシーのない三善に任せるわけにはいかず、富久壽が不在のときはなるべく茜が参拝客の対応をするようにしている。


 しかし、茜が大きくなってからというものの、彼女の噂を聞きつけた独身男の参拝が急増した、という逸話は有名だ。

 男達は好奇の目で少女を追うが、茜がそれを受け入れることはない。常に俯き気味で目を合わすことさえ困難である。彼らの間では、最初に見つめ合った者が少女を手にするという伝説が生まれ、息巻く一部の連中が毎日のように通い詰めているのだ。


 そんな様々な参拝客から、共通して質問される事がひとつ。


「どうして御神籤がないの?」


 またか、と思って茜が振り返ると、おかっぱ頭の小さな女の子が白衣の袖を掴んでいた。走り回っていたのか足元は土で汚れており、桃色の浴衣は皺だらけ。五、六歳だろうか。  

 可愛いと思いつつも心配になり、茜は屈んで幼子の目線になった。


「お父さんとお母さんは?」

「家にいる」

「ひとりで来たの?」

「うん。ねえどうして御神籤がないの?」茜が何と説明しようか迷っていると、「お姉ちゃん神社の人でしょ。ねえどうして?」


 月読神社には御神籤がない。

 町内の人間ならば誰もが知っている事実だ。

 それを知らないということは、遠方から来たのか、はたまた両親に内緒で来たのか。宵宮とはいえ夜中に子供がひとりでいるなんて良い状況ではない。普段の茜ならば適切な対応ができていただろう。


 だが、御神籤の存在を真正面から問われ、何かがじわりと胸の奥に広がっていくのを感じた。


「ごめんね、お姉さんにも分からないんだ」

「えー!」

「御神籤好きなの?」

「うん、だって当たるもん!」

「当たらないよ」

「えっ?」幼子はまさに鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。

「当たらないよ」

「御神籤?」

「当たらない」

「……」


 幼子はみるみる泣き顔になっていく。やがて堰を切ったように喚き声をあげながら走り去ってしまった。


 ごめんね。でも当たらないものは当たらないのだから。


 小さい頃、茜の両親が長い旅に出たことがあった。予定の時期を過ぎてもなかなか帰ってこない両親を心配して、幼い彼女は御神籤を引いた。

 待ち人、来る。絶対に帰ってくると信じて疑わなかった。

 けれども、いつまで待っても両親が帰ってくることはなかった。


 それまで御神籤は神社に存在していたのだ。

 後日、祖父が御神籤を廃止すると決めたとき、茜は反対しなかった。

 未だに分からない両親の行方。当時のことを振り返ると、全ての神経が失われたような感覚になる。



「茜ちゃーん!!」


 聞き馴染みのある声が飛んできて、茜は我に返った。

 秋の夜長、身体がだいぶ冷えている。ずいぶん長いこと突っ立っていたようだ。

 なんて考える間もなく、見慣れたふたりが全力で駆けてくる。家族ぐるみで仲が良い、神社の近隣に住む一家の姉弟である。

 姉の菜々(なな)が勢いよく胸のあたりに飛びついてきた。


「茜ちゃん大丈夫なの!?」


 それを聞いて茜は少なからずショックを受ける。菜々はまだ十二歳。弟の琥太郎(こたろう)に至っては更に二つ下。


「菜々にまで心配されると思わなかった……」

「だって怪我して倒れたって聞いたから」

「ごめんね……」

「五日も寝込んでたって聞いたから」

「うん、ごめんね。心配かけて」

「寝起きに三善さんを殴ったって聞いたから」

「……」


 相変わらず情報が早い。でも事実なのだから仕方ない。「まあね」と茜が答えると、姉弟は歓声を上げた。


「三善もたいしたことねえなぁ! 強いとか持て囃されてるけど、茜にあんな傷を負わせられるなんてよ!」


 生意気な口を叩くのは琥太郎だ。彼は三善と同じ町道場に通い、剣を習っている。


「三善さんは、茜ちゃんだけには弱いのよ」

「俺だって勝負したら負けねぇし」

「はあ? あんたなんて一生かかっても一本取れるもんですか」

「姉貴てめぇどっちの味方だよ!」

「三善さんに決まってんでしょ」

「俺の剣をちゃんと見たことないくせに!」

「子供の剣なんか見てもね」

「あなたも子供だけど」

「茜ちゃんは黙ってて」

「う……」

「今は間合いの差があるけど、二、三年も経てば俺はグッと背が伸びるんだよ!」

「そんな台詞は、私の背丈を越えてから言いなさい」


 菜々は軽く弟をいなしながら、片手間で茜もあしらう。琥太郎は姉に勝てないと悟ったようで、素早く茜の隣に並んだ。


「茜の背丈もすぐに超えるからな!」

「無理だよ」

「なんで!?」

「私も伸びるから」

「茜はもう伸びねえよ!」

「……小さいままかな」

「あんたどんな暴言吐いてんのよ」


 菜々から静かにツッコミが入る。


「うわぁ嘘だよ、茜もあとちょっとは伸びるって!!」


 必死の弁解がおかしくて、茜は思わず笑ってしまった。


「違うんだよ、くそう。あーあ、明日の芝居観に来てくれれば挽回できるのになぁ」

「芝居って?」

「茜に話す機会なかったんだけどさ、俺実は舞台に立つんだよ」

「舞台に?」

「そう! 小屋は、かの有名な葺屋町市松座ふきやちょういちまつざ。そこの座長がうちの先生の親友でさ、市松座協力のもと撃剣芝居を打つことになったんだ。流行りの痛快活劇ってやつだ。三善の奴は配役から漏れた中、俺は主役の大抜擢! 荒ぶる敵をバッタバッタ切り倒す!」

「三善さんはお祭りあるから出られないだけよ。あと主役は師範で、あんたはただの息子役ね」


 菜々の冷静な分析が入る。水を差された琥太郎は再び姉に噛みついた。


「息子だって主役みたいなもんだろ!」

「攫われて事件を引き起こす問題児でしょうが」

「そういう演出なんだから仕方ないだろ。現実だったら俺ひとりで充分なんだぞ!」


 颯爽と構える琥太郎に、すかさず菜々が蹴りを入れる。腰が入ってない、構えなんてどうでもいいんだよ。

 ふたりのやり取りを茜は楽しそうに眺めた。


「なんで明日なんだろうね。観たかったな」

「だろ? 茜が観てくれなきゃやる気出ねえよ。そうだ、公演の日程変えてもらおうぜ!」


 盛り上がる琥太郎に、菜々は溜め息をつく。


「変えられるわけないでしょ。小屋が空いてるのは十三夜だけなんだから」

「どうしてそんなこと知ってるんだよ!」

「市松座が公演を休むから、格安で小屋を貸してくれるのよ。大人の事情くらい察してやりなさい」


 大人の事情を雄弁する十二歳の言葉には、妙な説得力がある。再び琥太郎は丸め込まれて口を真一文字にした。


「じゃあせめて、時間が空いたら小屋へ遊びに来いよ」

「茜ちゃんは祭りの主役なのよ。よっぽどのことがない限り境内を離れるわけにはいかないでしょ」

「私、主役?」

「もちろん。気づいてないかもしれないけど、茜ちゃんの成長を見に来てる人は多いんだよ」

「成長って、あなたたちに言われても」

「茜ちゃんは黙ってて」

「うー……」

「やっぱり俺も祭りに参加したくなってきたなぁ! 昼間だけでも顔出していいかな?」

「あんたは小屋で準備があるでしょ。しっかりやってきなさい」

「今度感想聞かせてね」



 茜はそのままふたりを家まで送り届けることにした。

 鳥居の内側には屋台が二軒出ていた。両方とも食事がとれるお店で、赤い提灯が幻想的である。

「なんで今年は屋台少ないんだろ」と文句を垂れたのは琥太郎だ。大好きな射的がないことに腹を立てているらしい。例年は何十軒も屋台が連なっているのに。

 きっと私のせいなんだろうな……

 茜は提灯の鈍い光を見つめながら、申し訳ない気持ちになった。


 と、不意に菜々が立ち止った――

 足音が減ったので、すぐに茜が振り返る。


「菜々?」

「あそこ誰かいる」

「えっ……?」


 彼女の目線を辿っていくと、鳥居の柱と同化するように立つ、ひとつの影を確認できた。夜の帳に包まれ、やたら大きく感じるそれは、どうやらこちらの視線に気づいているようで。

 影が静かに月明かりの下へ姿を現す。


 途端に、耳鳴りがした。なんだろう。気持ち悪くて茜はひとり頭を振る。けれども耳鳴りは止まない。

 提灯の光が届く距離まで近づいてきて初めて、影の正体は老人であることが分かった。身なりは立派で高貴な雰囲気さえ醸し出ている。

 老人は姉弟など視界に入っていない様子で、茜の正面に立つ。ひょろっと背が高く、茜は見上げる形になった。


「こんばんは」


 枯れた声。どこかで会ったような気がする。祖父の知り合いかもしれない。

 しかし、茜は挨拶を返すことさえできなかった。男の刺すような視線に、異常な感覚が身体を支配したからだ。まるで金縛りに遭ったような。

 続けて老人が尋ねてくる。


「君は、この神社の娘かね?」

「……はい」


 絞り出せたのは一言だけ。

 男は押し黙った。暗がりだからかもしれないが、くすんだ瞳だと茜は思った。

 緊張感に包まれる中、菜々が寄ってきて白衣の袖を引いた。茜はハッとして老人に申し出る。


「あ、あの、この子たちを送っていかないといけないので……」

「引き留めて済まなかったね。ところで君、名は何と云うのかな?」

「……茜です」


 再び沈黙する老人の脇を、三人は会釈しながら通り過ぎた。


 さほど離れていない距離で、我慢できずに声を上げたのは琥太郎だ。振り返るのが怖くて前を向きながら話す。


「名前なんて訊いてどうするつもりだよ。あんなじじいに茜はやらねえぞ!」

「琥太郎にもやらないわよ」


 くすんだ瞳の奥に、憎悪の色が浮かんでいたのを茜は見逃さなかった。一体何者だろう。後で祖父に話してみようと心に決めた。

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