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さよならのその前に  作者: 大橋宇宙
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1-4

「ちょっと、俺がせっかく来たってのに、もうお開き状態じゃ困るじゃないっすか!」

 社長の気遣いで閉店作業まで手伝わされていたはずの橘翔太がやってきた頃には上原さんは完全に酔いつぶれて眠りにつき、私は小早川さんに介抱されながらトイレで吐いていた。残った徳井さんと、恋人が席を外して手持無沙汰にしていた柳瀬さんは残った料理をちびちびとつまんでいた。そんな寂しい状況下で橘君はやってきたというわけだ。しかもいかにもヴィジュアル系バンドのボーカルらしく黒の革ジャンにドクロや十字架などのアクセサリーをふんだんに着飾った、いかつい恰好をしてだ。いいかげんこの会の雰囲気にマッチしていない事に気が付かないのだろうか?それとも毎回集まる4,50人のファンにもてはやされるあまり自分の格好に酔いしれて何も見えなくなっているのだろうか?

 どちらにしろそんな寂しい状況でやる事がなかったのか場違いな橘は、私が小早川さんに肩を借りて何とか席に戻る道中、店内の鏡でセットしてきた髪を入念にいじっていた。私は虚ろな意識の中「だからこの男は苦手だ」と心の中で強く感じるのであった。

「ちょっとちょっと大丈夫っすか加賀美さん!俺が席まで肩を貸しますよ!」

 そう言って頼んでもいないのに彼は私に肩を貸してきた。私は心の中で「お前の手助けなんてこれっぽっちも求めてねえよ!」と叫んでいたが、それを声に出す力も彼を振り払う体力もなかった。

 結局その後はカップルの柳瀬省吾と小早川明美が終電で小早川さんの家に帰るまでの間、橘翔太の自分語りが永遠と続いた。これが誰一人彼の話に乗っからずに白けてさえいればさすがのナルシスト橘とて話を切り替えるはずだった。だが、なぜか徳井さんは彼の話に面白おかしく乗っかってくるものだから彼のおしゃべりは加速に加速した。私からしたら興味のない薄っぺらな自慢話ばかりだ。ここで働く前はホストを一年ほどしてたというのであればその時に見せていたであろう女性に対する気遣いを見せてみろよと思えてならなかった。そしてそんな地獄のような時間、私は小早川さんに勧められるがままに水分補給をしながら少しずつ酔いを醒ます事に徹した。


「あの二人絶対この後一発やるに決まってます絶対。せっかくだし俺らも一発どうっすか、加賀美先輩」

店を出て先に帰る初々しいカップルを見送りながら橘はそんな気持ち悪いセリフ言い放ってきた。

「ウザい、キモい、死ね!セクハラ後輩、橘」

 私は彼に被せるように間髪を入れず、そして彼の顔を見ることなく返した。

「やだな、冗談に決まってるじゃないっすか、先輩!でもそんな無愛想な先輩も可愛いっすよ」

 そう言ってウィンクしてくる橘に対し唾を飛ばそうかと思ったものの徳井さんが間に入った事で思いとどまった。徳井さんに感謝しろよ、橘。

「橘君、君は残念だが上原さんを家まで送っていくのだ!」

「いやいや、俺は加賀美さんを送っていきますから!」

「あんたは恋ちゃんを襲うつもりだろ!恋ちゃんは私の家に泊まっていくからあんたは上原さんを送ってきなさい。ほらタクシー代は出すから」

そう言いながら十分すぎるほどおつりがもらえる額のお札を徳井さんは橘に握らせた。

「しょうがないっすね、今回だけですよ」

 渡された現金をまじまじと見てから彼はそう答えた。そして徳井さんの肩を借りながらぐったりしながら歩いていた上原さんを徳井さんから素早く引き継いだ。現金な奴だ、橘は。分かりやすい。タクシーを呼び止めるその動きはとても機敏で軽やかだった。


「徳井さん、私、1人で帰れますよ」

「だめ、まだ酔ってるし、それにこんな遅くに若い女の子1人で帰らすなんてできないよ!」

 橘が上原さんを連れてタクシーに乗ったのを見届けた後私はそう提案したものの見事に却下されてしまった。

「まだ酔いが残って足取りが不安だし、限界まで飲ませたのは私の責任でもある。それに明日は早いんでしょ、講義。そんな会話してなかったっけ?近くの私の家で遠慮なく泊まってきなさい」

 徳井さんの言う通り明日は朝早くから出なければいけなかったし、しかもその情報をあの中でしっかり把握していた徳井さんに私は少し驚きそして感心した。

「まさか…徳井さんも橘君みたいに私を狙ってる…?」

「何でそんな事になるの!せっかく気を使ってあげたっていうのに…」

「冗談ですって。それでは遠慮なく甘えさせていただきます!」

「よし!じゃあしっかりついてきてね」

 そうやって冗談を言い合いながら前を歩く徳井さんを私は自転車を押しながらついていった。

「どうよ、お酒は?酔いもだいぶ覚めて来たかな?」

お互いしばらく無言で歩き続け、人気の少ない路地に入ったところで徳井さんはそう聞いてきた。

「はい、それなりに。でもまだふらふらしてるかも」

そう言う私に対して前を歩く徳井さんは私の方を振り向きしばし私を観察した後「うん、これくらいだったら大丈夫かな」と言うとすぐに前へと向き直し、また呑気に歩いて行った。

「私のお父さんね、私が小さい頃に離婚したものだからあんまり接点なかったんだけど、二十歳になった時にね、飲みに誘われたの。『酔い潰れるまで飲んで見ろ!』って言うものだから今日の恋ちゃんみたいにたくさん飲んだの。『俺の娘なんだからこれくらい簡単に飲めるだろ!』って煽ってきたり、いろんな手を使って飲ませて来たかな。それでね、吐くまで飲んだの。そしてある程度落ち着いて家に帰る際に私をおんぶしながらこう言ったの。『ビールジョッキ4杯、ワイン3杯、カクテル5杯。分かるか?これが今日お前が飲んだ酒の量だ。しっかり覚えておけ。これ以上の酒は絶対に飲むんじゃねーぞ。酒で酔わされて男に犯されても父さん、知らないからな』って。口は悪かったし、女遊びが多くてお母さんをよく泣かせるような人だったけど、それを聞いて私、このままお父さんの背中にもたれながら寝たいなって思ったよ。これがこの人なりの愛情の示し方なのかなって。いつか真似したいと思ってたんだよね。今日はそれが出来て満足、満足」笑顔を覗かせながら徳井さんはそう言った。

「そんなエピソードがあったんですね。でもそれでもだいぶきつかったですよ。徳井さん、間髪入れずに飲ませるんですもん」「ごめん、ごめん。ところで入院中の親友さんは元気にしてた?」

「はい、元気でしたよ。相変わらず冗談ばっかり、恋バナばかりで『私の恋のキューピットになって!』って頼まれちゃいましたよ」

「あははは!そんなこと言ってるんだ、面白いね、その子。それは良かった。それ聞いて安心したよ。実は私、その親友さんの事少し気になっていたんだよね。私にもその病気に罹った友人が身近にいたからその子の事も、恋ちゃんが心配する気持ちもよくわかるの。私はその子がちょうどこの街離れた頃にこのお店で働く事になったから面識はないけど、私と橘君以外は皆、その子の事は知っているし気にはなっていたとは思うんだ。でも私もみんなも二十歳の誕生日祝いっていうめでたい場だから遠慮してるのか、全然話題にもならないし、私自身も聞けなかった。飲みが落ち着いてきたらと思ったら、橘君が乱入するんだもん。彼、自分の話ばっかで全然話する隙与えてくれないし」

「でも、徳井さん、結構楽しそうに彼の話聞いてませんでした?」

「まあね、彼みたいなタイプ周りにいなかったし、なかなか聞けない類の話聞けるから面白かった事は確かだよ」

 互いに変わった雑貨が好きでそれらを買うお金や旅行に行く資金を貯めるために詩織と私は高校生の頃から一緒に今の雑貨屋にバイトとして働いていた。進学を機に引っ越すのと同時に彼女はこのバイトを辞めた。その穴を埋めるように入ってきたのが徳井さんだった。そしてその能力を買われた徳井さんはたったの一年で今や雇われ店長にまで出世したのだった。

「で、実際の所、橘君の事、どう思ってるの?」

「どうってどういう事ですか?あっちは私にアプローチしてきてるみたいですけど、こっちはいい迷惑ですよ。仕事仲間じゃなかったら会話もしませんよ。最初は可愛らしい後輩が出来たと思ってましたけどね。ここを長年やっていて愛着があるからやめませんけど、新人だったら彼が原因で確実にやめてますね」

「きついことをはっきり言うね、さすが恋ちゃん。相変わらずだね。でもね、これは彼を一人の男として見るとかじゃなく一人の人間として彼のいいところを見てあげるべきだと思うよ、恋ちゃん自身のために。君よりも少し長く生きている先輩としてのアドバイス」

「そんなこと言われたってあいつはダメなやつですよ。葛城先輩が恋しくて仕方なくなりますよ。先輩くらい出来た人が入ってきさえすればよかったのに」

「やっぱり葛城君の事が好きなんだね、恋ちゃんは」

「そんなんじゃないって言ってるじゃないですか。私は彼を男性としてではなく、1人の人間として尊敬していただけですって」

「まったく素直じゃないな」

 そう言って徳井さんはいじらしく微笑んだ。


 徳井さんの自宅は静かな住宅街にぽつんと建っていた。外観は決して綺麗とは言えない。むしろ時代を感じるほどに年季が入った、古びた小さなアパートだった。外壁は蔓が覆いつくしていて外壁などほとんど見えなかった。

「学生が住むような安いぼろアパートでごめんね」

「そうですか?個性的で私は好きです。街中ってどうしても見覚えのあるような似通った建物ばかりで殺風景に思えて好きじゃないんですよ。だからこういう個性的な建物を見ると私安心するんですよ。ここはさっきの場所とははっきりと違うんだって」

 部屋は1DKのこぢんまりとした部屋で家具も雑貨屋の店長としては質素で最低限の物が置いてあるだけだった。ただ、そんな中でも彼女なりの個性は随所にちりばめられているようだった。玄関前の靴入れの上に敷かれたエキゾチックなマット、その上にいくつも並べられた個性的なスノードームたち。ベランダに置いてある、これまたこぢんまりと置かれた多肉植物の鉢植え。冷蔵庫に張り付いている個性豊かなマグネットの数々と世界中の絶景の写真が付いたカレンダー、そしてどこで拾ったのか流木を天井から吊るしてそこにハンガーをかけて部屋の一角をクローゼット代わりにしていた。

「なんか徳井さんらしい素敵な部屋ですね」

 私は無意識にそう呟いていた。

「そう?これでもお金なくってね。貰い物の家具ばかりだし、最低限のものしかないから少し寂しいかなと思ってたけど。恋ちゃんにそう言ってもらえて嬉しいよ」

「そうですね、家具が買えずに流木を使うところとか貧乏としか言えませんもんね」

「ああ!せっかく褒めてくれたのに、ひどい!持ち上げてから叩き落とすスタイルなのか君は!これは好きで置いてるんです!」

「冗談ですって。そういうところも素敵だと思いますよ」

「もう、相変わらず口が悪いんだから恋ちゃんは。ところで、もう遅いし、さっさと先にお風呂でも入る?」

「そうですね、そうしましょう」

 シャワーを使って体と髪をしっかりと洗った私はふと手を休め一人静かにシャワーを浴びながら深呼吸をした。体はまだアルコールが抜けきっていないのか夜遅くのせいなのか少し重い。ただ、気持ちは充実感で満たされていた。それが今日の誕生日祝いのおかげか、詩織の元気な様子を見る事が出来たからなのか、久々に誰かの家に泊まるという高揚感のおかげなのか考えてはみたが、眠気が襲う私には分からなかった。


「おっやっと終わったか、恋ちゃん。それじゃあ私はそこに敷いた敷布団で寝るから恋ちゃんはベッドで先に寝てていいよ」

「え!そんな…恐れ多くてそんな事出来ないですって!徳井さん!」

 私と入れ替わるように浴室に向かった徳井さんは即席で用意したであろう薄っぺらい布団を指さしながらそう声を掛けて来た。だが、もちろん彼女の指示通りそんな事は出来るはずもなく、私は仕方なく徳井さんが浴室から戻ってくるまでの間、部屋の中を観察する事で時間を潰した。   

玄関のスノードームは大きさも中身も様々で個性に富んでいた。世界遺産で有名なスノードームもあったり、中には作りが適当なのか古いせいなのか中の水が干上がっているものもあった。

冷蔵庫のマグネットも、描かれている絵や文字から海外の物であることは一目で見て取れた。少し驚いたのがカレンダーだった。てっきり今年の物だとばかり思っていたもののそれは九年も前の物だった。

「まだ全部周れてないから、いつか行けたらなって。そう思ったら捨てられなくて今もインテリアとして飾ってるの」

 カレンダーを見つめる私に対して風呂上がりの徳井さんは髪をタオルで乾かしながらそう説明した。

「徳井さんが海外そんなに行ってるなんて知りませんでした。上原さんが世界一周中に旦那さんと出会ったのは有名な話ですけど」

「私の場合は上原さんと比べたら事情がちょっと違ったからね」

 徳井さんはそう言って苦笑いを浮かべた。

「それは今私に話せる類の事情ですか?」

「ごめん、今は話せないかな」

「そうですか、でもこれだけはいいですか?」

「何?」

「徳井さんがどんな事情を抱えていようとも私は徳井さんの事が好きですよ、一人の人間として。だって後輩に敷布団じゃなくてわざわざ自分が普段使ってるベッドを薦めてくるなんて普通の人だったらしませんもん」

「ふふ、ありがと」

そう言って徳井さんは私をそっと抱きしめた。「いい後輩を持って私は幸せ者だ。親友さんも同じように皆に囲まれながら二十歳の誕生日をお祝いできるといいね」

徳井さんは私を抱きしめながらそう呟いた。

「…大丈夫ですよ」

「うん、そうだね」

 身体を離し、そう頷くように返事をした徳井さんの目からは微かに涙が浮かんでいた。しかし、私はそれがどんな意味を示す涙なのか分からなかった。そして、それを聞く事も私にはできなかった。

結局、私たちは話し合いの末、肩を寄せ合い同じベッドで寝る事になった。

「ふふふ、こうやって誰かと肩を寄せ合って寝るのは久しぶりだな」

 これを提案したのは私であり、徳井さんは最後まで渋っていたものの、いざ寝床に着くと徳井さんはそう呟き表情は明るかった。


 たわいないおしゃべりをしているうちにいつの間にか寝てしまったのだろう、ふと目を開けるとカーテン越しから差してくる朝日がとても眩しかった。私は横ですやすやと寝る徳井さんを起こさないようにゆっくりとベッドから出た。朝から講義があるから早くに出ないといけないものの、仕事が休みの徳井さんはまだ起きる必要はないだろう。徳井さんはベッドで可愛らしく丸まるように寝ていた。そんな寝顔を見ていたら私はお礼の手紙を書かずにはいられなかった。

「今回は色々とありがとうございます。とても楽しかったです。玄関の鍵は閉めた後にドアのポストに入れておきました」

 そう書き残した紙をテーブルに置き肩掛けバッグを肩に担いで部屋を後にした。

 外の空気はまだ肌寒かったものの小鳥はさえずり、車は慌ただしく走り、駅やバス停へ向かう人々の足音が止めどなく続いていた。

 暖かく思えるはずの朝日をなぜか憂鬱に感じるのは朝早くからある講義のせいだと言い聞かせながら私は大学へとゆっくり向かうのであった。

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