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外伝 母の面影

 朝、窓のカーテンを開けるとそこには春の景色が広がっていた。窓を開けると暖かい日差しが差し込み、春の香りのする風が心地よく頬を撫でた。

 今日は青学の卒業式の日だ。制服に着替えて準備をする。居間では母が朝食を用意してくれていた。一切れのパンと野菜が少し入ったスープ。一人分しかない。


「おはよう」


「おはよう、次郎」


 挨拶をすると母が返した。


「三年間、ご苦労さま」


「……まだだよ。卒業式はこれからだ」


 十五歳になる次郎は決して成績はいいとは言えず、この国では青学までは義務のためお情けのような形で卒業できることになった。

 この世界では正式に冒険者になるには十八歳になっている必要があり、十五歳からでも冒険者にはなれるが青学の卒業認定を受けた者だけがなれるようになっており、紫学冒険者などと呼ばれ余程のことがない限り単独では仕事が下りないようになっている。


「いってきます」


「いってらっしゃい」


 玄関で母に見送られ、鞄を背負って学校へ向かう。



「よう、とんま。手ぶらで卒業おめでとうございます」


 教室に入るなりクラスメートの男子に馬鹿にされる。在学中、次郎はスキルが一つも発動させられなかった。


「いいよな、全く。タダ飯が食えて」


「……」


 次郎は教師からも半ばあきれられて冒険者にはならないように、と注意を受けた。

 勉学も運動も底辺を這うような成績だった次郎には気に病んでいることがあり、本当は学校どころではなかった。


 それは母の病気だった。

 次郎が十二歳のときのある日、母親のすぐ真上に気味の悪い顔面が浮かんでいるのが見えた。それについて母は病気だと言って詳しいことは話さなかった。父親はその少し前に行方不明になっている。冒険者だった父は、外地へ出る任務の際にそのまま行方不明になってしまった。それ以来、母のことが気に病んで何も手につかなかった。

 空箱(ブランク)ぐらいはできるだろう、と言われても気が散って一切発動させられなかった。



「母さん、死なないよね」


 その日の夕食のとき思わず言葉を漏らした。

 母は笑うだけで答えなかった。


 あまり人前に出ることもできず、父からの仕送りも途絶え、国の困窮者向けの補助だけで生活していた。

 晩御飯には卒業を祝って久々に肉が出てきた。


「次郎は優しいし、強い子だから、大丈夫」


 答えになっていなかったが、次郎は黙ってそれを聞き入れた。

 卒業したら近くの工場へ働きに出ることが決まっていた。早く稼いで楽をさせてあげたい。次郎には母の体調のことしか考えられなかった。たった一人の家族だ。


「明日、お花見に行かない?」


 珍しく母が外に出ようと言った。次郎は頷いた。


「お弁当作るからね」


 そう言って笑う母はいつもより少し明るく見えた。どうか、このまま穏やかに過ごしていけますように。次郎は祈った。


 次の日、夕方くらいに母と二人で近くの公園まで歩いてやってきた。

 暗くなりかけていた公園では桜が照明魔法(ライト)でライトアップされていた。


「きれいだね」


 二人は公園の中の一番隅っこの桜の木の下に座った。母が作ったお弁当が出された。白いご飯と卵焼きが入っていた。卵なんて食べるのは久しぶりだ。母の卵焼きは特別に美味しかった。

 何故か涙がこぼれてきた。どうしてこんなに辛いんだろう。たった一人の家族を、これ以上傷めないでくれ。藁にも縋るような気持ちだった。

 公園の桜は、涙ににじんでいた。こんなにきれいなのに。少しも喜べなかった。母は、ただ黙って笑っていた。



 こうなることを予測していたのだろうか。それはその日の晩に起こった。

 二人が家に帰ったときだった。あの顔面が現れたのだ。前に見たのとは違い、それは鋭い凝視の状態だった。母は床に倒れた。


「母さん!!」


 母は苦しそうに身体をおさえていた。


「来な……いで」


 ちくしょう――!!。次郎はたまらず顔面に掴みかかった。しかし触れない。次郎の方には全く見向きもしなかった。

 次郎はスキルを持っていない。母が持つ簡単なスキルにさえ繋ぐことができない。もし繋ぐことができたなら、少しでも肩代わりできたのに。


「うおおおおおああああああ!!」


 どんなに叫んでも届かない。


「母さん、母さん!!」


 目の前で母は見る間に弱っていった。


「くっ、地獄に……落ちろ……」


 それは自分に対して言った言葉だった。台所の包丁を手に、首を掠めた。あっという間に血が滴る。

 同じくらい苦しまないと助けられないと思った。

 意識が澄んでいく。

 三年間ずっとできなかった。たった一つのことに対する、集中――。

 その全てを自分の力としてつぎ込んだ。死んでもいい。この場を何とかできるなら。源力が爆発する。


「オオオオオオオオオオ!!」


 惨殺(グレイル)――。

 右拳が顔面を粉砕した。


 しかし、母は起き上がらなかった。



「この、鈍間」


 とうとうこの日、次郎はたった一人の、最後の家族を失った。



 それから数日後。母の面影を探すように次郎は母の部屋で一冊のノートを見つけた。

 それは母の日記だった。

 そこには母が父と出会う前にいた場所のことが書かれていた。

 そこは「蒼い庭園」と呼ばれる外地にある小さな集落だった。


 母の故郷を見てみたい――。

 その場所に惹かれていった理由はただそれだけだった。

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