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54、黒の焔

 天を焦がすべく上方へと意識を向ける。どうやらまたあの外壁に張り付かれている者がいるらしい。こちらへ助けを求めるようにして伸ばされた手を繋いだ。


「……慶一」


 慶一は背を向けたままだ。深山の呼びかけには応えない。団員の一人が起き上がり、空を見上げた。空の外壁はどうやらいつの間にか消えたようだ。空気も元に戻っている。寒さだけが残っていた。

 やがて開かれていた広間のドアから人影が飛び込んできた。


(たける)さまっ!?」


 まだ小さい女の子だ。慶一の背に向かって叫ぶ。


「武さまですか!?」


「何だ? うるさいな」


 辺りが騒がしくなり、ようやく意識を取り戻した空丸がたまらず声を漏らす。


「深山、深山じゃないか、お前どうしたその恰好」


「折れた。慶一もいる」


「何? 慶一もいるのか?」


 女の子が回りこんで慶一の顔を見上げる。


「た、武さま、ですか?」


 慶一が女の子を見下ろす。


「武さま、じゃない」


「何だ、さっきから。こいつは慶一だよ。おい、慶一」


 慶一は真上から女の子と目線を合わせる。顔は険しい。睨み合ったまま動かない。


「あ、武さま、かどうかわからない、とりあえず」


 そう言うと今度は振り向いて中庭の全員に向かって声を上げる。


「勇敢なる冒険者様方っ! ぜひとも上階へいらして下さい。浩二さまがお待ちです」


 そう呼びかけると、広間を出て廊下の先にある階段へと全員を誘導した。


「空丸、行ってくれ。俺は動けない」


 案内されるまま慶一の後を追って空丸も階段を上がっていく。

 そのまま二階を通り過ぎ、屋上への扉を開くと、そこにはすぐ目の前に黒い氷の階層が出来上がっているのが見えた。どうやらこれが遠くから黒い雲に見えていたようだ。

 空には外壁はなく一面灰色だった。

 屋根の上に黒い氷で作られた部屋がいくつもある。賊山の頂上で見た上楽の家とそっくりだ。どうやら同位改変の魔法スキルで誰かがこしらえたもののようだ。

 部屋の中には大勢の人が集まっていた。どうやら逃げ遅れた中央街の人々はここに避難していたようだ。最初の部屋のすぐ入り口のところに一人の少年が待ち構えていた。


「由香里、ありがとう」


 そう言って、すぐ隣に女の子を控えさせると少年は慶一に向かって言った。


「あなたが助けてくれたのですね。私は作場浩二。この街の、市長です」


 語尾を力なく言うと、慶一へと手を伸ばした。

 慶一がそれを掴む。間違いなく焼き払ったのは慶一の御力だ。あの外壁がこの少年にも張り付いて苛んでいたようだ。

 黒い部屋は冷たくない氷のようなものでできていた。中にはテーブルや椅子などもしつらえてある。


「なあ、さっきから言っていた武ってのは何だ?」


 慶一の後ろで空丸が尋ねた。


「父の、知り合いです。この子の非礼をお許し下さい」


「もしかして、井黒の朱水武のことか?」


「……はい、黒い炎が焼いてくれたときに、そんな気がしてしまったので」


「もう十年以上昔に死んでいるだろう。会ったことがあるのか?」


「いえ、私は写真でしか。そうですか、亡くなっている……」


 そう言うと少年は端へと避け、部屋にいる住民たちへ声をかけた。


「災難は去りました。もう街へ戻って大丈夫でしょう。ご苦労をおかけしました」


 疲れた様子の街の人たちは慶一たちに礼を言いながら、部屋から出て次々と階段へと向かっていった。

 そのとき、一人の女性が慶一の前で立ち止まり、慶一のことを見上げながら言った。


「あ、あの、その頭巾は、いったいどこで」


 慶一が手に持っていた頭巾を見て、縋るような目をして言う。


「頭巾? あんた、もしかして福地洋子か?」


 空丸が尋ねると、そうだと女性が言う。どうやら無事だったようだ。


「よかったじゃないか、慶一」


 そのとき、すぐそばで携帯の着信音が鳴った。


「何だ? 俺のじゃないな、慶一じゃないか?」


「あ……、由瑞、さんからです」


 どうやら、いつもの慶一に戻ったようだ。ポケットの中の携帯を取り、メッセージを確認する。


“そっちはまだか。人手不足だ”


 あれから一週間近く経ってしまっている。これ以上あちらを留守にするわけにはいかないようだ。


「仕方ないな、俺たちは戻るか」


 そう言うと二人は手負いの深山の元へ戻ろうとする。


「おい」


 出て行こうとした二人に当然、少年が声をかけてきた。


「ヒーロー気取りか、いい身分だな」


「何だ? 口の悪い子どもだな」


 空丸が呆れた声を漏らす。


「お前たちが来るのが遅いから、姉さんは死んだんだ」


「お姉さん?」


「姉さんは、俺じゃなく……あの男を選んだんだ」


 それだけを言うと少年は部屋を出て行った。


「何だ、姉さんって誰のことだ」


「あ、藤敦美さんのことです。この街の冒険者でした。空にあの顔が現れてから、自害しました」


 浩二が付け加えた。

 空の外壁は二つあり、浩二に張り付いていたのだけは別なものだということだった。


「とりあえず、お前はもう大丈夫なんだろう。あとは牙途の本部が助けてくれるだろう」


 そう言って二人は浩二と別れた。

 再び広間へと戻ると、座り込んでいる深山のそばに見慣れない人が何人かいる。


「お父さん、お母さん、よかった」


 どうやら茜の両親もあの場所へ避難していたようだ。茜は抱き合って泣いている。


「何だ、お前も連れがいたのか。よかったな」


「よくない、俺はしばらく動けん」


 結局、話し合った結果、空丸は即、白井に帰還。深山は治るまで街で療養することになった。井黒へは慶一が一人で行くことになった。


「深山! うち部屋空いてるよ、使って」


 娘を助けてくれたということで、医者で治療を受けたあと、茜の家で厄介になることになった。

 茜は縁談を白紙にし、自分も冒険者になりたいと言い出した。どうやらその面倒も深山には見てほしいらしい。


「よかったな。等欠損も治せるぞ」


「お前、面白がってるだろう」


 笑いながら言う空丸をあきらめたように見ている。念のためにということで、二人も慶一の携帯に登録を入れた。

 広間の暖炉からはパチパチと火が燃える音がしていた。


「何かあったら連絡をくれ」


 こうして、牙途での長く険しい戦いは幕を下ろした。

 もう外は日も暮れかかっているということで、二人は市長の館で一晩過ごすことになり、深山だけが急ぎ医者の元へ向かった。その後は茜の家で面倒見てくれるらしい。

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