「籤」於日本橋 0
「一度決めたことは曲げないという信念がある」
この男はバカだと思うときがある。
信念を安売りする三善という男は、重大な決断を迫られたとき、頑なに意見を曲げない。頑固と信念は違うと思うのだが、本人は熱く語るものだから否定するのも忍びない。そんな信念などに未来を委ねていいのか。時には柔軟に思慮し意見を変える必要もあるのではないか。後悔しても時間を巻き戻すことはできないのだから。
だから、少女は尋ねた。
「それが三善にとって大切なことなの?」
いつものようにまっすぐな眼差しで、
「そんな信念のために、私についてくるというの?」
三善は口を閉じた。返答に困っているわけではないだろう。ただ、どうしてそんな質問をされているのか分からないような、当たり前すぎて声を出す気にもなれないだけ。
そして、それが少女に伝わらないはずはなく、訊いただけ無駄だったと唇を尖らせる。
天下に名高い五街道のひとつ、東海道。宿場町の数は五十三。終着三条大橋まで続く遥か長い道のり。
その始点、日本橋。
待ち受ける険しい道のりを覚悟し旅人が決意を固める場所。帰りを待ちわびる大切な人と約束を交わす場所。昼の賑わいから一変して、夜の人通りは皆無。橋の下を流れる日本橋川のせせらぎだけが微かに聴こえてくる。
「ところで……灯はなぜ旅に出るんだ?」
三善は頭を掻きながら尋ねた。
灯、と呼ばれた少女はジッと三善を見つめる。澄んだ瞳に満月が浮かぶ。宵闇色の髪が風になびく。
質問しておきながら、三善は照れたように視線を逸らした。
少女の目がジトッとしたそれに変わる。
「あのさ、理由も知らないで、お供について来るつもりなの?」
「一度決めたことは曲げないという信念がある」
「本当にバカでしょ」
「あいつの意思か?」
あいつ、という言葉が指す存在を思い浮かべて、灯は真剣な表情に戻った。
「……違う」
「救国なんて流行らないぞ」
「そんな大それたものじゃない。ただ、使命だと思ったから」
「使命のために旅に出るのか?」
「うん」
「お前、頑固だよな」
「三善だけには言われたくないんだけど!」
言い張った勢いで、からんという音が橋上に響いた。
「女の旅がどれだけ危険なのかまるで理解していない」
「なんとかなるよ」
「どこから自信が湧いてくるんだ?」
「稽古したし」
「立ち回りだけだろ!」
「多少の危険くらい承知の上だよ!」
そこでなんとなく口論は途切れる。旅立ちは明朝。残された時間は少なく、言い争ってる場合ではないような気がして。
灯は西の空を見上げた。眩しいくらいの月明かりに隠れて星は見えない。漸く暖かさを含んだ五月の風が心地良くて、大きく深呼吸をする。
改めて三善を正面から見据える。瞳に意志の光が宿った。
「どんなに危険な旅だったとしても、私は広い世界を見てみたい。この国が今どういう状況にあるのか、この目で確かめなくちゃいけない。困ってる人がいたら導いてあげなくちゃ。私は行くよ、誰になんて言われようと」
そして灯は、左肩から斜め掛けに背負っている『八角形の木筒』を手に取った。からからという乾いた音が夜空に響く――
御神籤だ。
「……いいのか?」
少女が引く御神籤の意味を知る者だけの問い。その籤は特別。大事なときしか占ってはいけないような気がする。
三善の心配をよそに、灯は静かに瞼を閉じた。
願いを込めて木筒を逆さに振る。旅の行く末を、ふたりの運命を祈って!
刳り貫かれている部分から、一本のみくじ棒が飛び出した。
棒の先端には『十九』と刻まれている。
灯は懐からボロボロの手帖を大切に取り出し、籤に示された頁を開く。そこに記された神様のお告げを読み上げると、三善は思わず笑みを浮かべた。
「……文句あるの?」
「いや、ないよ」