98、希望
何かがあるような気はしていた。まさかこんなことになるとは思わなかった。最後の梵天は神経が繋がっている。動きは申し分ない。しかしあちらの攻撃が直に伝わってくる。今まではこんなことなどなかった。ゲーム感覚で動かしていた。その罰だ。
生き残る方法は攻撃を受けずに相手方を全て殺すことだ。それしかない。
阿弥陀は構えを取り直した。
狙うは空丸だ。ここを落とせば相手の戦力は半減する。近距離からの右面打ち。それから流れるように攻撃を入れていく。
食らったら死ぬ。その緊張感のせいか、はっきりとした意識と覇気が動きに込められていた。ずっと一人で戦ってきた。六畳結界の暗闇の中で死の苦しみも味わった。精神的には空丸たちと互角だった。
殴打の応酬が始まる。普通なら避ければ相手は空振りになり、攻撃に転じる隙が生まれるが、この阿弥陀に限っては動きが滅茶苦茶で隙が生まれない。避けるとそこに間髪入れず攻撃が飛んでくる。
身体操作が理不尽なほど高度で人間相手とは思えない。体勢が崩れても何故か重心の乗った重い一撃が即座に返ってくる。
乗りに乗っているようだった。阿弥陀は完成形と言っていいだろう。生命体の最強の姿だ。ここで神頼みでもしようものなら消極的な姿のまま死んでいた。蒲生は神を利用してでも切り抜けるつもりだ。積極的な姿には神も何も言わない。
ズオオオオオオ
動きに合わせ、御力が高まっていく。空丸の源力を上回り始めた。
場力が逆転する。
シュン
一瞬、背後で圧が生まれた。
深山が刃を振り下ろしていた。
見えているよ――。
振り向きざまに白刃取りで掴んだ。
しかし、次の瞬間。
「触ったな」
ガクン
体から力が抜けた。
縛刀柄杓だ。
刀身に触れたものを無力化する。
「今だ」
慶一が打撃を食らい続けた空丸の前に立ち、腹部に殴打を叩き込んだ。
阿弥陀はその場で前のめりに倒れた。
やったか――。
誰もがそう思った。
やがて樹一が前に出てきて言った。
「飾蒲生。生きているな?」
「……」
「これからとどめを刺す。何か言うことはあるか」
少しの沈黙のあと一言だけ言った。
「楽シイゲームダッタヨ」
「そうか」
深山の手から縛刀を受け取ると、静かに阿弥陀の背中に当てた。
「待った!」
そのとき、慶一が咄嗟に制止した。
「あんたが外壁、とやらの正体なんだろう」
「……ソウダ」
「もうやらないだろう。人形遊びもこれで終わりにしてくれ」
「慶一」
樹一が拒否する。
「もう遅いんだ。後戻りはできない。これもそれは一番よくわかっている」
阿弥陀が顔をもたげて慶一の方を見た。
「ブリルノ友……ありがとう」
それを見届け、樹一は静かに縛刀を背中に沈めた。
ゴポッ
阿弥陀の口が最後に開かれた。おそらく血を吐いて死んだのだろう。
有希……蓮真……。
何もない人生だった。
復讐と殺戮だけだった。
それでもいいと言ってくれたたった一人の女性を守れなかった。
外壁と黒丹しか知らなかった自分がほんの少しの間だけまともな人間になったような気がした。
有希は吃っていて、私は黒丹のせいで生身の動きはぎこちなくなってしまった。それでも三人で暮らした時間は幸せだった。
どうか、いつまでも元気で――。
こうして長く辛い戦いが、ようやく終わりを告げた。