2、風の知らせ
慶一と朱里は日が暮れかかった道を歩き、その洞窟の入り口までやってきた。
思ったよりも遠かった。これでは下手したら帰りは翌日になりそうだ。
携帯の電波はとっくに圏外だった。
まあ帰ってから事情を話せばいいか。
慶一は心配そうに見ている朱里から懐中電灯を受け取って、その洞窟の前に立った。
山肌にその穴が口を開けている。そんなに広くはない。どうやら自然の洞窟のようだ。下に水が溜まっている。
奥行きもそんなにないと言うのでもしかしたら壕かと思ったが、どうやら本物の洞窟のようだ。
「入るぞ」
朱里にそう告げて中に入ろうとすると、まるで何かを遮るかのように彼女は言った。
「これも」
――所縁なき、寄りそう光。
消え入りそうな詠唱の後、照明魔法とそれ専用のパッシブスキルの足跡が慶一の肩に宿った。
「何だよ、二つもいらないよ。どうせすぐ行き止まりだ」
「……念のため」
不安そうに言う朱里を逆に心配した慶一は、
「帰り、真っ暗は困るな」
そう言って懐中電灯の方を消した。
そして、それを朱里の手元に戻した。空はもう暗くなりかけていた。
懐中電灯を抱えながら心配そうに見ている朱里の姿を背中に感じながら、慶一は一歩ずつ洞窟の中を奥へと進んでいった。
足元には所々水たまりができている。それを避けながら歩く。
だいたい四歩か五歩あるくと、ぽつりぽつりと肩に乗った光源から光が零れ落ち、地面に少しだけ明かりを灯した。それが残るのは大体一時間くらいのはずだ。
そんなことを考えながら歩いていると、やがて行き止まりに差し掛かった。
本当だ。本当に何もない。
あるのは変わり映えのない湿った岩肌と、よく響き渡る靴音だけだった。
奥行きは十五メートルほどだろうか、道はでこぼこしたり僅かに曲がっているのでここから朱里の姿は見えない。
声を出せば届くだろう。
でも、まあ戻れば済むことだ、引き返そう。
そう思った、そのとき――。
洞窟内に、一陣の風が吹き抜けた。
――風?
そんな馬鹿な。外は風は止んでいた。
それに目の前は行き止まりだ。風が吹き抜けるわけがない。
そう思ってもう一度、正面の壁を見ると、そこには何と――。
壁画が広がっていた。
「な、馬鹿な。さっき見たときは壁に絵なんてなかったはず」
しかしそこには揺るぎない壁画がある。
それは美しい動物壁画のようだった。
あまりの美しさに慶一は、しばらくの間、我を忘れてそこに茫然と立っていた。
とても人が描いたとは思えない。
これはまるでこの世の清らかさと尊さが最も際立った時に現れる、空と大地、その全ての祈りのような気がした。
そこには、たくさんの動物たちが自由に描かれ、人々は歌い、踊り、大地は躍動し、
鳥は大空を翔け、山羊の群れが水辺で憩う。
狼が高台で空を仰ぎ、子どもたちがその後を追ったり、そこら中を駆け回っていた。
壁一面に描かれたそれは、何一つ妨げられるものはない生命の力に満ち溢れた夢見のような古代の壁画だった。
慶一はあの羊皮紙の迷路のことを思い出していた。
あれは、迷路なんかじゃなかったんだ。
――スキルツリーだ。
今、目の前に、それが広がっていたのだ。
『修行完了。この後、万魔殿解放可能。スキル一覧受信します』
心の中でそんな声が聞こえた気がした。
目の前の壁画が、今度は樹の形になった。
あの、迷路だ。
どうやら根っこの方から下級スキルが並び、上に行くほどランクが上がるようだ。
数えきれないほどのスキルが並んでいる――。
火属性魔法九番、
氷属性魔法九番、
地属性魔法九番、
九番剣技、
……
五番銃技、
四番布陣、
……
一番短剣技、
◇
氷奥義
……
蘇生
◇
改善
奇跡
……
……
無限
「……」
一体何だこれは。呆れて声が出なかった。
まるで何かのエンディングロールのようだ。
スキルの一群なのは見ればわかるけど、多分この世の全スキルが載ってるよな。
世界暴露された気分だった。
スキルの情報はこの世界では非開示となっており、詳細は基本的に所有者しかわからない。
そもそもスキルというもの自体がどれも感覚的なものばかりで、効果や扱い方に至っても陳述不可能なものが多い。
最後の方に突き出して見えるのは、見たことも聞いたこともないようなスキルだった。
何だこれ。
大体にして奥義スキル自体が、獲得できたという話もほとんど聞いたことがない。それが大分真ん中らへんにある。
一番天辺に見えるのが、どうやらあのスキルみたいだ。
一体これは何なのだろう。まさか自由に選んで持っていっていい何てはずはないよな。
しかし、いつまで経ってもその絵が消えることはなく、古代壁画に似合わない矢印のカーソルが隅っこで点灯していた。
慶一は歩き疲れていたのと、突然の展開に混乱し、思わずその一番下のスキル項目をカーソルで押してしまった。
何となく面倒ごとは嫌な気分だったし、外で朱里が待っているのを思い出していたからだ。
スキル、「説明」。
説明は文字通り、情報確認だ。
その過程と対象スキルの詳細などが確認できるというものだった。
落ち着いていればきっと選ばなかったのかもしれないが、慶一にはそこまでのスキルへのこだわりもなかったし、レベルの低い魔物程度ならスキルなしでも倒せていた。
それよりも、朱里の暗いところが苦手なのがずっと気になっていた。
外はもう真っ暗だ。明かりのない山道を小さな懐中電灯で行かなければならない。
そっちの方がずっと試練だ。
微かな風にアップルミントの香りが乗る。朱里が部屋でも育てている花だ。
説明書きが表示され始めた。
――もうわけがわからん。
各スキルの効果や留意点などがスクロールされ始めた。上に行くほど難解で理解できないものになっていく。
縋る気持ちでその最後の内容を待ち急いでいると、そこには、とんでもない内容の文面が書かれていた。
覚醒条件と会得をした際の、その行く末がそこにあったのだった。