96、観世音
珍しい人物が井黒の町中を歩いていた。
黒のローブに身を包みフードを目深に被っている。
梵天の二番付随、観世音だ。
門をくぐり、朱水の中屋敷へとたどり着くと訪いを入れた。
「おう、よう来たのうわれ。まあ上がっていかんかい」
まるで待ち構えていたかのように出迎えたのは吾妻家の若き当主、翼人だ。
長い廊下を延々と渡る。
「えらいことになっとるな。悪さが過ぎたな」
「……」
廊下を渡り終え、ある建物の前に来た。平屋の建物だ。
井黒の中枢部屋。悪魔の部屋だ。
「まあ上がれ。中は居心地は悪いが現世に飽きたときにはいい遊び場とも言える」
中は十畳ほどの部屋だった。以前はもっと広かったが復元されて狭くなった。
部屋の四隅に灯籠がともしてある。
明かりはそれだけだった。
ブシュルルルル
ウゴオオオオオオ
不気味な唸り声が上がっている。
部屋が明るければいくつもの異形の影が浮かぶことだろう。
雑音を受け流しながらやり取りを始めた。
「凶星マタタビを手にして何をする。あれは魔物にしか価値はないぞ」
「価値を見いだせる人物がいる」
「誰だそれは」
「……」
「言えないのか」
「見返りは約束する。もう街は、人は襲わない」
「しかしそれだけでは許さん連中がたくさんいる。お前を取り除こうとするだろう」
「それは迎え撃たなくてはならない。しかし無用な殺生はしない」
「ではその言葉を信じるとしよう」
翼人は部屋の真ん中にある台座の上にある籠に入っていた一つの果実を手に取って差し出した。
「……」
「もう用はないだろう。何か言い残したことはあるか」
「私は、どうなる」
「どうなる? どうにかなる恐れでもあるのか?」
「梵天と称してたくさんの神仏を手駒にした。私は騙されていた」
「なるようになるだろう。お前の心が間違いなければ必ず周りで見ているものがいる」
「今からでは、もう遅い」
「お前はそう思うかもしれないが、周りもそうだとは限らんよ」
「では、失礼する」
そう言うと黒服の梵天は果実を抱えて出ていった。
その翌日、観世音の亡骸が井黒から離れた山林地帯の崖下で見つかった。身を投げたようだ。
そしてその日の夜、釈迦になり、九番の元へ向かうところを迎撃される。