101、喪失
朝早く宿を出た。
朱里……。
南の方の空を見た。どんよりと曇っていた。
まさか、もう会えないのか。
最後に会ったのはいつだったか思い出した。
白井に向かう前日、夜遅くまで義一の家にいた。
長く留守にするかもしれない。そう言うと朱里は何も言わず慶一の肩に両手を乗せ、しばらく足跡を馴染ませていた。朱里の部屋で、朱里を見た、それが最後だった。
「何かあったら連絡をくれ」。そう言い残してきた。朱里は「わかった」と言った。
今すぐ戻りたい。しかし、行かなければならない。足が重かった。途方もない喪失感と絶望感の中、これから仕事をしなければならない。
所々、雪が残る道を歩く。牙途を目指している。
独りぼっちだ。
居て当たり前だと思っていた。
それが当たり前ではなくなった。
悲しい――。
無気力で歩きながら、朱里のことばかり考えていた。
二つの夢を見た。
昔の頃の夢だ。夢の中とはいえ久々に朱里を見た。懐かしかった。
そして次に見た夢。
少し前に荒野での戦いを空丸から聞いた。
自分の夢は現実のことと強く結びついていることを慶一は知った。
陰気な夢だった。墓が真っ暗闇の中で浮かんでいた。
間に合わなかったのか。
朱里、死なないでくれ――。
心の中で祈った。
微かに歌が聞こえた。
義一の「風に吹かれて」だ。
七尾美が死んで義一はこの歌を弾くことがなくなった。
朱里を思ったとき自然と昔のこの歌が心に流れた。悲しい歌だ。
喪失の歌だ。
義一の次は俺か。
大事な人を失うのか。
心にメロディが流れ、朱里の名を呼び続けていた。
舗装された牙途までの道路を歩いていると、少し開けた場所に出た。井黒と牙途の本国同士を結ぶ街道なのだろう。道はしっかりしているが辺りにはほとんど民家も見えない。この辺りは街灯もなく夜になれば真っ暗になるだろう。今はまだ正午前だ。人通りは少ない。
そのとき前方、牙途の方角から一つの人影が近づいてきた。
長身で真っ黒い体躯。
失格木偶だ。
「ガラクタあ……。どけよ」
尾形冬牙の札が貼られている。単騎で力を増す画竜点睛だ。
――この世界は呪われている。
究極の悪魔。
遠い祖先たちの残した記録は警鐘となり、受け継がれてきた。それが今悪意の下で使われようとしている。
僕一人では戦い切れない――。
心の声は慶一には届いていなかった。