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「恋ちゃんいつもありがとうね!」
「ここのコロッケがおいしいからついつい買っちゃうだけですよ」
学生の義務というべき授業から解放された私はいつものように昔ながらのお肉屋さんのコロッケを頬張った。そして小腹を満たした私はバイト先であるGBAILYへと意気揚々と向かうのであった。
GBAILYは駅前にある大きな商店街の中の一角にある。私はGBAILYを含めこの商店街が大好きだ。昔ながらの八百屋、肉屋、古びた居酒屋や定食屋、今や一部マニアの為のアイテムであろうレコードを扱うお店、骨董品のような物から最新のあらゆる中古のおもちゃを扱うおもちゃ屋。かといえばそれとは打って変わって外壁も内装も何もかもピカピカとして真新しくカレーのイメージを一新するような小洒落た本場の本格カレー屋、上品なマダムやおしゃれ好きな女子大生が寄っていきそうなドーナツ屋、木造の内装でいかにも落ち着いて食事が出来そうな上品な洋食屋、そんな個性豊かな店たちの中でも特に数が多いのはカフェや雑貨屋に古着屋であろう。数が多いが故にどこか被るところが出てきてもおかしくないはずなのにどれも不思議と似ることはなく、独自のテーマを持っているように見えてならなかった。そこにチェーン展開する大手が入り込む余地はほとんどなかった。大手チェーン店が構えているのは精々地価が高く個人経営店が手を出せない駅中か駅の目の前くらいであった。
この街の人々が個性を愛する結果なのか、個性的な人々が集まった結果この商店街が出来たのか、どちらも正しいのだろうが、伝統的な文化も残しつつ新しい文化も取り入れ変化していくこの街が好きでたまらなかった。そして私はこの街の個性的な店たちから私は今までに知らない文化や世界を知り、この街で外国を知ったのだ。
その中でも特に街の中心的店と言えるのがGBAILYだった。GBAILYの良さは何よりも店員一人一人が漫画なら漫画、洋楽なら洋楽、
雑貨なら雑貨とその分野のオタクと言える人たちが担当を分担する事で他店ではないような個性的なラインナップで勝負しているところだった。社長曰くGBAILYが出来てからほかの雑貨屋もこの街で店を出すようになったらしい。そしてそんな個性豊かなお店に対して好奇心旺盛な私と詩織は小さい頃からの常連客であった。今は繁盛しているのか二号店を出そうと社長は大忙しらしい。社長の代わりに店の切盛りをしているのが去年からここで働き早々に店長に昇格した徳井さんだった。
店には既に店長の徳井さんと橘翔太、そして柳瀬省吾、小早川明美カップルが入っていた。ただ、二人寄り添っていちゃいちゃしながら本のポップを作ったり品出しをしているはずのカップルの二人が今日は打って変わって別々にそして不機嫌そうに仕事に打ち込んでいるのが気になって仕方なかった。
「喧嘩したみたいっすよ、あの二人」
「ふーん」
基本的に橘からの情報は求めていなかったが今回ばかりは有意義な情報のようだ。ただ、こいつが調子に乗らないためにもあえて興味なさげに振る舞った。
「まったく彼氏がAV用にVRゴーグルをに持ってたことに腹立てて喧嘩するなんて器の小さな女ですよ」
「何でそんな事あんたが知ってるの?」
「そりゃあ柳瀬先輩に電話で泣きつかれたからですよ、『どうしようVRゴーグルでAV見てることバレた。せっかくその直前まで良い雰囲気だったのに』って。やっぱり俺はライブ会場で女の子をキャーキャー言わせているだけあって女の扱いに関しては頼りになるみたいっすね」
相談された事をこうも容易く私に話す橘もそうだが、わざわざ痴話喧嘩を橘に相談する柳瀬先輩も友人がいないのかとツッコミを入れたくて仕方ない気持ちになった。
「だから私は恋愛事に嫌気が差してるわけですよ」
休憩時間、私は徳井さんと二人きりになったタイミングを見計らって語気を強めてそう言った。
「初めて彼女を部屋に招いたタイミングでそんな事バレる柳瀬さんもどうかと思いますけど、それで尾を引いて未だに喧嘩する小早川さんもどうかと思いますよ、ホント。これでバイトに支障きたして、最悪別れた結果どちらかがここを辞められたらたまったものじゃないですよ、まったく」
「それは恋愛をしてこなかった人の意見だと思うな、私は。人はそういう事を経験していきながら強くなっていくものだと私は思うけど。温かく見守ってあげたらどうかしら?」
「徳井さん、そんな人は変わりませんって!身近な人で未だに懲りずにそういう恋愛している女を私、知ってますし」
「あらあら、そうなんだ」
「そうなんです!しかも彼女、自分が病気で死ぬかもしれないってのにまた新しく好きな人なんか見つけて、しかも私に恋のキューピットになれって言うんですよ?まったくそんな事よりも自分の病気治す事の方を考えろって言いたいですよ」
「いいじゃん、素敵だと思うけどな、恋ちゃんの親友さん」
「そうですか?ってか、この話、前に話していましたっけ?」
「もちろん!だから親友さんの話だって分かるんだし。大切にしなさい、親友さんの事。私はどんな状況だろうと楽しもうとするそういう生き方素敵だと思う。そりゃあ恋ちゃんみたいに病気に集中しろって考えも分かるけど、病気だからこそ、命に関わる病気だからこそそれを忘れる位全力で楽しもうと親友さんはしているんだと私は思うよ。不謹慎かもしれないけど、言わせてもらうよ。もし彼女が明日死んでしまうものだとしたら恋ちゃんはどうしたい?その親友さんに対して」
「なんでそんな質問してくるんですか、徳井さん?」
「なんでって大切な質問よ?親友さんは明日死ぬかもしれない覚悟で必死に生きているの。恋ちゃんはそれに対してどうなの?」
そう言ってくる徳井さんの表情にいつも冗談をいう時の笑顔はなかった。鋭い眼光がただただ私をじっと見つめていた。
徳井さんのその質問に対する明確な答えはいくら頭を使って考えに考え抜いても出てくることはなかった。
普段だったらいつのまにやらバイトやら勉強やら、はたまたケータイのゲームやテレビといった日常の中に揉まれる事で忘れていただろう。でもその時の私はそれで忘れる事が出来なかった。むしろその事をどうしても考えずにはいられなかった。
それは昼間に見たあの不気味な夢のせいなのだろうか?それとも鬼気迫る眼光で私を見つめてきた徳井さんのせいなのか、どちらにせよ内なる私が忘れる事を拒否したのは確かだった。
そうやって出口の見えない思考の迷路にはまったものの日常はただ過ぎていくだけであり、私はその日常にただただ流されるのだった。唯一違うのはその日常を当たり前として捉えずに「何かが違う」と抗おうとする内なる私が居座り続けている点であろう。
気が付けば日は流れ私は詩織の泊まる病院に面会の為に来ていた。それは前もって決まっていた予定であった。でも私は久々に心の中の平安を手にしている気がした。もう一人の私は珍しく素直に私の行動に従っているようだった。
受付を済ませ、彼女の病室に行くと何やら誰かしらが中で詩織と会話しているようだった。ドアを開けるとそれは担当医らしき男性であり二人の表情を見るに診察とは関係ないようで、どうやら詩織は彼を強引に引き留めているようだった。それは男性の困った表情からも読み取れた。例の噂の担当医なのだろう。彼女らしく肉食なアプローチをしていると呆れたものの、その男性に私は徐々に目が離せなくなっていた。見れば見るほどどこかで見た気がしてならなかった。そして、空が晴れ渡るように一瞬にしてぱっと思い出すことができた。
そうだ、彼はあの日、夜に墓地で空を眺めていた怪しげな白衣の男ではないか。