105、宇宙の雷
森羅国、御門市内。
聖堂にて。
「ア、アーレス様……!」
「何、これ」
「大丈夫か、皆、自分の安全を最優先に行動しろ! 余裕のある者だけ助けに回れ!」
ルッツが指示を出す。
「……」
アーレスは窓から外を見ていた。
場におぞましい圧が降り注いでいる。遺六の場力だ。団員たちがその場にうずくまっている。
あの後、蒲生の館を訪ねると蒲生はアーレスに謝罪を申し入れた。どんな罰も受け入れると言った。これまでの行いを思うとその姿は別人のようにも思えたが、アーレスにはこれが素の飾蒲生という人間なのだろうという感じがした。
では今までの行動はどこから来るものなのだろう。
今、それが分かったような気がした。
雲行きが悪い。雨が降りそうだ。
「ルッツ、エーゼン老師を呼んでくれるか」
アーレスに凶星を告げた老人だ。何か知っているに違いない。
街から離れた教会内。
「エーゼン様、これは」
「やつの仕業だ。とうとう辿り着いた」
エーゼンは飾遺六の兄弟子だ。共に王の元でバンビ教の司祭として研鑽を積んだ仲だ。
遺六の人間性についても誰よりもよく知っていた。
「大丈夫だ。天星が生き残っている。そのそばにいくつかの光が生きておる」
「光……ですか?」
「因縁の光だ。天は全てを見ている」
「しかし、これは……」
物凄い重圧が降り注いでいる。
エーゼンは椅子に座り、俯いた。
「儂ももうそろそろのようだ。やつに誘われて逝くのも天命だろう。今まで見過ごしてきた報いだ」
「エーゼン様……」
蒼い庭園、千里村。
「ジュエース様……」
「何なんだ、これは」
全員が場を包む重圧に狼狽えている。
「外門スキルじゃないな、何だこれ」
「多分場力だ。恐ろしく強力なやつだ」
空丸と由瑞も源力で抗っている。
「ジュエース様、あの感じは如何ですか」
「御力の本流は戻らないままだ。誰かが依然として擁している」
「この圧と関係あるのですか?」
「わからない」
部屋の中でそれぞれが場力に抗っている。
「大丈夫か、嬢ちゃん」
「苦しい……」
「手を貸してやる、ほら」
「あ、少し楽になった」
駆が伸ばした手を掴むと、零は少し余裕を取り戻した。
牙途へと続く路上。
慶一と蓮真が南の方角を向き、構えている。
「オオオオオオッ!!」
ズシン
全力の重圧を定点に叩き込んだ。
即座に反発が返る。
戦いに応じるようだ。
「お前だけは、許さない――!」
グオオオオオ
お互いの圧での潰し合いが始まった。
力が強い方が押し潰す。
「Ⅴ∀∫∪Ⅲ∀。ⅤⅠ∫∀∫Ⅰ♯∪∝Ⅰ、Ⅰ∨∀、Ⅴ∀∇ⅠⅢ∈Ⅲ∀∫Ⅰ⊥∈∩∀ℕ∀(蓮真。久しぶり、いや、初めましてだな)」
古代語だ。悪魔が話す言葉だ。
「お前を倒す! 好きなようにはさせない」
「〇Ⅲ∀∈∋∀Ⅲ〇∪∨〇∪∇∪ⅢⅠ∩∀(お前はもう用済みだ。しかしせっかくだから夢の国へ案内しよう)」
「ふざけるな!」
「Ⅲ∀⊥Ⅰ∂∀⊥Ⅰℕ〇∪ⅢⅠℕⅠℕ∀∝∪∇〇(街が血の海になるぞ。最高の景色だ)」
威圧だ、睨み合う蓮真と遺六――。
どちらか勝った方が生き残る。
死んでもこいつは潰す。
悪魔のゼットコング。
ここで取り逃せば街で殺戮が始まる。
グン――
反発が強い。真上から押し潰す蓮真の外門に下から突き上げる遺六の場力。
上からの方が不利だ――。
慶一は瞬時に悟った。地面にいる方が強い。
「∫∀Ⅰ∂〇ℕⅠ〇∫Ⅰ∈⊥∈∨∀∝〇∪(最後に教えてやろう。お前の父と母は俺が天国へ送ってやったよ、感謝しな。ひゃははは)」
「く、貴様、絶対にここで止める」
絶望が怒りに変わる。
蓮真は最後のスキルの為の構えを取った。
体術八番、殴殺。
その同位改変【鳳凰殺】。
蓮真が持っている数少ない体術スキル。その同位改変。今まで使われたことは一度もない。御力持ちは女子供が多いからだ。
命を物理攻撃力に変える。一人につき許されるのは一発だけだ。
「慶一……。ありがとう、またいつかどこかで、遊んでくれ」
嫌な予感がした。
蓮真が死ぬ。
おそらく無駄死にになる。
蓮真の声に、そんな未来が見えた気がした。
「蓮真、やめろ!!」
しかし、もう遅い。
このままでは押し返される。
これしかない。
ギュン
外門に乗せて物理攻撃の一撃が繰り出された。
顔面だけでなく初めて右腕の形象がつくられた。それが遺六へ振り下ろされる。
ドゴォ
遺六は攻撃の気配を感じると、咄嗟に正中線を逸らせた。威圧のぶつけ合いの軸がずれ、お互いの威圧が空を切った。
蓮真の打撃は僅かに逸れ、地面にめり込んだ。
躱された――。
「∨∪∩∀Nℕ〇ℕ∀∝∀ℕ∀Ⅰ∂∀∠Ⅰ∩∀(油断のならない餓鬼だ。親の元へ行くがいい)」
遺六はそのまま、外へと躍り出た。
「ま、待て……」
こいつは逃がしてはいけない。
必ず、死んでも止めなくてはならない。
「〇Ⅲ∀∈⊥∀⊥Ⅰ∋∀∨∪∪∈∠Ⅰ∩∀〒⊥∪⊥∀∨〇(お前たちは有益だったよ。蒲生は六番を、お前はbタキオンの出し方を教えてくれた。bタキオンは快楽で殺すのがいい。お前のように迷っていては駄目だ。他にもいい出し方があるかもしれない。たっぷり試させてもらうよ)」
外へ飛び出し、周囲を見渡す。
生きている人間が標的だ。誰でもよかった。
殺戮が始まる。
「Ⅴ∀∀∀∀、∪Ⅲ∀∫〇∪ℕ∀ℕ〇∂∀Ⅰ∝∪(はあああ、美味そうなのがいる)」
場力が解け、街を歩く親子連れに目を付けた。物凄い形相で覆いかぶさるように迫っていく。
あまりの表情に親子が凍りつく。
恐怖でbタキオンが湧き立つ。
「やめろ、遺六!」
「〇〇〇〇、∠Ⅰ、∠ⅠⅢ〇⊥ⅠⅠ(おおおお、き、気持ちいいー!! 殺そう。全力で殺そう。待ってな今殺るからね。そーれ)
そのとき。
空で暗雲が鳴り響いた。雷音――。
――長く苦しい道の果て、辿り着いた無蓋の空。
浜の真砂が尽きるとも。己の業は尽きることなし。
伸ばした手だけは掴まれず、せめてもの情けと思えば。
ズガアン
空から雷が直撃した。
雷撃が全身を駆け巡る。
それは遺六の全細胞を焼き尽くしていった。
「∂∀∀∀∀∀! ∂∀Ⅲ〇。∠Ⅰ∫∀Ⅲ∀(がああああ! 蒲生、貴様ー!!)
「父さん……」
父と母の姿が空に浮かんだ気がした。
長きに渡る因縁を清算する、宇宙からの雷だった。
蓮真を見下ろし、笑っているように見えた。
「飾蒲生……。あんたの父親なのか」
「……」
真っ黒になった遺六の体が天を仰ぎ膝立ちのまま止まっている。死亡したようだ。
「慶一……、ありがとう」
「蓮真……」
こっちも命を使い切ったみたいだ。
鼓動がそれを告げている。段々拍動が弱まっていく。死が近い。
「行かなくてはいけない。父さんと母さんが待ってる」
お別れだ。一緒に戦うことはできない。
でもきっと大丈夫だ。お前たちなら。
蓮真は地面に倒れ、静かに目を閉じた。
飾遺六を倒した。
人間界の元凶を葬り去った。
慶一は黙ってその場に座り、うなだれた。
蓮真。
動かない。体が冷たい。
仲間になるはずだった。
みんなの元へ連れて帰るはずだった。
もう、叶わない。
朱里――。
もう一度携帯端末を見た。
遅延して届いたそのメッセージ。
それを見ながらその場でうずくまった。
苦しい、悲しい。
朱里ももういない。
もう会えない。
どこにもいない。
「おかえり」。
「おはよう」。
「見捨てないでね」。
朱里……。
もう聞こえない。
繋いだ手が離れていく。
みんな死ぬ。
終わりだ。
終わりではないよ。
今は試練の時だ。
冬の景色の中に一人うずもれていた。
動くことはできなかった。