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さよならのその前に  作者: 大橋宇宙
28/29

8-1

徳井さんの精密検査の結果が分かったのはそれから一週間後だった。再発している事が医者の口から伝えられたそうだ。幸いな事にまだ症状は軽い初期段階であったため入院の必要はないようだった。その頃には何とか風邪は治す事が出来たそうだ。だが、再発の知らせを聞いたと同時に徳井さんは辞表を出した。いくら症状がまだ軽いと言っても免疫力が落ちている事には変わりなく悪化する可能性も十分あった中では先の見通しは暗く、今のままではこれまでのような勤務をこなせないからだった。引き継ぎだけを済ませるに留まり、結局徳井さんが現場に復帰する事は二度となかった。

 高寺さんとはその後一度デートをしたものの、徳井さんの事が脳裏から離れず、心の底から楽しむ事が出来なかった。徳井さんの事を高寺さんに話す勇気などあるはずもなかった。彼女の検査結果を聞いたとなればなおさらだった。全くどうしてこうも辛い出来事が連続で起きるのだろう。ふとそう思ったものの、高寺さんも徳井さんもそれ以上につらい経験をしてきたのだ。弱音を吐ける立場ではなかった。

「彼女の病気が再発するとはね。残念でならないよ」と社長は言った。

「知ってたんですか?徳井さんの病気の事」と私は尋ねた。

「採用する人材についてはしっかり調べるよ。調べた上で採用したんだ。彼女は必死にその事を隠していたようだがね。試用期間の間、本採用するか否か迷ったよ。でも彼女は病気の再発リスクを考慮しても給料に似合った十分な働きをしてくれた。二号店の準備に専念できたのも彼女のおかげだよ。辞職せずにとりあえず休職扱いにしたらどうかと申し出たが、彼女は『お気持ちは嬉しいですが、もうこの土地を離れるからその選択肢はないです。すみません』と丁寧に断られたよ」

「ここを離れて徳井さんはどこに行くつもりなんですか?」

「さあ、そこまでは聞いていない」

「店長は誰がするんですか?」

「ほかにいい人材が見つかれば話は変わってくるが、なかなか時間がないからそれは現実的ではない。上原さんに一号店を任せて二号店は葛城君にやらせようと思っている。もちろん私の指導付きでね」

「あの人に店長が務まるんですか?」

「君の気持ちは分かるが、そんな事は言わないでくれ。世の中に完璧な人間、理想通りの人間など存在しない。誰にでも長所や短所はある。だからこそ足りない分を補い合い、支え合いながら生きていくんだ。彼には店長をこなすだけの素質がある。それに彼にはやり直すチャンスを与えたいんだ。私の頭の中にあるのはただそれだけだよ」

「社長は甘いですね」

「彼は十分反省している。反省しているからこそ誰かが手を差し出すべきじゃないのかな?いいかい恋ちゃん、君の気持ちもよく分かる。でも過去は過去なんだ。いつまでも過去に縛り付けられていても前には進めないよ。彼の事が許せないとしてもそれで君が幸せになることはないよ?」

「この前『許してくれとは言わないよ』とかって言ってませんでしたっけ?矛盾してないですか?社長」

「すまない、少し言い過ぎた」

「もういいです。彼と直接顔を合わす事がなければ私はそれで十分です」

高寺さんの出国は来週に迫っていた。徳井さんももうすぐこの街を離れるそうだ。そして社長は私に葛城を許せと言う。いっその事全てと連絡を絶ってバイトも辞めてしまおうかという考えが脳裏をよぎったがそんな無責任な行動を私自身が許せるはずもなかった。全く何でこうも時間がないのだろうか。ゆっくりと考える時間が欲しかった。


詩織の家を訪ねたのはその翌日だった。彼女の遺骨はまだ納骨前という事もあり、リビングの一角に遺影と共に安置されていた。

「納骨までの間どこに置こうか迷ったんだけどね。出来るだけ賑やかなところの方が詩織も喜ぶかなと思ってね」

詩織のお母さんはそう言いながら私にお茶とお菓子を用意してくれた。

「ゆっくりしていってね」

そう言うと詩織のお母さんはその場を後にするのだった。

目の前にあるのはとびきりの笑顔で口を開けて大きく笑う詩織の遺影とこじんまりとコンパクトに収まった骨壷だった。少し前ならこの現実に向き合う事など出来なかった。

それが今ではこうやって冷静に向き合っていられる自分がいる。時の流れはこうも人を変化させるものなのだろうか?今私が抱えている悩みも時の流れと共に儚く薄れていくのだろうか?しかし、しばらく詩織の遺影と睨めっこをしたところで答えが出そうになかった。

「お母さん、身勝手なお願いで申し訳ないんですけど、詩織の部屋に入っても良いですか?」

 仕方なく私は彼女の部屋に入って考えようと思い立ち彼女のお母さんにそう尋ねた。

「もちろん。好きなだけ見ていって」お母さんは優しく微笑みながらそう言った。

「ありがとうございます」私は静かにそう礼を言った。

部屋は詩織が生きていた頃のままのようだった。勉強机や棚には私と一緒に出かけた先で購入した小物がびっしりと並べられていた。それらの一つも埃を被ってる様子がない事からお母さんが今でも丁寧に掃除しているのが伺えた。部屋にある一つ一つを眺めながら私は彼女との思い出に浸った。二人で知らない土地に出かけては記念品として二人で現地の雑貨を買った。店で並べた写真集や紀行集を眺めてはまだ見ぬ土地に思いを馳せた。行きたい場所は山ほどあった。実際に出向くことが出来た場所もある。でもそれ以上に行けずに終わった場所の方が圧倒的に多かった。それでも思い出すのは彼女の笑顔だった。叶わぬ夢だったとしても二人で期待に胸を膨らませながら語り合い、冗談を言い合いながら時間を忘れておしゃべりをした。それが何よりも楽しかった。いつのまにかそんな思い出を思い出しながら笑みをこぼしている自分がいた。

 彼女はいつも笑顔だった。だから私もどんな選択肢を選ぶにしても笑顔でいよう。私はそう思った。

 私は部屋を後にしようとドアの方へと向き直すと、ふと本棚の隅っこに伊古タワーのミニチュアが飾られている事に気が付いた。それは詩織が恋人と伊古タワーに行ってはお守りとして買い、別れては捨ててを繰り返していたミニチュアだった。一体何回買っていたのかわからない。てっきり全て捨てているものだと思っていたが捨てずに残していたものもあったのだろう。


「とりあえず理想としては今度の相手とはケータイを使わずに伊古タワーでうまく落ち合って、綺麗な夕日をタワーの展望台から一緒に眺めたいかな…だからよろしく頼むよ、恋のキューピットさん」


私は前に詩織がそう言っていた事を思い出した。道具を使わずに同時にタワーで落ち合うことが出来たらその二人は永遠に結ばれる。彼女はいつもその迷信に頼っていた。その時は迷信に頼る何て馬鹿馬鹿しいと見向きもしなかった。でも今の私には別の考えが浮かんでいた。

「悩んで行動を起こせないくらいなら迷信に頼ってでも行動した方が何倍もマシだ」

 詩織だったらたぶんそう言って無鉄砲だろうと行動に移していただろう。高寺さんも徳井さんも私にとってはどちらもかけがえのない大切な相手だった。徳井さんとの友情を取るのか、高寺さんとの恋を選ぶのか私には選択する事など出来なかった。だったら運命を天に託すのもたまにはいいのかもしれない。


「私は家から直接向かうので高寺さんは駅から向かって伊古タワーで直接落ち合いましょう」

「わかった。今日はいい天気だから青々とした街路樹を眺めながらゆっくり徒歩で向かう事にするよ」

「のんびりし過ぎて遅れて来たりしないで下さいよ」

「僕も低く見積もられたね。これでも時間には正確な方だよ」

「なら安心しました。展望台で直接落ち合いましょう」

「わかった。楽しみにしているよ」

電話が切れると私はすぐさま徳井さんに電話をした。

「元気ですか?徳井さん」

「何とも言えない皮肉を言うのね、恋ちゃん」

「徳井さんとの信頼関係があるからこんな事が言えるんですよ。少なくとも展望台に無事に辿り着く体力を持ってないと困りますからね」

「それくらいの体力なら幸いありますよ。私を重病人のように扱わないでよ」

「扱いますよ、店長辞めるくらいなんだから!」

「全く最後の最後まで口が悪いね、恋ちゃん」

「それよりも、徳井さんが伊古タワーの展望台に行ったことないなんて、驚きましたよ。この街を離れるからには最後にこの街一の景色を見てもらわないと困りますからね。そして、元気出して病気治してくださいね。本当にこれから先気を付けて下さいね。私徳井さんには長生きして欲しいんで」

「ありがとう恋ちゃん。それじゃあ後でね」

 私と徳井さんはそれぞれの自宅から、高寺さんは駅から伊古タワーへと向かう。いずれも伊古タワーからの位置はバラバラであり誰かと道中会うことはないだろう。

二人を会わさないという選択肢は私には出来なかった。ただ会わせるにしても会った二人がどんな反応を示すのかわからなかった。いや考えたくなかった。だってそうだろう、二人の馴れ初めを考えれば私なんか太刀打ちできないではないか。相手の事を思い身を引き長年思い続けた相手が今度は自分の病気を治してくれるかもしれない心強い相手として現れる。

 かたや私はこの短い間に恋に落ち彼の旅立ちを見送るだけの立場。そんな私は迷信に運命を委ねるほかなかった。これで私と高寺さんが先に落ち合えば、私と高寺さんは運命の糸で結ばれているといえる。仮に徳井さんと高寺さんが先に落ち合えばそれは二人が運命の相手だという事で諦める事が出来るだろう。私はそう思った。

 時間になり自宅を出ると夕焼けが辺りを染め始めていた。少しの雲が夕空を良い具合に彩っていた。今日、綺麗な夕日を眺める事が出来るのは確かだろう。自転車で二十分はかかるであろうその道のりを私は風を切るように自転車を漕いで向かった。友達とふざけながら帰る小学生や手を繋いで仲良く歩く高校生のカップルを尻目に私は夕焼けを浴びながら伊古タワーへと向かった。タワーができた当初とは違い、ある程度の高さのマンションやビルにタワーが隠れたり、タワーに続く真っ直ぐな道がなかったりとタワーだけを見ながらまっすぐ向かう事は不可能だった。タワーを見失うたびに私は間違った道を通っていないだろうかと不安にかられた。それでもタワーが近づくにつれ高揚感が私を襲った。それは高寺さんに会えるから、徳井さんに会えるからなのか、これから先待ち受けている運命に不安を覚えているからなのか。色々な感情が混ざり合っているのは確かであり、だからこそ落ち着く事などできそうになかった。

タワーの入り口付近では男女がまばらにいたものの高寺さんの姿も徳井さんの姿も見当たらなかった。時間を見ると集合時間の七分前だ。この辺りで出くわしてもおかしくない。それでも展望台で待ち合わせをしたからにはここで待っていても仕方なかった。私は焦りながら駐輪場の空いているスペースに急いで自転車を置き、入り口で眠そうに対応するスタッフから入場券を買いエレベーターで展望台を目指した。エレベーターには私一人しか乗車せずエレベーター内は夕日で赤く染まり、振り返れば赤く染まる街を眺める事が出来た。だが、私はそんな事に脇目もふらずに表示される数字が増えていく様子をただただ眺めていた。どれだけエレベーターに乗っていただろうか、やっと展望台に着いた私はエレベーターからさっさと出ると景色そっちのけで周りの人を見渡した。何人ものカップルが夕日を眺めていた。中には小さな子どもを連れて来ている夫婦の姿も見えた。その誰もが夕日に染まる街を眺めているようだった。

ただ、その中に一組だけ景色も眺めずに抱き合うカップルがいた。ちょうど私から見たらそれは逆光であり、眩しい夕日のせいでシルエットしか見えなかったものの目が慣れると二人の表情がよく見えた。二人は硬く抱擁をしているようで男性は目を瞑り、女性は涙を流しているようだった。二人は微動だにしていなかった。それは再会を興奮した様子で喜んでいるようでもあり、再会を驚いているようでもあった。

 その二人が高寺さんと徳井さんである事に気が付くのにそれほど時間はかからなかった。しかし、気が付いても心の中でその二人である事を私は中々認める事が出来なかった。あの二人ではないと思いたいがために二人をよりしっかりと眺めてみたものの見れば見るほどそれはたった一つの可能性から揺るぎない確信へと変わるだけだった。

どれだけ長い間二人は抱き合っていただろうか?

どれだけ二人の様子を見つめ続けただろうか?

私はただただそこに立ったまま二人の様子を眺めることしかできなかった。

二人が体を離した瞬間、私は反射的に柱の影に身を隠した。やがてケータイが鳴り始めた。徳井さんからだった。私はそれに気がつくと逃げるようにエレベーターへと向かった。あの光景を見た後では二人にどういう顔で会えばいいのか私にはさっぱりわからなかった。幸いな事に多くの客は夕日に染まる街を眺めているようで私のように帰る客はまだ誰一人もいないようだった。一人だけの乗客としてエレベーターに飛び乗った私はドアが閉まると同時に声を出して思い切り泣いた。

 結局のところ私は運命を天に任せておきながら私と高寺さんが結ばれる未来しか見ていなかった。それは私の涙がはっきりと示していた。自分勝手なのは分かっている。でも心のどこかで高寺さんが過去は過去として、一人の友人として、徳井さんと向き合ってくれるものだと期待していた。再会して二人がどのような話をしたのか、私との関係をどこまで話したのか、それは分からない。でも全てはあの抱擁で十分だった。あの抱擁が全てを物語っていた。徳井さんが選ばれ、私は捨てられたのだ。その事実だけで十分だった。

 皮肉にもそのエレベーターから見える街の光景は夕日に真っ赤に染まってとても美しいものだった。夕日は私をも赤く染め上げ、その太陽の光は温かみを感じる居心地の良いものだった。しかし、だからと言って私の涙が止むことはなかった。やがて夕日は沈み、また夜がやってくる。


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