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さよならのその前に  作者: 大橋宇宙
27/29

7-2

徳井さんが休んで一週間が経ったものの復帰できる見込みはないようだった。その分の穴埋めを上原さんがそつなくこなしたものの「店長の仕事ってこんなにキツイのね。徳井ちゃんはほんと優秀だわ」と驚いていた。上原さんを二号店オープンに向けての準備、打ち合わせになかなか呼び出せない事もあり、社長はこちらの店に来ては空いた時間を使って上原さんと打ち合わせをしていた。二号店のオープンが間近だからなのか珍しく表情に余裕はないようだった。私はというと皆を代表して徳井さんの自宅に見舞いに出向く事になった。一週間も休みでいつ復帰が出来るのかわからない状況は流石に皆が心配した。

「徳井さん、加賀美です。お見舞いに来ましたよ」

チャイムを鳴らし私は玄関越しにそう言った。

「はい…今行くよ…」少しの間の後弱々しい声がしたかと思うと引きずるような足音と共に徳井さんが玄関を開けた。もう十分暖かい気温だというのにまるで徳井さんだけ真冬のど真ん中にいるかのような厚着をしていた。それに加え首はタオルをぐるぐる巻きの状態で顔半分は隠れていそうなほど大きなマスクを徳井さんはしていた。それに加えて目は虚ろで疲れきっている始末だ。

「わざわざ見舞いに来てくれるなんて、ありがと…ゴホッ」

「大丈夫ですか?徳井さん、重症じゃないですか」

「ゴホッ…インフルエンザではないから…安心して…でも…流石にただの風邪とは思えないから明日またしっかりと検査し直す予定。ゴホッゴホッ!」

「こんなところにいないでさっさとベッドに入ってて下さい。お見舞い用の果物とかスタミナがつく食材とかたくさん用意しましたから」

「ありがとう、恋ちゃん。嬉しくて涙がゴホッ!ゴホッ!」

徳井さんをベッドに寝かしつけると私は生姜の絞り汁を混ぜた葛湯を徳井さんに飲んでもらい、お腹が減った時用にと梅干しの入ったお粥を用意した。

「ありがとう、恋ちゃんだいぶ楽になった」

時間をかけて葛湯を飲み干した徳井さんはそう言ってベッドで横になった。

「見舞いに来たのにその相手をして症状が悪化するようじゃ見舞いの意味がないですから」

気を利かせる為笑顔で私はそう言ったものの徳井さんは返事もせずに黙り込んでいた。

「恋ちゃん」

一瞬の沈黙の後、仰向けで横になっている徳井さんは天井を意味もなく見つめながら真面目な表情で私の名を呼んだ。

「何ですか?」

「私ずっとみんなに黙ってた事があるの」

「何ですか?黙ってた事って。まさか『実は私、男なの』とか言われても困りますよ」

私は笑いながら冗談を言ったものの、徳井さんそれに全く関心を示すことなく淡々としていた。

「言っておかないといけないと思うから言うね。私は恋ちゃんの親友さんがなくなった病気に昔、罹ってたの。そう、例の難病ね。だから私は恋ちゃんの親友さんの気持ちがよくわかったの。死への恐怖やこれから先どう人生と向き合うべきだとか。同じ境遇だったからよくわかったの。だからこそ自分の事のように心配してた」

「でも治ったんですよね。良かったじゃないで――」

「話はまだ終わってない。それで最近調子が悪くて実際これで四日寝込んでるの。最初はただの風邪かインフルエンザだと思いたかった。でもこの感覚、分かるの。昔あの病気にかかった時と同じ。ただの思い過ごしと思いたいからこそこの前はインフルエンザかどうか診察してもらうだけで精密検査は受けなかったけどこれ以上目を背けててもみんなに迷惑かけるだけだから。明日はっきりさせてくる」

「社長は知ってたんですか?病気の事」

「私が話さなかったから知らないと思う。だっていくら運良く良くなったからって何で治ったのかわからない中いつ再発するのかわからない。そんな人雇おうと思う?私が経営者だったらそんなリスク負わないよ」

「もしまたあの病気に罹ってたらどうするんですか?」

「どうって…何も考えてないよ。あの時だって生きるのに必死だった。今はその時使ったお金をやっと返し終わった頃なんだもん。正直今は何も考えたくない」

「ごめんなさい。失礼な質問でしたよね」

「ううん、どのみち考えないといけない事だし。それを私じゃなくて恋ちゃんがしただけの事だよ。それよりも恋ちゃん、聞いたよ、最近彼氏が出来たんだって?」

「人の噂話の速度は恐ろしいものですね」

「聞いたよ、お医者さんなんだって?まさかこの前話してた手紙を渡してくれた例のお医者さんかな?抱きしめてくれたのもその人だったりして?」

「話が早いですね。それに勘が鋭いなんて嫌な人ですね。でも彼はもうすぐ海外に旅立つんです。付き合いたてだし、そのまま自然消滅だって全然あり得ます」

「あら…そんな感じなんだ。茨の道だね。でもそれでもいいって思ったから付き合う事にしたんでしょ?」

「それはまあ…」

「それなら大丈夫だよ、多分」

「多分ですか…」

「多分ね。それよりもなんかその境遇、昔の自分を思い出すな。私ね、昔医学部目指してた浪人生と付き合う一歩手前だったの」

「付き合う一歩手前?」

「そう。ちょっと込み入った事情があって友達としてなのか恋人として付き合うのか宙ぶらりんな状態だったの。もうあの頃は付き合っているようなものだったんだけどどっちも優柔不断だったから。結論が出せずにいた。そうしてたら私の病気が見つかってね。あっちは受験で大忙し。それに彼はもう一度浪人なんてする余裕もなくてこれがダメなら医者を諦めるようなラストチャンスって境遇だったから、私の病気で迷惑かけるわけにはいかないなって想って、自分から身を引いたの。事情を話した所で絶対に納得する事もなくごねると思ったから連絡を一度に全部絶ったな…」

「連絡を絶たずにお互いを励まし合うという選択肢はなかったんですか?」

「それはなかったな。だってその人は少し前に恋人を同じ病気で亡くしてばかりだったの。だからまだ付き合ってもいなかったし、傷が浅いうちに縁を切った」

 それを聞いた私はふと高寺さんの事を思い出した。彼と同じだ。でもそれを口にだす隙もないまま徳井さんの話は続いた。

「その悲しみからやっと立ち直ったってのに次に付き合う相手も…そんなのって耐えられないでしょ?だからこそあらゆる連絡手段を絶って彼の前から姿を消したの。でもね、これでも良いこともあったんだよ?」

「良いことって何ですか?」

「夢見ていた世界一周を思う存分出来た事。少し前から計画はしてて留学をし終わって新学期が始まるまでの期間にちょっとしようと思って資金は貯めてはいたんだ。でも病気のせいで一度は全部白紙になったの。この病気を治す方法が確立されてないから必死で怪しい情報も含めて色々調べたよ。そしたらさ、遠い土地に引っ越したらいつのまにか治ったていう人がちらほらいてね。そこで思いついたの。どこかに移動さえすれば治るなら行きたかった海外一周をしていればそのうち治ったりしないかって。自分の病気も治って昔からの夢も叶うなんて一石二鳥にも程があると思わない?だから私は思い切って海外を放浪してやるって決断したの。その話は全員が治るわけじゃなくて一部の人だけの例外みたいだったけど、どのみち死ぬならやりたい事やって死にたいでしょ?だからそこに迷いはなかった。私の場合は例の病気でもまだ初期の状態でね、ほかの人よりも免疫力が低くて無理はあまり出来ないけど生活に制限がかかるほどでもなかった。そのまま悪化するようだったら帰国して治療に専念しなきゃだったけれど幸運な事に悪化するどころか世界一周し終わる頃には健常者と何ら変わらないくらいまでに回復してた。本当に私ってラッキーだよね。夢だった世界一周も存分にやって病気も治っちゃうんだもの。それにね、この病気のおかげで周りの人がすごく親切にしてくれるの。事情を話せば『それは大変な事だ、これをタダで貰っていきなさい』とか『タダで泊まっていきなさい』と言って色々やってくれるの。全員が全員そんな優しい人達ではなかったよ。もちろん『泊めてやる代わりに俺とやらせろ』とか最初は優しい顔してたのに夜、せまってくる男もいた。優しいふりして私の貴重品をこっそり盗む人とかもいたな。それでもその国その国で誰かしら親切な人がいて、その人達のおかげでたとえ嫌な事を経験してもその国が好きになれた。そんな経緯があるから今の仕事をしてるのかもね。雑貨を通じて、本を通じてその国の魅力を伝えたいって思ってるのかも。あーあ、あの頃の彼が立派な医者になって私の病気を治してくれたりしないかな…」

 徳井さんが熱く語っているのは分かっていても私の頭にはどうしても徳井さんと高寺さんの繋がりが気になって仕方なかった。もしかしたら二人は知り合いで今も思い続けているのではないか?なぜなら徳井さんの地元のご当地マスコットバッジを高寺さんは持っていたのだ。あんなものを好き好んで買う人は地元の人以外そうそういないだろう。そんな中で医学部を目指していて恋人を亡くした人が何人いただろうか?もう聞いて確かめるしかない。私は必死に頭を巡らせて自然な流れでその男性の名前を聞き出す方法を考えた。

「頑張って連絡を取ってみれば良いんじゃないですか?その人の名前はなんて言うんですか?」

「高寺太晴。苗字は高い寺で、太晴は太く晴れるって書いて高寺太晴。それが出来たら楽なんだけどダメなんだよね。連絡を絶った時に彼の連絡先を全部削除しちゃったから。SNSを本名でやってないかなと思って調べたりしたけど見当たらなかった。というかダメだね私。本格的に弱気になってる。全く後輩に肉体も精神も弱ってる姿見せちゃった。今日はありがとう。もう帰っていいよ。また何かあったら連絡するね」

 徳井さんはそう言って追い出すように私を帰そうとした。徳井さんがここまで弱っているのを私は見た事はない。こういう時こそ何か彼女の為にしないといけない。直感的にそう感じたものの、気持ちの整理が追い付かない私はどうすればいいのかわからずそのまま玄関前まで追いやられてしまった。

「徳井さん」

振り絞るようにして私は彼女の名前を呼んだ。

「なに?恋ちゃん」

「私、何が出来るか分からないけど出来る事があれば全力で手助けしますね。私徳井さんのこと大好きですから」

「ありがとう恋ちゃん。上司想いの優しい部下を持てて私は幸せだわ」

マスクをしているせいで表情がよく見えなかったものの、そう言って笑顔を見せた徳井さんの目から涙が溢れているように見えた。

 そして、その涙が私の気持ちをより複雑なものにした。高寺さんと徳井さんは昔からの知り合いで今もお互いの事を大切に想っている。たぶんほぼ間違いない。でもその通りならなぜその事実を知っているのは私だけなのだろう?なぜ重たい覚悟を持って付き合おうと決めた矢先にこんな事を知る羽目にならないといけないのだろうか?想いを巡らしても整理が付く気配はなかった。私はただただ、徳井さんの病気の再発が思い過ごしで終わる未来を期待するほかなかった。


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