85、欠損と雪
深山の部屋の中に茜と二人でいる。スキルを教えている最中のようだ。
部屋は使われていなかっただけあって少し古い家の匂いがする。板敷きの床の上に茜は座り込み、深山はそれを見下ろすようにベッドに腰かけている。怪我は大分治ってきたようだった。
茜は今、照明魔法の練習中だから部屋の明かりは豆電球のみにしている。夕食後、なかなか上手くいかないと言って深山の部屋を訪れた。桃色のフリースにスカートというラフな格好でいる。部屋の真ん中には小さなストーブが焚いてある。牙途の一般的なストーブは点火装置が付いておらず、指先に灯した火気で点火するように作られている。
気化した石油の匂いが混ざり合う。
「修行の感覚は覚えているか?」
「うん、学校でやったから覚えているよ。火気だけだったけど」
修行という独特の感覚がある。スキルを覚えるためにはそのスキルを放つために集中し、発動をゴールだとするとそこまでの道のりに感覚を合わせる必要がある。感覚が合って初めてゴールまでの道のりが縮まっていく。その独特の行程のことを修行という。物理スキル以外のスキルはその感覚に入っている時間でゴールに近づいていき、物理スキルの場合はその感覚の回数を重ねることでゴールへの距離を刻んでいく。火気なら体の熱を集め、手のひらの一点に集めるという感覚に正しく入ることで時間経過が開始される。
「火気はどれくらいで獲得できたか覚えているか?」
「確か一時間くらいだったと思う」
「一時間か、早いな」
「寒い地方の人は熱を作るイメージに慣れてるからだって先生は言ってたよ」
「そうか。じゃあ照明魔法はもう少し時間がかかるかもしれないな」
「うん、もう三、四時間やってるけどまだ覚えられない」
「基本スキルでも空箱以外はだいたい十時間くらいかかるよ」
「そうなんだ」
修行の感覚はずれていると何時間かけてもゴールにたどり着けないため、感覚が掴めない場合は習得が難しい。要するに適性なしと判断されてしまう。合っているかどうかは自分の感覚を信じるしかない。外からではわからない。大抵の場合は一つでもスキルを習得できれば修行の感覚は理解できるため、それで合っているかどうかは判断ができる。
「ちょっと今やってみろ」
そう言われて、茜は照明魔法の軌道合わせに入った。
目を閉じて集中する。深山が豆電球を消す音がした。
深山がそばにいるせいかなかなか集中できないようだ。いつもなら簡単に入れる感覚に入れない。
そのとき――。
「あっ」
突然目の前に一本の道が現れた。集中軌道だ。
何故かは知らないが簡単に乗ることができた。
さらに今までは感覚を合わせることに意識を使っていたのに、今は何もせずに入れるため余力のようなものがある。それを使って加速してみた。
これまではゴールまでの道のりにただ合わせるだけだったのが、速度を上げるという発想が生まれた。それはとても心地の良い初めての感覚だった。
「どうだ?」
「すごい、何をやったの?」
それは深山の空箱による追い風だった。Lキャストによる特別効果だ。
「修行は奥が深い。逆に感覚を乗せたまま進まないでいるとエネルギーが溜まり、それを爆発させるようにして解脱を起こすことも可能だ」
「へえ」
「でもそこまで繊細なことをするやつはあまりいない。基本的に解脱は興奮状態や極限状態でエネルギーが溜まっているときに何かのスキルの軌道に偶然乗っかることで暴発のような感じで放たれる」
「全然知らなかった」
「お前ができそうなことで俺が教えられるのはこれくらいだな。あとは一人でも工夫して色々できるだろう」
「うん」
そろそろ帰る頃合いだ。深山の言葉にそれが滲んでいた。
「お前はまだ若い。前にも言ったがこの三次元空間には無限の可能性がある。俺という男で一つ縛るのはもったいないぞ」
「……」
どうやら自分の気持ちは筒抜けだったようだ。
「そうだね」
「俺は欠陥だらけだ」
「そんなことはないよ」
部屋が沈黙する。
深山には、目の前の少女が自分に好意を抱いていることは大分前からわかっている。それぐらいはわかって当然だ。しかし、その先に何か引っかかるものがある。
それは自分もかつて経験したものだから、わかったのかもしれない。見過ごすことの決してできないものだ。
「茜。お前死ぬ気だろう」
「……」
「何故だ。そんなに思い悩むものなのか」
「深山には、わからないと思う……」
「……」
「いいの。最後に楽しかったから。深山に教えてもらった照明魔法は習得してからにするよ。私の最後の……生きた証」
「男なんていくらでもいる。俺より上のやつが現れるかもしれない。何も死ななくても」
それを聞いて茜が黙る。
部屋が少しの間沈黙した。
やがて茜が重い口を開いた。
「私、十五歳の頃、学校でいじめにあったの。相手は全員男子で、一度だけ、性的ないじめを受けたの」
「性的な?」
「大勢で、やられたの」
「……」
部屋に再び沈黙が降る。
外では景色の底に雪が積もっている。
「だから私、男の人はダメなの。お見合いみたいなこともしたけど、体が震えるの。外に出るときも、あのときの誰かに会ったらと思うと出られない」
「……」
涙を浮かべながら深山を見上げる。
口女では優秀な男は冒険者になって国元を出ており、残っているのは細々と家業を継ぐかそれからすらもあぶれた無業者しかいない。そんな男たちの前に裸で晒されているような、そんな気分でずっといたのだった。
深山には好意というよりも救いのような思いが強くこもっていた。
「でも深山は嫌な感じがしない。こんなこと言うと気分悪くするかもしれないけど、多分その、等欠損っていう悩みがあるからだと思うの。だから二人で支え合って生きていけたらって思ったの」
「……」
「でも無理なのもわかってる。深山は立派なお国の冒険者だもんね。最後に男前と過ごせてよかったよ。女の子にここまで言われるんだから喜びなよね!」
涙を零しながら茜が笑う。
生きていても仕様がないと思った。
それはかつて深山も通り過ぎた苦しい道の跡だった。
死を前にした者の言葉だ。
「普通の男の人は何の悩みもないように見える。性的なもので迫られると恐怖しかない。だから……」
「わかった」
言葉を遮るようにして深山が言う。
「俺だってこの悩みがあるから、普通の女ではそばにいられない。どちらにしろ選択肢はないんだ。こんな仕様もない答えでもいいのか?」
「え、いいの?」
「死なれるより、その方がいい」
「……ありがとう。仕様もない同士」
それを言い終わるとまた部屋は沈黙した。しかし辺りには少しだけ温かい空気が漂ったような気がした。
やれやれ、所帯持ちか――。
軽い気持ちで来た口女でこんなに重いものを背負うことになるとは思わなかった。
あいつらはどうしているだろうか。
少しだけ白井のことが懐かしくなった。
深山は白井に戻り、仕事の目処が立ったらそのとき迎えに来る、と約束をした。
茜はそれを承諾した。




